【新潟】葬送の縄文人…人骨焼き、並べて埋葬 上野遺跡で判明、縄文人は「骨格を理解」 [樽悶★]
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縄文時代後期に焼いた人骨を埋葬した土坑(穴)が、発掘された人骨と共に11月26日、新潟市北区の新潟医療福祉大学で一般公開される。土坑は新潟県村上市の上野(かみの)遺跡で見つかったもので、地面ごと切り取り、医療福祉大に移設して研究した結果、骨を規則的に並べた全国的にも珍しい墓と判明。新潟県埋蔵文化財調査事業団や医療福祉大は「縄文時代の葬送や生活を知る重要な成果」として、来場を呼びかけている。(以下ソース)
2023/11/24 14:00
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/317697
https://niigata-nippo.ismcdn.jp/mwimgs/5/0/1200m/img_5008d206f7715c47a11ba9ce2a9edc4d820413.jpg
新潟県村上市にある約4000年前の縄文時代後期の集落跡「上野(かみの)遺跡」で、焼けた人骨を意図的に並べて埋葬していたことが、新潟医療福祉大の調査で明らかになった。縄文人が骨を別の場所で焼き、規則正しく埋葬した事例は全国的にも珍しいという。26日に新潟市北区の同大で、人骨が集積した土坑(どこう)を一般公開する。【内田帆ノ佳】
この土坑は、県埋蔵文化財調査事業団が2021年に行った発掘調査で見つかった。土坑は長径1・5メートル、短径幅1メートル、深さ30センチの楕円(だえん)形の穴。現地でひと冬保存した後、地面ごと切り取り、昨年10月に同大へ移して研究してきた。
土坑からは下顎(したあご)の骨の個数から子供を含む少なくとも6体の骨が出土した。同事業団によると、土坑は3層に分かれ、今回公開する最下層には腕や足などの長い骨が東西方向に並列している。そのほか、上腕骨を2本1組に並べたり、おわんを重ねるように頭蓋骨(ずがいこつ)を配置したりするなど「人間の骨格を理解し、埋葬していた」という。
縄文時代は手足を折り曲げた姿勢で埋葬する「屈葬」が多くみられたが、長野県などを中心に人骨を焼いて埋葬する習慣があったとされる。同大自然人類学研究所の奈良貴史教授は「従来知られていなかった縄文時代における新潟県の葬制がわかり、地域ごとに文化が違っていた」と分析。今後は個体数や性別、被葬者間の関係性を明らかにする。
同事業団の加藤学専門調査員(考古学)は「非常にきれいに並んでいるのでわかりやすい。(研究のため)骨を取り上げるので、縄文人の骨が配列した状態で見られるのはこれが最後」と話した。(以下ソース)
11/26(日) 12:30配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/0b6d69ebad4e17a1b5bcac2021f7bffc01842922
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20231126-00000024-mai-000-1-view.jpg 猿とドングリの奪い合いしてアウアウ言ってた日本の縄文人が稲作?
バカもほどほどにしろ >385
古くからモースが主張していたように食人の風習は指摘されてるね
大森貝塚には食人は否定されたと案内が出てるけど納得がいかないところがあるね
貝塚がゴミ捨て場でなく再生の場だろうが食人を否定する理由にならないし
縄文時代の後期は寒冷化して食料が減って人口が4分の1にまで激減してる
簡単に言うけど10人中7-8人くらいが死んでる事になるから大変な事だね
弥生時代がやってきたのも採取狩猟で生活を維持できない状態に追い詰められたからだと言えるしね
大森貝塚が後期の遺跡だというなら整合性がある
他の事例でも特異な例だけど食人だったのではという物があるね >>394
近隣諸国条項というものがあって、文明は必ず「中国→朝鮮→日本」の流れであって
その逆は認めないという決まりがあるそうだ
しかし文化というものは相互に影響し合うもので
これは儒教的な偏見にすぎない
日本は縄文時代で1万6000年前までさかのぼれるし旧石器時代などは4万年前だ
そのころ寒かった中国や朝鮮に人がいたかは疑問だ
熊本県ヘイタテ神社にあるように日本は本当に人類発祥の地かもしれないのだ
無論そんなものはGHQが作った教育しか受けていない者からすれば
「歴史修正主義者」とレッテル張りされるだろうがな >>393
沖縄本島あたりと八重山諸島もだいぶ違うな >>397
少し阿玉のある人は主流派学者や御用マスコミを見て
あまりに強引で学問をねじ曲げる傲慢を感じるだろうな >>382
文化・文明には段階がある、ステップ踏まないと鈍化・停滞する
言語、文字、長距離安定航海・鉄道・電信
すなわち情報の共有・保持・拡散
今のインターネットとAIは人類に何をもたらすんだろうな >>382
途中で九州ともう1ヵ所くらい破局噴火が起きてなかったっけ?
あれで文明の発展が一時期停滞した >>397
>近隣諸国条項〜文明は必ず「中国→朝鮮→日本」の流れ
>日本は本当に人類発祥の地かもしれない
頭だいじょぶ? >>403
竹内文書やヘイタテ神社の五色人とググれカス やはりそうか。
ぜんぜん最近の後世に、わーくにに侵略してきたなんちゃって先住民のアイヌ、何故かユスリタカリの朝鮮人が入り込んでいる、とはえらい違いだ! >>395
縄文時代って大陸では文明の初期の頃じゃないかな。歴史の舞台に出てくる華やかな文明のかなり前のころ。その頃大陸で初期の文字を知った人が日本列島に来て、これ使おうよ!とかやらなかったのかね。やったけど誰もうまく使えなくてそのうち消滅したとかかな。 >>404
それって古史古伝ですよね?
頭ダイジョブ? >>408
その骨をよく調べれば噛んだ痕とか石でこそいだりした痕があるかもしれない。もしでてもどこかから圧力がかかって公表しないかも。 >>407
「大本営発表」しか興味がない史料絶対主義者
学問する姿勢じゃないわ この系の風習で注意が必要なのは「全部が同じじゃない」事だね
記事にあるようにこの埋葬が特別な物である事からも各集落で違う事をやってる様子が見える
だから火葬にしても各々違う事をやってる
安易に一つの物として理解するのは間違っている
むしろ「均一な存在ではなかった」という現象と見るのが正しいと思う
ジョウモンジンと言うような統一された民族はいなかったと見た方が良い >>406
アイヌ語には日本語が外来語として取り込まれたりしてるけど、文字文化は全く広まってないし狩猟採集の生活では文字記録の必要性がなかったのかもな >>411
現代のY-DNAの範囲見るに縄文人は概ねD系統が相当優勢だったでしょ
北から南まで同じ言語系統だったと思うよ
それは交易範囲からも想定できる>>186- >>13
渡来人がやってくるまで、毛皮をまといこん棒を振り回していたお前らジャップの祖先(笑) 多種多様な文化が併存していた事が葬儀からも分かるね
縄文時代が単一民族のような物じゃなくて多様で雑多な文化や民族が分立していた状態だったことが理解できる
葬儀は表面的な道具と違って民族や部族の譲れない根幹の部分である事が多いからね
そこに多様性があるという事は縄文時代がまとまった文化でなかったことの表れだと言える >>1
縄文時代から火葬してんのに土葬なんて絶対に許さない >>417
色々ツッコミどころ多いけど、取り合えず当時民族の概念は無いから
あと縄文人はハプロDが圧倒的多数で同一言語系統の同一人種だった可能性高い
他に残存してる縄文系ハプロは極少数のC1とNくらいだし 縄文人なんて土人は種モミそのまま食っちまうだろ?
現在のアフリカ人に種モミ渡してもそうなんだし
だから原始人に栽培とか無理だろう普通に考えて >>1
> 縄文人は「骨格を理解」
当たり前だろ
旧人じゃねえぞ >>421
もしそうなのであればお前は縄文人の遺伝子を多く受け継いでいるんだろうな
そういう短絡的思考しかできないんだから >>423
数千年前の縄文人>現在のアフリカ人
アフリカ人もたいがい土人だが
流石にこれはありえん >>190
方言が強いくらいの意味でしょ
>>188は >>357
加曽利貝塚縄文遺跡とか見るとかなり集落がでかい >>372
宇宙の起源は韓国らしいよ。
なんでもビッグバンは韓国で起きたらしいw 現代だって法律で火葬って決まってるのに
条例で土葬許可されてる所があるし
土葬でも沖縄みたいな屋敷風墓所立てるところもある
火葬でも関東と関西では骨壺に入れるお骨の量が全然違う
関西は選択的に重要とされてる骨だけ関東は全部
移動手段も情報連絡の手段も栄えておらず
人口が少なくて小さい共同体で
全国を統一する強力な宗教体制なんてない縄文時代に
葬送の形式が同じだったら逆におかしい 今でも東北弁とか鹿児島弁とか
訛が強いと聞き取れない言葉喋る人がいるくらいだから
言語が同じでも意思疎通がすんなりできたかどうかは別
学校で標準語を習ってるわけじゃないので
それが可能なのは明治以降で
ラジオやテレビが普及する前はまだ訛は強い
汽車や車があっても >>428
その通りだと思うね
縄文時代は最盛期でも27万人だからね
これが全国に散ってるんだから密度は相当薄いことになる
狩猟採集文化ともなれば広大な土地が必要だから各々の生活圏が被る事は少なかったと思う
各地域でほとんど独立した風習や文化を維持して生活していたとみるのが自然
日本語に同じ物を指すのに沢山の言い方があるのも各地域の言語が合わさったからという指摘もあるからね
多様な状態で均一な縄文文化なんて存在してなかったと思う >>428
逆
まず火葬と決まってるっていうのが間違ってるぞ
埋葬(土葬)か焼骨の埋蔵(火葬)が認められてる
条例で土葬を禁止してる 後期に東日本では土器が統一されてきたり
色々と変遷があるんだから
土器の形式で地域や時代を分けて呼ぶ時期に来てると思うんだけどな
corded ware cultureみたいに
あれは3000BC–2350BCくらいの間のゲルマン人の領域のみ
それもさいら細分化してきてる
縄文文化は時空が広すぎる
北海道は擦文文化とか青苗文化とか細分化して話すことが多くなってるけど
そうすると文化間の影響関係も議論しやすい
名前をちゃんと付けて使うことが重要
議論の軸になる そうなんだよね「縄文文化」って雑にまとめ過ぎなんだよね
日本への渡来の状況も時代も場所もバラバラにやってきて各々住んでるんだからまとまるわけもない
よく2重構造とか言うけどそんな単純じゃないからね
縄文時代そのものが多重構造で色々な軸が存在してたという方が正しい 縄文だけで1万年というし、同じエリアでもいろんなルーツの人たちが入れ替わったかもだしね。 ほぼ家族か親族単位での移動生活なら文字は要らないかな。 1万年ぽっちではホモサピは進化なんかせん。
要するにおまいらが山の中で暮らしてたようなもん。
パヨクやネトウヨやLGBTや猫好きも同じようにいただろう。 狩猟採集だけで生きる小集団の世界なら広域な地域とのコミュニケーションツールである文字は発達しないよね
似たような狩猟採集生活で農耕をしないで小集団で暮らすアイヌも文字はないからね
アイヌは広大な北海道全域でたったの2万5千くらいだったというし村落となれば数十人だろう
これもアイヌ国じゃなくて個々独立した村の世界として成立してる
縄文時代も似たような物だったと言えるだろうね 進化に関していえば、身体的な変化は1万年じゃ少ないかもだけど、技術、知恵に関しては縄文初期と弥生寸前ではかなり違ったと思うよ。最後の縄文人たちが、俺たちの先祖こんなことやってたのか、、と感慨深くなるようなことがあったと思う。 気候だって縄文時代は草創期や早期は寒冷で、中期が温暖化して、後期からまた寒冷化してる
ひとまとめに勝たれるような文化じゃないよね >>438
新旧石器が大きな画期だったと思うが
その次は灌漑農耕と牧畜
共同体で共有する技術による社会の改革は
日本では牧畜は進まなかった
縄文時代の天水農耕は
石器に比べることが出来るくらい大きな変化をもたらす
原動力があったかどうかまだよく分かってない
生活を豊かにはしただろうけど
古典ギリシャではオリーブを主体とする
天水農耕がポリスの共和制を推進したことが分かってる
灌漑を必要としないので王政による労働集約が必要なかった >>391
崖の石板は古代では極めて限定的な条件でしか行われてない
まず崖に石板を作り上げる技術と富が必要になる
それ以前に動機が必要になる
メソポタミヤでは王は毎年神に改めて信任される体だったので
神との契約を更新するにあたって自分の業績を誇示する必要があった
毎日の生活で精一杯の狩猟民族がやることとは思えない
大型掘立柱建物レベルの労力じゃない
もちろん今は失われてるくらいのレベルの壁画なら
ないとは言えないと思うが 後の時代の瓶に入れた土葬はともかく
土に直に埋める場合は
イノシシやクマやネズミ対策はどうしてたのだろう
環状住居群の真ん中に埋める場合があるというから
従事屠られないように監視してたのだろうか それこそ先人の経験と助言で、もっと深く埋めんといかんよ、となり後世となるほど十分深くなったのでは? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています