昭和60年前後に公開された国宝、海部氏系譜図には記紀にある天孫降臨神話とは全く違う天孫降臨が記述されている
天火明が息津鏡と辺津鏡を携え丹後に降臨したとある
天火明は記紀ではニニギの子とされているが、海部氏系図ではニニギの兄弟
天火明は、饒速日命ともいわれ、記紀の神武東征にもでてくるように、神武より先にヤマト入りしていたのが饒速日命である

一方、古事記には、垂仁天皇3年に、新羅王子天日矛が息津鏡、辺津鏡を日本に持ってきたとある

これはいったいどういうことなのか
天火明がニギハヤヒであり、その天火明は古事記では天日矛と解釈できる記述もある
急激に畿内が力をつけたのは、やはり朝鮮からやってきた渡来系が貢献したと解釈せざるを得ないだろう
天孫降臨は渡来系の来日であり、その技術力で製造されたものが様々な宝とされ重宝された

そして、渡来系により力をつけた畿内勢力が、九州邪馬台国を滅ぼし、400年後記紀を作成した
これが真実では