【歴史】龍馬と亀山社中、関係薄い? 船中八策は虚構の可能性★3
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https://www.asahicom.jp/articles/images/c_AS20180224001143_comm.jpg
幕末の志士・坂本龍馬が創設した、日本初の商社兼私設海軍といえば「海援隊」。前身の「亀山社中」は、長州藩と薩摩藩を結びつける役割を果たしたといわれる。だが、最近の研究で、龍馬との関わりは薄かった可能性が高くなっている。
私たちの知る「亀山社中」と、後身とされる「海援隊」の設立経緯は以下のようだ。
神戸にあった幕府の海軍操練所が閉鎖されると、土佐浪士だった坂本龍馬は慶応元(1865)年夏、長崎に日本初の商社兼私設海軍「亀山社中」を設立する。
同年7〜10月には、長州藩のために、武器や軍艦(ユニオン号)などの兵器を薩摩藩名義で購入。当時、険悪だった両藩の関係の修復を試みた。
慶応2年1月には、社中の一員だった近藤長次郎が盟約に反した罪で切腹するものの、同年6月の第2次幕長戦争では、ユニオン号で海戦に参加。その志は慶応3年に設立された商社兼私設海軍「海援隊」に受け継がれたとされる。
■私設海軍の見方「事実誤認」
だが、専門家からは、こうした通説は再検討すべきとの指摘が出ている。
明治維新史学会理事を務める、神田外語大学准教授の町田明広さん(幕末維新史)によると、亀山社中の「社中」は「グループ」という程度の意味。「薩摩藩名義で買い上げた軍艦を、薩摩の指示のもとで運航していた土佐の脱藩浪人の集団というのが実態。私設海軍や商社などとするのは事実誤認」
坂本龍馬との関係も希薄とみる… 残り:1537文字/全文:2121文字
2018年2月26日09時08分
朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASL2P4SDXL2PULZU00K.html?iref=sptop_8_06
★1が立った時間 2018/02/26(月) 12:27:15.54
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1519625800/ 歴史家っていうのはこの程度の知識しかないのが
最近の常識だよねw >>1
■ASD(自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群)
いわゆる空気を読むや相手の気持ちを読むことが苦手な「社会性」、相手の発言を即時に正しく理解したり、自分の思いを細かくわかりやすく伝えることが難しい「コミュニケーション面」、
そして次に起こる出来事を想像することが苦手で自分の安心したルール・環境に過度に固執しやすい「想像・こだわり」といった特徴があります。
また
「積極奇異型」
「受動型」
「孤立型」
という3つの型で分類することも支援の現場では一般的です。
全く違うように見えますが、他人や多人数のグループに上手に関われないので、
・自分のペースを押し付けるのが「積極奇異」、
・同じ理由で上手に関われないので自分を消してしまう「受動型」、
・そしてそもそも上手に関われないことを何とも思わない「孤立型」
と、現象や根っこの特性・障害は共通しています。
【 なお ”自閉症” と言っても自分から閉じこもる病ではありません。】
【 医学的に言われる ”自閉” とは ”自分目線” ということです。】
■ASD:自閉スペクトラム症
コミュニケーションや対人関係、想像力のかたより。パターン化した興味や活動など。
●空気を読むことが苦手、言葉の比喩や裏の意味がわからない。
●人との距離感が独特で、一方的だったり、拒絶的だったりする。
●好きなテーマを語りだすと止まらない、人の話を聞くのが苦手。
●過去のことはよく覚えているが、未来を想像し予定を立てるのが苦手。
●時に過去の嫌な出来事がフラッシュバックして情緒不安定になる。
●視覚、聴覚などの感覚が過敏。
●同時に複数のことを処理することが苦手。
●他者視点に立って考えることが苦手。
こだわりや限定した社会性は仕事などでプラスに働くこともありますが、コミュニケーション面の苦手さはどの職場・環境でも不利に働くことが多いのは確かです。
他の発達障害と同じく生まれてから死ぬまで基礎的な特徴は続きます。
自閉症スペクトラム・アスペルガー症候群は知的には通常である人が多く、中には一部のIQが120を超えるような人も珍しくはありません。
勉強ができることから学校社会に適応して、大人になるまでは気づかれない場合も目立ちます。
ただし大学や就活、職場というコミュニケーションが複雑に迅速に求められる場で苦手感が強くなることが一般的です。
rgcd 龍馬好きだったから2ちゃんねる(当時)で褒め称えていたら
イギリスのスパイもどきの武器商人って言われてすごく悲しかった。・゜・(ノД`)・゜・。 >近藤長次郎が盟約に反した罪で切腹
何があったか知らないけど草創期からのメンバーを
軽々に粛清しちゃう組織ってのはね、やっぱり評価に値しないと思うよ
可哀想だよな、饅頭屋
ついでに同じような理由で内部粛清ばっかやってた
血で酔っぱらった新選組も
これまたまったくろくなものと思わないし、
尊攘運動の総本山の雄藩でありながら内部抗争のやりすぎで藩内人材が払底し
維新政府にろくにコミットできなかった水戸藩も、やはりしょうもないと思う。 あんまりガチで突っ込むといよいよ教科書にのらなくなってまた武田鉄矢とかがキレちゃいそうだなw
実際何してたかかなり謎なんだよねそして謎な部分あるから小説やマンガで都合の良い解釈や行動させやすい 韓国の英雄をどうしても創出することができないか、日本の英雄を減らしていくことにしたにだ。
朝日新聞 中韓の歴史は史実、日本史は虚構って言い張る声が大きくなってるのを
キンペーやエリンギがニヤニヤしながら見てる まあどちらにしても5ちゃんの書き込みなんぞ真に受けんわ
お前らの意見って結局好き嫌いで分かれるだけだしな 武田鉄矢が亀山社中を設立したとしても問題ない
所詮どうでもいい話だわ 暗殺されて何も成し遂げられなかったカス
たらればを言えば誰でも大物になれるよ 薩摩藩と越中富山売薬行商が組んで
北前船や中国大陸を組み込んでやった
超高価な昆布や貴重な高価な漢方薬を輸出入貿易を
真似しただけだろうな坂本と想定した亀山社中は >>4
明治維新はフランスとイギリスの代理戦争やな >>4
どっかの老害が史実に反する小説を書いたおかげで、デマが史実と思ってるのが多いよね。 新政府綱領八策は確かに当時のものなんだから、
その前後で似たようなことを船の中で話し合ったりしたことはあったんだろ。 >>16
だってみんなつまらないホントより面白くてもっともらしい嘘の方が好きだから あの福岡の人のせいで竜馬が博多弁で話してたような気がしてくる。 亀山社中と聞いて、さだまさしの以前のバックバンドがそんな名前だったなと思い出したまっさんファンが横切りますよっとw 根本的に土佐は島津の縁戚だった訳で、
明治維新は島津重豪からの島津の暗躍を、
キッチリ描ききらないといけない。 龍馬がビッグネームになったのは司馬よりむしろ武田鉄矢の影響。
よりカリスマっぽくなったのは高知県民の愛ゆえ。 亀山社中の設立
亀山社中は慶応元年(1865)に神戸海軍操練所が閉鎖されて行き場を失った土佐等の浪人集団を、勝海舟が薩摩藩家老小松帯刀に預けたのが始まりだ。
文久3年(1863)12月24日、長州の砲撃をうけて薩摩の長崎丸(幕府から借りた蒸気船)が沈没する事件があり、この事件で操船技術を持つ藩士の多くを失い、操船技術者が欲しいという事情が薩摩にはあった。
ちなみに亀山社中というのは後年そう呼ばれたもので、当時は単に「社中」と言った。
時系列を正確に見てみよう。
慶応元年(1865)5月、龍馬らは西郷とともに薩摩に行く。
龍馬は薩摩藩の意を受けて薩長の連携を模索するため5月16日下関へ向け出立。
薩長同盟は龍馬の功績のように言われるが、両藩が提携することは黒田藩の月形洗蔵や土佐浪士中岡慎太郎がかねてから周旋していたものである。
一方、5月26日、近藤長次郎、高松太郎らは薩摩藩家老小松帯刀に従い長崎に行っており、そのころ長崎の亀山に社中を創立したようだ。
龍馬は下関行きの途中、熊本で横井小楠と面会、続いて5月23日から28日まで大宰府に滞在し五卿や北部九州の志士たちと面会。閏5月1日に下関に入る。
下関で桂小五郎と面会し、西郷の来訪と桂との会談を約束するが、西郷が来なかったのでこれはならなかった。
この後龍馬は上方へ行く。
つまり龍馬は亀山社中が創立したときその場に居なかった。 >>17
それを言ったら日本の歴史の大半に西田敏行が… 教授とか、新聞TVの報道記者とかの国家資格を希望。
後、弁護士、司法関係者の周期的な資格調査。
コネやゴマや仲間内で教授とか名が付くとか無いな。 後々常識になることであっても、当時には斬新な発想と実行する勇気が必要であった行動。
それを評価しないと。
現代の物差しで過去を測る歴史家が多すぎて絶望するよ。 坂本龍馬は司馬遼太郎が発掘、プロデュースに成功した最大のキャラクター 亀山社中とは何をする組織だったのか?
亀山社中は、薩摩藩の蒸気船を運行することが主な仕事で、薩摩藩の物産を長崎に運んだり、薩摩藩が長崎で購入した武器等の薩摩への運搬を行った。
当時薩摩藩は蒸気船をたくさん購入し、長崎や横浜で盛んに外国と交易をおこなっていたのだ。
隊士の給料は薩摩藩が支給した。
つまり亀山社中は薩摩藩に属する浪人組織なのであって、独立した組織ではない。
ましてや株式会社とか商社などというものではない。
蒸気船を購入し海軍を育成し、普段は交易により利潤を上げるというのは、勝海舟などが早くから唱え、薩摩、越前、佐賀、紀州などの開明的な藩がこぞってやったことであって、後の海援隊の構想は龍馬の独創ではない。
龍馬は海軍操練所出身浪士団のリーダー格であったが、亀山社中の運営の実務を担ったのは近藤長次郎や高松太郎らだった。
薩摩藩が龍馬と無関係に亀山社中を立ち上げることは考えられないが、龍馬が亀山社中創立にどのように関わったのか、社中での龍馬の役割はどうだったのかは実は不明である。
少なくとも龍馬は、亀山社中の設立当時、司馬の小説で書かれたような社長業などはしておらず、薩摩藩の意を受けあるいは独自に、北九州・下関・上方で諸藩の士、浪士相手に政治的周旋活動をしていた。 >>1
最近の日本史研究者は
村上水軍を村上海賊に言い換えたり、ちょっと頭オカシイ系ばっかり
坂本龍馬の件もフリーメイソンだとかバカ丸出し 江戸時代の成人の平均身長は墓地などから発掘された人骨(おもに大腿骨)の長さから推定されていて
男 155cm くらい
女 143cm くらい
この身長なら4畳半一間の江戸庶民の長屋住まいでも広く感じてただろう
将軍の徳川慶喜は150cm
江戸っ子で幕臣の勝海舟は156cm
江戸時代までが本来の日本人の姿なんだよ 【史実】
海援隊は、武田鉄矢・中牟田俊男・千葉和臣の3人組のフォークグループ。 竜馬は竜馬なりに日本のことを考えていたのだろう
そういう人物は消される運命にある
まず朝鮮のことを考えなければならないのが明治維新のような気がする
高杉晋作も途中で死亡
伊藤博文も日本のためには朝鮮併合はやらないほうが良いというので暗殺
昭和ではウィキペディアで、山本五十六の遺体は歯型の本人確認がなされて
いないという項目が削除されていた
しかれども、歴史を修正すればするほど、この国は没落していく
歴史と真摯に向き合わない国は滅びる
真実のみを追い求めていけばいいだけ 坂本龍馬は維新後しばらくは注目されることのなかった存在だったが
明治16年(1883年)に高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾が書いた
『汗血千里の駒』が掲載され、大評判となった事により一躍その名が
知られるようになった。 明治24年(1891年)には正四位が追贈された。
『皇國史要.下』(勝浦鞆雄 著,吉川半七版,明治27年(1894年))
『中学日本史』(重田定一・高山栄一著,内田老鶴圃,明治32年(1899年))をはじめ
学校教科書にも掲載され、歴史教育で採り上げられるようにもなる。
次に龍馬ブームが起きるのは日露戦争時である。開戦直前の
明治37年(1901年)2月6日、皇后・美子の夢枕に龍馬が立ち
「私が海軍軍人を守護いたします」と語り、皇后はこの人物を知らなかったが
宮内大臣田中光顕(土佐勤王党出身で陸援隊幹部だった)が
龍馬の写真を見せたところ、皇后は間違いなくこの人物だと語った。
事の真偽のほどは定かではないが、この話が全国紙に掲載されたため
坂本龍馬の評判が全国に広まる事となった。 日本海海戦で大勝したことで
皇后の御意思により京都霊山護国神社に『贈正四位坂本龍馬君忠魂碑』が建立された。
庶民の間でも龍馬は維新の偉人として人気者となり
戦前には龍馬や海援隊を主題とした映画・演劇が多数製作されている。 若くして暗殺されていなくなったから、逸話創作がしやすかっただけさ。
もし生きてればロクでもない奴だったろう。
彼の最大の功績はいろは丸を紀州藩の軍艦に衝突させて賠償金を騙し取ったことだ。
一攫千金を狙って集まった連中の中で大成功を収めたのは事実だ。
この金(現在の価値で百十億円)を独り占めしたから、彼には新政府で働く気がなかったのさ。
彼はこのあぶく銭の奪い合いで殺されたのだ。
この金が三菱の創業資金に化けたのだ、動乱期の愚連隊の横領金が日本の民間経済の
発展に寄与したのだから、彼の暗殺も意味があったということになる。
その程度のことだ。 俺の知ってる坂本はグラマーな陸奥を従えてサングラス姿でデザートイーグルぶっ放す兄ちゃん >>5
スレタイ見ないで読んだら連合赤軍の事かと思えてくるな グラバーはロスチャイルド系のマセソン商会の社員
明治維新の黒幕はロスチャイルド
ロスチャイルド系のマセソン商会が麻薬を売っていたとか
ロスチャイルドに都合の悪い事実は日本の教科書に載らないんだろうな
明治以降、日本の真の支配者はロスチャイルド一味のユダヤ人
自民党はロスチャイルドの代理人・エージェントの集まり チェゲバラは坂本龍馬好きだったんだよね
ここの書き込みまたら悲しむだろうな >>1
坂本龍馬と薩長同盟の「新説」論議:オピニオン:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100809.html
薩長同盟に龍馬が不在という「新説」
幕末の薩長同盟(盟約)といえば、土佐の坂本龍馬が有名である。
長州藩の尊王攘夷派は、京都で禁門の変を引き起こし、幕府側に加担した薩摩藩と敵対していた。
その長州藩と薩摩藩の和解を仲介し、幕末政局の転換に力を発揮したのが坂本龍馬とされている。
この薩長同盟と龍馬の問題については、論議となっている点が多い。
十数年前、大手新聞に「薩長同盟 竜馬仲介は創作?」といった「新説」が紹介された。
新聞には「薩摩藩家老の日記に注目」、「西郷・木戸会談に同席せず」との見出しが躍った。その「新説」は、京都で同盟が結ばれた薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允との会談に、龍馬が同席していなかったというのである。
この「新説」が依拠した史料は、京都の薩摩藩邸にいた同藩家老の桂久武日記であった
慶応2(1866)年正月18日の日記には、西郷隆盛・大久保利通と木戸が長時間におよぶ「国事」の話し合いをしたことが記されている。
20日には大久保の帰国が命じられ、木戸についても送別会が開かれたという。それゆえ「新説」は、薩長同盟の締結が正月18日だったと論じた。
それまでの正月21日説を否定。そして龍馬が京都に入った正月20日は、すでに同盟が成立した後であったという
したがって龍馬は肝心の会議に同席せず、後日に木戸が同盟を明文化した書状に裏書しただけであるというのが「新説」の結論であった。 何かここ数年日本史の抹消、書き換えがめちゃくちゃ多くなってるな
どっか変な所に目を付けられてんじゃないの? >同年6月の第2次幕長戦争では、ユニオン号で海戦に参加
これももともと借りパクしようとして返さなかったら長州藩の怒りを買って
渋々参加しているんだよな 珍妙な説を新聞に載せるのやめろや。
アホ大衆が信じちゃうよ。
朝日は日本に迷惑しかかけないな。新聞もテレビも。 明治維新でとてもおかしいと思うのは帝国主義の時代にあって、
維新は近代化、植民地を避けるという目的のもとで進行していたわけであって、
英仏の影響が大きく作用しているのは明白
にもかかわらず、ストーリーを無理に捻じ曲げ、日本人の内輪で完結させよう、完
結させようとしているのはおかしなことだ
そういう嘘っぱちはやめて頂きたい
お抱え外国人の名前もしっかり挙げてほしい いやいや、こんなん専門書読んでる人間にとっちゃ当たり前の話じゃん。
そもそも「船中八策」そのものがパクリなんだし。 長州藩の銃購入の際の龍馬や亀山社中の果たした役割は?
慶応元年(1865)閏5月1日龍馬は下関に到着し桂小五郎と面会。西郷との会談を承諾させたが、閏5月21日に中岡慎太郎が一人来訪し西郷が来ないことを告げ、会談は流れた。
激怒した桂だったが、来るべき対幕戦に必要な銃の購入ができずに困っていた長州の事情から、龍馬に薩摩名義で銃を購入させてもらうことを依頼した。
事実上長州が薩摩に頭を下げた格好だ。これが西郷の狙いなら、西郷は役者が一枚も二枚も上だ。
司馬の小説では龍馬が自らの商社である亀山社中が薩摩名義で銃を購入し長州にまわすことを提案したことになっているが、常識で考えて有りえない。
社中の設立は慶応元年(1865)5月26日に小松帯刀と近藤長次郎らが長崎に向かって以降のこと。
龍馬が桂と会っていたのと社中の設立はほぼ同時期なのである。
手紙は貰っていたかもしれないが、亀山社中の現状がどうなってるのか龍馬は詳しく知らなかったのではないだろうか。
7月17日、井上聞多と伊藤俊輔が長崎に派遣され、7月21日、亀山社中の取り次で薩摩藩家老小松帯刀と面談、薩摩名義の武器購入につき承諾をもらう。
井上・伊藤は高松の紹介でグラバーと会い、銃や蒸気船の購入に成功する。
井上・伊藤の後日談やその他の資料でみると井上・伊藤はグラバーから直接武器や船を購入しており、亀山社中が長州藩のために武器を購入したという記録はない。
ところで長州藩が薩摩名義で購入した蒸気船ユニオン号を薩摩藩は引き渡しを拒否したため、薩長間が緊張する事態が発生した。
巨額の購入代金の支払いをめぐる問題があったようだ。
ここで社中の近藤が薩摩の、龍馬が長州の意を持ち寄り協議し、当面は船を社中が薩摩名義で運行し、幕府との戦争が始まったら長州に引き渡すという合意が成立した。
司馬はこの辺りの話しを拡大して自分の小説では、亀山社中が龍馬を社長とする商社であり龍馬が長州のために武器を購入したというように話しを膨らませた。
実際には龍馬は薩摩藩に桂の要望を取り次いだだけであって、武器購入に関わっていない。 >>1
登記が確認できないから法人じゃないとか言い出しそう >>62
あの時代、写真を撮られると魂を抜かれると真剣に思ってる人も多かったから、そのくちじゃね? >>57
初期のお抱え外国人なんてヒデェぞ。
酔っ払って教室に来てそのまま授業せずに寝ちまった教師だの、
ロシア語教師なのに教えてるの実は東欧ユダヤ語だったり、
その辺もちゃっかり記録に残ってる。
マシになったのは遣欧使節団が現地で向こうの政府から紹介されたり、
直接ヘッドハンティングしたりしてからだな。
それでもロシア政府から指名手配されてる革命家が東京外大の前身で
教鞭とったりしてるがな(大山巌のヨーロッパでのフランス語教師だった)。 司馬の本で龍馬像を作った人間は多いと思うが龍馬の名前を全国区にしたのは司馬じゃないぞ 島津の大規模な縁戚工作によって諸藩の合議制へと幕府が動いていったのに、
一橋慶喜によってその流れが大きく揺らいでしまった。
島津はいずれ、徳川と戦わなければいけなくなった。
ただ最初は、大っぴらに長州を支援するわけには行かなかったので、
土佐の浪人を使用したと言うことだろう。
山内家分家の容堂を藩主につかせたのは島津斉興の娘、
13代藩主・山内豊熈の正室、候姫であった。 >>65
実際自撮りに嵌ってた大久保利通に「なんぞこれ?」と怒ってるw >>68
歴代の将軍と縁戚関係をもった処はすべて絡んできそうだな >>57
>維新は近代化、植民地を避けるという目的のもとで進行していたわけであって、
そうじゃなくて、日本を植民地化するというのが本当の目的だろ
薩長はユダヤの手先 戦前には、会津人が長州を殊更に憎むというのはなかったんだが、
司馬がそんな小説を書いてから、会津ではそういうことになってしまった・・
歴史小説は史実とは違うと分からない人には、司馬遼太郎の小説を読むのは難しい >>32
坂本龍馬は戦前から教科書にも載っている国民的な有名人 (文化の扉 歴史編)異説あり 亀山社中と龍馬 発足時に関わりなく、リーダーじゃない?
