https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180812/k10011574171000.html

520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で33年となり、墜落現場の群馬県上野村では
遺族などの慰霊の登山が続いています。

昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、
国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

事故から12日で33年となり、上野村では墜落現場の「御巣鷹の尾根」を目指して遺族などの慰霊の登山が続いています。

遺族などは亡くなった人の墓標に花や線香などを供え、静かに手を合わせていました。

また、墜落現場にある慰霊碑、「昇魂之碑」の前でも手を合わせて犠牲者を悼んでいました。

慰霊碑の近くでは、午前中、遺族などが参加して犠牲者を追悼する行事が行われ、
子どもたちがシャボン玉を飛ばして空の安全を祈っていました。

夕方には、ふもとにある「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われ、墜落時刻の午後6時56分に合わせて
黙とうをささげることにしています。


2人の娘を亡くした母は

事故で長女の知美さん(当時16)と次女の薫さん(当時14)を亡くした山岡清子さん(71)は12日、
2人の墓標の近くに桜の苗木を植えました。山岡さんは「ことしの春、自宅の庭の桜を見てとてもきれいだったので、
見せてあげたいと思って桜を植えました」と話していました。

また、おととい群馬県で起きた防災ヘリコプターの事故について、「何とも言えない気持ちになりました。
犠牲者は520人で十分ではなかったのか、何をしているんだという気持ちです」と話していました。


父を亡くした女性は

事故で父親の南慎二郎さん(当時54)を亡くした川崎市の内野理佐子さん(58)は、「亡くなった人への思いは変わることはなく、
今でも悔しい思いを抱えています。おととい、ヘリコプターの事故が起きたことは非常に残念で、私たちのような思いをする人が
これ以上、出ないように、空の安全をこれからも祈っていきたいです」と話していました。

また、「事故から時間がたちましたが、遺族だけでなく多くの人たちが慰霊登山をしたり事故の教訓を後世に生かそうと
活動したりしてくれて、ありがたいと思っています」と話していました。


https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180812/K10011574171_1808121150_1808121152_01_02.jpg