狗奴国は、
57年に、後漢の皇帝「光武帝」から印綬され
204年に後漢の遼東太守「公孫康」が設立した後漢の帯方郡に属した
北九州にある倭の奴國

公孫康から後漢の遼東太守を継いだ公孫淵が237年に、
魏の第2代皇帝「曹叡」に反旗を翻した際に
公孫康から玉璽を与えられ
後漢の遼東太守の公孫康とともに魏に反旗を翻したため

魏からは倭の奴國ではなく、狗の奴国と呼ばれるようになり
魏は、九州北部の奴国の変わりに、畿内の邪馬台国を親魏倭王とした