遺跡を生かしたまちづくりについて意見交換するパネリストら(大阪市中央区で)
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 ◇ヤマト王権シンポ

 大阪市中央区の朝日生命ホールで20日開かれたシンポジウム「卑弥呼のクニを探る 唐古・鍵(からこかぎ)から纒向(まきむく)へ」(桜井市・田原本町主催、読売新聞社後援)。弥生時代の唐古・鍵遺跡(田原本町)と3世紀初め頃に突如出現した当時最大の集落遺跡・纒向遺跡(桜井市)を生かしたまちづくりについて、「情報発信のための施設整備を」「外国人観光客に魅力を伝えたい」などと意見が交わされた。(大森篤志、辰巳隆博)

 講演では、辰巳和弘・元同志社大教授(古代学)が、ヤマト王権が纒向遺跡で始まってから奈良時代にかけて、ケヤキが聖なる木だとして重宝されたことを古代の文献や出土遺物を通じて紹介。唐古・鍵遺跡の大型建物跡の柱にケヤキが使われていたことを挙げ、「両遺跡は直線距離で4〜5キロ。無関係だったとは考えられない」と強調した。

 大阪府高槻市立今城塚古代歴史館の森田克行特別館長は、弥生時代の水田跡や住居跡が見つかった安満(あま)遺跡に2021年春に完成する公園について、「市のシンボルになる施設にしたい」と述べた。

 基調報告では、田原本町の藤田三郎埋蔵文化財センター長が、唐古・鍵遺跡に中国風の楼閣が建てられたことなどを踏まえ、中国との窓口となっていた可能性を指摘。桜井市教育委員会文化財課の橋本輝彦課長は、纒向遺跡で出土した大型建物跡群の柱穴に丸太を並べ、建物をイメージしやすくするなどの取り組みを紹介した。

 遺跡の活用策をテーマとしたパネル討論では、松井正剛・桜井市長が「大神(おおみわ)神社や長谷寺などとも連携して観光客を受け入れたい」と話した。森章浩・田原本町長は「AR(拡張現実)を使って大型建物を再現させるなど、昨春オープンした史跡公園をもっと楽しんでもらえる方法を考えたい」と意欲を見せた。

 一方、浜田剛史・高槻市長は「2016年に明日香村と観光、文化財などについて包括協定を結んだので、これからは市を『北の飛鳥』として売り出したい」と意気込んだ。

 古代史ファンという大阪府東大阪市の無職中田建二さん(77)は「纒向遺跡はトイレと柱ができただけでも観光しやすくなった。広大で全て整備するのは難しいだろうが、高槻市や田原本町の活用例も参考にして古代ロマンが体感できるようにしてほしい」と期待した。

読売新聞 2019年01月21日
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