【シベリア抑留体験しよう】元日本兵の抑留生活、体験で学んで 旧ソ連の「ラーゲリ」再現 舞鶴引揚記念館30周年 京都
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元日本兵の抑留生活、体験で学んで 旧ソ連の「ラーゲリ」再現 舞鶴引揚記念館30周年
2018.8.13 08:20
シベリア抑留や戦地からの引き揚げに関する資料を所蔵する京都府舞鶴市の「舞鶴引揚記念館」は開館から30年の今年、収容所での生活を再現したスペースを新たに設けた。戦争を直接知らない若い世代にも体験してもらうことで、史実を伝えるのが狙い。
昭和63年の開館後、年間20万人以上が訪れる時期もあったが、平成24年度には約6万9千人に落ち込んだ。27年には収蔵資料のうち570点が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶(世界記憶遺産)」に登録され、次世代への継承が課題となっている。
今年4月に新設された「抑留生活体験室」は、手記や回想記を基に、旧ソ連により抑留された元日本兵らの収容所「ラーゲリ」の内部を再現。壁にシベリアから取り寄せた木材を使い、人形に着せた軍服や毛布も旧日本軍のもので、展示品には触ることができる。
木のベッドは上下2段に分かれ、ランプはあるが薄暗い。実際に横たわってみると硬く、寝返りを打てないほど狭かったことが分かる。中央にはストーブが置かれているが、厳しい寒さから就寝時も帽子をかぶっていたという。
記念館は養成講座を通じて語り部育成に取り組むほか、修学旅行や平和学習の誘致にも力を入れている。山下美晴館長は「体験を通じ、平和について具体的に考えるきっかけにしてほしい」と話している。
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https://www.sankei.com/images/news/180813/wst1808130014-p3.jpg シベリアにもともと日本人がいたわけではないのでシベリア抑留という言葉はおかしい。
ソ連が日本に帰国させると騙して列車に乗せ、着いた所がシベリアだったという。
ソ連という国が敗戦により保護者が居なくなった満州に居た日本人70万人?を
軍民問わず戦争奴隷として自国内に誘拐・運搬し酷使し大量殺人した事件。
連合国は凶悪犯罪者の国連合という意味。
シナの蔣介石は連合国の犯罪者仲間。奴隷供給地であり麻薬の消費地の暴力団=蒋介石。
これがいわゆる連合国の実態。 >>27
同級生の曽祖父さんが抑留体験者で、珍しい例だそうだけど向こうの農家の娘と結婚してこっちに連れて帰ってきたらしい。
その同級生は、黒髪だし黒目だし見た目まったく日本人でそう言われないと気づかないけど、言われてみれば少し向こうの人っぽい彫りの顔立ちでもある。 強制労働はやっぱりロシア語で指図されていて、判らずに殺された人も居たと思う。それを目の当たりにして生きて祖国に帰りたいばかりに3040超えた人がロシア語覚えたと思うが。これって現在の外国語教育に生かせね? ロシアが対中包囲網の仲間とかちゃんちゃら可笑しいよね 当時の日本の社会党政権は抑留者の視察をして、「抑留者は人道的に扱われて不自由なく暮らしている」とか言いやがったんだよな ウラジオストク攻撃してたら歴史が一変してたのにな
残念 手先の器用な農民や技術の有る者は比較的軽度な作業が割り当てられたが、
都会育ちの何もできない若いのが、酷使されて一番先に死んでいったと聞いている 抑留中の思想教育で真っ赤に染まった人が帰ってきて、落ち着かせるまでの間大変だったらしい 唐沢版の「不毛地帯」では、抑留中の話は、サラッとだったな。
あの辺が、一番ドロドロしてて、見どころだったのに。 >>110
原作は映像にできないよね。あまりにも。 >>109
彼らは帰国と言わず、天皇島上陸と気勢を上げたそうだ。 >>108
うちのじいちゃんは建築士だったからシベリアの建物バンバン作りまくって
一度肺炎になりかかって日本に帰ったんだけど、もう一回呼ばれて5年くらいまたバンバン作ってきた。 >>112
不毛地帯の原作にそういう場面があったね。
上司というか、抑留後にロシア人に取り入って役職をもらい、かつての上官を鼻でこき使ってた奴。 >>112
虐めが常態の倭猿アーミーでは捕虜となった場合それまでの虐めの報復として真っ先に上官が惨殺されたそうです ほぼ毎晩女性ソ連兵に犯されたってじいちゃんが言ってた >>117
再現映像を綾瀬はるかでやって欲しい、100%再現でソ連兵との絡みから引き上げまで 日本人を委縮させる工作が戦後70年以上が過ぎても続いてんだからすごいよ
こんなものより戦前から今へと連綿と受け継がれる公務員や政治家の腐敗を分析するシンポジウムでもやりゃいいのに サロベツ原野や根釧原野に数万人規模の収容所を作って、扶養ゴミを集めよう 第2シベリア鉄道の経緯とか全く語られることはないしな >>70 厚労省に窓口あるはず 復員できてよかったね 不毛地帯から学んだこと
ロスケの男女はラーゲリの金網越しに○○○しやがる
スゲー生命力だと こいつらと戦ったらあかんわ 捕虜はみじめで悲惨なものである
しかし、捕虜といっても兵の国籍と捕虜にした国の組み合わせで相当の差がある
5つ星ホテル級
イタリア軍の捕虜になった英兵
豪州軍の捕虜になったドイツ兵
ビジネスホテル級
独軍の捕虜になった連合軍兵
英米加軍の捕虜になったドイツ兵(1944年まで)
米軍の捕虜になった日本兵
ドヤ級
日本軍の捕虜になった連合軍兵
ソ連軍の捕虜になった日独兵
連合軍捕虜になったドイツ兵(1945年以降)
人生オワタ級
ドイツ軍の捕虜になったソ連兵
ドイツ軍の捕虜になったソ連兵はドイツ軍のアウシュビッツ級の扱いのため生還率が最低の上、
なんとか解放された運のいい捕虜もスターリンに死ぬまで戦わなかった罪によりシベリア送りになったのであった・・・ 地下数十メートルの暗黒の坑内でつるはしを持ち、11年間も重労働を強いられた人間の苦しみがわかるか、で泣きそうになった
シベリア送りになったドイツ人はどんな感じだったのかあんまり知られてないね ついこの前に亡くなった親類が抑留者で、当時の体験手記を読ませてもらったが
貨車で運ばれて収容所に着いたら、最初の仕事が自分達の墓穴掘りだったそうな
それも一人に一つではなく、一つの穴で二人ぶんだったとか
ただ、すぐにビンタをとる日本軍と違って捕虜であっても暴力を振るわれたことは一度もなかったらしい >>21
・毛布についたシラミは潰して食べていた
・配給品の紅茶の葉も食べていたがあまりおいしくなかったとのこと
・雨上がりにカタツムリが一斉に沸くので拾ってバケツに集め
焚火の前に並べて食べていた(ジュッと音がすると食べごろ)
バケツにきちんと蓋をせずに放置すると満杯に集めたカタツムリが一晩で全部逃げられたりした
・パン工場での労務があった際は外套の袖にパンを詰めて持ち出した
肩をゆすって腕を振っているように見せかけるなどしたが
中の腕を見とがめられて「お前腕は何本だ」と聞かれた際「3本だ」と答えたところ
「そうかw」と通されたとか
・池の魚を取って持ち出した時は足裏に括り付けていたので
雪上に魚の跡がついて不思議がられた >>132
凍結している場合はスコップでは掘れないので尖った棒を使っていた アウシュビッツですらシラミは、食ってなかったもんな >>133
倭猿は草食動物なんだから草や苔喰えば良かったのに wwwwwww wwwwwww wwwwwww wwwwwww >>129
撤退したら督戦隊に撃ち殺されるから
捕虜になった方がマシかも >>133
最後の2つwロシア人ぽい。ロシア人てそういうところが愚鈍というか、抜けてるイメージ。 >>139
わかってて見逃してくれてた奴だっていたと思うんだ ブラック企業で働いている人は似たようなものでは。気候は違うかも知れないけど。 うちの婆ちゃん韓国で会社やってめっさ儲けたけど、敗戦で舞鶴港まで逃げたんだって
舞鶴についたら、すぐに病院行ったってゆうてた
なんでやろ? >>12
韓国兵の間違いかね
ベトナムでの証拠物件多数 あるとき収容所内で飼育されていた豚が一頭いなくなった
便所(中国のような個室の無い粗末な共同トイレ)に豚の皮が捨てられていたのが見つかり
収容所の所長は「豚一匹であろうとソ連の資産だ、犯人を見つけ出して処刑してやる!」と怒り狂ったが
日本側隊長格の将校が「私が腹を切るから、どうかそれで許してもらいたい。」と申し出たおかげで犯人は追及されず不問になったという >>52
むしろ日本軍がロシア人女性をレイプしてたんだがね。
レイプだけじゃなく、ロシア人女性を妊娠させた上で、産まれた子供を人体実験に利用してた。
性病実験と女性マルタ
731部隊では、性病実験も頻繁に行われた。戦時中の性病治療法は極めて限られており、主な方法は注射しかなかったが、性病の蔓延は陸軍内部で深刻なほど拡大していた。
例えばシベリアでは多くの日本兵が現地のロシア人女性を強姦したために性病が蔓延し、1個師団相当の兵力が失われたとされ、軍紀が乱れる大きな原因となった[57]。司令部は、731部隊がこの問題を解決するよう期待したのである。
当初、731部隊では注射で女性マルタに梅毒を感染させていたが、現実に即した実験結果が得られなかったため、マルタを強制して性行為を行わせることで梅毒を感染させ、梅毒にかかった男女を小部屋に入れて再び性行為を強制した。
性行為に立ち会ったという元隊員は、西野瑠美子とのインタビューの中で、「目の所だけが開いている白い袋のような帽子を、頭からすっぽりかぶり、白衣を着て、まわりに立っておった。
4、5人が見ている前で、セックスをさせたんですよ。拒否することはできない。モーゼル拳銃を構えているわけですからね。」と語っている[58]。
また、元隊員の上田弥太郎の証言記録によれば、1942年4月に行われたマルタを使った毒ガス演習で、
小林という隊員が「それはもったいないことをした。俺の子供まで殺しちゃった。」と言っていることから、隊員による女性マルタの強姦もあったものと西野瑠美子は推測している[58]。
マルタが性病に感染すると、その経過を丹念に観察して、1週間後、3週間後、1ヶ月後における病気の進行状態を確認した。
研究者は性器の状態など外部的兆候を観察するだけでなく、生体実験を行って様々な内部器官の病気がどの段階に達しているかを検査した[59]。
また、731部隊の研究員だった吉村寿人(のちの京都府立医科大学の学長)が戦後に発表した論文には、乳児を氷水の中に漬けた際の温度変化が記録されていることから、
実験中のレイプにより生まれた乳幼児、あるいは731部隊に捕えられる前から妊娠中だった女性マルタが出産した多くの乳幼児が凍傷実験に使用されたものと西野は考えている[60]。
元731部隊員の胡桃沢正邦は、証言ビデオの中で、生体解剖時の麻酔から目覚めた女性マルタの様子について次のように回想している[61]。
(インタビューワーの女性) 「眼は開いているの?」
(胡桃沢正邦) 「眼は開く場合もある。」
(インタビューワーの女性) 「叫んだりする人もいた?.....何と言ったの?」
(胡桃沢は力なく泣き始め) 「そのことは2度と思い出したくない!」 (胡桃沢は謝罪し、数秒後しゃくりあげながら答えた) 「『私は殺されてもよいが、子供の命だけは助けてください』と言った」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています