桜が咲き誇り、観光客でにぎわう国宝松本城(長野県松本市)。5重6階の美しい天守は訪れる人を魅了するが、現存する12の天守で最も古いという可能性が最近浮上した。これまで最古の天守とされた丸岡城(福井県坂井市)が調査の結果、最古説が打ち消されたからだ。果たしてその真相は?【小川直樹】

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 坂井市のホームページを開くと、トップ画面に丸岡城の写真が出てくる。国重要文化財の丸岡城は市のシンボルだ。城の完成は戦国時代の1576年とされ、織田家重臣だった柴田勝家のおいに当たる柴田勝豊が築いたと伝えられる。天守も同じ年に造られたという説を基に、地元は「国内最古の天守」と観光の売りにしていた。天守は2重3階の造りで、松本城より小さい。

 国宝化を目指す坂井市は文化財としての価値を再検証するため、丸岡城の部材に含まれる酸素同位体の比率などを4年前から調査。3月に結果がまとまり、天守は江戸初期の寛永年間(1624〜44年)の建造だったと市教育委員会が発表した。天守は城より後になって造られたとみられる。

 丸岡城天守が最古でなくなったことで、1594年ごろの建造とされる松本城天守が国内最古に浮上した。文化庁によると、同時期の現存天守はほかに、1601年築とされる犬山城(愛知県犬山市)、1606年の彦根城(滋賀県彦根市)があり、いずれも1600年より後の築城だ。

 これまで松本市は「5重6階の天守をもつ城としては日本最古」と、一定規模以上の天守で最古とPRしてきた。丸岡城が最古でないとすれば、「5重では」というただし書きが不要になりそうだ。

 ただ、市松本城管理事務所の担当者は、最古の可能性が浮上したことを承知しながらも、「広く『最古』とアピールすることはしない」と慎重だ。1594年ごろという松本城の築造年代にしても「実は確定しているわけでない。確証がないのに『最古』と強調するわけにもいかない」。

 松本城天守を築いたのは、徳川家康の下から去り、豊臣秀吉に臣従した石川数正とその息子康長とされる。徳川時代になって石川家は改易となり、松本藩主も戸田、水野家など目まぐるしく変わった。このため築城に関する資料が十分残されておらず、「最古」と断言することが難しくなっている。

 限られた資料の中、松本市は1989年、築造年代の詳細調査を行った。石川家の関係文書や地元に残る系図などを丹念に分析。その結果、天守は1593(文禄2)年に着工、94年完成の「可能性が高い」とみられ、市の公式見解とした。一方で、より後の1615年完成という説もある。また犬山城も1601年の築城でなく、1537年説があり、犬山市はホームページでそう表記している。

 400年も前の出来事だけに、答えが出るものではなく、謎が残った方がより興味は深まるのかもしれない。松本城管理事務所は「引き続き研究を進め、分析の精度を高めていきたい」と話す。坂井市の丸岡城国宝化推進室も「築造年代が新しくなったからといって、丸岡城の評価が下がるわけでない。むしろ年代が分かったことで、文化財的な価値は高まったととらえている」とし、丸岡城の魅力を広めていくという。

毎日新聞 4/14(日) 11:01
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