鏡開きで日本とポーランドの関係発展を祈る(右端から)宮島昭夫大使、アガタ・コルンハウゼル大統領夫人、福田会後援会長の安倍昭恵さん、太田孝昭・同会理事長ら=ワルシャワ(小島新一撮影)
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【ワルシャワ=小島新一】1920(大正9)~22(同11)年、シベリアで飢餓や病気に苦しむポーランドの孤児763人を日本が救出して100年を迎えたのを記念する式典が26日、ワルシャワ市内で開かれた。孤児の子孫らとポーランド政府関係者らが参加。ポーランドが「欧州随一の親日国」といわれるきっかけとなった1世紀前の人道活動を語り継ぎ、両国関係を発展させると誓った。

【写真】「日本が母を救出してくれなかったら…」感謝を語るアンナ・リロさん

当時育児院として孤児たちが滞在し、療養した社会福祉法人「福田(ふくでん)会」(東京・広尾)が主催。孤児の子孫約30家族130人が参加した第1部では、孤児と子孫全員の名前が紹介され、今後も会合をもち、交流していくことを決めた。

約400人が参加した第2部では、福田会後援会長の安倍昭恵さん、ポーランドのアガタ・コルンハウゼル大統領夫人らがあいさつ。日ポ関係の原点ともいえる孤児救出の事実を広め、語り継ぎ、両国関係を発展させていこうと呼びかけた。

式典は当初2020年に計画されたが、新型コロナウイルス禍やウクライナへのロシアの侵略戦争で延期されていた。

■「おとぎ話の国」感謝した母

参加した孤児の子孫たちからは、日本による救出への感謝が語られた。曾祖母が救出されたワルシャワの高校生、ヤン・オスピタルさん(18)は最近までシベリアからの孤児救出劇を知らなかったといい、「大勢の子孫が集まり、日本がどれだけの孤児を救ってくれたのか実感した」。兄の大学生、ビクトルさん(21)も「孤児救出は学校の授業で教えるべきことだ」と話した。

シベリアから救出されたアントニナ・リロさん(1916~2006)の長女、アンナさん(74)は「日本が母を救出してくれなかったら、私は生まれていなかった」といい、「日本のおかげで生きている孤児の子孫たちが集まって、感謝を語り合うのはすてきなこと」と笑顔をみせた。

療養のため日本に滞在した孤児たちを、日本国民は大歓迎。義援金や食料を贈る人が後を絶たず、自分の着物や玩具をプレゼントした子供も多かった。船で祖国にたつ際、孤児たちは「日本を離れたくない」と泣いたという。

「母には、そんな日本がおとぎ話の国に思えたのです」とアンナさん。日本への感謝をいつも語っていたという。

アントニナさんは第二次世界大戦中のナチス・ドイツによる占領下、ユダヤ人少年をかくまって生き延びさせた。見つかれば処刑される行為だったが、「自分をシベリアから救出し、祖国に帰還させてくれた日本への恩返し、感謝の気持ち」(アンナさん)でかくまったのだという。

アントニナさんには1996年、イスラエルから「諸国民の中の正義の人」称号を贈られた。その証書(ディプロマ)は、ポーランド孤児の救出などについて伝える福井県敦賀市の資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」に寄贈されている。

■慈愛と愛国心「日本から教わった」

ワルシャワ近郊のイェジ・ストゥシャウコフスキ氏記念特別養護学校は、ロシアがウクライナに軍事侵攻を始めた直後から、ウクライナから避難してきた母子計約120人を関連施設に受け入れた。最も早くから受け入れた施設の一つだ。シベリア孤児だったイェジ・ストゥシャウコフスキ氏(1907~91)の名前を冠しており、クシシュトフ・ラドコフスキ校長は「日本が孤児に示した人道の精神を、私たちが示す番だった」。

シベリアの孤児たちはポーランドに帰国した後、互助組織「極東青年会」を設立して日本文化の普及活動を行った。その会長がイェジ氏だ。

氏には二つの顔がある。一つは、第二次大戦中、同会を母体に1万数千人規模の大部隊となった「特別蜂起部隊イェジキ」を率い、対独レジスタンスを行った愛国者の顔。もう一つは、大勢の貧しい子供たちの世話をし、「千人の父」と呼ばれた教育者の顔だ。その動機である愛国心や慈愛の精神は、いずれも日本から教わったとよく話していたという。(以下ソース)

9/27(水) 19:12配信
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