後漢書と魏志倭人伝ちゃんと見比べれば、邪馬臺は、実は、漢の時代の列島覇権国で、しかし倭国大乱に敗れ、覇権放棄の証として女王を即位させた(剣を持つ王=男王の禁止)と分かる。

漢の時代、邪馬臺国の王はその名で朝貢せず、配下の奴国王の名で朝貢し、列島内で「自身は漢の皇帝と横並びの地位だ」と言える状況を作っていたと分かる。
これと同じことを大乱の勝者にして博多港を既に直接支配している謎の勢力「大倭(ダイワ)」がやっている。
自身の正体を隠し軍門に下した邪馬臺国女王の名で朝貢している。
そして大倭(ダイワ)は、漢の時代に邪馬臺が手に出来なかった「倭王」の称号を、見事に魏から貰った。
倭王=邪馬臺女王の上の存在が大倭(ダイワ)のトップだから、大倭(ダイワ)のトップは、倭の皇帝となったのである。
それが3世紀の魏志倭人伝の姿。
次の4世紀、華北が崩壊し朝貢による東亜の秩序が消失した折に、大倭(ダイワ)は邪馬臺(やまと)を亡ぼし、その権威ある名を継いで、「大倭(やまと)」となる。
後世に「倭」の字を嫌って改字し「大和(やまと)」となる。

最近、大和王権などと言うアホな学者揃いだが、違うんだな。最初から大和朝廷だったんだよ。