【フェンタニル】米司法省 薬物密造に関わった疑いで中国企業4社などを起訴 [ぐれ★]
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※2023年6月24日 8時35分
NHK
アメリカで「フェンタニル」と呼ばれる鎮痛剤として使われている薬物の過剰摂取で死亡する人が相次ぐ中、アメリカ司法省は、この薬物の密造に関わったなどとして、中国企業4社と中国人8人を起訴したと発表しました。
アメリカでは、本来は医療用の鎮痛剤として使われる「フェンタニル」と呼ばれる薬物の過剰摂取により、おととしには7万人近くが死亡しています。
こうした中、アメリカ司法省は23日、フェンタニルの密造や密売に関わったとして、中国 湖北省武漢の化学メーカーなど4社と中国人8人を起訴したと発表しました。
化学メーカーの幹部3人は、密造に使われると知りながら、過去8か月間で中国からフェンタニルの原料200キロ以上をアメリカに向けて輸出したとして罪に問われていて、このうち2人は、今月8日に滞在していた南太平洋のフィジーから退去処分となり、アメリカの当局に拘束されました。
続きは↓
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230624/k10014108161000.html >>63
シナ人がカンボジアで詐欺集団抱えて暗躍してるそうだけど、奴隷を監禁して暴力で脅して詐欺をさせてるってさ
人間じゃないよ オピオイド中毒なんて30年以上前からあったけど、死ぬのは底辺ばかりだから問題にならなかった。
プリンスやMJが死んでから多少問題になり始めた。
中産階級の子供が死に始めてから大問題になった。 これは現代のアヘン戦争
アヘン戦争
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%98%E3%83%B3%E6%88%A6%E4%BA%89
この戦争をイギリスが引き起こした目的は大きく言って2つある。それは、東アジアで支配的存在であった中国を中心とする朝貢体制の打破と、厳しい貿易制限を撤廃して自国の商品をもっと中国側に買わせることである。
清朝はイギリスによる阿片(ヘロイン)輸出で滅びることになった。 何でアメリカ人はそれ使うの?
他の国でこんなに中毒出てないよね 製薬会社が病院に売りつけてたからだろ、病院も慈善事業ジャネーから金に変えないといけない。犠牲になるのはいつも国民さ。 ロシアと同じレベルで全世界で経済制裁したら良いよ、中国に対しては 普通にアヘン戦争仕掛けられてるな
BLMやらLGBTも中国が扇動してるんじゃないの? バイデン落選運動してたネトウヨって中共の手先だったな 医療大国中国なのでジャンジャン合法的に鎮痛剤を作って
アメリカの困っている人に届けるアル この薬はアメリカでは合法の処方薬だが一定期間を越えたら依存症予防の為に処方停止になる。
が、多くの人はその時点でまだ痛みが治り切ってない場合が多いし、
軽い薬物依存症的な状況になってるのでこの薬を断ち切れず、
そこから先は非合法のルートで手に入れるしかない
その需要は巨大なので供給すれば必ず儲かる
この薬の非合法の需要(顧客の開拓)は、合法の医療機関がせっせと作り出してるのだ カナダが中国人移民を締め出し
https://plaza.rakuten.co.jp/satoyamayoshirin/diary/201302030003/
中国人移民はカナダの社会福祉目当てのことが多く、国家財政にとって負担となる。
また、中国人の投資移民も現地経済にあまり貢献していないことが明らかとなった。
そして何より中国人の悪習。所構わずタンを吐く、信号を守らない、
公共空間で大声で話しタバコを吸う、何でもコネで解決しようとする。
こうした悪習は海外でもよく知られており、カナダに限らず米国、
オーストラリア、シンガポールでも中国人移民を制限する政策が登場している。 たかだか7万人やろ?
アルコールに比べたら誤差やんw
何でこんなにキレてんの?
キレるなら先ずアルコールにキレなさい 日本も違法薬物押収量ワースト5が全部中国人だぞ
1位が1トン以上の覚醒剤 相模湾奥のクルーザーから
2位が先月の太陽光パネルに仕込んで密輸600kg >>89
youtubeでPhiladelphia Kensingtonを検索してみろ >>8
「デジタルドラッグ」とでも呼ぶべきソシャゲもそうだよ
自国内では厳しく制限してるけど海外向けにはガンガン商売させてる ワイ病気の後遺症の痛みでオピオイド処方されてるが飛ぶとか一切無いぞ
痛みしびれが緩和する位 それでもしびれは残るあんま嘘の夢見て規制に走らないでくれよ >>4
炭疽菌と変わらねーじゃん((((;゚Д゚)))))))
怖すぎんだろうんなもん >>95
純度が違うんだと思うよ
ガチの複製物なしの出来立て高純度だと本当泡吹いて倒れてたぞ
アメリカの女性警官 >>99
純度とかじゃなくて、痛みが体にある状態だとまた薬の効き方が違うんだよ
勿論使いすぎとかは問題だけど、痛さの具合などに応じて使ってる分には問題ない フィラデルフィアのケンジントンの、ゾンビドラッグはこれ >>76
実はアヘンはイギリスから中国じゃなくて
岸信介が満州で栽培して売り捌いていたという話もある
調べてみて面白いよw >>109
岸信介 アヘン で検索するといろいろ出てくるけどな 星新一の父星一の星製薬はケシだったな
まあケシから抽出して作るモルヒネも医療では重要な薬なのでマットウだと思うよ 中国はメキシコに恩を売ってフェンタニル原材料を格安で売ってメキシコにアメリカを潰す復讐をさせてるから頭が良い(笑) 藤圭子 圭子の夢は夜ひらく
作詞:石坂まさお 作曲:曽根幸明
https://imgur.com/0L7CJBG.png
赤く咲くのはケシの花
白く咲くのは百合の花
どう咲きゃいいのさ この私
夢は夜ひらく
十五、十六、十七と
私の人生暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく
(以下略)
藤圭子
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90
1960年代末から1970年代初頭にかけ、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌[注 1]』)を、ドスの効いたハスキーボイスと凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。
代表曲は『新宿の女』『女のブルース』『圭子の夢は夜ひらく』など。
他の歌手のヒット曲も幅広くカバーしており、多くの曲で本家を凌駕する歌唱力と表現力を発揮したと評される。『うそ』をカバーされた中条きよしは「こんなにうまく歌われたらたまんないよ」と作曲した平尾昌晃に伝えた[4]。 藤圭子
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%9C%AD%E5%AD%90
来歴
浪曲師の父・松平国二郎こと阿部壮(つよし)[5]、同じく浪曲師であり曲師でもある母・阿部澄子こと竹山澄子(2010年に死去。享年80)[5]との間に3人きょうだい末子・阿部純子として父の出身地でもある岩手県一関市にて巡業中に生誕する。
一家の生活は赤貧洗うが如し厳しきもので、純子が幼い頃は市内の忠別橋上流の通称サムライ部落で雨風を凌いで暮らした。純子が幼い頃澄子は下駄で忠別川の氷を割って、おしめを洗っていたとの証言もある。
旭川市旭町にあった住まいは、畳もなく、床が剥き出しで、裸電球一つぶら下がる部屋であった。両親が巡業から戻るのが遅くなり食費に困った幼い兄弟は納豆や豆腐を売り歩き日銭を稼ぐこともあったという[6]。
