2019年3月30日 18時15分
http://news.livedoor.com/article/detail/16242067/

実は尊敬語で一番使う表現「〜れる」「〜られる」ですが、できることならこの言葉は使わない方が賢明なのです。それは、いったいどういう事なのでしょう?

ある会社のオフィスでの様子を覗いてみましょう。

上司を怒らせてしまった山田君
ある会社でのやりとりです。営業部長は定年も近いのですが、まだまだ元気です。仕事もバリバリこなしています。

その部長が、取引先に提出する見積書を確認したいと山田君に言いました。古くからの付き合いで、大口の取引もある取引先なので、くれぐれも失礼のないようにチェックしたいと言うのです。

ふと時計を見ると、もう20時をすぎています。そこで山田君は聞きました。

「部長、今日見積もりを見られますか?」と言ったのです。

すると、部長はみるみる険しい顔になって、怒り出しました。「失礼だな、君は! いくら老眼でも見積もりを見るくらいできるよ!」

さて、あなたはなぜ部長が怒り出したのか、おわかりになりますか?

正しい尊敬語を使ったのに、怒らせてしまったのはなぜでしょうか?

教科書どおりの使い方、それでも誤解を招く
言葉とは本当に厄介なものです。山田君は「見る」ことを尊敬語の「〜れる、られる」を使って「見られる」と表現したのですが、部長は「見ることができるのですか?」という意味に受け取ってしまったのです。

この例からもわかるように、敬う尊敬語のつもりで使った「〜れる」「〜られる」と言い方は、可能・不可能の意味で受け取られてしまうことが少なくありません。

ですから、「〜れる」「〜られる」という尊敬語はなるべく使わないようにした方が誤解を招かずにすむのではないかと思うのです。

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