9/7(木) 19:12配信
京都新聞

36人が死亡、32人が重軽傷を負った京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)の放火殺人事件で、殺人などの罪に問われた青葉真司被告(45)の裁判員裁判の第3回公判が7日、京都地裁(増田啓祐裁判長)で開かれた。初の被告人質問があり、青葉被告が高校卒業後、学業に挫折して生活に困窮した末、20代後半で罪を犯す「転落」の時期について詳しく語った。

検察側は5日の冒頭陳述で、青葉被告が京アニへ恨みを募らせた背景には、「自己愛的で他責的なパーソナリティー」があると主張した。これは生育歴に起因すると分析し、「人生どうでもいい」と投げやりになり、不満をため込んで攻撃的になりやすい性格があると指摘していた。一方、弁護側は、被告は事件当時、心神喪失状態だった主張している。

 この日は、弁護側の質問に対し、青葉被告が応答する形で、半生を明かしていった。

 皆勤で通った定時制高校を4年で卒業したという青葉被告。全国紙の新聞奨学生として、東京都内の販売店に住み込み、新聞配達をしながらコンピューター音楽を学べる専門学校に入学した。

 新聞販売店では、午前3時に起床して朝刊を配達した後、「すぐにご飯食べて、すぐ学校に」。夕方に帰宅し、夕刊の配達や集金を終えると午後9時ごろ。そんな毎日を青葉被告は振り返った。専門学校の学費は、新聞奨学金でまかなっていたという。

 青葉被告は、音楽の専門学校に入った目的を「ゲームの音楽を作る人になりたかった」と述べた。しかし、「学び方の順序が遅く、不満を持ちながら勉強していた。とにかく時間がなかった」。

 半年後、青葉被告は専門学校に退学届を出した。新聞配達も1年でやめ、さいたま市内の実家に戻った青葉被告は、コンビニで働くようになったという。

 最初のコンビニは「4カ月か、半年くらい」働き、埼玉県春日部市への引っ越しを理由に辞めた。次に同県岩槻市のコンビニへ移り、7年ほど勤務する。同県越谷市の別のコンビニの仕事も掛け持ちしたという。

 しかし、青葉被告は越谷市のコンビニを3年ほどで辞めた。「仕事をしない後輩を強めに注意したら、店長に告げ口され、辞めさせられた」と青葉被告は回想した。ただ、「真面目に後輩の面倒も見てたし、なんでその子がそんな行動をしたのかいまだに分からない」

 岩槻市のコンビニは、その後も2年ほど勤務し続けた。しかし、店長から余りにも多くの仕事を押しつけられたとして、退職した。27歳か28歳ごろのことだという。無職となった青葉被告は「単発で派遣の仕事をやっていたが、疲れ果て、何も行く気にならずにやめた」。

 春日部市役所に生活保護を申請しに行ったが、「断られて帰った」という。時の首相は「聖域なき構造改革」を掲げた小泉純一郎氏。青葉被告は「弱者が切り捨てられる時代背景だったと思います」と振り返った。しかし、弁護人から「青葉さんはそうだろうと思っているのでしょうが、実際に(市役所の)窓口で何と言われたか」と質問されると、「そのまま働いてくださいと言われた」と答えた。

長文につきあとはソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/a006c4fd2093a30fdf18d9eed716c17c25474301

1が立った日時  2023/09/07(木) 19:59:58.78
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