小学校5年になり客前で初めて歌った(畠山みどり「出世街道」)ところ大反響を得、その後学校の休みの日に両親の巡業に同行(中学3年夏の岩見沢への転居まで続ける)。結果一家の収入も増え神居に小さな家を持ち5年生の夏、旭川市立神居小学校に転校。旭川市立神居中学校3年の夏まで過ごす。岩見沢の温泉施設「きらく園」で住み込みの専属の歌手として請われ両親と共に岩見沢へ転居。
北海道の岩見沢市立栄中学校(1983年閉校)卒業[注 2]。勉強好きで成績優秀だったが、家計を支えるために、高校進学を断念[5]。 (藤圭子 続き)
中学の卒業式の日に両親と上京。
西日暮里のアパートに住み八洲秀章のレッスンを受けながらいくつかのレコード会社のオーディションを受けるが全て不合格。生活のために錦糸町や浅草などで母と流しをする。
その後、作詞家の澤ノ井龍二(石坂まさを)と知り合う。
石坂まさをは純子の歌う「星の流れに」「カスバの女」を聴きドスの効いた声と人生の哀愁をにじませた退廃的な歌い方に圧倒されスカウト。石坂まさをの自宅に住み込み弟子となりレッスンを受ける[7]。 石坂まさを
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9D%82%E3%81%BE%E3%81%95%E3%82%92
人物
東京都新宿区出身。父親の澤ノ井音次郎は、十数人の弟子を持つ看板業を営んでいた。家業が繁盛し裕福になると女遊びに手を出し、正妻の他に8人の妾を持ち、石坂自身も4番目の妾の婚外子であった。
しかし子に恵まれなかった音二郎の正妻・千恵の元で女手一つ愛情深く育てられ、石坂もまた千恵への深い思慕で結ばれていた。新宿区立四ツ谷第二中学校を卒業後、肺結核と闘いながら職を転々とする。
19歳の秋、自死を考えるが鶴田浩二の「街のサンドイッチマン」を聞き、発奮され作詞家を志すようになる。
当時石本美由起が主催していたかつての作詞同人誌『新歌謡界』に「沢ノ井千江兒[* 1]」名義でコツコツと作品を投稿。(新歌謡界出身である作詞家山上路夫とは、のちに同期の良きライバルの間柄となり、先輩作詞家からは作風の違いなどから「貴公子の山上」「野生児の沢ノ井」などと揶揄されることも少なくなかった。) 東芝音楽工業専属作詞家としてプロとなると、昭和38年、美川鯛二の「野良犬のブルース」で作詞家デビュー。
昭和43年秋、作曲家の上条たけし宅にて藤圭子(阿部純子)と出会う。
藤の不遇な環境から強烈なシンパシーを感じ、ドスの効いた声と人生の哀愁をにじませた退廃的な歌い方に圧倒され、藤のデビュー一本に賭けることを決意、新宿区東大久保にある自宅に住み込ませ、スパルタ特訓生活を開始する。しかしその道のりは険しく東奔西走の営業活動の中ようやくデビューが決まっていたが、知り合ったRCA/ビクターの若手プロデューサー榎本襄に藤圭子を引き合わせたところ同じく藤の才能に打たれた榎本に「ぜひRCAでやらせて」と強く勧められ、自ら東芝を退職し日本音楽放送・工藤宏との縁で工藤から280万円出資を受け、藤プロダクションを設立。
工藤を社長に据え、沢ノ井千江兒名義から石坂まさをに改称し、また石坂本人も役員として登記し、阿部純子の芸名を藤圭子と名付けRCA/日本ビクターより9月「新宿の女」でデビュー。藤に提供した楽曲の多くには自らの生い立ち、人生観が強く投影され藤圭子の独特な声と歌唱と相まって数々の記録的ヒットを樹立する。
粘り強く強情な性格で、話題作りのため藤を銭湯の男湯へ飛び込ませる、違法行為を承知でポスターを町中に貼る、芸能雑誌出版社に押しかけ癲癇を装って口から泡を吹き「記事にしないとここで死ぬ」などと脅迫するなどなりふり構わぬ営業を厭わなかった。巷では「気狂い龍二[* 2]」との渾名がついたと言われる[2]。 中国が原材料をメキシコに輸出して、メキシコカルテルが精製
近年の日本で違法薬物輸入で逮捕された例を見ると
中国メキシコラインや中国UAEラインが多い
日本で逮捕されてるのは中国人、イラン人、ペルー人とか
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