【第2代天皇】綏靖天皇陵を研究者に初公開(ちょっぴり)
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綏靖天皇陵を研究者に初公開
http://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/2056219081.html
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を
日本書紀などに登場する第2代天皇の「綏靖天皇(すいぜい)」が埋葬された陵墓として
宮内庁が管理している橿原市の古墳が、23日、研究者に初めて公開されました。
公開されたのは、橿原市の「四条塚山古墳」で、宮内庁が、日本書紀などに登場する
第2代天皇の「綏靖天皇」が埋葬された陵墓として管理しています。
直径約30メートルの円墳とされていますが、天皇や皇族を埋葬した陵墓は、
一般の立ち入りが制限され、これまで、本格的な発掘調査などは行われていません。
宮内庁は、考古学や歴史学の研究者の団体からの要望に応じて23日、初めて公開し、
日本考古学協会の会員など16人の研究者が宮内庁の職員に案内されて敷地に入りました。
研究者たちは、約1時間に渡って周囲を回り、状態を観察したり写真に収めたりしていました。
日本考古学協会の杉井健理事は、
「時代を特定できるものは見つからなかったが、立ち入って見たところ、
円墳ではないかと感じた。貴重な機会だった」
と述べて、陵墓の公開の重要性を強調していました。
02/24 13:52 イスラエルはずっと悲惨な目にあってたからな
真っ当な国だったのはダビデとソロモン、下ってヘロデあたりくらい
後はバビロン虜囚だのディアスポラだのなんだので悲惨
ケンシロウが来る前の一般の村みたいな状態
だから救世主を待ち望むようになった >>250
モーゼの後にヨシュアとかが村を率いたが
イスラエルの民は旧約聖書の神の言うことを無視して
バビロン捕囚や失われた10部族を生み出した 記紀には応神が生まれて、スクナヒコナが喜ぶとあるのは意味深。
神道は本来一神教らしい、籠神社の宮司の話かな。
籠神社や出雲大神宮には隠してある主祭神があるらしい。戦後二つの神社の宮司の対談でそんなことを話していた記録を読んだことがある。
クナトの神だと言われている。
クナで繋がって来るんだよね。 サルタヒコも興味深い。
オオナムチ以前に出雲地方で信仰されていたのは、
出雲族の姫神幸神、東から来て文物をもたらしたクナトの神。そしてその子サルタヒコ。 大陸王朝からしたら日本の話に信憑性は無いし真実を言おうとしないと唐書に書いてあるからやっぱ邪馬台倭国から続く正当な血統では無いのは歴然だよな 考古学者の妄想より
天皇家の遺伝子が日本の歴史の証なんだよ
二代天皇の遺伝子とか 二代天皇の遺伝子がわかれば
日本な歴史の始まりもわかるんだよ
まあ、中には入れないけどな >>70
今85歳くらいより上の世代なら、誰 で も そらんじて言えるのになw まったくの空想ってわけじゃない
政に関わる人間は神話に出てくる神々の子孫なわけだし、天皇だってモデルが存在するはず >>260
やっぱり尋常小学校辺りから洗脳されると死んでも解けない見たい
https://www.youtube.com/watch?v=h9x2n5CKhn8
南北朝鮮の歴史教育を見れば一目瞭然 東征したものの返り討ちにあって2代で終わった
という説もあるからな
ナガスネヒコの話自体は複数残っているし
2代目まではとりあえずどこかの時代には
いたんだろうなと思う >>252
征伐した相手の祟りを恐れて祀る神もあるから 神武と崇神が同一人物という事になると、綏靖と垂仁も同一人物という事になるけど
この二人のエピソードはあまりにも異なってるのはそういう人たちはどう説明してるの? 天皇も所詮、元はどこかの豪族でしょ
人間が人間を崇めるって下らないわ
冗談でも皮肉でもなくて、どんな人間より日々人間のために犠牲になってる豚とか牛の方が崇高な存在 天皇陵をちゃんと発掘調査すれば金印はともかく幢くらいは出てくるんじゃね 人間食ってた天皇だしな。
神に生贄捧げる習慣はこの当時普通だったんだろ >>215
寿命が長いのはニビル人だからだぞ
ソースはトカナ >>267
出雲あたりに上陸した朝鮮半島からの渡来人でしょ
武器が発達していたし、気性も荒いから、
出雲土着のおとなしい農耕民族はあっと言う間に殲滅
日本書紀は朝鮮暴力団が天皇ってのはマズイので
物語作家に書かせた天皇マンセー神話 >>274
出雲はむしろ縄文人に近いという研究結果が最近出てたが、まぁ有力豪族だったことには違いない >>6>>7
「円墳だと感じた」がおかしいわけではない
綏靖天皇陵は「円墳か前方後円墳か」というような争いではなく
「古墳か、ただの丘か」が争点だから
この丘が綏靖天皇の陵と決められたのも明治維新の後だし
>>218
その卑弥呼や台与が記紀には登場しないんだが?
>>225
書いてあるってだけで事実になるなら
綏靖天皇が人間を一日七人食ってたという話も事実になっちゃう
>>229
特段の根拠もなく空想で埋め合わせても仕方ないよ
小説ならアリだが
>>236
王名表だって大洪水以前まで実在を前提としているわけではない
天皇家だって、考古学で実在が証明されたのは21代雄略からだが
一応十代から「いたかも」という扱いになってはいる(成務、仲哀は除く)
>>249
14代仲哀天皇は「父の死から36年後に生まれた」時点で結構ヤバい
>>266
> 神武と崇神が同一人物という事になると、綏靖と垂仁も同一人物という事になる
悪いが意味がわからん。綏靖はいなかった、垂仁はいたかも…というだけでは? >>274>>276
出雲と新羅が手を組んだという話が
飛騨や九州には残っているね
出雲自体の伝承でもスサノオも大国主も
新羅に行っているので、少なくとも関係は
深かっただろう 出雲は、神功皇后〜仁徳に敗れて、大和朝廷の王の座から引きずり落とされたんだろう。
挽回を狙って新羅と手を組んだのかもね。 出雲氏は、三輪氏とか尾張氏とか葛城氏とか有力な畿内の豪族から王位を奪えなかっただけ
奪ったのが阿毎(あま)氏か、つまり天皇 記紀自体が、それより千年も前の話の言い伝えをまとめたものなんだから
真実なんてわかるはずがないわな。 官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮。
伊支馬は生駒。生馬。火の神。
弥馬升は三見宿禰、出雲大臣の子。
弥馬獲支はミミ鷲、日鷲。
奴佳鞮は中臣。
出雲地方には生馬神が祀られているんだな。
生馬神社境内には「牛荒神の大木」と呼ばれる木があり木に藁が巻き付けられている。
出雲風土記かな、生馬神の子は、もう荒ぶらないと言ったとか。
ヤマトの地名と出雲の集落名、共通点が多い。
どう見ても、初期の大和朝廷の中心は出雲。 男王、つまり南九州の阿毎(あま)氏がしばらく王位についたが、
内乱となって畿内の海部(あま)氏の女王がついたら途端に収まったという、しかも2度も
これだけで東征は事実だと分かる 明治に適当に決めた墓だろ
もしかしたら神武天皇陵になってたかもしれないところだ タイムマシン(せめてタイムテレビ)が開発され、
「実は邪馬台国はヤマトと一緒でした。現在の皇室の祖先です」とか「旧約聖書の舞台はサウジアラビアのアシール地方でした」とか証明されたら、
とんでもないことにあんるんだろうな 居たか居ないかってのは判らんだろな
ローマ初期の七人の王みたいなもんだろ
ただ、古墳はあっちこっちにあるから
偉い何者かが居たのだけは間違いないんだろうけど 魏志倭人伝を見ると邪馬台国や投馬国の官はミミだらけ。
中大兄皇子の歌
「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」
原文「高山波雲根火雄男志等耳梨與相諍競伎神代従如此尓有良之古昔母然尓有許曽虚蝉毛嬬乎相挌良思吉」
古代からミミ(族)とミミ無し(族)の争いが延々繰り返されて来たんだろう。 大阪を征伐した奈良大和朝廷のミミは、仁徳天皇の時代に逆にモズにやっつけられて、早贄の状態にされたんだろう。 >>282
それよりも古い、国記と天皇記は焚書されちゃったしね 記紀自体勝者側の既成事実として政治利用する為のバイアスがかけられてるもんだし、そんな物編簿すること自体が欠史時代混沌とした権力闘争が続いたと証明してる様なもんだし。
その辺りは唐に見透かされてた気はする。 富家の伝承によると、北九州も大和も出雲の分家
国譲りにより出雲以外は天孫族に譲られたが
崇神により出雲も取り上げられた
飛騨は出雲も大和も豊国も飛騨の分家だという
そして豊国は自分たちは70代以上続いた
独立した王朝だという
古代日本では九州、出雲、大和、飛騨が和合したり
反発したりしていたのだろう >>289
でも記紀には、古墳を作ったという記載はほんの少しなんだよな。あれだけの大事業なのに。 >>215
うろ覚えですまんが、昔の中国じゃ墓を作り終わって埋葬するまでが統治者の年代じゃなかったっけ?
古代日本もそれにならってたかもしれんぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています