【福岡】出土した甕棺から王族の「歯」発見、きょうから公開 弥生中期、北部九州の中心「奴国の様相捉える貴重な成果」 春日市教委
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成果展で公開される出土品の歯
https://www.nishinippon.co.jp/import/f_toshiken/20180915/201809150004_000.jpg
春日市教委は、市内の須玖(すぐ)遺跡群・須玖岡本遺跡の岡本地区から出土した甕棺(かめかん)から、「奴国(なこく)」の王族の歯を発見したと発表した。奴国は魏志倭人伝に記された、弥生時代の北部九州の中心的な国。同地区の王族墓から歯が見つかったのは初めてで、市教委は「弥生中期前半の奴国の様相を捉える貴重な成果」としている。15日〜10月28日に「奴国の丘歴史資料館」(同市岡本)で開く「須玖遺跡群発掘調査成果展」で公開される。【桑原省爾】
須玖遺跡群は市北部にあり、南北2キロ、東西1キロに広がる全国有数の弥生時代の大集落跡で「奴国の王都」と呼ばれる。須玖岡本遺跡はその中心的存在。この中の岡本地区での20次調査(2015年3月)で、紀元前約150年の国内最大級の王族墓とみられる甕棺墓が見つかった。
周辺の土と一緒に甕棺を液体窒素で冷凍固化して取り出し、土を落とすと、絹織物に包まれた副葬品の銅剣や把頭飾(はとうしょく)(柄飾り)と共に14本の歯が確認された。第3大臼歯(親知らず)を含む歯のすり減り具合から、葬られたのは20代の成人とみられるという。
成果展では、歯と甕棺をはじめ前漢鏡などの副葬品や鋳型など、初公開の約25点を含む考古遺物を中心に226点を展示する。
毎日新聞 2018年9月15日
https://mainichi.jp/articles/20180915/ddl/k40/040/428000c?inb=ra
西日本新聞 2018年09月15日 06時00分
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/f_toshiken/article/449779/ >>109
じゃあ、まずはお前のDNAから調べて公表しろよw 甕館内の人骨を支那の江南地方から出土した甕館内の人骨とDNAの比較をして一致したから
九州には江南人が渡来したのは間違いない事はすでに証明済み。江南式の甕棺は
本州では瀬戸内の小さな島から数基は出土したがそれ以外は聞いた事が無い。 >>110
一般人のDNAに誰が興味あるんだ。
天皇っていう制度は昔から男系で続いてるってタテマエだし歴史的な真実のようなものが
わかるだろうから知りたいんだよ。 ★ウィキペディアからコピペ★後漢書でも狗邪韓国を倭国の西北端と記述している。
後漢書[編集]
『後漢書』[6]東夷伝倭人条では、
倭は韓の東南、大海中の山島によっており、およそ百余国ある。(前漢の)武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼしてから、三十余国が漢に使訳を通じてきた。国では皆が王を称することが代々の伝統である。
そこの大倭王は、邪馬臺国に居する。
楽浪郡からその国(邪馬台国)へ去ること一万二千里、その(倭の)西北端の拘邪韓国へ去ること七千余里。その地はだいたい会稽郡東冶の東にあり、朱崖や?耳と相似しており、その法俗も多くが同じである[7]。
とあり、狗邪韓国を倭国の西北端と記述している。
『三国志』「魏書」東夷伝倭人条では、
(帯方)郡より倭に至るは、海岸に循(したが)ひて水行し、韓の国を歴(へ)、乍(あるい)は南し乍(あるい)は東し、其(そ)の北岸の狗邪韓国に到り、七千余里。
始めて一海を度(わた)ること、千余里にして対馬国へ至る[1][2]。
とある。「其(= 倭)北岸」の解釈としては、倭国(または倭人居住地)の領域内とする説、領域外で対岸とする説、倭の海と岸が接する意味とする説の3説が挙げられている[3]。
また同じ『三国志』「魏書」東夷伝韓条では、
韓は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と接し、四方は四千里ばかり。韓には三種あり、一に馬韓、二に辰韓、三に弁韓。辰韓とは昔の辰国のことで馬韓は西にある[4]。
とあり、韓と倭が接する(陸続きである)と記述している。
◇◆◇◆◇◆
百済滅亡の白村江の戦まで半島に日本列島に渡りきれない倭人が半島南端部に多数残っていた模様。加羅諸国の任那同盟として。
日本最初の倭国大王仁徳天皇の難波王朝時代は半島にも渡り、半島で高句麗と半島の覇権を争う。倭国大王は任那同盟に加わっていた。
好太王の碑や宋書に書かれている。半島南端部も倭語を話していたと思われる。百済滅亡後、半島に残る倭語百済語を話す勢力の言葉は新羅支配で朝鮮語に次第に変わる。
百済・加羅諸国滅亡の時、天智天皇が唐・新羅の恐怖を煽り日本を中央集権国家として統一して日本国を名乗る。その時当時の漢字を操る知識人漢人が庶民の倭語と百済語と漢語を組み合わせて現在の日本語の基礎を作る。
このようにして日本・新羅は統一され、それぞれの国語が出来上がった。 >>113
いいから、他人の事より自分の事を調べてみろよw >>116
なんで絡んでくんの?調べてみたいなとは思うよ、ご先祖さまが南方から船に乗って来たのかな?
とかロマンがあるもん。 >>116
そんなにそいつのDNAに興味あるのかw >>116
いや、誰も>>113のDNAなんかに興味ないからw
皇族のDNAには興味ある奴は沢山いるだろうけどな
天皇のDNA調べられると都合の悪いことでもあんの?w 周溝墓wiki > 弥生前期の中部・関東では、一度遺体を土壙して骨化させてから小型の甕や壺に埋納する再葬が行われていた
これは今の火葬で骨を骨壷に入れてと同じだよな。
ここから複数を土葬する周溝墓に変わるんだけど、複数は家族、血族の埋葬らしい。
ということは、周溝墓とそれ以前を足すと、形こそシンプルになったけど、近代の墓の考え方だわな。
なぜ土葬になったかは、骨化で面倒臭かったんだろうな w
ま、先祖尊重がその面倒臭さから、形としての崇拝に変わったとしてもいいね。 >>8
>>7
貝がらと一緒ならアルカリ性になるから骨が分解されずに残るんだよね
貝塚の骨しか発見されないのはそのためで 王族といってもどうせ人間的にはおまえら以下のクズのような
生き方してたんだよな。 この手の移籍が朝鮮半島からは出土しない、人住んで無かったから当然だが 奴国と邪馬台国は水行30日陸行1月も離れてるからね。邪馬台国は北九州にはないということ。 出雲は元々奴国の一部だったんじゃねえかな。
邪馬台の奴の国。
兵糧と兵役を担う国。
半島進出に大量の人員が導入されてたから
近畿、美濃のファームから補充されてたんだよ >>122
関西人の顔見りゃ判るだろう、あんな細い目ばかりじゃ異民族としか思えんよ >>120
いつも思うんだけどたy遺伝子だけって本当に継続されるの?
日本人男性が欧州に行って白人相手に男系を子、孫、ひ孫と続けると日本人の割合は1/8
この子の見た目は完全な白人だけど遺伝子調べたら日本人男子でした
母系の従兄弟とは似ているけど遺伝子が全く違います
そんなこと本当にある?
アフリカで人類は産まれ人口が増えて、その一部がアジアに向かい増えて行った
そしてその一部が極東に向かい増えて行った
男系の遺伝子が継続されるならアジアどころか世界全体で同じでないとおかしい 水田稲作は江南⇒韓国南端部⇒北部九州が正解では?
朝鮮人に南方系の血も混じっていると言われるから水田稲作普及の段階で中国南部の血が混じり、北方の高句麗系ツングース系の血が混じ
り合い弥生人として北九州に渡った。倭人の言葉はツングース系でアルタイ諸語。
韓国南端部から水田稲作普及の段階で弥生人が縄文人と混血して現在の日本人の原型になる。
一部弥生人の倭人は百済滅亡の白村江の戦まで半島南端部に多数住む。古代最後に大量に渡ってきたのが弥生人に近い百済の遺民。 >>134
梅宮アンナなんか外見ではまったくの白人だからね >>120
今の天皇のY-DNAにはあまり興味はないな。
それよりも、「源氏の子孫」や「天孫」系の人たちのほうだな。 >>134
なんでおかしいと思うのか理解できないわ。 >>135
だが、弥生系と思われる遺伝子と、
北方遺伝子が日本列島での広がりが同じではない。
弥生人のメイン(先島系と華北系の混血)が青森まで広がってるのに、
北方系の遺伝子(オロチョン等)が九州周辺に限定されている。
なので、弥生人の渡来は、メインの渡来と北方系が入った後の渡来の
二波があったと思われる。
後者の渡来で日本語が来日w >>137
出雲大社宮司の千家さんとか、阿蘇神社宮司の阿蘇さんとか、
諏訪大社の神長官だった守矢さんとか、まとめて丸っと検査してくれんもんかなw >>120
他人のDNAを知りたがる人は人権意識が低いんだと思う。 >>141
ゴミ箱をあさってこっそり細胞を採取するとかはダメだけど、
本人の了解を得れば良いんじゃなかろうか。
NHKで有名人の先祖を辿る番組をやってるけど、ああいうのも
一昔前なら叩かれまくってた気がする。 >>138
人類の起源はアフリカ
y遺伝子が男系で各自つに継続されるなら
アフリカの男性のy遺伝子と日本人のy遺伝子は全く同じになる >>142
先祖は朝鮮人と暗に言われて睨み付けてた女がいたな
誰だったか 歯のとこか こいつら次から次へとせっかく封じてあるのを掘り返して
余計なことをしやがる あとは自分でやれや >>135
>水田稲作は江南⇒韓国南端部⇒北部九州が正解では?
中国文献での朝鮮半島のいわゆる「類倭語地名」は、半島中央部にほぼ限られているから、それはない。
南方から渡来し、二手に分かれて一方は半島中部へ、一方は日本列島に来た。
>倭人の言葉はツングース系で
そんなことはない。単語の比較では、日本語の単語は圧倒的に南方オーストロネシア系だ。
>アルタイ諸語。
「アルタイ諸語」は今日では単なるレッテル張りに近いククリであり、比較言語学的には無意味。 松龍と遺伝子繋がっていたらどうすんだよ? 土下座して墓前で詫びろよ ポッポみたいに >>25
案外、光武帝時代の倭奴国とは志賀島を根拠地とした安曇族の国だったんじゃね?
当時はまだ海産物が食料の中心だったけど、稲作技術が発達するにつれて平野部の方が条件的に有利になっていき
魏志倭人伝までの200年ほどの間に対岸の福岡平野側に国の中心が移ったと考えればどうか 邪馬台国九州説は劣勢だが、奴国などの北部九州勢が原始ヤマト王権には大きく関わってるとは思う
少なくとも魏との交易に海部の力は不可欠だし >>153
大きくというか、関わったとする考古学的証拠などまるでないな
仮に関わったとしても、支配者が入れ替わった後のことだな
卑弥呼は奴国にいたと思うが、3世紀中頃〜4世紀初頭頃に北部九州は吉備畿内連合に征服された可能性が非常に高い >>147
半島〜列島の遺伝子構成を見れば、分かるけど、
北方言語系の遺伝子頻度は、余りにも少数派だ。
日本語は、半島南部で出来たらしいが、この遺伝子頻度を見れば、
少数北方系がマウントをとって、その言語が政治・経済の公式言語
になったが、大多数の現地語(弥生人)の単語がどんどん入って、
多くの単語が置き換わってしまっただろう。
よって、文法=北方系を極めて簡略化したもの、単語=南方系(弥生系)、
という組み合わせになったと思う。
半島の弥生人言語の単語が沢山日本語に入ったので、列島の弥生人
の間に日本語が広がるのも容易だったと思う。 だろう〜だろう〜そうだろう〜♪
思う〜思う〜そう思う〜♪ >>150
なるほど、そう考えれば自然だな
お宝は発祥の地に残したのか、志賀海神社とかあるし 海上交易を行う集団は縄文時代から日本各地にいたんだけどね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています