【歴史】日本国はいつ誕生したのか 天皇制につながる卑弥呼の統治 学研究所長に聞く★3
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
日本という国はいつ誕生したのか−。このテーマの議論は、研究者の間では「七五三論争」と呼ばれている。
「邪馬台国の女王、卑弥呼が統治した「3世紀」か、仁徳天皇ら倭の五王による巨大前方後円墳が築かれた「5世紀」、
そして天皇制が確立したとされる飛鳥時代の「7世紀」かで議論が分かれているからだ。
国内初の本格的な都、藤原宮(奈良県橿原市)や大宝律令という法律が整備された7世紀こそ「日本国成立」ともいわれるが、
邪馬台国の時代にはすでに女王が国を治め、中国王朝と外交関係を築き、国家といえる形が整っていた。(小畑三秋)
■「女王の都するところ」
「飛鳥時代が国家の始まりともいわれるが、決してそうではない。日本国がいきなりできたのではなく、
卑弥呼の時代には原型ができていた」と指摘するのが、纒向(まきむく)学研究センターの寺沢薫所長だ。
寺沢さんは邪馬台国の有力候補とされる纒向遺跡(同県桜井市)を調査し、弥生時代から古墳時代への変遷など、国家形成について研究している。
同遺跡には、卑弥呼の墓説が根強い箸墓(はしはか)古墳(墳丘長280メートル)をはじめ、国内最古級の前方後円墳が集中し、
邪馬台国論争の舞台だ。
遺跡中心部のJR桜井線・巻向駅近くで平成21年、東西に一列に並んだ3世紀前半の国内最大級の大型建物跡
(南北19メートル、東西12メートル)など4棟が見つかった。
卑弥呼が中国に使者を送ったと中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された239年とほぼ重なり、
邪馬台国中枢部の可能性が一気に高まった。
■「邪馬台国、女王の都するところなり」
魏志倭人伝は、卑弥呼のいた場所についてこう記している。
「卑弥呼は邪馬台国の女王とよく言われるが、そうではない。邪馬台国を含む倭国全体の女王。居住していたのが邪馬台国」と寺沢さん。
そのうえで、「纒向遺跡は邪馬台国の中心であり、卑弥呼は発掘された大型建物で政を行い、倭国の首都だった」と指摘する。
纒向遺跡では、約2700個もの桃の種、香辛料に使われるバジル、ベニバナの花粉も出土。ベニバナは古代エジプトではミイラを巻いた布、
中国でも染料として使われた。桃は、仙人が暮らす中国の理想の地「桃源郷」を連想させる。バラエティーに富む発掘成果は、
中国との外交を通じてシルクロード文化を積極的に取り入れていたことを物語る。
■外交に長けた女王
「汝をもって親魏倭王となし、金印紫綬を与える」。魏志倭人伝は、239年に卑弥呼が中国・魏に使者を送り、
魏の皇帝が卑弥呼を親魏倭王に任命し金印を授けたと記す。今から1800年近く前、決して対等ではなかったが、
日本と中国で外交関係が築かれていたことがうかがえる。
卑弥呼は、倭国の統治に中国の威光を頼ろうとした。当時は三国志で知られる魏・呉・蜀がしのぎを削り、
魏の王・曹操や蜀の劉備玄徳ら英雄が覇を競った。卑弥呼が外交相手に選んだのは、中でも優位にあった魏だった。
「卑弥呼の政権は、東アジア情勢を敏感に察知しながら中国と外交を展開した」と寺沢さんは話す。
■男子の王で戦乱
倭人伝は、卑弥呼誕生の経緯についても詳しく述べている。
「もともと男子を王にしていたが、戦乱が起きたため1人の女性を王に立てた。その名は卑弥呼という」と記載。
寺沢さんは、卑弥呼が各地の王の上にたって統治していたとし、「こうした統治体制は、5世紀の倭の五王の時代と変わらない。
これが、のちの天皇制へとつながっていった」と説く。
そして飛鳥時代、中国から長年「倭国」と呼ばれていたのを、自ら「日本」と名乗るようになった。
太陽が昇る「日出する国」「日の本の国」として、中国をはじめとした東アジアの国家の一員であることを宣言したのだった。
http://www.sankei.com/west/news/180324/wst1803240002-n2.html
http://www.sankei.com/west/news/180324/wst1803240002-n3.html
http://www.sankei.com/west/news/180324/wst1803240002-n1.html
1スレの日時 2018/03/24(土) 13:38:12.97
前スレ https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1521876868/ >>1
> 日本という国はいつ誕生したのか−。
皇紀元年、2677年前だろ
何言ってんだ 初代天皇といえば「神武天皇」(始馭天下(ハツクニシラス)天皇)だが
『日本書紀』では
神武天皇の事も
「始馭天下(ハツクニシラス)天皇」と記されている。
『古事記』では「所知初国之御真木(ハツクニシラスノミマキ)天皇」
3世紀から4世紀初めにかけて実在した大王
258年没説を採った場合、
崇神の治世は中国の文献に記載されている
邪馬台国の時代の後半と重なることになる。
問題は
この以前に既に 国が形成されてる
合衆国・日本が 成立してるってこと >>919
昔の陸地移動は間違いなく尾根づたいだよね、うちは実家が
高野山の山奥だったからよくわかる。
植林されてない昔は視界もいいはず。 >>911
まぁ聖書でもゲノムの限界を突破した200歳超えとかゴロゴロいるしなw
そもそもきちんと1年という周期を計れてたのか怪しいもんだし、
現代でも10以上はたくさんという言語体系をもつ部族があるように
どこの人間でも考えることは一緒だって感じでおもろいじゃんw
一応書物にのこせるのはその時代と人の常識や知識の範囲内でしかないから
当時の風習を知るには物語の筋自体はラノベレベルだとしてしても
そこから伺えることは価値があると思うよ >>931
渡来系弥生人と縄文人のハイブリッドじゃないの?蝦夷 >>930
頭悪そう
奈良の桜井あたりはハセと言って死者の帰る場所だったんだよ
そこいらにハセ=長谷氏=土師と言う、葬式を司る一族が住んでいたからだ 九州は内乱で自滅したんだよ。それが倭国大乱
そこから逃亡したのが神武で後に近畿で連合組んで鬼退治という名目で邪馬台残存反乱分子を退治したろ。
そこから鉄の先端武器を手に入れたんだよ >>952
お前ら東北の山奥の原住民を見に来て下すったのは明治天皇が初めてだもんな 田舎者ほど郷土愛が強いと想像する
「絶対九州ぞなバッテン」
とか踏ん張っているのがこのスレだろ? >>951
こりゃどうも、ここでは妄想全開ですが。 大和朝廷の神話に、東遷説が語られている以上、
始まりが九州であった可能性は高い。
ワザワザ、捏造してまで神話に入れる意味はないから、
本当にそうだったんだろう。 建国記念日に否定運動やらかす層がいますよね (´・ω・`) >>762
おい、時代が違うだろ
魏志倭人伝は3世紀の書物で、日本には当時の書物は無い
古事記も日本書紀も7世紀の書物で、残念ながら3世紀の記載は極めて曖昧なので、魏志倭人伝が重視されてる
とは言え、魏志倭人伝なんて、マルコポーロの黄金の国ジパングと同レベルの旅行記なので、距離や方角などデタラメ。物珍しい巫女を崇拝する土人たちを、実態以上に誇張して、強大な女王国に仕立てたんだろう
アマゾネス伝説と同じだよ
文化や風習の記載は、誇張は有るにしても嘘では無いだろうから、文化的な歴史書として見るべきで、何が何でも畿内に比定して大和朝廷や天皇家に強引に結びつけるのは、おバカな皇国史観 >>920
百越族は江南に住んでいて稲作漁労を生業としていた。
越は中国読みはワ。これに倭を当てた 江戸時代に旅行した人は1日に何キロくらい歩いたのか。
「平坦な道で成人男子は9里から10里(約35〜39キロメートル)くらい、
女性は年齢にもよるが6里から8里(約23〜31キロメートル)ほどである」とあります
20x30は600kmで畿内
女でも畿内に行ける。途中で宴会しながらでも1月あれば奈良まで行ってしまう。
「歩ける距離」は時代にほとんど依存しない
かつ昔の方が遠距離まで行ける。
早足で40kmx30=1200km
女足で20kmx30=600km
荷物背負った男の列で600kmですね。
「弥生時代は1日が1時間だった」と言うしか残ってないですね
SF小説作成を今後もがんばってね。
1日10kmしか歩けないって、足に何かの歩行障害があるので
リハビリするレベルだろ。
朝9時に歩いて11時くらいに10kmになります。
その後どうすんの? 神武東征が事実だとしても、神武が仕切ったとはどこにも書いていない >>965
孝霊ワールドのファンなんですよ
刺激があって勉強になります 中国さんのおかげで卑弥呼の存在がわかってありがたい
そうでなければあの時代日本に王がいたことさえわからなかった
ましてや女王がいたなんてなあ 捏造するにしても捏造するだけの教養がいるしなw
そしてその教養は当時の常識から超えることはできない
真実を語るより嘘を語るほうが「当時の常識」の辻褄をあわせるため
リサーチをしっかりして高度な論理能力が必要とする研究結果もでてるし
まぁ古代人のライトノベルでも当時になにがタブーでなにが尊いものとされてたとかいろんなことが伺えるw >>956
尾根伝いはパワー的に無理。
邪馬台国、四国山上説があるが、
実際に歩いてみれば、それは日常的に無理。 九州説であれば、1日10kmしか歩けないことになるので
成人男子が1日2時間だけ、たった10kmしか歩けない虚弱な九州は
またたくまに畿内に征服されてしまうだろう。 >>970
こっちが畿内に無理矢理比定しようとしているように見える?
九州説こそ記紀を否定したい情念だけのカルト宗教じみた超理論的こじつけと詭弁のオンパレードだろ
記紀=皇国史観という戦後教育の偏向バイアスがかかってるんだろうけど
記紀はけっこう客観的で記述の筋も通っている
魏志倭人伝のデタラメさについては同意 >>981
オカルトパワーがないと歩けないのか。
大変ですね。
山伝いの学校の小学生でも片道10km歩いてましたけどね
意味分からんよな
歩き慣れてもない、自動車しか乗らない人が弥生時代を語るのは笑えるジョーク。 古事記には、九州から大和に来た神武天皇の后になった伊須気余理比売が
神武の家来の大久米命の入れ墨を不思議に思って歌を詠んだことが
書かれている
これだけでも奈良の大和と魏志倭人伝の邪馬台国は別だということがわかる まだ道もない時代に川口探検隊のように山中と渓谷を越えてきてんだから普通に荷物持ってればそもそも1日の移動距離なんて知れてる >>961
いや、間違いではない、黄泉は元々悪い意味ではないから。
古代インドヤマ神は後の仏教では閻魔だからな。
ヤマ神は元々最初に死んだ神で初めての人間。
だからヤマ神の居たところは天の事で、人間は死んだら天に行きたがった。
その為ヤマ神が天に行ける人を裁く役になったんだよ。
つまりヤマとは元々は天の意味。
ちなみにハセは本来は男性自身。 >>972
お前、魏志倭人伝の数字しか見てないよね
争いが絶えなかったので、卑弥呼を立てた。卑弥呼の占いに従った
これを考えたら、卑弥呼が九州から1ヶ月も離れた畿内にいるはずがない
往復2ヶ月も遅れて占いの結果伝えても、意味ないだろ >>970
ほんこれ
大航海時代の書物で、どこかの国に化物一族が住んでたってレベルの話
当時の中国からみたらその程度の文明ってことだな
そこそこ文明あって国交ある関係なら
もっと具体的な王や人物の名前が出てくる
負荷逆的に日本本国にそのくらい詳しい記録がないのも痛いが…
つまり当時の日本は歴史書を残すレベルの文明ではなかったって事だね >>987
畿内説の根拠は1の記事によると桃の種ぐらいしかないそうだが
それでどうやって九州説に抗うんだ
もう畿内説は纏向と共に終わったんだよ >>986
歴史の求道者だよ(自分でいうのは恥かしいけどね このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 3時間 55分 55秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。