2018年2月25日5時0分
幕末の志士・坂本龍馬が創設した、日本初の商社兼私設海軍といえば「海援隊」。
前身の「亀山社中」は、長州藩と薩摩藩を結びつける役割を果たしたといわれる。だが、最近の研究で、龍馬との関わりは薄かった可能性が高くなっている。
私たちの知る「亀山社中」と、後身とされる「海援隊」の設立経緯は以下のようだ
神戸にあった幕府の海軍操練所が閉鎖されると、土佐浪士だった坂本龍馬は慶応元(1865)年夏、長崎に日本初の商社兼私設海軍「亀山社中」を設立する。
同年7〜10月には、長州藩のために、武器や軍艦(ユニオン号)などの兵器を薩摩藩名義で購入。当時、険悪だった両藩の関係の修復を試みた。
慶応2年1月には、社中の一員だった近藤長次郎が盟約に反した罪で切腹するものの、同年6月の第2次幕長戦争では、ユニオン号で海戦に参加。その志は慶応3年に設立された商社兼私設海軍「海援隊」に受け継がれたとされる。
だが、専門家からは、こうした通説は再検討すべきとの指摘が出ている。
明治維新史学会理事を務める、神田外語大学准教授の町田明広さん(幕末維新史)によると、亀山社中の「社中」は「グループ」という程度の意味。
「薩摩藩名義で買い上げた軍艦を、薩摩の指示のもとで運航していた土佐の脱藩浪人の集団というのが実態。私設海軍や商社などとするのは事実誤認」
坂本龍馬との関係も希薄とみる。「社中のメンバーは、海軍操練所の解散後、薩摩藩の大坂屋敷に潜伏していた近藤長次郎、高松太郎といった面々で、そこに龍馬の名はない。発足時にも龍馬はそこにいなかった」
龍馬が奔走し西郷隆盛の協力をとりつけて、薩摩藩の名義で長州藩のために武器と軍艦を買い付けた――という逸話も裏付けに乏しいという。
「史料を見る限り、軍艦と武器購入のため、長崎の薩摩屋敷に派遣されたのは長州藩の井上馨と伊藤博文。彼らが薩摩藩重職の小松帯刀に名義借りを懇願し、それがかなって買い入れができた。龍馬も西郷も出てこない」
町田さんの新説について、佛教大学の青山忠正教授(明治維新史)は「意外かもしれないが、龍馬に関わる研究は実はあまり進んでいない。きちんと史料を読みこめば、今後も新事実が次々と明らかになってくるはずだ」と冷静に受け止める。 海援隊の結成
慶応2年(1867)4月、龍馬の脱藩が許される。
龍馬と後藤象二郎の合意により社中の仲間は、薩摩藩を離れ、土佐藩の世話になることとなり、藩命によって土佐藩長崎商会の下に「海援隊」が結成され龍馬が隊長に任命された。
長崎商会の責任者は後藤象二郎。
土佐藩は海軍の設立や軍の洋式化で雄藩に遅れをとっていた。
龍馬の構想では、蒸気船を運用して長崎商会のために利潤をあげ、隊の運営費は自ら稼ぎ、いざ戦となれば土佐藩のための海軍になるという、土佐藩としてはまことに結構ずくめの話しであった。
海援隊の会計は長崎商会におかれ、岩崎弥太郎が担当した。
つまり海援隊は龍馬の私企業でも私設海軍でもなく、土佐藩の長崎商会に従属する組織なのである。
海援隊に続いて6月に陸援隊が結成され中岡が隊長に任命されたことでも分かるとおり、海援隊の本質は土佐藩所属の軍事組織である。 >>73
1スレから見てるが司馬が創作したキャラにしたい輩がいるみたいだな、そうじゃ無ければ無知を晒してる間抜けが多い >>76
それにしても、なぜ関わっていない西郷が登場するのか。
「西郷は当時、薩摩藩の下役で、名義貸しを判断できる立場になかった。だが、何にでも西郷が関わったとしたかった後世の人が、後付けで役割を入れ込んだのだろう」と町田さん。
龍馬と社中の関わりも「当時、龍馬が長崎にいなかったことは調べればすぐわかる。でも、皆、なぜかそこはスルーしてきた」。
龍馬が関わっていないなら、「亀山社中」のリーダーは誰だったのか。町田さんは、近藤長次郎に着目する。1838年に高知の饅頭(まんじゅう)商人の子として生まれたが、山内容堂に認められ、名字帯刀を許されて海軍操練所にも関わった。
近藤が薩摩藩の上層部にあてた上書では天皇の権威向上、通商条約容認、富国強兵、海軍振興などを論じている。論旨も明快で非常な秀才だったようだ。
町田さんによると、近藤たちは薩摩藩に受け入れられ、対外的には「薩摩藩士」として活動していた。
「龍馬を『薩摩藩士の坂本』と書いた史料もある。龍馬は社中とは関わりない立場で対外交渉に、近藤は貿易などの実務にと、浪士の役割分担も行われていた」。ユニオン号の購入も、小松帯刀の命令を受けた近藤が担当した、とみる。
だが、近藤は1866年に切腹する。通説では、長州藩の資金で留学する計画が露見し、社中盟約に背いたとして詰問されたためとされるが、それを示す一次史料はない。
「伊藤博文の書簡から、近藤は薩摩の藩費で留学する第2次『薩摩スチューデント』だったと考えられる。自殺理由はわからないが、盟約自体が存在しないので、それに違反することもあり得ない」
近藤は龍馬と並ぶ存在として薩摩で期待され、死の報は重職間ですぐ回覧された。彼の存在と果たした役割を今一度、見直したい。(編集委員・宮代栄一)
■「船中八策」後付けで虚構の見方も
町田明広さんによれば、龍馬については、研究者の間ではすでに「常識」となっていても、一般にはまだあまり知られていないことが多いという。
その代表格が、龍馬が船で考えついたとされる建議案・船中八策だ。
知野文哉氏の『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院、2013年)によれば、その存在自体が疑わしいという。
同書によると、船中八策とされるものは原本も写本もなく、その内容も書物によってばらばら。
このため、明治時代以降に書かれた龍馬の様々な伝記の中で、後付けで作られていった虚構である可能性が高いと考えられている。
<読む> 町田さんの新説は、昨年11月の「近藤長次郎シンポジウム」で発表されたが、まだ論文化されていない。
ただし、龍馬と薩摩藩の関係などについては、同氏の論文「慶応期政局における薩摩藩の動向」(「神田外語大学日本研究所紀要」9号、2017年)などで読むことができる。 西国大名を利用して内戦させ
日本の金銀を使わせるイギリスの手先のバカチョン軍団が薩長 海援隊が発足したものの運行する船がない。
そこで長崎商会は伊予大洲藩から蒸気船「いろは丸」を借りて海援隊に運用させようとするが、海援隊は初航海で紀州藩「明光丸」と衝突、沈没させてしまう。
土佐藩と紀州藩で談判が行われるが不調に終わり、紀州藩は薩摩藩に調停を依頼し、紀州藩が賠償金7万両を払うことで決着した。
この海難事件の土佐側の責任者は後藤象二郎。
大洲藩など関係方面にあたえた損害にたいして金策をしたのが岩崎弥太郎。
この後も海援隊は利潤をあげることもなく、岩崎は海援隊のことを厄介者と記している。
龍馬はこの後、後藤象二郎をして土佐藩に大政奉還論を打ち出させているが、その一方で上方で対幕戦争が始まりそうな形勢をみて、
薩摩から手付金を借りて、慶応2年9月グラバーから銃1000挺を買い付け、200挺を上方の中岡の陸援隊に送る一方、土佐藩の乾退助を説得し残りの銃を土佐藩で購入させた。
乾は佐幕色の強い土佐藩の上士ではめずらしく武力討幕派で、後藤が失敗した場合は龍馬は土佐藩を武力倒幕に踏み切らせるという腹だったのだ。
龍馬は決して平和主義者ではない。
龍馬が自らグラバーから武器を購入したことが確認できるのはこれ1件だけで、龍馬が武器商人だったとかグラバーの手下だったという根拠はどこにもない。
龍馬暗殺後、海援隊は戊辰戦争が始まると長崎奉行所の占領など軍事行動を行った。
慶応4年4月、海援隊は藩命により解散された。
まとめると、海援隊というのは龍馬のアイデアではあっても、
・土佐藩の命で結成され
・会計は土佐藩の長崎商会に依存し
・海難事件は土佐藩が責任を負い
・最後は土佐藩の命令で解散した
つまり海援隊は龍馬の私企業でも施設海軍でもなく土佐藩に属する組織なのである。 >>66
しょういうお抱えじゃねえっつうの
ユダヤ関連だよ
彼らは大金持ちでいつもいつも裏に隠れて、表だって姿を現さず悪事を繰り返すから頭に
来ている
実際、あらゆる分野、すべての産業を支配し、陰で操っているのは彼らだ
例えば情報関連でもグーグル、アマゾン、マイクロソフトの創業者はすべてユダヤ人だ
北朝鮮をグーグル会長がお忍びで訪問してから急速に北朝鮮が騒がしくなった
すべてにユダヤがからんでいるのに、日本の学校教育ではユダヤのユの字も出て来ない
このような国は日本以外ではあり得ないことだ
このことは取りも直さず日本がユダヤの植民地であることを端的に示している
偽りの虚言はいい加減にしてほしいと言ってるわけだよ 龍馬は千葉定吉や重太郎に見込まれて将来は江戸道場の師範になる予定だったぐらいだからそうとうだよ。
江戸の師範なんて人物、実力、見識が揃ってなきゃなれない。 薩長のバカ殿黙らせるために5万人の武士殺したのが
明治政府 没して150年以上経つのにこれだけ騒がれてるだけでも大したもんだろ、誰かのプロデュースであっても >>1
イメージ的に海舟の手駒の内の一人じゃね?くらいの人 実際はただのお調子者だったのかもな
たとえば山本太郎みたいなw 明治3年(1870年)10月9日、土佐藩は海運業私商社として土佐開成社を設立、海援隊の土居市太郎や岩崎らが経営し、後に九十九商会となる。
岩崎は九十九商会を三菱商会・郵便汽船三菱会社などに発展させる。
このように三菱の商社としての歩みは土佐開成社から始まった。
海援隊ましてや亀山社中が三菱の前身であり商社の始まりだとはとても言えない。 ここに書き込みをしているのはいわゆる
帰化朝鮮人であることは分かり切っている 明治政府で生き残ったのがイギリスのスパイの犯人
太平洋戦争でも生き残って政治権力あったのがアメリカスパイ 龍馬がいなかったら土佐弁も知られてなかったに違いない
ぜよ 日本の夜明けぜよ(日本の夜明けぜよとは言っていない) >>14
その越中北前船を中継した長州藩はその縁で薩摩とコネができた 坂本龍馬は金で郷士になった最下級のなんちゃって武士。
土佐の郷士は雨でも傘をさせず上士が近づいたら履き物を脱いで土下座しなければならないきまりだった。
礼儀を守らないふとどきな郷士は即刻無礼打ちされる運命。
実に悲惨な話だ。
ちなみに坂本龍馬のおでこが禿げ上がっていた理由に梅毒説と土下座しすぎ説があるが、
土下座説が有力だと思う。 >>87
海舟の三女が孫に語ったところによると、子供の頃、勝家に居候していた龍馬に
肩車して貰った事があるそうだ。
実際の所「海舟の家に出入りしていた浪人の一人」って程度の感覚だったんだろうな。 >>32
それ以前から明治天皇の奥さんの枕元に現れたとかエピソードがある 奥平昌高
有馬一純
黒田長溥
南部信順
親姫(戸田氏正室)
淑姫(柳沢保興室)、
池田斉敏−池田慶政
etc.
島津の幕末の政略結婚はチョッと書ききれない。 >>84
実は龍馬が桶町千葉道場に入門した記録はないのです。
龍馬は千葉重太郎と懇意で、江戸では千葉の宅を訪れているが、それは千葉重太郎が国士として活動していたためであると考えられるのです。
千葉道場に入門したと関連付けるものは龍馬が得たという薙刀の免許だが、来歴が不明で、古武術の専門家の間では書式からいって江戸時代の剣術の免許ではありえない、偽物だろうという意見が主流です。 >>16
糞馬鹿のおまえに逆に聞くわ。
史実に全面的に即して嘘偽りが一切ない、それでも大ヒットした
歴史小説があるんなら教えてくれや 白人が直接支配した植民地で無くて
白人の代理人支配の間接植民地の手先の一人が龍馬と書いたの居ないのが日本の不幸 13代藩主・山内豊熈、その弟で14代藩主・山内豊惇が相次いで急死した。
豊惇は藩主在職僅か12日という短さでの急死で山内家は断絶の危機に瀕した。
豊惇には実弟(後の16代藩主・山内豊範)がいたがわずか3歳であったため、
分家で当時22歳の豊信(容堂)が候補となった。豊熈の妻・智鏡院(候姫)の実家に当たる
島津家などが老中首座であった阿部正弘に働きかけ、豊惇は病気のため隠居した
という形をとり、嘉永元年(1848年)12月27日、豊信(容堂)が藩主に就任した。 歴史の本だけで限定しても小説・専門書含めて千冊以上は確実に読んでるが
司馬遼太郎だけは何故か身体が受け付けない。
複数作家のアンソロ読んでて数ページで「これ、読めねぇ」と思うと、大概司馬
遼太郎作品。
なんというか歴史書いてるんじゃなくて「クリエイトしてやる」感があって駄目だ。 >>42
そりゃ革命家(志士)ってのは命をかけて行動する連中なんだから、
右左の思想関係なく、血生臭い存在たらざるをえなくなるよ
しかし、この准教授、ものすごくレベル低いわ
言葉遊びによるイメージ書き換え作業しかしてない
亀山社中は「商社」ではないとかさ アカヒは裏取りせずに、
とにかく反日優先で、
捏造記事を書くから、
信用できないな。 短銃を乱射するテロリスト(坂本龍馬)を殲滅するため、
特殊治安部隊(見廻組)が敵のアジトを急襲する。
今井信郎は講武所師範代で居合の達人、
佐々木只三郎は小太刀日本一の腕前で、
見廻組は室内の抜刀戦にかけては最強のチーム。
坂本に応戦できる剣の腕があれば歴史が変わったかもしれないけど、
実際は刀に手をかける間もなく頭を切断され即死。
最期に短銃に頼らなかった点だけが龍馬の武士らしい部分だね。
見廻組は和歌を吟じながらその場を立ち去ったと言われてる。 坂本龍馬は武器商人でもグラバーの手下でもない
亀山社中や海援隊は龍馬の私企業でも商社でもない
ちゃんと根拠をあげて書いた
>>25 亀山社中の設立
>>33 亀山社中は何をする組織だったのか
>>61長州藩の銃購入の際の龍馬や亀山社中の果たした役割
>>76海援隊の結成
>>81海援隊
>>89 三菱
真面目に歴史を学びたい人は読んでね
間違いが有れば訂正してください
罵り合いじゃなくて有意義な議論を歓迎します 😊 日本の次の30年は明るい時代なので安心 ♪
■ 日本経済には60年の長期周期がある
http://image.slidesharecdn.com/08124-120123045008-phpapp01/95/08124-46-728.jpg
http://kakashi490123.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/02/28/20100227.png
昭和の約60年は前半が経済周期の下側、後半が上側だった。
平成の約30年は下側だった。次の30年は上側の明るい時代。
😊 日本の次の30年は明るい時代なので安心 ♪ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) イギリスの下僕革命が維新なので
イギリス連邦が日本潰し仕掛けるのもわからなかった
昭和バカチョン天皇 >>99
NHK大河の龍馬伝の頃だっけ
近所の幸福支部に龍馬イラストポスターがでかでかと掲示されてた
世の話題にすぐに食いつく俗物教祖に似つかわしい光景だった 司馬遼太郎が悪いってことだ。
龍馬に限らずこいつの小説を
史実だと思い込んでる日本人が多いからな。
韓国だ中国の歴史観を笑えないよ。 >>111
このスレにはそれと対等に議論できる知識を持った者はいないよ イギリス連邦の植民地無くなったのは
長州バカチョン昭和天皇で
維新朝鮮セオリー >>121
司馬遼太郎先生は歴史資料を集めて研究するだけでなく、実際にそれぞれの出来事があった場所に行って取材している。
司馬遼太郎先生の作品は小説ではなくて歴史書。 >>110
>今井信郎は講武所師範代で居合の達人
???「貴様如き売名の徒に坂本さんが斬られるわけはないだろう」 >>121
司馬は大嫌いだけど、お前はチョウセンヒトモドキを甘く見てる。
ヒトモドキの高校の歴史教科書の翻訳版、全部読んだ事あるけど
感想は一言「狂ってる」だぞ。 まあでも死後に追贈されてるし多くの著名人が生前の龍馬を語ってるくらいだからただ者ではないと思うけどな >>102
桂小五郎と試合った逸話を嘘なのか?
北辰一刀流の龍馬、神道無念流の桂。
山内容堂の御前試合だったとか。
しかし龍馬の剣の腕は確かでしょ?元々土佐時代に剣術の中伝くらいは貰って江戸遊学中に千葉道場で腕を磨いたのら確かなはず。 >>124
いちおう見たり聞いたりした部分と小説は分けてるだろ
フィクションに説得力を持たせるために現地取材しただけ >>128
それウソだぞ。
そもそも剣術の免許皆伝は金で買うものだったしな。
しかも薙刀の免許皆伝書だったって説もあるし。 勝海舟は隠居したあと回顧録書いてるはずだけど龍馬のことはなんか言ってるかな?
西郷のことは書いてるはずだが ざっと前スレから読んだけど、司馬竜馬をそのまま信じている人は武田鉄矢くらいみたいだな
創作と史実と織り交ぜて小説にしているのに、史実の方も創作たと思って低評価している人が多そう 最近の研究とやらは、司馬遼太郎先生の小説と違う部分を見つけるともてはやされるから、
わざわざ司馬遼太郎先生の内容と異なった結論を持ってきているだけ。 >>102
>>111のように語るのであれば必要なのは「古武術の専門家の間では」ではなく文献名などのソース (文化の扉 歴史編)異説あり 亀山社中と龍馬 発足時に関わりなく、リーダーじゃない?
2018年2月25日5時0分
幕末の志士・坂本龍馬が創設した、日本初の商社兼私設海軍といえば「海援隊」。
前身の「亀山社中」は、長州藩と薩摩藩を結びつける役割を果たしたといわれる。だが、最近の研究で、龍馬との関わりは薄かった可能性が高くなっている。
私たちの知る「亀山社中」と、後身とされる「海援隊」の設立経緯は以下のようだ
神戸にあった幕府の海軍操練所が閉鎖されると、土佐浪士だった坂本龍馬は慶応元(1865)年夏、長崎に日本初の商社兼私設海軍「亀山社中」を設立する。
同年7〜10月には、長州藩のために、武器や軍艦(ユニオン号)などの兵器を薩摩藩名義で購入。当時、険悪だった両藩の関係の修復を試みた。
慶応2年1月には、社中の一員だった近藤長次郎が盟約に反した罪で切腹するものの、同年6月の第2次幕長戦争では、ユニオン号で海戦に参加。その志は慶応3年に設立された商社兼私設海軍「海援隊」に受け継がれたとされる。
だが、専門家からは、こうした通説は再検討すべきとの指摘が出ている。
明治維新史学会理事を務める、神田外語大学准教授の町田明広さん(幕末維新史)によると、亀山社中の「社中」は「グループ」という程度の意味。
「薩摩藩名義で買い上げた軍艦を、薩摩の指示のもとで運航していた土佐の脱藩浪人の集団というのが実態。私設海軍や商社などとするのは事実誤認」
坂本龍馬との関係も希薄とみる。「社中のメンバーは、海軍操練所の解散後、薩摩藩の大坂屋敷に潜伏していた近藤長次郎、高松太郎といった面々で、そこに龍馬の名はない。発足時にも龍馬はそこにいなかった」
龍馬が奔走し西郷隆盛の協力をとりつけて、薩摩藩の名義で長州藩のために武器と軍艦を買い付けた――という逸話も裏付けに乏しいという。
「史料を見る限り、軍艦と武器購入のため、長崎の薩摩屋敷に派遣されたのは長州藩の井上馨と伊藤博文。彼らが薩摩藩重職の小松帯刀に名義借りを懇願し、それがかなって買い入れができた。龍馬も西郷も出てこない」
町田さんの新説について、佛教大学の青山忠正教授(明治維新史)は「意外かもしれないが、龍馬に関わる研究は実はあまり進んでいない。きちんと史料を読みこめば、今後も新事実が次々と明らかになってくるはずだ」と冷静に受け止める。
. >>136
それにしても、なぜ関わっていない西郷が登場するのか。
「西郷は当時、薩摩藩の下役で、名義貸しを判断できる立場になかった。だが、何にでも西郷が関わったとしたかった後世の人が、後付けで役割を入れ込んだのだろう」と町田さん。
龍馬と社中の関わりも「当時、龍馬が長崎にいなかったことは調べればすぐわかる。でも、皆、なぜかそこはスルーしてきた」。
龍馬が関わっていないなら、「亀山社中」のリーダーは誰だったのか。町田さんは、近藤長次郎に着目する。1838年に高知の饅頭(まんじゅう)商人の子として生まれたが、山内容堂に認められ、名字帯刀を許されて海軍操練所にも関わった。
近藤が薩摩藩の上層部にあてた上書では天皇の権威向上、通商条約容認、富国強兵、海軍振興などを論じている。論旨も明快で非常な秀才だったようだ。
町田さんによると、近藤たちは薩摩藩に受け入れられ、対外的には「薩摩藩士」として活動していた。
「龍馬を『薩摩藩士の坂本』と書いた史料もある。龍馬は社中とは関わりない立場で対外交渉に、近藤は貿易などの実務にと、浪士の役割分担も行われていた」。ユニオン号の購入も、小松帯刀の命令を受けた近藤が担当した、とみる。
だが、近藤は1866年に切腹する。通説では、長州藩の資金で留学する計画が露見し、社中盟約に背いたとして詰問されたためとされるが、それを示す一次史料はない。
「伊藤博文の書簡から、近藤は薩摩の藩費で留学する第2次『薩摩スチューデント』だったと考えられる。自殺理由はわからないが、盟約自体が存在しないので、それに違反することもあり得ない」
近藤は龍馬と並ぶ存在として薩摩で期待され、死の報は重職間ですぐ回覧された。彼の存在と果たした役割を今一度、見直したい。(編集委員・宮代栄一)
■「船中八策」後付けで虚構の見方も
町田明広さんによれば、龍馬については、研究者の間ではすでに「常識」となっていても、一般にはまだあまり知られていないことが多いという。
その代表格が、龍馬が船で考えついたとされる建議案・船中八策だ。
知野文哉氏の『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院、2013年)によれば、その存在自体が疑わしいという。
同書によると、船中八策とされるものは原本も写本もなく、その内容も書物によってばらばら。
このため、明治時代以降に書かれた龍馬の様々な伝記の中で、後付けで作られていった虚構である可能性が高いと考えられている。
<読む> 町田さんの新説は、昨年11月の「近藤長次郎シンポジウム」で発表されたが、まだ論文化されていない。
ただし、龍馬と薩摩藩の関係などについては、同氏の論文「慶応期政局における薩摩藩の動向」(「神田外語大学日本研究所紀要」9号、2017年)などで読むことができる。 >>132
氷川清話は座右の書だからすぐ取り出せるw
でね、案外坂本龍馬については書かれてないんだよ
土佐と肥後の話のところで2行ばかりかな、書いてあるのは
人物評だけ抜き書くと
「沈着いてな、なんとなく冒しがたい威権があつて、よい男だつたよ」とある。
評価はしているんだがそれくらいだね そもそも坂本龍馬が薩長連合の仲介役っていう話が作り話だって言われているしな。
大体脱藩行為そのものが死罪に値する行為だし、薩摩と長州の幹部連中がそんな武士の風上にも置けない奴の仲介なんて受ける訳ない。
薩摩も長州も誰々と何処で人と合ったか会談の議事録が事細かに残っているのに、坂本龍馬の名前は一切議事録には記載がないし。 >>132
少なくとも明治十年代くらいまでは完全に忘れてる。
宮中の土佐派が明治天皇に龍馬の事を吹き込んでからだな、龍馬の事を語ってるのは。
もっとも三女の逸子の証言で勝家に出入りしていた事は確実だし、岡田を海舟の用心棒
につけた話も多分事実だろ。その時点だと龍馬くらいしか接点ないし。 坂本龍馬も別に日本の夜明けとか関係無く立ち回ってたろうに神格化されて戸惑ってんだろうな。 >>131
あの時代の剣術の流派って体術も含めて総合武術だったはすだよ。
もっと言えば手裏剣から築城術まで包括してる。
薙刀だけの免状っておかしいなぁ
一部がなんとか見つかっただけじゃね?
薙刀を修めてれば剣も修めてるはずだ。
大体合戦のない時代に長物だけを修めるって無用の長物だからさ 最近急に龍馬は歴史に貢献してない方へと促す雰囲気になってる気がする >>143
つーか、より正確になった、と云うべき。
当時の書状とか日記がどんどん発掘されるのでかなり正確に状況が分かってきた結果
龍馬がオリジナルで考えた事はほぼない、という結論になってきてる。 >>142
なんぼなんでもそれはwww
幕末の生き残りの聞き書きを集めた篠田鉱造の『幕末百話』なんかに
剣馬弓槍の免許皆伝を志す豪傑の話が出てくるからなあ
この4つをきわめると目付かなんかから話がいって
お取立てなり加増なりがあるというからすごいじゃないか。
あ、うろ覚えだからいい加減かもしれないけどw >>19
薩摩に上陸させてもらえず、ずっと船が家代わりだったんじゃねーの 朝日系チョンはどうしても日本人にヒーローらしきモノがいるのが気にくわないらしい。
次から次へと新説!ねつ造記事を垂れ流し、何度も何度も言い続け、指摘されても無視し続け
証拠も出さずそれを本当の事のように変更しようとする。
チョンの行動そのまま。 おまえらも 坂本龍馬辺りの脱藩浪人如きがそんなこと出来る訳無いw!
とか言って高見で喜んでるけどさ。 お ま え ら ク ズ よ り す ご い か ら 。 >>66
遠藤謹助なんかオリエンタルバンクのお抱え外国人に反発して下野し
そいつらがいなくなってから復帰して通貨整備したんだよな >>138
勝は西郷、木戸、大久保のことは物凄くページを割いて評価してるけど龍馬はちょっとなんだよねぇ。
つまり龍馬のハイセンスさって司馬然り昭和に入って時代が変わったからあの時代そんな奴もいたって再評価によるもんじゃないかなぁ?
あの時代勝は岩崎の方を評価してるでしょ 免許皆伝もらった形跡とか最近みつかったじゃん
あと江戸での武術大会の記録も
アレどうなったんだ >>144
でも明治に入って、そういやあいつ途中で居なくなったけどけっこう凄い奴だったな
って評価された人でしょ >>24
愛ってより、それしかすがれるものが無いんだよ
龍馬→高知生まれってだけ
よさこい祭り→規模では北海道に及ばず
鰹→和歌山
高知県民としてはウンザリしてるわ >>149
龍馬にとってさえ下っ端だった筈の岩崎や陸奥が大成功しているんだから
龍馬が生きてれば、って発想なんだろうけど、龍馬が生き残ってても
岩崎や陸奥のような仕事が出来てたかと問われれば明らかにノーだよね。
二人とも明らかに飛び抜けた才能があったから成功したわけで。 >>150
フリーターが福井県知事から5億円の予算を貰えたら凄いだろ、言葉だけのプレゼンで >>152
いや、皮肉な話だけど、龍馬の研究が進んだ結果、「龍馬に影響を与えた人」が
クローズアップされて、龍馬の言動がそっちからの影響だと分かってきちゃったわけ。 >>156
セレクトショップ的な人だったとしても全国歩き回ってそれを
伝え周ったのは功績だと思うよ >>155
確かに松平春嶽は別格だけど、幕末当時の大名は阿呆の方が遙かに多い。
「藩政改革する」「兵制改革する」でどれだけ詐欺師の外人に騙し取られたことやら。
で、結局明治政府がその借金の肩代わりする羽目になったわけで。 >>155
当時脱藩の重罪で牢屋入ってた奴が80人かそこいらでクーデター起こして長州藩のっとってるほうがやばくね? 龍馬が自分の案でやったのと
龍馬が誰かの使いでやったのでは評価が全然違ってくるけど
最近だと後者の説のが多いのかな
一気に凡人になってる 新説なんて余程のことが無い限りやらない方がいい。
現代は猫の額ほど浅い学者しかいないんだから。 >>4
金銭面でずぼらで金をせびったりゆすったり平気でする奴だぞ >>152
評価されたというより、無理やりまつりあげられたという方が正しい
討幕の貢献度で隅に追いやられた土佐閥が、薩長閥に割り込むには西郷、桂らに並ぶ英雄が必要だったわけ
そこで、高知の地方紙に龍馬の活躍に色を付けたプロパガンダ小説を書かせて、無理やり英雄に仕立てたわけ
それまで龍馬はほぼ忘れられた存在で、維新後に維新百傑みたいな本が書かれたときに誰一人維新の英雄として龍馬を思い出さなかったほど
当然その本に龍馬のことは書かれてない 嘘もついてりゃ本当になる。キリスト教みたいに。
もう歴史小説のせいで何人死んだかわからないw アーネスト・サトウの日記に出てくる龍馬が多分一番実態に近いんだと思う。
全く脚色ついてないからね。これは変名で出てくる西郷も一緒。
もっともサトウが龍馬の態度に激怒した裁判は、実際は本当に龍馬側に責任
がなかったのでそこだけ差し引く必要はあるけど。 >>160
ありゃ、すごい。
しかも、そのクーデター失敗してりゃ間違いなく日本の歴史が変わったっていう。
でも、なぜか、高杉って大河ドラマの主人公なれんよね。何故だろう。
村田蔵六ですら、なっているのにw >>167
大河の尺でやるには、いくらなんでも人生短すぎだろ 幕末の志士・坂本龍馬が創設した、日本初の商社兼私設海軍といえば「海援隊」。前身の「亀山社中」
私設海軍や商社などとするのは事実誤認 歴史小説は悪だよな
宮本武蔵とか外国人の方がまともなこと言ってるし >>170
娯楽は娯楽として読むんなら別に良いんだよ。
だけどそれを真に受ける人間が多いのが問題なのであって。
それでも僅か一行ちょっとの記述を大長編ドラマに仕立ててしまう
チョウセンヒトモドキよりはマシだけど、あれを事実だと思ってる
日本人が結構な数いて目眩がしたわ。 >>164
>>98の昭憲皇太后(当時は皇后)のエピソードにしても
この明治37年の時期には土佐出身の最有力者だった後藤象二郎はさかのぼること明治27年に
収賄事件の責で政界を去って29年に世を去り
板垣退助も明治33年に政界を引退、
日露戦争の迫る世相の中陸海軍に土佐出身の有力者はそれほどかかわっていないという状況で
軍神が欲しかったという事情が絡んで宮内大臣の田中光顕が仕掛けたという逸話がある 話膨らましてナンボの小説家でしかない司馬遼太郎とか吉川英治が
ここまで叩かれるようだと
百年後には銀魂の空知英秋も歴史捏造とか言って叩かれちゃってるかもしれない >>167
高杉のことは木戸孝允の記録が詳細に残っていて話が創作できない 戦前(維新から70年)までの評価でいいんだよ、阪本なんか特に注目される必要がない人、全ては司馬のアホのせい
「龍馬」とか言ってるノータリンが寒すぎる >>167
元エッタの人らの団体からクレームくるからに決まってんだろ >>176
どちらかというと司馬のやったことは戦前までの軍神龍馬(これも田中らの仕掛けたイメージ戦略ではあるけど)を
一新したという側面のほうが大きい >>166
サトウは英国大使なんで嘘はかかん
候文漢籍マスターの親日コーケイジャンの存在はそれだけで価値があるし、その上で日英同盟はこの人ありき
坂本の一億万倍価値のある紳士や >>175
創作されてるじゃん
桂小五郎→木戸孝允
高杉晋作→谷潜蔵
こう改名したのに谷潜像はずっと高杉晋作という創作がなされている
お墓だって谷潜像なのに >>178
皇后の瑞夢として喧伝されだけでそれに見合う評価は特段されてない
盛り過ぎた司馬は明言すべきだった、戦後のアホの為にも 日本人がイメージするドラえもん像と坂本龍馬像はリンクしてる
今の日本人が考える坂本龍馬像は本当の龍馬にかなり近いと思う
30年前だと違ってた。どちらも左翼すぎて少し勇ましいすぎる。
今調度いい
日本はやっと横井小楠の思想に追いついた
横井小楠=ドラえもんとも言える。龍馬はのび太 晋作は魔王のように傲然とかまえていた(司馬遼太郎「世に棲む日々」)
アーネスト・サトウ「一外交官の見た明治維新」
「日本の使者の態度に次第に現れてきた変化を観察すると、なかなかおもしろい。死者は、艦上に足を踏み入れた時には悪魔のように傲然としていたのだが、
だんだん態度が和らぎ、すべての提案を何の反対もなく承認してしまった。それには大いに伊藤の影響が有ったようだ」
だいぶ印象が違うな
高杉は四カ国連合艦隊の要求を全部きいてしまったのだ >>35
日本人の体躯が本来その程度のものだったら、比較的 欧米人の中でも大型の
オランダ人はどうであろう?
彼らが貿易で荒稼ぎして、チューリップの栽培に勤しんでいた頃の
オランダ人は すこぶる小さいよ 明治維新の人物とか、複数の人のエピソードが一人に集約されて、歴史上のアジンガ構築されていると思う。
ぶっちゃけ、平均寿命が短く移動方法も徒歩と馬しか無い時代に、1人の人間が日本中でいろんな事をしまくってるエピソードは無理がある 司馬って龍馬の一番大事な部分の一つをスルーしちゃってるんだよ
龍馬と思想的にもっとも近い横井小楠とのリンクが蔑ろにされてる
これは龍馬と天皇を無理やり繋げたかったからだろう
横井は反天皇の濡れ衣で殺されてるし、龍馬を純粋な共和制支持者としては取り上げたくなかったんだろう。
そこをちゃんと書いてたら、小楠の手足として動いた龍馬の重要性はもっと明確になった。
最新の実学をマスターしたネゴシエーターだったんだよ
人間的な魅力だけではなく、知識に裏打ちされた魅力
龍馬の人柄で物事解決に導くみたいな印象が強いけど
実際は西郷も土佐のお偉いさんも龍馬に論破されたと言った方が正しい
明治政府がやったことなんて全部横井小楠のパクリ
戦後日本も今の日本の姿そのものも横井小楠の予言通りにやってるだけ。
しかし、当時の日本を変えるには知識だけではなく、土佐訛りのある若者が必要だった。
龍馬が関西弁だったら全く違ってた。 金メダルのパシュート代表より
銅メダルのカーリング娘の方が人気がある
龍馬の歴史においての重要性ってそこなんだよ。
そんで今回カーリングが銅を取ってなかったら雰囲気は全く違ってた。
龍馬はチョコボールのおまけ的存在 薩摩藩の社員だったか
薩摩藩とか結構雄大に中国や朝鮮に北海道の昆布売ったり
日本の綿買い占めてイギリスやらフランスに売ったり
股にかけて貿易してる
龍馬はそういうのを自分もしたかっただけじゃないのかな >>185
直接名指しされてるし、龍馬直筆の手紙にも記録が残ってる
それらが全部ホラならそうかもしれんが
司馬が作ったイメージのせいで、ちょっと陽気な夢を語るちゃらんぽらん兄さんみたいな感じだからそういう疑念が生まれる
実際の龍馬は自頭がすこぶる良い実学をマスターした超エリートだよ。
よく動いて交友も広いから師匠を超える情勢判断もできる。
土佐弁で論破されたら戦う気を無くす >>190
龍馬の直筆の手紙が複数あり、その複数の手紙が全て同一人物が書いたと鑑定されたのでしょうか?
かりに、幕末に坂本龍馬が有名人だったら、坂本龍馬と名乗る奴は大勢いたと思うよ。 >>191
ところが本人も坂本龍馬と名乗らずに
変名を名乗ってるよ
危険だからね >>128
土佐時代に既に免許皆伝だよ。
北辰一刀流も割とすぐ免許皆伝になっただろう。
>>131
薙刀なんておまけでやってるだけだよ。
龍馬が居たのは剣術道場だし、あの時代に遊学までして剣術究めないわけが無いだろ。
ネタにマジレスしたのは悪かったかな。
常識を考えずにそういう寝ぼけた世迷言を学者までが言ってるから日本はどうしようもない。 >>193
じゃあ、なおさら有象無象の奴らが坂本龍馬と名乗ったと思うよ。テレビもラジオもない時代で手配書も似顔絵でしてる時代だよ。 >>195
だから史実としてそんなことしてないって
馬鹿じゃなきゃするわけない 基本的に男は薙刀やらないしな。
武士は刀二本差して歩くのに何が悲しくて薙刀なんだとか剣やらないとか言ってるのだか。
学者とか学芸員とかあほの極み過ぎて鼻くそが飛び出す。 知ってる知らないじゃなく、最近の研究で実は龍馬はなんとかだったみたいなトリビアだけを頼りに話してる奴が多すぎて嫌になる 坂本龍馬を評価した発言は色々あるし
この人はかなりの役割を果たしたんだと思うよ。
なんか通説をこじつけでひっくり返すのが
学者として生きる道みたいになってるきらいがあるが、
「今までそう伝わってきた」この意味はクソ重いんだよねえ。
伝説的な物語でもあとから証拠が発掘されたりする、
遠い未来の学者さんが結論ありきで証拠を組み立てたような
ショボい物語の方がはるかに薄っぺらいんね。 >>197
馬鹿だなw ほんとコイツ自分で何言ってるか解ってないんじゃねーの?>195 迫真の演技 !
寺田屋スリル満点、間一髪〜チ〇カで捕縛走狗始末 >>201
では坂本龍馬とその史実について書こう
このレスでちょっと前に書いたのだけどね
亀山社中は慶応元年(1865)に神戸海軍操練所が閉鎖されて行き場を失った土佐等の浪人集団を、勝海舟が薩摩藩家老小松帯刀に預けたのが始まりだ。
文久3年(1863)12月24日、長州の砲撃をうけて薩摩の長崎丸(幕府から借りた蒸気船)が沈没する事件があり、この事件で操船技術を持つ藩士の多くを失い、操船技術者が欲しいという事情が薩摩にはあった。
ちなみに亀山社中というのは後年そう呼ばれたもので、当時は単に「社中」と言った。 >>201
時系列を正確に見てみよう。
慶応元年(1865)5月、龍馬らは西郷とともに薩摩に行く。
龍馬は薩摩藩の意を受けて薩長の連携を模索するため5月16日下関へ向け出立。
薩長同盟は龍馬の功績のように言われるが、両藩が提携することは黒田藩の月形洗蔵や土佐浪士中岡慎太郎がかねてから周旋していたものである。
一方、5月26日、近藤長次郎、高松太郎らは薩摩藩家老小松帯刀に従い長崎に行っており、そのころ長崎の亀山に社中を創立したようだ。
龍馬は下関行きの途中、熊本で横井小楠と面会、続いて5月23日から28日まで大宰府に滞在し五卿や北部九州の志士たちと面会。閏5月1日に下関に入る。
下関で桂小五郎と面会し、西郷の来訪と桂との会談を約束するが、西郷が来なかったのでこれはならなかった。
この後龍馬は上方へ行く。
つまり龍馬は亀山社中の創立のときその場に居なかった。 >>201
亀山社中とは何をする組織だったのか?
亀山社中は、薩摩藩の蒸気船を運行することが主な仕事で、薩摩藩の物産を長崎に運んだり、薩摩藩が長崎で購入した武器等の薩摩への運搬を行った。
当時薩摩藩は蒸気船を何隻も購入し、長崎や横浜で盛んに外国と交易をおこなっていたのだ。
隊士の給料は薩摩藩が支給した。
つまり亀山社中は薩摩藩に属する浪人組織なのであって、独立した組織ではない。
ましてや株式会社とか商社などというものではない。
蒸気船を購入し海軍を育成し、普段は交易により利潤を上げるというのは、勝海舟などが早くから唱え、薩摩、越前、佐賀、紀州などの開明的な藩がこぞってやったことであって、後の海援隊の構想は龍馬の独創ではない。 >>201
龍馬は海軍操練所出身浪士団のリーダー格であったが、亀山社中の運営の実務を担ったのは近藤長次郎や高松太郎らだった。
薩摩藩が龍馬と無関係に亀山社中を立ち上げることは考えられないが、龍馬が亀山社中創立にどのように関わったのか、社中での龍馬の役割はどうだったのかは実は不明である。
少なくとも龍馬は、亀山社中の設立当時、司馬の小説で書かれたような社長業などはしておらず、薩摩藩の意を受けあるいは独自に、北九州・下関・上方で諸藩の士、浪士相手に政治的周旋活動をしていた。 >>201
長州藩の銃購入の際の龍馬や亀山社中の果たした役割は?
慶応元年(1865)閏5月1日龍馬は下関に到着し桂小五郎と面会し、中岡慎太郎が西郷を下関まで連れてくると言い、西郷との会談を承諾させた。
ところが閏5月21日に中岡慎太郎が一人来て西郷が来ないことを告げた。
激怒した桂だったが、来るべき対幕戦に必要な銃の購入ができずに困っていた長州の事情から、龍馬に薩摩名義で銃を購入させてもらうことを依頼した。
事実上長州が薩摩に頭を下げた格好だ。これが西郷の狙いなら、西郷は役者が一枚も二枚も上だ。
司馬の小説では龍馬が自らの商社である亀山社中が薩摩名義で銃を購入し長州にまわすことを提案したことになっているが、常識で考えて有りえない。
社中の設立は慶応元年(1865)5月26日に小松帯刀と近藤長次郎らが長崎に向かって以降のこと。
龍馬が桂と会っていたのと亀山社中の設立はほぼ同時期なのである。
手紙くらいは貰っていたかもしれないが、社中の現状がどうなっているのか龍馬は詳しく知らなかったのではないだろうか。
7月17日、井上聞多と伊藤俊輔が長崎に派遣され、7月21日、亀山社中の取り次ぎで薩摩藩家老小松帯刀と面談、薩摩名義の武器購入につき承諾をもらう。
井上・伊藤は高松の紹介でグラバーと会い、銃や蒸気船の購入に成功する。
井上・伊藤の後日談やその他の資料でみると井上・伊藤はグラバーから直接武器や船を購入しており、亀山社中が長州藩のために武器を購入したという記録はない。
そもそも亀山社中は結成して3か月程度なのである。
一藩と外国商社の間の重大な商談を取り仕切る能力があっただろうか。
ところで長州藩が薩摩名義で購入した蒸気船ユニオン号を薩摩藩は引き渡しを拒否したため、薩長間が緊張する事態が発生した。
巨額の購入代金の支払いをめぐる問題があったようだ。
ここで社中の近藤が薩摩の、龍馬が長州の意を持ち寄り協議し、当面は船を社中が薩摩名義で運行し、幕府との戦争が始まったら長州に引き渡すという合意が成立した。
司馬はこの辺りの話しを拡大して自分の小説では、亀山社中が龍馬を社長とする商社であり龍馬が長州のために武器を購入したというように話しを膨らませた。
実際には龍馬は薩摩藩に桂の要望を取り次いだだけであって、武器購入に関わっていない。 >>201
海援隊の結成
慶応2年(1867)4月、龍馬の脱藩が許される。
龍馬と後藤象二郎の合意により社中の仲間は、薩摩藩を離れ、土佐藩の世話になることとなり、藩命によって土佐藩長崎商会の下に「海援隊」が結成され龍馬が隊長に任命された。
長崎商会の責任者は後藤象二郎。
土佐藩は海軍の設立や軍の洋式化で雄藩に遅れをとっていた。
龍馬の構想では、蒸気船を運用して長崎商会のために利潤をあげ、隊の運営費は自ら稼ぎ、いざ戦となれば土佐藩のための海軍になるという、土佐藩としてはまことに結構ずくめの話しであった。
海援隊の会計は長崎商会におかれ、長崎商会主任岩崎弥太郎が担当した。
ここは重要で、会計を長崎商会に依存したということは、つまり海援隊は龍馬の私企業でも私設海軍でもなく、明らかに土佐藩の長崎商会に従属する組織なのである。
海援隊に続いて6月に陸援隊が結成され中岡が隊長に任命されたことでも分かるとおり、海援隊の本質は土佐藩所属の軍事組織である。 うわ・・こっちも馬鹿だったのか・・・>ID:KFbnYdWA0
お前に同意してやってたのに 何ねつ造本何度もコピペしてんの?アホなの? >>200
俺もそう思う
当時を知っている明治くらいまでの評価が正しいんだよね フィクション小説で有名になったやつなんだからな
ウソに決まってるだろ これもう最近の定説じゃないの
教科書に乗らないって言う時に薩長同盟を仕切った証拠が無いっていうの見たわ 並の人間、一介の浪人なら紀州藩に談判する前、した時に切り殺されてる。
まかり間違っても紀州藩が賠償金を支払うなんてことはない。 でも当時の人達はそれなりに龍馬を大人物だと評価してる証言が残ってるんだよね
陸奥宗光とか勝海舟とか五代友厚とかさ。
だからあまりに過小評価はできないというか過小評価はしてはいけない人だったとは思う 司馬はどうして秋山兄弟のことなんか書くんじゃなかったって言い出したんだろ(笑)
坪内久夫や坂本龍馬みたいなのを持ち上げてさ(笑) >>196
いや、だからこの時代なら著名人と同じ名前を名乗って本人をよそおうゴロツキは沢山いたと思うよ ちなみに、司馬遼太郎の小説は歴史を題材にしたフィクションだと思う ほんと、歴史は勝者が作るとはよくいったものだ
竜馬なんて、ただのチンピラなのに 坂本龍馬って一時的に新撰組にいたのはあまり知られてないよな >>39
> 高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾が書いた『汗血千里の駒』が掲載され
> 大評判となった事により一躍その名が知られるようになった
> 開戦直前の明治37年(1901年)2月6日、皇后・美子の夢枕に龍馬が立ち〜
> この話が全国紙に掲載されたため坂本龍馬の評判が全国に広まる事となった
> 戦前には龍馬や海援隊を主題とした映画・演劇が多数製作されている
こんなの史実というよりも伝説の人物だろw
教科書から外して正解だわ どっちかと言うとフィクションを根拠に今まで教科書に載せてたのがおかしい
小説がウケたらすぐに教科書に載せた日本の教科書の検定ってどうなってるの? どんどん偉人から遠ざかってゆく
教科書から外されるのも納得 日本のために薩長同盟をすすめたんじゃなくて
単に武器売りたかっただけの死の商人だしな
単純に幕府下の藩でひどい目にあってるから
幕府派に武器を売る事ができなかっただけ 竜馬が大きく取り上げられたのは
明治の元勲とされる人物に知り合いが多かっただけだな ぶっちゃけ、坂本龍馬って具体的に何をしたって訳でもないよね? 藩の要職に就いた訳でも無いし >>215
陸奥は龍馬に下っ端として使われてた立場だから当然、
海舟は龍馬が有名になってからちょろっと思い出して書いてるだけ。
海舟の家にしばらくいついていた事だけは三女の逸子の証言から確かみたいだけど。 信長だって再評価が進んだのは戦後なんだよなぁ
戦前はそんなに好かれていなかった。
秀吉はまあ好かれていた。 龍馬って大政奉還にあんま賛成じゃなかったらしいね
むしろ武力討伐派だったんだって
大政奉還を進めていたのはむしろ薩摩の小松とからしい
だから薩摩が龍馬を暗殺したという説は成立しないと
やっぱり会津桑名が怪しいんだって >>131
兵法免許皆伝の史料は残ってる
その薙刀の免許皆伝書って説は何処から来てんの? なんか、坂本さん家は武士の身分を金で買ったと言う話を聞いた事があるな >>113
スレタイ見てまず酒の名前が変わるのか?と思ってスレ開いたわw >>209
オレはコピペなんか一つもしてない
全部自分で書いたものだ
ねつ造ってどの部分?
具体的に根拠を示して反論してね >>131
金で買うものって、あかん史料の読み方やぞ
当時の学費納入システムがいわば「卒業金」(今なら入学金だろうけど)なんで、
免許皆伝の名簿が卒業時の謝礼金の納入記録になってる そんな何のバックもないのに、何か日本中でやってたってことは
ますますグラバーのパシリ説が濃厚になってんじゃねぇかw >>212
定説定説ってw
お前はライフスペースの教祖か?www
>>240
ところが坂本龍馬とグラバーが会った資料は
ないんだわ。
そして肝心の亀山社中との関係も薄い。 >>223
そのエピソードの前に、龍馬の功労に対して甥が
永世禄を貰ってて、その後も政府要職についたりしてるから
それなりの貢献が有ったと見るのが普通だろwww <緊急速報・・ニュース速報JAPAN編集部から>
千葉で殺人事件 住宅に血だらけの女性。
犯人は逃走中!さらなる犯行に及ぶ可能性!!!!!
近隣住民の方々は戸締まりを徹底するとともに
外出する際は十分にご注意ください。
https://breaking-news.jp/2018/02/26/038635 >>247
そのそれなりがどの程度かわからんのですよ。 >>246
直接の、グラバーと面識の証拠が無くても
小曽根家や大浦お慶とか長崎の財界人との交流はあったから
グラバーとも接触してた可能性は高いんじゃない? 北条早雲が一介の素浪人てのが完全否定されても道三が油売りなんかじゃない土岐氏の家臣と解っても誰も騒がないけど、
龍馬ってやっぱ特別なんだなぁって思うな 日本人は昔から記録魔な上に保管癖があって、かつ和紙の強度が強いから
調べれば調べるほどかなり昔のことまでどんどん分かってきてる。
だから中世史あたりからは文献調査でかなり歴史教科書も変わってるからねー。 蛮社の獄の「蛮社」って「蛮学社中」の略で
南蛮学問同好会って意味だったようだからな
現代の「会社」とは全然違うわな なんかインチキプロデューサーみたいな感じだよな
話すときはろくろ回してそう龍馬 アンチの連中はただの商人とかいうけど
ただの商人が大事な密約の裏書きなんか
しないし暗殺なんかされないんだよなぁ。
捕まえればいいだけなのに暗殺だからなあ。
暗殺をねらわれるのは大物。 こういう人たちは木戸に出した竜馬の手紙とか読まないんだろうなとは思う 宮内庁所蔵
木戸孝允(桂小五郎)が坂本龍馬に宛てた尺牘(手紙)の裏に返書として書かれたもの。
木戸が慶応2年(1866)正月に交わされた薩長同盟の内容を6項目にまとめて確認を求めたのに,
翌月,龍馬が表の内容に相違ないと,朱書で返答したもの。
(木戸家文書のうち)
木戸孝允(桂小五郎),坂本龍馬筆(慶応2年)
巻子本1軸
http://www.kunaicho.go.jp/culture/shoryobu/syuzou-z08.html >>164
高知新聞や司馬遼太郎からの坂本龍馬を見てると歴史は簡単に作れるんだなぁと感心するわ >>259
手紙の現代語訳
表に記載されたことは、小松帯刀、西郷吉之助、両氏及び桂小五郎、龍馬も同席の上で合意したことで、
少しもそれに間違いございません。今後とも決して心変わりしないと、神に誓います。丙寅(1866年)2月5日坂本龍馬 ウィキ〜より
それまで、殆ど無名に近い御仁だったらしい
日露戦争時、明治帝 皇后・美子の夢枕に人が立ち 「私が海軍軍人を守護いたします」と語り
皇后はこの人物を知らなかったが、宮内大臣田中光顕(土佐勤王党出身)が、龍馬の写真を見せたところ
皇后は間違いなくこの人物だと語った。この話が全国紙に掲載されたため、坂本龍馬の評判が全国に広まる
その後〜朝野を挙げて龍馬フィ―バー始まる! そもそもマザコンの何とかって作家が妄想したのが坂本龍馬
あれも坂本の手柄これも坂本の手柄って
殆ど捏造作家だからNHK御用達だった >>258
そこには、亀山社中設立について何か書いてあるの? >>262
それまでは 「知る人ぞ知る」 存在だったのが
一般にも広く知られるようになったってだけだろwww
全く功績のない人間がヒーローに仕立て上げられた訳じゃないwww 前2スレから時々覗いてみてたけどやっと皆さん落ち着いてきた感じ?
最初のあたりは感情的な妄想に走ってるレスばっかで大丈夫かこいつらと思ったわ
ネット民って何かとゼロか100か思考で龍馬は凄いか凄くないかって騒ぐけどさ
この記事って朝日新聞の記者が煽り気味に書いてるけど要はこの時期の龍馬にとって
亀山社中は人に任せときゃいい代物で龍馬本人は薩摩をバックに政治活動に注力してたってことだろ?
んなの龍馬の手帳とか同時代史料見りゃわかることでそれのどこが悪いんだよ 坂本龍馬が作った明治新政府役人表案(新官制議定書)_『尾崎三良自叙略伝』より【龍馬伝・坂本龍馬関係】
http://blog.livedoor.jp/golden__cadillac__/archives/1305717.html
尾崎が書いた自伝では坂本の人事構想に参議として坂本自身が入ってたと証言されてる
世界の海援隊になるとかいう陸奥の証言がファンタジー へえ亀山社中ってそんな昔からあるんだな
紅白で演歌歌手のバックで踊ってる人たちだろ >>124
長宗我部家好きなのでそれ関連とたまたま読んだ岡田以蔵の短編しか読んでないが、どちらもそこそこ粉飾多いと思う
特に人間像が >>35
江戸時代って栄養足りてないから室町時代より小さくなってたんじゃないの >>124
いくら取材しているといっても史実そのままを書けるわけじゃないし
フィクションを入れてるなら歴史書じゃなく小説でしょ
小説だからこそフィクションを入れてもいいんだし 戦後プロパガンダやって国民に意識を定着させたわけよ
マスコミの功績だね、で作家が司馬遼太郎よ それでも坂本龍馬が何もしなかった説は賛成出来ないな
当時のその場で生きてた人が評価してるんだ
すべてが真実じゃなかったにしてもただのぼんくらである筈がない
それにフィクションを問題視したって日本の歴史は江戸時代から創作塗れなんだから龍馬だけ親の敵みたいに敵視する5ちゃん住人はよう分からん 龍馬はなにもしていない。西郷のスポークスマンでしかなかったと確定してなかったっけ? >>274
ムキになってる奴はチョンだろ、3スレになって龍馬否定派も知識持ってる人間が多くて見ていて面白い 同時代を生きた人の評価や証言も色々残ってるし、何もしてない脱藩浪士だったら、その人達が持ち上げる政治的意図や経済的要因がないし。
亀山社中が株式会社の基本的思想で作られてたのもまんまだし、船の所有権が無いからそれに翻弄されてたのも漫画や小説で書かれてるしな。
>>1の記事が、むしろ意図的だろ。 >>1
当時こんな組織概念がなかったんだから現在の専門家なんて何でも言える
当時にタイムマシンか何かで戻って確かめるしかもう真実と呼べるものが無い気がする 功績無くはないだろうけど
限られた教科書の分量に入れる取捨選択で捨てる方に入れておかしくは無いんだろうな 何が誤解なのかわからない
亀山社中を結成し海援隊の隊長だったのは史実だろ
海援隊には明治政府で中枢を担う人材を大量に輩出しているから
龍馬が生きていたら当然政府の中心にいたはずだよ 親が年取ってから生まれた子供の上、次男坊で金に余裕あったからな
おまけに母親が早いうちに亡くなったとあればそれこそ蝶よ花よと育てられたんだろう
武市やら取り巻く周囲の人間の性質も良かったんだろうね >>278
株式会社ではないな
出資者は薩摩藩と薩摩御用達商人で、利益が上がっても配当するわけじゃないし
龍馬が問題になりやすいのは、もともとは商社と言われてたのに伝言ゲームで
いつの間にか株式会社になっちゃうとか話が膨らんでくところ 司馬遼太郎は嘘ばかり
その日の天候まで調べる吉村昭とは大違い 龍馬の部下たちは明治に入って多くが知事や、県令大臣、衆議院議長などで活躍、岩崎弥太郎のような事業家もおおい
龍馬が生きていたら間違いなく明治政府で要職を努めたと思うぞ
海援隊 隊長 坂本龍馬
隊員の明治政府での活躍
佐々木高行 工部卿 、宮中顧問官
長岡謙吉 三河県知事
石田英吉 秋田県令・千葉県知事、貴族院男爵議員
新宮馬之助 海軍大尉
野村維章 佐賀県権参事・参事、2代茨城県権令、東京控訴院検事長・大阪控訴院検事長
中島信行 初代衆議院議長
関義臣 大阪府権判事をはじめ、鳥取県権令や宮城控訴院検事長、大審院検事、徳島県知事、山形県知事、貴族院勅選議員
陸奥宗光 外務大臣
岩崎弥太郎 三菱汽船創業 >>282
「やったかもしんない」とか、そんな論法ばっかりなんだよな竜馬は。
明治維新で一番偉い奴は大久保利通に決まってるじゃん。
官僚制を作って日本を武士の時代から官僚と商工業の時代にした。
なんで正面から向き合わないんだ?日本の歴史好きはw
アホじゃん? >>286
司馬遼太郎の坂本はそういうのに興味ないけどね
わしは海が好きじゃき!つって世界の海に飛び出す予定だっから >>287
誰がえらいとかいう話をしているんだ?
大久保利通は暗殺されなければ初代首相になったんだろうけど
だから何? >土佐の脱藩浪人の集団
いやいや、みんなそう思ってるだろ
だからこそ時代の過渡期にどうにでも変容しうる自由さがあった
フットワークの軽さがあった
そこが魅力だと思ってたんだけど
違うのか? >>291
そういうことだよね
何が誤解なのかよくわからない
龍馬が教科書から外れるという話に乗っかっただけど
つまらない記者の知能だけが印象に残る記事 >>290
>だから何?
に正面から答えよう。
あのな、文化ってのはカルチャーがあってサブカルチャーがある。
同様に、歴史には正史があって裏の歴史がある。
明治維新は徳川幕府から明治政府に主権が移ったという話。
勝海舟がや西郷隆盛が重要人物だったということは認めるとしても、
坂本龍馬って間にはいってちょこまかしたかしなかったかも
はっきりしない存在じゃないか。それが、その時代を代表する
人物なのかね?学ぶべき人なのかね?
じゃあ戦国時代は前田慶次を学んで前田利家は学ぶ必要がないのかね?
もうさあ、無茶苦茶なんだよ。学問的な態度をとれない奴ってのは。
坂本龍馬なんてもんは、裏の裏の存在なんだよ。
それを教科書で取り上げるとか、正気の沙汰じゃないんだよ。 坂本龍馬ってのは、昭和後半の「サブカルチャー文化」に
日本古来の「判官贔屓」がのっかった、それ自体が昭和後半を
理解するための社会学的な題材なんじゃないのかね?どちらかといえば。
私立大学を出て、満員電車に乗って通勤する、サラリーマンのマジョリティの
心にずどーんとヒットしたんだろ?坂本龍馬だの、新選組だのってのは。
海援隊や新選組のモブの中にだったら、このちっぽけな俺にも居場所がある。
ひょっとして時代を動かしている一人になれたかもしれない。
そんな妄想を実現してくれる存在なんだよな。 >>282
その亀山社中はちゃんとした組織では無く、親睦会程度団体だったのでは? こういう発見て昔の研究者が
考証して切り捨てたものを今の研究者が知らずに飯の種が出来たと飛びていたようなやつだろ
大抵は 幕末を学ぶのにモブに注目したら学問的じゃないってのは納得できんなー
戦国時代なら武将とか有名人物だけに注目しててもわかる時代かもしれんが 官僚制作ったやつ
もっときっちり罰則や有責任制にしなかったんだ
いまなんかわがままで呑気でダメダメになっているがな
頭もいいし有能でも一枚裏返すと自惚ればかり
エリートだけの世界に棲んで他を見なくなる
ある意味を言えば能力のサボタージュ
それでいいのか? 多分、歴史学者はこの人物はこういう人だという仮説が前提があって、それを裏付ける為の資料を基に論文発表などを行うから、自分の仮説と異なる事実を裏付ける資料を見つけてもそれを基にした論文とか発表しないと思う。
だから、じつは今まで言われてた人物像では無い事は結構あると思う >>294
大久保利通も「もし生きていれば」という虚構に支えられているんだよね
明治政府で一番活躍したのは伊藤博文だし
それはいいんだけどね 司馬遼太郎ってのは、サブカルチャーの神様だよ。
サラリーマンの神様が司馬遼太郎で、オタクの神様が寺山修司だよ。
産経新聞の記者として、電車に乗って毎日通勤するサラリーマンの
娯楽って何だろうと思って、歴史に目をつけたんだろうよ。
大學でやってる研究は難しい。一行一行理解するのに勉強を必要とする。
そういう「カルチャー」ってのは、高度成長期の日本人には面倒だったんだ。
あるいは学生時代は岩波書店の本を読んでいた奴らも、会社に入ったら
忙しくなる。「正史」ってものにもケチがつきはじめる。楠木正成は
ヒーローじゃなくなったし、かといって邪馬台国がどこかもわからないじゃないか。
そんな面倒な作業に付き合ってられない。そうだ、近代日本の「原点」を見よう。
坂の上の雲だ、坂本龍馬だ!ってなもんよ。 >>303
おい待てよ。それは、豊臣秀吉を否定して徳川家康だけを認めるようなものだよ。
大久保は50近くまでちゃんと生きて実績を残している。
初代内務卿(実質上の首相)を務めるなど、内閣制度発足前の明治政界のリーダーであった。 龍馬なんて調べれば調べるほど謎の多い人物
正直どれが真実かなんて誰も分からんよ
昨日今日の国会の議論でも言った言わない、そういう意味で言ったわけではないとか
本人たちも混乱してるだろ
150年も前の話ならなおさらだわな 龍馬をsageたいために大保を引き合いに出してサンドバックにしようとする奴って
すっげえ迷惑 >>299
そういうことを言ってるんじゃない。
モブそのものを見るなら結構だよ。当時の農村がどうなっていたか。
京都や大阪の経済人がどう動いたか。
司馬遼太郎ってそうじゃないでしょw
英雄譚の昭和後期版でしょ。
楠木正成を下ろして坂本龍馬にしただけなんだよ。 >>132
勝海舟は龍馬殺しの主犯です。よってかかわりは晒したくない。 >>307
それは、「つまんない俺」に向き合うだけの精神力がないから
お話のヒーローにのっかりたいって真理でしょ?
逆だよ。実際に日本の役にたった人を、坂本龍馬ファンは「下げ」てるんだよ。
決め台詞が「つまらない」「冷たい人だ」とか。
はいはい、別にあなたたちのウケを取るために活動してるんじゃありませんって
実際に日本を動かしている人々は考えると思うよw >>77
明らかに司馬遼太郎が再発掘したキャラだろうが
無知な馬鹿はおまえだ >>310みたいなバカがいるから大久保にヘイトが集まるんだよなあ…
どうせほんとは木戸オタとかだろwwww >>102
まさか、それも創作だったとは
驚きが隠せないな フィクションを史実だと信じて疑わないネトウヨの知能の低さに驚きを禁じ得ないな >>154
岩崎の成功は屑になるという噂だった藩札を安値でかき集めてそれを政府紙幣に換えたこと。
そしてもちろんその情報を岩崎に与えたのは後藤。これを才能というべきかどうか。
こういう経緯だから、他の財閥には卑しい扱いされていた。
だから、ここで龍馬を持ち出してきて三菱の前進は海援隊だとかを言い始めた。
それが坂崎の小説。
ソフトバンクの日債銀みたいなやりかた。というかこれは孫が岩崎のまねをした。
龍馬を持ち出してくるところまでパクっている。
それと、陸奥は龍馬のことをもの凄く尊敬している。 >>312
勉強しない、お前みたいな奴の態度がむかつくだけだよw
文化を尊べ、正論は何かを常に考えろ。地味な努力の積み重ねである
学問をバカにして、サブカルチャーに逃げるな。
とくに、歴史はそういう態度が大事なんじゃないのかい?
「ドクトは韓国の領土」とか言われて、反論するためには、ちゃんと
事実を積み重ねて理解しなければいけないんじゃないのかい?
北方領土がなんで日本の領土か、って話は日清日露戦争を理解しないと
いけないのではないのかい?
あと、そういうサブカルチャーだけで生きていて、自分の子供はどうやって
育てるつもりなんだ?「テレビで言ってたから正しいんだよ」っていうのかい?
自分の頭で勉強するんだよ。勉強って、そういうためにあるんだよ。
気がついてよw >>316
感情的になって長文レスする前にさかのぼってスレ読んでみなwwwww
この人はどうやらいつもの会話のキャッチボールができない人のようだ
アンカつけた相手が書いてもいない内容を
お前はこう思っているはずだと決めつけて叩き出すwwww 龍馬って誰?
もう歴史上の人物じゃないだろw
西郷どんに暗殺されたただの売国奴だよ >>275
そんなことはない。龍馬の背景として最も重要なのは、松平春嶽と大久保一翁。
彼らと談合している最中に暗殺されたと言うこと。龍馬捕縛禁止令がでていたのは、
幕府にとっての重要人物だとこの時点で認識されていた。
薩摩側では西郷ではなくて小松帯刀。公家では三条実朝。彼らの間に立てるのは龍馬だけだった。
岩倉具視なども龍馬がいなければ明治維新はなかったといっている。 >>302
昔の研究者とかの本見たら
こんな研究や仮説はあるが、別の手紙や資料からそれは考えられないと
ちゃんと考証してたりするよ
今の研究の方がそういうのをすっ飛ばして
ひとつの資料取り上げて騒いでるように見える >>318
ないない。西郷は小松には逆らえないしそのつもりもない。 物語上龍馬が人気だという事実を否定したいのはわかるけど
ロマンというは物語の中で生きていくもので
龍馬が生きて明治政府で活躍してもこれだけの物語は産まなかった
死んだからドラマになるわけで >>314
まあ小説を本気にするやつが馬鹿だよな
俺子供の頃元気が出るテレビのワニ相撲信じていたなあ 坂本龍馬を暗殺した犯人は西郷隆盛!?林修先生が衝撃の仮説を発表!
https://www.google.co.jp/amp/s/dorama9.com/2017/12/17/post-27155/amp/
西郷に暗殺されるほど龍馬はかなりの悪党だった
これが歴史教科書から消えた理由 確か勝海舟や横井小楠の研究者の松浦玲が、勝と龍馬はほとんど会ったことがないとか何かの本で書いてた 龍馬暗殺の犯人は薩摩だってのはもともとは
小栗上野介の甥の私怨まみれの妄想なんだよなあ 坂本龍馬と薩長同盟の「新説」論議:オピニオン:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100809.html
薩長同盟に龍馬が不在という「新説」
幕末の薩長同盟(盟約)といえば、土佐の坂本龍馬が有名である。
長州藩の尊王攘夷派は、京都で禁門の変を引き起こし、幕府側に加担した薩摩藩と敵対していた。
その長州藩と薩摩藩の和解を仲介し、幕末政局の転換に力を発揮したのが坂本龍馬とされている。
この薩長同盟と龍馬の問題については、論議となっている点が多い。
十数年前、大手新聞に「薩長同盟 竜馬仲介は創作?」といった「新説」が紹介された。
新聞には「薩摩藩家老の日記に注目」、「西郷・木戸会談に同席せず」との見出しが躍った。その「新説」は、京都で同盟が結ばれた薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允との会談に、龍馬が同席していなかったというのである。
この「新説」が依拠した史料は、京都の薩摩藩邸にいた同藩家老の桂久武日記であった
慶応2(1866)年正月18日の日記には、西郷隆盛・大久保利通と木戸が長時間におよぶ「国事」の話し合いをしたことが記されている。
20日には大久保の帰国が命じられ、木戸についても送別会が開かれたという。それゆえ「新説」は、薩長同盟の締結が正月18日だったと論じた。
それまでの正月21日説を否定。そして龍馬が京都に入った正月20日は、すでに同盟が成立した後であったという
したがって龍馬は肝心の会議に同席せず、後日に木戸が同盟を明文化した書状に裏書しただけであるというのが「新説」の結論であった。 坂本龍馬と薩長同盟の「新説」論議:オピニオン:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100809.html
薩長同盟に龍馬が不在という「新説」
幕末の薩長同盟(盟約)といえば、土佐の坂本龍馬が有名である。
長州藩の尊王攘夷派は、京都で禁門の変を引き起こし、幕府側に加担した薩摩藩と敵対していた。
その長州藩と薩摩藩の和解を仲介し、幕末政局の転換に力を発揮したのが坂本龍馬とされている。
この薩長同盟と龍馬の問題については、論議となっている点が多い。
十数年前、大手新聞に「薩長同盟 竜馬仲介は創作?」といった「新説」が紹介された。
新聞には「薩摩藩家老の日記に注目」、「西郷・木戸会談に同席せず」との見出しが躍った。その「新説」は、京都で同盟が結ばれた薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允との会談に、龍馬が同席していなかったというのである。
この「新説」が依拠した史料は、京都の薩摩藩邸にいた同藩家老の桂久武日記であった
慶応2(1866)年正月18日の日記には、西郷隆盛・大久保利通と木戸が長時間におよぶ「国事」の話し合いをしたことが記されている。
20日には大久保の帰国が命じられ、木戸についても送別会が開かれたという。それゆえ「新説」は、薩長同盟の締結が正月18日だったと論じた
それまでの正月21日説を否定。そして龍馬が京都に入った正月20日は、すでに同盟が成立した後であったという
したがって龍馬は肝心の会議に同席せず、後日に木戸が同盟を明文化した書状に裏書しただけであるというのが「新説」の結論であった。 /\
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https://youtu.be/IYuCIHZNX2U
ユダヤ ユダヤ ユダユダで
ユダヤ ユダヤ ユダユダや
ユダヤ ユダヤ ユダユダの
この世はユダヤのためにある
見ててごらんこの陰謀
人工地震(噴火)はお手のもの
自作自演は十八番
ユダヤが世界の支配者だ
フランス革命 ロシア革命
世界大戦 裏にユダがいる
神がくれたこの知謀
無駄にしては罪になる
この世のすべてを摘むまで
世界の破壊もいとわない
ユダヤ ユダヤ ユダユダで
ユダヤ ユダヤ ユダユダや
ユダヤ ユダヤ ユダユダの
この世はユダヤのためにある
世界で一番優秀な
ユダヤユダヤユダユダヤ
モンゴロイドは根絶だ
エイズやSARSもユダユダヤ
ホモもジェンダーも
原発爆発も癌の増加も
実は裏にユダがいる
神がくれたこの知謀
無駄にしては罪になる
この世のすべてを摘むまで
覇権と基軸通貨は渡さない >>331
この説は知ってるけど木戸の回想とつじつま合わなくね?
ってツッコミも入ってるよね 龍馬から大久保までみんな使い捨てられただけ
アルカイダみたいなもんだよ
ラスボスはいつだってスイスやバハマの別荘に居る 現実の龍馬の存在感なんて戦国時代で言ったら安芸氏レベルだからなぁ
教科書に載せるにはちょっとおこがましいよね てか物語の龍馬をリアルと思ってた人が多くてびっくり
学生時代日本史習ってたから、物語と夢で半ば空想で出来た人物と理解してたけど
学者も常識夢を壊すから世間には言えない状態なのでは 司馬遼太郎が有名にしたとか言ってるやついるけど
すでに戦前から有名だったよ坂本は
宮内大臣の田中光顕らが桂浜に銅像作ったりしたのも戦前 坂本龍馬とかは、ただ単に世の中がグチャグチャに、なった方がオモロイやん精神で煽ってただけ
元々、四国、九州辺りは離れ孤島だった為、独立心が強く中央徳川の独裁には批判的だった
また徳川も九州など単独で外国と通じてるのではないかと疑心暗鬼になり、幕府の取り締まりを強化した経緯もあるしな
、どちらにしても条件が整ってた所に坂本龍馬みたいな煽るやつが現れてベクトルが倒幕へ向いただけの事
後々、小説やら作り話で坂本龍馬の話に尾ひれがついただけ >>340
てか今って桂久武の日記と木戸の回想を合わせて
龍馬が来てから数時間後に薩長同盟は締結されたけど
そんな短時間で決まる内容じゃないから龍馬の関与は薄い
って説を唱える人の方が多くね? >>341
倒幕を果たした事で中央政府は官軍のまま幕府の後を継ぎ、土佐長州出身の政治家や軍人が多くなった
そこで何かシンボル的な意味合いでも銅像を建てるブームと当時は重なってた事もあって坂本龍馬が選ばれただけの話、昔の文献から坂本龍馬の話が少ないのは、そんなに目立って重要な人物ではなかったから
今は小説などのストーリーが先行して有名になっただけの話 >>343
坂本龍馬が金儲けと考えれば、戦争が一番だと考えるだろうな
薩長も坂本龍馬は幕府側のスパイかもしれないと言うことで疑って調べたはずだし
そこで武器を扱ってるとわかったからこそ信用できたんだろうな >>338
そりゃそうだよ、九州には外国と貿易しているから幕府も特政府を置いて多数の密偵を置いて監視していた
そこに外国と貿易してるなんてのは真っ先に目を付けられるから 薩長同盟にしても大政奉還にしても改めて小松帯刀を研究するのが肝心な気がする
最近の研究でこの二つは小松が中心にやったことがわかってきてる 高木三郎 "坂本は文字がありません"
岩波文庫『海舟座談』 283頁
船中八策とか代筆かよwww >>348
愛之助歴史捜査や英雄たちの選択(BSの歴史番組)でも、小松帯刀がっつりやってたな♪ 小松帯刀の子孫が品川駅の立ち食いそば屋をやってるのは内緒だ 薩長閥に食い込めなかった、土佐っぽのひがみ根性の妄想だからな 龍馬の功績は大きいぜよ。
維新貢献度No.1は間違いない。 >>1
朝日新聞って本当に日本の歴史を改竄したいんだね
裏取り取らずに適当に書いてりゃあいい、ってスタンスやめて欲しいよね
鈴木商店を焼き討ちしたり、テロリストじゃないのか? 姉だか家族だかに手紙出したのは残ってるんだよね。
文面からどんな人柄かわかるでしょ。 亀山社中ということから京都の亀山で組織されたグループというイメージなんだが。
脱藩浪人の竜馬が長崎で活動するには不適切な名前とも言える。 >>358
アホか
朝日が言ってるわけじゃなくて歴史学者が言ってるわけ
それに反論があるならちゃんと論文書けよ >>343
つぶれる寸前でなんとか締結できたのは品川弥二郎の証言とかが元だと思うが >>341
前に博物館で坂本龍馬が主役になってる戦前の映画の看板があった >>358
君は、朝日を批判して自分の自尊心を満たしたい可哀想な人なんだね >>363
特に何もしてないよ。強いて言うなら、土佐藩を脱藩した人 長州にとっての恩人だってのは史実なんだから過小評価も行き過ぎだな
中岡とか他の脱藩浪人は禁門終わったら長州追い出されて福岡に引きこもっちゃったし 水戸黄門や暴れん坊将軍もそのうち史実に格上げされるんかな >>369
もっと前の話だしもっと前から
時代劇でさんざんやってたし
今更史実にならんだろw >>369
水戸から鎌倉までが最大の移動距離なのに、諸国漫遊した事になるんだろうね。
で、吉宗は火消しのめぐみの所出入りしてた事になる。 >>370
水戸黄門については諸国漫遊した人って思ってる人が多そうだけどな 暴れん坊将軍って、水戸黄門と違って身分証見せないでしょ? だから、相手も顔を知らんと言い張ればいいのにね 優秀な使いっ走りだろこの人。
やたらあちこち顔出すのは凄いっちゃ凄い。
でも個人で政策に関わったみたいな部分が全部嘘だってことでしょ。 まだ日本潰し工作やってのか
バカウヨ&バカサヨ連合はw >>374
そう言い張った奴もいるw
・「上様がこのような所に来られるはずがない」
・「恐れ多くも上様の名を騙る不届き者(痴れ者)だ」
・「こ奴は上様ではない」
・「上様の顔を忘れた」
・「何をほざくか素浪人が」
・「この者はめ組の用心棒よ」
・「ここで死ねばただの徳田新之助」
・「上様とて構わぬ」
・「かくなる上は、お手向かいいたしますぞ」
・「八代将軍も今宵限りよ」
・「ここで死ねばただの狼藉者」
・「上様のお命頂戴致せ」
・「あいにく此処は我が屋敷。上様だろうとて殺してしまえば五里霧中」
・「お一人でお忍びとはもっけの幸い」
・「何をほざくか吉宗。良い所に現れたものよ」
・「飛んで火に入る夏の虫とはこの事よのぉ」
・「吉宗の首を我が殿、宗春公に差し出せ」
・「もはやこれまで、かくなる上は……」
・「上様に取り付いた死神になりましょう」
・「腹を切るのは拙者ではなく、上様の方じゃ」
・「上様……、お手向かい致しますぞ……!」
・「悪党らしく死に花を咲かせてくれるわ」
・「そこまでばれているのなら、毒を食うは皿まで」
・「もはやこれまで、斬れ! 斬れ!」
・「我ら幕閣(幕臣、幕客)あっての上様ではないか」
・「上様と太刀交えるは武門の誉れ」
・「そんな事をしては、こっちの身の破滅」
・「吉宗殿、神君・家康公のお墨付きの御前でござるぞ。如何に8代様とて頭が高うござる。御控え召されぃ!」 >>377
「上様と太刀交えるは武門の誉れ」 が好み 龍馬の思想的背景はどう考えても土佐勤皇党。
尊皇精神を基礎に当時言われていたことをまとめたのが船中八策。
これがなければ>>319のような人脈は築けていない。
司馬の小説の問題点はここを隠しているところにつきる。
ここを外してしまうと一体何をしてたんだ坂本は?となる。
靖国に祀られている維新殉難者はこれ。
吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎
彼らは戦後に祀られた人達とちがって、天皇の裁可で祀られることが決まっている。
いわゆるA級戦犯と言われる人達は天皇の裁可がない。つまり全く格が違う。
A級の人達に対する考え方はいろいろあるにしても、朝日は坂本を否定したい。
イコール尊皇精神を否定したい。司馬の竜馬はそこを前面に出せなかったのは出版事情だろう。
龍馬が勤皇党を抜けて脱藩したのは土佐藩の動きが鈍かったからで、
山内容堂に殉じた武市らはむしろ融和派だともいえ、最初の加盟者だった坂本は完全な急進派。
司馬遼太郎も民主主義ではなく日本は民本主義だと言っていたが、
そこには皇室の存在が大きいことは認識していたはず。坂本は皇室と民主主義との両立を計った存在。 >>102
坂本龍馬が桶町千葉に入門していた根拠はたくさんある。
1、千葉佐那の証言 「龍馬は塾頭で免許皆伝だった」
2、玄武館名簿に記載されている
(玄武館はお玉が池千葉だが、そこの代表選手として対外試合に出場した)
3、坂本家が、釧路で開催した「龍馬展」の出品目録に千葉道場の免許が含まれている
(長刀ではなく、北辰一刀流免許皆伝。実物は火事で消失)
4、最近発見された史料で、桂小五郎に2対1で負けたと明らかになっている
(この時期、各道場間の対外試合は頻繁に行われていた。実力は伯仲)
5、水戸藩士染谷寅之助が「龍馬は劇剣家」と書いている
(対戦したことはないと思うが、千葉重太郎と共に水戸藩に出張指導に行ってた)
それなのに、長州で、15・6歳の少年に負けた・・・
龍馬が剣術修行に打ち込んでいたのは、23・4歳くらいまで。
土佐に帰ってから何をしていたかというと、
徳弘孝造に入門して、洋式砲術の勉強→免許皆伝
(徳弘は高島秋帆の弟子、佐久間象山の兄弟弟子)
甥の高松太郎の証言 「本ばかり読んでいました」
(史辞通鑑を読んでいたという。日本の歴史書、西洋の歴史書も入手して読んでる)
河田小龍が隣に住んでいて意気投合した
(ジョン万とは直接会ってないが、『漂巽紀略』の草稿ないしダイジェストは読ませてもらってる)
このように、大部分の時間を、読書・勉強に打ち込んでいた。
照明は蝋燭だから、眼には悪いよねえ。遺伝のせいもあって、ド近眼になっちゃった。
免許皆伝でも、4年も稽古しなかったら、弱くなっちゃうよね。
長州の少年にも負けちゃうし、これでは脱藩できない。
親戚が長崎回船問屋だから、舶来のピストルを入手してもらった。 >>377
いつも上様とばれた上で
関係あるかやってしまえと逆らわれてるねw でさ、脱藩した坂本竜馬が日本全国をふらふらしてんだけど
いったい誰がその金を出してたの?w >>343
本当にそう考えるのが多いのなら
世の中アホばかりと言うことになるがwww
重要な決議がその場の話し合いだけで決まるわけねぇだろwww
最終的に決断が下される場面に至るまでに多くの交渉ややり取りが有るのが普通w
龍馬が遅れてきた、或いはその場にいなかった事は
龍馬の関与を否定する根拠には成りえんわなwww
龍馬は其の前段階に関与してたかも知れんのだからwww >>367
脱藩しただけで、暗殺者に命を付け狙われて
正四位も永世禄も貰えるって凄いなwww 幕末はこれで十分↓。
龍馬いらん松陰いらん新鮮組なにそれ?
黒舟来航
↓
幕府開港
↓
天皇と諸藩が怒る。
↓
怒った人たちが天皇の下でがんばって、外人を追い出そう!て言い出す。
↓
朝廷と幕府の仲が険悪に。
↓
幕府が怒って反乱分子を弾圧。
↓
仕返しに幕府の大老が暗殺される。
↓
反乱分子が天誅と称して次々幕府方に暗殺を仕掛ける。
↓
反乱分子が調子に乗り出し筆頭だった薩摩長州がイギリスに戦争しかけるがボロ負け。
↓
天皇がこれからは開国って言い出す。
↓
反乱分子の力が弱まって各地で刑罰を受けるようになる。
↓
反乱分子筆頭の長州藩が幕府に攻められる。
↓
危機感を覚えた長州が薩摩と手を結ぶ。
↓
幕府が再び長州に攻め込むが追い返される。
↓
将軍と薩摩、長州、土佐藩の人たちが京都(朝廷)で話しあう。
↓
話し合いの結果、幕府は政権を朝廷に返上して朝廷と諸藩で国を運営しようってなる。
↓
話し合いの中で将軍家の領地や財産の返上を求められるが将軍が無視。
↓
朝廷、薩摩、長州が「やっぱ幕府潰せ」と江戸へ進軍。
↓
江戸城に薩摩連合軍が迫って来たが両者の代表が話し合って無血開城。
↓
しかし、幕府が負けるのが嫌な藩や勢力が徹底抗戦、その後も戦争は続いたが最後
は北海道でやっつけられる。
↓
いろいろあったけど明治政府誕生\(^o^)/ めでたしめでたし。 おまえらのほとんど言いがかりに近い希望的妄想の方が痛い。 >>377
「腹を切るのは拙者ではなく、上様の方である」の回見たわ >>295
龍馬の存在は面白いと思うが同意出来る所が多い >>344
土佐人の中で有名だったということだけで十分に有名人だろ >>390
言いがかりつか、一部のネタ短文を除いて、龍馬が何かした証拠がないと言ってるだけじゃね?
逆に本当に大仕事したかも知れないが、証拠もないのに大仕事したと決め込んでるほうがよっぽど妄想ってもんだろ
てかそれこそが妄想だろw 虚構の「可能性」がある。
だけで、まだ確定じゃないんでしょ。
頑張って調べてくれ。
あと暗殺したのは誰かも。 >>386
その前段階に関与した証拠はあるの?
なければ、締結の場に遅れてきてふわけだから、より一層関与の度合いが低いとも言えるのでは? 少なくとも当時から沖田総司くらいには有名だったんだからそれでいいじゃん 薩摩藩士じゃなくて、金もらって船の運行請け負ってるなら会社じゃねーのか?
何を言ってるんだかわからねえ。 >>367
なんにもしてねー奴が何で暗殺されんだよ >>401
当時は、自称志士なのどの訳の分からん連中が訳の分からん肩書き名乗ってそこら中を闊歩してたんだぜ。辻斬りも珍しくなかった。
そういった中で、龍馬は殺害された。暗殺というより、見廻組という強盗に遭った様なもんだろ? >>402
どおおおおおおおおおおおおおおおしても坂本が大人物だったのは許せないのですね。分かりますwww
中岡じゃねーの?ってオレも思った時期があったけど、やっぱそれならもっと中岡を評価する証言があってもいいんじゃねーの?
「あの時代」にね。 今 じゃなく。
>>403
坂本を名指しでご在宅か聞いておいて辻斬り、強盗かよw おまえらの脳みそどうなってんの? >>406
だから、その辺って司馬遼太郎の創作なのでは? 切られた元相撲取りのなんちゃらがそう証言してたんじゃねーの? 龍馬は多分当時も嫉妬されることあったろうな。ボンボン特有の屈託の無さや執着のなさが見られただろうし >>406
「あの時代」の中岡評
西郷隆盛 「倶に語るべき一種の人物なり」「節義の士なり」
坂本龍馬 「我中岡と事を謀る往々論旨相協はざるを憂う。然れども之と謀らざれば、また他に謀るべきものなし」
佐久間象山 「土州藩の使者(中岡)は頗る頑固な人で、これを辞したら殆ど刺違へぬばかりに議論をした」
板垣退助 「世間で名高くなっている坂本龍馬よりは、ある面で優れていたかと私は思っている。中岡慎太郎という男は立派に西郷、木戸と肩を並べて参議になるだけの人格を備えていた」
岩倉具視 「誼を条公(三条実美)に通じ、交を西郷、木戸、広沢、品川、五子に結びたるは中岡、坂本、二子の恵みなり」
大江卓 「元来、土佐の王政復古論の筆頭は坂本龍馬だということになってはいるが、或は中岡慎太郎の方ではないかと自分は思っている。
一寸ここで坂本と中岡の人物を評して見るなれば、中岡は後の板垣(退助)、坂本は後藤(象二郎)という形である。
中岡坂本両人共に(武市)瑞山の後継で二重鎮であった。ちょうど長州を例にとっていえば、松蔭門下の久坂玄瑞、高杉東行というところである。人物の風格も似ていないではない」
「中岡は台閣の器であり、坂本は広野の猛獣であった。一は宰相の風があり、一は豪傑の面影があった。此の二人を土佐が早くも失ったのは返す返すも惜しいことをしたものである」
正親町三条実愛 「随分たしかなる人」
尾崎旦爾 (熊吉)「才略と胆力と人格を有し、而して彼の如く刻苦し、彼の如く忍従し、克く結び、克く尽し、回天の大業を空挙に築き、維新の元勲として功績最も多く、稀世の英傑なり」
香川敬三 「略を好む、大志あり」 >>404
それでアンチ日本アンチ司馬遼太郎に執拗にネガテイブ工作されるようにはなったな
この記事がまさにそれ
韓国人は司馬遼太郎の小説は気に入らないだろうし
いろいろクレームつけるだろうな
それもまさにこの記事の一環 田中光顕 「中岡氏は東群の大里正なり。その在群にあるや郷民皆その徳に伏す。其人となり深沈にして胆力あり。当時土州脱藩士五六十在せりと雖も、恐らくはその巨魁なるべし」
「中岡を以て策士と見做すは誤っている。彼は西郷南州と其型を一にする君子人であった」
「非常に真面目な男であっただけに、坂本が大ビラにお龍を連れて歩いたのに比し、彼は極めて秘密の裡に閑日月を楽しんだものである」
「何時か一人で外出して帰ってきて『今日、祇園で湯に入ったが、素的な代物が一緒に入っていて僕は湯から出られなくて困った』という笑い話をしたことがあった。中岡は大体謹厳な人であったけれども、一方のこともなかなか剛の者であった」
「中岡先生は坂本先生と終始仕事を一緒に致しましたけれども、坂本先生の名が最も広く世界に伝わって居ります。
しかし、私は其の識見に於て、其の手腕に於て、中岡先生の方が遥かに優って居ったと思います。維新の原動力が三条、岩倉両公にあることを達観して、両公を握手させたのも先生であります。
坂本、後藤に先だって政権を朝廷に奉還せねばならんと言う意見を唱道したのも先生であります。
こう言う活眼の人が維新後まで生残って居たなら、
吾々土佐人の肩身も一層広かったであろうと誠に遺憾に堪えないのであります」
「先生は弁舌さわやかで、剣をもって坂本龍馬より上であったろう。障害になる人物が現れると、先生が行けば一時間の猶予も必要でなかった。一時間以内に意のままに説き伏せて帰って来た」
「頗る真面目な人で即ち精神家であった。精神家であるだけ、なかなか神経質な所があって、一時は脳を悪くし養生かたがた水戸の住谷寅之介を訪ねたり、信州に佐久間象山を訪ねたりした。
品行なども絶対に酒色を遠ざけるという程に融通の利かぬ男ではなく、終始その起居を共にした自分としては天機漏らす可らざる事も知って居るが、大体に於いて謹厳な男で、その性格がよく西郷に似ていた。中岡は何時も西郷の人物を推賞し、西郷もまた中岡を賞賛して居た」 >>407
司馬遼太郎が小説書いた遥か前から坂本龍馬はそれなりに有名だった
桂浜の銅像なんて昭和三年に作られてる
当時の宮内大臣田中光顕が中心となって作った
昔から有名な人物であり特に政界では英雄的な存在だった で、それほど大したことない脱藩浪人が福井藩主に会ったり資金くれとか頼めたりするもんかね? >>406
みんな声をそろえて言うのは、最近になって坂本のが有名になったが、中岡の方が能力は上だったということ
(坂本が有名になったのは高知新聞のプロパガンダ小説によって)
坂本も当時から中岡と同程度には有名だったかも知れないが、維新直後の評価では中岡の方が上
田中も大政奉還は中岡が先に言い出したと言ってる
司馬遼太郎は薩長同盟を考案したのも一番貢献したのも中岡だろうと言ってる
お前は龍馬に盲目信者なだけで、何も知らないし知ろうともしてない >>410
実際功績なんて大したことないのは事実
ただ人望があったんだろう
特に土佐では
だから中岡や武市を差し置いて明治時代から名を馳せた 同士内では有名かつ人望があったのは事実なようだし
見えない形で倒幕勢力をまとめたといった功績はあってもいいだろう
本来なら武市半平太あたりが担う役割だったかもだけとわ 司馬遼太郎以前から坂本龍馬は有名だったという人がいますが
そんな人に私は戦前の主題となった映画の本数が同数なことから
「そうだね。月形半平太と同じくらい有名だったよ」と答えます
それでは司馬遼太郎は何の影響もないかというとそんな事もなく
月形半平太のモデル武市半平太と坂本龍馬の知名度と人気の差が
司馬遼太郎の仕事の結果だと思います >>380
1、佐那本はそんなことは言ってない。
2、玄武館の名簿は断片的にしかのこっておらず、残ってる名簿に坂本龍馬は無い。今ある玄武館は江戸時代のとは別のもので、そこには坂本龍馬の名札が掲げられているが、これは史実と関係ない。
3、坂本家には千葉道場の免許は無い。有るのは明治も後半に書かれた龍馬の遺品の目録であって、それに北辰一刀流免許と書かれているに過ぎない。本物かどうかわからないのである。
4、そんな試合はなかったというのが有力。明治に作られたものだろうというのが歴史学者の通説。
5、小栗流免許皆伝なのだからそれでいいのでは。 >>420
その書き込みは少なくとも明治時代には有名人だったということだな 龍馬は即死だったけど中岡は半日強持って焼飯も食べてから死んだらしいね。昔龍馬にハマって古本屋で歴史雑誌買った。まだ若い頃の写真があって、目がくっきり別人で驚いた。黒鉄ヒロシのばあちゃんは幼少時、土佐で龍馬に煙草買ってきてと頼まれた事があるらしい >>379
龍馬は土佐勤王党についていけなくて脱藩したんだろうと思うな
最初の江戸行きで黒船を見て、佐久間象山に入門
脱藩して勝海舟に弟子入り
明らかに開国し富国強兵、海軍を興そうと思っていたとしか思えん 神道無念流の桂小五郎はマジで強かったらしいね。
練兵館に入塾一年で免許皆伝(当時だと黒帯で免許皆伝くらいだと思うが)
しかし龍馬は千葉定吉の道場で免許皆伝を貰った北辰一刀流の猛者。近江屋で一緒に暗殺された中岡慎太郎も武市半平太の道場で免許皆伝を得た鏡新明智流の猛者。
簡単に殺られてるからね。
斬ったのが剣の達人だった伊東甲子太郎や斎藤一なら頷けるがそういう説もあるらしい。
しかしこんなにフルボッコで殺られるもんなんかいな? 朝鮮人の長州土人によるクーデター
それを美化しようと、滅茶苦茶な作り話連発
その子孫、安倍(笑) 龍馬の姉も近藤勇の嫁も醜女として記録されている。
昔の人ひでぇw よく韓国でテロリスト安重根を崇め奉ってるって朝鮮人を馬鹿にしてる奴がいるが
日本じゃクーデター起こしたテロリストの子孫が総理大臣やってるっていうwwwww >>32
まぁそうだろうね
武田鉄矢がさらに広めたと 土佐藩が維新後の地位確保のため
龍馬の功績をかなり盛ったって説を
どこかで読んだ記憶があるんだけど
どうなんだろ。 >>380
>『漂巽紀略』の草稿ないしダイジェストは読ませてもらってる
漂巽紀略は土佐藩から幕府に献上されて、一般人は読むことができなかった。
その草稿でも読んでいたとしたら、その情報量の多さは、
各藩の高官に一目置かせただろうな。
>>423
>龍馬は土佐勤王党についていけなくて脱藩したんだろうと思うな
ついていけないというよりも、武市らの狂信的な尊王攘夷論に反対だっただろう。
吉田東洋の暗殺にも反対だったはず。
東洋は開国論だったから。もっとも彼から見れば龍馬は眼中にないけど。
東洋暗殺の直前くらいに脱藩している。
巻き込まれたくなかったんだろうな。
その後、京都などでテロ活動する武市一派とは一線を画しているし。 >>426
陸奥宗光を本気で嫉妬したことがあったけど
正面から見るときれいはきれいだけどそこまできれいでもなくて
いわゆる奇跡の一枚で、ちょっと陸奥宗光を許せる気持ちになった >>417
人望はないよ
知人に金借りて風俗通いして性病持ち
借りた金は返さない
野口英世と坂本龍馬はホンマモンのクズやで 坂本龍馬をイケメンで再生するから
勘違いする
ビジュアルを上島竜兵とかテリー伊藤で再生してみろ
ドラマにしても完全なクズ役 日本潰しネガティブ工作とか言ってるアホがいるが
坂本龍馬のやった事は完全な左翼だろ
坂本こそ日本潰し工作員だ 龍馬脱藩の理由って下関に直行して島津久光一行とニアミスしてる点考えても
ふつーにテロ参加のためだろうし大河ドラマの「竜馬がゆく」でもストレートにそう描いてるから
土佐勤王党についていけなかったとか美化するようになったのはかなり最近なんだろうな >>436
新婚旅行は小松帯刀の方が早い
この手の話に共通の問題は龍馬が何かやると他の人のことを調べず
龍馬が日本で最初に〇〇したと宣伝するところ 皆龍馬が好きなんだな
ってのはひしひしと伝わってくる
俺は左衛門佐のほうが好きだけどな
エロ絵を下さい 別に好きではないがw
日本の過去の偉人を無理矢理に貶めようとする学者()と
それをさも確定かのような論調で垂れ流すカスゴミは
看過出来ないだけwww 竜馬が行くでもよく読めば何がどう大活躍なのかよく分からない
「この後八面六臂の活躍をするのである」とか書かれてるがどれのことかよく分からない >>433
坂本龍馬はハマダが一番似てたんじゃないかな
クズでも憎めない感じ 薩摩藩お抱えの半グレ集団として、薩摩が表立ってやれないようなことをやらせてただけだろな
美化してないで薩長だって勝つためにはなんだって使って汚いことさせてたんだって知る方が、
中(とその属国の朝鮮)や米露など相手にして国際社会を生き抜く上で教訓になると思うんだが。 龍馬好きだよ
従来の、他の人物を貶めて手柄を横取りする龍馬像を必死に擁護する人は
ほんとは龍馬好きじゃなくて、自分の都合だけ考えてんだろうなと思う
今の解釈の方が中堅の志士で、努力してもうまくいかなかったりしてるけど
目的意識はっきり持って、恩になった人にはちゃんと感謝してるから好き >>439
タイムマシンが無い以上、その人物に繋がる新たな史料が見つかれば、人物評価が変わるのは当然。それを「無理矢理貶める」とか表現するネトウヨの客観性の無さは流石だと思う。
ネトウヨは自分の好む結果を初めから決めていて、それと異なる意見をカスゴミ呼ばわりする非文明的な連中なんですね 言える事は日本人は龍馬の話になると夢中になるって事
このスレのように 坂本龍馬を軽く見てる人間は1度大河ドラマの龍馬伝を見るべし!
龍馬の凄さがわかるよ。 作りあげたヒーローの典型だからな。
司馬遼太郎が悪い。
これは創作で史実じゃない、ともっと本人が声を大きくして
言い続けるべきだった。 坂崎紫瀾が元凶
コイツが明治時代に嘘の坂本像をつくりあげた
司馬遼太郎はその影響を受けてる 最近、龍馬落としが流行だね。
これが済んだら、次は日本のどの英雄を貶めるのかな? 坂崎紫瀾 「汗血千里駒」
この本が司馬遼太郎の龍馬がいくの原典
明治16年に書かれてるため、これを創作ではなく歴史史料として扱ってるふしがある 個人的には龍馬の母ちゃんが上士に殺されたとか
山内容堂が子供を斬ったとか
高杉と上海を旅したのは五代友厚でなく龍馬だとか
節操のない他sage龍馬ageをしまくった武田鉄矢がいちばん許せん 吉村昭は、坂本龍馬のこと、まるっきり評価してなかったな。 >>446
自分の望むのは勝手だが
それを他人に押し付けるのは
又違うと思う
エロ絵下さい 新しい資料があれば人物評変わっていくのは当然やな
まだ150年しか経ってないから先祖が出さない資料とかもありそう
龍馬の場合はそれとも違って元々想像とロマン含めた人物と最初から皆分かってるものと思うけど
龍馬伝とかが逆に悪影響になってんのかね >>1
記事全文読んだけど坂本龍馬の研究はあまり進んでないというのが意外だった 船中八策は作り話だろうと、以前から思ってたけど、
>私設海軍や商社などとするのは事実誤認
これは、海援隊のその後である「三菱汽船のあり方」を見れば、そうともいえず、
三菱は海運業を主体にした商業でありながら、台湾征伐や西南戦争に参加し、今に至るまで軍艦を建造したわけだから、
マインドは海軍や商社でいいんじゃないの。
そのマインドの証拠というか、三菱汽船のその後の日本郵船だけは三菱グループの中核でありながら、社旗は三菱じゃなくて、海援隊のマークだし。 龍馬伝が創作と言うやつはアホ。
龍馬の配下には陸奥宗光、西郷隆盛、大久保利通、岩倉具視、松平容保、島津斉彬など蒼々たるメンツがいる。
みんな龍馬の影響でその後の人生が変わって偉くなった。
龍馬の影響力と言うのがどれほどのものかよくわかる。 >>463
相当な脚色がしてあるよ。だから、創作と言える。司馬遼太郎は意図的に竜馬と記してるよ。
自分の意にそぐわない主張をバカ呼ばわりするなら、野蛮人だよ じゃあ船中はっさくというフルーツを売り出そう(?) >>465
西郷隆盛
天下に有志あり。
余多く之と交わる。
然れども度量の大龍馬にしくもの、未だかつて之を見ず。
龍馬の度量や到底測るべからず。
これ嘘ですか? >>467
???
脚色が強い作品だから、実質的にフィクションだと言っている。
つまり、史実を基にしたフィクション。
なので、特定の文言や証を示して「これでも、フィクションだ言えるか?」とか言うのが野蛮なの 龍馬のせいで薩長がバカっぽく描かれちゃうからな。
今の政権とその支持者達が歴史いじろうとしてるんだろう。 >>468
あなたの中で坂本龍馬は偉人なんですか
それともパシリに毛が生えた程度の人なんですか >>470
特に評価は無いよ。
ただ、幕末から明治維新の流れを龍馬という人物の視点を通して書く事により、作品の読者は感情移入しやすいから、龍馬をより感情移入しやすい人物像にする傾向があると思うだけ >>471
先の西郷の評を見ても評価できないって言うのは何か理由があるんですか >>472
政治家が人物評をする時って、様々な要因があると思う。西郷が龍馬を味方に引き入れる為にリップサービスをしたかも知れないなど、様々な可能性が考えてられる。
なので、XさんがAさんを評価したからAさんは無条件で凄いとかとは考えないですね。 あの時代にああもバカスカ手紙を出しまくれるところで、タダの人ではないと思うけどな >>473
当時の人物評は一切無視すると言うわけですか
言い方悪いかもしれませんが、歴史学者はみんな当時の状況と手紙の一行を切り取って自分はそう思う、だけですから
下衆の勘繰りだけで人格を想像してるのと同じ >>475
は?
一切無視するなんて言っていません。ただ、手紙や人物評などは特定の意図を持って行われる場合も少なくないので、そういった事を考慮する必要があると言ってるんです。
それがどうして、一切無視となるのですか?
読解力大丈夫? 第2次大戦の結果まで明治維新のせいにすんなよ。明治維新の先人だって怒るわ。
まったく無関係とは言わないが、戦前戦中に方向転換できる機会は何度もあったし、異なる方針の人もいたのだから。
そもそも第2次大戦は、ヨーロッパの第1次大戦の後始末が悪いから始まっているんだよ。 >>476
自分の想像する人格と比べて都合が悪いものは考慮されるわけでしょ?
そんなの傍から見れば一切無視と変わりません
人は見たいものしか見ない傾向にあるんです
捏造ならまだしも、そうでないなら当時の人物評の多くは肯定的に考慮すべきではないでしょうか ID:3+kAdM+d0は女かな
誰かさんがほめてたから偉人って、仕事したことない人っぽい理屈なんだが
西郷は感激しやすいから色んな人を大げさにほめるけど
それは西郷ごのみの第一印象のよい人だったことがわかるだけなんで
龍馬ほめたいなら実際にやった仕事を挙げようよ >>479
貴方、読解力大丈夫?
私は、龍馬への西郷の人物評を参考にしないとは言ってない。
ただ、その人物評を行う際の西郷の立場性を考える必要がある。と言ってる。
例えば貴方にモノを頼みたい人居たとしたら、その状態においてその人は貴方に批判的な評価を公言する事はしないよね。貴方を実際はどう思ってるか?別にして。
それと同じ。 山田芳裕にぜひ宮本武蔵を主人公の漫画を描いてほしい
坂本龍馬はどうでもいい 龍馬ファンというより、信者だろうね。
「教祖様はそんな人ではない」と言ってる信者 > 427 名無しさん@1周年 2018/02/28(水) 00:28:52.79 ID:0eOCbVAT0
> よく韓国でテロリスト安重根を崇め奉ってるって朝鮮人を馬鹿にしてる奴がいるが
> 日本じゃクーデター起こしたテロリストの子孫が総理大臣やってるっていうwwwww
ほんそれwwwwww
やっぱネトウヨって出自が朝鮮だろ 捏造が常識の朝日新聞の記事だからなー
裏付けが無いからこれも嘘記事っぽい >>485
ネトウヨの行動様式は、彼らが嫌って馬鹿にしてる朝鮮半島の人達に近いと思うよ >>223
新聞でブームになって
NHKが大河ドラマで放送するってあたりで
大体どういうことか分かるわな >>19
伊藤甲子太郎から聞いた話をそのまま話しただけだろ 龍馬が実際にはどういう人物だったのかはわからんが
とりあえず5chでボロクソに卑下されてる人だからそこそこの傑物だっただんだろうなとは思ってる >>121
司馬さんの文章のうまさに比べ歴史研究家の文章はともかく固くて読みづらい
はっきり言うとヘタだ、話し方の達者な人間の言うことは信じられやすいのは今でも変わらない >>492
そこそこの人物なのに、下手すりゃ、いや、下手しなくてもw維新3傑以上に持ち上げた奴とその信者がいるから、反発されているだろうね。 そんなことより、風呂場で金玉を詰め割りて死んだ人って実在するのかね? >>494
逃げの桂に犬好きのデブ、怖い顔したおっさんより坂本、土方の方が一般受けは良いだろだろ 長次郎はどう考えてもパシリ。
>神田外語大学准教授の町田明広さん
こんなの永久追放した方がいいよ。 若い頃俺も坂本龍馬?( ゚Д゚)ハァ?? たかが脱藩浪人如きが英雄ってwww
みたいなこと考えてたけど、ここ読んで批判派の文章読んでると、坂本龍馬!もしかして
ホントにすごかったんじゃネーの?!とか思ってきたわwwwww
負けそうになるとレッテル貼りwwwwww ご苦労さんwwwwwwwww 坂本某よりオレが考えたヤツの方がスゲーから!ここにもここにもなまえ出てるから!!
坂本某が西郷、大久保、木戸、勝、松平、永井 eto が言うのはリップサービスの「可能性」があるから!!www ぶwwwwww >>496
土方はクズだから嫌い
池田屋事件の正当化のために商人を連行して壮絶な拷問を加えて
(秘密の暴露を含まない)新選組に都合がいいことばかり「自白」させた
(その商人は後日の新選組の放火による京都大火の際に斬殺された)
新選組内外で女性殺害も含めた暗殺を繰り返した(させた)のも土方
宇都宮戦争で土方らが率いる旧幕府軍が宇都宮城を攻撃した時には
土方隊が宇都宮の城下町に放火して城下町や二荒山神社を焼亡させた
遊郭や女がらみのエピソードの数々でも普通に性格が悪過ぎる
「そこがいい」という新選組ファンの女性も多いのでしょうが… >>493
司馬の小説は歴史的根拠のある話の中に、いつの間にか自分の創作を
紛れ込ませて、いかにも史実であるかのように適当なことを書くからな。
司馬の小説を史実だと誤解してる人間も多いだろう。特に団塊世代は。
坂の上の雲では、乃木=愚将というイメージを広く浸透させた。
この男は本当に罪作りだと思う。 数年前に著名な書家が龍馬の姉への直筆を模写しながら
達筆で意思の強さが異常なほど読み取れるとテレビで紹
介していたが、最近日本人の英雄を消そうとしている
風潮も感じる。かつてユダヤ人のGHQがしたように。
もっともこの人は後に著書で謝罪したが。 明治維新はISISによるテロと同じだから
英雄なんかいるわけもない
明治以降の日本は地獄 >>503
>自分の創作を紛れ込ませて、いかにも史実であるかのように
小説とはそういうものだろw >>503
何年か前の年末に乃木大将のスレがあったんだけどさ
年末から年始にかけて乃木大将は悪くないって書き込みで溢れて
みんなイライラしながらケンカ腰で書かれててすごく荒れてた
正月なのに華やいだ空気はゼロ、本当に殺伐としてた
少しは正月らしい書き込みはないのかと思った >>508
司馬の場合、それがいかにも巧妙で、史実を忠実に反映させた小説か
のように、多くの読者に思い込ませた。今と違いネットの無い時代
だったから、一部のマニアックな連中がおかしいと思っても、そんな
意見は埋もれるだけだったからな。司馬史観なる言葉も生まれた。 >>510
乃木は、少なくとも司馬が描いたような愚将ではなかった。精神論を
振り回して、突撃を繰り返して兵士を無駄死にさせたというのは、
完全な誤りで、塹壕を掘り進めて敵陣までの距離を縮めるなど、無駄
死にを極力抑える努力は怠らなかった。 いちばん悪いのは創作を史実と信じ込んでウンチク垂れて
その部分は創作で本当はこうだよと言う人間を人格攻撃するバカだな >>511
そもそも司馬ってペンネームがおこがましいよな
小説家なのに史家の名前名乗ってんじゃねーぞと アヘン戦争しかけ
アジアの金融掌握したのは
イギリスじゃなくロスチャイルド系ジャーディンマセソン
いまでも中国大陸の経済活動で発生する利益の半数以上が海外に吸収されてる
笑える低学歴以外は金融の常識
こんな歴史の事実すらきちんと書かない
サヨクウヨク対立茶番劇
日本売国破壊
穢多朝鮮非人新聞メディアを信じる馬鹿が受ける >>512
だからと言って正月早々、ケンカ腰でイライラしながら書き込みしまくって人格攻撃は良くないよ
あれで乃木将軍のイメージは固まった
マニアックな戦史の薀蓄をイライラしながら語る人に人気があるってだけというね
正月ってなにかしら、あけましておめでとうぐらいの書き込みはあるものだが
そんなのお構いなしの人格攻撃や勝利宣言にあふれた殺伐とした書き込みだらけ
確か民主党政権時代あたりで景気が悪かったのもあるんだろうけどさ
今のこの板と比べるとかなり荒れてた アヘン戦争しかけ
アジアの金融掌握したロスチャイルド系ジャーディンマセソン
まともな資源ない日本では
内乱しかけ
双方に武器資金貸しつけ
かたせたほうに借金背負わせ金融掌握
だから長崎に
親父は軍需産業待ってろ親父
メーソングラバー派遣
グラバーに勲章を!三菱岩崎
グラバーと三菱の関連資料隠蔽した三菱、
グラバー邸のメーソン門柱
誰がかくしたの?腹がいてえ受ける
グラバーの商会が破綻?腹がいてえ受ける
馬鹿すぎて受ける >>490
いろは丸と明光丸が衝突した時に龍馬が乗船していたわけではない。
彼は賠償金の交渉を買って出ただけ、ヤクザが借金の取り立てを請け負うのと同じだ。
ちょいと咬みで喧嘩の仲裁を取り持つようなことが彼の特技だったのだよ。
色んな所に顔は出すが、何処にも所属しないで小金を稼ぐ風来坊さ。 わが福澤先生が
おやの仇と称した厳しい身分制度がのこる幕末
底辺無教養三菱岩崎が一代で財閥?
腹がいてえ受ける
バックがなきゃ無理だよん
底辺無教養の坂本が
いろいろなアイデア?
底辺のこいつの恫喝に各藩がびびる?
ユトリは馬鹿だから
ここに疑問いだけない
チャラい坂本やたらプッシュ
穢多朝鮮非人新聞社メディア
わが福澤先生エジプト訪問
ナポレオンエジプト訪問
低学歴には縁のない世界
年に一度、塾からくる冊子も
社中特別号だなあ 腹がいてえ受ける
まぬけなとんちんかん司馬なんちゃら馬鹿
坂本が海外に短気留学やってたの
きちんと書いてるか?まぬけ
森有礼、津田〜メーソンなんちゃら
腹がいてえ受ける
幕府維新?
英仏がそれぞれバックアップ?
腹がいてえ受ける
たんなる英仏ロスチャイルドの茶番劇
こうして現代の原発売国にいたる売国の系譜が開始 坂本が暗殺されたとき
服に石がたくさんつめられてたら受ける
メーソンの警告だっけ?
まあそれはないだろ
まあ内乱ひきおこすには
薩摩長州リンクなんか基本
売国の英雄を
穢多朝鮮非人メディアがやたらプッシュ
意味がわかった? 日露戦争は
ロスチャイルドからもろに金かりて
やった戦争
だから勝っても賠償金とか儲けない
国民イライラ
2つの大戦は
英仏ロスチャイルドが
ドイツイタリアを叩く戦争
第一次大戦の日本の動きもそれに忠実 いったんロスチャイルドが金融掌握して
共産主義に覆る?
腹がいてえ受ける
ロシアで暗躍
ガチメーソン鳩イチローの言葉
友愛つかう鳩ユキオがサヨク?
腹がいてえ受ける
馬鹿すぎて受ける
鳩ちゃん総理になってから初めてアメリカ訪問
オバマさえ滅多に食べられないパンケーキを
鳩ちゃんが簡単にたべられてオバマを羨ましがらせた
笑えるニュース
メーソンブラザーは互いに優遇しあう
ブラザーインサイダーなきゃ
あり得ないよね
あの資産 海外でメーソンになって
盗んだ税金をブラザーインサイダーで投機
私腹肥やしがお仕事だっけ?
売国外務省
腹がいてえ受ける
中国の経済は崩壊する崩壊する捏造
腹がいてえ
中国はヘゲモニーやらないやらない
笑える鳩ちゃんやイカサマ経済学者 まぬけな平等軋轢共産主義は必ず蔓延させる
中国が共産主義ならいろいろおかしいことだらけ
メーソンハリウッドに中国資金?
やばくないか?
腹がいてえ受ける
各国売国奴使って長年盗んできた
資源資産が回収国有化される
共産主義蔓延が最大の恐怖
だから笑える共産主義なりすまし
人権侵害ガンガンやらせ
共産ヤバイアピール
人権意識高いフランス?腹がいてえ受ける
ウラン武器取り仕切るフランスロスチャイルドの国
一方では敵意が向かないように
平和や人権させてる
ノーベル平和賞?腹がいてえ受ける
売国しない
アウンサンスーチに発生
ノーベル平和受賞者
腹がいてえ受ける イスラエルで笑えるイスラエル批判
腹がいてえ受ける
まぬけな村上春なんちゃら
その映像みながら
腹かかえて笑ってた
なかなかノーベル文学とれないねえ
村上春なんちゃら
そろそろあげたら?
ノルウェーの家具も訳せないんだっけ?
こんな世間知らずの早稲田馬鹿の
本読む馬鹿が受ける
わが福澤先生一万札に
だったら大隈侯は十万円札だ!
腹がいてえ受ける早稲田馬鹿
新渡戸もメーソンだっけ? 亀山社中には勝海舟は全く関わってはいない、坂本龍馬が薩摩藩を後ろ盾にして
オランダから武器や軍艦を買い付けた幕府の重鎮の勝海舟がそんな事に関わる訳が無い 中国の人権侵害にいきりたつ笑えるフランス
フランスにはいきりたたない中国
腹がいてえ受ける
侵略戦争?
アジアの資源資産盗まれない
まともなアジアの自由経済復興ねらった
開放戦争だよん
だからきちんとやってたのに
被害だ被害だゆすりたかり
糞尿犬喰らい朝鮮寄生虫
不手際だらけ、不衛生ノロ、チョン批判したら殺すぞ恫喝、姑息朝鮮オリンピックみたか?
生まれながらの腐った劣等種 われわれの先人に大義がある開放戦争ってきちんと書かない
サヨクウヨク対立茶番劇で
日本売国破壊
穢多朝鮮非人新聞メディア信じる馬鹿が受ける
ヘイトスピーチする理由わかったか?
尖閣国有化のときの
劣等種シナの悪質な不法行為の数々みたか?
大規模な大暴れ
バックや資金がなきゃ無理だよん
昔もかわらない
悪質な不法行為に不法行為で対抗して当たり前
ただし大虐殺なんかあり得ない
笑える劣等種シナ
日本が憎い憎い憎い
腹がいてえ受ける
チョンなみに笑える劣等種 売国奴がさからったり
資源盗めないと簡単に侵攻ユダメリカ
北チョンに侵攻しないねえ
北チョンなんか軍事的にあばれさせ
まわりに軍需産業売りつけしか使い道ない
もうそろそろなんちゃって侵攻したら?
開放戦争
必ず負けるから
日本軍大躍進喧伝
昔から売国穢多朝鮮非人新聞
株価つり上げ
盗ませるバックアップ 北チョンや中国が攻めてくる
核武装のためにも原発が必要だ!
腹がいてえ受ける
ウヨク愛国アピールパチンコマネー東電娘石破
戦前みたいな暴走につながる核武装なんか許すわけねえだろ
原発はあくまでも
原発利用して
過剰にぼったくり
海外にもってこい売国装置
電力の鬼?松永やすざなんちゃら
チョンに近い国うまれ
わが福澤先生の散歩につきあってたねえ
電力の鬼?
防衛に必要な電力を
売国装置にしたやつだろ?
電力の鬼松永やすざなんちゃらドラマ
腹がいてえ受ける
反日犬えっちけい 原発が問題なのは
売国装置
利権に穢多朝鮮非人ヤクザがリンク
おれたち反原発はサヨクだアピール
穢多朝鮮非人市民団体や吐き気する山本
反原発はサヨクだアピール
原発穢多朝鮮非人乞食
戦前みたいな暴走させないための
人口密集地域ねらった地雷になってる
だから問題なんだよん
原発は減らして人口密集地域から離す
がただしい
反原発
原発はゼロにしろサヨクアピール
日本朝鮮化政党
腹がいてえ受ける
穢多朝鮮非人
利権に絡んで
日本人びびらせウハウハだよな 明治生まれのお年寄り達に聞いても、龍馬は知らないという。 腹がいてえ受ける
原発ガンガンつくれ
経団連なんちゃら
さすが薩摩長州穢多朝鮮非人がルーツ
万が一のときは
笑える東電清水ドバイ逃亡だっけ?
売国奴が
どんな行動やるか笑えるフライング
ことし塾の評議員選挙だね
立候補する?東電清水
オイラは
さっさと再稼働しやがれ
福岡炭坑筑豊穢多朝鮮非人飯塚の
麻生ちゃんの弟に前回投票したよ 一方がウヨク愛国アピール
たんなる原発軍需売国やりゃ
一方は平和9条さわぎ
暴走させないようにする
穢多朝鮮非人のやりたい放題にする
捏造の自虐歴史蔓延
ゆすりたかりのバックアップ
それをサヨクだサヨクだ
笑える茶番劇
そろそろわれわれあさひの社員の子どもが
ネトウヨのせいでいじめられてるアピールなんかどうだ?
穢多朝鮮非人新聞だっけ?あさひ こうして日本を破壊していく笑えるトリック
満を持して
韓流扇動
反日犬えっちけい
韓流扇動がたまたまって思ってるのか?
腹がいてえ受ける
ちかごろな
若者は
朝鮮にあこがれてるアピール
腹がいてえ受ける
金ばらまいて朝鮮礼讚やらせてるってほんとか?
日本人過労死させてウハウハってほんとか? 朝鮮広告屋、便通
チョンの苺はおいしいニダー
チョン大好き大好きチョンのほうがきれいニダー
チョンの料理最高ニダー
腹がいてえ受ける
穢多か朝鮮のメスか?こいつら 中国や北チョンが攻めてくる
北京や平壌攻撃だ!腹がいてえ受ける
大義ある開放戦争をやった先人の系譜
自衛隊のみなさん
お疲れさまです
もし日本に一発でも着弾させたら
北京や平壌ではなく
金融拠点を破壊するぞ恫喝
かつ吐き気する穢れ売国奴の粛清です
核武装は無理だから
短時間核製造即発射能力です 昔から坂本龍馬の評価はおかしいと思ってた
だってどう考えても林左門の方が暗躍してたからね 明治維新や坂本龍馬はニッポン凄いの情緒ロジックを支える
起点みたいな位置づけだから。精神的支え。
民主主義も近代化も自らは起こせなった劣等民族であることを糊塗するには
英雄がそれを成し遂げたから、と言い訳できるのでてっとり早い。
日本には凄い人がいて凄い事をしてだから凄いんだ。みたいな。
その代表選手が竜馬 薩長同盟の裏書を龍馬がしてるだけでも
明治維新の最功労者の一人なのは間違いないだろ。
当たり前のように法治国家に住んでて、かつ最近じゃ国際法も整備されてるから
この重要さが分かってない奴が多いんだろうな 明治維新の「最」功労者ではないなw
信者は当たり前のように最大級にするけどさ こうまで過大評価された人物ってあまりいないよね
剣の腕も大したことなかったというし >>545
いや、「最」功労者だよ。
国内法にしろ、国際法にしろ、究極的には武力による裏付けがあるわけど、
当然薩長同盟にはそんなものはない、
その裏づけを龍馬が署名することでしてるってことは、龍馬一人で国内でいうなら
警察、自衛隊、世界で言うなら各国の軍隊の役割を果たしたってことだからね
人類史上まれに見る偉業といっても過言じゃない。 つまり、紙に書いてさえあれば法律なり条約が効力を発揮するっていうのは
現代社会に住む人間の勘違いなんですよ なんかむちゃくちゃトンチンカンで笑うしかないw
龍馬が裏書きしたのは桂の手紙であって薩長同盟の正式書類ではない
単に桂は長州藩に持ち帰って報告するために龍馬の裏書を求めたのであって
単なる手紙では薩摩藩に対する拘束力はない (文化の扉 歴史編)異説あり 亀山社中と龍馬 発足時に関わりなく、リーダーじゃない?
2018年2月25日5時0分
幕末の志士・坂本龍馬が創設した、日本初の商社兼私設海軍といえば「海援隊」。
前身の「亀山社中」は、長州藩と薩摩藩を結びつける役割を果たしたといわれる。だが、最近の研究で、龍馬との関わりは薄かった可能性が高くなっている。
私たちの知る「亀山社中」と、後身とされる「海援隊」の設立経緯は以下のようだ
神戸にあった幕府の海軍操練所が閉鎖されると、土佐浪士だった坂本龍馬は慶応元(1865)年夏、長崎に日本初の商社兼私設海軍「亀山社中」を設立する。
同年7〜10月には、長州藩のために、武器や軍艦(ユニオン号)などの兵器を薩摩藩名義で購入。当時、険悪だった両藩の関係の修復を試みた。
慶応2年1月には、社中の一員だった近藤長次郎が盟約に反した罪で切腹するものの、同年6月の第2次幕長戦争では、ユニオン号で海戦に参加。その志は慶応3年に設立された商社兼私設海軍「海援隊」に受け継がれたとされる。
だが、専門家からは、こうした通説は再検討すべきとの指摘が出ている。
明治維新史学会理事を務める、神田外語大学准教授の町田明広さん(幕末維新史)によると、亀山社中の「社中」は「グループ」という程度の意味。
「薩摩藩名義で買い上げた軍艦を、薩摩の指示のもとで運航していた土佐の脱藩浪人の集団というのが実態。私設海軍や商社などとするのは事実誤認」
坂本龍馬との関係も希薄とみる。「社中のメンバーは、海軍操練所の解散後、薩摩藩の大坂屋敷に潜伏していた近藤長次郎、高松太郎といった面々で、そこに龍馬の名はない。発足時にも龍馬はそこにいなかった」
龍馬が奔走し西郷隆盛の協力をとりつけて、薩摩藩の名義で長州藩のために武器と軍艦を買い付けた――という逸話も裏付けに乏しいという。
「史料を見る限り、軍艦と武器購入のため、長崎の薩摩屋敷に派遣されたのは長州藩の井上馨と伊藤博文。彼らが薩摩藩重職の小松帯刀に名義借りを懇願し、それがかなって買い入れができた。龍馬も西郷も出てこない」
町田さんの新説について、佛教大学の青山忠正教授(明治維新史)は「意外かもしれないが、龍馬に関わる研究は実はあまり進んでいない。きちんと史料を読みこめば、今後も新事実が次々と明らかになってくるはずだ」と冷静に受け止める。 それにしても、なぜ関わっていない西郷が登場するのか。
「西郷は当時、薩摩藩の下役で、名義貸しを判断できる立場になかった。だが、何にでも西郷が関わったとしたかった後世の人が、後付けで役割を入れ込んだのだろう」と町田さん。
龍馬と社中の関わりも「当時、龍馬が長崎にいなかったことは調べればすぐわかる。でも、皆、なぜかそこはスルーしてきた」。
龍馬が関わっていないなら、「亀山社中」のリーダーは誰だったのか。町田さんは、近藤長次郎に着目する。1838年に高知の饅頭(まんじゅう)商人の子として生まれたが、山内容堂に認められ、名字帯刀を許されて海軍操練所にも関わった。
近藤が薩摩藩の上層部にあてた上書では天皇の権威向上、通商条約容認、富国強兵、海軍振興などを論じている。論旨も明快で非常な秀才だったようだ。
町田さんによると、近藤たちは薩摩藩に受け入れられ、対外的には「薩摩藩士」として活動していた。
「龍馬を『薩摩藩士の坂本』と書いた史料もある。龍馬は社中とは関わりない立場で対外交渉に、近藤は貿易などの実務にと、浪士の役割分担も行われていた」。ユニオン号の購入も、小松帯刀の命令を受けた近藤が担当した、とみる。
だが、近藤は1866年に切腹する。通説では、長州藩の資金で留学する計画が露見し、社中盟約に背いたとして詰問されたためとされるが、それを示す一次史料はない。
「伊藤博文の書簡から、近藤は薩摩の藩費で留学する第2次『薩摩スチューデント』だったと考えられる。自殺理由はわからないが、盟約自体が存在しないので、それに違反することもあり得ない」
近藤は龍馬と並ぶ存在として薩摩で期待され、死の報は重職間ですぐ回覧された。彼の存在と果たした役割を今一度、見直したい。(編集委員・宮代栄一)
■「船中八策」後付けで虚構の見方も
町田明広さんによれば、龍馬については、研究者の間ではすでに「常識」となっていても、一般にはまだあまり知られていないことが多いという。
その代表格が、龍馬が船で考えついたとされる建議案・船中八策だ。
知野文哉氏の『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院、2013年)によれば、その存在自体が疑わしいという。
同書によると、船中八策とされるものは原本も写本もなく、その内容も書物によってばらばら。
このため、明治時代以降に書かれた龍馬の様々な伝記の中で、後付けで作られていった虚構である可能性が高いと考えられている。
<読む> 町田さんの新説は、昨年11月の「近藤長次郎シンポジウム」で発表されたが、まだ論文化されていない。
ただし、龍馬と薩摩藩の関係などについては、同氏の論文「慶応期政局における薩摩藩の動向」(「神田外語大学日本研究所紀要」9号、2017年)などで読むことができる。 坂本龍馬と薩長同盟の「新説」論議:オピニオン:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20100809.html
薩長同盟に龍馬が不在という「新説」
幕末の薩長同盟(盟約)といえば、土佐の坂本龍馬が有名である。
長州藩の尊王攘夷派は、京都で禁門の変を引き起こし、幕府側に加担した薩摩藩と敵対していた。
その長州藩と薩摩藩の和解を仲介し、幕末政局の転換に力を発揮したのが坂本龍馬とされている。
この薩長同盟と龍馬の問題については、論議となっている点が多い。
十数年前、大手新聞に「薩長同盟 竜馬仲介は創作?」といった「新説」が紹介された。
新聞には「薩摩藩家老の日記に注目」、「西郷・木戸会談に同席せず」との見出しが躍った。その「新説」は、京都で同盟が結ばれた薩摩の西郷隆盛と長州の木戸孝允との会談に、龍馬が同席していなかったというのである。
この「新説」が依拠した史料は、京都の薩摩藩邸にいた同藩家老の桂久武日記であった
慶応2(1866)年正月18日の日記には、西郷隆盛・大久保利通と木戸が長時間におよぶ「国事」の話し合いをしたことが記されている。
20日には大久保の帰国が命じられ、木戸についても送別会が開かれたという。それゆえ「新説」は、薩長同盟の締結が正月18日だったと論じた
それまでの正月21日説を否定。そして龍馬が京都に入った正月20日は、すでに同盟が成立した後であったという
したがって龍馬は肝心の会議に同席せず、後日に木戸が同盟を明文化した書状に裏書しただけであるというのが「新説」の結論であった。 たかだか百何十年前の歴史でなんでこんな不鮮明なことが多いのかね
伝えられてる歴史ってのは実際には結構違うんだろうな >>554
支那チョンは
今現在のことですら
平然と嘘をつく >>554
ケネディ暗殺事件だって9.11だって真相は闇の中なんだから、幕末の真相なんてもう >>430
龍馬の発想では吉田東洋の暗殺は無意味だから。
山内容堂が行動を起こさないのであればそこにかまけている時間はない。脱藩して行動する。
ただし、その後はまず勤皇党時代に作った三条との関係が基本。
三条のからみで松平春嶽と交流を始め。その紹介で勝海舟に面会。
勝海舟の親玉だった大久保一翁と交流を始める。また海軍操練所の閉鎖に伴い。
小松帯刀を紹介される。新婚旅行も小松の世話で薩摩にいっている。
朝廷からの勅使の警固役として江戸で高杉晋作と出会ったのも勤皇党つながり。
その後、高杉から護衛用にピストルを送られる。このときは薩長同盟の交渉の佳境。
それで一命をとりとめている。
大政奉還のもともとの発想をしたのは大久保一翁で勝海舟はそのパシリに過ぎない。
大政奉還後に坂本龍馬が大久保一翁と永井尚志と談合をしているのは自然な流れで、
彼らにしてみれば、小松や桂、そして三条や岩倉と話ができる坂本は貴重な存在。他にはいない。
坂本龍馬捕縛禁止令を出すのも十分な理由がある。
また経済面では松平春嶽つながりで三岡八郎(由利公正)と京都で朝廷が紙幣発行をすることを話し合っている。
暗殺されたのはまさにこのタイミング。
ちまたいわれる、勝海舟との関係はそれほどない。この人脈のメンツの中では一番小物だと言える。 >>558
>また経済面では松平春嶽つながりで三岡八郎(由利公正)と京都で朝廷が紙幣発行をすることを話し合っている。
これに絡んで言うなら。重要なキープレーヤーが存在した。もちろんこの時点では絡みがないが。
幕府の主戦派で勘定奉行であった小栗忠順。今後の大政奉還&融和路線をすすめるには取り込んでおく必要がある。
そしてその布石がすでに船中八策の中に存在し。最後の項目の 一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。
つまり、金銀の交換レートの変更のことで、これを最初に取り組み始めたのはまさに小栗忠順。
この不平等な交換レートのおかげで、日本の金がことごとく海外に流出し。黄金の国ジパングでなくなった。
幕府にはその上がりでイギリスから寺銭を懐に入れていたやつがいたわけ。
ここまで書けば怪しいやつが誰だか解るだろう。小栗がかかわりだして困るやつ。
そして、坂本情報を手に入れることが出来。暗殺実行犯と面会もしている。 ここでは龍馬が取り上げられてるけど、
真田幸村も前田慶次郎も聖徳太子も
0か100かで割り切ってしまおうというのがおかしいわ。
一部は真実で一部は創造なんて誰にでもあるエピソードだろ? >>25
プルイン公使
→1862年5月来日 幕府が軍艦の発注
→下関戦争でリンカーンと幕府双方に不興を買う
→1865年4月退任
ヴォールクンバーグ公使
→後任
→ドイツ系米人軍人
→南北戦争では兵員募集の司令官、連隊編成の経験豊富
薩摩藩家老小松帯刀
→長崎に行った
浪人を軍にしたのは、ヴォールクンバーグ
メディアで維新を煽ったのは、アーネスト・メイソン
ってことだろ
外人コーチもいなくて船の扱いが分かるわけない >>518
竜馬や土佐の絡みで、土佐藩や後藤象山が引っ張り出されたんだろうという話。
そもそも最初から、高杉晋作&奇兵隊(長州藩支援各隊)みたいな強固な?関係は想定してないのでは?
薩摩等から金を出されてその範囲内で運営されてただけでしょう。
まぁ、幕府等の金で設立&運営されてた神戸海軍操練所は、池田屋事件に連座して閉鎖になるような運営だったがな。 >>553
これ三吉慎蔵が龍馬助けた功績で加増されてるのガン無視よね >>506
一部の会津人による歴史捏造には敵わないわ
白虎隊の山川健次郎が自らも筆を執った『会津戊辰戦史』を読んでみろよ
事実関係の部分で間違いが多く書いてあり故意とも思われる捏造が多い本だ
ちなみに大河ドラマ『八重の桜』にもこの本を参照したとしか思えない誤った描写がある >>563
どうして?
龍馬は薩長同盟のことは知ってるわけだから別におかしくない >>565
ついてきただけなら見舞い金なりで加増にはならんだろう
龍馬が何かしら同盟に関与してるからその後の藩挙げての信頼になるんだし >>558
坂本龍馬捕縛禁止令のせいで京都見廻組は暗殺を行ったと思われる
何しろ坂本龍馬は2人殺している殺人犯だからな
それが大政奉還後は大きな顔して白昼堂々見廻組の詰所近辺を歩きまわっているんだから 薩長同盟の裏書も正体は桂小五郎のいじましさを示すものだからな
長州に帰って皆を説得する自信が無かったんだろう
協議が終わり送別会まで開いてもらってるのにどうしようもないな
高杉晋作とはカリスマ性が違うね しかし皆さんどさくさで貼られた>>553に反応しすぎ
これスレタイの記事と関係ない古い「新説」だからなw 明治維新とは?
薩長土肥の売国奴がユダヤにそそのかされ、幕府と力を合わせて外圧に対抗せず、逆に内戦を起こしましたとさ
西郷ら、正しい志がある者は潰され、ゲスばかりが残り、その子孫が未だに日本の中枢に居座っている
だから今の日本はこのザマなのである インフルエンサーではないけど水戸黄門や遠山の金さん的な人気者って位置付けで良くね >>570
古くても否定されたわけじゃないぞ
都合が悪いこととしてスルーされてきたことがネット時代になり
坂本龍馬の欺瞞が広まるとともにこの説も蘇った >>553みたいなのは、薩長同盟みたいな重要なことが
何の前交渉や根回しも無しに一回の会議で決まると思ってる世間知らずなんだろうwww 実在人物をモデルにしたつくり話に何本気になってんの?
三國志演義が史実だと思いこむぐらい愚かだな >>573>>574
あのさー、説について語るんなら説の中身をも少し理解してから語ってくんない?
薩長同盟の内容は文言から見て慶応二年一月に京都で幕府と朝廷で話し合われてた長州処分についての対応策
長州処分の最新情報は一月に京都に来なけりゃわかんないので前交渉も根回しもない
争点は龍馬が到着してから数時間の間にすべての文言を決めたという従来の説と、前日までに決めたといういわゆる新説と
ほとんどは前日までに話がついてて龍馬が来てから細かい調整くらいはあったかもねという折衷案のどれを取るかだけ
ちなみに薩長の仲直りだけなら前年に龍馬が根回ししてた証拠があるので確定だけど
こっちについては前年九月に長州藩主から薩摩藩主に手紙が送られてて決着済みなので争点ではない >>574
>>553は前交渉や根回しを否定してないぞ
君はちゃんとした仕事をしたことがないのかな?
なあなあで請け負って後で痛い目にあうタイプかな? 龍馬はメイソンが仕掛けたインディビジュアリスト、革命の英雄にしようとしたが西郷どんに持ってかれ始末されてしまった >>35
戦国時代とか昔はガンガン肉食ってて平均身長ももっと高かったけど、平和になって精進料理みたいなの食べる様になって縮んだんじゃなかったっけか >>568
殺しに来た相手を殺した場合は正当防衛。
見回り組には私念があっただけで公的な動機にはならない。
捕縛禁止令を出したのは慶喜なので明らかな反幕府行為。
実際問題として坂本が生きていたら慶喜も新政府に参加していただろう。
勝海舟の怪しさは実行犯のリーダーである今井信郎に事件後に面会し
給金を支払うように勝海舟が取りはからった。
そしてこの二人は同じ流派の直心影流で師範を務めており以前からの知り合い。
そのバックはイギリス。坂本龍馬の怪しさと言われることはほぼ勝海舟につながる。
よって、新政府の構想から勝海舟が外れるのはあたりまえ。人望がなかった。
今で言うなら有名プロガーレベルで、土地転がしや高利貸しでもうけていた人物。
特に酷いのが江戸城の無血開城の交渉で西郷がのまなければ江戸を自ら焼き払うと交渉し。
それにとどまらず。焼き払われるからと江戸の土地を安値で買いあさっていたこと。
そして、勝海舟を心底嫌っていた小栗をどさくさに紛れて殺している。 >>587
斬り合いしただけでは捕まらない。現代とは違いますよ。 >>584
現代で言えば警官を殺しても正当防衛というのは滅茶苦茶だな
徳川慶喜は大政奉還により倒幕派の言い分を失わせ諸侯会議で主導権を握ろうとしていた
土佐の山内容堂は公武合体派でありそのつなぎとしての政治的な判断で坂本捕縛禁止令が出された
それが成功していれば徳川慶喜は新政府に参加していたというか幕府の替りとしての新政府を作っていただろう
もちろん明治政府とは全然違うものになっただろうし改革も出来たかどうか疑わしい
土佐は公武合体に入れ込んだばかりに薩長に対して遅れを取りその後も主要な役職につけず
忘れ去られていた坂本龍馬の宣伝に走ることになる
さて京都見廻組からすると当然捕縛対象となる坂本を政治的な動きで野放しにすることは我慢できなかったんだろうね 好きな人は創作混みで好きなわけで作られた人物像だと分かっている
それよりも史実まで創作だと言い張って全て創作みたいに話す人の方が頭弱いのかなって思う 創作混みと分かっているつもりでもそうじゃないことがあるからね
坂の上の雲の自分がそうだった
天気図で司馬遼太郎を批判している文章を読んで小説なのに何言ってんだろうと思ったが
児玉源太郎のことについては信じていたからな
その後資料を読んで第三軍の参謀たちに謝らなきゃと思ったよ このスレ見てる限りじゃ
龍馬が好きで創作と史実の区別がついている→龍馬と亀山社中の関連が薄いなんて当然知ってる
龍馬が好きで創作と史実の区別がついていない→龍馬を貶めてる、許せん
龍馬はどうでもよくて創作と史実の区別がついていない→日本の偉人を貶めてる、許せん
龍馬が嫌いで創作と史実の区別がついていない→龍馬は何もしてないor武器商人だ、外国の陰謀だetc.
龍馬が好きじゃなくて創作と史実の区別がついている→いない
ってとこかな >>592
>龍馬が嫌いで創作と史実の区別がついていない→龍馬は何もしてないor武器商人だ、外国の陰謀だetc.
>龍馬が好きじゃなくて創作と史実の区別がついている→いない
この辺を見る限り君も坂本龍馬に囚われている一人みたいだね >>593
そこで人格攻撃しかできないとあまり詳しくない人っぽく見えちゃうからしかたないよ ちなみに「創作と史実の区別のついてない」レスかどうか判断した基準は
亀山社中の話題なら慶応元年から二年の龍馬の行動について
記事のコピペ以外の方法で史料の裏付けのある話を語れるかどうか
知らない奴ほど過度の一般化をして違う時代の話題を突然出してきたりする 日テレの幕末青春グラフィティ坂本龍馬が面白かった。
先日、実家に帰ったときに録画してたのを見たけど、画質ももう限界だった
DVDも出てないし、もう二度と見られないんだろうなぁ >>589
現代で言えばの前提が時代錯誤感が甚だしい。歴史を語る資格なし。
幕府の発想では薩長同盟怪しからんよって成敗する。時流が変われば逆に薩長との橋渡し役を依頼。
そこに刀を抜いた罪などない。そもそもとして武士が刀を抜いてはいけないという法律がないので犯罪の対象じゃない。
黙って成敗されろとか発想がお馬鹿すぎて話にならない。現代で言えばたいした証拠もなく斬りかかった見回り組が犯罪者。 司馬遼太郎が作った虚構がどんどん暴かれてくな。
教科書に無名人物を載せるなよ。 >>598
ハイハイ。司馬遼太郎は坂本の尊皇精神を隠蔽するという大きな誤植をやってますね。 線虫八朔ってもしあったとしても
チェーン居酒屋で学生が「○○政権はダメだ!これからは俺たちの時代だ!」とか言ってるのと
まったく変わらないと思うんだがw >>601
東征大総督府東山道先鋒参謀・板垣退助
龍馬のからみで勝海舟とは関係有り。そして小栗は取り調べもなく捕縛後翌日に斬首された。 坂本龍馬が日本最初の新婚旅行とか誰が決めたんだよ。
龍馬以前にも新婚夫婦で旅行に行く人なんていくらでも居ただろ。 >>603
待て待て。小栗処刑に関する東山道軍の文書には、板垣退助の名は無い。
その文書に名があるのは「東山道総督府 執事」。
つまり岩倉具視の子、岩倉具定・東山道鎮撫総督のこと。
当時の東山道軍やその周辺の組織構成から考えても、板垣退助の意志ではなく、
岩倉具視の小栗処刑の意志を受け、岩倉具定・具経の兄弟が命じたのではないか? >>605
現場で惨殺されたに近いでしょ。小栗は賢かったんだよ。
あそこで抵抗していれば惨殺の理由を与える。
よって無抵抗で捕縛されて、その捕縛理由である暴徒への攻撃に新政府軍に抵抗する意図でないと意思表示した。
その場合は当然取り調べでその真偽を確認する必要が出てくるが、そこを現場で無視した。
抵抗してきたから殺したとかそんな理由にした疑いが濃い。 坂本の暗殺の手法と小栗の惨殺の手法は似てるんだわ。
坂本の場合は見回り組の恨みを煽って暴走させた。
小栗の場合はまず小栗に攻撃させて、血気盛んな板垣らの暴走を煽った。 >>604
明治に坂崎紫瀾が汗血千里駒という小説の中でそう書いた
この坂崎が書いた一連の龍馬ものの創作が後に司馬遼太郎の小説の出処になった 会津観光史観を作り上げた司馬は小説家として超一流
それを真に受ける馬鹿の多いこと たしかに龍馬は使いっ端りだが、ただの使いっ端りではない。
こんな感じ。 過大評価と書いて坂本龍馬と読む
何もしてない訳じゃないが坂崎紫瀾が坂本の手柄にしようと盛りすぎてしまった >>602
その大学生が新しい政府の役人になる西郷だの
大久保だのとか知り合いとか
勝海舟みたいなやつの弟子だったりするわけじゃねーだろ
話が極端なんだよ
そいつらに新政府に経済に強い三岡八郎に入ってくれ
って直接頼む手紙なんてだせんし >>603
板垣は土佐藩では唯一に近い討幕派
竜馬や後藤ら大政奉還派とは犬猿の仲 誰が何と言おうが、司馬遼太郎先生の作品の内容こそが絶対の史実。 馬鹿な奴らがわかるように龍馬ではなく’竜馬’としてやってくれてるのにね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています