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 古墳時代初頭に、国内最大級の貿易拠点だったとみられる西新町遺跡(福岡市早良区)を紹介する展示が、福岡県小郡市の九州歴史資料館で開かれている。
出土した土器からは朝鮮半島のほか、国内各地との活発な交流の様子が浮かび上がる。

西新町遺跡は3世紀末から4世紀にかけて、国内で製造できなかった鉄素材を朝鮮半島から輸入する拠点として栄えた。
同館では2022年度から3か年計画で同遺跡の出土品の再整理を行っており、会場では約70点を展示し、成果の一部を披露している。

西新町で焼かれていた土器には九州のほかに畿内や山陰、瀬戸内海沿岸など国内各地の特徴を持ったものが多く見つかっている。
特にヤマト王権のあった畿内や、輸出品だった装飾品の材料である 碧玉へきぎょく を産出した山陰のものが多く、同館の坂元雄紀技術主査は
「交易に関係したこれらの土地からは、人々が移り住んだり、定期的に情報を交換したりして活発な交流があったことが読み取れる」と話す。

底にいくつも穴が開いた 甑こしき は、穀物を蒸すための土器。
当時の日本列島では見られないものだが、同遺跡では朝鮮半島産の甑のほか、これをまねて西新町で作った甑も見つかっている。
また、遺跡では甑を使うための粘土で作ったカマドの遺構も確認された。
カマドは国内では5世紀になってから広く普及したが、先駆けて滞在した朝鮮半島の人々から食文化や調理手法ももたらされていたことがわかる。

坂元技術主査は「遺跡には、農工具などの材料として重要だった鉄に加え、最先端の技術や文化を求めて、国内各地から人々が集まっていたのではないか」としている。
3月17日まで。