【徳島】「邪馬台国は徳島」説に熱視線、歴史系ユーチューバーら紹介 剣山にユダヤの秘宝が眠る伝説も…「こんなに面白い話はない」 ★2 [樽悶★]
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10日に開かれた邪馬台国阿波説について学ぶ集会(徳島市で)
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20231221-00050319-yom-000-12-view.jpg
「邪馬台国は徳島にあった」とする「邪馬台国阿波説」に着目した地域活性化への取り組みが進んでいる。徳島県内の郷土史家らが神話や出土品の分析を通じて主張している新説だが、昨年頃から興味を持った多くの歴史系ユーチューバーが取り上げ始めた。現地ツアーなどで観光客を呼び込もうとする動きも出てきており、県も後押ししている。(北野浩暉)
邪馬台国は、中国の正史「三国志」の一部である「魏志倭人伝」に登場。内戦の末、約30の国々が女王・卑弥呼を共立して政治連合体を結んだとされる。江戸時代以降、その所在地について「畿内(近畿)説」と「九州説」を中心に論争が繰り広げられてきており、「古代史最大の謎」となっている。
「阿波説」は1970年代、県内の郷土史家らが遺跡や魏志倭人伝の分析などから本を出版して以後、史家らが団体をつくるなどして、イベントや勉強会を続けてきた。
有力2説に対し、阿波説では、魏志倭人伝に記された朝鮮半島から邪馬台国までの距離や行程を分析すると、徳島に行き着くと主張。畿内説や九州説は距離の単位や方角の解釈が誤っているとする一方、県内の神社や遺跡などには、記述と一致する特徴が多々あるとしている。
例えば、阿南市の国史跡・若杉山遺跡では、赤色顔料「朱」の原料となる鉱物「辰砂(しんしゃ)」や過去に使った石臼などが採掘されており、「その山に丹(辰砂)あり」との記述に一致しているという。
■映画も製作
阿波説を盛り上げようと、徳島商工会議所青年部は、女子高生が卑弥呼と徳島の関係などについて探るストーリーを描いた映画「少女H」を製作。昨年、県内や東京都で上映後、今年5月に動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開すると約9万回再生された。ほかにも、歴史や都市伝説を扱うユーチューバーが相次いで阿波説について紹介している。
同青年部で製作に携わった徳島市の保険代理店経営、山本高弘さん(49)は「こんなに面白い話はなく、県外の人からも関心が強い。剣山にユダヤの秘宝が眠るとされる伝説なども含め、県内の古代史に関する逸話を整理してさらに広めたい」と語る。
今月10日には、歴史を通じた街おこしに取り組むNPO法人「吉野川に生きる会」(島勝伸一理事長)が、徳島市の県青少年センターで、阿波説について考える集会を開いた。
■ツアーも計画
郷土史家の島勝理事長や愛媛大学の越智正昭・客員教授らが、出土品や地質学、気候などの観点から阿波説について解説。島勝理事長は「阿波説は論理的に実証できていると思うし、県民にとって誇りにもつながる」と力を込める。
これらの動きを受け、読売旅行は来年3月、郷土史家を講師とし、阿波説にまつわる神社などの歴史スポットを巡る1泊2日のツアーを計画。今月1日、貞広貴志社長らが県庁に後藤田知事を訪ね、協力を呼びかけた。
県としても観光施策に取り入れていく方針で、後藤田知事は「阿波説は徳島の観光にとって伸びしろの一つ。今後他の説と対決させるなど、いろんな形でブラッシュアップさせていきたい」と述べた。
12/22(金) 15:38配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/45c099b2852697e5053f35293e10098deedaf9f7
★1:2023/12/25(月) 23:39:58.97
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1703515198/ >>1
働かない女が世界一の日本で少子高齢化って、どーなってんの?
怠け者なくせに妊娠&出産すら女への差別だから強要するな!と喚く始末😂ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็
少子高齢化の原因は“女”だろ?
なぜ政府は女どもを叩かないんだ?
どんだけポンコツ女しかいないの?
30超えて産まない、働かない女は処刑でいいわな😡m9(ด็็็็็็็็็็็็็็็็็Дด็็็็็็็็็็็็็็็็็)プギャーw
先進国で未だに突出して無職率が高い日本の女
💴納税はしない、働かない、産む機械としての役目しかないのにそれも拒否w
m9(^Д^)9m 一体誰が悪いのか、小学生でも分かるぞ?
政府もマスメディアもニート並のゴミ女どもをもっと叩け
世界的に見てもこの国の女は異常
女は生きてるだけでは無価値なんだぞ!男性の出来損ないであり、産むしか役目がないカタワと同じだからな
産んだら後はお役御免で処刑!姥捨山も復活しろ!税金の無駄遣いだ!
働きもせずに男性が納めた税金や金に寄生して生きるだけの屍ゾンビ!死ね!廃人雌豚死ね! >>1
男女平等にならない諸悪の根源は“女どもが原因”だった!
【 馬鹿でもわかる、日本女が“怠け者世界一”という画像集 】
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
https://i.imgur.com/Q2ApA2R.jpg
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
日本は独身女、既婚女ともに無職率、時短パート率世界トップクラスに多いという証拠画像である。
この画像集を見るだけで、如何にして日本女が政治家に「産むしか能がない機械」と罵られたのか、よ~くわかるなwww
そもそも少子高齢化なんだから、その産む機械という機能すら放棄してるのが今の日本メス豚どもの特徴である。
●外での労働時間、男女差世界一の日本!
日本女は外での労働時間が世界一少ないという事実
画像集をみると、どれだけこの国の女が異常なのか、わかりましたか?
日本女は見つけ次第殺されても文句を言えない
元々なぜ女に人権も選挙権も無かったのか、よ~~~~く理解できますねw
現代社会が異常なだけであって、昔のほうが女への扱いは正しいってこと
この世に出回ってる、働く人が納税する税金の8割以上が、男性が納めた金である。
そのくせ男性が納めた血税から女どもの年金第三号被保険やら無駄なババァどもの医療費控除など、とにかく金食い虫の寄生虫である!
つまり女の8割以上が税金の恩恵を受ける資格すらなく、こいつらが消えれば財政赤字は一気に解消するのである。
女どもお得意の言い訳→「女は妊娠出産がー!」という文句を言うけど
この国では労働は義務であるが、結婚どころか妊娠出産は義務ではない
つまり自分らが楽をしたいがために結婚し、子供を産んだだけである
子供を産んでも働いてる女も極少数いるのに、それを言い訳に無職専業主婦を続ける女が多いのが日本の特徴である。
この恥晒しめ!大人の女が自立しないで男性に寄生するのは韓国女と日本女だけある
☠無職女を見つけ次第、その場で処刑しろ!殺せ!!ぶっ殺してくれ!嬲り殺せ!!😡
癌細胞と同じくらい厄介な生き物=日本メス豚 >>1
■ 男 女 平 等 を 都 合 よ く 使 い 分 け る 女 た ち !
権利はクレクレと要求、それに伴う義務や責任などの負担は一切しないでスルー
平和で安全圏に居るときは男女平等だろ!と喚く癖に
有事の際には女だから見逃せ!女だから危険なことはしません!と逃げる
↓
例:危険を伴う仕事、3Kやブルーカラーの仕事を拒否!あくまでも安全かつ快適なホワイトカラーの仕事のみ要求
例:戦争時、徴兵されるのは男性のみ、女は逃げる。これこそ究極の性差別なのに、女どもは何も言わない
例:男女の恋愛面でも都合よく平等や権利を使い分け、男性にのみ従来の価値観を押し付ける女ども。デート代は全額出せ!などなど
女が死んでも社会的な損失は一切ないんだぞ?男性に殺される女は大半が自業自得
むしろ男性の方が大事だからな
無職率も圧倒的に女が多く、男性と同じ義務教育を受けても難関大学は男子ばかり。この事実を見ても女どもに人権も教育もいかに無駄かってことがよくわかる
社会に出ても役に立たない女ばかりで、産むという取り柄しかない女が死んでも誰も悲しまないw
むしろ無駄な税金を使わずに済んだからメリットしかないんだがな
他の多くの国では女が産まれたら間引くところも多々あるんだから
それだけ世界的にも女というのは嫌われてる性別w
役に立たないゴミってことだわ
◆18歳以上の女のフルタイム勤務率が世界最低レベルw 無職率は世界ワースト!
https://www.newsweekjapan.jp/stories/2020/10/08/data201008-chart01.jpg
大昔から女が差別(実際は区別)されてきたのはクズだからだろ
嫌う、嫉妬、妬み、責任転嫁、これらの負を表す漢字に「女」がつく理由がよくわかるw
昔の人間は正しかったってこと
姥捨て山も正しい、女に選挙権も人権も与えなかったのも正しいってこと
今の糞メスを見てたらよ~くわかること
男女平等と喚くわりには、未だに社会に出て働いて義務や責任を負担しようとしないで、美味しいところだけ要求する二枚舌の異常者
既得権は決して手放さない
この異常な生き物が世界中で忌み嫌われる理由もわかるだろ
女が産まれたら間引くという行為をする理由もわかる
女が数多くいても無駄だからな
資源や税金の無駄使い >>1
m9(ด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้้Дด้้้้็็็็็้้้้้็็็็็้้้้้้้้้)プギャーw💀😡日本女は世界一の怠け者だから、ガチで死んでいい
そして男性は世界一の働き者、ソースもある
男性の労働時間は日本は未だに世界一という事実
↓
OECD(経済協力開発機構)が2020年にまとめた生活時間の国際比較データ(15~64歳の男女を対象)によると,有償労働時間1が長いのは,比較国中,日本男性(452分),韓国男性(419分),カナダ男性(341分)となっている。有償労働時間のOECD平均は,女218分,男性317分である。
どの国も有償労働時間は男性の方が長いが,各国において男女比(女を1とした場合の男性の倍率)を見ると,男女比が大きいのは,比較国中,1.7倍の日本,イタリア,1.6倍のニュージーランドである。
ちなみに日本の男女での賃金格差はたったの1.3倍
つまり女よりも1.7倍の労働をやってる男性の方が時給換算すると、女よりも低賃金という異常な国
そして女どもは男性に比べて働かないのに、家事や育児も手伝えと喚くキチガイ
だから日本女は男性に殺されても文句言えない
【💀女が求める男女平等】→デート代は当然男が負担!男は女を養い、イクメンでも居てね♥家事も当然手伝えよ?レディースデイなど女が得をする制度には文句は言いません!
でも女にとって不利な事についてはどんどん文句を言います!
女は楽な仕事しかしません。だってか弱いもんw私は産む機械だから出産後は仕事やめます!だって社会が悪い!セクハラが悪い!
当然旦那が一家の大黒柱ね!でも財布は奥さんの私が全額預かります!
財布を渡さない男は経済的DVで訴えます!
↓
寄生虫女お得意の被害妄想:「本当に日本の女は社会的地位が低くて困る(ドヤ顔)」 m9(^Д^)9m だからマンコは産む機械と罵られるw >>1
“女”だから馬鹿にされて差別されてるのではなく、“女という理由でありとあらゆる事から逃げてる”からバカにされて男性(=社会)から信用されないんだよ
この構図をいつになったら理解するんだろうな?
生きてても何も生み出さないメス豚は死んでOK
お前らメス豚が社会で生み出したものは何一つないからな
産む(笑)行為なら野生の動物でもやってるのが現実w 女=野生の動物以下のヒトモドキ
料理や美容や服飾など、本来は女が得意な分野ですら男性が秀でてるのが現実w 男性から大幅に性能や機能を削ぎ落とした生き物が「女」という出来損ないの派生である。
■今の少子高齢化、経済悪化、人手不足などは間違いなく日本の“無職女”が原因だからな
.
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/gender/1682068596/
👆↑👆
このスレを見ればどれだけ日本の女が異常なのかよ~くわかるww女に人権すら不要な理由もわかります。
●夫と対等以上に稼ぐ妻の割合、日本は世界最低レベル(笑)たったの5%(失笑)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/2018/11/21/maita181121-chart02.jpg
専 業 主 婦 は 紛 れ も な く 無 職 だ か ら な
男性は女と関わらなくても何も問題なし
男性に寄生できない女が一番ダメージを被るんだが?www
世界、そしてアメリカのメディアからも叩かれてる日本の寄生虫女たち
日本女は世界一の怠け者(寄生虫)だとニューヨーク・タイムズ紙に書かれたのを知らないのかな?
あの有名なニューヨーク・タイムズ紙に揶揄された日本の寄生虫女w
●先進国で唯一無職女が多い異常な国、日本(笑)
いつになれば男女平等とほざく女は外で働くんだ?
産む機械以外になんの役にも立たない雌豚 w
日本に出回ってる税金の9割以上が男性が収めたものです。
女はほとんど納税すらしてない寄生虫である!
なぜ女どもが“寄生虫”と罵られるのか、よ~くわかるねw いますぐに あなたのままで
燃える恋に 身を投げて 魅力度ランキング最下位になった佐賀県!
↑
汚名返上!
いま邪馬台国九州説で一発逆転にかけてるんだから邪魔するな >>10
九州って何でそんなに邪馬台国が好きなのか疑問だったけど、そういうことか 紀元前600年前の愛知県清須市朝日遺跡は在来系弥生人と全く混血していないとされる純粋な渡来人の遺跡
弥生時代の牧歌的なイメージを塗り替えた全国でも最大級の先進的城塞都市である
文字が無かったとはとても考えられないが
朝日遺跡は全国でも有数の大規模集落遺跡である。戦乱の弥生時代をイメージさせる遺跡としても注目され、集落間の闘争の歴史と住民の生活の変化とその状況の両方を知ることができる。
特に弥生時代中期は、他の集落の住民の襲撃に備え、強固な防御施設を建設していることがわかる。それは、環濠、柵列、逆茂木、乱杭などで、集落を二重、三重に囲む強固なものであった。
これらは、弥生時代のものとしては日本で初めて発掘されている。
これらの防御施設の発見で、集落が城塞的な姿であったことが分かり、それまでの牧歌的な弥生時代のイメージを「戦乱の時代」へと大きく変える根拠になった。
また、四方に溝を掘り土を盛った方形の墓制(方形周溝墓跡)も発見されており、300基以上も見つかっている。
最大のもので、一辺が30m以上もあり、弥生時代中期としては、全国でも最大級の規模である。 核ゲノムを調べた日本の古代人骨の中で最も高い大陸成分を示した朝日遺跡から800年後が卑弥呼の時代
この間にまさか歴史も文字も進まなかったというのか
3世紀(西暦200年)人口推定
陸奥(福島、宮城、岩手、青森): 2万9000
出羽(山形、秋田): 5000
北関東(茨城、群馬、栃木): 3万9000
南関東(千葉、埼玉、東京、神奈川): 6万
北陸(新潟、富山、石川、福井): 2万1000
東山(山梨、長野、飛騨): 8万7000
東海(静岡、愛知、岐阜): 5万4000
畿内(奈良、京都、大阪、神戸): 3万
畿内周辺(滋賀、三重、和歌山、兵庫): 7万
山陰(鳥取、島根): 1万8000
山陽(岡山、広島、山口): 4万9000
四国(徳島、香川、愛媛、高知): 3万
北九州(福岡、佐賀、長崎、大分): 4万1000
南九州(熊本、宮崎、鹿児島): 6万5000
総数60万
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」2000年 >>18
>在来系弥生人
ってなんだ?弥生文化受け入れた縄文人って意味か? >>1
>剣山にユダヤの秘宝が眠るとされる伝説
昭和に流行ったインチキ本のネタだぞこれ >>21
在来系弥生人=弥生時代の縄文人、もしくは縄文人と見た目じゃ区別出来ない程度の混血弥生人のこと そういやツイッターなんかでも縄文人は存在しない!みたいな
頭イカれた事言ってるヤツ居るよな >>25
そう、弥生時代の縄文人のことを在来系弥生人という ばい国立歴博 弥生人とか縄文人という区別は明確では無いらしいからね。
弥生人の集落の隣の集落の出土人骨が、形質はほぼ縄文人骨だったりしている例も有るらしい。 >>10
あ?
福岡か大分だろ
佐賀はすっこんでろ 紀元前後は大転換
大量の銅製品で栄華を極めていた荒神谷遺跡が営みを終える
愛知の朝日遺跡は弥生時代中期末、大規模な勢力交代があったようで墓域が変わり墓制も変わる
イザナギに斬られたカグツチ
スサノオに斬られたヤマタノオロチ
空にあった巨星二つ >>27
その定義おかしくない?
縄文人と弥生人は明白に遺伝子で分かれるよね? >>31
だから遺伝子で明白でしょ
縄文時代から列島に居住してた、Y-DNAで言えばD・N・C1が縄文人
O2・O1b2が現代日本人の元となった弥生人
核ゲノムならもっと明確に分けられる >>37
縄文人はそもそも、最初に東アジアに到達した人類で
東アジアに広く分布していたからな
既に大陸で新モンゴロイドと混血する事も多々あったらしい >>37
弥生文化の縄文人も居たっていう話だから。
弥生時代に、弥生文化にどっぷり染まった縄文人の村も有ったという事らしい。 >>1
これだろ?
こんなもんもう半年前に観てるがな
今頃何言ってんだ?
この動画が完全論破してて専門家たちがビビって削除依頼をYouTubeに出してるとか聞いたけどな
情けない話だよ
真実
https://youtu.be/4VNGFEdCQpE?si=AsCa5Z06qt9AIDrw >>40
だからそれって弥生時代に居た、弥生文化を受け入れた縄文人だよね? 九州にあった古代ヤマトの国に何かしらの政変と大規模な権力移譲があって畿内に遷都したっていうのが
もっともありそうな話ではあるんだけど決定的な物証が出ない限りは単なる想像 なんか縄文人・弥生人の定義を積極的にボカそうとする流れあるよな まさに狗奴国と戦闘中の西暦250年熊本大坪弥生人は核ゲノムのF4-testで縄文成分42~52%という推定を得た
鉄鏃戦闘ラインの最前線、菊池川以南の免田式土器圏
九州説を取った場合、南の狗奴国が熊本で邪馬台国は福岡のみやま市辺りで問題無いだろう
更に人口も多いことから魏に助けを求めたとしても不思議ではない >>42
まあそういう訳で、縄文人と弥生人という区分のやり方に嫌疑が生じてるっていう事。
文化と民族集団が一致してないっていう事には留意が必要。 >>30
>ユダヤの秘宝はやりすぎだろ
その通り、途端に「嘘臭い奴ら」となるw >>48
嫌疑もクソもねえでしょ
文化で分けるのが民族、DNAで分けるのが人種
そもそも縄文人と弥生人は最初から民族とは言い難い概念だ 邪馬台国に繋げるからおかしくなるんよ
銅鐸文化圏の最西端
独自交易の痕跡
弥生時代唯一の辰砂発掘遺跡
中央構造線に沿って繁栄した採掘民族佐伯氏の台頭や丹生一族との関連性など
充分な魅力があるよ >>44
白村江の大敗で天武が倭国の歴史を消したのが真相だよ
大国の唐と外交を保つ為に倭国と日本を別の国にする必要性があったのと、歴史書を急ピッチで作る必要があった >>46
縄文時代の縄文人に関しては殆ど異論は無いですよ。
最近の知見で明らかになったのは、弥生時代にも、縄文人遺伝子を保った上で弥生文化を受容した集団が、弥生人集団とさして混血もせず並存していたらしいって事。 縄文人と弥生人をボカそうとする流れって
分子生物学の進歩で先住民と入植民の差が明白になり隠しきれなくなって
政治的にクソ誤魔化してる曲学阿世でしょ
そんな真似、よく恥ずかしく無いな >>53
だからそれは弥生文化を受け入れた縄文人だろ
そして核ゲノムからそれは明らかに極小の例外
現代日本人の核ゲノム構成は9割が弥生系なんだぞ >>41
いままでの各大学教授たちや専門家たちの多大な労力と時間が全て徒労になったんだから
そりゃビビり散らかすだろw
もう答えが出たんだから教科書に載せる準備してしろよなって話だ まだそんなしょうもない嘘に嘘を重ね続ける気なのか
正気の沙汰とは思えない DNAレベルの話はこのスレの本筋ではないのですが・・・。 当時の感覚から言うと機内や徳島なんか僻地なんだから
そんなところが栄えるわけないじゃん >>61
今の考古学は史学・民俗学・言語学に加え分子生物学も考えていかなきゃならんから
学者さんは大変だとは思う
いずれにせよ縄文人・弥生人の定義ボカそうとすんのかなりオカシイよ あんな不便な場所に邪馬台国があったとは思えない。大体、田舎になればなるほど古代の痕跡がそのまま残ってるわけで、九州や畿内といった中枢地域の古代遺跡は早い段階で消失してしまっている事も多い。九州あるいは畿内の邪馬台国から四国に移住してきた集団がいたってことだろ。邪馬台国が徳島にあった訳じゃないと思うが 魏志倭人伝
出真珠青玉(真珠とヒスイ有り)
其山有丹(山に水銀有り)
其地無牛馬虎豹羊鵲(牛馬虎豹羊カササギはいない)
倭地温暖 冬夏食生菜(倭地は温暖、冬でも夏でも生野菜を食べる)
史跡も気候も動植物も当てはまるのは四国のみ >>68
お前さあ、ギャグはもうちょっと面白く吐けって言ってるだろ
君のジョークはつまんないんだよ 阿波説はトンチキに見えてロマンと文献整合を併せ持つ有望説なんだよね 😈瀬戸大橋、明石海峡大橋、しまなみ
海道建設に続く超巨額補助金おかわり
を考えろ!
😰もう新しい橋を作るから金を寄こせ
とは言えないアワ…
😂税金チューチューも終りアワ…
\ __ /
_ (m) _ ピコーン
|ミ|
/ `´ \
( ゚∀゚) 阿波を邪馬台国にするアワ!
<`∀´>無限の超巨額補助金で四国中
を金印が見つかるまで掘り返すアワ !
<`∀´>万が一、金印が見つかったら
次はアークを無限の超巨額補助金で探すアワ !
<`∀´>万が一、アークが見つかった
らモーゼの墓を無限の超巨額補助金で探すアワ ! 四国は何故、中国人に総背乗りされたのか
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC223660S3A221C2000000/
水銀の噂が徐福に知れ、産出現場が確認される。
中国に帰り蓬莱山と水銀を発見したと
報告し、大船団に入植者をのせて四国に再来、
産出場を乗っ取り、船に水銀を載せて中国に密輸し
入植者を乗せて四国に来るを繰り返す。
やがて四国全土が背乗りされる。
琥珀を中国勢から守り通した純日本人
https://youtu.be/tonr2Gyr5Tc?si=r2EfqA4d_sa8HoSg @阿波消えたのか
お前のためのスレなんだからもっと頑張れよなー 最新科学が解き明かす厳然とした事実
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC223660S3A221C2000000/
阿波風土記は何故発禁処分され、
関係者が皆殺しにされたのか?
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四国が中国人に背乗りされ、完全征服
されていく過程が克明に書かれていた!?
それは奈良が背乗りされていく過程をも
連想され、記紀の否定に繋がってしまう… 弥生末期の勢力は奈良纏向から拡大したで異論はないが、どういうルートでヤマトが成立したのかが分からない
https://i.imgur.com/EmXw7Sk.png 邪馬台国って何、詳しく教えて
どこかわかったら、なんで地元民は嬉しいの? コスプレまでして町おこし感がヤバい
言ってる事は少なくとも@阿波よりはマシなのに 恥辱の極み
ウリナラ起源😣阿波版w
ウリナラ起源😣阿波版w
ウリナラ起源😣阿波版w
ウリナラ起源😣阿波版w 説はいいんだけど、町おこしと一緒くたにするなよ
バイアスかかってまともな議論ができなくなるから >>76
渡来人の方が背が高い。
↓
四国だけど、うちの祖先南方から来てるって事になるな。
一族大体背が高いしな。男で170cm以下はあまり居ない。
※明治初めの生まれの人でも170cm超えてたみたいだし、曽祖父(明治中期生まれ)も写真見たら周りより飛び抜けて高いから。 安房は海洋民で安曇族
信濃諏訪と同族で南方神宗像神を祀る 阿波に邪馬台国か有ったとして、その後から現代までのかっそ過疎なのは何故なのさ 卑弥呼は九州、台与または壱与は近畿
卑弥呼の遺体は九州で仮埋葬され、後に近畿へ運ばれ本葬された可能性がある 韓国(朝鮮人)が噓つきで民族が違うのに
乗っ取り歴史の改ざんをし自分たちと異民族を
くつけて脳内変換しています
扶余は朝鮮人ではなく北方民族ですが扶余の王子を
古朝鮮の将軍にしてしまいなんでも古朝鮮にくっつけて
関連付けてしまうのです
ネトウヨの言うウリナラは、清王朝の豪族ウラ氏 ナラ氏のことで
これも大陸の民族であり、朝鮮半島とは関係がありません 韓国(朝鮮人)がすべての元凶です
朝鮮歴史ドラマはデタラメで
朝鮮人とくっつけられる無関係な大陸の民族は激怒しています >>89
木曽義仲だって中部の山奥出身だが京都にむかったろ
勢力拡大したのにだれが好き好んで徳島で居座り続けたい?
ぽっぽ商店街、駅前の百貨店跡、駅裏は森、電車もない地域、
小松島の竹輪と、穴吹の葡萄饅頭以外なにもない国 徳島はこんなのじゃなく、阿波細川家や三好一族をもう少し推せよ まあ徳島には江戸時代中期に和歌山の丹生都比売神社から
神霊を勧請して創建された丹生神社の一社しかないみたいだから、
丹生氏とは関係が薄そうだけどな。 推しが付けば何でもいいんだな
人文学はそういうもん
せめて史学は科学的にやってくれよ 四国から畿内にかけては渡来系の子孫の地域
それを隠す為に邪馬台国を四国にしようとしてる
邪馬台国は渡来系ではなく倭人の国だから100%徳島でも四国でもない 徳島なら東に海があるから畿内説よりは信憑性が高いな そもそも徳島にたどり着くには方角(南)が間違っているという前提が
あるはずなので、その場合は「東」ではなく「北」になるのだが、
それだと阿波の範囲だと淡路島が見えるだろうに「東渡海千餘里」と
書かれるだろうか? youtubeって作り話や嘘を平然と流す場所に成り果てているから ここが邪馬台国ですって徳島に使者を連れてったら田舎すぎて使者がキレるだろ ヤマト王権は大阪湾、ホームの陸上でなら、襲ってきた海賊ジンムにも勝てた
しかし、兵を鼓舞する三輪山信仰では、山が見えない遠方じゃ兵隊が戦えないんだよ
それで、淡路島から先では、新しい宗教を模索する必要があった
そういう「政府機関」としてのヤマタイコクならあったかもしれないね 小規模でも纏向遺跡と同格だよ >>92
上陸してからまた船乗るのは有明海渡ってる説か 方角か距離、もしくはその両方があてにならない東夷伝倭人条の記録しか残ってないから邪馬台国論争が盛り上がるんだわ。
学問的にはモヤモヤするけど、シロウトの郷土史家には良いおもちゃなんだろうね。 阿波の郷土史家の一部は邪馬台国だけでなく、飛鳥時代のヤマト王権の京まで阿波にあったとか、
とんでもない説を主張しているので流石にそれは許容範囲外。
阿波国古代研究所・阿波古事記研究会の二つがその先兵。 訂正
ウィキペディア日本語版その他によれば徳島の水銀採取跡の
「若杉山遺跡」の近くには那珂郡仁宇(にう)という地名が残り、
その場所にはかつては仁宇神社があったということらしい。
この仁宇神社は昭和になってから近くの八幡神社と合祀されたが、
今も祭神として「弥都波女神(みつはめがみ)」を祀っているようだ。
この「弥都波女神(罔象女神)」は現在の丹生川上神社の祭神でもある
のだが、前スレでも触れたように個人的な解釈では「水(竈)の神」が
後世になって丹生神社の祭神の「丹生都比売神」と混同されてしまった
ようにも思えて、なかなか興味深い。 >>111
学問的に言うと「資料が少なすぎてわからない」だと
思うんだけど、話題になると研究費が貰いやすいので
少しでもそれらしければ関連付けてしまうというのが
現状なのだろう 超巨額補助金で金印を探すアワァァア
_ ∩
( ゚∀゚)彡 税金チューチュー!
( ⊂彡
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し ⌒J
税金チューチュー!
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税金チューチュー!
👨👨👧 👨👨👧👦 👨👨👦👦 👨👨👧👧 👩👩👦 👩👩👧 👪 👨👩👧 👨👩👧👦 👨👩👦👦 >>8
戦後四国に失われたアークがある説を真に受けて調査してたのは事実。 空海がお遍路コースを作ったのは
見られたくないモノを見られないようにコースを設定した
じゃあ誰が見られる事を拒否ったのか?それは空海のスポンサー。
つまり、、、 アワ真理教軍団って自民党ネットサポ
ーターズにそっくりで極めて不快😮💨
アワ真理教軍団は不快の極み
アワ真理教軍団は不快の極み
アワ真理教軍団は不快の極み
アワ真理教軍団は不快の極み 戦前に海軍大将、戦後にGHQが剣山に調査に入った噂あるがトップシークレットでハッキリしない
能登半島のモーゼの墓と言われる古墳にもGHQが調査に来た、と言われるがこれも噂の域を出ない むしろ大陸から渡ってきた連中(邪馬台国)に追われた落ち武者国みたいなもんでは? 神武東征で神武がいなくなったとたん、滅んだ九州王朝
スゴいのは神武帝で九州はぜんぜんスゴくないということ
九州がスゴいのなら、神武がいなくなっても九州王朝は栄えていたはず
九州がいくら俺たちが元祖だと言っても滅んでしまっては何にもならない
日本の実質的な歴史は奈良や京都からスタートだからな
古事記 日本書紀 万葉集は九州から生まれなかったんだよ 商工会議所青年部
壺会議所とは別組織か
でも猶太貧乏神奉りあげるとか、やってることは大差ねえな 古代日本や神道にユダヤ教の影響があるのは明らかだから
おそらく四国から畿内にかけての渡来系のDNAは渡来してきたユダヤ人のものなのだろう。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC18CCA0Y1A610C2000000/
んで北九州の倭人の国、邪馬台国と合流して大和王権になった。
当初は平和に共存して連立政権の形ではあったが
蘇我氏や聖徳太子が仏教を持ち込んだので大化の改新のクーデターでユダヤ系勢力が倭人系の勢力を政権から排除して
天皇家の独裁世襲が確定し大和王権ではなく大和朝廷となった。
明治維新は天皇家が徳川から政権を取り戻した政権交代という体裁だけど
実態は薩摩長州による革命なんで実は邪馬台国の末裔の倭人が
日本を取り戻した革命とも見ることが出来る。 >>129
大陸で席巻した元寇を追い出した鎌倉武士の主体は九州の縄文系武士
台風の運より狂った強さと言うのが最近の研究
こんなところに1000年前、女王の国が出来るわけない >>130
共立された女王は誰とも会わず身の回りの世話をする男子一人のみが出入りする
これは政治の実務を行っていた、邪馬台国連合を力で支配した女王の描写ではない
国民統合の象徴として君臨する王様というのは日本人なら馴染み深いシステム >>129
>四国から畿内にかけての渡来系のDNAは渡来してきたユダヤ人のもの
全然違います
四国・畿内の系統、つまりは弥生人はO1b2・O2と考えられます
ユダヤ人は歴史的な定義としてDNA・人種として分けられるものではありませんが
本来的にはアフロ・アジア語族のE系統が主体だと考えられます >>132
東南アジアの少数民族がユダヤの末裔としてイスラエルへ帰還事業やって居たよね、
あれも確かDNAが手掛かりだったはず。 >>134
韓国人は自分達が起源だと主張し
日本人は自分達の起源は外国のものだと主張する >>133
中東系のY-DNAは日本ではほぼ観測されません
残念ながらユダヤ同祖論はトンデモと言えるでしょう
ただ文化的に共通する部分も多いのは確かで興味深い所ではあります >>135
生物学的には日本人と朝鮮人てほぼ変わらないんだけどね
近畿・四国の和人は沖縄の人より遥かに近いし朝鮮人に近いし 女が統治できる環境があるのは四国
なぜなら外敵も戦闘の縄文民族も少なかった
邪馬台国は阿波
有史以来女の国として扱われてるのには理由がある
ユと共通する項目があるのは女が活躍してるから
遺伝はDNA調べても出ないんなら無い 古代朝鮮の伽耶には日本人の遺伝子を持った高貴な人々がいたと判明
https://nazology.net/archives/110991
縄文人が朝鮮半島に移住していた可能性
ウィーン大学で行われた研究によって、古代朝鮮の南部に存在した「伽耶」の古墳において、
日本人に特徴的な縄文人のDNAを多く持つ人々が埋葬されていたことが判明しました。 縄文時代→弥生時代→古墳時代
縄文から弥生にかけてやってきたのはアムール川周辺の北東アジア人。ウラジオストク経由で若狭湾に到達の可能性が取り沙汰されているが経路不明。
出雲と東北のゲノムが近縁という驚くべき結果も。 邪馬台国なんて当時日本列島に沢山あった国の1つにすぎないだろ
大陸と交易をしてたから大陸に記録が残ってただけであって
それなのに大和政権や天皇制と結びつけたいカルト連中が無理矢理持ち上げてるだけ
畿内説とかもはやファンタジーの世界 >>137
関東のミトコンドリアもアジア系比率が特異的に高く。関東に縄文系のD系統が多いのは西から来たD系統武士団に有史後に支配されたからとも解釈できる。 >>135
ゲノム解析の分析表では
現代日本人は縄文人と北東アジアのミックス
現代韓国人は弥生人と北東アジアのミックス
に見える
古墳時代ごろの東アジアが7割という混血したらもう少し違うプロットのされ方になるような気がするんだがなあ 物証が無さすぎだから何とでも言えるんだわ
可能性としては否定できない
文書を解読しようとしても無意味なのに、そんな論争を繰り返してるファンタジー素人学者の集まり >>143
その時代の最先端地域が出雲、琵琶湖周辺から越だと遺跡から判明している。鉄器工房も彦根に同時代の国内最大級の遺跡が発見された。
卑弥呼との関係については微妙だが、日本書紀が同地域出身の神功皇后に比定したのには理由がある。 >>31
というか「たった2つの民族」と考えるのがおかしい
大陸から日本には、1万年以上の時間をかけて何度も何度もいろんな集団や個人が渡来している
明確に2回だけ大集団がやってきた、みたいな議論を前提にしてるのが既にトンデモなんだよ
古代史はトンデモ理論がまかり通りすぎてる >>150
古墳時代人は中国の中南部域からの移住と判明しており同時代は中国は戦乱の時代で避難民だったのではと想像されている。 >>149
その日本書紀自体が、天皇制を強化するために、
過去の様々な国や豪族の歴史を都合よく乗っ取っている、という可能性がある
雄略天皇といわれる人物は存在したかもしれないが、それが天智天皇の祖先である物的証拠など何一つない
その程度の信ぴょう性しかない書物を絶対的な基準にして歴史を語るからトンデモファンタジーばかりがまかり通ってる 日本が遣隋使、遣唐使を派遣したのは、中国の文化収集が目的ではなく
その向こうのペルシャやトルコやローマ帝国、ヘレニズムの文化が欲しかっただけだからな
正倉院にはそれらの遺物が収められている。 >>152
だからそうやって特定の一時期だけの1部の移民を日本人の祖先の大半として語るのが間違ってる
ある時の戦乱から逃れたのもいるだろうし、
飢饉干ばつから逃れたのもいるだろう
単なる部族争いに破れたのもいれば、
漁師として獲物を追い求めるうちに日本の方がいいな、と住み着いたのもいるだろう
1万年以上もかかってるんだ
そんなの何回も何回もあっただろう
そしてそれぞれの集団が日本列島の色んなところで集落を作った
お互いに交易したり争ったりもしただろう
邪馬台国はそのなかの1つだし、大和朝廷もその中の1つ
両者が同一であるという物証は全く無いし、確率論的な視点からすると可能性なんてほぼ皆無だろう >>158
そんなに簡単に海を渡航できるかよ
見えてないんだぞ >>153
神宮皇后については各地に個別に伝承があり時間的、地域的な整合性(同時に二つの地域にいた伝承がない)が高いのでGHQが禁止するまでは実在の人物というのが日本人の常識だった。
また遺跡からも、神功皇后の出身地近くに纒向より古い時代の大きな祭祀跡が発見されておりそれに比定できるモデルはいたと考えることに矛盾はない。
また近江からは同時代の中国との交流した証拠となる遺物や東北の縄文遺跡から発見されたのと同じ土偶や縄文土器も出土している。
明らかにこの時代九州より先進地域だった。 >>158
五月雨的に来た人もいるだろうが、ゲノム解析で時代ごとの系統が判明してきている。 邪馬台国なんて元々なかったんだよ
場所なんてでっち上げだから
未だにどこにあったかわからない
当時の中国は金持ちだから
貢物もっていけば倍にして返してくれてた
中国はメンツさえ保ってやれば気前がいいんだよ
それに目を付けた
どこぞの海賊か盗賊かヤクザみたいなのが
金儲けにしでかした詐欺だわな 近江が発展したのは、豊富な湧き水による大きな規模の水田。これも卑弥呼前の遺跡が出てきている。 継体天皇の出身地も同地域で違和感ありありだったが、葛城と近江が古墳時代以降は勢力が強く歴史的には近江が古いとなると当時の人が最終的に受け入れた理由も説明できる。 でも近江って纏向での存在感がうっすいんだよな
纏向出土外来土器の構成割合
吉備25%
東海20%
河内20%
山陰・北陸17%
讃岐・阿波・播磨8%
近江5%
西瀬戸内3%
紀伊1.5%
駿河0.5% 魏志倭人伝の記述はもしかしたら当時複数の中華人が日本に来ててそれぞれが案内人に従って違うところに行ってたのを適当に組み合わせて書き上げたのかもよ。 >>167
祠祭形式は非常に似ていて、近江から移転した施設ととらえる人もいる。纒向は生活感がない人工的な感じも与えるのに対して近江は生活と一体化しているのも理由。
古墳時代になると大陸から入った土木技術が発達し河川からの水路でより大規模な水田ができるようになり葛城方面が発展した。その二つの勢力の接点が奈良で平城京造営の木材は瀬田川経由で奈良に運ばれている。奈良から近江への経路は非常に太い経路だった。 ユダヤと言うからミステリアスに聞こえるだけで、ペルシャ由来のカルチャーとしたら当たり前の話だろ
ユダヤはエジプトの1民族でもあったし、時代が変わるとペルシャやローマの一部でもあった、
今はアメリカの一部と言えるかもしれない。
ユダヤ系のアメリカ人のデーブスペクターが日本に移住したように、古代ユダヤ系ペルシャ人も日本に
移住していろいろ向こうの技術を伝えたのが、古代日本の様式として残ってるのでは? 纏向は吉備東海河内山陰北陸が主導した人工集落で
讃岐阿波播磨近江あたりは近隣の割には少し距離を置いてることがわかる
それより離れるとほとんど影響が無いくらい影がなくなってしまう
それが纏向の考古学的実態なのだ 少なくとも邪馬台国の場所って意味で畿内説よりは阿波説を指示するわ
畿内説はボクちゃん解釈とこじつけが酷すぎる >>172
近江は山陰、北陸と一体と考えた方がいい。この三地域は同一経済圏ともいえすでに分業体制も生じていた可能性あり。近江の遺跡からは広範囲の出土がある。近江は鉄器。 >>159
もちろん大変で、失敗も多々あっただろう
だけど大陸で食べていけなければ、乗り出すしかないんだよ
そんな古代での命懸け航海はたくさん行われてるよ >>160
別に実在を否定なんかしてないよ
「それが天皇の祖先だ」と決めつけ万世一系をうたってることがファンタジーだと言ってるの >>161
ゲノムで調べれば調べるほど、何回も大小いろんな集団がやってきたことが分かるという結果になるだけ そんなに邪馬台国の名前が欲しいなら全国の
道の駅に邪馬台国の看板つければイイ
埼玉なら彩の邪馬台国
東京なら江戸邪馬台国
千葉なら南京豆邪馬台国とかな >>178
祭祀が同一なら国家として同一、というわけでもなかろう どっかの古墳から金印が出てきたら邪馬台国認定するのかね?
たとえば邪馬台国が滅んでから戦利品みたいな感じで他国が持ってたとか
受け継がれていて卑弥呼の後の王が邪馬台国が滅んだあと
他国に移住していてそこで死んだから古墳と共に埋葬されてたみたいなことは考えるの?
何をもってして邪馬台国を認定するのかね?
九州も畿内も今の主張って○○だから□□に違いないみたいな
ボクの考える解釈と考察の範囲でしかない都市伝説的思考やん
誤差年数がどれぐらいなのか知らんけど
年代が一致とか言われてもヘタすりゃ数百年単位のズレがあるんだろ? 有名極端な鷲鼻の人とかは遠い昔のはるか彼方からの移住者かもね。 >>157
日本海文化圏はサハリン(樺太)まであったと思われ
北海道の黒曜石や新潟のヒスイが発見されてる 魏志倭人伝に書かれている都市の人口は明らかに当時の人口を突破してしまっている
邪馬台国の7万戸とは、人口は35万人程度と言うことになり
現代をも遥かに上回る人口だとなる
福岡県糸島市:10万人弱
佐賀県神埼市:3万人+吉野ヶ里町1.5万人
佐賀県佐賀市:22万人
中国正史と言えども鵜呑みにはできない事は明白
邪馬台国の場所を探すには、文献をひっくり返しても不可能
ただ明確な物証を探し出すのみ >>148
そもそも桜井市は邪馬台国なんかなくても他にいくらでも
ヤマト王権に関連する遺跡があるんだけど、やっぱりその
あたりはなんか地味なんだよね。 7万戸って、家族または世帯数ってことよね。当時そういう数え方したのかな。
7万人じゃなくて。 >>188
三国志よりも前に書かれた前漢書には地理志という土地についての副読本がある
で、その中には中国の都市の戸数と人口が列記されてるのよ
なので概念的な違いは明確にあったことは確か
5倍程度というのは、そこの倍率から割り出した仮設だけどな >>182
少なくとも天皇家に親魏倭王の金印が伝わってないということは
天皇家が統べていた大和朝廷は邪馬台国の直系ではない 大事な金の印鑑が浜か畑で見つかったというのがなあ。。 阿波に関しては、やはり丹生氏等の技術集団が中央構造線沿いに
大分から八幡浜、松山から三好を通って阿波までやってきたのでは
ないか。そこからさらに鳴門から淡路島や友ヶ島の南岸を伝って
今の淡島神社のある加太にたどり着き、そこから紀の川に沿って
奈良県吉野、さらには三重県の伊勢あたりまで進んでいっただろう。 そのうち食い詰めたコンサルが、邪馬台国地域おこしアドバイザーとか名刺作って
全国どこでも邪馬台国にして見せますとかやりそ。。 >>1
★★★猿でもわかる邪馬台国の九州否定説★★★
邪馬台国 論争の背景
http://www.yoshinogari.jp/ym/topics/yama02.html
伊都国(福岡県糸島市)
↓
↓百里
↓
奴国(福岡県博多湾付近)
↓
↓百里
↓
不弥国(福岡県糟屋郡宇美町付近)
↓
↓水行二十日
↓
投馬国(不明)
↓
↓水行十日、陸行一月
↓
邪馬台国
まともな地図を作れなかった古代では距離や方角を常時正確に測ることは難しかった可能性が高い。
しかし、古代であろうと水行、陸行日数を数え間違える可能性はほぼゼロに等しい。
ということは、もうこの時点で方角に関係なく、不弥国のすぐ近くにある(北部)九州の可能性が
一番最初に消えることは猿でもわかるはずだよね???
考古学会も畿内説でほぼ固まっている。
九州説を主張してる人は振り上げたこぶしを下ろせないだけでしょ?
いい歳した大人がいつまでもみっともないよ。
もういい加減あきらめようぜ。 >>190
まあ自国内の記録とはるかに遠くさらに海を渡った先にある
蛮国の記録を同じ精度で残す必要もないしね >>197
だろうな
中国正史は中国の王朝の正当性を示すための記録だから、国外蛮族の記録に信憑性なんてあまり気にしてなかったんだろうね >>1
青森県にはキリストの墓があるくらいだし卑弥呼は聖母マリアで邪馬台国は十和田にあってユダヤの失われた十氏族なのは間違いないw 日本古代史研究の暴走族 阿波真理教
日本古代史研究の暴走族 阿波真理教
日本古代史研究の暴走族 阿波真理教
日本古代史研究の暴走族 阿波真理教 本州四国にあったとして、当時関門海峡どうやって渡ったんだろう。流れ弱いとこ大回りしたのかな。 「その山に丹あり! だから阿波説なの!」
↑それはわかる
じゃあ7万戸は? 阿波の平野部じゃ狭いよね
「女王国連合、全体でその戸数なの!」
↑ハア? その理屈がいいなら
「その山に丹あり!」も女王国連合全体で行けるよね
>>1 「帯方郡から直線で1万2000里は阿波説ならピッタリなの!」
↑それはわかる
「それだけ古代中国の測量技術は凄いの!」
ハア? じゃあ洛陽から直線で距離はかれたよね
なんで帯方郡からなの?
>>1 卑弥呼は別府温泉郷の花形花魁って認識なんだけどね
当時の大陸からの遣いが十分なもてなしを受けて邪馬台は良い所だったと日記に記したんでしょ?
魏志倭人伝のお話しな >>202
てっきり幸福の科学が教祖の故郷徳島を上げる為に工作しているのだと思っていた。
教祖が亡くなっても続いているから、
関係はなかったようやねー。 渡航はそんなにない
深く広い太平洋と他の海とは絶望感が違う
ミクロネシア系の海洋族の縄文人と大陸で敗戦してどうにも住めなくなった場合しか東へ進もうと思わないだろう >>203
個人的には九州(筑紫平野一帯)説なんだけど、畿内説が
成り立つ場合は日本海ルートを推したい。
奴国から日本海側を北上していって出雲、丹波を経て敦賀まで
水行し、そこから国道166号沿いに陸行して琵琶湖西岸を進み
山城から大和へとたどり着く感じかな。 >>213
西暦前1000年ごろ,ソロモン王は船団を編成し,ティルスの王の船団と協力して,
貴重な品々を遠方からイスラエルに運びました。(列王第一 9:26-28; 10:22)
西暦前9世紀に預言者ヨナは,地中海に面したイスラエルの港町ヨッパから船に乗ってタルシシュに向かいました。 * (ヨナ 1:3)
西暦1世紀,使徒パウロはイスラエルのカエサレアから船でイタリアのナポリ湾岸のポテオリ(現在のポッツオリ)に渡りました
歴史家たちによれば,地中海地方の交易人たちは,パウロの時代には紅海経由でインドに定期的に航海し,
2世紀半ばには中国にまで行っていました
では,地中海から西への古代の旅についてはどうでしょう か。
航海者たちはどの地点まで到達したのでしょうか。
パウロの時代の何世紀も前から,西に交易植民地を設けていた海洋民族がいました。
フェニキア人は,現在のレバノンの辺りを拠点にして,西暦前1200年には大西洋に到達していた,と考えられています。
そして西暦前1100年ごろには,ジブラルタル海峡を抜けてすぐの所に,ガディル(現在のスペインの港町カディス)を築きました。
そこでは,現地で採掘される銀や,大西洋の交易人から輸入された錫などが手に入りました。
ギリシャの歴史家ヘロドトスの記録によれば,エジプトのファラオ・ネコは西暦前7世紀に,フェニキア人の船団を紅海の北端に集めました。
東から西へアフリカ大陸を一周させるためです。
フェニキア人はその何世紀も前から,アフリカ大陸沿岸の状況を探っていました。
とはいえ,大西洋沿岸を南下して遠方まで行くことは大変だったに違いありません。
風や海流が妨げとなったからです。そのため,ヘロドトスによれば,フェニキア人は今回は紅海から大陸の東岸を南下してインド洋に向かうルートを取りました。
年の中ごろには上陸して作物の種をまき,収穫までそこにとどまり,それから航海を続けました。
3年目に大陸一周を果たし,地中海に入ってエジプトに戻った,とヘロドトスは述べています。 >>203
一大国(壱岐)→末盧国(宗像)→東南の伊都国(行橋)→東南の奴国(豊前)→東の不弥国(中津)
→南へ水行二十日間で投馬国(宮崎)
→南へ水行十日間(佐田岬)、陸行三十日で邪馬台国(佐田岬から阿波)
これなら方角も距離も合う >>210
海を隔てた2拠点間の距離なんて、当時測れるわけもない
一寸千里の方は夏至の正午限定でなおかつ洛陽との距離が出るだけの計算問題
帯方郡との距離も測れないし、時期も自由ではない
そうでないと、影の長さから計算なんてできない 阿波というか、古代の四国は九州よりもさらに人間が少ない
魏志倭人伝とは全然合わない というわけで、距離については多分余り精度の良くない
報告書を元に作られたと考えられ、例えば朝鮮半島の
狗邪韓国から九州北部の末盧国までに注目すると
対馬と壱岐を経由した里程が三千里となっていて
それぞれの島との間は一日で渡ることができるだろう
ことを考えると、船で一日で進める距離を「千里」と
表現した、と解釈することができるだろう。
それに対して末盧国から先の陸行の里程表記では
どれも百里単位で書かれていることから、こちらも
おそらく徒歩で一日で進める距離を「百里」と表現
表した、と解釈することもできるだろう。
さて、次に不弥国から先の何故か日程表記にかわる部分だが、
それをここに記すには余白が狭すぎる。 魏志倭人伝の描写は
僅か10キロ離れた1000世帯の地域を一つの国と数えてる
畿内や阿波は奴国や伊都国からあまりにも離れすぎていて
女王国連合の一角と言えるような有機的な繋がりを北九州と結んでいたとは考えにくい 九州説は壱岐から末盧国を唐津にするには海流的に無理がある
狗邪韓国から東に流れて対馬、対馬から東に流れて壱岐なのに、壱岐から真っすぐ南下して唐津はおかしい
海流考えると今いる地点より東に着岸だろうよ 214意外と瀬戸内って潮や渦が危険とか、やもしかしたら有象無象の略奪集団がいて避けてたのかも。山陰沿岸のほうが
しっかり把握できてて潮も安定してたかも。 >>217
それは一寸千里法を理解していない
夏至の日の洛陽から影が一寸長くなる距離を1000里とする
というのは
夏至の日の影が一番短い長さになるからだよ。
季節によって1000里の距離、基準が伸び縮みしないように
一番影が短くなる夏至の日を基準に1000里の長さの基準に決めたということ。
だから冬至の日ならその分影を長く設定すれば距離は計れるし
春分秋分なら夏至の長さと冬至の長さの半分の影の長さで補正すれば言い
なんなら一月毎に影の長さを設定できるだろう >>222
一応、末盧国=福間(宗像)説もあるんだけど、それだと
確実視されてる奴国との兼ね合いが難しいんだよね。
ちなみに宗像大社の沖つ宮は、対馬から壱岐を通らずに
沖ノ島(沖つ宮)、大島(中つ宮)を通って神湊に到着する
ルートもあった証拠だと思うんだけど、こっちはわりと
海流については素直な感じだよね。 >>214
大和説の場合伊都国から水行十日(出雲)、陸行一月(大和)じゃねえかな?
そもそも楽浪か帯方から派遣された使者は伊都国止まりで邪馬台国から伊都国に交易に来た旅人から話を聞いただけだろう >>223
瀬戸内海って名前の通り瀬戸や灘の難所が多くて進みにくいって
面もあるっぽい。 >>224
で、その一寸千里法でやると、例えば対馬と壱岐が千里になるの? 宗像大社の沖津宮は入島がかなり厳しく制限されてるけど
あの島に残ってる祭祀あとの遺物とか、地面の下になにか
手掛かりあるかもしれない。有史以前からのがあると聞いたが、
触ったらいかんと。 >>228
そして、群雄割拠の時代だから、朝貢船が通ったら間違いなく略奪される そんな瀬戸内海だった 邪馬台国どころか国生み神和の建国の地みたいに言ってるのも最近多いな、吉野川の3000人住んでたところの人間を全員追い出して神社を爆破して痕跡を明治政府が消したとか聞いたが ネタにされてるだけやんwとか言うと野暮だけど一定数真顔で信じそうなやつが出るからめんどくさいな そうか。邪馬台国とか九州にだけいろんな国があったわけじゃなくて瀬戸内沿岸に歴史に名が残ってない土豪ノクニがあって、生業が略奪とか通行税な奴らもいたかもしれん。あるいは海運の先祖とか。 邪馬台国はどこですかという
九州説の信憑性を落とす目的の書籍があった >>229
同じ緯度なら誤差は無いけど南下するとその分影の長さが伸びて
実際よりも短く距離が出てしまう。
これは一寸千里法の考案者が地球が丸いことを知らなかったから。
博多の緯度だと一里が75メートル換算になってしまう。
ただしそう考えると帯方郡から1万2千里が九州の範囲になるので
実は九州説を補強する根拠にもなる。 九州説に立って
意味不明な根拠を主張したり
ストローマン論法を使ったりと
なんか作者のニタついてる顔が浮かぶようで不愉快だったが
つまり寄生虫だったんだ >>234
おれももちろん話し半分だが
このネタはおもしろいな
実際は何だったのか? >>229
Google Mapだと対馬市から壱岐市まで63キロで
一里85メートル換算(博多より北だから)741里
対馬の北端から壱岐島で計ると98キロ
一里85メートル換算で1152里 >>224
影というのは土地の緯度によって長さが変化するという一般常識すらないと? 後漢書東夷伝
その大倭王は邪馬臺国に居る。楽浪郡徼はその国を去る万二千里、その西北界拘邪韓国を去ること七千余里。
邪馬台国から北西へ7千余里で拘邪韓国
一里を85mとすると、約600キロ
阿波から拘邪韓国までは直線で北西約600キロ 方角、距離、行程、出土、気候、風土、生活
全て合致する邪馬台国は阿波のみ >>244
チェリーピッキングだな
対馬や壱岐や末盧国伊都国奴国の存在を無視してる 測量の専門家が同行してか、測量そのものが目的の邪馬台国訪問ならもう少し詳しく記述しそうだけど。
阿波から北西って、海や陸含めて直線移動はできないだろうに、まして専門家でもないとしたら、地元の人はそんな海外までの距離や方角は聞いても知らんだろうから、途中で一緒になった航海の専門家に(ヤマタイからくや韓国までどのくらいと思う?)(そうねえ600里くらいじゃないかなあ)程度かと。
推定邪馬台国が東で瀬戸内の奥にあるほど距離方角はアバウトじゃないかな >>150
縄文人は概ねDの集団で弥生人は概ねO1b2集団だよ
あとどちらにせよ民族という定義は適切ではない
同じ言語・近しいDNA系統を持つ「人集団」くらいが適当
>>152
>古墳時代人は中国の中南部域からの移住と判明
ウソついたらダメ
古墳人とされる集団は黄河系統でO2
南方の集団は基本的にO1b1・O1aで南部にO2が広がったのは
漢代からだがO2が南方から入った可能性は極めて低い
いい加減日本人の南方由来説は諦めろ 三十年以上放っておいて今さらこんなに面白い離しもクソもない 魏は邪馬台国が呉の東側にあると思ってたから訳の分からん距離と方角になってるだけで普通に纏向遺跡だろ >>179
大元となった大集団は弥生系のO1b2・O2なのは確定してる
五月雨的に散発な小集団の渡来はあったものの
「幾層も段階的に大集団が渡来した」は幻想
個人的には古墳人の三重構造説も疑ってるが
弥生系の主要集団の渡来は多くて遼河系と黄河系(古墳人)の2段階だよ >>251
ほんとにな、アイツのためのスレだろうに
ここならいつもは無視してるアイツの言に少しは耳傾けてやんのにな
もっと頑張れよとw 直線600kmぐらい土木と戦争しまくってた大陸なら測量出来そうだけどな
中国がピタゴラスの定理を使い始めたのが、秦と漢の時代(紀元前221年から220年)
島との距離等を測る海島算経が出来たのが263年
測量は同時代に広く知られていたそうだ >>243
逆だぞ?
緯度が低い所は影の長さは「縮む」んだぞ? ジャワ説
スマトラ説
ハワイ説
それぞれに根拠が有るのだとか >>252
測量方法は伝わっていないが方向に関しては驚くほど正確だった。
1 世紀末に書かれた『漢書』地理志には『周礼』
(周代ではなく戦国時代:BC403~BC221 になってからの成立とされる)
の九州のうち 6 つについて目標となる山への方位が記述されている.
これらの山は霊峰とされ、その後仏教や道教の寺院が建立され、現在では観光地となっている.
いずれも洛陽からの距離は400~1100km、山の高さは 2 千 m 程度かそれ以下であるので、
見透し線は得られない対象である.
しかしその(8)方位の精度は 6 つの山のうち 4 つは 5 度以内、残りは 18 度、12 度であり、
8 方位(45 度ずつ)記述としては驚くべき正確さである.
ただし測量方法はわからない
ちなみに距離の測定がイマイチだったのは一寸千里法の欠陥から分かっている >>256
中国国内で正式に測量が始まったのは随の時代
この時中国で街道に一里塚が置かれた
その前の測量がどの程度の範囲でどの程度の精度だったかは謎
多分歩速かな?とは思う(一番簡単だから) 当時は「大地が方」「天は球体(半球)」な地球平面説
方位と距離だけで測量したら、地形が歪むのは当然!
706 日本@名無史さん 2023/11/22(水) 20:30:16.05
天子のいる洛陽を中心に
距離と方位を正確にすると
こういう地図が出来上がりますw
>其地大較在會稽東冶之東 與朱崖儋耳相近故其法俗多同
後漢書でも地図的に合ってますw
727 ニューノーマルの名無しさん
2021/07/15(木) 11:06:18.17 ID:UT3ee60x0
前も書いたけど
正距方位図法なら、距離も方位も説明できるんだよねw
地図の中心から離れるほど地形が歪む
そして南米大陸のように、東にある日本も間延びして大きくなる
半島が方4千里と書かれてたのがヒントになってたよ
中華思想によって、天子のいる洛陽が世界の中心
これで魏志倭人伝の距離も方位も正しいとw
https://i.imgur.com/LM4HMdk.jpg >>259
中国で3世紀に指南魚ができるよりだいぶ前だから、そもそも方角という知識があったのかな? 我々九州民には徳島と香川の位置が島根鳥取、山形福島栃木なみにわからないのである。 日本からしたら拘邪韓国から7千里や帯方郡から1万2千里って遠いと思うが
北京から上海よりも短い
大陸内で国同士が戦争した時代に隣国との距離を正確につかめないなんてあるだろうか
無いわな アークは既に山林掘りまくって無かっただろ・・・
その後、県が荒らされないように禁止指定した
邪馬台国にしてもそもそも方角が徳島だったって言ってるだけでそこまで根拠はないし
阿波風土記も何故か超重要な事書いてたみたいな話があるが、大した事ねーよどうせ >>257
http://www.geog.or.jp/files/h27-autumn_01.pdf
上によると古代中国の天文測量法「一寸千里法」で測定すると
洛陽と宮崎市の南北成分距離は四千里相当で
グーグルマップで距離を測ると300km相当
300km=300000m÷4000里=75m
つまり当時の天文測量の精度があれなせいで
短里が生まれてしまい、
古代中国人はこのことに気付いてなかったらしい
そして実測できない邪馬台国のような外国だから
一寸千里法を使わざるを得ず、
倭人伝だけ短里になったんだ…が短里説らしい 1000里とは、長い距離の例え
326 日本@名無史さん sage 2022/12/07(水) 15:53:44.41
俺はここまで独自に答え導いてます!
●1万2千は「中華思想における観念」
中華思想の方万里において、天子の徳がギリギリ届く距離
●1000里は「長い距離の例え」
赤兎馬のwikiより
「千里」という言葉はしばしば長い距離の例えとして用いられる。
●二十日、十日、一月(三十日)は「十干的な日数」
十干のwikiより
殷では、10個の太陽が存在してそれが毎日交代で上り、10日で一巡りすると考えられており、十干はそれぞれの太陽につけられた名前と言われている。この太陽が10日で一巡りすることを「旬」と呼ぶ。上旬、中旬、下旬と言う呼び名もこれに由来する。 ヤマト王権が瀬戸内海を制覇するまでの物語を、誰か書いてくれ
海賊を気にせずに安全航行したり、帆船が風待ちしたりできたのは、遣隋使の時代から後 中国の昔の王朝って海外にほとんど興味なかったみたいだから、距離とか方角は朝貢に来た人の言うことを、あーそうなのふーん程度で聞いて特に詮索せずに記載したのじゃなかろか。元寇の時はしっかり測量したのかな。 チョンリマは千里を走る馬、つまりざっくり長距離という意味ね。 つーかお前らまだ里数や方角だとか論じてんのか、アホくせえ
そのレベルはそろそろ卒業しようぜ @阿波も年末進行で何かと用事があるんじゃないの?
ワシも今墓掃除してきた。 >>186
魏志倭人伝否定するなら邪馬台国そのものの存在も確定的ではなくなる >>275
普通に"北部九州のどこか"という当たり前の事実が確定するだけではある
だがそんな普通が出来ない人がなんと多い事か >>266
でも一寸千里の法だったら、洛陽からの距離しか求められないやん?
帯方郡を起点にするってもっとおかしな数字になるよ? >>277
この通りで距離方角否定に明確な理由がなければ邪馬台国否定しなければチェリーピッキング >>281
チェリーピッカーには言っても分からないだろうから書いてない >>277
魏志倭人伝の精度は元になった文献によるんよ
制詔で始まる「洛陽の公文書」も混ざってる
挨拶に来たことと、土産をいっぱいもらったやった事が書いてある
要するに王城の公式記録に当たる部分は信じられるか?ってことかな
その他も別の精度の低い文献のコピペだったり、陳寿のまとめだったり
山海経という妖怪百物語のような文献からも抜粋されている 歴史系ゆーちゅーばー
とやらは専門家よりも詳しいわけ? 阿波国風土記のタブーに触れるのか?
なんか内容的にやばすぎて歴史上から闇に葬られたと聞く 三国志正史は史書中でも最も精度が高く評価も高いと言って良いレベルよ
史学者考古学者が隋書や旧唐書、新唐書にあまり関心示さないのは
後代だから、同年代だからってだけじゃない >>284
少しオカルトの要素もあると思います
あくまでも仮説ですし、またそれをわかっていて皆さん楽しんでいるのだと思います
邪馬台国や卑弥呼のお話は夢とロマンがあってみんな大好きですよね >>285
風土記の原文は江戸時代に、江戸表の大名屋敷には結構残っていたが、その後の明治維新、大政奉還で殆どが散逸してほぼ残ってない
阿波国風土記も散逸した方に分類されている
その後他の文献などに混ざっている部分を探し出して再構築する試みがされてきたわけだが
中には他の風土記とあまりに整合性が取れずボツにされたものもある阿波国風土記はこの括りに入る
歴史書に創作の内容を混ぜるやつや、新規に作るやつは枚挙にいとまがない >>112
>阿波の郷土史家の一部は邪馬台国だけでなく、飛鳥時代のヤマト王権の京まで阿波にあったとか、
とんでもない説を主張しているので流石にそれは許容範囲外。
一切、論理的に反論出来ず、中身の無い茶々入れだけの能無しの「売郷奴」。 @阿波 >>253
黄河流域の人骨とはゲノムの一致がなかった。 方言から見ると、四国はイントネーションが関西弁なのに対し、
岡山(吉備王国)から中国地方に入ると全く違う広島弁圏に入るんだよね。
おそらく関西地方と中国地方では人種的に違うような気がする。 >>216
方角に関しては、水行20日のところからはいっておらず倭人が話した内容のまとめと理解できる。そこでの齟齬が指摘されてきている。
倭人は海洋系なので日の方角と言えば日の出の方向を指し(海上では南中で方角が確認できない)大陸系の人は南中方向と理解するので齟齬が生じたと考える説。
当時の中国の地図は列島を南に伸ばしている。 邪馬台国徳島説まではギリギリ考古学に踏みとどまっていると言えなくもない
ただ、ユダヤという文字が出た瞬間にオカルトの分野の話題になってしまう
邪馬台国徳島説含め一気に大学の論文ではなく、ムーで語る話題になる
考古学とオカルトを結びつけるのはもうやめよう >>64
何をそんなに気にしているのかわからん
ボカすも何も弥生人も縄文人も近現代に定義づけられた考古学上の集団でしかない
研究が進めば定義もいろいろ変わるだろうし、真実がどうかが重要なんであって弥生人とか縄文人とか呼ばなくてもいいからな別に >>296
中国の地図で日本が表記されてるっていつの時代の地図? >>279
基準の長さを決めた
ということだと思うよ? >>297
どうなのかなぁ?
古い遺跡はあるけど、規模が小さいのと周りとの交易に不利ってのがね
でも金印が出てくれば信じるよ >>302
基準の距離は普通に長里があるし、もっと短いものなら身体しゃくがあるよ >>303
>規模が小さいのと周りとの交易に不利ってのがね
規模が大きいのは、どれだ? @阿波 >>291
それって金沢大学の古墳人の研究の記事ですよね?
論文がこれね
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abh2419
>古墳時代人は中国の中南部域からの移住と判明
なんでこんなウソついてるんですか? >>293
どこの研究ですかね?
ちょっとソース出してもらってもいいですか?
俺のソースは>>306ね
出せなかったらなんですぐバレるウソついたのか理由教えて貰っても良いですか? >>309
調査範囲がだだっ広いだけで、碌な鍛冶炉遺構や集落遺跡の無い纏向遺跡を言ってるんだろう。 わははははは @阿波 このスレは考古学で行くのか歴史学でイクのか?
それを決めて頂きたい。
歴史学でいけばユダヤ人の話も有る話だし歴史学の研究において古代の歴史の研究に神話の研究があっても全くおかしくない。
なのでユダヤの話はそれほどおかしくないのである。 @放屁 >>310
「魏志倭人伝」では、1里≒70m
「魏志韓伝」でも、1里≒70m
「隋書」では、1里≒230m
「旧唐書」では、1里≒260mということが分かる。
いずれにせよ中国史書の距離表示は、編纂した時代の権力度量衡で、直線距離を示しているってこと。 @阿波 >>312
史学に基づいたら邪馬台国はフィリピン辺りじゃね? まだお前らは阿波説の真髄を知らない
阿波説において壬申の乱は徳島で起こった事になっている >>310
人間が歩く歩数をベースに600歩進むと1里と決めてた
短里のように極端に変化するのは普通ではありえない
普通じゃない事が起こったのなら、その理由を探す必要があると思うよ? >>314
なるほどぉ〜。なるほどです〜。小生は自分の肛門が邪馬台国なのではないかと睨んでいるのである。新説!邪馬台国肛門説はどうであろうか?😊 >>314
そのままなら沖縄でしょ
まあ明らかに間違ってる個所考える意味ねえけどな >>311
他所のことは良いから、阿波に大きな遺跡もない事をなんとかしてよ? >>315
流石に草
天智天皇の大津宮遺跡は捏造かな?w >>319
>阿波に大きな遺跡もない事をなんとかしてよ?
大きな遺跡の定義はなんだ? @阿波 これを機会に@阿波に阿波説の概略を聞いときたいんだが
・阿波説的に邪馬台国の首都の具体的な位置は?
・邪馬台国とヤマト王権の関係性は?
・邪馬台国はその後どうなった?
・南の狗奴国はどこ? >>318
参問倭地絶在海中洲㠀之上或絶或連周旋可五千餘里
沖縄で周囲五千里は小さすぎない?
対馬で周囲400里だよ?
ならフィリピンでしょ?w >>328
フィリピンは遠すぎる、無茶だよ
まあ普通に北部九州でしょ >>327
>阿波説的に邪馬台国の首都の具体的な位置は?
「矢野遺跡」「庄・蔵本遺跡」「名東遺跡」などがひしめく「鮎喰川下流域集落群」。 @阿波 >>326
それなら三国志は長里で魏志倭人伝が短里な理由は?
三国志魏書は長里で書かれてるからね? >>331
台湾も小さくない?
まあ不彌國以降は明らかに間違った記述だよ 記述通りの場所は無いから、どこが間違っているかで議論することになってるの? >>327
>邪馬台国とヤマト王権の関係性は?
その「ヤマト王権」の定義がよく分からんが、大和朝廷のことであるならば、
「邪馬臺国」を含む倭国(阿波)が8世紀に奈良へ遷都して出来上がったものである。 >>333
>三国志魏書は長里
え、そうなの?倭人伝は魏書の一つだよね? >>327
>邪馬台国はその後どうなった?
日本人の呼称として、粟国と呼ばれるようになった。 @阿波 >>335
普通はそうじゃない?
明確に正しい箇所は正しい、そこと矛盾する箇所は間違っている
何も難しくない >>334
そりゃそうだよ
梯儁は詔書・印綬もって伊都国の倭王に謁見しただけでそれ以上は行ってないんだし知る由もない
張政だってどこまで行ったのかなんて誰にもわからない >>327
>南の狗奴国はどこ?
北の「邪馬臺国(粟国)」に対し、南の「狗奴国(長国)」は「若杉山遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「深瀬遺跡」などがひしめく阿南市周辺。 @阿波 >>337
そう
だから短里を基準にするなら何かが起こってるはず
例えば、曹操の戦いの一つには白狼山の戦いというのがあるんだけど
北方までの大遠征が500里なんだよね
意味がわからないくらい距離感が違いすぎる >>330
>魏志倭人伝にあるような規模
「魏志倭人伝」にそんなことは書いていない。 @阿波 >>340
>太守弓遵遣建中校尉梯俊等奉詔書印綬詣倭國,拜假倭王,
ここの個所か、確かに女王じゃなく倭王ではあるがこれをもって
>伊都国の倭王に謁見しただけ
は飛躍じゃない? >>343
何万戸って規模の人口は間違いだったの? 答え合わせが不可能だから
浪漫として考察が楽しいってことで
いいんだよな? >>344
>東南陸行五百里到伊都國官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚有千餘戸丗有王皆統屬女王國郡使往來常所駐
飛躍も何も伊都国に王が居るって書いてあるじゃん
伊都国が使者が留め置かれる場所だととも
また伊都国までは地域風土が事細かく記されているのに伊都国以降は距離とその長の名前だけじゃん
距離も里から日に変わってるし明らかに伊都国での出来事
つかコレを話題にしない時点で邪馬台国○○説なんて全部嘘を知っていて語っている 淡路島は女のイザナミが男のイザナギを誘惑して出来た最初の子供が失敗作品だったので
吾恥(あはじ)島と名付けたことから来ています >>345
その数字が間違いかどうかは知る由もない。 言えることは、集落遺跡が少ない所は人口も少ないってこと。 @阿波 >>350
つまり仮定のまま放置して論理展開しているってこと?
まず魏志倭人伝の人口を否定するための考察くらいしたら? 阿波が邪馬台国とするとその興亡が全く意味不明になる
海人族と縄文系弥生人が繁栄したという痕跡でしかない
淡路島も本州側から見た阿波への道、という意味だろうからね >>351
>つまり仮定のまま放置して論理展開しているってこと?
言えることは、集落遺跡が少ない所は人口も少ないってこと。 @阿波 >>342
三国志書いた人は複数の歴史書から引用してるから >>352
>阿波が邪馬台国とすると
そもそも「阿波」は、「邪馬臺国」と「狗奴国」から成っている。 @阿波 >>342
ならば、短里は公孫氏が使ってた尺度じゃないかな
>>348
いや、伊都国だけじゃなく他の国もそれぞれ王が居るでしょ?
日数行程も不彌國からで伊都国→奴国→不彌國はそれぞれ百里だよ 日本の歴史の本もいろんな史書のパッチワーク
三国志も同じ
だから距離の単位に矛盾が生じる >>357
え?行程で王が出て来るのは伊都国だけだよ
魏志倭人伝読んでないの? >>357
>ならば、短里は公孫氏が使ってた尺度じゃないかな
「魏志倭人伝」の短里は西晋の尺度じゃないか? @阿波 >>359
今読み返したけど行程で王が出るのは伊都国だけだね >>357
それに山に登れば伊都国から奴国と不彌國は見えるんだなこれが
この2つは目視で確認したんだよだからこれまでと同じ有二萬餘戸、有千餘家「有」の文字が使われている
一方遠い投馬國と邪馬壹國は行ってもいないし確認できないので可五萬餘戸、可七萬餘戸と「可」の文字が使われている
こんなの国語の問題だよね? >>253
大集団というのがどれくらいの規模を指してるのかわからんが、
1つの集落、1つの小国レベルで繰り返し渡来しているだろう
当然同じような時期に同じようなところから渡来した連中は遺伝子が近いだろうし、渡来後も話が通じるので協力しやすく他の集団を圧倒しやすい
それだけの話
特定の大集団が来て、その大集団だけがそのまま残るという考えがいかに不自然かは簡単に想像つく話なのになー >>357
公孫氏って滅亡する前の年まで、魏の家臣だったってわかってるよね??
1つの統治機構で2つの単位なんて、非効率なことはやらないし、バレたら怒られるよ
背いていきなり全部差し替えた?戦争が迫ってるのにそんな余裕があったのかな?
そもそも魏からの使者にそんな値を伝える意味がわからん 旧唐書には「東西南北がそれぞれ数千里あるんやで!」と自慢する倭人の姿が記録されてる
>其國界東西南北各數千里 >>362
なるほど、確かに使者は伊都国に留め置かれていた気がしてきたわ 徳島って田舎だけど実際に能力高くてプライド高いんだよね選民意識がある
だから剣山の都市伝説なニチユ同祖論まで出てくる
香川側の屋島壇ノ浦の戦いで上陸した平家軍の逃げ延びた人間と徳島小松島から上陸した源氏義経軍の人間とがちょうど交配した人々の子孫が居て妙に有能 そもそも使者なんか来てなくて
行ったことにして適当に書いた
とかいう可能性は完全なゼロなん? >>364
知らなかったですね
後漢末期に長く独立勢力で魏呉の間で風見鶏やって
ブチ切れた司馬懿に殲滅された事は知ってましたが >>369
それはほぼゼロ、行ったことにした=つまりは貢物着服なんでバレたら族滅される >>370
公孫淵が洛陽からの出頭命令に背いて、燕王を名乗って独立するまでは、ずっと魏の臣下だったのよ
地方領主が勝手に度量衡を変えたのなら、普通中央は何勝手な事してるの?ってオコだよね >>371
「一大率」はその為に置かれている。 @阿波 邪馬台国が阿波にあったぁ? アワ食っちまうよwww >>376
所が魏は短里なんか使ってない
だから短里の明確な理由が必要になる
何も絶対にない!!と言ってるのではなくて、きっと〜〜だろう。ではなく明確な証明がいると思うよ >>371
当時の倭なんて行ったか確認する人なんていなんじゃない?
魏志の条自体も新聞の三面記事以下程度なんでしょ? >>379
>所が魏は短里なんか使ってない
その根拠は? @阿波 俺も瀬戸内はかなりの候補だと思うんだよね
モモソ姫の伝承は近畿にはなく
ほぼ香川とか岡山とか瀬戸内に集中してるし、箸墓は吉備様式だしね >>379
じゃあ公孫氏の単位でしょ
中央の力が及ばなかった地方の単位だろうね 短里に関しては帯方郡から狗奴韓国までの距離で示されてるからそこはあまり考える必要なかろ >>386
俺もそう考えてる
短里なのは動かしようが無いので何故短里なのか考えるのは実際そこまで意味無い >>369
九州上陸くらいまでは詳しく書いてあるのにその先は方角と距離しか書いてない!
つまり行って無い可能性が高い!
当然中国で戦争に明け暮れる民族に倭国の本拠地を正確に教える訳無いから
適当に嘘の方角と行けないくらい遠い嘘の距離を教えられた可能性が高い 個人が勝手な説を与太話で触れ回るのはいいとしても、
県がそれを後押ししちゃダメだろ?www 伊都国は「王がいて女王国に統属していた(今は官がいる)」って
ことじゃないの?
ちなみに伊都国は「千余戸」なのに「一大率」が置かれているのは
兵力的に足りない気がするんだよね。
で、個人的には「一大率」という役所は伊都国にあるんだけど、
そのための兵はすぐ近くの奴国に駐屯していたんじゃないかなと
思ったり。 ていうか阿波説や畿内説の人も、いくらなんでも
奴国=博多付近
は認めてるんだよね? フィリピンだの台湾だの言ってる馬鹿は単なるスレ荒らしだぞ
さすがにあり得ねーよバーーカ🙄
ですが可能性としてはあるというなら小生の肛門説は令和で最も有力であろう(小生調べ)。
では検証といこう。放屁第一弾、おとといの夕食のキムチ牛丼由来の屁から検証してもらおう。
ではフィリピン説のID:U7efyPW/0氏。
小生の肛門に顔面を思いっきり近づけてくれ。NGは無しヨ!🙆♀では行くぞうぉ?👴🍑🤤 >>381
三国志魏書には曹操の戦いなんかも書かれている
つまり行軍距離や所要日数なんかも書かれている
俺が確認したのは白狼山の戦いという結構メジャーな話しだけ
短里の気配すらないよ >>389
そんなもんだと思うよ
お宝を満載した船が瀬戸内海を通ったら、大量の海賊に襲撃されて略奪される
帰国して「奪われました」と報告したら、死刑だわなw
だから、ぎりぎり文明圏の大宰府あたりで豪遊して、適当な時期に帰ったんだと思う 瀬戸内海の群雄割拠が解消され、官船が海賊を恐れずに航行できるようになったのは,
奈良時代後期になってからだよ >>397
そういう痕跡たくさんあるんだから生姜無いじゃん🤗
逆になんでそんなに無理矢理なかったことにしたいの?🤤
ユダヤ〜♪ウ〜ウウウウ〜♪(名曲ユダヤン・ラプソディ) >>396
太宰府は結構良い線いってると思う
博多から船で途中まで行けて陸を歩く時間も短いからありえるよね
当時の中国の役人が未開で湿度の高い倭国の奥地まで行くとは思えない >>400
なんで倭のために危険犯して渡海せにゃならんのだ
とか思って海すら渡ってない可能性も >>389
滅茶苦茶詳しく書いているだろ
魏志倭人伝の文章の構成
1帯方郡から邪馬台国(女王国の都)の経路
2経路から外れた女王国の国々の名前
3女王国の南に女王国に属さない国があることと帯方郡から女王国までの総距離
4男は刺青してるよ、硬派で服装はこんな感じ、
5こんな植物育ててる、こんな動物いるよ
6兵隊はこんな武器使うよ
7気候はこんな感じだよ、暖かくて裸足な、化粧はこう
8飯は手掴みで食うよ
9死んだら葬式はこう
10中国に行くときはこんな感じ
11産物は真珠とか丹とか
12占い大好き、男女平等っぽい酒好き
13挨拶は手を叩く、跪かない、みんな長生き
14妻は4~5人、治安良し
15税金集めて高床倉庫に集めるよ
16女王国の北側は伊都国が連合国を監視監督してるよ、伊都国は中国との外交窓口ね
17庶民は偉いさんに会ったら道を譲る、返事はアイ
18この国は昔分裂して乱れたけど卑弥呼を立てて平和になったよ
19女王の暮らしはこんな感じ
20女王の国の東には別の倭人の国、他にもこんな国あんな国
21倭人の国々は巡り歩いて5000里
22景初二年に卑弥呼の使者来たよ、金印上げる
4~19まで全部邪馬台国の風俗 >>391
二大卒は吉備。
安倍友の基地があったという? >>402
適当書いても確かめる官吏がいなきゃやり放題な気がする >>404
それを言い出すなら九州上陸までの記述だって信用する根拠がない >>405
うん
なのでもともとがてきとうなんじゃないかって話 奴国までは概ね整合性高いんで適当だぁ!ってのは無理です 公的に調べられた各地の風土記は偽書扱いで
権力者が作り上げた記紀のみ本物の歴史扱い
歴史学者は記紀を聖書としてそれ以外は偽書捏造オカルト扱い
比較歴史学を偶然だの偶々と門前払い
歴史学者はもはやカルト信者 >>402
それ伊都国あたりで見聞きした事でそこまでしか書かれてない!
どこの国の隣が何の国とかは又聞きしただけで実際に行って無いとしか思えないよね
当然卑弥呼やその側近とも合って無いからどんな格好で年齢がどのくらいかも書かれて無い
一般人が刺青してるとか書くくらいだから会ってたら風貌や衣装を詳しく書いてるはず >>392
阿波説によると伊都国が行橋市で奴国が中津市
福岡市に那珂川と那の津という地名が有るのは一切無視 >>402
産物が丹なら、徳島か和歌山の南海道になるな >>407
整合ってのはそのそれぞれが裏打ちされたものでないと意味がないと思う >>409
魏からの贈り物は封泥(特殊な泥でする封印)されていて
魏で梱包されてから一度も開けられていない状態で卑弥呼の元に届けなければならないし
使者は卑弥呼が受け取ったことを確認しなければならない。
だから間違いなく邪馬台国まで行ったよ 邪馬台国とかは分からんけど宮崎の神社について
○○神宮などの官幣大社みたいな大きい神社は壮大ではあるけども
歴史は古いのだけどもどうしても明治の国家神道人工改造を想像するので
個人的には興が醒めるところもなきにしもあらずだね
県社くらいの神社の方が趣があると感じる
大御神社とかね
ラグビー日本代表が参拝して良い結果になって縁起がいいと言われる
景色も良くて日本最大級の巌となりたるさざれ石もある
近くまで行ったら参拝して損は無いよ >>413
じゃあ何で邪馬台国の風物や風俗や卑弥呼の人物像についての記載が一切無いの?
それが一番記載しないといけない事だと思うけど? 日女巫女って、西日本諸国集落に1人しこ居なかったの? >>413
デジタル印章があるわけでもなく
使者の胸先三寸じゃね? >>395
>三国志魏書には曹操の戦いなんかも書かれている
それのどこに、長里が示されているんだ? @阿波 >>410
>福岡市に那珂川と那の津という地名が有るのは一切無視
無視する訳がない。 「阿波」の地名なんだから。 @阿波 >>421
徳島の那珂川は長川から改名したんじゃねえの >>415
由来を見たけど、藤原神道(あえて中臣神道とは言わない)の
人工改造後の神社って感じかな >>412
多くの者によってそれぞれが裏打ちされて整合性があると判断されてるので
一般的には奴国までの道程はほぼ確定してると考えられています >>415
>明治の国家神道人工改造を想像
わかる
>>419
一度開けると復元出来ない封蝋だよ >>429
多くの者とは?
その多くのもの自体がサボりを慣例化するために話合わせてる可能性は?
それこそ今の地方政治の闇みたいに >>431
一般的には大多数がそう判断してます、教科書に載るくらいには >>433
判断するかどうかの問題ではなく
裏打ちがなされているかどうかの問題なのでは? >>434
多くの者が裏打ちがなされてると考えるのでそう判断されています >>426
それ倭人の風習や
しかも九州北部あたりの
ちなみに入墨文化はその当時は朝鮮半島の韓人にもあった
朝鮮半島には倭人の国もあって帯方郡の勢力争いで公孫氏と戦っているし北九州と朝鮮半島南部はほぼ同じ文化圏 「長」はすなわち「長虫」つまり「蛇」を意味するのでは
あるまいか 公孫氏と戦った半島の倭は濊の誤記の可能性の方が高いんじゃない? >>435
多くの人が判断することは
その真実性に関係なく他の可能性はありえない
ということ? >>411
伊勢に丹生鉱山という縄文時代から近世まで断続的に存続した辰砂鉱山も有ります。
和歌山とは近くですが場所は伊勢です。 >>438
魏志倭人伝にも狗邪韓国は倭人の国って明記されてるし韓伝にも書かれてるやん >>439
他の可能性は有り得ないだなんて言ってません
奴国までの道程は今現在最も多くの者が支持する定説で
非常に蓋然性が高く魏志倭人伝は適当に書かれてるわけではない、
と考えられてるという事です
倭人伝は適当だぁ!と言うならばそうした定説を全て覆すしかないですね
不可能だとは思いますが頑張ってみて下さい、支持はしませんが応援します >>429
奴国って何処なんだ?
對馬国・・・対馬
一大國・・・壱岐島
末盧國・・・松浦
伊都國・・・怡土
ここまでは地名にも整合性があるので、まあわからなくもない
奴國っていきなりよくわからない地名
不彌國が宇瀰でまた何とかなる
奴国は怡土から宇瀰の間で怡土の南東、宇瀰西に位置するとは推測できる
ざっと福岡市城南区と早楽区の間程度にあったとは推測できるが
実際に何という土地だったのかはわからない >>442
狗邪韓国は倭人の国だろうね
ただ、公孫瓚の帯方郡が半島の南の端の端まで制圧してたんだろうかという疑問がある >>443
奴国は志賀島出土の金印が本物として、志賀島からそう遠くない場所と考えても差支えないのでは。 >>440
>伊勢に丹生鉱山という縄文時代から近世まで断続的に存続した辰砂鉱山も有ります。
「阿波」の辰砂採掘技能集団によるものだな。 わははははは @阿波 >>441
邪馬台国は倭人の中の一宗主国でしかない
倭人伝は倭人全般(主に使者が滞在した北九州)の事を書いているから倭人伝なんだよ >>443
支持されている=適当ではない
とはならないのでは?
倭人伝は引用の大元で大元が適当でないはないという論拠は
支持されている
というあいまいな根拠の上に成り立っている事? >>445
帯方郡は漢江の北側にあった説がかなり有力じゃないのかね? >>447
それだと伊都国の東南でもないし、東に行っても不彌国に着かないという
解決しなければならない問題があるよ >>448
逆に伊勢の辰砂採掘集団が出張してきたという説も考えられます。
一宮大粟神社の祭神であるオオゲツヒメは神馬に乗って伊勢から阿波に来たという伝承も有るわけですから。 >>446
一般的には奴国は那の津・那珂郡・福岡、具体的には那珂遺跡群と考えられているよ
まあ奴国が北九州政権の覇権から転落した際敗走した先(志賀島)で
その王統たるレガリアを隠したんだろうね >>453
「大宜都比売命」に時代に馬はいない。 却下! @阿波 >>450
裏打ちされた整合性があり蓋然性が高く=支持される
支持される=適当ではないと考えられている
からだよ なにがどうあれば邪馬台国って証明されるの?⎛´・ω・`⎞ >>455
多くの者には誤差・誤記の許容範囲内と考えられている
もちろん貴方がそう考えないのは自由 >>460
帯方郡から奴国までの道程は距離・地名・位置関係が概ね妥当性が高いと考えられてます >>459
親魏倭王の金印が機内で見つかればかなり有力になる >>459
一番可能性が高いのは鏡の鋳型、もしくは封泥の欠片(これはほぼ無理だが)
金印は出土しても断定するには微妙 >>461
そんなに都合よく誤差だというのが多くのものだと言うなら、その証明をしてよ?
たんなる君の感想や願望出ない証拠は? >>465
鏡が有効なら鏡をコピーして諸国と鏡外交してた大和でもう決まりやん >>468
多くの学者が帯方郡から奴国までの道程は距離・地名・位置関係について
概ね妥当性が高いと考えています
「魏志倭人伝の記述の正当性」に対して裏打ちしていると言えませんか? >>469
どこの遺跡でなんの鏡の鋳型が出てますかね? >>470
それは裏打ちとは言いません
仮説
といいます
わかってます? >>472
蓋然性が極めて高ければ仮説は定説となります
奴国までの道程は既に多くの学者さんが支持する定説なんですね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E5%9B%BD 西日本全体を支配していたという説にはならんのかね?
敵対している狗奴国とか東の方の国であったとか >>471
鏡みたいな複雑なのは当時は現物で型取って鋳型ねえんじゃねえの? >>474
裏打ちというのは
その時代においてのこの場合倭側の記述
或いは、同時代の第三国の記述によって裏がとれることを言います
支持されているかどうかは関係ありません 福岡県春日市の須玖遺跡群は
神武の実家であり天皇家の先祖の
倭奴國・漢委奴国王の王都であったことが
確定しているので
邪馬台国は九州では無い >>456
オオゲツヒメが伊勢からやってきたという話と、お馬石信仰がごっちゃになって後に「伊勢から馬に乗って神領の山にやってきた」という風に変化したんじゃないんでしょうかね?
まあこれは想像の域を出ない話では有ります・・・。
そもそも一宮大粟神社は天石門別八倉比売神社の筈ですし、埴生女屋神社と混同されたという事件も起きていますしね。 魏志倭人伝の方角(東南)、距離(1万2千里)、行程(水行10日陸行30日)、出土(辰砂)、気候(温暖)、風土(橘)、生活(刺青、女王)
全て合致する邪馬台国は阿波のみ >>477
え〜っと、それ、"裏どり"じゃないッスかね?
裏どり 裏を取る行為、すなわち情報源を検めるなどして情報の真偽を確認することを指す表現。
裏打ち 主に言葉や主張、理論などが具体的な証拠や事実によって支えられ、その信憑性が高まる状態を指す表現 あっ、いや、大丈夫ッス、自分は相手のこの程度ミスで
ドヤって勝ち誇る気は無いんで構わず続けて下さい、どぞ 四国は罪人を島流しにする遠流の地だった
邪馬台国とは関係ないよ >>482
裏打ち
物事を別の面から確実にすること。裏づけ。
とあります。同じものであるではないのですか?
適当である可能性はあるか
の話なので裏付けかなされていなければ可能性は否定できないのでは? 【福岡県春日市の須玖遺跡群】
紀元前2世紀~3世紀まで栄え、57年には後漢の皇帝から印綬された倭奴國の漢委奴国王の王都(邪馬台国の奴國とは別モノ)
そこからは
日本で初めて弥生時代の青銅器生産工房跡が検出された須玖永田遺跡
ガラス工房跡が検出された須玖五反田遺跡、
青銅器鋳造に関わる遺物が多数検出された須玖坂本B遺跡
などが発掘され
それらの王都の工房で集中生産された青銅武器と祭器等は、
北部九州沿岸地帯のみならず、
山陰中国西部、四国南西部、対馬、韓国南部に及ぶ
広い範囲で出土している
が、出雲や畿内からは出土していない
なぜなら、出雲や畿内は
倭奴國の漢委奴国王の支配下になく
邪馬台国の卑弥呼の支配下だったから >>459
邪馬台国は証拠がないんだから証明は不可能
まあ逆に考えたら証拠がなぜ無いかと言うこと
少なくとも天皇の系譜なら遺跡なり邪馬台国の住民の子孫なり何らかの形で残ってる
それが無いと言うことは天皇一派によって国ごと焼き払われて遺跡どころか遺体さえ残らなかったってこと
って考える方が辻褄が合う
真の愛国者なら大陸からの侵略者である天皇一派を非難すべきだろうね >>475
仮に西日本全体を支配していたとして、その首都はどこにあったか?ってのが邪馬台国論争のメインだから 阿波のどこに邪馬台国があって、どこに卑弥呼の墓があるんだ? >>402
>14妻は4~5人、治安良し
女多すぎ
どんだけ男が死んだんだろうな >>484
wwwまたそんな乱暴な、畿内基準で、当時流されるのは高貴な身分の方々だけですよ。
江戸時代の八丈島や佐渡とは違うんですが。 >>485
いや、全然違います
一般的には裏打ち・裏どりの定義は>>482で正しいです、
てかその説明はweb国語辞典からの引用です >>492
物事を別の面から確実にすること
つまり倭側の記述や第三国の記述で裏付けが為されているのですか?
ないのですか?どちらなのです? 魏との外交の連続性から親魏倭王の金印は台与が持っていたんじゃないか
トヨウケは摂津の飯盛山にいたと摂津国風土記にある
延喜式にはトヨウケはウカノミタマの別名と書かれている
ウカノミタマの伝承は信太山の葛の葉伝説に残っている
ウカノミタマがお詫びとして黄金の箱と水晶玉を授ける話やね
信太山の自衛隊基地にある4世紀後半の和泉黄金塚古墳からは景初3年の銘がある画文帯四神四獣に加え、ヒスイなどの大量の勾玉と日本最大の水晶玉が出土している
ヒスイの勾玉は弥生時代末期まで近畿や関東で流行っていたアイテム(唐古・鍵遺跡や池上曽根遺跡、東京の板橋区から巨大なヒスイの勾玉が見つかっている)、仁徳天皇陵の時代に再びブームになる
仁徳天皇陵の陪塚からもでかいヒスイの勾玉が見つかっている
親魏倭王の金印の行方はミステリーだが、卑弥呼より前の時代のヒスイの勾玉の勢力に渡ったのかもね
ちなみに先代旧事本紀には武蔵国造の祖の伊勢津彦という件がある
越後国風土記には、八坂丹(やさかに)とは玉の名である。この玉の色は青い、故に青八坂丹玉(あをやさかにのたま)という
と書かれている 邪馬台国は証拠がないんだから証明は不可能
まあ逆に考えたら証拠がなぜ無いかと言うこと
少なくとも天皇の系譜なら遺跡なり邪馬台国の住民の子孫なり何らかの形で残ってる
それが無いと言うことは天皇一派によって国ごと焼き払われて遺跡どころか遺体さえ残らなかったってこと
って考える方が辻褄が合う
真の愛国者なら大陸からの侵略者である天皇一派を非難すべきだろうね
神武東制圧なんてまんま邪馬台国の原住民をブチ殺して国盗りした話てましかないのに
これが未だに神話wとか言って有り難がってる阿呆どもよ
神武東制圧のルート見てみろよ
言語学で見たら簡単に答えが落ちてるわw
…とは言えおまえらみたいな統合失調症どもでは脳内の妄想でしか話ができないだろうし
現実を現実として受け入れるのは不可能だろうがな
健常者じゃねーしなおまえらw >>493
史書の記述を現実の地理によって裏付けてると言えますね
故に多くの者は魏志の記述を支持してるんですね 方角(東南)、距離(1万2千里)、行程(水行10日陸行30日)、出土(辰砂)、気候(温暖)、動物(牛馬不在)、植物(橘)、生活(刺青、女王)
日本で全て合致する魏志倭人伝の邪馬台国は阿波のみ >>496
阿波説の第一人者@阿波によればユダヤ云々は興味無いそうなんで無視していいようだぞ >>498
それは単一の引用元しかない時点でどうとでもいえるのでは? >>487
福岡県春日は
イザナギと、イザナミの子の大綿津見神(豊玉彦)の王都
島根県出雲は
イザナギと、正体不明の女性との子のスサノオの王都
奈良県纒向は
イザナギと、正体不明の女性との子のアマテラスの王都 >>489
それ分かってたら阿波説なんて出てこねえだろ >>496
イスラエルの失われた十支族を探すアミシャーブという組織が有って、日本へも何度も調査に来てるけどねぇ・・・。 >>507
未だに認定されてないってことはそういうことだ >>501
倭人伝の位置関係についての信憑性ならば一つで十分でしょう
更に言えば三国志正史全体の整合性も併せて信憑性が高いと言えます
多くの専門家はそう考えているため定説になってるんですね
是非貴方の手で定説を覆してみて下さい、全く支持はしませんが応援します チャイナの偽書を元にあれこれやってるのはアホの所業 コメントを見ると阿波説の支持は3割以上
日本の夜明けは近い >>508
支族そのものが渡来したのではなく、文化が伝播したという可能性もあるからね。 >>510
こう言うのもなんだが三国志正史は史書として非常に評価が高く
最も信憑性が高い文献の一つだと思うぞ >>511
今度はって・・・50年前からやってますよ。 西日本でヤマと言えば石鎚山と剣山を連ねる山が西日本で一番高い
石鎚山の愛媛(伊予)、剣山の阿波とどちらも女の国
卑弥呼の跡継ぎは、壹與(いよ) >>503
邪馬台国はどこにあったか?
じゃなく邪馬台国はなぜ消滅したか?
を考えてみろよ簡単に答えが出る >>509
第三国或いは相手国の裏取りも為されていないものの信憑性が十分なのですか?
適当である「可能性がある」
ということと定説であるという問題は全く別の話であると思うのですが
あなたの考えからすれば
歴史に於いて定説以外ものは可能性が「ない」
というお考えでよろしいですか? >>517
剣山の別名は太郎笈(たろうぎゅう)・・・つまり男性です。 >>519
私だけじゃなく教科書に載るくらいには一般的な考えだと思われます
社会に挑戦するのはとても勇気の要ることです、ぜひ応援します、支持はしませんが >>521
いいえ
私が聞いているのは
定説あるもの以外の可能性があるかないか
です 首長連合の祭祀場跡だろうと言われている守山の伊勢遺跡は1世紀後半〜2世紀の遺跡である
近くからは巨大な銅鐸が出土し近畿式と東海の三遠式の両方の特徴を備えていた
伊勢遺跡では夜に水の祭祀が行われていたという
弥生時代後期、1世紀になると近畿山陰東海関東で銅鐸が大ブームになる
山陰近畿小松は元々鳥形が見られる地域だったが、弥生時代後期になると摂津や河内と同じ形の鳥形の集落が伊吹山の麓や若狭に誕生し、摂津の玉津田中遺跡と同じ形の鳥形の集落が静岡で複数誕生する
有名な登呂遺跡もその一つ
弥生時代後期になると国作りが尾張を越え、東海や関東にまで広がるんだな
武蔵国造の祖は東海道の統治を担った伊勢津彦かもな
伊勢津彦は伊賀に石の砦を作っていた伝承もあるが伝承通り、伊賀の名張からは弥生時代後期の砦のような集落跡が見つかっている >>516
中国にもあるから、移動してきたんだろうね >>522
定説以外の可能性は無いなどとは私は言ってないです
相手が主張してないことを拡大させ指摘するのはストローマンという詭弁の一種ですね
ちょっとした勘違いで悪意が無かったのだろうとは思いますが、
ディベートなどではほぼ負けと言える減点なんで気を付けた方がいいかもしれません >>522
おまえの言いたいことは分かるぜ
邪馬台国はどこにあったか?
じゃなく邪馬台国はなぜ消滅したか?
を考えてみれば簡単に答えは出るけどな
科学的に考えれば言語や遺伝子は動かぬ証拠として残る
捜査の基本だよな 九州に「筑紫城」建国
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り倭奴國「漢委奴国王」
1.天之御中主神
2.高御産巣日神
3.神産巣日神
4.国常立尊
5.国狭槌尊
6.豊斟渟尊
7.泥土煮尊・沙土煮尊
8.大戸之道尊・大苫辺尊
9.面足尊・惶根尊
10.伊弉諾尊・伊弉冉尊
11.大綿津見神(豊玉彦)
204年 公孫康が韓と倭を制圧して帯方郡とし、朝鮮半島南半から北部九州の漢委奴国王の倭奴國までの統治体制を築く
伊弉冉尊の死後に伊弉諾尊と出雲の姫との間に
天照大神・月読・建速須佐之男命が産まれ
畿内(天照大神)・吉備(月読)・出雲(建速須佐之男命)で連合
天照大神を共立し、公孫氏支配の九州の倭奴國に対抗
12.天津日高日子穂穂手見命(山幸彦)
13.天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)
公孫氏と共に魏から独立を宣言し倭奴國敗北
公孫氏支配の倭奴國に対抗していた畿内・吉備・出雲連合が親魏倭王に
魏の終焉とともに彦瀲の息子たちが畿内・吉備・出雲に東征
14.神日本磐余彦天皇(神武)初代天皇 >>513
アミシャーブの目的は散り散りになった氏族を探し、約束の地に帰還させることだ >>528
じゃあ徳島人はガザ地区に帰してあげなくちゃなwww ううわあコピペ馬鹿が来やがったよ
こいつほんとつまんねえんだよなあ、折角楽しく邪馬台談義してたのに >>525
歴史に於いてその可能性は
答え合わせが出来ない以上
どうともいえない
或いは
可能性としてはあるとしか言えない
と答えるべきではないのですか? >>101
明治時代には新潟県でも人口1位になってたくらいだからそれはあてにならないよ >>530
鉄板ならコピペしかなくね?
それ以上の事実がねーんだし >>531
それに対しては既にこう述べました
答え合わせは既に為されていると判断されているという事なんですね
>蓋然性が極めて高ければ仮説は定説となります
>奴国までの道程は既に多くの学者さんが支持する定説なんですね >>518
しょせん部族の都市国家未満のレベルじゃ、世代交代と部族間闘争で消滅するよw >>532
新潟は江戸時代に新田開発が進んで多くの人口を養える素地が整っていた。
尚、明治初期の人口調査は町人の人口のみで、士族がカウントされていないケースが混在しています。 >>532
東北地方とか明確に明治以降過疎になったなあ
ちなみに過疎化と廃仏毀釈や神仏分離で自社仏閣を明治政府に破壊された地方と過疎化した地域は比例するぞ >>533
まあそうなんだけどコイツは無駄に長文コピペ連打して
確定決定証明判明連呼して他人と語り合う気一切無いヤツなんだよね >>534
わかっていますか?
答え合わせというのはそれは史実ではなく
「真実」を問うという事です
歴史学はその形態から史実或いは事実を推測する学問です。
真実なんてものはわからないのです >>537
へーそうなんですね、勉強になりました(棒読み) >>527
筑紫城に初代天御中主から神武天皇まで32代の王がいたとか、何百年歴史を遡る気だ?
一人30年としても軽く900年になるぞ?
筑紫城を信じるのは、頭のめでたいやつだけだ
圧倒的な間違いが、歴代天皇を8世紀に作られた
漢風諡号で書いてしまったことだ
つまり8世紀以降でないと創作できない偽作だと
その文面から証明している >>535
邪馬台国人の主食はドングリ
魏志倭人伝の魏国は未だに街並みや門構えも現存 武蔵国造の祖伊勢津彦の父は大国主の伊和大神である
伊勢津彦はスサノオや播磨風土記の五色の玉を持つ石神と同じ暴風の性質を持つ
播磨風土記には伊和大神の国作りは尾張で終わりとある
スサノオがヤマタノオロチを切り刻み最後に尾を切った時に現れたのが尾張にある草薙剣
石見神楽の大蛇(ヤマタノオロチ)に、今出雲の国、肥の川上なる鳥上の處に着きて候という件がある
スサノオが本当の神武天皇のモデルなんじゃないか?
出雲の鳥上の處からヤマタノオロチ退治に出立し、最後は尾張でヤマタノオロチを退治したのかもな
その後は銅鐸、鳥形、ヒスイの勾玉の人々による国作りが尾張を越え関東迄及ぶと
出雲から尾張へが本当の東征かもな
松江の西川津遺跡は弥生時代前期から栄えた港のある大集落で大量の木製品を作る物流の地であった
西川津遺跡からは銅鐸に加え、【樫】でできた鳥形が見つかっている
これと同じ形の鳥形は青谷上寺地遺跡、池上曽根遺跡、雁屋遺跡から見つかっている
出雲の鳥の地に【樫、カシ】があるのだ >>538
確定はヤバいな
現状あるかないかさえ分からんのにな
統合失調症の気があるぜ >>540
違います、史実は史書に記された事です
歴史とは概ね確かであろう、と多くの合意がなされたものです
歴史が真実とは限りませんが真実の追求である事は動かしがたい事です
それを前提として、ここで言う答え合わせとは歴史学で言う合意です
歴史に触れる者にとって歴史が真実とは限らないとは
まさに言うまでもない当たり前の事なんですね
で、貴方がそれを真実ではないと考えるのは勝手ですし、
その試みの姿勢は応援します、1ミリたりとも支持はしませんがね ヒストリーチャンネルの古代の宇宙人でも剣山に失われたアークが埋められてるとか言ってたなぁ… >>89
明治時代、徳島市は国内10大都市の一つだった
蜂須賀氏は徳島に入国以来、産業政策として塩田に目をつけ、現在の鳴門市の撫養(むや)の海岸に、赤穂に次ぐ大塩田を開発しました。
蜂須賀氏は徳島に転封される前は、播州龍野(現在の兵庫県龍野市)を治めていました。地理的に赤穂に近く塩の産業としての有用性に着目し、赤穂から塩職人を招き、国内で赤穂に次ぐ塩の産地となりました。
塩と並んで蜂須賀氏が奨励したものに藍があります。特に、藍は「阿波といえば藍」と言われるほどに阿波を代表する特産物でした。
明治30年に合成染料が発明され衰退しますが、それまで藍は木綿を青色に染める唯一の天然染料でした。
徳島の生産量と品質は日本一を誇り、全国の市場をほぼ独占し、全国各地より大勢の商人たちが藍の買付けに訪れ、城下町徳島は大いに栄えました。
明治22年に全国で市制が施行されたとき、徳島市は四国随一の都会、全国でも十番目の都市でした。仙台、広島に次ぎ、福岡や堺よりも大きな町だったのです。
横浜や神戸は、アメリカのペリーが浦賀に来て開国を要求したときに開港した港ですが、そもそも幕府が横浜や神戸を開くことを認めたのは、江戸や大坂から遠く離れ、人口も少なかったからです。幕府は外国人と日本人の接触を嫌い、そうした意味で神戸、横浜は好都合だったのです。
横浜、神戸とも、開港前はこのように寒村に過ぎず、開港後に急激に発展したことを考えると、徳島(当時は名東郡)の人口は江戸時代には第3位だったことになります。 弥生時代も終わりへ向かう3世紀前半
人々は、何を求めて碧落の千葉にやってきたのか
http://plaza.harmoni...wa/goudo05_kofun.htm
https://i.imgur.com/YfSlzZ0.jpg
越前・尾張・畿内から移住者が集結
新天地で王を「共立」していた
近畿人の移住や流通の拠点が、房総半島に3集落。
戸張一番割遺跡・大崎台遺跡・中台遺跡。
古墳時代前期に入ると、さらに北に進出して茨城県・福島県・宮城県・そして岩手県まで分布が広がる。 >>547
史実と真実を対比させ
貴方と同じ史実は真実と違うという意見は同じですね。
真実の追求することと真実であることは同義ではありません。
合意によって為されるのは
仮説の中で最も有力な説
要は定説です
それを踏まえ有力であるかそうではないかは別にして
可能性があるかないかの話をしているのです
貴方の意見は適当である可能性は「ない」
でした
本当に歴史学を語る者として可能性は「ない」のですか? >>552
千葉県安房神社で検索すれば分かると思うが
神武元年に神武天皇に命ぜられたアメノトミノミコトが千葉県を開拓したことから由来してる
この安房神社は阿波のこと 史実とは文献だけでは定まらない
文献史学と発掘考古学と、民俗学の成果が同じ結論に達したら史実となる
トロイアがお話の世界から出てこれたのも、トロイア遺跡が見つかったから >>553
普通に無いでしょ、誤記はあっても陳寿が適当に書いたはまずねえわw >>557
その場合東→南への方角変更は呉に対する情報操作だろうね >>556
陳寿は上がってきた報告がそれしかないからそれを書くしかなかったのでは? 畿内説や徳島説はお笑い好きな奴が遊び半分で
考えたおふざけ与太話だから、ここの書き込みを
真剣に読むのは時間の無駄、さっさと寝た方が良い >>555
史実は事実ではないけどね
世界各地で歴史の捏造なんて行われてるし
時の権力者が力で歴史を改ざんすることなんて昔なら腐るほどあった
確固たる事実なんてのは遺伝子かタイムマシンでも作って確実に見る以外は無い
まあでもあれこれ残る痕跡に想いを馳せるのはロマンだとは思うよ
でもあまり深入りすると統合失調症になるだろうけどね >>560
おまえがそう思うならわざわざスレ開ける必要もレスする必要もなくね?
なんでそんな必死なん?w >>559
そうだとしてもそれは少なくとも"適当"ではないんじゃないかな >>561
トロイアがあったことは史実となったが? 九州説って元々明治政府が作り上げたもので
明治政府は古事記の話を改ざんして国が初めて作られたのは九州と明治時代では教えてた
廃仏毀釈や神仏分離とか歴史を改ざんして息を吐くように九州のために嘘をつく明治政府
一体なんなんだろうなあ? >>563
使者が真面目である
という前提条件が動かない
というのがどうにも腑に落ちない気はする
特に当時の取るに足らない言わばあってなくてもどうでもいい倭に対しては 先代旧事本紀の国造の段に、関東の阿波国造が登場するな
安房の枕詞は息長鳥シナガ鳥、息長鳥は猪名の枕詞である
ちなみに神奈川にシナガ国がある
摂津はかつて猪名県だった
摂津の玉津田中遺跡と同じ形の鳥形の集落が静岡から複数見つかっている >>564
史実は事実ではない
トロイア遺跡がかつて伝えられてたトロイアと本当に同じかどうかなんてのは暫定でしかねーってこと
それを絶対トロイアなんて言ったらそれは統合失調症 >>436
証拠がないんだわそれ
日本では九州以外に入れ墨がされていた証拠があるが >>566
もちろん人の為す事なので穴はある
倭人伝にしたって意味不明な矛盾が多くある
ただ、それを差し引いてもその記述は事実(この場合半島・北九州の地理)
と照らし合わせて蓋然性が高く、倭人伝外の記述の整合性とも相まり
三国志正史は史書として二十四史中最高レベルの評価を受けている >>569
沖縄北海道の琉球民族とアイヌ民族には入れ墨文化が遺ってたのは
本州九州に満つ州人の奴らからの侵攻を明治期まで逃れたおかげ
東北にも遺ってたが坂上田村麻呂みたいなのに鬼退治されて消えた文化よ 入れ墨は南方の風習とかいう言説もあるけど普通に縄文人の風習だよな >>537
逆だろ
江戸時代まで貧乏すぎる東北地方の各小藩は
冷害、不作の連続で子供の間引きや娘の身売りに姨捨てなど
幕府側に記録されてるだけでもごまんとあるよいうのに
江戸時代、仙台藩を訪れた柳川藩士がこれが本当に50万石もある領内かと
あまりに貧弱な仙台の人もまばらで商業がまったく発達しておらず
みずぼらしい民家が覆いつくす仙台の町並みを探訪記に記録に残してるぞ >>571
評価を受けている話をずっと繰り返されていますが
可能性が高いか低いかではなく
あるかないかの話をしているのですが・・・ 息長の枕詞はにほ鳥の、にほ鳥は葛飾の枕詞でもある
にほの海は琵琶湖のことだが琵琶湖北部は息長氏の本拠地である
関東と近畿の歴史は密接に関係してそうだ
多摩丘陵はかつて横山と呼ばれていた
横山の枕詞は眉引きの
ちなみにスサノオの眉から生えてきたのが楠だな
池上曽根遺跡のある摩湯丘陵の地には楠の伝承が残っている
楠の元に堅い木(樫か?)でできたお地蔵さんがやってきた
しかしある時堅い木でできたお地蔵さんは悪い奴らに連れ去られ海に捨てられてしまう
時を経て堅い木でできたお地蔵さんは大蛸に乗り暴風を伴い戻ってきたという
和泉の地には、弟橘姫が祀られている宿院頓宮に神輿を渡す住吉大社の神事に纏わる戻り湯という伝承も残っている
甲斐には白と黒の二つの龍に乗る弟橘姫の伝承がある
関東の海で捨てられた弟橘姫は、横山の人々や東国に逃れていた風に助けられて甲斐を経て元の地に戻ってきたんじゃなかろうか?
バラバラの伝承を繋ぎ合わせるとできるストーリーだな >>569
証拠が無いって魏志の韓伝に「男女近倭亦文身」(男女共倭人に近く入墨している)って書かれてますやん
これが証拠で無いなら邪馬台国は存在しませんわw >>576
「陳寿が三国志を適当に書いた」
はまず無いです、99.999%無いでしょう
そもそも三国時代を著した史書は陳寿の物以外にももっと沢山あったんですよ
それらの史書は陳寿の三国志に駆逐されたんですね >>577
篠田謙一が
「現状では私達の分析した古人骨の中で最も大陸的な渡来人が紀元前600年前の愛知県朝日遺跡なんです」
を含むのか 文身は身分によってデザインが違うと魏志倭人伝にある
身分社会が色濃いところに文身の風習があったのかもな
立派な墓に埋葬されているのは身分の高い人物
現代でも敬語がないと言われる地域もある
地域によって、身分差の大きな地域、平等な地域とかあったのかもな 邪馬台国の臺與が豊受大神で、
ヤマトタケルの東征で丹後を拠点に本州に進出。
コレが丹後王国となり、
神功皇后を生み出した。 >>583
というか恐らく辰韓(後の新羅)は自分らは秦から逃げて来たと言ってるけどそれは弁辰の話で風俗的に辰韓は元々倭人だと思うよ >>580
99.99%の明確な根拠はなんですか?
何を元に算出されましたか?
倭の話ですので話だされた理解に苦しみます。 4世紀の日本は、熊本周辺に熊襲、
北部九州に邪馬台国本家仲哀の一派、
日向と大和に垂仁・景行の勢力、
吉備・播磨・安芸に吉備津彦の勢力、
山陰北陸東海関東に丹後王国があって、
熊襲以外が緩く連合した状態にあった。 神武の東征はニギハヤヒの天の磐船の丸パクリで、
日向→宇佐→吉備→大和の行程は、
日向生目の豪族が、狭穂彦王の乱に勝って宇佐に進出し、
吉備津彦の娘と婚姻して大和に進出していった
垂仁・景行の纏向進出の行程から作られた創作である。
日向の豪族が大和に進出した時代は、
古墳時代初期しか想定できないからな。 >>587
でも熊曽(襲名)国の姫である襲武媛は
景行天皇の皇妃になって4人の皇子を生んでよ 紀元前6~7世紀 西日本の土器圏の様相
https://i.imgur.com/9zJLsHh.png
A.弥生前期の初期水田稲作民。渡来系弥生人の形質とDNAをもち、板付・遠賀川系土器を使用する人々。
最も大陸成分の高い渡来系弥生人である紀元前600年愛知県朝日遺跡。
北限は紀元前500年青森垂柳砂沢遺跡、紀元前300年秋田地蔵田遺跡等もこのタイプの環濠集落である。
初期の稲作農耕文化を携えた人々が移り住んでできた弥生集落と考えられる。
B.弥生前期の採集・漁労民。在来系の形質とDNAをもち、突帯文土器を使用する人々。青銅器文化を受容するが、渡来系の人々との混血は見られない。
たとえば、九州東北部の響灘沿岸、瀬戸内、四国、近畿は板付Ⅰ式甕の系統を引く遠賀川系甕がほぼ100%を占める。
一方、九州の有明海沿岸や熊本、鹿児島では突帯文の流れを引く突帯文系甕がほぼ100%を占める。
弥生前期の日本列島では主に北九州から北東北の平野部にAタイプ、その他にBタイプが分布、形質、生活様式の異なる人種が住み分けられていた。
国立歴史博物館教授・藤尾慎一郎
日本経済新聞2023.05.26
「愛知県清須市から名古屋西区にかけて広がる朝日遺跡から出土した弥生前期後半(2600年前)の人骨の核ゲノムは渡来系だと判明。
この地域では弥生初期を特徴付ける遠賀川系土器が見つかっており、それを使っていたのが渡来系弥生人であることがゲノムで確認できたわけだ。
土器の系統と遺伝子が対応する可能性を示すもので興味深い」と藤尾氏。
https://i.imgur.com/QIOOu2U.png >>590
ソレが事実かどうか分からないし、
その後、熊襲が新羅と組んで
大和朝廷と戦ったという史実を重視せざるを得ないだろうな。 >>1
四国中央市の旧土居町説もあったな
魏志倭人伝の言う通りで行くとそこに行き着くとかそれっぽい地名やら >>284
都市伝説系もいる時点でお察し
というか案件に決まってんじゃん >>590
景行天皇の孫である仲哀天皇は香椎宮の神託を無視して八代の熊襲に討たれてるが
熊襲の土地はさっさと諦めて神功皇后は神託通りに三韓征伐へ
この頃上毛野氏も同行してるので、東国西国に領土を拡めていた最中 宇佐の妻垣が、
妻=日向の豪族が陣を構えた場所ということで、
ここを発掘すれば恐らく
日向の豪族が宇佐に進出した時代が判明し、
神武の東征が実際には生目が
日向→宇佐→吉備→大和に進出していった
垂仁・景行の行程を元に作られた
創作であることが確定するだろうな。 >>595
なんで神功皇后が熊襲征伐を諦めたとか嘘ついてんだ? 諦めたのか止めたのかは知らんが神託の内容は
熊襲は痩せた土地で攻める意味がない、金銀財宝の眠る豊かな朝鮮を攻めよだ 坂上田村麻呂の話なら福島の赤頭という鬼の話もあるな
赤頭は四郎将軍という名もある
四道将軍の末裔?
東北の伝承では龍の黒神と鹿使いの赤神がアマテルを巡って戦い、アマテルを手に入れた赤神は岩隠れして黒神は北に追いやられたという
歴史はかなり複雑で記紀のような単純な話ではないんだろう
記紀成立後にも歴史は続いていくからね >>598
で熊襲を攻めて討たれたのが仲哀天皇だろ。
その後に神功皇后が熊襲征伐を完遂したと日本書紀に明記されている。 成務天皇の時に国造が定められた
記紀や先代旧事本紀に共通する話
先代旧事本紀によれば火の国の国造もその時代に定められている >>592
そもそも熊襲って呼び名は個人名ではなく
記紀から読みとれるのは大和盆地で
日本の大部分で権力機能を集約させた政権側に
非常にライバル視されたと読み取れる熊襲と呼んだ
(古事記は熊曽という文字が当てが割れている)
兵士を配置するまでの軍事力も持った軍事集団を
大和に居を構えた政権側が小碓命に命じて
熊曽政権側のトップ川上建日別を討つように命じて
暗殺したいう設定の物語なんだよね
しかも古代日本最高の武力を持ったであろう
川上建日別に暗殺者である本名・小碓命は
新たに倭建命または日本武尊(ヤマトタケル)と
命名してもらい日本各地の敵対勢力に事あるごとに
小碓命は喜々としてヤマトタケルを名乗ってる場面を
古事記や日本書紀で読むとバカらしくなるレベルw 史記の記述が一から十まで史実だとは誰も思ってないが熊襲の定義も曖昧
少なくとも宮崎高千穂都城から大隅薩摩には9世紀まで
文化圏を別にした縄文人が記紀以後も生き残っていたことだ 北九州は紀元前4000年前から女性首長シャーマン社会
南九州は律令国家日本に編入されるまで男性社会 朝日遺跡は弥生時代中期末を境にして日本海側の特徴を持つ墓制に変わる
1世紀初頭辺りに日本海側の勢力が支配層として入れ替わったと思われる
本当に出雲辺りの人々を率いた勢力が東征したんじゃないか >>599
ところが、実際には、神代記から國造国譲りにかけて、
ほぼ考古学の発掘通りの事が書かれている事が実際には分かっている。 >>588
だろ、地元愛と妄想とファンタジー満載の自説を延々と披露しているだけだし
そもそも、どうとでも読み取れる文書で位置を特定するのは無理なんだよ
だから言ってる、邪馬台国がどこにあるかは分からないを結論にしようて 古代中国側の魏志倭人伝の記録によると
日本最高の軍事力を有した邪馬台国を宗主国とする
倭国連合国家群は文書類の伝達を行っていたと
記録されてるから文化不毛の古代日本列島で
邪馬台国はかなりの知的レベルを有していたと思われる 天皇記の欠史八代から神功皇后までの部分は、
神武→垂仁・景行の部族のパート
孝昭孝安孝霊崇神天皇など吉備の豪族のパート、
彦坐王の親族家臣のパートなど、
複数の部族の物語を1つに統合した物語と考えればいいだろう。 >>610
は?
後漢の頃は百国なのに、魏の頃には30に減って尚且南から責められてるのに?
軍事力の低下を卑弥呼という占いオババで代替えしたようなもんだ 考古学は文献にどう書かれているか考察しない学問とか言っときながら、
邪馬台国は大和とか言ってやがるクソ野郎ドモ。
皇国史観の否定という共産主義者達のイデオロギーによって、
日本の古代史の発展が歪められてしまっているのである。
邪馬台国は山門八女であり、
邪馬台国の卑弥呼は倭姫命であることを知らずに
死んでいく日本人が居るのが残念で仕方がない。 >>585
新羅の王族の名前って妙に琉球臭いんだよね
つまりは先日琉諸語と同じ系統だったんだろう
>>586
日本語でよろしく 空白な4世紀は中国が日本の記録を記していないだけで物証はある
3世紀末には奈良を中心とした後のヤマトが居て、4世紀に関東→東北岩手まで勢力を拡大
その岩手水沢には初期稲作渡来民の遠賀川系集落常磐遺跡がはるか前からあったわけだが
古墳時代の東北は渡来系古墳集団以外の定住の痕跡が見つかっていない >>610
文書でやりとりしてたとははっきりとは書かれてないよ
ただ一大率などは明らかに名称が漢系なんだよね 邪馬台国ってのは瀬戸内海に浮かぶ島だったんだよ
卑弥呼は宇宙人で島は御題な宇宙船
ある時母性に帰ったからいくら探してもないわけよ
LINEで卑弥呼からそう聞いたわ 分子生物学によるDNA解析が考古学の多くの定説を確定・否定したように
いずれAIが先日琉祖語を再構し日本語のルーツが確定するのではとにらんでる
それも割と近いかもしれない
長らく解き明かされなかった謎が明らかになる日がとても楽しみ ちなみに、当時の中国人は????と聞いて邪馬台国と字を与えた。
???と聞いて卑弥呼と字を与えた
とあるが、????と???はヤマタイコクとヒミコではない。
????は現代の中国語の発音では何と言ってるかは解らない。
中国でかつてあった上古音(秦周の中原の発音)である。
もちろん秦は滅亡しており、その正確な発音は解らない。
中国語の歴史音韻論は、すでに200年以上の研究があり、現代音(清朝中期以降の北方の発音)、中世音(元明の北方の発音)、中古音(隋唐の中原の発音)、上古音(秦周の中原の発音)が、各時代の韻書の記述や詩の押韻を調べることによって、かなり正確に復元されている。
上古音に関しては、チベット語など同系言語との比較言語学的方法によって、研究が進められつつあった矢先、習近平率いる中国共産党による、チベット・ウィグル弾圧により、その研究もストップしているらしい。
むしろ邪馬台国や卑弥呼が昔の中国では何と発音されていたのか、チベットのタイムリミットが迫る中、早急な研究再開が望まれる。 邪馬台国はヤマト王権の九州出先機関説が最近気に入ってる >>616
日本側の役職名(音)にそれっぽい字を充てただけ 魏志倭人伝の記述
四方に海あり→四方が海に囲まれている
東西五千里→西から東までの距離
山に丹あり→辰砂が採れる
牛馬なし→牛や馬がいない
金印をもらった→金印(未だ未発掘)
卑弥呼の塚は計百四歩→近くに墓あり >>402
方角(東南)、距離(1万2千里)、行程(水行10日陸行30日)、周囲(5千里)、出土(真珠と辰砂)、気候(温暖)、動物(牛馬不在)、植物(橘)、生活(刺青、女王)
全て合致する魏志倭人伝の邪馬台国は阿波のみ 徳島は『阿波風土記』によると、空から大きな山が阿波国に落ちてきた。その山が砕け散り大和国に落ちて、天香久山になったとされている。これは阿波で成立した国家が奈良に移動した事実を示している。
だが、阿波出身の国学者である池辺真榛は、延喜式の研究を行い、阿波国が日本のルーツだと確信したが、池辺は何故か阿波藩政を非議したという罪を被せられ、文久3年(1863)に身柄を拘束され、阿波藩邸に監禁され、不審な死を遂げた。
また、日本神話において、一番最初に生まれたのが阿波路島であり、その次に四国が産まれたと記載されているが、伊予が卑弥呼の後継者「いよ(壹與)」であると伝えられる。
魏志倭人伝には“柑橘類のある土地であった”とあるが、この条件は様々な種類の蜜柑が育つ柑橘王国である徳島を指し、さらに魏志倭人伝の記述によると、邪馬台国の山には丹があるとされている。
この丹とは水銀のことを指しており、徳島は日本最古であり最大の水銀の産地である。
つまり、邪馬台国の候補地には水銀丹(朱)の出る山がないといけないのだ。
水銀産出跡地に関しては、徳島以外でも三重や和歌山でも確認できる。だが、どれも小規模なものであり、鉱山と呼ぶには程遠い。
だが、我が徳島には、邪馬台国時代から続く水銀鉱山と呼ぶべき大きめの遺跡が阿南市にある。それが若杉山遺跡である。
また、魏志倭人伝には死者に丹を塗ると書かれており、まるで中国のおしろいを塗るのと同じと書かれている。
ちなみに死体に水銀を施すと死体はミイラ化する。
ミイラ化した死体は何千年と風化しなくなる。剣山から出てきた何故か日本政府に没収された100体のミイラと、その発掘に携わった横浜の海軍将校が不敬罪で投獄された件は、
冒頭の池辺が阿波藩政を非議したという罪を被せられ監禁され、不審な死を遂げた件と酷似している。
ちなみに、この遺跡の周辺には、ヒルコ神社が二十数箇所鎮座している。ヒルコ(蛭子)という異形の神が守護するこの遺跡に、まだミイラが眠っているとされるので早急に確保しDNA検査をすべき。 >>623
いや、一大率は明白に漢系であって当て字ではないよ >>619
むしろ、DNA解析によって、
因幡の白兎伝説が徐福伝説なことが確実な情勢で、
日本に稀にいるD1a1aが徐福の子孫であることが確実な情勢だ。 >>626
水銀はむしろ中国砂を使った朱塗りの墓のある北部九州や丹後が、
卑弥呼に贈られた丹砂を用いた朱で、
そこが邪馬台国とその後継国であることが確実な情勢だ。 >>628
加計学園の地下に埋め立てられた重要古墳とかな ID:wiRVkqLm0
息を吐くように嘘をつくのやめて貰っていいですか? >>628
そうまず初めて行った人は地形が異質なのに気づくだろう 一大卒は伊都国にあって、
邪馬台国の北部の国々を監視していたと書かれている。
監視の主要対象は伊都国の隣の奴国がメインで、
伊都国から奴国を監視できる場所といえば、
櫛田神社辺りがその候補地となるだろう。
そして一大卒の長官とは、御馬皇子の異名を持つ彌馬升こと大幡主命だろうな。 >>632
DNA解析によって判明した事実が無茶苦茶である根拠とはなんだ?? >>637
まず、D1a1aが徐福のハプロである論拠は? >>22
残念ながら、イスラエルの大使やラビがガチで徳島を調査、訪問にきている。何度か。採石場などを調査したらしい。採石場と言えば石工。石工と言えば、大工の一分野。イエスキリストは大工。青森のキリストの墓も知られていて、バカにはされておらず、一説の一つとして認知されて入る。 鳥取県周辺の弥生の遺跡から、
サメの線画を土器や武器に描く和邇族が居たことが判明しており、
またそれらの遺跡から、
凄惨な殺傷痕のある童子を中心にした老若男女の遺体が多数出土しており、
サメにいたぶられた白兎のような史実が、
実際にあった事とが分かっている。
で、その遺体のDNAを分析した所、
紀元前3~2世紀の斉国臨湽 から出土した斉国人のDNAと一致する事が判明し、
土井ヶ浜遺跡や青谷上寺地遺跡の殺傷痕のある童子が、
紀元前3~2世紀の斉国臨湽から渡来した部族であることが判明したのである。
で、紀元前3~2世紀の斉国臨湽から渡来した童子を中心にした老若男女とは、
紀元前219年と210年に斉国から3000人の童子と技能工百工を連れて日本に渡ってきたとされる徐福その人である。 江戸時代日本屈指の100万石大都会
金沢かて人口〜2万人位 邪馬壹国に至り戸数7万余りかて20万近い大都会?馬鹿過る いい加減な妄想で後世迷惑 紀元前の斉国とは、
チベット出身の周の貴族が、
山東半島周辺に建てた国であり、
斉国人のDNAはチベット族のD1a1aであることが分かっている。
コレが斉国の方士の徐福のハプログループであり、
日本で極稀に認められるD1a1aの遺伝子こそ、
徐福の子孫の遺伝子と言えるであろう。 結局渡来人は先ずは九州にやってきて次第に本州の支配者になろうとするが一線を越え逆鱗に触れると先住民を中心とした勢力に倒される
その繰り返しだったんじゃないかな
カグツチもヤマタノオロチも河童も
赤い服を着た河童の祭りが残る筑後川には
河童は大群で中国大陸からやってきたという伝承が残っている
卑弥呼の時代一世風靡した倭人も同じだろうな ちなみに天皇家のハプログループは縄文系のD1b1a2であり、
徐福が日本の天皇になったという説は完全否定することが出来る。 >>626
漫画家の蛭子の親は徳島の日和佐出身
日和佐は若杉山遺跡の真南
日和佐は漁業の町で恵比須様の地
蛭子は一説ではいざなみといざなぎの子
いざなみ神社があるのは全国で唯一徳島のみ
卑弥呼の次の王は男
その次が女王で名はイヨ
国生みの四国の名はイヨフタナノシマ >>646
多数の児童に凄惨な殺傷痕のある弥生の遺跡は、
山陰にしかない。
勿論、サメの線画を土器や武器に描く部族も山陰にしか存在しない。
サメを騙して渡ってきた童子を中心とする集団
=始皇帝を騙して日本に渡ってきた童子3000人を中心とする徐福。
コレがDNAの分析の結果確定したのである。 徐福が渡来した年は、
紀元前219年と210年であることが分かっており、
因幡の白兎伝説は、紀元前210年直後に起こったと断言できる。
徐福伝説と因幡の白兎伝説が、
2つ同時に解明された画期的なニュースであり、
二千数百年の謎が今、この私によって解き明かされたのである。 皆さん、因幡の白兎伝説が、
単なる日本昔話ではなくなってしまったのだよ。
徐福が紀元前210年に渡来した後、
和邇族にいたぶられちゃったんだへーって、
史実として認識することが出来るのだよ。 多摩を投馬にしてからのこじつけ計算的とんでも捏造やなあ ちなみに始皇帝が徐福に、
不老不死の薬の捜索の成果が一向に上がらない事を問いただした所、
徐福はサメが邪魔をして成果が上がらないと応え、
始皇帝は山東省周辺の海でサメ退治をしたという。
ドンピシャです。
恐らく、和邇族は山東省周辺の海賊だったのだろうな。 ということで、
因幡の白兎伝説は紀元前210年直後の話で、
その同時代に生きていたのが
大国主やスサノウや天照大御神で、
卑弥呼が天照大御神という説は、
完全否定されることになる。 邪馬台国などどうでもいいだろ 重要でも何でもない
ましてや徳島のユダヤとは何の関係も無い 伊勢、伊賀、紀伊、伊予、伊豆の伊の国てあまり語られないよね。吉備(備前、備中、備後)や越の国(越前、越中、越後)に比べて、濃の国(信濃、美濃)もあるんじゃないの? 白兎を祀る神社は氷ノ山の近くの八頭町に多い
氷ノ山は元は日枝の山と呼ばれていた
摂津に菟原ウナイの地がある
万葉集では菟名日と書かれている
摂津の住吉大社の神使は兎 紀伊は木の国から来てる。
コレは根の国(島根)に対応している。
伊は単なる音から来る当て字。 因幡伯耆周辺の遺跡からは、多数の傷ついた人骨が出土
渡来集団〜〇戮しまくった? 荒神谷の銅剣も捲土重来を期して
と埋め隠したとも云われるね 出雲は神代記では黄泉の国と描かれており、
死んだイザナミにはウジ虫が湧いていた。
大国主も何回か殺されている。 荒神谷遺跡からは北部九州型の銅剣と
初期の銅鐸が出土している事から、
吉野ケ里周辺から銅鐸と銅剣を携えた部族が出雲に進出した遺跡と言う事ができ、
吉野ケ里周辺から出雲に進出した部族=スサノウであることが決定しているのである。
スサノウは出雲に進出後、天叢雲剣を天照大御神に贈っている事から、
天叢雲剣は荒神谷遺跡の銅剣と一致するのは確実だろう。
それによって、スサノウが荒神谷遺跡の主であることも確定するだろう。 青谷上寺地遺跡は弥生時代末期で営みを終える
遺伝子が調査された4体の人骨の内2体はC1a1だった
沖縄から本州にかけて広く分布している日本人固有の遺伝子タイプで港川人もこのタイプじゃないかと言われている
鳥取には岩に置いてあった天女の羽衣を漁師が奪う羽衣伝説が残っている
海人が石神さまの姫を奪ったんじゃないか
青谷上寺地遺跡が営みを終えた理由かもな 後漢時代に朝貢した帥升(すいしょう)は素戔嗚である スサノウが吉野ケ里周辺から出自したことは、
私が最近、銅鐸と銅剣から割り出したことなのだが、
実際にスサノウが出自した吉野ケ里のそばにある櫛田宮に、
スサノウ伝説が伝わっているのが凄い事で、
二千数百年前からの伝承が伝わっているのだよ。
逆に言えば、二千数百年前から
スサノウ伝説が脈々と伝えられているのに、
吉野ケ里がスサノウの居た遺跡である事は
忘れ去られているのが面白い。 ユダヤの秘宝ワロタ イスラエルが黙ってないぞwww >>657
「美濃」は「三野」、「信濃」は「科野」で単に「野」という
一般名詞のついた地名らしいですね。
「伊豆」「伊予」はどちらも「湯(ゆ)」に関連していると
いう説がありますが、その「湯」が変化したものが「伊豆」は
「伊」で「伊予」は「予」と別になっているので、ちょっと
しっくりきませんね。
個人的には「伊豆」は「出雲」「和泉」と関係がある、という
説が気に入っています。 >>670
古い地名には「訓読み」の語源がある
その元となった言葉を探す旅をするといい
今の文字は好字令で置き換わったものだ >>480
捏造だろうがなんだろうが、記紀の神々が「阿波」の神々であり、
どの神様がどの神社で祀られようがどうでもよいことだ。 それが分からんお前は、石頭のアホ。 わははははは @阿波 >>1
猫耳マントの怪しいシルエットの人が気になった 四国は隠神刑部のアレでできてて
化かされてるだけ!とか暴論吐いてみる >>549
>蜂須賀氏は徳島に入国以来、産業政策として塩田に目をつけ、現在の鳴門市の撫養(むや)の海岸に、赤穂に次ぐ大塩田を開発しました。
神武東征に登場する製塩の神「塩土老翁」が言った「美し地」が、板野・鳴門地域である。
つまり神武東征は、海の無い山に閉ざされた寒村の奈良畿内とは無関係ということ。 @阿波 あと、景行天皇が美濃へ行幸して八坂入媛を娶るんだけど、
実はその「美濃」は「耳納」で、景行は九州の豪族だったのでは
ないか、という説もあったりする。 極一部の地元の町おこし的な風潮も否定出来ないが
そもそも肝心の一般徳島民はこう言うの嫌うし反応もしない
他県民よりも現行の権威や実利を重視する現実主義者ばかりなんでね
そういう県民性なんだよ
正直安易に邪馬台国に関連させるのはやめて欲しい
但し日本の空白の300年?は徳島が大いに関与してるのは間違いないだよ
日本神話がこの地で怖いくらいに合致する
知れば知るほどな >>587
それらは全部、倭人(阿波勢力)の進出痕跡。 と説明がつく。 @阿波 >>607
>朝日遺跡は弥生時代中期末を境にして日本海側の特徴を持つ墓制に変わる
いわゆる、東海忌部の痕跡だ。 @阿波 >>679
>正直安易に邪馬台国に関連させるのはやめて欲しい
>但し日本の空白の300年?は徳島が大いに関与してるのは間違いないだよ
葛藤しているな。 その必要はない。 「阿波」の真実は動かしようがない。 @阿波 >>567
「息長(しなが)鳥」の「息長」と言えば神功皇后を出した
「息長(おきなが)氏」が連想されますな。
「息長鳥」は「カイツブリ」のことで、琵琶湖にも多くいる
ことから現在の滋賀県の県鳥になっているようですが、滋賀
(近江)と言えば「息長氏」の勢力範囲であり、やはり
関係があるんですかね?
また「息長鳥」が「猪名」にかかるということですが、
「猪名部」は渡来系の技術集団だという伝承もあり、
やはり渡来系だと思われる息長氏との関連もありそう。 >>682
>でかい遺跡がない
「でかい」定義はなんだ? @阿波 >>645
論理の飛躍ですね、十分条件とは到底言えません
>>647
>ちなみに天皇家のハプログループは縄文系のD1b1a2であり
なんでそんな適当ぶっこくの?ソースは?
しょっぱいネトウヨサイトのリンクとかやめてね >>676
「塩土老翁神」は神武東征には出てこないぞ?
海幸彦・山幸彦神話に出てくる神で宮城県塩釜市に祀られてる
出典すらごちゃごちゃとか、全然的外れもいいところだ もっというと「阿波」「安房」の由来は「粟」だという説があるが
一方で「淡」の字が当てられている。さて「淡」と言えばすぐに
思い浮かぶのは「淡海(あふみ)」であり、もちろんこれは淡水湖を
意味するのだが、果たして近江の息長氏となんらかの関係があるのでは
ないか。
ちなみにこの「淡」のせいで犬上氏の氏神だった多賀神社がイザナギと
イザナミの神社になってしまったという笑えない話もある。 奈良のヤマト王権が外部から移入してきている
阿波は和歌山や大阪湾を見渡せるから海人族的に地政学的価値が高く橋頭堡として機能していただろう
後の初期ヤマト王権と同族の可能性は大きい
ヤマトモモソヒメの母親オオヤマトクニアレヒメこと絙某姉も阿波出身だからな >>687
>「塩土老翁神」は神武東征には出てこないぞ?
あほ? @阿波 >>685
おじいちゃん昨日も同じ流れで切れ散らかしてたでしょ
阿波には魏志倭人伝レベルの人口に準ずるような都市発展の形跡がない
それどころか、奈良時代になっても大して発展してない おい@阿波、せっかくあんたのホームグラウンドでみな真剣にやってるんだからもう少し言い方をやわらげなさい。
そうすればもっとみんな議論に乗ってくるよ。 魏志倭人伝に記載している事柄が今までに見つかった
弥生遺跡でどの程度の割合かを調べたら、吉野ケ里遺跡は
完全に満たしているが奈良の纏向遺跡は何ひとつ
満たしていない。現時点では邪馬台国は吉野ケ里しか
考えられん >>696
本人が頭おかしい妄想しかしないから、余計に阿波説を貶めてる存在なんだけどな >>701
そう
メンツなんてそもそもない
自分で破壊してんだからw w >>694
>阿波には魏志倭人伝レベルの人口に準ずるような都市発展の形跡がない
「阿波」ほど集落遺跡が集中して多いところはない。 @阿波 >>701-702
当該スレでは当該論説のメンツを立てる
それが出来ない余裕無いヤツと議論とか楽しく無さそうなんだよね >>697
>おい@阿波、せっかくあんたのホームグラウンドでみな真剣にやってるんだからもう少し言い方をやわらげなさい。
いやだね。 お前らトンデモを言う奴らには、これぐらいの言い方をしないと性根に入らないからな。 @阿波 >>701
そう
メンツなんてそもそもない
自分で破壊してんだからw w
. >>703
奈良時代とかだと、既に記録が文書化して残りだしてる
弘仁式出挙稲数で他の地域の1/10という体たらく
平安時代の和名類聚抄で郷数でも半減
阿波に発展という言葉はいつの時代にも当てはまらない 自分の意見に相手を同意させたい
という欲だけで自己主張すると不毛な議論になる、
又はそもそも議論にすらならない >>129
バカだなあ島津は秦氏で長州も朝鮮系なんよ >>712
毎度の流れではあるが、相手しなくてもいいよ ふと思ったが、阿波や出雲の地方の忌部(品部)は
渡来系だったんだろうな。渡来系は息長氏もそうだけど
大和から少し離れた場所に追いやられているわけだし。
忌部とは祭祀に使うものを徴収する(品部)のと同時に、
それぞれの地域の近くにある荒魂(穢)を祀る(監視する)ために
配置された渡来系の部族だったのではないか >>708
>阿波に発展という言葉はいつの時代にも当てはまらない
7世紀末までは、倭国(阿波)王権。 分かったか? わははははは @阿波 >>714
メンツの無いウソつき野郎に議論は不可能
. >>716
ボケ老人はネットなんか使わず、日記にでも書いてろ
7世紀にもなったら、じゃんじゃん木簡が残ってるからお前の寝言なんて誰も耳を貸さない 最後に「伯耆」の由来だが、アメノヒボコ(天日槍)という
新羅の王子がやってきて但馬に住み着いたという伝承が
残されていて、この「天日槍」をハレー彗星と連想して
ハレー彗星の周期で渡来時期との関連を言う説もあるのだ。
さて「ハレー彗星」といえば「箒星」、つまり「伯耆(ほうき)」
とは「箒(ほうき)」が由来なのである……
って説はもうすでにあるんだっけか? 「メンツの無いウソつき野郎に議論は不可能」
こう言う1 1=2みたいな恐ろしくあったり前なことを言われて困惑するわけだよお前ら猿はねw
そのぐらい筋金入りのウソつき野郎なのお前らは
. 「メンツの無いウソつき野郎に議論は不可能」
こう言う1+1=2みたいな恐ろしくあったり前なことを言われて困惑するわけだよお前ら猿はねw
そのぐらい筋金入りのウソつき野郎なのお前らは
. しかし卑弥呼の町ではみな顔体に入れ墨とか、その後そんな風習ゼロだけど、
何かなぞだよね。まあ文明開化でちょんまげお歯黒がなくなったレベルかもしれんけど、
顔の入れ墨文化の衰退が気になってます。時の政権が禁止したのか、外部からの移民の文化に飲み込まれたのか。 んでこれを国政でやるわけな
GNP誤魔化したり
シャッキンガーやったり
んで日本がダメになったわけな
. 猿はとにかく
言うことがことごとく全部自己紹介w
. 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
戦いの鉄の法則だわな
自己紹介やる猿ってのはこの真逆を行くヤツなわけね
だから百戦百敗する
んで「正義マンガー」とか言ってたりする
そんな感じw
. 自己紹介する猿は
敵のことが全然分かって無いし
自分のことも全然分かってない
何やっても勝ちが無くなるw
. 何が地雷だったんかな
「お前と話しても楽しくねえ」がキたんかな? ちなみにアメノヒボコは最初は淡路と播磨に居住を許されたが
自分で適地を探すと言って近江から若狭、最後は但馬(出石)の
付近に居住したらしい。
このアメノヒボコは近江の息長氏の祖先でもあり、さらに若狭
近くの敦賀には別の渡来人の「ツヌガアラシト」の伝承もあって
それぞれの渡来系の部族の説話となっているようなのだが、
そこに淡路が含まれているのが興味深い 邪馬台国論争ってね
本当面白いんだよ
人生の宝庫な
. >>722
もともと文身は南方の海洋民族の風習で、サメに襲われないためだとか
いろいろ説があるんだけど、結局は倭も農耕社会に変化していったために
古来の風習も廃れただけじゃないかな、と思ったり。 だって猿が1+1=2ってのをどんだけ必死にすっとぼけようとするか
それ観察してるだけでも日本って国が見えて来る
. >>718
>7世紀にもなったら、じゃんじゃん木簡が残ってるから
倭国(阿波)ではな。 わははははは @阿波 >>733
もっと単純に奈良の渡来系弥生人たちには刺青の風習がなかっただけかと
そして3世紀末~空白の4世紀にかけてそんな風習の人たちが日本列島全域を支配下に入れた >>736
>そして3世紀末~空白の4世紀にかけてそんな風習の人たちが日本列島全域を支配下に入れた
つまり、倭人(阿波勢力)の全国進出だ。 @阿波 .
あとね
時代が変わったことを受け入れような
下手すると命を失うことにすらなるよ
ワク馬鹿みたいにね
. >>722
推測でしかないけど中国のような大国ではやってないので倭国でもやめたんじゃないかな?
中国行ったらひとめでわかる田舎者とバレるし!(;^ω^)
土偶とかでは刺青してるから縄文時代からの風習なんだろうね
日本は他国に合わせるのも文化を吸収するのも得意だからじゃないかな? >>740
>中国行ったらひとめでわかる田舎者とバレるし!(;^ω^)
いや、中国には南の辺境の地からも使者が来ただろうから、田舎者の異文化には慣れているだろう。 @阿波 .
お前らな
オレのこの便所の落書きが
世界に影響してるんだよ
そんな時代が本当に来ちゃってるんだよ
. .
猿悪魔の糞寝言を聞くな
人間は結局正義が好きなんだ
正義を求めろ
. 複数の説あるけど関東や東北という説は出てないから西日本で繁栄したというのは間違いない感じではあるのかな? 邪馬台国は御井で確定してるよ
猿悪魔が糞寝言ほざいてるだけ >>307
その図を見れば揚子江のところから東アジア人が出てるだろw
ノイジーなやつがいるからぼかしてるだけで、その流域から中国内陸の南部のゲノムが古墳人と一致している。NHKの番組ではその一致プロット図が放映されてた。 .
邪馬台国は御井で確定してるよ
猿悪魔が糞寝言ほざいてるだけ
. >>735
大半は藤原京、飛鳥宮、飛鳥浄御原宮と言った奈良県の宮のあとから出土した全国から来た税の荷札だ
お前実は日本史には詳しくなくて、阿波のことしか知らないじゃね? 「息長鳥」で思い出したが、聖徳太子や推古天皇の陵のある
「磯長(しなが)」という地名は「砂が長く拡がる地域」という
説がある。
「息長鳥」の語源としては「息が長く続く(潜水をする)鳥」と
いう説があるけど、上の「磯長」という地域は石川という
古来からの川の近くで当然そこにはカイツブリも多くいて、
結局は「しなが鳥」は「砂が長く拡がる地域(つまり川)に
いる鳥」にその生態から「息長」の字が当てられたのでは
ないかとも思ったり。
で、息長氏も当然琵琶湖に注ぎ込む川の近くに住んでいた
はずで、それでこの名前になっているのではないかな、と。 >>749
それはイメージ図です
記事にも論文にも中国南部・揚子江付近から渡来したなどとは書いてません
てかそんなしょうもない冗談言ってないで真面目に議論して下さいよ .
邪馬台国は御井だよ
元々山門に居たわけだが卑弥呼が移動させたわけな
球磨国の脅威を地理的に薄めるのと御井が筑紫平野の軍事的要衝だから
祇園山古墳が卑弥呼の墓で
背後にある巨大な高良山神籠石遺跡が邪馬台国の遺構な
. >>755
だからおまえらのようなノイジーな奴らがいるからそういう表現にしているだけw あ、良いこと思いついた。
卑弥呼は倭国大乱の後、女王として担ぎ上げられたとしか
書いてないから、どこのあたり出身なのかはわからないわけだ。
ということは、卑弥呼が女王になってからは従わずに敵対した
とはいえ、卑弥呼が狗奴国の出身である可能性も考えられるわけで、
つまりは卑弥呼は現在の菊池市あたりにいて、本来は阿蘇山を祀る
「火神子」だったのではないかと。
で、それを藤原氏が記紀で神話を再構築する際に、太陽神と
しての「アマテラス」に置き換えた、というのはどうだろう? BSの偉人・敗北からの教訓では邪馬台国の場所は昔から特定されれてる
、
歴史で商売してる連中の情報商材になって、こいつらが金のために嘘をいいまくってる >>752
>大半は藤原京、飛鳥宮、飛鳥浄御原宮と言った奈良県の宮のあとから出土した全国から来た税の荷札だ
だからそれらは、遷都後の8世紀大和朝廷となってからの木簡だ。 @阿波 仮に「卑弥呼=火神子=アマテラス」だとすると、
菊池市の東に阿蘇山があるのと同様に伊勢神宮の東に朝熊山があり
伊勢神宮別宮の瀧原宮の東に浅間山があるのが腑に落ちる。 >>752
彼は地理もどうも苦手っぽいんだよね。そんなんで阿波を代表してるようなフリがよくできるなあ・・・。
まあ、大海を知らない蛙というんがまさにふさわしいのかも。 >>752
>大半は藤原京、飛鳥宮、飛鳥浄御原宮と言った奈良県の宮のあとから出土した全国から来た税の荷札だ
だからそれらは、遷都後の8世紀大和朝廷となってからの木簡だ。 @阿波 >>758
論文ちゃんと読んで下さい、ちゃんと北部黄河系統と書いてあります
てか記事のイメージ図がたまたま南部から移動したように見えたから
古墳人は南部からの入植!だなんて、ひょっとして本気で言ってるんですかね?
頭ダイジョブですか? >>762
お前マジで本気で言ってたのか
それなりの智者が集うこのスレでそのしょうもないウソ八百、マジで面白いな
その度胸に敬服するわ やたら倭人は江南出身ってことにしたがる人達がいるけど
もう無理だから諦めて欲しい
縄文時代より各時代を通して江南からばらばらと渡来はあっただろうが
弥生時代に大幅に縄文人と混血したのは北東アジア系の渡来人だし
古墳時代に大幅に弥生人と混血したのは東アジア全域からの渡来人でFA
これはもう数年内に教科書に載るレベルの話 さらに言うと神武=崇神は狗奴国の人で、本拠の菊池市
からは邪馬台国の領土である九州北部を避けるために、
阿蘇の南側(高森町)を抜けて、高千穂町から延岡まで
出て、そこから東征を始めたのではないだろうか。
それだとすると宮中に祀っていたのに祟ったアマテラス
(卑弥呼)を外へ出した理由も理解できるような気もする。 >>669
献上品の絹は倭国のどこでもいい
邪馬台国は方角、行程、距離、周囲、出土、気候、植物、動物、生活の全てが合致する阿波のみ >>768
DNA解析はノイジー朝鮮人より遥かに正確w >>41
畿内説か九州説しか推してないので関東説は却下! >>768
度胸とかまさに恫喝wノイジー朝鮮人丸出しw 邪馬台国は一大卒が置かれた伊都国の三雲・平原遺跡以上より
豪華な物が発掘されても良さそうだが、徳島からはショボい物
しか出ないだろ、女王国は傘下の国より経済的に劣るのとでも >>772
ちゃんとしっかりした「古墳人が南部から来た」という論拠出してもらえます?
なんでこんな論文見るだけですぐバレるウソついたんですか?>>291 >>293 >>766
藤原京って、まさにお前の言う7世紀後半からだが? 阿波は日本史については有名どころしか理解していないとはっきりわかった
飛鳥浄御原宮や藤原宮という、歴史を知ってる人間には割と常識的なレベルでも阿波は知らない
知らない上に阿波説の様なファンタジーを上書きされたから、ずっとトチ狂ってるんだろう
もう一度日本史を勉強し直したほうがいい 九州説と畿内説はもう捨てていい
卑弥呼の2世代後は壹與(イヨ)と言ってるのに、四国(伊予二名洲)を外してる研究者のアホさ加減よ
歴史的に女の名がいくつも付いてる島なんて四国以外にないだろ >>779
知らない訳では無いのよ、面倒なことに。
知った上で、朝鮮人の遺跡だと言い張る。
もう無茶苦茶なんですよ。 >>781
知ってるなら年代的に間違ったことは言わないと思うけどなぁ
それか嘘でミスリードするという、いつもすぐバレてフルボッコ食らう彼の悪い癖が出たのかな?
Talkでフルボッコ食らって涙目で逃げてきたのはもうバレてるのに 確かに、さっそうと入れ墨新調して大陸に行ったら会う人会う人ぎょっとして『なんなんこいつら?やべーやつかな』みたいな反応されて、とりあえず貢物のお返しだけしてはよ追い返せ、になったのかも。
んで帰ってきて、入れ墨やめようよ、都じゃ誰もやってないし恥ずかしかったよ、となったかも。
アイヌも入れ墨してるけど、シベリアの人がやってないならアイヌも卑弥呼たちも似た顔立ちで元は一緒の南海から来た人たちかな。
宇宙人みたいな土偶が青森ででたけどあれも派手な入れ墨だろうね。 >>783
日本人の南方起源説は完全に否定されている
縄文人も南方遺伝子(O1a・O1b2)とは全く別の系統
倭人の南方文化についてはO1b2が遼東半島に居た時代、
山東半島のO1b1から伝わった文化伝播という説がある >>783
確か倭の使者は帯方郡まで行って、そこから魏の役人といっしょに
都まで行ったと思われるので、「やべー奴」っていうのはそれほど
なかったんじゃないかな? >>782
学問では無くて宗教みたいなモノだから、
自分が信じたい事は無批判に受入れるけど、
耳が痛い話はシャットアウトして知らんぷり。
徳島の恥さらしなんですよ、困った事に。 あと、まあ木簡が多く出るようになったのは天武以降で、
天武の時代に大和朝廷が確立されたという説もあるので、
あながち間違いでもない 「こんなに面白い話はない」
日本全国にありますけど? >>775
卑弥呼は権力者達に祭り上げられた神輿だから普段の生活は質素なものだった可能性はある
民衆の前に姿を現すことはないと倭人伝に書いてあるしね
九州からは弥生時代の巫女と思われる骨が出土してるからその周辺に住んでたのかも >>1
🇳🇱ヨーステンの揚子江だーー
😂🙊🤣ゲラゲラ我们ウーマン >>784
🇭🇺まじゃーる??
インドの方の言葉?😂🙊🤣 >>791
🇭🇰香港?
海岸線にすら住んでねーんだよ!
😂🙊🤣 そこに答えがないことが分かっていれば永遠に研究できると勘違いしてる研究者が一定数いる
九州と畿内にいることは間違いない どう考えても邪馬台国は北九州のあたり以外ありえない
当時のボロい船じゃ半島から九州に渡るのがやっとだからな なんだユダ野郎達がまたファンタジーを歴史にすり替えようとしてるのか >>796-797
実は今中国が日本の歴史の根幹になるような土地の買収を始めてるって知ってた?
中でも古い天皇家にまつわる経済的に何の価値もない土地の買い上げまで進めている
要するに日本の精神のよりどころを確保してしまおうというわけ
対して米国がその精神的ダメージを無くそうと歴史すら変えようとしている一端がコレ
ユダが関わってる事で確信できたわ
要するに日本を舞台にした米中の机下の蹴りあいなんだよねこれ、日本もなんか言えばいいのにさ 魏の役人はびっくりしたかもですね。ただ倭人は半島南部にもいたらしいから、そこの人も入れ墨してたのかも。
あと、日本人は南海起源ではないとしても、四国とかで見つかった薄い石カミソリは南海起源と聞いたので、やはり
どっかの地域には南海起源の日本人祖先の骨があるかもと思う次第です。 >>1
絶対に認めないだろうけど
アヴァールと白村江で戦ったんだろ?
😂🙊🤣 >>1
いやいや、ハンガリーから中国の方まで
出土品似てるから。
一番高そうな出土品はハンガリー だから丸山遺跡や奥州藤原氏の文化でもわかる通り
東北は相当に栄えてたんやで
邪馬台国は八幡平にあったんや
八幡平はヤマタイとも読める
平をタイと読むのはここだけな >>803
で、ハンガリー→ウイグルの向きではなくて
古代中国にハンガリーいて、ウイグル→ハンガリー
の向きなのか? >>801
毛沢東は「異民族を屈服させるにはその背骨を折れ」と言ってたんだって
チベットでは仏教寺院、東トルキスタンではモスクをぶっ壊してたけど
日本の場合は皇室とその歴史そのものを潰すつもりだな? 確かに九州や奈良は
いくら掘っても証拠が何も出なかった
四国や岡山を有力地として
発掘するしかない 親魏倭王の金印が出土さえすればすべてが決まるんだろうけどねえ
やっぱり無理なのかねえ >>816
いやこれ事実を基にした話だよ
私個人はむしろ左派と勘違いされるくらい極右とは対立した思想を持ってる >>1
エルサレムじゃなくて敦煌じゃないの?
聖地ワラ 邪馬台国は、イスカンダルにあったのだろうさ。
だから地球表面を、長年にわたって、いくら探しても、
チートも見つからない。 >>798
そもそも方位磁針がないから見えない目的地には船を出せない、っていうね
当時他に島があった、とかでなければ狗奴韓国ー対馬ー壱岐島のルートはほぼ間違いない >>819
ユダヤじゃなくて
ウラル語系だろ
ハンガリーとかフィンランドとか >>815
後漢の金印が出てるから不可能ではないと思うよ?
魏志倭人伝通りなら、親魏倭王の金印以外にも可能性はある
難升米が貰った率善中郎将の銀印
牛利が貰った率善校尉の銀印
正始四年の伊聲耆、掖邪狗など総勢8人の使者が、率善中郎将の銀印を貰ってる
たった一つの金印探しだから厳しいと思うけど、邪馬台国の物的証拠という意味では
畑から拾ったという後漢の金印の11倍可能性は高い >>821
3世紀には指南魚ができてるから、持ってきていれば方角は簡単にわかる
持ってきてたかどうかは謎 剣山は九州四国で唯一最期の熊の生息地、
最期まで残った約20頭の熊が聖地を守り続けてきたんだろうな。
映画化決定 >>778
持統天皇―第一次藤原宮(麻植郡鴨島)
文武天皇―第二次藤原宮(奈良県橿原市) これが8世紀奈良遷都後の藤原京だ。 @阿波 >>1
Сунгариスンガリィーだろ?
無理矢理偉大な中国の王様(だったかも知れない)朝鮮の歴史ニダ!って改竄するから辻褄合わなくなるワラ >>827
寝言が言いたいだけならTalkに帰れよ?
あっちにスレ立てしたんじゃなかったのか? >>786
>耳が痛い話はシャットアウトして知らんぷり。
それがまさに、板野の「売郷奴」。 トンズラ詐欺師。 @阿波 王様だったかも知れないニダだろwwwww
純潔の支那人って生き残ってんのか?
ワラ >>787
>あと、まあ木簡が多く出るようになったのは天武以降で
6世紀から7世紀頃になって漢字を読み書きできるようになった倭国(阿波)王権の役人たち。 @阿波 3世紀の指南魚よりもはるか数千数万年まえに日本列島に来た(かもしれない)南方の人たちは、見たこともない、誰も行って帰ってきたこともないところへ命をかけた一か八かの航海に出るなんてしなかったと思う。
大陸を少しづつ何代もかけて移住しながら最後朝鮮半島から日本にたどり着いたんじゃないかと。だから南方のDNAが大陸の人にも残ってると思う。 >>833
>> 6世紀から7世紀頃
へー
日本最古の木簡は640年のものだ
つまり7世紀中頃のものが一番古い(現存する中で)
お前は日本の歴史を更に遡る貴重な史料を持ってると言いたいんか?
6世紀に漢字のやり取りがあった証拠となると、銘の入った鉄剣なんかが出てくる
当然阿波には存在しない >>835
台湾から沖縄への実験航海だと
きちんと海流に乗れれば寝てても自動的に流されてくるそうな >>835
島伝いに来たんじゃないかな?
南太平洋も海底図を見ると、飛島の痕跡があったりする >>827
その第一次藤原宮とやらの遺跡は見つかっているのですか?
ご教示下さい。 四国って言葉の由来は四つの国じゃなくて死国だからな、
平安京のころは流刑地になるくらい辺境の場所、
そんな忌み嫌われたところに邪馬台国があるわけない。 >>815
あれは仮綬されたものだから日本にはないよ
返却されてる >>835 >>837-838
既に南方遺伝子のO1aが台湾からポリネシアの方に広がったのが判明してる
台湾は沖縄とDNA的に隔絶してるしあんま日本関係ないんよ
O1b1(これも南方ハプロ)も日本ではあまり観測されないんで
倭人の南方文化は人流を伴わない文化伝播だよ 見えてる島には行ったでしょうね。んで操船を誤って流されて、漂流中に命落とした人もいれば何とか生きながらえて見たことない島や日本列島にたどり着いた人はいると思う。
そういう人たちが古代日本人を形成していったのでは?その後方位磁石が出てきて、ちょっと試しにこれ使って行ってみようかと言ってどんどんたどり着いたと。
でもハワイとかイースター島とかずいぶん無茶したなあと。 西暦57年に倭奴國が後漢に朝貢して金印を授かったことがわかってるので、それ以前に日本に漢字が伝わっていて、読み書きできる人がいたのは間違いない。
それは渡来人かその子孫ではあるが、現代日本人の遠い祖先でもあることも間違いない。 >>836
当然倭国(阿波)王権が下賜したものだ。 「阿波」以外に王権の痕跡遺跡はない。 @阿波 >>844
何故ない?
後漢の金印は出てるのに??
ベトナムでも西晋から印綬された晉帰義叟王とか出てるし、不可能という理由は? >>1
当時日本最大の製鉄所が淡路島にあったんだよな
鉄器なんて最先端の技術が淡路島にあったのはそれを賄える国力と中国との太いパイプがあってこそ
邪馬台国は阿波じゃなく淡路島なんだよ >>850
当時日本国内にあったのは鍛冶工房で、製鉄遺跡なんてないよ
鍛冶とは鉄を加工して道具に仕立てる事で
製鉄とはズバリ原料から鉄を作り出すこと
日本ではまだ弥生時代に鉄そのものは作り出されてなかった(痕跡がない) >>850
>当時日本最大の製鉄所が淡路島にあったんだよな
鉄器王国「阿波」本国には遠く及ばないがな。 @阿波 ヤマト王権の前時代に各地割拠時代みたいなものがあったと思うんだよ
四国はその中の一つ
各地域が個別の存在から海人族による交易によって同じ価値観を持って連携を深めていく過程
この交易によって高められた価値の源泉は北九州にあった
これが畿内に転換したのが2世紀半ば頃
なぜか?
それは任那が大和と連携したからに他ならないだろう
ツヌガアラシトと崇神、垂仁天皇の時代だ 親魏倭王の印は御井周辺のどこかだろな
卑弥呼の鏡が日田にあったみたいな
印も日田かねもしかしたら >>855
違う
その王権の痕跡ってのは何だと聞いている
そこに王権があったという根拠を聞いている >>845
基本的には同意なんだが
縄文時代やその前(2万年前、7千年前)あたりに下戸遺伝子が渡来してる
北回りで渡来したのか南回りで渡来したのかはわからないけども…… 日田を掘ったら金印が出て来て
「邪馬台国は日田だった!」パーが現れるとか
意外とアルアルじゃね? >>858
まぁ、飛鳥時代(7世紀中頃)の古代政務や律令制度の実態、官人層の生活等の様相だな。 @阿波 >>861
京城もないのに?
具体的に何があるから、そこに王権があったと言うんだ? >>861
藤原宮は鴨島と言いながら、王都の証拠が国府町とか、一貫性がなさ過ぎでしょう、
なんとかなりませんかね? >>862
>京城もないのに?
京城なんて文武天皇―第二次藤原宮(奈良県橿原市)からに決まっとろうが! @阿波 >>862
観音寺、敷地遺跡は、阿波国府関連の官衙遺跡とされております、
徳島市国府町に有ります、阿波国府は、吉野川の支流、鮎喰川の扇状地上の微高地に立地し、川の流れによって何箇所かに分かれていたようで、
木簡も古い流れの跡から見つかりました。 >>863
>藤原宮は鴨島と言いながら、王都の証拠が国府町とか、一貫性がなさ過ぎでしょう、
このアホも日本書紀バカと同じで、王宮と王都の違いが分からんボンクラ能無し。 @阿波 >>868
王宮と王都が別の場所に有る理由は何ですか?
住まいと仕事場が別としても、
鴨島と国府では距離が離れ過ぎでしょう。 九州か近畿か四国か…
これは日本の話なので関東土人には一切関係ありません >>869
>王宮と王都が別の場所に有る理由は何ですか?
大王それぞれの気まぐれじゃないかな? 自己主張の意味もあるだろうね。 @阿波 >>871
気まぐれで毎日通勤で往復20km歩くのか? >>869
>鴨島と国府では距離が離れ過ぎでしょう。
讃岐の津田(難波宮)に比べると近いもんだ。 @阿波 >>866
だから王権の痕跡の具体的な例を教えてくれ
例えば奈良の藤原京では荷札の木簡が全国から集まっており、徴税の痕跡と見て取れる
徴税権とは王権とその配下の証明でもある
そういう王権の具体的な根拠は何なんだ?と聞いている 文化の伝搬として、モノ(石斧、薄石かみそり)は持ってきた人がまた南へ船で帰ったのでしょうか?
移住したと思うんですが。 >>872
>気まぐれで毎日通勤
お前はほんとうに正真正銘のアホじゃのうww 大王がなんで通勤するんだ? そんなアホなことしか思いつかんのか、ドアホ! @阿波 >>876
大王の居ないところで政はできんだろ、
王が都にいないでどうするのやら? >>874
こういう、ぽっと出にいつも閉口する。
これが奈良大和へ避難疎開遷都する前の、倭国(阿波)王権のまさに王都遺跡の一部というものだ。
奈良大和へ遷都するまで、倭国(阿波)王権の政務を執り行った7世紀中頃の「観音寺・敷地遺跡」
今回、重要文化財に指定される徳島県観音寺・敷地遺跡出土品(922点)は、
平成9年度から平成20年度の環状道路建設に伴う発掘調査で、徳島市国府町観音寺・敷地で
主に流路跡(りゅうろあと)2条から出土した阿波国府に関する出土品です。
飛鳥時代から平安時代の資料が大半で、「観音寺(かんのんじ)・敷地(しきじ)木簡」として知られる
多数の木簡や墨書土器、役人の身分を表す腰帯具、文書行政に必要な銅印、硯など政務を表すものや、
斎串(いぐし)や人形(ひとがた)などの祭祀具(さいしぐ)具や農工具(のうこうぐ)・紡織具(ぼうしょくぐ)・建築部材などの
木製品、漆関連製品、武具(ぶぐ),瓦(かわら),楽器(がっき)など祭祀や生産・生活を表すものがあります。
また各時期の指標となる土器などを含めて,古代地方官庁の多様性を示すものが多数出土しています。
7世紀中頃の「論語(ろんご)」木簡は棒状の四面体のうちの一面に『論語』学而篇(がくじへん)第一(だいいち)の一節を記し,
我が国への論語の流入状況を示すものとしても貴重です。 また7世紀後半の「五十戸税(ごじゅうこぜい)」木簡や「板野国守」木簡は国府の成立段階の様相を示すほか、
8世紀の「勘籍(かんじゃく)」木簡は戸籍を検査し身分を確認する阿波国司と中央官庁との行政手続きを示しています。
また、木製祭祀具については、斎串や立体的な人形・刀形・舟形などは継続的に使用されますが、
7世紀末以降に扁平で板状の人形や刀形などが加わるなど、在地的な祭祀と律令的な祭祀が重層的に行われている様子がわかりました。
これらのことから、木簡をはじめとして指定品は古代地方官衙に関する諸要素が網羅されており、
政務や律令制度の実態、官人層の生活等を復元する上で重要です。
さらに出土品は7世紀から10世紀と連綿と認められることから,
律令制の浸透、経営の実態など、古代律令制化の歴史環境を具体的に解明する上で重要な歴史資料であり,
阿波国府成立過程や終焉を知る上でも,その学術的価値は高いものです。 @阿波
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/news/5024022/ >>878,879
長文でごまかそうとしても無意味だ
お前が王権の痕跡だと書いたんだから、その具体的な例ぐらいかけるだろ?
人が集まってたら好きに王権だとでも言うのか?
ちゃんと説明すらできないから、お前は色んな所で相手にされなくなってるって自覚ある? >>877
>大王の居ないところで政はできんだろ
アホのお前には、王宮政治が理解できんのか!
例えば戦前・戦中の御前会議で天皇が軍部へ出向いたと言うのか!
ほんま、アホの相手をするのは閉口する。 @阿波 >>879
阿波国府の成立過程と明記してあるのに、
どこから王都を読み取ったのよ?
なんか別の世界線の方ですか??? >>880
>人が集まってたら好きに王権だとでも言うのか?
ひがみを言う前に、「観音寺・敷地遺跡」に匹敵する遺跡を見つけてこい! ドアホ! @阿波 >>881
天皇陛下は帝都に居たでしょう?
帝都の中に王宮が有る、当たり前の事じゃ無いですか。 >>883
話をごまかして王権の説明から逃げたいんですね
さっさとTalkに帰れよ? >>882
>阿波国府の成立過程と明記してあるのに、
7世紀中頃の国府が在ったのjは、「阿波」だけってことだ。 わははははは @阿波 ん−、邪馬台国の場所探しより原日本人のふるさと探しのほうがロマンがあって面白い。
何里何日とか佐賀でも奈良でも徳島でもどこでもいいじゃん >>884
帝都は、倭国(阿波)だ。 その中に王宮がある。 当たり前の事だ。 わははははは @阿波 >>886
「成立過程」と有りますよ、過程とはまだ成立に至ってない無い途中の段階と言う意味です。
地理だけでは無く、日本語も苦手ですかね? >>888
アレ?
さっきと違う事書き込んでますよ、
大丈夫ですか? 稲荷山古墳の金錯銘鉄剣から、471年時点で斯鬼宮に雄略天皇がいた事は銘文として残っている
このバリアを妄想で打ち破ることはできない あれれー
@阿波が痛いとこ突かれて焦って誤魔化してますね
スレ終わるまでにもっと頑張れよ ま〜た第二アベ党大阪維新(なにわベクレ組)系(12/13親中派安倍二階(左翼:アベパヨ)の不始末を被った自民内閣不信任案に賛成) 迷言頂きました、苦し紛れとはいえ、
これは酷い。
>帝都は、倭国(阿波)だ。 その中に王宮がある。 普通に考えれば女王の国で女王がイヨと言ってる時点で四国が第一候補でしかるべきなのに、
ひたすら男が暴れてた歴史しかない九州と畿内がなぜか日本人を騙し続けてきた >>897
伊予の語源について調べてみたりした?
「いゆ」(湧き水)が転じて「いよ」らしいよ? >>889
>「成立過程」と有りますよ
成立過程が全国で「阿波」だけだとよ。 他所では影も形もないんだとよ。 わははははは @阿波 >>813
普通にその当時ユダヤ商人と交易していたのでしょ?
ユダ王国滅亡後、ユダヤ人(ヘブライ人)は世界各地に散っていったそうだし
後年キリスト教のネストリウス派も、東方へ布教しに行ってるから何ら不思議ではない >>890
>さっきと違う事書き込んでますよ
どう違うんだ? 説明もできんのか? 能無しよ。 @阿波 >>845
ハイヌウェレ型神話(女神が殺され、その死骸から主食となる作物が生える内容の食物起源神話。ハイヌウェレはインドネシアのセラム島に伝わる女神)の分布もヒントなのでは?
日本だと保食神やオオゲツヒメね >>892
「大和磯城宮」と書かれていないことがミソ
磯城は河内にもあるので、他の土地にあった可能性もある。
そもそも「タケル」は小碓尊がクマソタケルを謀殺した際に
名前を譲られて「ヤマトタケル」になったという伝承があり、
つまりは地方にも普通にあった名前だと考えることができ、
さらに「若宮」が「御子神」や「王子」を意味するように
「ワカタケル」も「若いタケル」という一般名詞であると
いう可能性もあるだろう。
もっとも普通に考えて「ワカタケル」が熊本から埼玉まで
広く権威付けられていた可能性も高いんだけど、それでも
確定した、とまでは言えないと思う。 >>902
そもそも、飛鳥時代にまだ日本列島に帝国は無いでしょ、
なので日本の何処にも「帝都」は無いです。
更にいうと、阿波国レベルの広大な範囲の都が存在した例も未だかつて有りません。
阿波国が帝都と言いながら、讃岐に宮が有るのも矛盾しています、
書き込みする前に、自分が書きたい内容に矛盾が無いか、点検してから書き込んでくださいね。 >>906
>そもそも、飛鳥時代にまだ日本列島に帝国は無いでしょ、
だったら、飛鳥時代にあったのは何だ? 能無しよ。 @阿波 >>900
>成立過程が全国で「阿波」だけだとよ。 他所では影も形もないんだとよ。
そんな事は誰も言っておりません、
他所では影も形もないという根拠をご教示下さい。 >>907
ご自分が書き込んでいたように、有ったのは、王都、王宮でないの? >>899
それちょっとググってみたんだけど、もともと記紀の国産み神話に
「伊予之二名島」という書き方があって、四国が「伊と予の二つの
名前を持っている」と解釈している人もいるらしい。まあ、それが
正しいかどうかは判断がつかないけど。
ちなみに別の話だけど、国産み神話の中にでてくる「大島」は
山口の周防大島(屋代島)がそうじゃないかと言われてるんだけど、
個人的にはあの辺りは島が山ほどあって特別周防大島が目立つわけじゃ
ないので疑問に思ってたんだよね。
それが「大島は島根半島のこと」という説を唱えている人がいて、
個人的にはその説のほうがしっくり来ました。 福岡県遠賀川河口域の山鹿貝塚で紀元前2000年前の埋葬人骨が20体以上出土しており、
緑色大珠を持った2号・3号・4号の女性人骨は呪術師兼女族長であったとしている。
サメの歯のイヤリング、翡翠勾玉、貝の腕輪十数個、垂れ飾り、足飾りを全身に付けていた。
縄文人の女性が装身具を多数身に着けて埋葬された事例は全国でも極めて少なく、縄文社会の構造について一考の余地を与えている。
https://i.imgur.com/3zq0XJZ.png
女性酋長シャーマンが多いのは北部九州の伝統 土蜘蛛の女性酋長一覧置いとくぞ
卑弥呼乱立祭りやで
https://i.imgur.com/sjwZIgD.png
田油津媛(タブラツヒメ)山門郡瀬高大草・神功紀 多くの民を従え、兄の夏羽が妹を補佐している。先代女王葛築目と同様にヤマトに帰順しなかった為に殺されてしまった。
宇津羅媛(ウヅラヒメ)山門郡長島宇津・景行紀
八女津媛(ヤメツヒメ)八女郡北矢部・景行紀
神夏磯媛(カムナツソヒメ)田川郡佐波・景行紀 景行天皇に見初められ帰順したため国を奪われた。二度と自分のような思いをさせない為に山口県に美女が産まれぬ呪いをかけた。
速津媛(ハヤツヒメ)海部郡宮浦・豊後国風土記
五馬媛(イツマヒメ)日田郡五馬・豊後国風土記
比佐津媛(ヒサツヒメ)日田郡會所・豊後国風土記
大山田女(オオヤマダメ)佐嘉郡川上・肥前国風土記
狭山田女(サヤマダメ)佐嘉郡川上・肥前国風土記
八十女(ヤソヲミナ)杵嶋郡嬢子・肥前国風土記 アマゾネス軍団
海松橿媛(ミルカシヒメ)松浦郡賀周里・肥前国風土記
速来津媛(ハヤキツヒメ)彼杵郡速来村・肥前国風土記
浮穴沫媛(ウキアワナヒメ)彼杵郡浮穴郷・肥前国風土記
その他の土蜘蛛
土折猪折(ツチオリ)田川郡緑野・景行紀
麻剥(アサハギ)田川郡高羽・景行紀
耳垂(ミミタリ)下毛郡御木・景行紀
鼻垂(ハナタリ)宇佐郡菟狭・景行紀
打猿(ウチサル)八田(ヤタ)国摩侶(クニマロ)直入郡禰疑野・豊後国風土記
青(アヲ)白(シロ)大野郡血田・豊後国風土記
小竹鹿奥(シノカオキ)小竹鹿臣(シノカオミ)大野郡網磯野・豊後国風土記
堡を築いた土蜘蛛 日田郡石井郷・豊後国風土記
堡を築いた土蜘蛛 小城郡・肥前国風土記
大身(オオミ)松浦郡大家郷・肥前国風土記
大耳(オホミミ)垂耳(タリミミ)松浦郡値嘉郷・肥前国風土記
大白(オホシロ)中白(ナカシロ)少白(ヲシロ)藤津郡能美郷・肥前国風土記
三種の玉を持つ土蜘蛛 彼杵郡速来村・肥前国風土記
欝比表麻呂(ウツヒオマロ)彼杵郡周賀郷・肥前国風土記 >>906
>阿波国が帝都と言いながら、讃岐に宮が有るのも矛盾しています、
前々から言っているように、「魏志倭人伝」時代の倭国は、「阿波」周辺の
せいぜい「邪馬臺国(粟国)」+「狗奴国(長国)」+讃岐+南部淡路島 程度だろう。
鳴門のすぐ隣の讃岐津田に宮があってもなんら不思議ではない。 @阿波 >>908
>他所では影も形もないという根拠をご教示下さい。
無いものは出せん! 他にあるのであれば、出してみよ! わははははは @阿波 そもそもそんな古代に日本に連合国家があったというのがウソくさいですね。
ヤマタイ国(ヤマト国)のことは中国人の創作である可能性が高いでしょう。
もし本当に日本にそのような高度な国家が存在していたら何らかの物証が残ってるはずがゼロですからね。
日本という国は中国や朝鮮などの先進国家から追い出された犯罪者などの流刑地だったのでしょう。
日本人の犯罪性を考えると可能性が高いですね。 南九州は一貫して男性社会
薩摩半島の成川遺跡(4世紀~8世紀末)では390体分に上る人骨が発見されているが、成人骨が多い・男性が多いという特徴がある。
装飾品は刀装具・刀子・やりがんななどがあり、蛇行剣・曲身剣が多く含まれるのは特異である。
人骨を調査した金関丈夫博士は「古墳時代でありながら、縄文時代人の様相に近い。北九州地方の渡来系弥生人とは非常に異なっている」
と述べているが、隼人を異人とした当時の記述と一致するものである。
南九州は、火山噴出物の厚く降り積もった土質で、水田に向いていなかったので、狩猟や漁撈と畑作を主な生業としていたと思われる。いわば自然の恵をもとめて、平穏に暮らしていたのである。
といっても既に、王子遺跡や釘田遺跡をはじめ、この地方の河川の流域等では、弥生時代から水稲耕作が行われていたことは明白で、狩猟や漁撈と畑作のみが行われていたということではない。
弥生後期200年の南九州の人口は六万五千人とされており、それは当時の日本列島の総人口六十万一千五百人の一〇%になり、全人口に占める割合は、他の時代と比べると驚く程高かった。
なお、当時の住居跡についての調査に依れば、その数からみて、南九州では古代の成立期から古墳前期にかけて人口は大幅に増加したものと考えられている。
第一章で述べた通り、四世紀以後にも地下に穴を掘って埋葬する地下式墳墓制度をとっていたことは、北九州地区や近畿地区と大いに異なっているが、これを単純に先進地帯の北九州・近畿より遅れていたとのみ評価してはならない。
いわば南九州の人々は当時の技術によってこの土質にふさわしい生活様式を生み出していたのであり、当時南九州の人々は、それなりに平穏な生活を満喫していたのである。
それ故に、人口も大幅に増加したのであった。(吉田町郷土史-鹿児島市) 空海の母親は古代ユダヤ人
その時の天皇桓武天皇がエルサレムを見立て千年の都京都を作ったという
いわゆる平安京だ >>906
>そもそも、飛鳥時代にまだ日本列島に帝国は無いでしょ、
だったら、飛鳥時代にあったのは何だ? 能無しよ。 @阿波 >>908
>他所では影も形もないという根拠をご教示下さい。
無いものは出せん! 他にあるのであれば、出してみよ! わははははは @阿波 桓武天皇は藤原氏の血を引いてて、藤原氏は古代ユダヤ人ソロモン王の出身でタルシン船に乗ってきて日本にやってきた
だから桓武天皇の儀式もユダヤ式になってるのである 結局、阿波は大和王権の郊外にある農工業地域の一つってだけなんだよ ちなみに日本刀ってたたら製鉄起源とされてるが、それは中東のタタール人が日本にやってきて製鉄技術を開拓したものだ
つまり、刀の由良は中東である >>906
>そもそも、飛鳥時代にまだ日本列島に帝国は無いでしょ、
だったら、飛鳥時代にあったのは何だ? 能無しよ。
さっそく、トンズラ! @阿波 @阿波とこのコスプレ野郎の所為でどんどん信憑性の無くなっていく徳島説 >>908
>他所では影も形もないという根拠をご教示下さい。
無いものは出せん! 他にあるのであれば、出してみよ!
さっそく、トンズラ! わははははは @阿波 >>925
何で同じスレに同じアンカー付けて同じ内容何度もコピペしてんの?
苦しくってスレ流し企んでんのか
@阿波には正直ガッカリだよ そもそも邪馬台国の記載と倭国全体の文物風俗の話を混同してる人が本当に多いよね
今でいうなら「邪馬台国=東京都」「倭国=日本全体」という記載になってる
日本に阿蘇山があるから東京は九州だとはならないでしょと言う話
記事の文物は倭国全体の物であって邪馬台国限定品じゃない
だから記載されてる物があるから邪馬台国だとか言う理論自体が最初から破綻してる >>912
こんなにいてもイヨもヒミコもいない奇跡
南至邪馬壹國。女王之所都、水行十日、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳?。可七萬餘戸。
南へ邪馬台国(邪馬壹国)に至る。女王によって都べられる所である。
水行十日・陸行一月。官に伊支馬(いきま)があり、次を弥馬升(みましょう)と言い、次を弥馬獲支(みまかくき)と言い、次を奴佳?(なかてい)と言う。七万余戸ばかりか。
弥馬升(みましょう)
美馬と言う地名が阿波にある 邪馬台国は知らんけど、高天ヶ原は朝鮮らしいよ
古代日本人は朝鮮からの渡来人を神様だと思ったんだって >>934
灌漑稲作に代わる雑穀栽培法や古墳の築造技術(葺石・竪穴式石室など)や副葬品(水銀朱・勾玉・鉄器など)を目の当たりにして、
関東の土民も、朝鮮半島の土民も、九州の土民も、畿内の土民も、出雲山陰の土民も、北陸の土民も、
「倭人(阿波勢力)」の超先進文化の移入を喜び受け入れ、尊敬し、「倭人(阿波勢力)」を王と仰いだことだろう。 @阿波 >>934
真面目な話をすると半島南部には日本の勢力が存在していたし、
日本国内にも半島からきた渡来系の豪族がいたわけで、記紀の
編纂時に各豪族の伝承や神話をまとめるさいに当然渡来系の
豪族の神話も入ってくるわけですよ >>936
出てきているのは、「阿波」のこと。 @阿波 >>911
これを見ると、邪馬台国は北九州にあったのだろうな
宇佐八幡宮もあるし、邪馬台国の後継国家が山門を名乗った可能性も・・・ >>934
スサノオノミコトは「高天の原を追放されて朝鮮半島に降り立ってそこを嫌って素通りしてる」
なんで高天の原から追放されて高天の原に来るんだという話だよ >>937
こんな情け無いしょうもないやっちゃで。
日本史板の数少ない稼働スレ
邪馬台国阿波説の捏造糾弾スレ!3’ 後藤田乱心
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1703345706
より
>>204
>飛鳥時代に「帝都」は無いでしょ。
>天皇陛下は帝都に居たでしょう?
とお前が言ったので、それに合わせただけのこと。 ほんと、つまらん揚げ足取りをする奴。 大嫌いだ。 @阿波 >>944
いや、まあ半島南部のある地域が高天が原だったとして、
そこから降りて(離れて)隣に行ったらそこも半島だったって
だけじゃないの? >>947
>邪馬台(やまと)国の卑弥呼から持統天皇までの王都は阿波であり
卑弥呼くらいは可能性があるから、ここまではいいとして・・・
>壬申の乱も阿波で起こった事であると
おいw
どんな電波集団なんだよwww 邪馬台国ってことにすれば町おこしってことで予算が出るんだろうな >>945
水行10日で佐田岬、佐田岬から中央構造線づたいに300キロ東に行くと阿波、1日10キロ歩いたとすれば陸行一カ月 >>951
>どんな電波集団なんだよwww
「阿波」の真実を知らないうちは、そんなものだ。 @阿波 >>950
?
九州の日向出発ではなかった?
で、瀬戸内海を東に紀州から畿内に入った話では?
その過程で四国が出ない理由が疑問に思った話で、阿波で戦闘はないよ? >>905
まあ言い出したらいくらでも別の土地に当てれるわな
邪馬台国と変わらんか >>955
まぁ、「阿波」の真実を知らないうちは、そんなものだ。
神武の時代にそんな大大遠征など出来るわけないから。
「神武東征」とは、
大陸・半島と頻繁に往来して、鉄器を自前で製作できる国々が居並ぶ「阿波」国内を、
神武天皇が統一するために奮闘した物語が、「神武東征」。
神武東征は、饒速日命や那賀須泥毘古が治める、敵領の吉野川北岸を、
西(阿波市)から東(鳴門市)へ40㎞をも苦労しながら平定していった征伐譚。 @阿波 神武東征に登場する製塩の神「塩土老翁」が言った「美し地」は、塩の作れない奈良畿内とは無縁である。
つまり神武東征は、海の無い山に閉ざされた寒村の奈良畿内とは無関係ということ。 @阿波 >>954
阿波はエンタメとして眺めてきたが
流石に嘘デタラメが過ぎる
論拠もなく反論は行き当たりばったり、マジでガッカリだぜ 仮説を立てるのは良いことだが
実証に向けた行動が伴わないと
陰謀論と同レベルに落ちてしまうよ >>957
神武の時代を何年と推定している?
西暦50年前後の説を支持したいのだが、もっと昔?
大遠征が難しいのが神武東征でも何十年を費やして畿内入りだから同意だが、殷墟から沖縄の貝(装飾品)が見つかっているから距離的に可能では?
仮に阿波内の話を大きくしたのが神武東征だとすると、それは大和大権の話で阿波が卑弥呼とは関係が薄い土地になるのでは? >>825
調べた限り指南魚が使われ出したのは11世紀頃となってるけど
3世紀にすでに使われてた、ってソースはある? >>957
僻地のたった40kmの遠足が日本史に残る訳ないだろw 神山から木屋平(高天原)を抜け、吉野川岩津を天磐船に乗って天降った神「饒速日命」の本拠地が阿波町長峰一帯。
塩土老翁が語ったと言う東方の美しい地は、大河「四国三郎吉野川」の北岸地域(板野・鳴門)だ。 @阿波 >>959
熊野の土豪・高倉下が一振の剣を神武天皇に奉ると、天皇は失神から目覚めた。
この熊野とは、阿波市土成町高尾字熊之庄の熊野権現(熊野神社)
「熊野神社」
神武東征(阿波市→鳴門市)に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社
https://sueyasumas.exblog.jp/9791934/
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波 >>961
仮説は全然いいんだ
ただ立てた仮説は、次に立証というステップを踏まないと腐っていくんだ ちなみに「神武の東征」の熊野から奈良まで、そのうち特に宇陀の
宇迦斯に入るあたりのルートをいろいろ考えてみると面白ぞ >>962
「卑弥呼」=「天照大御神」の5代孫として、西暦300年前後だろう。 @阿波 >>966
センセー、その熊野権現の由来は
>当社の氏子地区は南北朝時代には日置庄と呼ばれ、天授5年(1379)に
>後亀山天皇が御祈祷のため紀州の熊野新宮に寄進された。そのため、
>日置庄に熊野新宮を祀る社が散在していた
そうですう >>964
>僻地のたった40kmの遠足が日本史に残る訳ないだろw
と、現代人は安易に考える。
鉄器を自在に自作できる国々が倭国(阿波)内にゴロゴロ在るんだから
その倭国(阿波)を統一するのは、並大抵じゃないことに、ちっとは思いをはせるべき! @阿波 「神武天皇行軍ルート」
鮎喰川下流・気延の庄(出陣地)→15㎞鮎喰川上流・神山→15㎞木屋平→13㎞穴吹→5㎞岩津→27㎞板野→13㎞鳴門(東征地)
合計88㎞ 各地点間距離≒直線距離 @阿波。 >>966
地名は九州から東に勢力圏の拡大で移っているから、熊野という地名も阿波に有るのはわかる
その意見で考えると、九州→中四国→畿内に勢力圏が拡大でいいのでは?
東に海もあるし、邪馬台国九州説になるとしか
>>969
その年代だと、神武東征記述にある畿内の川を船で航行できない >>971
大陸や半島と自在に往来できている超阿波人(笑)が40kmの遠足に大困難かよ
言ってる事の整合性を取れよ、@阿波 >>973
>その年代だと、神武東征記述にある畿内の川を船で航行できない
?? 畿内は無関係なんだがww @阿波 >>949
スサノオノミコトの子供のイタケルノミコトは高天原から降りてきて「韓の地全部を無視して日本で種を植えてる」
種は持ち込みだから南も北もなく韓は全部高天原の外の土地だと分かる
また宗像三女神も高天原から降りて日本と韓へのルートを守れと指示を受けてる
別の土地であるという事がここからも分かる
そして南部の任那は朝貢をしてくる土地で神の故地として扱ってない >>974
>大陸や半島と自在に往来できている
九州など敵にすらならない。 「阿波」国内が大問題。 @阿波 >>978
大陸まで往来自在なのにちっせえ阿波国内の遠足が歴史的事件かよw
常識で考えろバカw
@阿波には心底ガッカリだわ >>955
宮崎平野部に4世紀から現れる西都原遺跡群は奈良から西への一方通行
ここで南方アジア日向神話と北方アジア天孫降臨神話を組み合わせた日本神話の原型が生まれた
西都原は立地的に黒潮ルート海の道で沖縄から出雲、紀伊半島、瀬戸内の内情に詳しい 柿沢未途逮捕…
ま〜た第二アベ党大阪維新[なにわベクレ組]系(12/13安倍二階(スパイ親中:アベパヨ)の不始末を被った自民内閣不信任案に賛成) >>982
テメエが消えろや糞つまんねえ妄言ばっか並べ立てやがって
古今東西、四国が倭の中心だった事なんかねえよ
後藤田と共に死んで詫びろ@阿波w とりあえずスパイ朝鮮人(反日主義者)アベ類が容認してきた、邪馬台国畿内(奈良)説、筑紫(福岡)説、どっちも嘘ということ >>986
「阿波」に怯える東遷・日本書紀バカ。 わははははは @阿波 >>975
いや、畿内を無視して神武東征の何を語るんだよ?w
神武東征に四国が出ないのは謎だが、阿波国内の話で終わらせるのは無理がある
第一証拠は?
地名から考えると、九州→中四国→畿内と勢力圏が拡大して畿内に本拠地を構えたとしか
>>983
>>985
なるほどです
神武東征そのものですな >>987
ただし、それで徳島説が本当かというと、う〜ん…徳山説のほうがまだ信憑性ありそうな気が(徳川説は大嘘で間違いないけど) >>989
>地名から考えると
その考えが間違い。
豊浦も飛鳥も纏向も磯城も大津も吉野も阿蘇も出雲も伊勢も日向も筑紫も吉備も、記紀以降の後付け地名。
記紀に固有の「国名」など有る訳がない。
「好字二字令」は元明天皇の御世、和銅6年(713年)5月に発せられた勅令である。
その後付け地名に踊らされている、三流学者や郷土史家ども。 わははははは @阿波 >>988
何がわははははだクソ虫が
もうムカついた
テメエ見るたびにぶちのめす事に決めたわ
阿波が倭国の中心?冗談も程々にしとけよコラ 直線距離で10kmちょっとの場所を攻略する為に、山の中をぐるっと迂回する理由が全くわからない。
東征と言いたいためのこじつけであろう。
>「神武天皇行軍ルート」
鮎喰川下流・気延の庄(出陣地)→15㎞鮎喰川上流・神山→15㎞木屋平→13㎞穴吹→5㎞岩津→27㎞板野→13㎞鳴門(東征地)
合計88㎞ 各地点間距離≒直線距離 >>993
「阿波」にいつもぶちのめされて、怯える東遷・日本書紀バカ。 わははははは @阿波 >>955
神武東征ってただの日向にいたヤマト勢力のクーデターだから四国は関係ない >>996
冗談おじさんとして見てただけだわ
ちょっとコイツは見逃せない
神武東征が阿波の遠足だ?
ギャグもいい加減にしろ >>991
例でいうと「ヤマ」なんて遥か昔から発音されていた
発音の当て字の話はしていない
まして713年どころか、それより500年以上は前の話
これは日本の学者だけではなく、中国や台湾の学者も言っている
知識があまり無いのだね このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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