【福岡】出土した甕棺から王族の「歯」発見、きょうから公開 弥生中期、北部九州の中心「奴国の様相捉える貴重な成果」 春日市教委
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成果展で公開される出土品の歯
https://www.nishinippon.co.jp/import/f_toshiken/20180915/201809150004_000.jpg
春日市教委は、市内の須玖(すぐ)遺跡群・須玖岡本遺跡の岡本地区から出土した甕棺(かめかん)から、「奴国(なこく)」の王族の歯を発見したと発表した。奴国は魏志倭人伝に記された、弥生時代の北部九州の中心的な国。同地区の王族墓から歯が見つかったのは初めてで、市教委は「弥生中期前半の奴国の様相を捉える貴重な成果」としている。15日〜10月28日に「奴国の丘歴史資料館」(同市岡本)で開く「須玖遺跡群発掘調査成果展」で公開される。【桑原省爾】
須玖遺跡群は市北部にあり、南北2キロ、東西1キロに広がる全国有数の弥生時代の大集落跡で「奴国の王都」と呼ばれる。須玖岡本遺跡はその中心的存在。この中の岡本地区での20次調査(2015年3月)で、紀元前約150年の国内最大級の王族墓とみられる甕棺墓が見つかった。
周辺の土と一緒に甕棺を液体窒素で冷凍固化して取り出し、土を落とすと、絹織物に包まれた副葬品の銅剣や把頭飾(はとうしょく)(柄飾り)と共に14本の歯が確認された。第3大臼歯(親知らず)を含む歯のすり減り具合から、葬られたのは20代の成人とみられるという。
成果展では、歯と甕棺をはじめ前漢鏡などの副葬品や鋳型など、初公開の約25点を含む考古遺物を中心に226点を展示する。
毎日新聞 2018年9月15日
https://mainichi.jp/articles/20180915/ddl/k40/040/428000c?inb=ra
西日本新聞 2018年09月15日 06時00分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/449779/ おりょ、最近も奴国のスレを見た気がする。
>>4
古くから人々が住みついたこの弓状列島で、上古以来の全ての墓を
現状保存しろと言うのは、経済活動をするなと言うのと同義だぞ。
だから開発にあたっては調査して、保存するものと取り壊すものとを
峻別しているのだ。 また自分らで埋めて掘り出したん?湘南の潮干狩りじゃねんだど! >>4
諸々情報を得て古代の解明してるんだから、ただのではないな 弥生のDNAを沢山吸収してきた歴史か。
生まれは日本でもDNAは故郷である朝鮮半島を求めるか。 これさぁ、朝鮮紀元節は嘘なんだ
そもそも明確な歴史と遺伝子で「当時南端はフィリピん、中部都市部は中国人が99%」だった
ここで朝鮮民族紀元節は虚構で破綻するの
で対してじゃぁ半島南端やらの矛盾した小規模文化集落は何ってなるの
あれ中国文化延長にも見えるが、それよりも古い?可能性のある奇妙な文化があり
飛び地なのに中国文化が息づいて鉄器文化がある→つまりあれやん徐福やんと
徐福ならその地域が「秦の末裔」をこしょうした説明にもなる >>9
弧状列島じゃなくて弓状列島って語彙使ってるね。
琉球弧入れて形容する方が語彙として普通だし地理学地質学地学的には正しいよなあ。 >>23
おお、言われてみれば、俺はずっと「弓状列島」を使ってるな。
でも琉球はたしかに琉球弧だ。特に意識したことはなかったけど、
たぶん最初に読んだ本がそうだったんだろうな。
ちなみに、千島とアリューシャンは単なる「列島」だね。 >>15
何で志賀島で見つかったんだろうね
奴国の海上交易は海人族の安曇氏がやってたってことなんだろうか 日本は遺跡から人骨が出ても死者への敬意なんちゃらで埋め戻しちゃうから勿体ない。 右上顎第三大臼歯じゃなくて
上顎右側第三大臼歯と言ってくれ そういえば
今放送中のアンゴルモア面白いね
お前ら見てる? ※甕棺墓は縄文時代晩期〜後期に日本各地で行われていた墓制です。 歯に残っていた細胞の染色体を数えたら
