【静岡】天守台復元か、遺構保存か 「秀吉の城」で駿府城脚光 「さらに掘れば、家康の5カ国時代の城や今川館が見つかる可能性が高い」
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秀吉の城の石垣発見で注目を集める駿府城の発掘現場=16日、静岡市葵区の駿府城公園
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「秀吉の城」の天守台が発見された発掘現場
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駿府城関連年表
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静岡市の駿府城発掘調査で豊臣秀吉が家臣に築かせた天守台の石垣や大量の金箔(きんぱく)瓦が見つかり、専門家からは、秀吉と徳川家康がそれぞれ造った城の遺構が同じ場所で出土したことの希少性や、発掘調査のさらなる可能性を指摘する声が上がっている。市は2019年度に発掘を終え、天守台復元を目指す方針だが、今回の発見が調査や整備の在り方について議論を呼ぶのは必至だ。
駿府城公園の再整備計画を巡り、田辺信宏市長は市議会2月定例会で石垣構造の天守台復元に意欲を示し「将来の駿府城の再建を目指す」との考えを示した。背景には再建を市に働き掛けてきた市民の熱意がある。
長年、市民団体で再建を求めて活動している同市葵区の安池康之さん(77)は「まちのシンボルとして駿府城を望む思いは変わらない。観光のためにもせめて天守台はほしい」と期待を寄せる。
ただ、「秀吉の城」の発見で、駿府城の歴史的価値に対する注目は飛躍的に高まった。
小和田哲男静岡大名誉教授は「さらに掘れば、家康の5カ国時代の城や今川館が見つかる可能性が高い」と指摘。加藤理文日本城郭協会理事は、秀吉と家康の天守台の遺構が同じ場所に現存するのは駿府城だけだとし「二つの天守台跡を見せる整備を」と提言する。
石垣構造の天守台復元は市の試算で60億〜100億円かかるとされ、石の確保や出土した石垣をどう生かすかなど課題もある。市は「(遺構の)保存を図るべきだとの声が上がることは想定している」としつつ「基本的考え方に変更はない」(市緑地政策課)との姿勢だ。
<メモ>静岡市の駿府城公園再整備を巡る経過 1991年に駿府公園基本計画を策定。天守台跡に盛り土をして固める天守台広場(高さ5〜10メートル)の整備構想を盛り込んだ。2014年度策定の第3次総合計画で、駿府城天守閣の基礎となる天守台の整備に着手するとし、16〜19年度に発掘調査を実施。徳川家康が築いた駿府城天守台の石垣が、江戸城を上回る日本一の大きさであることが判明した。18年3月、発掘調査が完了する19年度末までに整備計画見直しの方針を決定すると表明。天守台を、計画していた盛り土構造から、石垣構造に変更することを検討している。
静岡新聞 2018/10/25 07:53
http://www.at-s.com/news/article/culture/shizuoka/557442.html >>1
駿府城は詳細な資料が残されているはずだから、発掘はしやすいだろうねえ。 ぬっぺふほふまたはぬっぺっぽうは、『画図百鬼夜行』や『百怪図巻』などの江戸時代の妖怪絵巻にある妖怪。顔と体の皺の区別のつかない、一頭身の肉の塊のような姿で描かれている。
文化時代の随筆『一宵話』に、ぬっぺふほふに似たものが現れた話がある[3]。
1609年(慶長14年)、駿府城の中庭に、肉塊のような者が現れた。形は小児のようで、手はあるが指はなく、肉人とでもいうべきものだった。
警戒の厳しい城内に入り込む者は妖怪の類であろうと思われたが、捕まえようにもすばやく動いて捕まえられない。
当時の駿府城に住んでいた徳川家康が、その者を外へ追い出すよう命じたため、家来たちは捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出した。
後にこの話を聞いた薬学に詳しい者は、それは中国の古書にある「封(ほう)」というもので、白澤図にも記載があり、この肉を食べれば多力を得る仙薬になったと口惜しがったという[8]。 それより、久能山東照宮に徳川財宝が隠されているという都市伝説があるが・・・? こういうのって何で地中に埋まるの?
スカイツリーもいずれ地中から出てくるの? >>624
ごちゃごちゃ言わずにさっさと建てときゃいいのよ、それで建て直しの時期になる頃までにより正確に近い城の形を推定してればいい。
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gzl 所詮ただの台でしょ、石垣の台
そこら中にたくさんあるじゃん 天守台復元とか言ってるのは観光目的しか考えてないだろう。
歴史の価値は復元天守台よりそこにある遺跡のほうがはるかに
大きいというのが分からないなんて、いい大人が恥ずかしい。 大昔の遺跡もいいけど昭和の飲み屋街も保存してください 秀吉時代の駿府城なんてたいした価値ないだろ
価値があるのは今川時代の物と徳川の物だけ 家康が関東に移転したあとは、そのまま中村という大名に駿府城を任されたと思っていたが秀吉が手を加えたのか トロイの木馬で有名なトロイも世代の違う層が重なっている
ローマなどはもっと複雑に折り重なっている
国内では希少な例だが、世界の都市も参考にして保存方法を検討してみては >>12
>>14
「埋まった」んじゃなく「埋めた」が正解。
戦前に陸軍の連隊を誘致するために静岡市役所が天守台を壊して埋めた。
だからこれは「発掘」なんかじゃない、自分たちが埋めたものを掘り返してるだけのマッチポンプ。 駿府城は天守閣が何度も火事にあってる評判の悪い城。
もともとイエズス会の本部に近いものが徳川幕府開府後存在し、
大御所家康の死にも直接かかわってるいわくつきの土地。
長崎は豊臣時代まではイエズス会の日本での本部であったが、禁教後は京都、江戸と東に移り、
最終的には幕府の禁教政策の際には駿府がその中心として機能していた。
最後の将軍慶喜が隠居したのも駿府だし、明治の年間に旧幕臣の中心として機能したのも駿府。
その歴史を解放してしまうのは危険すぎるw とりあえず掘れるだけ掘ってみたらどうかな。司馬遼太郎さんが
言ってたけど、地面を掘るとすごく爽快感があるらしい。
掘り終わった後、みんなで大笑いしたくなるそうだ。
みんなも何か悩み事があれば地面を掘ってみるといい。
でも他人の家の庭を勝手に掘ったりしちゃ駄目だぞ。 >>31
その上に小学校と中学校が建てられていますが…
小学校の庭?には小さい城の模型みたいなのあるけどさ 現存天守閣でない場合はエレベーター設置は義務ワンワン 今川時代は館だし、武田時代は江尻城が中心だったとすると
駿府城としては中村一氏が最初に築いたのかもしれない >>1
> 小和田哲男静岡大名誉教授は「さらに掘れば、家康の5カ国時代の城や今川館が見つかる可能性が高い」と指摘。
何かね。
俺テンション上がってきたよ。
死ぬ前に今川館を見ることがチャンスがあるなんて。 当時に建てれば 城 ではあるが
現存部分がなくて復元を現代で建てる場合は 博物館 となる
だからエレベーターを設置しないと >>32
江戸時代の城は紛れもなく軍事拠点なわけで。
明治になって廃城となったのは、旧武士階級に抵抗拠点にされないためで。
天守閣が木材として売り出されたりしたのは、武装解除の目的。
そして、そこを陸軍が接収して、堀を埋めたりして地面ならして駐屯地にするのは、
軍事拠点として連続した行為なのよね。
城址として復活したのは終戦後の話。
その時点で、陸軍歩兵34連隊の練兵場も無くなって、これも遺跡となっている。
遺跡とみなす人が少ないだけで。仕方がないので石碑が建っていたりする。 中村の城はどうでもよいから、今川館までは発掘してほしいね。 秀吉と言えば、韓国人の敵。韓国人の敵と言えば、日本人の敵。燃やしてしまえばいい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています