https://president.jp/articles/-/79803
 厚生労働省は2月「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」を発表した。文筆家の御田寺圭さんは「喫煙や飲酒など、
『健康には悪いけれど、たのしいもの』を排除していく社会の流れがある。この流れが加速すれば、排除の対象は広がっていくだろう」という――。

■「健康を維持すること」がモラルになりつつある
コロナのパンデミックが収束したあと、
「健康を維持すること」はいずれ個人の努力目標ではなくなり、全社会的にすべからく達成すべき「モラル」に格上げされる。
健康を害するかもしれないが個人的には楽しいものを享受する自由は、社会のインフラや秩序の維持を優先するという論理のもとで、じわじわと規制されていくようになる。
タバコ、アルコール、肉食、カフェイン、あらゆる嗜好しこう品はその「有害性」によって、個人がそれを楽しむ余地は失われていくことになる――。
私はこれまで、こうした近未来の展望を2020年からいくつものメディアで発表してきた。そのメディアのなかには本サイトプレジデントオンライン(※)も含まれている。

私がウィズ・コロナの時期に危惧していたとおり、やはり世の中はそのような方向に向かって着実に前進しているように見える。
というのも、厚生労働省が2023年11月にはじめて、飲酒についての具体的な数値を含んだガイドライン案を示したからだ。
※略

■国が「生活態度」や「価値観」に踏み込むように
国民の飲酒習慣について言及したガイドラインができたこと自体が初であったことはもちろんだが、それ以上に大きなインパクトを感じたのは
「飲酒をできるかぎり少なくすることが重要である」と、社会生活における個々人の価値判断に踏み込んだこれまでにないステートメントを出したことだ。
コロナというパンデミックを経験した社会は、個々人の健康がそのまま医療リソースや社会運営のリスクファクターとして繋がっていることを理解した。
この3年間に蓄積された経験によって、国は人びとの「生活態度」や「価値観」に対して踏み込むことをコロナ前ほど恐れなくなった。
言ってしまえば、国民生活の価値基準や行動規範に介入するような言動をとっても、国民からはさほど反発を受けず、
むしろ共感されるはずだという確信を持つようになったと記述してもよいだろう。
※略

■私たちがコロナで失った「目には見えない重大な代償」
私たちは「ウィズ・コロナ」と呼ばれた3年間によって、さまざまな犠牲を払った。
※略
だが、私たちはもうひとつ、目には見えない重大な代償を支払った。
すなわち「身体や健康にはわるいけど、個人としてはたのしくて快いもの」――を、心の底から楽しむことができなくなってしまったことだ。
哀しいことに、その「身体や健康にはわるいけど、個人としてはたのしくて快いもの」は、
私たちの暮らしや人生に彩りを与えてくれるものの大半が多かれ少なかれ該当していた。

私たちは「倫理的でも健康的でも道徳的でもないが(個人の自由によって擁護されている)楽しいこと」に対して、
自分がそれを享受してもかつてほど純粋に「楽しい」とは思えなくなった。むしろ「社会や他者に迷惑をかけている」という“後ろめたさ”が脳裏をよぎるようになってしまった。
また他人がそうした事柄を楽しんでいる様子を見ると「こっちは社会や他人のために協力しているのに何も考えずに“タダ乗り”しやがって」という怒りに似た暗い感情が湧くようになってしまった。

■「自分には関係ないから、ご自由にどうぞ」ではなくなった
「不健康だけど、不必要だけど、たのしいこと」を楽しんでいる者は、「まあ自分には関係ないから、ご自由にどうぞ」ではなく
「社会全体に害悪をまき散らす者」として見なされるようになった。
元からタバコや飲酒に悪感情を持っていた人は少なくなかったが、だからといって積極的に糾弾するわけにもいかなかった。
しかし今後は違う。「公共・秩序に背く社会の敵(ただしくない側)」という大義名分が付与される。

タバコ呑みが吐き出す煙にも酒飲みの繰り出す騒音にもフラストレーションを溜め、さんざん迷惑をかけられてきたと考える人からすれば
「ようやくアイツらにただしく社会的制裁が下される日が来たか!」と快哉かいさいを叫ぶことになる。
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