現代の韓国人と同じ本数だったらしい ダウン症とかでなければ46本だった気がするが韓国人と奴国人は違うのかよ。 >>4
近代化して日本人は道徳観や宗教観を失ってしまったのだろう。 >>1
ヤマタイ国の特産だった絹は吉野ヶ里や朝倉や須玖や糸島や北部九州でしかみつかっていない
近畿は時代が下った古墳時代のものだ
神武東遷によって本格的にもたらされたのだ 奴国というか安曇族がヤマト王権成立にどう関わってるんだろうな >>1
邪馬台国の卑弥呼
=
ヤマト国の日の巫女
=
天照大神
ヤマトはズバリ 福岡県の山門・八女・瀬高・筑後市あたりを指す
日御子はこの地方の出身神道の巫女で強い霊力を持ちカリスマだった
吉野ヶ里を含め北部九州を収めたときに居城を甘木に構えていた
没するときには糸島、前原にいた >>1
甕棺葬は
日本の成立を確かめるときに重要なKeyだ・・・・ >>49
ヤマト王権の始祖である神武に臣従したのは久米族だから、安曇族は
関係ない気がする。彼らは、宗像族と入れ替わりに九州北岸を追われて東に向かうよね。
いったん淡路に落ち着いてから畿内をすっ飛ばして東国各地に拡散する。
神功皇后伝説の安曇のイソラ伝説によると、安曇族の東遷と住吉神の伸長とは
同時期で、これまた作為的だ。 歯が出て脚光を浴びるのは遺跡
歯が出て炎上するのはファーストフード
歯が出て笑いを取るのは明石家さんま 倭奴国は、倭の奴国なのではなく、
倭奴(わど)の国という意味だろ。
匈奴とかと同じで、倭の蛮族の国という意味。 >>51
巫女じゃなくて女子(メコ)だろ。
周りの王が〇〇ヒコ(=日の子=王)なんだから、
ヒミコじゃなくて、ヒメコ(=日の女子=女王)だろ。
後のヒメ(姫)の語源 TOTOのある福岡なら日本最古の「おまる」とか出土しそうw どうせY-DNAは調べないだろう
純正日本人だとわかってしまうから
赤い考古学会の求めるような「大陸から来た!」との結果が出ず都合が悪いからな 甕棺は二つの甕を会わせているから密封状態で遺骨は残るが
本州の方形周溝墓は木棺を使っているから遺骨は土に同化して遺骨は残らん
方形周溝墓は朝鮮半島発祥で南東北から九州まで分布しているが関東と関西に
偏在している。要するに朝鮮人は九州を素通りして関東や関西に住み着いたと
言う事だ。 「須久岡本は奴国です」って書いた木簡が出土したのかよ。
近畿なら速攻邪馬台国かって言い出すのに。
九州の公立の考古学関係者ってアホなん? 本人は自分の歯が2100年後にさらしものになろうとは夢にも思ってなかっただろうな。 >>65
お前の歯は2000年後に笑い物になるかもな(笑) >>63
方形周溝墓が朝鮮半島発祥ではないんだがw
方形周溝墓など何でもかんでも朝鮮半島発祥とかデタラメいうのは在日チョンだけw 時期的には大陸では漢帝国、衛氏朝鮮(燕人国)のあった頃か
直後に半島は楽浪郡を始めとした漢四郡が設置され、中華文明が九州北部に最接近した時期 >>62
縄文系の生活道具が中心に出土している状態だからなぁ 「三国志魏書 東夷伝」
<韓は帯方の南にあり東西は海を以って限りとし、南は倭と接し方4000里ばかり。三種あり馬韓・辰韓・弁辰という。辰韓は古の辰国なり。>
「三国志魏書 東夷伝 弁韓条」
<弁韓の讀盧国(とくろこく)、倭と境界を接する。>
朝鮮半島の南は海ではなく倭と接しているのだしかも倭人伝の記述と一致
<帯方郡から倭国にいくには船で韓国の海岸線を南に進み、しばらく東に行けば倭国の北岸狗邪韓国(くやかんこく)に着く。7000余里なり。>
狗邪韓国は朝鮮半島南にある国。その国が倭国の北の国境だとさ
「三国志魏書 辰韓伝」「後漢書 辰韓伝」「晋書 辰韓伝」には辰韓はもともと中国秦の強制労働に耐え切れなく馬韓に亡命した者たちだと記されている。
中国人なわけだ。でも秦は漢民族ではない。そのものたちが突然やってきて朝鮮半島の東を馬韓からもらったと言うのだ。
しかも「三国志魏書 辰韓伝」には馬韓(朝鮮人)は裸族で都人の辰韓人(秦人)とは言葉が通じない。文明の差がありすぎて
土地を取られちゃったのかね?
また、辰韓と弁辰は雑居して言葉や風俗が似ているという。辰が共通してるから同じ秦人だったんだろうね。
<辰韓(秦人)の民の頭は扁平で短く刺青があり男女は倭人に似ている。> 明治以降の歴史否定と国家神道ガ―と田布施システムは在日ならず者の最後の拠り所www >>49
ヌ国の実体が安曇族かどうかは不明だがヌ国東遷論はかなり前からある 「宋書 438年の条に任那・加羅の二国の記述アリ」
「宋書 倭国伝 451年」
<宋の文帝は倭王済に使時節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事の称号を与える>
<478年宋の順帝が倭王武に使時節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王の称号を与える>
「南斉書」にも任那・加羅の記述アリ(540年くらいに書かれたものか?)
「梁書」「翰苑 新羅条」「通典」「太平御覧」「冊府元亀」の各書にも任那や加羅が登場。
もちろん日本の「日本書紀」にもね。
「広開土王碑」
*367年・・・百済が倭国に使者を送る。たぶん泣きついてきて助けを請う。
*369年・・・高句麗が百済を進撃。高句麗大敗。援軍として倭国が参加しているかも。
*369年・・・その勢いで倭国は新羅を攻撃。大勝して朝鮮半島南半分を支配下に置く。
*377年・・・高句麗と新羅が中国(前秦)に泣きついて倭国から攻撃守ってちょとお願い。
*391年・・・百済と新羅が倭国に降伏。
*399年・・・百済は誓いを破って倭国と和平を結んだ。新羅の使者がやってきて倭人がやってきて
新羅王を臣下にしてしまったので助けてちょと言ってきた。
*400年・・・高句麗は5万の大軍を新羅の都に送り援護。倭国は撤退。調子こいて高句麗軍は
任那や加羅へ進軍してきたが安羅国軍(倭人)が裏をついて新羅の都を占領。 ほくぶ九州の王族の墓は一般人の墓とは離れた所に作っているし三種の神器が入った
棺もあるから王族の墓と断定しているんだよ。 >>68
方形周溝墓は弥生時代よりも古い時代の朝鮮半島の遺跡で大量に出土しているから
朝鮮半島が発祥なのは間違いないし今どきそれを疑う学者もおらんよ。 魏志倭人伝の頃というのが凄い。
3000億年位前だべ。
骨はないけど歯は残るんだな。 >>66
庭を掘っていて自分の乳歯が出てくるとマジでビビるw >>59
魏志倭人伝は伝える
「弥」は、"ミ"が正確である "メ"ではない
「弥」がどういう頻度で使用されているかを見ればわかる
一般的な女子あるいは姫というより、巫女(ミコ)=神に仕える女子・女性だった
さらに太陽を第一の神として信仰を形成し、その頂点に立つ女性だった
またミコのミには御(ミ)=尊いという意味がある
日本語的には卑弥呼というより日の御子、日の巫女が正確だ
その人には男弟がひとりいた 奴国の国になる前の発展集落で王族は無理だろうが、
絹で巻いた銅剣の副葬品で首長クラス想定でまぁ確かだろね。
Y-DNAは欲しいところだな。 >>72
いつもの事で大量と言っても多寡が知れてる。
それ以上に注目したいのは、三韓国時代以前の墓例が
3つに特徴を持つこと。
この周溝墓が偏在している中部西海岸(馬韓・帯方・百済)地区
シ歳の東海岸北方系の石棺系。
甕棺、円墳墓の南部海岸地区。 >>77
大量?
その内容とソースは?
方形周溝墓は朝鮮から伝わったものではありませんよw
日本の学校ではそう教えませんけどこか外国の学校なのでしょう 方形周溝墓の事など教える学校などある訳が無い。関西にやって来た弥生人は
朝鮮半島からの渡来人と言う事だけは間違いないな。北部九州は甕棺墓だから
江南地方からの渡来人と言う事だ。 >>52
そんなもんなんだよ。むしろそれがリアルなの >>74
>>55
難波にも安曇江という根拠地があったようだし、海部として王権に関わってるのは確かだよな >>88
弥生人とかいう特殊な人種はいない
それはデッチアゲだ >>13
そのころ半島の南部を支配してたのは日本人 >>90
だよな。
ホメロスの「オデュッセイア」とか十数年に及ぶ壮大な叙事詩だけど、
その舞台はせいぜい300km四方のエーゲ海だもんなw >>88
>北部九州は甕棺墓だから江南地方からの渡来人
おまえはよほど頭が悪い
文化は都度伝播するが民族まで大きく入れ替わることはよほどのことがない限りない
そういうときには言語、文化、宗教すべて入れ替わる
殺戮もある
甕棺葬はそれに江南地方以外にもある >>95
関西から甕棺が出土しないから悔しいノーwww
半島系の関西人vs大陸系の九州人www >>88
日本の高校の授業だと習う学校もあるわなw >>76
「三種の神器」は個人の所有物ではないぞw >>101
天皇家の三種の神器は九州北部諸国の真似っこなんだが、
貧乏だったので棺に入れず、先祖代々引き継ぐことにしたw >>102
> 天皇家の三種の神器は九州北部諸国の真似っこ
論拠は?証明できる? お、歯が出てきた。これはすばらしい。
で、その歯の中に歯髄があったりしてさ
そこからDNAを抽出して現代に奴国王を蘇らせるのだwww
ジュラシック奴国www
>>94
あの当時の300キロは大きいと思うけどなあ
そんなこともない?
話は変わるがウリがちょっと驚いたのは聖書におけるイエスの伝道期間って
2〜3年、1年って説もあるんだって? そっちの方が驚いたなあ DNA解析できればその結果を速やかに公表してほしいな >>103
やだ、そんなこと急に言われても…w
でもまあ、考古学的に九州北部の墳墓で鏡・珠・剣のセットが出てくるのは
>>76が書いてる通りだよね。で、これらが「三種の神器」というセットで認識されて
いたのは、文献史料から判る。
たとえば、筑前国風土記逸文に出てくる伊都県主の五十迹手は、
仲哀天皇の九州巡行に際して、八咫鏡を含む「三種の神器」を持って
あいさつに行っている。このとき岡県主の熊鰐も同様に三種の神器を持って行ったが、
こちらは日本書紀の記事。ちょいと時代が上がるが日本書紀の景行記では、
同じく九州巡行に行った景行天皇に周防の神夏磯媛も三種の神器持参で
会いに行っている。
>>94
たしかに大きいっちゃ大きいけど、対馬海峡の幅が200kmくらいだから、
10年彷徨うほどのことはない気が…w おりょ、アンカー間違えた。
>>104
たしかに大きいっちゃ大きいけど、対馬海峡の幅が200kmくらいだから、
10年彷徨うほどのことはない気が…w 不敬罪っぽいけど、天皇陛下のDNAとか科学的に調べて欲しいなって思う。
いろいろ都合の悪い真実がありそうだけど… >>109
じゃあ、まずはお前のDNAから調べて公表しろよw 甕館内の人骨を支那の江南地方から出土した甕館内の人骨とDNAの比較をして一致したから
九州には江南人が渡来したのは間違いない事はすでに証明済み。江南式の甕棺は
本州では瀬戸内の小さな島から数基は出土したがそれ以外は聞いた事が無い。 >>110
一般人のDNAに誰が興味あるんだ。
天皇っていう制度は昔から男系で続いてるってタテマエだし歴史的な真実のようなものが
わかるだろうから知りたいんだよ。 ★ウィキペディアからコピペ★後漢書でも狗邪韓国を倭国の西北端と記述している。
後漢書[編集]
『後漢書』[6]東夷伝倭人条では、
倭は韓の東南、大海中の山島によっており、およそ百余国ある。(前漢の)武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼしてから、三十余国が漢に使訳を通じてきた。国では皆が王を称することが代々の伝統である。
そこの大倭王は、邪馬臺国に居する。
楽浪郡からその国(邪馬台国)へ去ること一万二千里、その(倭の)西北端の拘邪韓国へ去ること七千余里。その地はだいたい会稽郡東冶の東にあり、朱崖や?耳と相似しており、その法俗も多くが同じである[7]。
とあり、狗邪韓国を倭国の西北端と記述している。
『三国志』「魏書」東夷伝倭人条では、
(帯方)郡より倭に至るは、海岸に循(したが)ひて水行し、韓の国を歴(へ)、乍(あるい)は南し乍(あるい)は東し、其(そ)の北岸の狗邪韓国に到り、七千余里。
始めて一海を度(わた)ること、千余里にして対馬国へ至る[1][2]。
とある。「其(= 倭)北岸」の解釈としては、倭国(または倭人居住地)の領域内とする説、領域外で対岸とする説、倭の海と岸が接する意味とする説の3説が挙げられている[3]。
また同じ『三国志』「魏書」東夷伝韓条では、
韓は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と接し、四方は四千里ばかり。韓には三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓。辰韓とは昔の辰国のことで馬韓は西にある[4]。
とあり、韓と倭が接する(陸続きである)と記述している。
◇◆◇◆◇◆
百済滅亡の白村江の戦まで半島に日本列島に渡りきれない倭人が半島南端部に多数残っていた模様。加羅諸国の任那同盟として。
日本最初の倭国大王仁徳天皇の難波王朝時代は半島にも渡り、半島で高句麗と半島の覇権を争う。倭国大王は任那同盟に加わっていた。
好太王の碑や宋書に書かれている。半島南端部も倭語を話していたと思われる。百済滅亡後、半島に残る倭語百済語を話す勢力の言葉は新羅支配で朝鮮語に次第に変わる。
百済・加羅諸国滅亡の時、天智天皇が唐・新羅の恐怖を煽り日本を中央集権国家として統一して日本国を名乗る。その時当時の漢字を操る知識人漢人が庶民の倭語と百済語と漢語を組み合わせて現在の日本語の基礎を作る。
このようにして日本・新羅は統一され、それぞれの国語が出来上がった。 >>113
いいから、他人の事より自分の事を調べてみろよw >>116
なんで絡んでくんの?調べてみたいなとは思うよ、ご先祖さまが南方から船に乗って来たのかな?
とかロマンがあるもん。 >>116
そんなにそいつのDNAに興味あるのかw >>116
いや、誰も>>113のDNAなんかに興味ないからw
皇族のDNAには興味ある奴は沢山いるだろうけどな
天皇のDNA調べられると都合の悪いことでもあんの?w 周溝墓wiki > 弥生前期の中部・関東では、一度遺体を土壙して骨化させてから小型の甕や壺に埋納する再葬が行われていた
これは今の火葬で骨を骨壷に入れてと同じだよな。
ここから複数を土葬する周溝墓に変わるんだけど、複数は家族、血族の埋葬らしい。
ということは、周溝墓とそれ以前を足すと、形こそシンプルになったけど、近代の墓の考え方だわな。
なぜ土葬になったかは、骨化で面倒臭かったんだろうな w
ま、先祖尊重がその面倒臭さから、形としての崇拝に変わったとしてもいいね。 >>8
>>7
貝がらと一緒ならアルカリ性になるから骨が分解されずに残るんだよね
貝塚の骨しか発見されないのはそのためで 王族といってもどうせ人間的にはおまえら以下のクズのような
生き方してたんだよな。 この手の移籍が朝鮮半島からは出土しない、人住んで無かったから当然だが 奴国と邪馬台国は水行30日陸行1月も離れてるからね。邪馬台国は北九州にはないということ。 出雲は元々奴国の一部だったんじゃねえかな。
邪馬台の奴の国。
兵糧と兵役を担う国。
半島進出に大量の人員が導入されてたから
近畿、美濃のファームから補充されてたんだよ >>122
関西人の顔見りゃ判るだろう、あんな細い目ばかりじゃ異民族としか思えんよ >>120
いつも思うんだけどたy遺伝子だけって本当に継続されるの?
日本人男性が欧州に行って白人相手に男系を子、孫、ひ孫と続けると日本人の割合は1/8
この子の見た目は完全な白人だけど遺伝子調べたら日本人男子でした
母系の従兄弟とは似ているけど遺伝子が全く違います
そんなこと本当にある?
アフリカで人類は産まれ人口が増えて、その一部がアジアに向かい増えて行った
そしてその一部が極東に向かい増えて行った
男系の遺伝子が継続されるならアジアどころか世界全体で同じでないとおかしい 水田稲作は江南⇒韓国南端部⇒北部九州が正解では?
朝鮮人に南方系の血も混じっていると言われるから水田稲作普及の段階で中国南部の血が混じり、北方の高句麗系ツングース系の血が混じ
り合い弥生人として北九州に渡った。倭人の言葉はツングース系でアルタイ諸語。
韓国南端部から水田稲作普及の段階で弥生人が縄文人と混血して現在の日本人の原型になる。
一部弥生人の倭人は百済滅亡の白村江の戦まで半島南端部に多数住む。古代最後に大量に渡ってきたのが弥生人に近い百済の遺民。 >>134
梅宮アンナなんか外見ではまったくの白人だからね >>120
今の天皇のY-DNAにはあまり興味はないな。
それよりも、「源氏の子孫」や「天孫」系の人たちのほうだな。 >>134
なんでおかしいと思うのか理解できないわ。 >>135
だが、弥生系と思われる遺伝子と、
北方遺伝子が日本列島での広がりが同じではない。
弥生人のメイン(先島系と華北系の混血)が青森まで広がってるのに、
北方系の遺伝子(オロチョン等)が九州周辺に限定されている。
なので、弥生人の渡来は、メインの渡来と北方系が入った後の渡来の
二波があったと思われる。
後者の渡来で日本語が来日w >>137
出雲大社宮司の千家さんとか、阿蘇神社宮司の阿蘇さんとか、
諏訪大社の神長官だった守矢さんとか、まとめて丸っと検査してくれんもんかなw >>120
他人のDNAを知りたがる人は人権意識が低いんだと思う。 >>141
ゴミ箱をあさってこっそり細胞を採取するとかはダメだけど、
本人の了解を得れば良いんじゃなかろうか。
NHKで有名人の先祖を辿る番組をやってるけど、ああいうのも
一昔前なら叩かれまくってた気がする。 >>138
人類の起源はアフリカ
y遺伝子が男系で各自つに継続されるなら
アフリカの男性のy遺伝子と日本人のy遺伝子は全く同じになる >>142
先祖は朝鮮人と暗に言われて睨み付けてた女がいたな
誰だったか 歯のとこか こいつら次から次へとせっかく封じてあるのを掘り返して
余計なことをしやがる あとは自分でやれや >>135
>水田稲作は江南⇒韓国南端部⇒北部九州が正解では?
中国文献での朝鮮半島のいわゆる「類倭語地名」は、半島中央部にほぼ限られているから、それはない。
南方から渡来し、二手に分かれて一方は半島中部へ、一方は日本列島に来た。
>倭人の言葉はツングース系で
そんなことはない。単語の比較では、日本語の単語は圧倒的に南方オーストロネシア系だ。
>アルタイ諸語。
「アルタイ諸語」は今日では単なるレッテル張りに近いククリであり、比較言語学的には無意味。 松龍と遺伝子繋がっていたらどうすんだよ? 土下座して墓前で詫びろよ ポッポみたいに >>25
案外、光武帝時代の倭奴国とは志賀島を根拠地とした安曇族の国だったんじゃね?
当時はまだ海産物が食料の中心だったけど、稲作技術が発達するにつれて平野部の方が条件的に有利になっていき
魏志倭人伝までの200年ほどの間に対岸の福岡平野側に国の中心が移ったと考えればどうか 邪馬台国九州説は劣勢だが、奴国などの北部九州勢が原始ヤマト王権には大きく関わってるとは思う
少なくとも魏との交易に海部の力は不可欠だし >>153
大きくというか、関わったとする考古学的証拠などまるでないな
仮に関わったとしても、支配者が入れ替わった後のことだな
卑弥呼は奴国にいたと思うが、3世紀中頃〜4世紀初頭頃に北部九州は吉備畿内連合に征服された可能性が非常に高い >>147
半島〜列島の遺伝子構成を見れば、分かるけど、
北方言語系の遺伝子頻度は、余りにも少数派だ。
日本語は、半島南部で出来たらしいが、この遺伝子頻度を見れば、
少数北方系がマウントをとって、その言語が政治・経済の公式言語
になったが、大多数の現地語(弥生人)の単語がどんどん入って、
多くの単語が置き換わってしまっただろう。
よって、文法=北方系を極めて簡略化したもの、単語=南方系(弥生系)、
という組み合わせになったと思う。
半島の弥生人言語の単語が沢山日本語に入ったので、列島の弥生人
の間に日本語が広がるのも容易だったと思う。 だろう〜だろう〜そうだろう〜♪
思う〜思う〜そう思う〜♪ >>150
なるほど、そう考えれば自然だな
お宝は発祥の地に残したのか、志賀海神社とかあるし 海上交易を行う集団は縄文時代から日本各地にいたんだけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています