【身分】先祖は武士か庶民か?名前で判断できる「戸籍読取」 「住んでいた地」と「名前」からわかる先祖の身分★5
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[図表3]明治5年の身分
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[図表4]明治5年の職業
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※省略
■「住んでいた地」と「名前」からわかる先祖の身分
◆名前から武士かどうかわかる⁉
先祖が武士かどうかの見極めに大事なことは、二つ。「住んでいた地」と「名前」です。
先祖が住んだ地は、武士がいた城下町だったのか? 武士と庶民が半々で住んでいたのか? 農村か? 漁村か? その地の藩は? を調べます。
次に、名前です。江戸時代には、武士の名前、神主の名前、お坊さんの名前などがおおよそ分かれていました。現代では時代錯誤も甚だしい話ですが、当時は庶民が武士っぽい名前を付けることができませんでした。
経験から来る感覚で判断する部分もあるので、やや難しいですが、例えば、必殺仕事人の中村主水。主に水と書いて「もんど」と読ませるような名前。これは武士としか思えません。また、北島三郎の木こりの与作のような「よさく」という名前。これはちょっと武士っぽくありません。
ただし名前だけで、必ずしもわかるわけではありません。もう一段階深く話すと、武士は実名(じつめい)と通称(つうしょう)という二つの名前を持っていました。実名は、諱(いみな)ともいい、殿様の前などフォーマルな場で使う名前。通称は、普段使う名前。実名はいかにも武士っぽい雰囲気の2文字の名前。通称は、庶民とさほど変わらない名前です。例を出します。
・織田信長(おだ のぶなが)の通称は三郎(さぶろう)、実名は信長
・坂本龍馬(さかもと りょうま)の通称は龍馬、実名は直柔(なおなり)
明治に入って戸籍ができたとき、武士は通称と実名のどちらかを選んで登録しました。実名登録なら武士とわかりやすいですが、通称登録だと、名前だけでは確定しにくくなります。
◆先祖が武士であった場合の調査方法
江戸時代(1603〜1867)は、全国に300以上あった藩では、藩士の名簿を作っていました。それを「分限帳(ぶん(ぶ)げんちょう)」といいます。「武鑑(ぶかん)」「士族明細帳」「禄高帳(ろくだかちょう)」などもありますが、内容はほぼ同じで、藩士の氏名・役職・禄高(年俸)などが記載されています。なかには、居住地や作製時期の藩士の年齢・家紋などが記されているものもありました。現在の住宅地図のような、城下町の屋敷地図が残されていることもあります。
このような史料の多くは、地元の図書館や公文書館・博物館などに現在でも保管されていることが多く、丹念(たんねん)に調べることによって、その家の先祖がどのような身分の武士であったかが、より具体的に判明すると思われます。
また、武士である先祖は、仕えていた藩に、家系図や親類書(武士が、家族・親類の氏名や仕官先、本人との続柄などを書いた文書)を提出している可能性があります。それらの多くは、筆字で書かれた古文書ではありますが、先祖が書いた家系図類を発見し、活字化することによって、江戸時代初期か、あるいはそれ以前の先祖のことまでが詳細にわかる可能性があります。
いずれにしても、先祖がかつて仕えていた藩の史料は、当家の家系を調べるうえで、貴重な情報源となります。
●明治5年の人口統計(身分別・職業別)
江戸時代は正確な人口統計が調査されていませんが、明治維新直後の1872(明治5)年の身分別人口によれば、農民・職人・商人・町人などの平民(庶民)が約3083万人、旧幕臣や藩士などの士族(武士、卒族といわれた足軽などの下級武士を含む)が約194万人、皇族・神主・僧侶が2666人いました(※諸説あり)。
これを比率にすると、平民が93%で、士族(武士)が約6%、その他の皇族・神主・僧侶が約1%です。また、1873(明治6)年の職業別統計では、人口のおよそ79%が農業、6.6%が商業、3.5%が職人とあり、その他は雑業と分類されました。(続きはソース)
6/2(日) 10:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190602-00020763-gonline-bus_all
★1:2019/06/02(日) 19:39:12.40
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1559512496/ バカウヨ「ウリは日本人ニダ!自民党と引きこもりは悪くないニダ!」 お前らはどうせえたひにんの子孫と煽ったら本当にどこからか怒られそうだから止めとくわ
悪いことは言っちゃいけない 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳。
法律エッセイとして異例のベストセールスを続けた名著を
手軽に読みやすく。短編×100話なので気軽に読めます。
法窓夜話私家版 http://pesc.pw/HFPRH
(続)法窓夜話私家版 http://pesc.pw/H7DJW
mol 最近は韓国に憧れて韓国人になりたい日本人だらけだからね
日本人の劣等感が悪いんだけどね 俺の親父、お爺さん見てて武士の家系ではないのは
そんな判別しなくてもすぐ分かる うちは先祖代々百姓だよ これは確定してる揺るぎようのない事実 >>6
日本人なら寺の過去帳で
簡単に自分の先祖がわかる事も知らないって
チョン丸出しですよ? >>6
百姓というのは士族以外の土地持ち農村上級民の総称(外国で言うジェントルマン) 江戸の奉行、根岸鎮衛の書いた耳嚢という本を読んでたら
エタの家でもてなされた人の話があって、すごい豪邸に住んでて
娘が琴を演奏していたという
不当に差別されていたエタが、どうして豪邸に住んで琴を演奏できるんだ?
と思ったが、皮革産業を独占できていたから、なのかね
武具や馬具には革製品は欠かせない素材だし、支配階級である
武士には必須だったろう 江戸時代の農村部は
庄屋 > 百姓 >>> 小作人 > 日雇い
分かってない奴が多い 普通に武家だけど貧乏だった、維新で成り上がったけどねWW2で大陸や半島の資産がふっとんで今は中流ですわ
祖父母も曾祖父母も高等教育を受けてるし、戦前なのに祖父の若いときのフィルムが残ってる
本格的に韓国との条約破棄なら家にも不動産の権利を主張出来る材料は有りますし 武士や商人という寄生虫だったか、
農民という奴隷だったか、
職人というキモオタだったか よく見かける通名
月山明博−わりとカコイイ
金村康右−ふつうの通名
高木正雄−なんかダサイ
豊田大中−論外www 大給松平家に名を連ねる名門の家柄ながら無役・三十俵三人扶持の最下級の御家人である 先祖代々田舎の農家だと思うんだけど家紋が特殊で家紋帳にも載ってないらしい。そんなもんなんかね? 摂関家の藤原さんって「藤原」って名字じゃないよね
足利将軍さんだって本当は源さんだよね
姓と名字の違いってどうなってんの? >>8
そうだよ
ご先祖家老職
今過労職、家宝の日本刀が泣いてるね
普代なのに下級公務員にもなれてない
昔は役所とか馬鹿が行くところだったんだって 朝鮮の血が混じっておらず、親族にヤクザやサイコがおらず、一般常識を持ち合わせているならあとはどーでもいい。 >>26 フランスのエルメスみたいだね…
あれは元々は馬具商だもんね セリーヌもそうだ >>36
土地持ち百姓は本百姓とか高持百姓、無い人は水飲み百姓とか小作人とか言われてた。 もし先祖が武士で
家系図が1700年より先にさかのぼれるのら
疑ってみるといい >>38
その通り、だから今藤原なんて名のってるのは全部通名です 直接本人には言えないけど友人の話し方とか笑い方、振る舞いで「先祖は百姓だったんだろうなぁ」って聞かなくても大体わかる >>38
その場合だと藤原と源が同じものではなかろうか >>47
そんなことで他人の先祖決めつけて見下してるとこが最高に百姓の子孫って感じ 先祖が平民でいいだろ
てっきり先祖が武家だっただけで
菩提寺からべらぼうな檀家料の請求が来るぞ
見栄張ることない 先祖が浅ましい人間って大概、お金に汚い。
お金に汚い人間はすべてに汚い。
生まれって大事。生まれ育った環境も同じくらい大事。 こどもの頃
爺ちゃんが真面目な顔で耳打ちしてきて
ご先祖は貧乏旗本の三男坊だといってた うちのご先祖様、清和天皇なんだけど平安時代前期の人
家系図はあるけど死ぬほど沢山子孫がいるから
今や都市伝説レベル >>28
武家様は公家様と違って、書類仕事から大工仕事から内職から経理からなんでもやったんだがねぇ 武士の元は源平。源平は天皇家の末流。
天皇家の元はどこぞのゴロツキ。神なんてのは嘘っぱち。 >>54
全部とは思ってないけど舛添とか見てて生まれ育ちってやっぱりあるのかなと思うようになった 武士の家系と言われ
家系図
古地図
家紋
この3つがそろっていれば
あなたはご先祖様と繋がっている >>49
これ、なんで藤原って地名になったんだろ?謎 応仁の乱後の大名共なんて殆ど家系詐称しまくり
秀吉も家康も詐称しまくり 百姓って言っても、治水がちゃんと出来ていて日照りなら、河川から水を引くことが出来て
長雨なら排水路が整備されていて作物が冠水する事が無い土地なら、計画的営農が出来るけど
一寸日照りだと水田がひび割れて、稲が実らなかったり、一寸長雨だと排水が悪い為、稲が
腐ってしまうってところがあるよ。今は圃場整備に金を掛けてるから、長雨だって
不安は無いが、明治以前では作物が採れなくて定期的に乞食をしていた。www 幕末前後に横浜に住んでた人間はもれなく農民と考えておk? どの道都市部に流入して土地から離れ、養鶏場みたいなマンションから顔だけ出して飯つついて、
子供も一人だけ作って細々と事務仕事して老いて死ぬんじゃ、武士とか小作人とか意味ない
戦国時代に食いあぶれた流民が京都に流入して来て羅生門みたいに生きてくのと同じ、土地に結びついて
生きてない。先祖の墓参りもしないんじゃ、流民、根無し草として生きてくだけ
だから、地方が過疎化して人々が土地を離れ、都市部に流入してそれで経済を回してるってのが
日本の歴史上どれだけヤバい現象なのかを知るべき。結婚もしない子供作る余裕も無いで
俺は個人的には亡国の危機だと思ってる >>38
織田=苗字
平=氏
朝臣=姓
従二位=位階
右大臣=官職
上総介、弾正忠=通称
三郎=輩行
吉法師=幼名
信長=諱 でも1000年も辿るとtry人なんでしょ
ウジからわいたネトブヨ以外は 武士は食わねど高楊枝なんだから貧困にしてもいいよね… しかし本当にレベルの低いスレだな
この手のスレを過去に何度も見てきたが今までで一番低レベルだは 全国に1500人ぐらいしかいないかなり珍しい名字だけど、由来はわからん。
殿様から拝領した名字らしいが、戦争で家屋敷すべて焼け出されたから証拠がない。
ちなみに先祖代々船大工の家系。 ジャップが、いまさらまじめなお坊ちゃんのお嬢ちゃんヅラしたくなったわけ?www
ジャップに、そんなのが許されるわけないだろうwww
世界中で世界に対し今までジャップがどれだけ悪影響を与えてきたか考えろ。
日本で日本人に対してのみカクセイザイを解禁しよう
ドイツでドイツ人に対してのみカクセイザイを解禁しよう
日本で日本人に対してのみタトゥーを解禁しよう
ドイツでドイツ人に対してのみタトゥーを解禁しよう
日本およびドイツに、東南アジアおよびアフリカからもっと移民を受け入れよう
日本およびドイツにもっとイスラム教徒を増やそう >>3
朴・李=窃盗犯罪歴2トップネーム=パクリ
貴族階級だったらこんなパクリ1つ言葉が誕生してなかったはずだw 東京ではちょっとめずらしいくらいだが、うちの田舎のにいくと15代前までは身元明らか
…まあ田舎では家系図がそのままあるだけなんだがさ >>73
秀吉に至っては、源平藤橘以外の新しい姓「豊臣朝臣」を朝廷におねだりして作り上げた >>3
朴は新羅三王家のうちの一つで国姓じゃなかったっけ >>73
それ言ったら鎌倉開闢の労臣なんてほとんど詐称じゃねーか 武士とかにこだわる恥ずかしい民族は、やっぱり韓国か? このスレ、まだ続いてたんだなw
前スレ1000行ったから終わりだと思ったのに うち島原の乱に出てたらしいけど歴史に興味ないからよくわからん
誰も結婚してないか不妊だから終わる ウチは調べたら神官系の謂れが沢山出てくるが
商人が屋号とは全く関係ない名字を明治に名乗っただけというな うちの先祖はテロリストだ。
50人ほどで徒党くんで60過ぎの爺さんを暗殺して切腹したわ。 >>93
氏なんて簡単に創設出来たのよ
>>105
一概には言えない。戦国時代の渥美半島では逃散した農民を戻すため戸田氏が積極的に曹洞宗を仲介役に利用してた
農民側も一種の駆け込み寺として曹洞宗を利用してたから信者が武家以外にも広がってる 俺の故郷では庭に椿を植えている古い家は武家だと言われていた。 先祖が武士とか、
人ゴロシが先祖ってどんな気持ち? >>108
永禄一向一揆なんか見ると武家にも相当数の信者はいた 安心しろ!
お前らの、9割は明治以前に戸籍もなけりゃ、苗字もねえ、奴隷百姓だからw
俺の所は、下級武士で一応、セーフwww
悔しかったら、明治以前の戸籍出してみろwww >>114
逆だろ椿はコロッと花が落ちる=首が落ちるを連想させるから避けられた >>45 そんなお武家は細川家とかぐらいだよなあ… >>122
近世大名家だと京極、細川、喜連川くらいじゃね?
地下官人には腐るほどいるけどな >>57 家系図はどのように保存されて来られましたか? >>116
戦国時代には土豪、地侍で一向門徒いたが江戸時代の武士は一向宗から改宗してると思う 昭和中期に家系図屋って適当な家系図でっち上げで売る商売が流行って、それで自称菅原道真の子孫とかがやたら増えた。 >>1
昔の人の調べ方じゃ無くて、現代人の頭で考えた事だろう
事実は何とかより怪だぞ >>115
そんな昔まで行かなくともウチの祖父曾祖父は帝国軍人だわ。
どんな気持ちだったのかねえ、お国のためとの大義名分で人を殺めるってのはw
当然お前さん的には靖国に祀られてる特攻隊員も玉砕した兵士も人殺しの片棒担ぎなわけだw >>127
加賀藩主前田家なんて、江戸時代から菅原道真末裔名乗ってて年季入ってる 挑戦者が返事もしないとはとんだ無礼者だな
マナーもわかっていない >>131
利家がロリコン絶倫ホモ野郎で慶次郎がキチガイな加賀百万石がウリだからな
お松が進んで人質になったことで徳川に処罰されずなかで力を得たくらいか >>121
そういや「キャリア官僚の父親を持つオレにドラクエで喧嘩売るとはいい度胸だ!」ってニートが最近殺されてたな。 >>126
そりゃそうだ。一向宗は幕府から徹底的に差別されてたし
彼らが他の宗派と肩を並べられたのは明治になってやっと島地黙雷が現れてからだもんな うちの家紋が黒田家の家紋なんだが家紋って適当に付けてるのかな? 橘宿禰の氏姓を与えられることに始まる橘氏
全然意味がわかんねえ… オレらの先祖は、7万〜30万年前にアフリカを出た人。みんな遠い親戚。いがみ合うな。 >>140
お父さんに刺される前に部屋から出て働こうなって話だろ。 >>139
そりゃ戸籍と違って管理されてないから簡単だわな。何なら明日から菊紋を家紋にしたっていいよ
自由だから >>143
最近はアフリカが一番新しい人類という学説で
白人が一番旧いらしい 黒人にはスポーツや勉強や喧嘩や音楽や色々なことで勝てないくらい新人類と睨んでいる >>141
うちの先祖は代々坊主で今も寺はあるんよ
ちゃんと調べればわかるんだろうけど… U ・ω・) 在日朝鮮人の先祖はいわゆる『白丁』と呼ばれた李氏朝鮮での被差別階級。
つまり朝鮮人の中でも、先祖代々差別されてきて、一番倫理観がおかしくなったヤバい奴らが
日本に来て在日朝鮮人になってるってワケ。
韓国に行った在日朝鮮人が韓国人からゴミのように扱われるのはコレが理由。 但馬一揆で藤堂高虎と戦った程度の地侍(勝手官称持ち)の子孫だから
お前らみたいな大物揃いの子孫が羨ましいわ… 徳川吉宗の御落胤の子孫だわ
何て言ってるやついたけど、無知すぎてわろた
将軍様なんて外で遊べるほど自由じゃないからな
奥だとセックスで回数やら射精の有無まで管理されてるし、外に行く時はトランプの護衛ばりに人が付いてくる 別にこのスレもういらないだろ、ゴミすぎ
識別方法だとか、調査方法が出てくるわけでもなし
うちんところはそうだの威張り散らしているだけ
おそらくほとんどが偽物で、中には偽物を本物と
信じ込んでいる輩もいるだろう
そもそもこいつらまったく歴史を知っている様子がない
土地から出れないとか、丁稚奉公だとか、妾があった事すら
知らないんじゃないの?
ここまで無知だと残ってるのはバカしかいないと思う
前に学士がどうたらとか言い出すバカがいたしな うちは代々社家だったけど武士、藩士が先祖ってちょっと憧れる >>153
もう黙れよ、被差別と不可触の区別も付いてないような盆暗が
いるようでは終わりだ >>53
エタも非人も身分ではないだろ、ほんとこのスレゴミ >>110
渥美半島は豊川用水ができるまで農業に適さない土地だったから農民が逃散するのも仕方がないね。 >>155
おまえは大田垣か八木か朝倉か田結庄あたりの日下部氏族か >>162
あそこらへんから相模湾にかけての地域は逃散の記録が多いね。牧之原あたりもそうだが地質的にも問題あるんだろうな うちの先祖は武士だと言うことに何の意味があるんだろ >>156
若い頃の子の子孫なら分からんなあ
無知はオマエだろ
吉宗は将軍の子として生まれた訳ではない 家臣の家に養子に出されたり部屋住みから将軍や藩主になった例なんていくらでめあるもんな >>163
天正4年の新屋田淵家由緒書にご先祖様の名前が出てくる程度です… うちは庄屋の分家だな
今でも山の名義持ってるわ
古刀とか槍とか弓とかもあるぞ
大昔は瀬戸内海あたりの山賊だか海賊だか
いわゆる野武士だったらしい 家紋から
新潟で武家やっていた家系だと祖父母は言っていたけど
だからなんだって話しなんだよね
親父に殺されたキチ引きニートと同じような自慢しか出来ないのか?って話だよな 名字から言って父方は農民丸出しだが、そんなのにすがって楽しいのかね うちも刀あったらしいけど全部とられたんじゃないかな >>169
武士といっても、旗本から足軽、雑兵まで色々なので
算術や大工、職人もいたんで
たいして意味はないですね だいたい武士だって、源氏の名門ならともかくそこらへんの庶民が成り上がっただけに過ぎないんだから それこそうちのように野武士とかもおるからな
なんたら水軍とかそういうのらしい >>180
うちは公家からの落ち武者みたいだけど農家から出た人も多いんじゃない 曽祖父4人
仕立屋の倅、某藩家老の倅、農民の倅、某藩士の倅 武士だったとしてもエタヒニンだったとしても、今の生活に何の影響もない。
韓国人って言われたらショックでかいけど >>94
朝鮮が日本に併合された後に日本が賤民にも名字名乗れる様にしたら
みんなこぞって両班や皇族の名字を自分に付けたっていう >>185
エタはともかく非人は犯罪者とかだったんだろ? >>173
ほう養父の田淵か。養父といえば朝倉城跡に行ったことあるな。中々こじんまりしてたが石垣残ってて良かったぞ
天正4年っつーと但馬山名が毛利と同盟結んで毛利優勢の時期だな
恐らくその時点で由緒書きをしたためたあたり、毛利か織田どちらに付くかで但馬が揺れてた時だし
一族の結束を期す目的があったのかも知れんな
しかしその由緒書き本当に天正4年当時のものか?寛政あたりの写本じゃね? >>185
たしかにグアムハワイの退役軍人とWW2についてチャットして盛り上がれるくらいだな ひい爺さんがヤクザで妾の子の系譜なんだが
その場合もし先祖が高家でも子孫と名乗ってもいいのだろうか? 経験上、在日はマジでこういう話し嫌がる奴が多い
或いはめちゃくちゃ盛ってくる >>173
面白い話をしてやろう。
但馬国人一揆のとき鉢伏でおまえのご先祖が織田勢と戦ってたちょうど同じ頃
おまえのご先祖と祖を同じくする朝倉景忠という戦国武将が越前にある鉢伏山に籠って織田勢と対峙してたのよ
朝倉も田淵も元をたどれば日下部氏。歴史の因縁を感じるだろ? >>73
三河で仮冒は出来んのよ
特に家康が生まれた岡崎はな
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、関東転封(1590年)江戸幕府の支配層 三河武士◇
【三河県岡崎市】
■室町幕府
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
■江戸幕府
・安祥松平家(宗家、御三家)
・能見松平家:譜代大名家(下総国関宿藩、遠江国横須賀藩、出羽国上山藩、摂津国三田藩、豊後国高田藩、豊後国杵築藩)、子爵
・三木松平家:旗本家
・酒井氏(左衛門尉家):徳川四天王、徳川十六神将、徳川二十将、安祥譜代、譜代大名家(下総国臼井藩、出羽国庄内藩、左沢藩、大山藩、松山藩)、伯爵、子爵
・酒井氏(雅楽頭家):徳川四天王、徳川十六神将、徳川二十将、安祥譜代、譜代大名家(武蔵国川越藩、、上野国前橋藩、播磨国姫路藩、若狭国小浜藩上野国伊勢崎藩 駿河国田中藩、安房国勝山藩、越前国敦賀藩)、伯爵、子爵
・本多氏:徳川十六神将、徳川二十将、安祥譜代、岡崎三奉行譜代大名家(福山藩) >>73
続き
・青山氏:安祥譜代、譜代大名家(常陸国江戸崎藩、武蔵国岩槻藩、信濃国小諸藩、遠江国浜松藩、丹波国亀山藩、丹波国篠山藩、美濃国郡上八幡藩)、子爵、東京青山
・阿部氏:安祥譜代、譜代大名家(武蔵国鳩ヶ谷藩、上総国大多喜藩、相模国小田原藩、武蔵国岩槻藩、丹後国宮津藩、下野国宇都宮藩、備後国福山藩、下野国壬生藩、武蔵国忍藩、陸奥国白河藩、磐城国棚倉藩、三河国刈谷藩、上総国佐貫藩)、子爵
・植村氏:安祥譜代、譜代大名家(大和国高取藩)、子爵
・大久保氏(三河大久保氏):安祥譜代、譜代大名家(美濃国加納藩、相模国小田原藩、下野国烏山藩)、旗本家
・安藤氏(三河安藤氏):徳川二十将、譜代大名家(遠江国掛川藩、下総国小見川藩、上野国高崎藩、備中国松山藩、美濃国加納藩、陸奥国磐城平藩)、旗本家、男爵
・内藤氏:徳川十六神将、譜代大名家(信濃国高遠藩、陸奥国湯長谷藩、三河国挙母藩、日向国延岡藩、信濃国岩村田藩、越後国村上藩)、子爵、東京内藤新宿
・鳥居氏:徳川十六神将、譜代大名家( 下総国矢作藩、陸奥国磐城平藩、出羽国山形藩、信濃国高遠藩、能登国下村藩、近江国水口藩、下野国壬生藩、甲斐国谷村藩)、子爵、東京鳥居坂
・大須賀氏(三河大須賀氏):大須賀松平家。徳川二十将、譜代大名家(上総国久留里藩、遠江国横須賀藩)
・服部氏:徳川十六神将、伊賀同心支配役、伊賀国桑名藩服部半蔵家(大服部家)、東京半蔵門
・渡辺氏:(三河渡辺氏):徳川十六神将、譜代大名家(和泉国伯太藩)、旗本家、尾張藩家老、田安徳川家家老、一橋徳川家家老、紀伊和歌山藩家老、子爵、男爵
・土井氏:大老四家、譜代大名家(下総国小見川藩、下総国佐倉藩、下総国古河藩、志摩国鳥羽藩、肥前唐津藩、三河国西尾藩、三河国刈谷藩、越前国大野藩、下総国大輪藩)、子爵
・成瀬氏:譜代大名家(下総国葛飾栗原藩)、尾張藩御附家老、子爵
・林氏(三河林氏) :譜代大名家(上総国貝淵藩、上総国請西藩)、男爵
・蜂屋氏:徳川十六神将、旗本家
・天野氏(三河天野氏):岡崎三奉行、旗本家
・小栗氏(三河小栗氏):旗本家、小栗忠順(幕末三俊)
・島田氏:旗本家、東京弾正橋
・柴田氏:旗本家
・中根氏:旗本家 >>193
おまえ家系スレに現れてはバカの一つ覚えみたいに10年くらいずっとおんなじコピペ貼り付けてるよな >>73
続き
【三河県幸田町】
■室町幕府
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
■江戸幕府
・深溝松平家:譜代大名家(三河国深溝藩、三河国吉田藩、三河国刈谷藩、丹波国福知山藩、下野国宇都宮藩、肥前国島原藩)、子爵
・大草松平家:水戸徳川家家老
・高力氏:岡崎三奉行、武蔵国岩槻藩、遠江国浜松藩、肥前国島原藩)、旗本家
・平岩氏:徳川十六神将、譜代大名家、尾張藩家老
・大草氏:旗本家
・長坂氏:旗本家
・夏目氏:旗本家、東京夏目坂、夏目漱石
【三河県豊田市】
■室町幕府
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
■江戸幕府
・松平郷松平家:旗本家(交代寄合)
・大給松平家:譜代大名家(三河国西尾藩、豊後国府内藩、美濃国岩村藩、三河国奥殿藩)、旗本家、子爵
・滝脇松平家:譜代大名家(駿河国小島藩)、子爵
・榊原氏;徳川四天王、徳川十六神将、譜代大名家(上野国館林藩 陸奥国白河藩、播磨国姫路藩 越後国村上藩、越後国高田藩)、旗本家、子爵
・三宅氏:譜代大名家(三河国挙母藩、三河国田原藩、伊勢国亀山藩)、子爵、東京三宅坂
・鈴木氏(三河鈴木氏):旗本家 >>73
続き
【三河県安城市】
■江戸幕府
・福釜松平家:旗本家
・桜井松平家:譜代大名家(武蔵国松山藩、遠江国浜松藩、上総国佐貫藩、駿河国田中藩・遠江国掛川藩・信濃国飯山藩・遠江国掛川藩、摂津国尼崎藩)、子爵
・藤井松平家:譜代大名家(常陸国土浦藩、上野国高崎藩、丹波国篠山藩、播磨国明石藩、大和国郡山藩、下総国古河藩、備中国庭瀬藩、出羽国上山藩、駿河国田中藩、遠江国掛川藩、丹波国亀山藩、武蔵国岩槻藩、但馬国出石藩、信濃国上田藩)、子爵
・石川氏(三河石川氏):安祥譜代、譜代大名家(美濃国大垣藩、豊後国日田藩主、下総国佐倉藩主、近江国膳所藩)
・高木氏(三河高木氏):徳川十六神将、譜代大名家(河内国丹南藩)、子爵、崇仁親王妃百合子
・保科氏:譜代大名家(下総国多胡藩、信濃国高遠藩、出羽国山形藩、陸奥国会津藩、上総国飯野藩、陸奥国会津藩)
・今村氏 :旗本家、下田奉行
【三河県刈谷市】
■江戸幕府
・水野氏:徳川二十将、譜代大名家(三河国刈谷藩、大和国郡山藩、備後国福山藩、能登国西谷藩、下総国結城藩、駿河国沼津藩、上総国鶴牧藩、出羽国山形藩、上野安中藩、三河国国吉田藩、信濃国松本藩、三河国大浜藩)、子爵
・三浦氏:譜代大名家(下総国矢作藩、下野壬生藩、美作国勝山藩)、旗本家、子爵
【三河県碧南市】
■江戸幕府
・永井氏:譜代大名家(上野小幡藩、常陸国笠間藩、下総国古河藩、上総国潤井戸藩、山城国淀藩、丹後国宮津藩、大和国新庄藩)、子爵、東京信濃町 >>73
続き
【三河県西尾市】
■室町幕府
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
■江戸幕府
・東条松平家:譜代大名家(武蔵国忍城藩、尾張国清洲藩)
・米津氏:徳川十六神将、譜代大名家(武蔵国久喜藩、出羽国長瀞藩、上総国大網藩、常陸国龍ヶ崎藩)、子爵
・板倉氏:徳川二十将:譜代大名家(備中国松山藩上野国安中藩、陸奥国福島藩、備中国庭瀬藩)、旗本(交代寄合)
・松井氏(三河松井氏):松井松平家、譜代大名家(武蔵国私市藩、常陸笠間藩、丹波国篠山藩・和泉国岸和田藩・石見国浜田藩、武蔵川越藩)、子爵
・加藤氏(三河加藤氏):外様大名家(伊予国松山藩、陸奥国会津藩、近江国水口藩)
・小笠原氏(幡豆小笠原氏):旗本家、小笠原諸島
・西尾氏:譜代大名家(美濃国揖斐藩、武蔵国原市藩、上野国白井藩、常陸土浦藩、駿河国田中藩、信濃国小諸藩、遠江国横須賀藩、安房国花房藩)
・伊奈氏:関東代官、譜代大名家(武蔵国小室藩)、旗本家 >>73
続き
【三河県豊川市】
■室町幕府
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
■江戸幕府
・長沢松平家(大河内松平家):徳川十六神将、譜代大名家(武蔵国忍藩、武蔵国川越藩、下総国古河藩、三河国吉田藩、遠江国浜松藩)、旗本、子爵
・牧野氏(三河牧野氏):譜代大名家(上野国大胡藩、越後国長岡藩、常陸国笠間藩、信濃国小諸藩、越後国三根山藩)
・稲垣氏(三河稲垣氏):牛久保六騎、譜代大名家(志摩国鳥羽藩、近江国山上藩)
・井上氏(三河井上氏):牛久保六騎、譜代大名家(遠江横須賀藩)
・山本氏(三河山本氏):牛久保六騎、旗本家、越後長岡藩家老
・真木氏(三河真木氏):牛久保六騎、旗本家、越後長岡藩家老
・野瀬(能勢)氏(三河野瀬氏):牛久保六騎、旗本家、越後長岡藩士
・岩瀬氏(三河岩瀬氏):牛久保六騎、旗本家、岩瀬忠震(幕末三俊)
【三河県蒲郡市】
■江戸幕府
・形原松平家:譜代大名家(三河国形原藩、摂津国高槻藩、下総国佐倉藩、丹波国篠山藩、丹波国亀山藩)、子爵
・五井松平家:旗本家(寄合)
・竹谷松平家:譜代大名家(武蔵国久喜藩、三河国吉田藩)、旗本(交代寄合)
・鵜殿氏:旗本家、鳥取藩家老
【三河県豊橋市】
■室町幕府
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
■江戸幕府
・戸田氏(三河戸田氏):徳川二十将、譜代大名家(信濃国松本藩、播磨国明石藩、美濃国加納藩、山城国淀藩、美濃国大垣藩、三河国田原藩、下総国佐倉藩、肥前国島原藩、下野国宇都宮藩、下野国足利藩、下野国高徳藩)、旗本家、子爵
・西郷氏:譜代大名家(安房国東条藩)、旗本家 >>195
世界史の山野野衾、ニュー速の婆、そして三戦の俺様
2ちゃんでその三人と言ったら歴史の三博英だ覚えておけ >>73
続き
■三河県新城市
【室町幕府】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
【江戸幕府】
・奥平氏:奥平松平家、徳川家御連枝、譜代大名家(下野国宇都宮、豊前国中津藩、三河国作手藩、伊勢国亀山藩)、伯爵
・菅沼氏:譜代大名家(上野国阿保藩、伊勢国長島藩、近江国膳所藩、丹波国亀山藩)、旗本家
・大岡氏:譜代大名家(三河国西大平藩、武蔵国岩槻藩)、旗本家、大岡越前守
・設楽氏:旗本家
【三河県田原市】
■江戸幕府
・渥美氏:徳川二十将、伊予西条藩家老
以 上 >>146
古いの変わらんよ
ただ黒人のまま分岐し続けただけで どんどん遡ってきゃ誰だって武士の先祖一人くらい居るだろ
本家で立派な屋敷に住んでなきゃなんの意味もない >>142
そのままというか、語るに落ちていると思うが。
ある時代の皇族男子が、橘という氏を天皇から与えられて臣籍降下した。
姓は宿禰で、朝廷での官位では朝臣姓よりは下位だがまぁまぁのポジションだ。
今、あなたの「名字」が橘でないなら、どこかの代の次男坊三男坊の子孫ということ。 有名人なら学者・郷土史家・作家とかが勝手に調べてくれるよ >>207
橘はその皇族の母が賜った氏だ。その皇族は母の氏を継いだに過ぎない
あとスクネはしばらくしてアソンに改められている
余談だが橘氏直系の子孫は薄氏。その薄氏最後の当主は藤原姓山科家(実は男系で平氏)から養子が入って藤原氏の是定を受けている
ちなみに最後の当主は秀吉の勘気に触れて切腹。ここに橘三千代から始まる橘本家は900年で断絶した ●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。
このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。
マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説。
ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。
日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい 。
なぜか?
明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。
例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」
とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」
とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。 ●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?
ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009 %、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。
日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。
Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所)もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。
どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。 ◎日ユ同祖論の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から(イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。
◎日ユ同祖論の方位矛盾。
メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。
聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。
イスラエル中心の正距方位図↓
http://ronbarak.tumblr.com/post/39738833512/online-map-creation-using-azimuthal-equidistant
◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。
公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。
漢字否定の為に神代文字を捏造。
ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。
都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。
◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。
本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理) 。
天皇も側近も仏教徒。
日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。
◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。
神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、
バルミツバ(13歳でする成人式)もない。
祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ネタとしては青森のキリストの墓と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです 。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日
それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか?
ユダヤ人の祭り
http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/NT-intro_festivals.htm
ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り
http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) ウィキで遡れたのは良かったけど現実は絶滅寸前という
氷河期恐るべし 家にある御神体に「神祇伯 資敬王」の署名が入ってた >>221
神祇伯白川伯王家って特殊だよな。明治になって断絶したが 大宰府で朝廷に仕えてた源氏だったが、やらかして奥飛騨に飛ばされた
以来、百姓だよ >>221
当主である間は諸王と名乗りなんちゃって皇族扱い。まあ中身は藤原から養子に入ってるんだけどね うちは江戸時代に富士山が爆発する頃、新田開発で現在の土地に移り住んだ。
350年くらい、ここに住んでいるかな?
兄貴で8代目だと聞いている。
農地改革で土地もらった方だから、由緒正しい小作人の出だよ。 IDコロコロ変わるなぁ
ちなみに神祇伯白川伯王家の白川神道は江戸時代に神祇大副を名乗る吉田神道に逆転されて大いに没落してしまった >>222
先祖は京都じゃないのになんで書いてくれたのか知りたいけど、もう誰も分からず 先祖は関東地方の某藩藩士
先祖代々の墓が御家老の墓の手前にあって、かなり立派な墓だから
それなりの役職だったらしい
寺の過去帳が焼失しているので詳しくは知らないけど
祖父母や両親は「世が世なら…」って良く言ってたなぁ
そのうちに分限帳でも見に行って見ようかな 人間の真の貴賤は生まれによって決まるのではなく行いによって決まるとブッダが教えていたのを本で読んで俺は目覚めたよ >>227
たまげたなぁwwww
実は江戸時代に全国にある神社のほとんどを掌握してたのは白川神道じゃなく吉田神道
吉田神道が神社の神職や神社に位階を授けてたんだが白川も細々と吉田神道と同じようなことをしてた
白川に属する神社ってかなり少なくてそっから御神体をもらうってレア中のレアケースなわけよ
しかも白川伯王家最晩期の資敬王の真筆で書かれた御神体とあっては物凄く価値がある
白川伯王家の邸宅は今の京都御所の近くの学習院跡にあったんだが
おまえのご先祖が京都に縁がなけりゃおまえのご先祖が天保年間に住んでた地域の白川神道所属の神社から御神体を授かった可能性がある
ちなみに江戸時代に白川神道に所属した神社がどこかは、岡山にある金光図書館に「白川家諸国神社附属帳」という古文書があるから調べてみろ
そこからどの神社で御神体を授かったか分かるはず
存外おまえのご先祖のこともその神社でわかるかもな
とにかくその御神体はレア中のレアもの。大事になさってください >>198
三河の永井氏は尾張の長田氏が元らしいね。 うちわかってるだけで9代前から百姓
母方は平家の落人らしいが十四代前から百姓
ちなみに両家ともルーツは新潟で佐藤と渡辺だ 武士の大半を占める下級武士は何の自慢にもならない。それより上級農民である庄屋の方が
地元の名士として知られ実質的に格上。自民党の有力政治家は安倍家、麻生家、福田家、
森家、竹下家など、庄屋の家系が多い。 >>238
そんな雑魚だから、未だに三河を乗り越えられんのや
細川護煕氏墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) >>238
明治維新というのが、こういう人たちのために必要だったのかなって気はするな。 てか、みんなも調べれば分かるけど現代人の先祖ってみんなそこそこお金持ちなはず。
江戸時代、明治時代に貧乏人では現代まで子孫が残らないから。
裕福な家に生まれても3歳までの死亡率50%とか、そんな世界だぞ。 若いうちは下らん爺くせーこと言ってんねとか思ってね? だって日本も今の老人の世代は7人兄弟、8人兄弟が当たり前だろ?
江戸時代の人口と現代の人口で逆算してみ?
上位20%くらいの金持ちの子孫しか生き残ってないと理解できる。 つまりだ、明治維新の実態は、公武合体させるから、下僕の仕事は譲ってくれと三河に土下座した
山口の萩が三河由来の事実で察しろ
つまり、革命で何でもなく、三河を未だに乗り越えられていない
明治維新とは江戸の三河武士から、長州の三河武士への国譲り
徳川と毛利は裏で繋がっていた
源頼朝の側近が大江広元だったように、徳川の側近の酒井は大江広元の五男の家系、萩氏庶流ではないか
家康が生まれた岡崎の平安時代の領主、高階惟長の嫁は大江広元の娘だった
実は明治政府というは三河国宝飯郡萩に隠れ住んだ南朝落人の政権で、同じく南朝系を称した徳川政権から禅譲されただけ
譲られただけだからこそ江戸城は無血開城され、今までどおり東京が首都になった
徳川幕府は崩壊していない
http://books.google.co.jp/books?id=RVXyIQq5VMYC&pg=PA46&lpg=PA46&dq=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&source=bl&ots
=tYDHrH7uuT&sig=fBVt13JJ3pGPoJN1o7c5a6G4XE8&hl=ja&sa=X&ei=bHggU5HHKImgkgWuoYD4Bg&ved=0CDkQ6AEwAw#v=onepage&q=%E4%B8%89%E6%B5%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%80%E3%80%80%E3%80%80%E8%90%A9&f=false
>三河の萩の南朝の末裔が、大江氏に連れられ長州に移り住み、三河の萩を忘れない為に萩と名づけた
三河国宝飯郡萩と大江広元(毛利氏の祖)
大江忠成(海東忠成)
・鎌倉幕府評定衆
・大江広元の五男
・三河の藤姓熱田大宮司家に養子入り
・熱田大宮司
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→範忠→忠季→忠兼→海東忠成(養子入り)→萩忠茂(三河国宝飯郡萩、萩大宮司))、 >>242
そしたら、百姓とかいなくなって、次々金持ちが農地を乗っ取って農業に勤しむのか? >>235
物を知らん猿だな
血統的には長田を大江氏が継ぎ、その後を津島神社の大橋氏が継いだ
つまり永井直勝は男系では津島神社の大橋氏と言う事になるが
この津島神社の大橋氏の名字の地は三河国額田郡大橋らしく、後醍醐天皇の息子の宗良親王の孫が大橋氏の娘を娶って跡を継いだらしい
後醍醐天皇から分かれた皇別氏族が事実かどうかはさておき、家康は、長田を継いだ大江氏流と名乗り、名字を永井に変えよと命令した >>248
松方デフレとかで
自作農から小作に転落とか
資産家でも財産を相続できなかったら
小作人になる。
でもまあ明治以降は一貫して
平成に入るまで経済成長してたから
貧乏人でも子孫を残せたけど
平成に入って貧乏人は子孫を
残せない世の中になった。 元都知事の猪瀬の先祖って何だったのだろう?
長野でけものへんがつく苗字って
なんか香ばしい感じがするな。 >>242
平安時代の初期は、天皇が何十人も子供つくっていたから、
皇族がうじゃうじゃいたな。その子孫もねずみ算式にたくさんいるだろう。
その後は、皇位の見込みのない皇族の多くは寺にやられるようになり、
公式には子孫が残らないようになったがな。
藤原氏、特に摂関家は子供を何人もつくって、その子に高い地位を与えられるから、
ねずみ算式に増えていっただろうと。
こう考えていくと、名門の子孫がたくさんいるだろうとは思うが、庶民の子孫もそれなりにいるんじゃないか?
一方で、婚姻すら嫌われる賤民になると、かえって自分たちの子孫が残せたのかもしれん。 うちの家系、藤原家の木工助からの由来名だが江戸時代から神主で、父親からは公務員だぜw
>>1の話なんて適当だろw 武士とか大げさに言ってるけど
今の時代に例えれば国家公務員と地方公務員w 調べたことないな
夫の実家は佐渡だから島流しにあった先祖かもw 昔の名前のまま名字になってるんじゃないとこを理解したほうが良い
明治時代かなり適当につけたんだよ 身分は確認できなかったが
相続で祖父の原戸籍を取り寄せたら4代前までの先祖がでてきて幕末生まれで江戸時代から住んでいたことが確認できた >>262
例えば関ヶ原の戦いでは、戦後、数万人の浪人が発生したと言われているし
江戸時代もお家御取り潰しが結構あった為に、やはり大量の浪人者が発生しているし
https://shizuoka.veritas.jp/rekisi/syosetu.htm
>江戸時代初期、幕府は容赦無く大名を取り潰した。そのたびに家禄を失った武士は、浪人となった。
>関ヶ原の役(1600)から慶安3年(1650)までに約40万人(栗田元次博士)、別の説によると23万5千人(田原良一氏)の浪人が出たという。
>家族や奉公人を含めると膨大な人数で社会不安の原因となっていた。
https://books.google.co.jp/books?id=ur4_DwAAQBAJ
>いっぽう、江戸時代でもっとも浪人の数が多かったのは、盛んに大名家の改易(取りつぶし)がおこなわれた家康から家光までの徳川三代の時代で、
>その間の浪人数は全国で六○万人に達したとされる。
といった人数だったという話もある
これ以外にも、例えば戦国大名の武田家が潰れた際、信濃の武家は帰農する家がかなり出たと言われているし
この手の大名の滅亡による帰農等もあったから、そうした元武士だった家系まで含めると、かなりの人数に達する 暇だからネット遡って調べたら清少納言が親戚だった
みんなに暗唱試験させてしまいさーせんした 神社で飲んでいたら宮司から俺の5代前が宮司の家から嫁をもらっているって言っていたからそういうことなんだろう 身分がどうこうでなく、先祖がどういう人物だったか知られたくない人たちがいるってことでしょ
それを差別問題にすり替えるのはいつもの手口ですよ >>242
貧乏な方が丈夫な人間が多かったんだよ
富裕層は乳母が胸に白粉の水銀塗ってたから乳幼児で死んでたし
昭和頃まで脚気でいっぱい死んだんだけど原因は上流の食う白米食
下層階級は雑穀や玄米食ってて脚気にならなかった
上流でも薬湯飲む程度で薬なんてろくにないし病気になったら下層と死亡率は変わらん 5chやツイッターってなぜか自分が武士の子孫だと思ってる奴が集まってるよな >>269
交配が続けば必ず一人ぐらいは武士が入ってる計算になるやろ >>110
渥美半島に禅寺が多いのは戦国時代に城主・領主の保護を受けるために他宗から改宗したから、らしい。
『渥美郡史. 正編』※一 禅宗の興隆
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978684/226 >>38
源氏は本姓、足利は名字だけど、藤原は本姓だね。藤原氏を本姓とする武家だと上杉や伊達とかがいるね。
公家だと近衛や鷹司、九条、二条、一条の摂関家が藤原氏の本流に一番近いところで、ほとんどの公家は藤原氏の系統だったかと。
現在藤原と名乗っている人が、何らかの血縁がある家なのか家来衆とかなのか、関係無く名乗っているだけなのかはわからないけど、少なくとも同級生だった五摂家直系の友人は藤原では無く普通に上に挙げてる名字だったな。 >>273
藤原と名乗ってる人は偽者でしょ
源や平と名乗ってる人もそう 実家は県庁所在地の旧街道沿いで200年以上お店やってるのである程度のところまではきちんと遡れる
蔵にも色々残ってる うちは戦国時代までははっきりしてる。
俺といっしょで、
リストラにあって縁故採用してもらい東軍につくも、
倒産(落城)にあって田舎で商売はじめた。
だから信長野望やったら、東軍連中はばさばさ切る。 そんな大昔の先祖の身分で一喜一憂するとかバカバカしくねえか? 旧家の長男からするとご先祖様の事で有力な長老たちと話が出来るのでありがたい限りです うちは本百姓だったわ。武士に憧れはないなぁ。昔も地主のが優雅に暮らせてたのでは さすがに300年前からこの地を治めたリアルお殿様(元子爵)の現当主とは畏れ多くてお話どころではありませんが >>42
どうやら猿とは呼ばれてなかったようだよ。歴史ってほんと出鱈目w 江戸→明治の時に大人だった先祖になる男性が何してたかわからん程度だと調べても残念やろな な〜んだ おめ〜 ペクチョンじゃね〜か!?
なんだかオラ ワクワクすっぞ! 朝鮮から来た人でも良い身分になった人もいるだろうな
一方で日本人でも非人みたいのもいるだろう >>289
そりゃそうよ。
むしろ技能を見込んで朝鮮から連れてきたくらいの人だといい扱いされるだろう。
乃木希典の先祖が、そういう人の子孫だったってのは驚きだったが。 >>280
鉛を酢で蒸し水にさらして固めた鉛系のハフニと水銀系のハラヤの二種類があった
上流の乳幼児がよく死んだり脳性麻痺様症状が出たのは鉛中毒みたいだね >>289
戦中の外務大臣が秀吉朝鮮出兵時に連行してきた朝鮮人陶工の子孫だね
その子孫らもみんななかなかの地位にいる
痴漢で捕まったりもいるけど 枝別れした先祖は朝鮮通信使を接待する役職に就いていた
その際の詩のやり取りを学者が解読し論文を発表している
記憶があやふやだが通信使は先祖に対し
その詩才は菅公の如しとおべっかを使っている
あとは郡奉行を世襲した先祖もいる
家老クラスではないし下っ端でもない中級武士っぽい
大藩の五百石くらいの身分 >>283
うちは祖父母宅が物凄く深い山の中にあるし、またそういうの全然興味がなかったので
多分農家だと思ってたら、先祖は豊臣方の落ち武者だと言ってた
ただ幕末期のご先祖様が婿養子だった為だと思うが
どの大名家のどの隊に所属して身分が何でどこで戦ったのかとかは伝わってない
また幕末にわけあって金欠だったという話が伝わっていて
多分そのせいだろうが落ち武者の家系に伝わるはずの鎧兜と刀はない >>286
誇れるような家系なら武士に限らず家系図は残ってるはずだ。
無いという事は普通の庶民って事だな また遠縁の親戚にあたる方がうちのご先祖様の事を調べた事があって
菩提寺もわかっているので過去帳を見せて欲しいとお願いしたところ
古くなってボロボロだから見せられないと断られたとの事
が、多分、嘘だろうね
今は国からの指導で過去帳見せちゃいけない事になってるらしいから
ちなみにその婿養子のご先祖様は戒名の位号のところが庵主なので
差別絡みで過去帳を見せられなかったとか、そんな話じゃない
今のお寺は原則として過去帳見せてくれないよ >>295
どうも普通庵主貰ってる家系だと経済的に余裕があるって事で
そこを起点に7〜8代前までわかるのが普通らしいが、うちはわからんw
どんなに元武士と言っても、残す気のある家系じゃないと、残ってないよ
仏教を深く信仰していたとか、そういう家系じゃないとないって聞いた だいぶしっかりした系図で家系図もあるが現状はアレ この代で終わり
過去より今だよな 過去に潰される人もいるけれども なに? まだこのスレあったの?
どうせまた誰から訊かれたわけでもないのにネトウヨ軍オタが
「先祖は武士で帝国陸軍の家系」とか嘘松並べるスレなんでしょ。あほくさ。
ってかいい加減ネトウヨ軍オタは自称リアリストらしく
自分の先祖についても過去を直視しろよwww
さもなきゃ「日本人ならすべて過去帳を手繰れば〜〜〜」とか
噴飯もののでたらめを皆が皆すわった目つきで言ってるスレかね?
アガスティアの葉っぱじゃあるまいしそんな都合のいい記録があるもんかwww
聖帝安倍陛下と高級官僚の面会記録さえなくなるような国だぜここはwww 10パーセントは武士だから
キレてる人の意味わからんけど こういうの気にするのは大卒だから偉いと勘違いしてるニートとかだろう、今どうしてるかだわ過去なんか関係ないましては先祖なんか他人だし >>300
なんだ? チミは先祖の自慢がしたい人か?
存分に語るといいぞ。ウリが読むかどうかは約束できないがw
しかし10%が武士? 随分多いな。
ジャップ国で突出して武士の割合が多いのは
言うまでもなく戦闘民族薩摩藩だがそこなら10%、いったかなあ。
まあ知らないからウィトゲンシュタイン先生の教えに倣って
「語りえぬものは沈黙」することにすっけどさwww 農民・職人・商人・町人の町人って何?
ニート?家事手伝い?ひきこもり? >>1
分からんよ
平民苗字許可令で好きに苗字名乗ってんだからな
地主の苗字名乗った小作もいるし >>306
「武士が羨ましい」人なんじゃないかしらね
私のところは、父系を5代遡ると、田舎町で駕籠を担いでいたらしい 仮に江戸時代の中期頃の人口を2000万として武士は約10%だから200万人
関ヶ原から江戸にかけての藩取り潰し等で発生した浪人者が100万人
これを合計するだけで、300万人=人口の15%相当だからな
またここに帰農して農家になった人達まで加算すれば人数は持って多くなる
何らかの形で武士にルーツのある家系の人は結構多いんだよな 明治時代に爵位を持ってないなら自慢できるような家柄ではない >>118
俺の親父は元事務次官!ってイキってる引きこもりのガイジと同じ思考回路だな(笑)。お前本人がカスだからそうやって精神勝利するしかないもんな(笑)。 >>311
そもそもルーツ探しって自分がどこから来たのか知りたい人が調べるもので
自慢する為に調べるようなものでもないしな
例えば江戸時代には城下町に住んで代々職人をしていたとして
それが何か悪い事なのか?って話だし
私のご先祖様は職人してて町民してましたというのを誇っちゃいけないのか?って事だから
また昔の時代に自分が血を引いてる人達がどんな生活をしていたのか
そういった事に興味を持つ人もいるんだろうし 多分自分が万が一勲章もらったとしても自慢にならないな
つか要らないな
そういう意味ではイチローはちょっと好きだな >>310
皇室公家武家なんて側室や落とし胤が多かっただろうし、日本人ならほとんどが関わり合いがあると思う。
それを家系として守ってきたかどうか。
今現在成功してる人でも、何処の馬の骨かわからない人は信用しづらいしな。 武士なんて元々江戸期だけじゃないんだからw 武士の歴史は700年あるんだから
遡っていって武士に当たらない日本人なんていないから。 うちは謎の士族で寺子屋開いてた
先祖の功績を讃えた石碑が地元にあるが
とにかく金がなくて家計図は売っちゃったみたい
一応旗本だったと伝えられてて家紋も3つある
家計図ないのが致命傷だよなあ 「直樹」って名前は部落出身者の確率めっちゃ高い
ソースは俺 >>306
差別と思うのが差別なんだあ、ってか?
ドヤ顔のところ悪いけど、そういうオタクがよく言う開き直りは
他所のSNSでやったらいいと思うよ?www
なんで武士の先祖が自慢かって? 圧倒的支配階級だからに決まってんだろwww
最近はどういうわけかネットのそこら中で「士農工商」はなかったって言説が
メジャーになってるけど、なーにいってんだ、武士は圧倒的強者に決まってんだろ。
そりゃ貧乏武士より豪農豪商の方がえらいなんてのは当たり前だが
それでも一般の武士は平均すりゃ一般の農民よりゃ裕福に決まってんだろ。搾取者なんだから。
まあ現代ジャップの支配者たる公務員さまが
平均すりゃはるかに民草より豪勢な生活しているのとパラレルに考えていいかもな
特に地方においてをや。キッズのなりたい職業不動のナンバー1だもんなあwww 釣りだろうけど、江戸時代の武士の大半は金欠で、生活苦の人が多かった
役務も今でいうところの公務員が大半で、地味な仕事をしていたし
権力者として金も力もあった人なんて、本当にごくごく一握りだよ ん? なんだ? 急に「武士が先祖にいるのは当たり前だ」とか言いだすのが沸いてきたなwww
まあ別にアンカにも及ばないし面倒くさいんで個々には欠礼するが
逆にチミらのアイデンティティーがなに「花は桜木、先祖は武士」なわけw
はっはっは、こういう言い回し知ってるかね?
んま、衒学ネタはともかく病身ネトウヨどもの一つのコモンセンスが
「日本にうまれた俺えらい」にあるようにナチス崇拝家のネトウヨが
アーリア人至上主義のナチの血統政策のように
極端に血統性を重んじるのは理の当然か知らんが、誇るのはそこかね?
ウリに言わせればネトウヨのおっさんどもは血統なんかより
血糖値を気にした方がいいと思うがねwww
血糖値、高脂血症、高血圧、か。
ネトウヨのおっさんどもも大変だなwww うちの部落からは議員連とか税理士連とか弁護士連の役員になった人がたくさんいる
忖度があるんだろうとは思うけど、そういう偉い人たちがことあるごとにうちの実家(本家)でどんちゃん騒ぎするのはやめていただきたい
うちの親父は、GHQに田んぼ貰った爺さんの土地相続しただけのただの百姓なんだから >>46
藤原氏て昔から役人として各地に行ってるから
そんな人達が暮らした土地に地名でも残ってる
通名扱いして叩くとか
外国人叩いてるレイシストと変わりませんね >>318
旗本なら藩か幕府に家系図提出してるでしょ
寛永諸家系図伝とか寛政重修諸家譜に載ってる可能性があるし、載ってなかったら疑問符 >>321
色々辛かったからか日本史の勉強ができなかった >>327
そんなのあるんだ
寺子屋の先祖の名前だけ
それも〜斎って名前しか知らないけど
正しい名前を調べておく必要があるよね? 自分のルーツというものは、両親=2人 祖父母=4人 曾祖父母=8人って感じで
代を遡る事に、2の2乗でドンドン増えていくわけ 10代遡れば1024人いるんだぜ?
家系図って奴は、その無数のご先祖様から一番見栄えのいい人物を選んでいるだけであって
虚栄心の塊が作らせる、誠に下らない代物。
中学の時に、学校の課題で家系図作りがあったが、一言で言うと見栄っ張り競争だった
桓武天皇の子孫だの、藤原家の子孫だの、古代中国の王朝の子孫だの
やたらハクのある人物が家系図の最初に据えられているのなwwww >>330
家系図は跡を継いだ人達で作られてるんだけど? 母方は武士で地元の城代家老の家系と聞いてるが、それがなんだっていう。
オレの暮らしになんの利益もない。 >>329
名字、諱(本名)、字(あざな・通称名)で調べられる。巻数が多いので索引が別にあって調べられる
図書館でもリサーチサービスがあって
家系図の事とか郷土史とか詳しく調べてくれる みんなアフリカから渡ってきたんじゃなかった?誰かが言ってたろ。世界は一家 人類みな兄弟みたいな。 ウリの先祖は両班ニダが国民の90%こえるって頭おかしい 武士が先祖でも明治維新でみんな落ちぶれたから
関係無いし〜┐(´∀`)┌ヤレヤレ 百姓って農業だけでないんだよなぁ。
今でいう林業、畜産業、問屋的なことなんかも兼業でやってる。
俺の爺さんも百姓やってて大工もやってた。 明治時代に家系図を作るのが庶民に流行ったんだよ
今時自慢してるのはその時の紛い物 >>326
>外国人叩いてるレイシストと変わりませんね
やはり藤原って通名なんだな笑 早稲田大学法学部卒直心影流剣道会元幹事長だけど、父母ともに武士系でないのは
間違いないが、部落だとダークエルフみたいでもっといいなと思ってる 父親のほうが草鞋売りとかの家計らしいので河原者の血筋がワンチャンあるかと思ってる。そうで
あってくれ。 松平という姓だけど、祖先は水飲み百姓だ。これって例外なのか。 >>324
劣等朝鮮土人なんかに生てきて悔しぃーっニダ
日本人が羨ましいニダぁー
死にたいニダ
まで読んだ >>342
寺に過去帳があるんだから嘘の家系図なんてすぐにバレるわ
てか、寺の過去帳を知らないって事は朝鮮人か笑 40年生きてきたが
ウチの先祖は武士ってドヤる奴は大概が上品ぶっているが内面はクズ サムライの子孫ですって、こないだ来たアメリカ人に言ったら、ちょっと羨望の目で見られたw >>338
うちは父方母方共に賊軍の末裔だよ(笑) 先祖が西南戦争で西郷側に従軍してるんだがサムライの子孫って事でいいのか? >>1
昔しは養子に継がせたりするのも一般的だから、血が繋がっているとは限らないけど。 先祖は禁門の変の責任者の一人だったらしい…。
禁門の変ってなんだろ?
えーとググるググる…
えっ? 天皇奪取失敗? 皇居に火付け? 京都火の海?
((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル >>357
由緒あってつぶせない家とかか
うちもそれで繋いだ口だけど
今の家があって今の生活があるから血がつながってなくても祖先に感謝してるよ >>322
ま、高級旗本なんて言って、裕福な生活してたのは、1000石以上の禄高の武士だしな。 >>334
先祖の話を聞いて身を正そうとか思うと意味ある。
明治時代の先祖は外国語堪能だったが上司をぶん殴っては幾つもクビになってるw
大正期までに財産を築いたのに寺とか墓とか投資して無くしたバカ先祖もいるw
とりあえずそういうことにならんよう気をつけてる。
血は争えないからなw 由緒ある正しいけど、わいが末代。
ごめんやでご先祖様。
ノブヤボに出たから満足してくれ。 先祖がチョンBでも893でも公家武家天皇でも楽しめばいいのに
思考停止して全否定してもつまらんよ
知り得たパーツと知らなくて足らないパーツに歴史を調べて組み合わせて想像する
ロマンティックで楽しい
アメリカ人は先祖を辿るのが大好きでDNA登録してまで辿ってる
そこから未解決事件の犯罪者が見つかったりもする
日本もやればいいのにな
ああ街道がうるさいか 江戸以降の武士なんて、
秀吉のようなヒニン層が下級武士や大名になってんだが? 信長は、当時土地を持たない(貧農やヒニン層)のじさらに次男三男を傭兵化させた。
そこで頭角表したのがヒニン層で親父は猿廻し芸人だった秀吉もその一人だが、
当時、金支給の雇用関係で戦ってくれる傭兵は、
蜂須賀や村上、九鬼といった山賊海賊が多く、リアルヒニンだらけ。
さらに子飼いは
福島→桶屋
加藤→小作
石田→奉公坊主
大谷→孤児
など、
さらに
秀吉一門
浅野、木下、杉原、小出など、秀吉のヒニン一門、
さらに
池田→貧農
藤堂→足軽
齋藤→油屋
黒田→目薬屋
など
もはや大名自体が酷すぎる出自だからな。
使えていた武士はもはやヒニン祭りだよまじ たくさんあった古文書も戦争でほとんど焼けてしまったらしい
今は少しの古文書と家系図、過去帳など >>367
まんぺいさんのお母さんじゃないですかw 因みに、戦国時代以降に武士になった江戸の武士がいかに戦国時代以前は出自が酷かったか、資料ならいくらでもあるよ。
超分かりやすい代表例
永諸家系図伝
徳川幕府は、江戸の大名諸侯のあまりに酷すぎる出自のため、
強制的に家系図を源平等に結びつけた偽家系図を提出させた。
それが寛永諸家系図伝
>>あくまでも、徳川家の主観で製作されたものなので、
>>徳川家に敵対し、または没落した家は正確な記述がされていない。徳川家に従い生き残った家(庶流・一門ふくむ)だけからの書類の申請により編纂させており、
>>記述が大きく偏り甚だ信憑性にかけ、信用できない。
>>一方、たとえその家の主家(先祖が仕えた家)であっても、旗本大名として存続してないものは、
>>これをよいことに極めて貶めて記述している
もはや江戸の大名諸侯自体が酷すぎる出自は江戸幕府も悩みの種で、歴史改竄だらけ >>269
江戸時代は武士じゃないけど、士族の子孫。
色々訳ありな家系なもので。 うちのじーちゃんの小学校の通知表や卒業証書には士族って書いてある(*^^*) >>343
今藤原って名乗っているのは下層民家か背乗り。
正規の子孫は、別の氏を名乗っている。 そもそも1%しかいなかった武士の子孫がごろごろいるのに
調査する意味ないだろ >>365
齋藤だと神主をやってた藤原氏の子孫の可能性も。 天孫降臨族のミコトちゃんなのでどうでもいい
倭人は大変だな 母方祖母→士族で曽祖父は近衛兵
母方祖父→今でこそ違う名字だが昔は藤原姓だった
父方祖父母→両方とも公家の血筋
…と両親は各々言ってるが、信憑性ありそうなのが曽祖父の近衛兵写真しかないわ >>377
江戸時代に武士の身分を持っていた人が約10%
そこに関ヶ原以降の取り潰しで発生した浪人者が5%くらい
江戸時代に入る前に帰農した地侍の子孫や
落ち武者の家系の人達も加わる
多分日本人の20%〜25%くらい、あるいは30%くらいは武士にルーツ持ってるよ うちは、
昔の古地図調べると、どうやら部落地区らしい
漁業関係の仕事を主に行う人達の多い地区で
人々が嫌がる、生臭い魚を扱うー、穢多なんだろうな
家の墓所には、江戸時代ごろの墓とか13個くらい有ったから
代々地元に住んでるはず、爺さんの代まで漁業だったw 家の由来でマウント取るのは百パーゲスな人格
悪徳行書の家系図商法でボッタくられてしまえ >>381
本来の武士階級は、その江戸時代に帰農した旧地侍や土豪などの旧在方支配層なんだが?
秀吉系によりそのほとんどの名門室町武士層が滅亡してしまったが。
江戸時代の武士層は、戦国時代以前は武士階級じゃなかったものが武士になってんだが? ちなみに、徳川将軍家ですら、
徳川家の祖たる松平親氏は、賎民坊主と徳川家自体が認めてるし。
>>徳川氏の始祖とされている人物。「松平氏由緒書」では名を信武と記している[1]。
>>親氏は関東(あるいは信濃国浪合村)で鎌倉公方(あるいは斯波氏)の軍勢に敗れ、足利氏の追捕を避けるために父・有親とともに相模国の時宗総本山清浄光寺に入って出家し、徳阿弥(とくあみ)と称したとされる。
「>>乞食僧」「一種の賤民」と表現される
将軍家自体が江戸武士層はヒニン系 因みに士族なんて、
薩長は東照征討軍に向かう最、
漁師や猟師、力士や任侠にまで士族を乱発してるが?
幕府なんて、エタ頭や非人頭に将軍護衛させて、幕臣にまでさせてますが? 「川」がつく名字にはごく一部に「革」から転じたものがある。 >>389
時代劇見てる時に自分の先祖がその時代に何してたかなと考える事があるw つか、武士なんていう職業と名前は室町後期くらいからでた言葉なんだがか。
平安は田堵と呼ばれる有力百姓が武装化していき、
鎌倉時代は開発領主と呼ばれ、
室町では地侍や土豪、国人と呼ばれる大地主の武装化した武家とは呼ばれていたが、
武士なんて戦国時代に土地すら持てなかった非人系が秀吉のように傭兵化したたんなる暴力集団化してから武士と呼ばれるようになった。
本当に近世からの呼び名で、
戦国時代以前は大地主の百姓兼務の武装化した家が武家なんだが?
要は本来の武家って、有力豪農であることが大前提なんだが? ウチの先祖は母方が旅館、父方が魚屋との事だ。
そして誰も家業は継がなかったという。 そもそも、戦国時代以前に土地すら持てなかった輩なんてリアル非人だから。
百姓層は実は一番エタヒニンには遠い存在。
蜂須賀や秀吉やら九鬼やら、土地すらないヒニン層の半グレ衆が戦国時代は大量に傭兵化して江戸時代には武士になったが、
一番ヒニン系が簡単になれた職業が武士か職人なんだがな。
なぜなら土地すら持てなかったから。 相続関連で先祖の戸籍見たことあるけど昔々の身分表記がホワイトで消してあったわ
たまに消し方甘くて読めちゃったりするけどw >>393
お前、頭弱いな。歴史の基礎も分かってない。 >>396
凄いね。
戸長(村長などの自治体の長)になったのはみな庄屋や名主で、
下級武士なんて明治以降は薩長など一部除けば屯田兵やら人力車府やら職人だぞ。土地すら持ってなく、ど貧困でなんの権利や利権すら待ち合わせなかった職業だから。 たとえば
藤原
って苗字だと
まぁ、いろいろ考えられるわけで 因みに富岡製糸場では下級武士の娘が多かったのは、
親から身売りされてんだが?
ど貧困で身売りまでしてる戦国時代以前はヒニン層が下級武士なんだが。 >>401
無教養の低学歴の五代前の先祖しらない雑魚はすっこんでろよ
戸長と書かれてる時点で、
太政官布告大綱では、先祖が庄屋や名主の特権階級を戸長とす。と書かれてるから先祖はかなりの大事主の村方支配者だったと分かるんだよゴミが 例えば鳥越俊太郎さんなんかでいうと、大友宗麟の家臣だった鳥越興膳が祖先。
「関ヶ原で敗れた側」のルーツを持つ鳥越さんは、当然今も反権力側。
昔から権力側にはつかない家系ということがよくわかる。
色んな所にヒントは散りばめられてるんだよね。 >>396
福岡県令からの通達と書かれてるから、
明治初期の県令は大名五人分くらいの力と権限もつ薩長の有力者がなる知事職だし、
その明治初期は選挙がない時代に県令から独断と偏見で自治体長が決められた。
この自治体長はほとんどが大名家や藩執政、庄屋名主であり、
下級武士なんて一切選ばれてない。
なぜなら下級武士は旧ヒニン層が多く、またど貧困で社会の底辺階層だったから。 江戸時代の先祖の墓すらないようなやつは
武士や庶民以前に日本人ですらない在日です 俺ははっきりわかってる
父方は山梨の武田信玄の家臣の下級武士
母方は新潟の大名の下っ端の妾 >>401
うちの文書の大部分は昭和10年代に九州帝大が持っていったから
江戸時代のものはないんだよ
今は九大の九州文化史研究所が所蔵しており
昭和の終わりに目録が出版されているよ
九大の秀村選三などが主導していたようだね >>406
あのさ、
直系じゃなくちゃ意味ないのよ
例えば上級武士や名主の家に生まれても、
長男以外は身分も財産も跡をつげない。
それに、旗本や大名家なんて養子だらけで、
血筋なんて一切関係ないぞ
勝海舟なんて、上級旗本だが、じいさんは按摩マッサージ屋だぞぼけ。
そのじいさんが金融で材を成して
、そのかねで勝家を買収して養子となって乗っ取りした。
血筋なんて一切関係ないんだが。
ましてや直系でもないなんて話にならない。
血筋だけなら日本人半分が兄弟になるわ >>410に追記だが江戸時代の文書は九大が持ってって
江戸期の法制度を研究したようだ
目録には幕末七卿落ちのうち五卿が太宰府へ移るので
その案内や先導したようだ(藩からの達しがある) >>408
ぶっちゃけ、小作人か職人工人か、テキヤ系商人かヒサベツだったのが大半だろ
因みに戒名でも分かる
下級武士は信士
上級武士、庄屋名主は居士
藩執政、大庄屋は院居士
待遇や家格は下級武士より庄屋名主のが上に設定されてた事実 ウチは室町時代までは遡れる。戦乱の絶えない土地柄、武家になったも理解できる。戦国から
江戸が終わるまで身分が固定されてるので、その辺は明確。室町以前は、朝廷との繋がりとい
う意味で神話っぽくなるので話半分だが。 遠い先祖の事が伝わっているけど、初代に当たる先祖は髭切りの太刀を使っていたらしい
その他色々話が伝わっている 外国人目線だと武士とその他になっちゃうけど
大工、左官、仕事師など約150種の職人、 漁師、山守(林業)、商人とか
沢山の職業人がいたのでサムライと分けて考える意味は無いですよね
武士でさえ支配層から雑兵までいて身分も色々 もしこれがうまくいけば、来年の東京五輪で台湾の名前で出てこれるかな >>415
身分は実はかなり流動的だけどな。
武士なんて身分は金でかえんだから。
因みに下級武士の徒株なんて100両くらいで売り買いできたが。
美智子妃殿下の家は豪商から庄屋身分買ったようだが、なんと5000両以上みたいだから、
下級武士株の50倍庄屋身分のが高い現実 過去帳を見たら、うちの先祖は「七郎右衛門」と「仙之丞」を交互に襲名していたようだ。
順番的にいうと、俺は七郎右衛門のターンだった。
なお、ひとりだけ「七郎左衛門」なる貞享年間の当主が記載されていて、書き間違いだ
ろうこれはと思って古い墓を調べたら、しっかり七郎"左"衛門と刻まれいた。
我が家における最大のミステリー >>419
発祥が戦国のメイン会場で、仕えた武将もメインキャストの一人。西軍で外様になるが、
その後の痕跡も明確。買えたとして、家の名を買ったとしても家の名が存在し続けたのは
事実だし、主君への忠誠など関係まで買えるとは思えないな。俺の名前にも忠誠の名残で
使われてるが、逸話はいくつも残ってるよ。徳川への当てつけでもあるが。 家のご先祖さんは侍やってたが、長宗我部に追われたり、仙石が九州でヤラカシたりしてるうちに侍辞めたようで庄屋になっとったw >>416
そもそも源氏なんて、
二代満仲の時点で出自は不明なんだから、
ほとんど背乗り状態が濃厚なんだから。 ワニ家も母方は首里の生まれで
精神の母いわく先祖は武士!とか手を見れば分かる
武士の手指は短くハルサ〜(方言農民)は長いワニとか
皆先祖は偉ぶっても大半は農民やらよくて
飛脚とか橋渡し人足とかワニなのじゃろ 因みに、秀吉が朝鮮から連れて帰ってきた奴隷も、
大量に武士にしてるし、
海賊だった秀吉軍団で大名になった村上家は朝鮮女と結婚してるし、
薩摩は朝鮮陶工を大量に武士にしてるしな。 もっと言えば、
幕末、エタ頭だった弾左衛門は幕府から江戸市中警備および長州征伐への参加、さらに将軍護衛の任の功績から旗本幕臣に登用されてますが。
非人頭の新門辰五郎も、
幕府から江戸市中警備の任を任され、その功績から幕臣に。
娘は将軍慶喜の側室にまでなってますが? 江戸の武士は本当に極めて出自が戦国時代以前は不明な輩だらけ。
つか非人系だらけ
これは江戸の学者もいってんのよ。
>>鳥取池田家の分家鉄砲洲家の5代藩主で学者の池田定常は
>>武士の系図を調べた結果
>>「今の武家は民間よりあらわれて大名になった者が多いのでその先祖はよくわからない。>>戦国以前はその実一決しがたい
もう江戸の大名の学者自体が江戸の武士は戦国時代以前は非武士層が大半だと語ってんのよ >>今の武家は民間よりあらわれて
>>今の武家は民間よりあらわれて
江戸の大名学者が認めてんのよ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) 日本史そのものが、室町以前は疑わしいことだらけなんだよね。個人的には、鎌倉幕府は
存在そのものを疑ってるしw 中世以前の町を世界中見て回ったが、鎌倉自体、武家が何万
も住める条件を全く満たしてないw >>431
いやいやいやいや、全然違う。
頭大丈夫か?
鎌倉時代の武家、分かりやすいとこだと板東武士団だが、
鎌倉時代の武家はみな大豪農でそれらが武装化して開発領主となってんだが?
ご恩と奉公は、この土地の保証に纏わる主従関係だから、普段は地元の村で百姓して、合戦ある時だけ軍役で駆けつけるんだが?
これが室町まで続いた。
しかし戦国時代になり秀吉時代には土地を持てなかったヒニン層が大量に傭兵として東海軍団に雇用され、これらが武士になったから城下町に直接住まわせるようになった
馬鹿すぎてこんなやつだらけかよ、、あきれるわ >>434
自分が何書いてんのか分かってなくて馬鹿すぎ。百姓が武装して武士を自称するのと、土地を
持ってない奴が武士を自称するのと、何が違うんだ? その土地は誰のお墨付き?w 武力で
簡単に取ったり取られたりするものなのにw 苗字検索でだいたい当たるね
少なめな苗字ならほぼピンポイントに正確に的中するわ >>435
お前みたいな馬鹿は室町幕府や鎌倉幕府の体制も全くわかってないんだから、ロムってろよ >>434
お前みたいな馬鹿は地侍の存在もしらないからそんな無知さらけ出してんだからとにかくロムってろ 母方は百姓
父方は赤穂藩の下級武士で関西から長野に逃げた
庶民の為に寺を建てたらしいが生草坊主に
出資したらもうアンタは用無し言わんばかりに寺を乗っ取られた
江戸までは名字は大鎌塚
今は少し違う、、、どんだけ赤穂藩でいることが
バレたくなかったのか突っ込みたくなる >>440
という家伝だろ。
赤穂藩は秀吉の親族たる浅野が改易されただけで、赤穂藩自体はその後もずっと幕末まで他の大名家で続いてるし、
その浅野家も旗本としてすぐに再興してるし、
家伝が一番神秘性皆無だわ >>441
家伝口伝なら家系図なくね??
ちゃんとあるし遡ったら
江戸あたりに苗字ある訳で
だがなぜ苗字が変わったりしたのか
知りたい
刃物振り回してやらかしたのあかなぁ >>440
多分赤穂藩からの指名手配犯だったんじゃね?
そんなもんだよ家伝は。 >>443
なるほど!
もしかして寺建てた金も
藩からガメた可能性もあるなWWW
下級武士がなんで金もってんだよって腑に落ちなかったから >>442
家系図自体が江戸大名家自体が詐称を江戸幕府が緒大名に推奨してるくらいだからな、寛永武家系図伝で。
なぜなら江戸大名家の出自があまりに酷すぎるからだそうだ。
家系図なんてまさにたんなる家伝だし言ったもん書いたもん勝ちなんだが。 >>445
秀吉もいいとこのぼっちゃんって事にしたくて
家系図を買ったって聞いたことがあるわ
まぁでも俺はの父方の先祖は
庶民の為に寺建てた侍だったと信じるよ
侍を自称したただの盗人だったとしても
エピソードが気に入ってる >>385
信光は親氏の息子と言われているが
その乞食坊主の息子、信光が天皇とダチなのを不思議に思わんか?
つまり、松平は只者の家ではない
3代目松平信光創建
・信明光寺(1451年創建) 1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建) 1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給 >>444
いやいや、下級武士ごときすら怪しく、単なる無宿無頼の指名手配犯なんじゃね?
別に脱藩は犯罪じゃないから正式に藩から離脱できる。
下級武士ごときが藩の御用金を盗めることすら出来ないよ、身分低すぎてそもそも登城すらほとんどない。
だから、下級武士ですらない。
かりに下級武士で犯罪したなら、人殺しを複数にんしたんだろな >>447
松平自体は金持ちだからな。
親氏が単なる賎民だっただけだが? 貴種だらけで三河で成り上がるのは不可能
成り上がりに三河人は臣従しない
◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 >>437
タイムマシンでも持ってなきゃ、誰も分からないと思うよw 俺は教科書的な通説を疑ってるだけだしw
俺が言いたいのは、武家という身分が明確に出来たのが室町時代だってだけ。それ以前は、貴族でも
なければ、どっちでも同じだろと。ウチだって、某地域の一大勢力だったのは分かってるから耕しても
いたのかもしれないとも推測できるし、その後武家になってその姓を名乗ったのだろうというだけなん
だわ。 家康が生まれる前に成立した、今川家の正史、今川記に一色氏から嫁が入ったとある
乞食坊主の息子に一色氏から嫁が来るわけない
三河をよく知らない、出自の悪い田舎者らしい発想だわな
■今川記(1553年成立)より
松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘
一色満範の娘の仮定する
源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康
■熊野国造家 和田家系図より
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 >>448
俺の先祖を侮辱するな百姓めW
まぁでも出資して坊主に寺乗っ取られたら
俺ならぶち殺すけど
それをしなかった(出来なかった)のは
坊主「あらあら?私にその口の利き方はなんですかぁ??
お上にバラシますよ?藩から逃げた者がいるとくくくWWW」
までは妄想が広がる >>452
いやいやいやいや、室町以前は武家は明確性があった。
それは土地を基盤にしている在地の大地主の有力者だから、明確性があった。
しかし、戦国時代以降は明確性なんて全くない。
要は国籍不明、税金すら未納、戸籍なしみたいな秀吉や蜂須賀のような輩だらけが江戸の武士層に大量になだれこんだんだから、よほどこちらのが不明なんだが。 松平は最大の皇室領荘園内にあった
松平と皇室の繋がりは、この皇室領荘園が関係している
松平郷に地の力があるのは流石は最大の皇室領と言うしかないですな
出自の悪い田舎者は見抜けず、何もない山の中に見えるらしいが
■三河国高橋荘・高橋新荘
豊田市全域は源頼朝の曽祖父が開発し、後に皇室に寄進された最大の皇室領荘園
高橋新荘から松平家が、高橋荘からはトヨタ自動車が発祥した
・開発者は源頼朝の曽祖父、藤原季兼か?
・寄進者は藤原季兼の妹の子供、高橋惟康(藤原伊周の孫)か?
・平安末期〜戦国期に見える荘園名
・矢作川中流域の低地と山間部、豊田市(旧上郷町・高岡町を除く)・三好町・藤岡町・小原村にまたがる大荘園
・八条院領目録に院分御荘として「参河国高橋荘」「参河国高橋新荘」とあり、鳥羽院政期の院領寄進系荘園の一例とみられる
・寄進者は藤原(高橋)惟康か←藤原伊周の孫、源頼朝曽祖父の妹の息子
・八条院没後、春華門院昇子ー順徳天皇ー後高倉院→安嘉門院邦子ー亀山天皇ー後宇多天皇ー昭慶門院憙子と相伝される
・昭慶門院目録に、高橋荘は亀山院の時石清水八幡宮に寄進、新荘は冨小路前大納言(小倉実教)とあるのは領家職とみられる もう先祖なんてどうでよくなる
悔しい
自民党は大量の中国人を移住させ、帰化させ
この国を歴史も文化も尊重しない、のっぺりとしたアジアの国に作り代えようとしている >>454
旧地侍の名主だから、お前の先祖より、
由緒も家柄も財力も戒名も屋敷も、また明治以降の有力者排出も、
圧倒的に俺のが上だと思うよ 武士か庶民かってそんなに大事でもないだろ
今上級国民できてない人みんな十把一絡げでしょ 間違えた、
天皇も秀吉の姉の子の完子を娶ってんだよ低学歴が >>455
武家だと信じたい気持ちも分からんでもないけど、筋金入りの馬鹿だね。歴史は古くなればなるほど不明になるものだよ。 >>434
流石は出自が悪い田舎者だな
鎌倉幕府の上級幹部は、どう見ても殆どが貴種だけど
出自の悪い田舎者らしいな
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) >>461
どうした、ブルブル震えて罵倒して
自分のレスの間抜けさを露呈されて、狼狽えるなよ
出自が悪い田舎者君 >>463
だからよ、それは血筋上のことだろ
さっき書いたが、源氏なんて二代目満仲からもはや血統は不明なんよ。
だから源氏の末裔ゆうても、血統上は二代目からヒニンかもしれん。
そもそも島津家ですら頼朝の隠子だった的なおお嘘を公然と詐称してら家系図にかいてるくらいだからな。
これらと、鎌倉や室町の幕府政治機構があやふやとか抜かす貴様のような馬鹿はもはや知的IQ疑う。
感情論ではなく、いったい一次資料のなにをお前は読んだの? なぜか渡辺だけ由来やいわくがはっきりしすぎ
大阪の渡辺橋あたりに住んでた、渡辺狩りから逃げてきた元清和源氏の賎民で、
渡辺綱や渡辺守綱を輩出。
家督を次ぐ長男は漢字一文字で、家に天窓を作ってはいけない。 >>464
そりゃ上級幹部は当たり前だよ小作人
室町幕府も同じだろ
江戸幕府は違うが 江戸の武士なんて殿様の胸三寸で
どんなみぶんでもなれんだが?
幕末、エタ頭だった弾左衛門は幕府から江戸市中警備および長州征伐への参加、さらに将軍護衛の任の功績から旗本幕臣に登用されてますが。
非人頭の新門辰五郎も、
幕府から江戸市中警備の任を任され、その功績から幕臣に。
娘は将軍慶喜の側室にまでなってますが
逆に庄屋名主には絶対なれなかった >>467
源頼朝はそんな事言ってないけど
源頼朝 伊勢神宮願文
これを書いている年月日は、治承6年(1182)2月8日己酉の吉日です。
良いお日柄を選んで前右兵衛佐從五位下源朝臣頼朝が、切り紙で作った御幣と砂金・神馬などを捧げ神へ奉納の為に持って、天照大神の前に敬いでおののきながら、申し上げます。
頼朝は、先祖を調べてみれば、神武天皇が初めて日本の国を豊葦原水穂に起源を起して56代目にあたる清和天皇の三代目の孫(満仲・清和天皇─貞純親王─経基王─満仲)から武芸者になり
国家を守り、近衛の役人として朝廷の権威を高めました。 それ以来、朝廷に逆らう部族たちを征伐した手柄によって、賞に預かることによって、身に余る武勇の名がとどろきました。 >>470
鎌倉幕府、室町幕府がそうなら、江戸幕府が変わるわけねーだろ
全部三河人の政権なんだからよ
江戸幕府の幹部は室町幕府でも幹部だっただろうが
つーか、あんたは出自の悪い田舎者
その田舎者が何で御託を並べてんだよ
室町幕府 三河国の日本支配構造
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 自慢は先祖、下手したら住んでる場所だけといういつもの三河クズが湧いてるな
事務次官のパパが自慢のニート引きこもりと精神性がまったく同レベルの三河(笑) 現代社会においても、三河が孤軍奮闘にしている状況で、上から目線なのは致し方ない
出自の悪い田舎者が知ったような口をききやがると、イラッともするわな
関東〜関西間の日本地図
年収1000万円以上世帯が8%を超える地域(「世帯の年収マップ」より)
https://news.careerconnection.jp/wp-content/uploads/2015/12/1202_nenshu.jpg 太平洋戦争でほとんどの家は戦争に行ったんだからほぼ戦士ということでいいだろうw
武士じゃなくても戦士だ >>472
二代満仲が父で源氏初代の経基より年上になっている系図を、その後天下人を何人も出している最高権力者の源氏が訂正もさせずに採用し続けている点、
英彦山が承平・天慶の乱における満仲伝承を有する点などをみても、
二代目以降の源氏に限りなく怪しさが漂うのは事実なんだが つか、そんな糞みてーなコピペ長文読まねーが、
三河て現代でも尾張なら超馬鹿にされてるよな
差別レベルに >>479
どう見ても、小馬鹿にされるのは尾張パゴヤだが
事実、尾張パゴヤは全国民から軽く見られ馬鹿にされているよな
平成25年度経済成長日本1位は三河県
三河県の一人あたりの総生産は日本2位
【平成25年度県民経済計算】
都道府県別県内総生産(名目 単位:円)
順位 都道府県 GDP 成長率 シェア
━━━━━━━━━━━━━━━━━
*1位 東京都 93兆1280億+1.0% 18.3%
*2位 大阪府 37兆3150億+1.2% *7.3%
*3位 神奈川 30兆2190億+1.1% *5.9%
*4位 尾張県 22兆2078億+0.7%
*5位 埼玉県 20兆6780億+2.0% *4.1%
*6位 千葉県 19兆8110億+4.0% *3.9%
*7位 兵庫県 19兆2330億+2.6% *3.8%
*8位 北海道 18兆2690億+1.5% *3.6%
*9位 福岡県 18兆1900億+1.8% *3.6%
10位 静岡県 15兆8760億+2.4% *3.1%
12位 三河県 13兆2683億+4.4%
13位 茨城県 11兆5110億▲0.1% *2.3% 三河に勝てんのか?
平成22年度生活保護率(主要自治体)
5.30% 大阪市 141,026人
4.33% 函館市 12,187人
3.74% 東大阪市 18,892人、3.63% 旭川市 12,690人、3.37% 尼崎市 15,604人、3.31% 高知市 11,380人、3.28% 札幌市 62,531人
2.94% 京都市 43,118人、2.88% 神戸市 44,225人、2.74% 堺市 22,960人、2.65% 長崎市 11,762人、2.64% 青森市 7,962人、2.46% 福岡市 35,761人
2.26% 鹿児島市 13,700人、2.09% 北九州市 20,559人、2.06% 松山市 10,646人、2.04% 和歌山市 7,547人、2.03% 川崎市 28,571人、2.02% 広島市 23,633人
1.93% 奈良市 7,044人、1.75% 名古屋市 39,501人、1.75% 熊本市 12,792人、1.75% 宮崎市 6,970人、1.65% 横浜市 60,488人、1.62% 大分市 7,618人
1.62% 久留米市 4,914人、1.60% 千葉市 15,315人、1.59% 岡山市 11,195人、1.55% 福山市 7,162人、1.53% 盛岡市 4,571人、1.53% 下関市 4,313人
1.53% 秋田市 4,975人、1.52% 高松市 6,355人、1.44% 仙台市 14,883人、1.40% 船橋市 8,389人、1.39% 宇都宮市 7,065人、1.38% 西宮市 6,646人
1.36% 相模原市 9,710人、1.34% 倉敷市 6,355人、1.33% 高槻市 4,705人、1.28% 岐阜市 5,247人、1.28% いわき市 4,406人、1.24% 姫路市 6,641人
1.24% さいたま市 14,977人、1.19% 新潟市 9,641人、1.10% 川越市 3,739人、1.09% 大津市 3,633人、1.08% 横須賀市 4,519人、
0.96% 前橋市 3,241人
0.94% 静岡市 6,713人
0.89% 郡山市 3,029人
0.79% 柏市 3,152人
0.77% 浜松市 6,276人
0.75% 金沢市 3,436人
0.63% 長野市 2,408人
0.60% 三河県豊橋市 2,278人
0.54% 三河県豊田市 2,287人
0.46% 三河県岡崎市 1,734人 愛知一宮の出身で、浅野だけど、浅野の秀吉の家来になったのが居て、
広島の大名なんだけど、浅野には沢山百姓が居て、武家か百姓か良く分からない
ほとんどは百姓だろうな ID:0yzr+MdW0はいい加減荒らすのをやめて欲しい
この手のスレが出ると必ず荒らしに来る特徴的な人物の一人だからな >>396
工部卿伊藤博文とあるな
戸長の案件が工部省トップまでいったということは
国にとって結構重要な案件だったのかもしれん
橋とか堤くらいじゃ工部(大臣)卿の判子は押さん うちの先祖は武士だ公家だ三河だいうなら
原文を工部卿の奴みたいにアップすればいいじゃん
遡れるなら明治だの江戸室町だのの文書を見せてくれよ
江戸時代に家系捏造して序文に原本焼失の為何年何月に記す、みたいな系図が多いよね そこまで拘るのもちょっとなあw
別に偽系図でもいいじゃんw
系図の捏造が頻発してた事なんてみんな知ってるんだし >>486
捏造していても江戸時代まで確実に遡れるということ
だから家系自慢したい奴は名前を隠してアップすれば良い
武士なら所領安堵の古文書を持っているはず 実際問題、三河は貴種を上げたらきりがない
里見流鳥山氏
http://d.hatena.ne.jp/soorce/20081109/p1
高:では、そのアウトラインから。鳥山明と言うのは本名ですか?
鳥:本名です。
高:珍しい名前ですけど多いんですか
?
鳥:祖母のところでは多いですよ。三河(愛知県)の幡豆はずという所ですけど。
精明山宝泉寺 祖父母の菩提寺(三河県西尾市)
http://d.hatena.ne.jp/denbei9th/20120815
>鳥山精明(牛之助)が1545年に建立 いまだに江戸時代の職分で分断工作しようなどとは、片腹痛い。
そんな階級はただのその時々の職業であって
多くの日本人は、貴族も、武士も、農民も、町民も、漁師も、などなど様々な身分のご先祖さまを経て今日があるのです。 家系図がはっきりしてるのなんて
大名家ですら島津・細川・上杉・毛利・伊達・京極・相馬・佐竹・小笠原くらいでしょ
(里見は潰されてるので除外した。真田もやや不明な点がある為に除外)
思いつく限りを挙げただけなので漏れはあると思うけど、大名家ですらこれなんだから
別に偽系図でもいいんだよw
気にする事はない 蜷川氏 (宮道氏)
室町幕府、政所執事家
元は物部氏の流れを汲むとされる宮道氏
蜷川氏は、越中国新川郡蜷川郷から発祥した。すなわち宮道式俊・親直父子は、治承四年(1180)の源頼朝の旗揚げに参じて功があり、越中国砺波・新川の両郡を領した。
室町幕府において、政所執事を世襲した伊勢氏の家臣であり、親直から数えて3代目の蜷川親当の頃より政所代を世襲することとなった
蜷川氏の当主は代々新右衛門と名乗っており、蜷川新右衛門といえば、テレビアニメ『一休さん』(1970年-1982年)に足利義満の側近で寺社奉行の武士蜷川新右エ門が登場する
宮道氏
饒速日命を祖とする物部守屋の後裔(物部氏より分かれる)と称する。ほかに日本武尊系宮道氏
発祥地は三河国宝飯郡宮道郷(現在の三河県豊川市)と推定される。
宮道天神社(三河県豊川市)
源頼朝は上洛の折、安達盛長に代参を命じ、京からの帰路、鞍馬装束を奉納 江戸時代以前から、農民の子が貴族に登りつめたり
貴族から農民になったり、そういうことが頻繁にあったのでね。 >>491
お前みたいな間抜けレスする奴を調教する為なんだが
上杉は怪しい、重房は天皇と従兄弟かハトコだぞ
そんな奴が下向してきて怪しまれないわけ無い
足利尊氏の生誕地は、徳川家康生誕地から直線距離で約1.5キロしか離れていない
おそらく足利尊氏、直義は、足利氏の大門屋敷、大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の日名屋敷で生まれた
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 俺のところは父方農民。
母方は殿様にお酒を卸してたみたいだから商人かな・・・ 最上がいるな
最上は三河国碧海郡碧海荘を本貫とした斯波氏だ
大崎氏・最上氏の祖
http://www.inn-suzuki.com/info.html
>中新田城
>斯波家兼が奥州探題に任ぜられ、三河の国からこの地方に赴任
斯波家兼
父:足利宗氏
母:長井時秀(大江広元の曾孫、室は安達義景の娘(安達泰盛の姉妹))
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠地とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。 ま、朝鮮半島の金(キム)じゃないが、
元々はゲセンな白丁(パクチャ=奴隷階級)にも関わらず、先祖を両班(リャンパン=特権階級)と偽る為、姓を「金キム」「李イ」「朴パク」等にしてしまう詐欺民族だと話にならないよな。 自分で勝手に名乗った名前で分かるわけがないでしょう 畑耕したり商売は本業で副業で武士してた人たちはどっちだろw?
地方だと専業武士の方が少なくてみんな副業武士
戦国時代でも専業武士なんて
名古屋スタートで経済力最強の織田家ぐらいしか出来なかった
上杉謙信「そろそろ農作業に兵を帰らせねば」 そもそも長い歴史から見たら人殺しせずに飯が食えた
武士なんて江戸時代の以降のチョット出の身分だろ
戦国時代があと百年続いてたら武士なんて人種はほとんど絶滅してたろ >>500
在日の通名はそりゃわかるわけないw
でも逆に通名だって炙る出されるよ
根拠のない苗字が日本には無いってことがよくわかる
どんな平凡な苗字にも長い歴史があるんだよ
わかるかな?わかんねぇだろうなぁ
イエイ >>502
武士=農村自警団でむしろ増えたんじゃねw?
平和だと帰農して純粋な農民になったりする人が増えるだろうし こういうスレってID赤い奴NGに入れた方が読みやすいな 幕末には貧しい藩では武士の身分も投げ売り状態だったからな 珍しい苗字ってだけでBやチョン認定する奴が多くてな・・・
いちいち出身確認してくる奴もいる 漢字一文字で周や龍は流石に数代遡るだけで外人だよな
秦や駒井みたいに古代の渡来人ではなくて近代の
50
25
12.5
6.25
3.12
1.6
0.8
と、4代前くらいなら日本人と変わらないだろうけど >>508
女優の綾瀬はるかの苗字なんてほぼ彼女の一族しか名乗ってない珍しい苗字だけど古い確かな名前だしな
テニスの錦織だって、ニシコリ、ニシキオリと読み方が別れた経緯まで解説されるほど歴史がある
苗字は面白いな
意識せずとも苗字名乗ってるだけで自分の過去がだいたいバレてる >>1
先祖たどったら
お前ら全部
アメーバーだろうが
何を勘違いして偉そうに 確か中沢啓治の家は、浅野藩に仕える御徒の家系。
うちは母方だけいうと、第二次大戦で廃絶した大豪農。
小作人を釘バットでしばき回して年貢を取り立ててた罰が当たって廃絶した。 >>509
うちは陶という苗字だけど、中国人だと思われてばかりだわ >>501
鎌倉時代の武家の場合、ごく一部の例外を除けば、自分で農作業までやってたわけだからね
農家や商家、それ以外の仕事をしていた家でも、財を蓄えて豊かになると、武装して武士化していってる
こうした事は戦国時代はもとより鎌倉時代でさえ起きていた
武士とその他の人達との境界線が極めて曖昧なんだよね
>>502
鉄砲による戦闘が本格化して、江戸時代には機関銃みたいなものも出来てきてるわけだから
戦国時代がもう少し長く続いて、戦闘方法そのものが変わってくると、兵農分離せざるを得なくなっただろうな
足軽や雑兵が鉄砲で撃たれて、死者の出る割合が高くなれば、経済面に間違いなく影響が出るし
農村の村落構造や農民経済に打撃を与えかねない農兵みたいな存在は厳しくなったはず
また兵士として取られて、ただ弾除けに死ぬなんて話になったら、兵士に取られた家の人達が起こるから
武家が今でいうところの軍の将校ポストを独占する事に対する不満が高まって
制度そのものが崩れた可能性もないとは言えないのかもね
嫌でも現代的な軍隊に形式が変わっていった可能性もないとは言えないかも >>513
戦国時代とかそこそこ知ってる人なら、大内氏重臣の陶氏とか居るしなあ
まあその陶氏も大本は百済系の渡来だけど、そんな所まで遡る様な話でもないし >>1
>経験から来る感覚で判断する部分もあるので、やや難しいですが、例えば、必殺仕事人の中村主水。主に水と書いて「もんど」と読ませるような名前。これは武士としか思えません。
例に出すのが架空のキャラクターてアンタ・・・ うちの母方は甲斐源氏の子孫で
皇宮警察や地元の氏神神社の宮司をやってたりと、結構な名家だったそうだ
それ故にニダーに目をつけられて
土地や財産をみんな奪われてしまったがなorz >>447
応仁の乱の後だから、幕府の力も弱くなっているし、
朝廷はもっと悲惨だっただろう。
天皇としては、金さえ出してくれれば、なんでも発給したんじゃないかな? 無名の武士より有名な庶民の方がいい。
糟谷磯丸とか。 >>450
だから、力でねじ伏せたんだよ。
どういう経緯かは別にして、松平郷を手に入れると、
中山七名とか近隣を荒らし始める。 >>519
だからダチだつーの
存牛
文明元年6月5日(1469年7月13日) - 天文18年12月20日(1550年1月7日))は、室町時代中期から戦国時代にかけての浄土宗の僧。
浄土宗総本山知恩院25世。父は三河国の松平氏宗家第四代松平親忠。号は尊蓮社超誉。諡号は高顕真宗国師。
1481年(文明13年)祖父松平信光が建立した三河国信光明寺の開山で、増上寺開山聖聡の弟子だった存冏に師事して出家。
その後父親忠が開基となり中興した大恩寺の開山で、同じく聖聡の弟子だった了暁に教学を学び、1511年(永正8年)信光明寺3世となる。
また松平郷高月院第七代住持も務めた。
1520年(永正17年)、同じく了暁門弟だった知恩院24世訓公の遺言で後継者に推されるもののこれを固辞。
しかし後柏原天皇の綸旨と知恩院門末の懇請により、翌年京都知恩院25世を継いだ。
応仁の乱(1467年-1477年)で荒廃した知恩院を再興するとともに皇室との関係を深め、後柏原天皇から浄土門総本寺と公称することを勅許され、さらに後奈良天皇より知恩教院、大谷寺の勅願を賜った。 >>523
そうだよ
地域差はあるけど、秀吉の時代に、地侍に対しては
農村を離れて指定された城下に移住するか
武士をやめて完全に農民になるのか選べというお触れが出た
この時に半士半農の家の多くは、武士の身分を捨てて完全に農民化した
詳しく知ってるわけではないが、この手の家の次男坊や三男坊は
継げる農地があるわけでもないので、城下に移住して完全に武士になった
そういう人達もいたとかいなかったとか
こういう関係で江戸時代には武家でありながら農家の親戚のいる家系が出来た そんなの見なくてもノーミンに決まってる
昔は日本だけでなく欧米も大半の人が農民 >>523
百姓兼任、、、
という意味ではなく、
大地主の豪農、兼任の武装自営団
要は名主庄屋がそのまま武装して武士化した状態。
これが本来の武家の姿。
これは世界中共通の在方領主の在りかたなんだよね。
しかし、戦国時代以降は秀吉のような土地すらない輩が大量に信長秀吉に傭兵として雇用関係による傭兵化により武士化した。
世界中で傭兵は奴隷身分が共通。
スルタンも奴隷王朝もローマ帝国も神聖ローマ帝国の傭兵も皆奴隷身分。
日本も奴隷層の土地すら持てなかったヒニン層が傭兵化したが、
島原の乱のような内乱が頻発していた日本では、身分が軽輩の下級武士以下にも切り殺したりするのを禁止したのが、日本の独特な世界で希にみる世界観の始まり >>512
>>小作人を釘バットでしばき回して年貢を取り立ててた罰が当たって廃絶した。
ワロタwwwww
お前の先祖GJwwwww ペリーが来日したとき、
下級武士は奴隷だと勘違いしていたのは有名な話 >>526
>秀吉のような土地すらない輩が大量に信長秀吉に傭兵として雇用関係による傭兵化により武士化
秀吉は確か村長の子供なんだが
富裕な農家の出て、土地すらない輩なんかじゃないよw 私の家は清和源氏、江戸老中、明治海軍中将
パリ博に日本を代表して焼き物持っていってる
代々いいモノ食ってきたから私は186pある
位が高い家は栄養価が高いモノを食べてきたから骨格が大きく背が高い 万世一系の男系じゃあるまいし、家系の中に一人や二人
武士を探せば探せるでしょ普通
ずーっと同じ一点に一族で住み続けてた人らが祖先の出自を探るっていうのは
支配階級の話か部落かどっちかの事に関心があるって事でしょ スルタンの軍団の構成も奴隷が傭兵てこと
イギリスもフランスも、
名主庄屋兼務の武装自営権を王家から認められたのがナイト。まさに日本の地侍や土豪と同じ。
そのナイトが連れる従者は皆奴隷
これが下級武士や足軽
ナイトに次ぐ身分のジェントリーは富農層だからな。 ホンモノの武家は美男美女が多い
一族の結婚式、葬式に行ったら
芸能界顔負けの美男美女、高身長ばっかりだった。 >>530
wwwww
ほんと、これをいうやつ多いよな
で、尾張中村にも、それこそ尾張に秀吉が豪農だった一級資料なんて一切のこされてないんだが?
戸籍すら探してもわからないようなレベルの雑魚が豪農だ?
話になんねんだよ >>535
あなたが露骨な嘘を吐いている人間だという事はわかった >>534
旧徳川も、旧公家も皆華奢で身長低いが?
幕末の外人ベルツが日本の顔立ちや骨格の記述してるが、
庶民層は顔が濃く堀が深くがたいがしっかりしてて、
貴族層は顔も細長く
体格も華奢だと書いてるが? >>536
じゃあ秀吉が尾張中村で豪農だった証拠だせよ 私のような高貴な出の親戚もやっぱり美男美女が多いが
中でも私が一族の冠婚葬祭に出たら「あの綺麗な子はどこの子?」「あの足が長くてスタイルが良い子はどこの子?」という声が聞こえてくる。
そしてそれを自慢げに聞き耳立ててる私の両親 ナイト
>>「地主貴族層」として扱われた。ジェントリは治安判事など地方行政職を無給で引き受け、地方の行政機構の一翼を担う
まさに庄屋名主なわけ
ジェントリー
>>イギリスにおける下級地主層の総称。郷紳(きょうしん)と訳される。貴族階級である男爵の下に位置し、正式には貴族に含まれないものの、貴族とともに上流階級を構成
ヨーロッパも土地を持たない持てなかったのは奴隷で、大地主であることが支配層の大前提
武装化はあくまで自衛権という範疇にあるもの。 医者っても田舎の鍼灸医の扱いだった何代か前は、よそから来てるんで
そっちに取りに行こうと思いつつ機会がない。
死んだ親父は、それを馬でパカパカ往診して回る医者だったとだけいってて、
あんまり真に受けてなかったが、ある時そこ地元の図書館いったら医師会史
に鍼灸医(おそらく明治新制度の医師免許以前医者だったみたいなことらしい)
ながら名前と期間があって、終期が戸籍の死亡日と一緒だったんでああ載ってるわと思った >>534>>537
中の上くらいが一番美男美女になるというな。
先祖代々よりどりみどりだしな。
それより上層だと、ブサイクな相手でも我慢しなくてはいけないという別の観点が入る。 >>543
徳川とかタダの成り上がりでルーツ的に侍では中の下だし
皇族は近親婚ばっかりでチンチクリン気色悪い顔ばっかり >>541
ジェントリーとナイトの説明が逆だった、、 >>18
過去帳ってどうやって見るの?見たことないや 尾張や三河の武士は成り上がりが多いイメージ。
渥美氏とか聞いたことないんだけど。 >>543
まあそうだな。
ただ、決定的なのは、
下層民は堀が深く、顎や体の骨格がしっかりしていた。
大名系や公家の貴族層は、顔は顎が極端に細長く骨格が下層民より脆弱性がある
というのは、歴史学者の共通認識
ベルツもそう書いている
当時の美人画も、
皆顔が細長く奥二重の薄い顔に描かれる。
美人画のルーツも、支配階層に多い顔立ちということが美人画のルーツだからな。 >>547
信長や秀吉の常備傭兵なんて成り上がりどころか下層民やヒニン層だらけだからな。 >>546
菩提寺にいって住職に頼むしかない。
しかし、今はかなり見せてくれないとこ多いよ
末裔レベルじゃ門前払い
その家の直系の跡取りでないと個人情報とかの観点か本当に難しいよ。 こういうのが差別につながるのは理解できる気がする
米国の場合はアフリカ系はほぼ先祖が連れてこられた奴隷だと思われているから、いつまでたっても黒人差別がなくならないんだな 武士も庶民もたどっていけば同じ先祖かもしれませんし 武家と比べて皇族は生命力が弱いと思う
今のナルチャン天皇も自分で女一人作れんでマサ子さんの上司に圧力かけさせたんだから 先祖がサムライらしいK1の武蔵とかいうのも背が高くて骨格が太い、顔は醜いけどね あと、顎のシャクレも支配層に異常に多かったと書かれてるから、
美人画の定義も軽いシャクレが混ざってるのは本当に支配層の顔立ちが美人画の定義だったのが分かる >>554
武蔵は本名は森。
直系の家では全くない
だから、今が江戸時代でも武蔵があの家の身分や財産を相続しついることはありえない。 判ったからどうだっていうんだ?
死んだ事務次官の息子と同じで
今現在の本人に能力がなきゃ誰もついてこないぞ >>553
つか、天皇が本当に慢性一計なら、
信長、家康、秀吉、蜂須賀の血を全て組み込まれてるオラオラ系最強遺伝子なんだが。 昭和天皇はヤガラを「ウマいウマい」言うて食うてたって、私の爺さんに聞いた。
私の曾爺さんは昭和天皇に近かったからね まあ先祖が侍だ老中だ殿様だ何だって言ってもね
事業に失敗して没落、ドカタしたり、ポルノ女優なったり色々あるよ >>561
だから、単なる血統上の末裔なら、
それこそお前らも皆日本人の3分の一兄弟だから。
江戸以降は日本は血統なんて一切重要視なんかされない。
「家」が重要視される。
その家の直接相続権を持つものだけが、身分を継承できる。
その家を継ぐものは、養子だろうがなんだろうが一切問われない。
だから秀吉も近衛家の猶子だってなれるし、
勝海舟なんて、爺さんは按摩マッサージ屋兼務の金融業だからな。その爺さんが金で旗本株買って養子にさせたのが勝海舟だし
血の繋がりなんか江戸幕府は一切重要視してないからな >>549
愛知県の被差別部落民は津島神社を信仰しているらしい。 勝海舟の爺さんの
男谷検校
>>検校は元々越後国三島郡長鳥村(現・新潟県柏崎市)の
>>>>>貧農の出で盲人であったが、
>>雪の夜に奥医師石坂宗哲の門前で行き倒れていた所を助けられた。宗哲から1両2分の資金を借りて生業を始めた所、
利財の才に長け大名貸も行うほどになった。
貧農の盲人でも金さえありゃ簡単に高級旗本の奉行職官僚にもなれる家に養子で乗っ取りできたのが江戸武士の現実なんだが さらに、
この男谷検校の一族は、
>>検校は、1769年(明和6年)に旗本男谷家の株を買い[6][7]、
>>六男・信連が水戸藩士(200石)となり、
>>九男・信陵が旗本(100石)となった
貧農の盲人の出でも、
子供は金の力で
旗本やら上級武士に次から次へとなれてますが? >>552
平安期に源平の武将に仕えた兵士とかも武士のルーツだからね
元は庶民から武士化して行った人たちも当然いるだろうし
こういう人達は仕えた武将から苗字を名乗る事を許されたりもしてるようだし >>504
インドでは未だにクシャトリアが残ってるからなんとも言えない >>534
織田家はそのようだがな
博物館とかにある実物の具足見たら、とてもじゃないが大柄な人物が多かったとは言えないぞ 俺の先祖は本家に聞けば分かるかも知れないけど絶縁されてしまったから無理。 父方は都城の百姓
祖父は次男でとても食っていけないので父が小学生の時名古屋に移住
母方は尾張藩の下級武士
とはいえ元々旱魃や冷害が殆んど無い豊かな土地なので明治維新後も何のかんのいっても食うにはまるで困っていない
祖父母やその親戚はノホホンとしていて全員借家住まいの割りにへそくりをかなりもってるのに対して父方は常に余裕がない
父は金持ちにはなれない家系の長男そのものなのでうちは貧しいままだったな >>567←こういう馬鹿が平気で歴史かたるとか、ウンザリするよ そんなん調べんでもうちの先祖は江戸時代からの代々の農民
今でもおじさんは明治に立てた家に住んで畑耕しとるし
流石に今は土間は埋めてフローリングにしたが
子どもの頃は遊びにに行くとおばさんは土間で靴履いて料理してた 姻戚側の先祖は海女ばかりの神話時代からの島出身
今でもその島行くと全員が同じ苗字で
明治に適当につけた感満載! >>547
尾張は武士でもない田吾作だが
三河が成り上がりとか、頭がおかしいのか?
三河政権たる室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動 >>574
> 渥美氏:徳川二十将、伊予西条藩家老
渥美氏は渥美重国の子孫? >>574
成り上がりが多いのは大阪なんだよね。
もともと京都への玄関口という場所にあるので、人の出入りが激しく西国から一旗あげたいやつが集まった。
歴史的に見ても流れ者の本願寺が根を張って南無阿弥陀仏の世界を作り出して支配し、次に成り上がり者の秀吉が支配した。
現代では在日が日本一根を張っている。
藤原や清和源氏の末裔が東北や関東に行ったように、由緒正しい家や有力者は
関東や東北地方や東海に行く。蝦夷の存在もあったからね 渥美重国は新羅系帰化人らしいから、
新羅系帰化人の子孫を自称していた三宅氏が渥美重国の子孫かと思っていたんだけど、違うのか。 >>389
うちの系譜は大阪夏の陣
以来戦死者は居ないけれども
俺は先の大戦で戦死したみたいな
只々そういう事だよw
https://youtu.be/aJOY0PTVoy8 >>461
完子は秀吉姉智子の孫だし完子の旦那は九條だし
天皇に嫁いだのは徳川の娘だし
何もかも間違ってないか 今上天皇の父は昭和天皇
昭和天皇の母は貞明皇后
貞明皇后の父は九条道孝
九条道孝の父は九条尚忠
九条尚忠の父は二条治孝
二条治孝の父は二条宗基
二条宗基の父は九条幸教
九条幸教の父は九条輔実
九条輔実はの父は九条兼晴
九条兼晴の母は豊臣完子
豊臣完子の父は豊臣秀勝
豊臣秀勝は秀吉の甥(姉の子 さらに戦国時代の893犯グレの蜂須賀の血も脈々と天皇に受け継がれてる >>531
上皇や陛下見りゃわかるけど天皇家は小さい
身分の高い人は立ち働かないから筋骨が発達しないんだろな
昭憲皇太后も和宮も、体格が良く健康的だからと妃に選ばれた貞明皇后ですらすごい小柄
徳川の将軍も代々150cm台が多い
昔から位の高い人は小柄が多い >>585
ひと口に百姓と言ってもな
ほとんどは小作人だったと思われる 先祖が武士と書いてるのは、話を盛ってる奴がかなりの数がいるんだろうな 家系図あるよ
過去帳もあるけどまだ見た事ないな、そこまで興味ないし >>589
天領にも武士はいる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E5%AE%98#%E4%BB%A3%E5%AE%98%E6%89%80
代官所とは、江戸時代に江戸幕府直轄の領地(支配所、天領)に設置され、代官が派遣されて統治を行う役所のことである。
江戸時代においては、幕藩体制が確立していたこともあり、代官所の規模はその支配地域と比べて比較的小さかった。
幕末の五条代官所(南大和7万石)では、代官1人、幕臣の手付3人、お抱えの手代10人(士分)しかいなかったという(他に下働きの足軽、中間はいる)。
また、在地の有力者を代官に任命する場合は、専用の代官所は設置せず代官の居宅を代官所として使用し、代官の補佐役も家族や使用人など在地の者が兼任した。
■代官所・陣屋一覧
■東北地方
陸奥国:浅川陣屋、川俣代官所
出羽国:尾花沢代官陣屋、寒河江代官陣屋、東根代官陣屋
■関東地方
下野国:東郷陣屋、真岡陣屋
上野国:岩鼻陣屋
武蔵国:岡津陣屋、小杉陣屋、世田谷代官屋敷
■中部地方
越後国:出雲崎代官所、小千谷陣屋、川浦陣屋、塩野町陣屋、脇野町陣屋
越前国:本保陣屋
甲斐国:甲府代官所、上飯田代官所、石和代官所、市川代官所、谷村代官所、谷村陣屋
信濃国:飯島陣屋、中野陣屋、中之条陣屋、御影陣屋
美濃国:笠松陣屋
飛騨国:高山陣屋
伊豆国:韮山代官所、松崎代官所
駿河国:駿府紺屋町陣屋
遠江国:黒田家代官屋敷
三河国:赤坂陣屋、島田陣屋
伊勢国:四日市陣屋
■近畿地方
大和国:五條代官所
河内国:交野代官所
丹波国:亀岡陣屋
但馬国:生野代官所、久美浜代官所
■中国・四国地方
石見国:大森代官所
備中国:倉敷代官所、西江邸代官御用所
■九州地方
豊前国:豊前四日市陣屋
日向国:富高陣屋 糞みてーなコピペ馬鹿は市ねよ
因みにその手代も在地登用代官も庄屋名主な >>594
壬申戸籍すら知らない馬鹿は逝けよ低学歴が >>586
そういうこと言えば、
戦国武将なんて全部893じゃないか?
あいつぶっ殺してシマ取るぞーって。 先祖は4分の3が商人で4分の1は庄屋
山から降りてきて商人になった祖先がいるがその人の出身地にうちの苗字と同じ神社あった
残念なことに廃神社になってるからどういう関わりかはもう分からない >>596
生まれ、門地、素性がリアル893だったということで、
893紛いではなくリアル893だったのが蜂須賀。 そのリアル893の蜂須賀は、
昭和に現代のリアル893に財産奪われ断絶したわな。
どこまでいっても染まってしまえば筋は変えられない典型。
因果応報まさにこれに極まれりだわ 父親の故郷の寺に先祖墓の一画があるけどな。東寺真言宗の寺
墓が古くなるほど小さくなるけどなw
実際聞かされてないし何してたか分からない。たいした家柄じゃないね 三河は名族が多すぎるな
三河の源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ
源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁
・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている
・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁
・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁
■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)
木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。 三河は名族が多すぎる
首藤氏(山内首藤氏)まとめ(乳母父、乳母について)
■源為義乳母父:首藤資道
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))
■源義朝乳母:鎌田通清(初代鎌田氏)の嫁
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→鎌田通清(初代鎌田氏)→政清(源義朝乳母兄弟)
■源頼朝乳母:山内首藤俊通(初代山内首藤氏)の嫁(山内尼)
首藤資清(初代首藤氏)→資道(源義家郎党、三河国の住人(尊卑分脈))→親清→義通→山内首藤俊通(初代山内首藤氏)→経俊(源頼朝乳母兄弟)
額田山内氏(三河の源頼朝の乳母兄弟の家系)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%8D%E7%94%B0%E5%B1%B1%E5%86%85%E6%B0%8F
土佐の山内氏は額田山内氏の家系としているようだが、真偽不明 三河は名族が多すぎる
三河にいた頃は藤原と称していた、室町幕府、政所執事家の伊勢氏
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継、初代伊勢氏)→盛継→貞継)
■藤原俊経(****〜1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217〜1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****〜****):初代伊勢氏・伊勢俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
・三河国滝山寺
■増恵(1209〜1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 先日、南北朝時代から続く家の人と会ってたわ
屋敷は自治体の文化財にもなってる
ガチな家柄だな 三河は名族が多すぎる
中世のスーパースター、イケイケ兄弟、高師泰、高師直
高氏所領
・三河国額田郡菅生郷、三河国額田郡比志賀郷、三河国額田郡政所、三河国額田郡矢作東宿、三河国下村中山郷雑役免(進退分十家名)
■高師氏
・父は高重氏
・右衛門尉、法名心仏
・三河国額田郡菅生郷・比志賀郷(三河県岡崎市)郷司
・永仁4年(1296)3月1日、他家に嫁していた娘の稲荷女房(法名心妙)に三河国額田郡比志賀郷を譲る(総持寺文書)
・正安3年(1301)2月15日に満性寺(三河県岡崎市)に菅生郷の土地を寄進する
■高師重
・父は高師氏
・息に高師泰、高師直
・三河国額田郡菅生郷郷司
・暦応2年(1339)に足利尊氏の命令で、三河国額田郡比志賀郷(三河県岡崎市)に八幡社とともに深恩院総持寺(現在は広祥院)建立する
■高師兼(室町幕府最初の三河守護)
・五郎左衛門尉、尾張守、刑部大輔
・父は高師春、母は高師直の妹。高師直の猶子
・高師直より、藤原冬房領三河国碧海荘三木今一色の知行保持を命じられる(建武4年(1337)5月13日付高師直奉書)
■貞円
・父は高師重、高師直・高師泰の弟
・滝山寺(三河県岡崎市)大勧進
■三郎
・父は高師秋
・滝山寺(三河県岡崎市)僧
■明阿
・父は高師泰、夫は高師冬(高師直の養子)
・観応の擾乱で一族の大半が滅ぶと、その菩提を弔うため、三河国菅生郷(三河県岡崎市)に総持寺を建立する、
・三河国菅生郷(三河県岡崎市)の旧領は、一旦足利将軍家領となり、将軍家より総持寺に寄進された
■いち
・父は高師世(高師泰の息、明阿の兄)
・明阿が三河国菅生郷(三河県岡崎市)に建立した総持寺の初代住持 父方の祖父は、村の村長(庄屋)で、祖母は、伊達の親戚の家老の旧士族だったらしい
母方の祖父も祖母も両方地主で、商人や庄屋だが、お互い末っ子だったから土地は貰えず、代わりに金融資産を残してもらったり、大学への学費を出してもらったらしい
父方の祖父が使い切ってしまって、父方の祖父の遺産はないが、母方の祖父の遺産はそれなりにある
加えて父も医師、ほかの親戚も医師・大企業管理職や役員・公務員(議員や官僚も含む)しか見当たらないので、私は生まれたときから一生お金に困ることはない家で育った。 >>4 = >>6 >= >>89 = >>98
汚らしいエラ張りブサイク整形レイプ民族チョン。
整形なしには人前に出られないほど醜悪なパンスト朝鮮顏をしてるくせに、
日本人のふりをして性犯罪を犯しまくりやがって。
朝鮮民族は、歴史的によそ様の国でも凶悪な性犯罪を繰り返してきたゴミクズ民族。
東南アジアの女性たちに最も忌み嫌われている。
ベトナムでは朝鮮人による連続強姦で生まれたライダイハンが大量発生して社会問題になっている。
日本人女性たちは戦中も戦後も、朝鮮人による性犯罪に苦しんできた。
いまも日本人女性を汚しまくってるAV男優とAV撮影者のほとんどが在日朝鮮人だ。
●●● 深刻化する在日朝鮮人の性犯罪 ●●●
http://seihanzai.tripod.com
. >>179
いいなぁ
うちは戦争中に差し出しちゃったんだよね
埋めとけばよかったのに 名族なんてどこにでもいる。
太田亮 氏の「日本国誌資料叢書」シリーズが国立国会図書館デジタルコレクションで公開されているから、
興味がある人は読んでみればいい。
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/ >>342
由緒が有れば、
自治体が調査で来るよ
置いて帰った資料に加えて
後は自分で調べる感じだなw 私の祖先は江戸老中で将軍に次ぐナンバー2ですし
明治海軍中将でナントカ平八郎の補佐をしてました
良かった先祖がくっせえ百姓や乞食じゃなくてw >>613
子孫を残せる乞食って凄く優秀な奴ではないだろうかw?
昔は家督持ち以外は独身が非常に多い(家老でも次男や三男クラスは…) >>614
江戸時代は、芸人も乞食とされていたからな。
乞食ってのを貧乏して物乞いするしかない人ってイメージだけでは語れんと思う。 >>613
ナンバー2は徳川一門の御三家や御三卿だろう
将軍の次ではなく譜代大名の最高ポストが老中(大老は常時職ではない)
例えば幕末の老中阿部正弘は徳川烈公どころか松平春嶽にも頭が上がらなかったろう? でも朝鮮人はとりあえずなりすましますよね
在日はみんな自称王族の末裔とかほざいてる、バカなのかな朝鮮人 >>584
蒲郡は鵜殿かな
大した氏族はいないが
実は三河の源頼朝は、蒲郡の神官の息子との伝承が熱田神宮に残っている
由良御前は、蒲郡市の八剱神社の神官だった季兼の長男、季頼(三河五郎)の娘であり、弟の季範の養女になった
系図をまとめるとこうなる
藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季頼(三河五郎季頼、八剱神社(三河県蒲郡市)神官)→由良御前→源頼朝 関係ないが新撰組やら有名武将やらはいったい何分割されて生まれ変わってるんだろうね 母方のばあちゃんの先祖が琉球王尚泰の私生児で父方のばあちゃんの先祖が滝川一益
母方のじいちゃんの先祖は倭寇で父方のじいさんの先祖は百姓
うーん ご先祖様は伊勢から江戸に出て享保時代に財を得る。
そののち御家人株を手に入れて、以来田中を名乗る。
嫡流は旗本の下司になり下野真壁に土着するも
その後ルーツの商家は没落し、その家から出た一族が
同心田中家として幕末まで残存、行状が悪かったのか
千住同心として幕臣を終える。維新後はひたすら貧乏に暮らす。 >>613
その経歴おかしくね?明治海軍の司令は鹿児島出身の薩摩閥
ばかりだし、東郷が中将から大将になったのは日本海海戦直前。
江戸老中の血筋なんて日本海海戦後の司令に居ないだろ。 阿部ちゃん一族の墓は、もちろん三河だわな
願照寺(三河県岡崎市)
https://gamp-ameblo-jp.cdn.ampproject.org/v/s/gamp.ameblo.jp/sanokomakota/entry-11342233750.html?amp_js_v=a2&amp_gsa=1&usqp=mq331AQA#referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s 阿部ちゃん一族の墓がある長瀬地区は、後に世田谷の吉良さんに繋がる足利義継(長瀬四郎)も輩出した
有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所
■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い
■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む
■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む
家康入城前の江戸城主は富永直勝
三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼 家紋で百姓なのが丸わかりのはずなんだが
何故か江戸で剣術道場やってる処の家紋も同じなので微妙 五代目古今亭志ん生が徳川直参旗本の子孫で驚いた
何か風雅な感じもしてたが 遡れても江戸時代以降だろ明治の記録はデタラメであてにならなあとで作ったものだ 大室寅之祐が皇族にはいってるんだろどうせあいつは朝鮮部落民だよ 寺の過去帳もいくらかわたせば好きなようにかいてくれたそうだ頭使ってDNAやろう >>624
日本海海戦に出征し老中を輩出した家はあるよ
堀田正路(子爵家)と小笠原長生
小笠原は中将まで登り東郷の番頭といわれた
坂の上の雲では入院中の真之のところへ小笠原が自分藩の水軍書を持ってきて
それが丁字戦法につながったというくだりがある
小笠原の直系尊属だとしたら殿様だが子爵家を継いでない子供の家系だろう 母方が能登地方の天領の庄屋だったが、さらに古い時代の記録や刀などが数多く残されてて、どうやら蓮如上人のスポンサーみたいなことをやってたようだ。
あの辺は農民でも日本史に関わるような物騒な活動をしていたのかな?
世界史選択でほとんど知識がないんだが、好きな人からしたら興味深いものがあるらしい。 >>625
誰も読まねー糞コピペ三河馬鹿よ、
なんでもいいが、お前の先祖なんやねん? はよ言えや笑
有名人の出生地なんかど〜でもえーわボケ
ましてや三河なんぞだからなんやねんカス
てめえの直系先祖の身分なんやねん笑
遡ればホニャララとか他人の家語んじゃね〜ぞ 能登の名族と言えは長氏
長氏の祖、長谷部信連
長谷部氏は、実は三河の古族、長谷部氏(三河国碧海郡長谷部)
長谷部信連の親父は、三河国長馬に住んでいて、長馬新大夫と名乗っていた え〜から他人自慢なんか切々とせんで、
てめえの直系先祖の身分語ってみろや
はよ、他人自慢とかお前と一切関係ねんだよ雑魚
ましてや三河でお前なんの価値あんねん?笑
てめえの直系先祖は、その三河から虐げられてたんやろ笑
どMかよ気違い爺がwwwww >>643
いやいやいやいや、
関東なんか、秀吉の関東征伐前までは、
鎌倉からの名門武士団が在地に地侍やら土豪がひしめき合ってたが、
後北条が滅亡してから、これら在地の名門武士団はことごとく帰農してるから、
関東の庄屋層は超名門武士だらけだが。
もう江戸の武士とは由緒が月とすっぽんだよ
例えば 90%以上が平民なのに
サムライジャパンはおかしい。
平民には平民の魂がある。
武士道精神なんて滅びゆく精神なんだよ >>638
北陸は浄土真宗の多いとこだし
戦国時代には浄土真宗(もとは一向宗)は武力化?して織田信長とやりあったりしてた
その流れというかなごりじゃないかな 関東には暴力団(武士団)が多くいて
そいつらが、国を統治したもんだから
日本の中世は低脳暗黒時代となった 能登の名族、吉見氏
吉見氏の祖、源範頼(三河守)
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する 皇后雅子さま、ルーツは佐賀 母方の高祖父が佐賀藩士
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/384802
皇后雅子さまのルーツは、佐賀に−。
歴史研究家の川口素生(すなお)さん(57)=兵庫県=が、
雅子さまの母小和田優美子さん(旧姓・江頭)の家系は佐賀藩士に行き着くとする著書
「新装版 小和田家の歴史」(KADOKAWA)を発表した。
川口さんの取材によると、母方の家系をたどって判明した最も古い先祖は、
高祖父に当たる佐賀藩士・江頭嘉蔵。「手明鑓(てあきやり)」と呼ばれる身分だったと考えられ、
明治維新後は旧制佐賀中学校(現・佐賀西高校)で校務員として働いた。
その次男で、雅子さまの曽祖父、江頭安太郎海軍中将は、旧制佐賀中学校を経て、海軍兵学校を首席で卒業。
遠洋航海から帰国後、明治天皇の前で講演しており、これが皇室と江頭一族との初めての接点だったという。
その安太郎の三男で、雅子さまの祖父に当たる豊氏は東京帝国大学を卒業し、日本興業銀行に入行。
常務取締役大阪支店長を務めた。その後、新日本窒素肥料(現・チッソ)専務に転じ、社長、会長として経営再建に務めた。
著者の川口さんは「江頭一族の人々はみな努力家」と評価する。
中でも、異例のスピード出世を果たした曽祖父・安太郎の語学力を挙げて
「雅子さまの卓越した語学力は、母方の血筋に負うところも少なくないのではないか」と指摘している。
また、母優美子さんのいとこには、文芸評論家の故・江藤淳(本名・江頭淳夫)がいる。
江藤は小説「一族再会」の中で自らのルーツが佐賀にあり、佐賀市北川副町木原を訪れたエピソードなどをつづっている。 >>647
関東土着は全く日本を統治してないね
統治し君臨したのは三河
【三河最強伝説】
■源義家軍
総大将:源義家
本体:三河武士(郎党1 兵藤正経 三河国住人、郎党2 伴助兼 三河伴氏 三河国住人)
■源頼朝軍
総大将:源範頼(三河守)
本体:三河武士
■足利尊氏軍
総大将:足利尊氏(三河守護(但し当時は喪中))
本体:三河武士
■徳川家康軍
総大将:徳川家康(三河守)
本体:三河武士
■トヨタグループ
総大将:トヨタ自動車
本体:三河武士 >>644
>>643の中家は元は足立氏と書いてあるので武蔵国足立郡の人が祖じゃないの? 関東の庄屋層
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/一色義直_(幸手一色氏)
幸手城主
超名門 室町幕府五職家筆頭 一色家
兄 →一色義直 (高家旗本5000石)
>>後北条家が滅亡すると
天正19年(1591年)、徳川家康に仕え、
>>幸手5,160石を賜り、大身旗本となり旗本幸手一色家の祖となった
弟→ 一色政義 (名主)
弟政義はこの時渡辺を称し、上川崎に土着した。
この時に築かれたのが渡辺氏屋敷である。
江戸期に入ると、渡辺家はこの地方の名主として栄えた。
※超名門武家一色家レベルが関東の名主にはゴロゴロだから。
半端ないですよ関東庄屋は超名門だらけ 農民や商人が武士になったケースもあるから。
勝海舟だって祖父は越後から出てきた按摩さんで
金持ちになってから御家人株を買った家柄。 >>638
そりゃ、そういう田吾作も居ただろうが
日本の中世史近世史から省いても何ら問題無いな
存在価値ゼロ、語る価値ゼロ
日本の歴史(中世〜近世)
◆鎌倉幕府(1185〜1333年)◆
【勝者】源頼朝:藤姓熱田大宮司一族(本貫地/三河国額田郡乙見)
・藤原季兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮宮司)→由良御前(源義朝の室)→源頼朝
◆室町幕府(1338〜1576年)◆
【勝者】足利尊氏:三河守護
・足利将軍家以外では、足利一門として吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)、今川氏(本貫地/三河国碧海郡今川)、石橋氏(本貫地/三河国設楽郡石橋)が将軍継承権を有した
・守護職は本貫地を三河国にする者が最大人数
・奉公衆(江戸幕府の旗本に相当)は、本貫地を三河国にする者が最大人数、又三河国の奉公衆も最大人数
◆応仁の乱(1467〜1477年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・ ”東博本洛中洛外図”には当時の権力者として細川氏邸、額田氏邸(細川氏被官)が描かれている
◆明応の政変(1493年)◆
【勝者】細川政元:細川京兆家(本貫地/三河国額田郡細川)
・半将軍と呼ばれ、幕政を完全に掌握、事実上日本のトップに立つ
◆関ヶ原の戦い(1600年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
◆江戸幕府(1603〜1868年)◆
【勝者】徳川家康:本貫地/三河国加茂郡松平
・大名の5割が三河国出身
・附家老の8割が三河国出身
・旗本の4割が三河国出身、高家筆頭は吉良氏(本貫地/三河国幡豆郡吉良)
◆大坂の役(1614〜1615年)◆
【勝者】徳川家康、徳川秀忠:本貫地/三河国加茂郡松平 地元に先祖代々の墓があって小さいときから自分の家の出自について親と会話してるだろ
自分の先祖が江戸時代何やってたかもわからんって、どんな育ちなん? >>655
ずーっと江戸やら大坂やらの町方でその日暮らし、
大工や中居やぼて振りとかだとわからんかもなぁ
田舎のほうが残ってるからわかるんじゃね?
うちは田舎の農家と海人が祖先 >>655
豊田市の鈴木さんかな
トヨタパワーは源為朝パワーの可能性がある
三河の鈴木さんは、日本史上のスーパースター、源為朝の遺伝子を引く
そして、その源為朝の遺伝子は徳川家康も受け継いでいる
■熊野国造家 和田家系図より
松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘
・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康 父方にアイヌがいて
母は沖縄出身
家族全員顔と体毛が濃い!! 長文コピペを連投している人はパラノイア?お大事に。 神主と僧侶と皇族でたった1%か
それにしてもうちの田舎の神主は
なぜかB出身で有名だったが… >>655
江戸時代まで遡れる墓が残ってる家はごく少数なのは常識レベル
そんな事も知らん池沼なのか >>660
関東にそんなもんはいない
江戸期でさえ、江戸城内とは無縁
日本の全てを決めてきた田舎者憧れ山手線内、江戸城中の人
■関が原の戦い以後に生まれた三河譜代藩主の老中
【三河県幸田町】三河深溝藩
・板倉重矩(1665年 - 1668年、1670年 - 1673年)
【三河県田原市】三河田原藩
・戸田忠昌(1681年 - 1699年)
【三河県豊橋市・豊川市】三河吉田藩
・小笠原長重(1697年 - 1705年、1709年 - 1710年)
・久世重之(1713年 - 1720年)
・松平信祝(1730年 - 1744年)
・松平信明(1788年 - 1803年、1806年 - 1817年)
・松平信順(1837年)
【三河県岡崎市】岡崎藩
・水野忠之(1717年 - 1730年)
・松平康福(1762年 - 1788年)
・本多忠民(1860年 - 1862年、1864年 - 1865年)
【三河県刈谷市】三河刈谷藩
・本多忠良(1734年 - 1746年)
【三河県碧南市】三河大浜藩
・水野忠友(1781年 - 1788年、1796年 - 1802年)
【三河県西尾市・豊田市】三河西尾藩
・松平乗完(1789年 - 1793年)
・松平乗寛(1822年 - 1839年)
・松平乗全(1845年 - 1855年、1858年 - 1860年) >>655
分からなくても気になんてしていないだろうし、何か困る訳でもないし、それはそれでいいと思うけど
人それぞれ。他人をとやかく言う事でもないでしょ 甲斐とか美濃みたいな昔の国名?だった苗字の人は武士なの? >>660
平安からの超名門関東武士団は、
秀吉によりことごとく帰農。
その後名主に。
明治維新後は戸長や村長になり、地方自治体の長に。
その後は現総理大臣は庄屋名主だらけに 関東武士に、名門臭は全くせなんな
三河政権たる鎌倉幕府の支配層一覧(三河つながり優遇)
【鎌倉将軍】源頼朝(母方:藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
■将軍御一家(頼朝姻族、頼朝女系の一族)
・足利氏(下野国足利郡足利)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))の家系
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
・一条氏(藤原北家中御門流)←頼朝同母(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市))姉もしくは妹(坊門姫)の嫁ぎ先の家系
■御由緒家
・安達(小野田)氏(三河国八名郡小野田、三河県豊橋市)←安達(小野田)盛長は頼朝幼なじみ
・足助(賀茂)氏(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)←源頼家に室を出し、生まれた息が源実朝を暗殺した公暁
・比企氏(武蔵国比企郡)←頼朝乳母(比企尼)の家系←源頼家に正室を出す
・八田氏(常陸国八田郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系←八田知家の猶子である中条家長は高橋荘(三河国賀茂郡、三河県豊田市)地頭
・結城氏(下総国結城郡)←頼朝乳母(寒河尼)の家系
■門葉(鎌倉将軍と血縁関係がある源氏)
・源範頼(三河守)←頼朝異母弟
・源広綱(駿河守)←古井城主(三河国碧海郡古井、三河県安城市) ←太田道灌の先祖
・平賀義信(武蔵守)
・山名義範(伊豆守)←実父は矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・大内惟義(相模守)
・足利義兼(上総介)←母親が頼朝母と姉妹(藤姓熱田大宮司家(三河国額田郡、三河県岡崎市)
・加賀美遠光(信濃守)
・安田義資(越後守)
■執権・連署
・北条氏(伊豆国田方郡北条)←頼朝正室の家系、政子の父・北条時政の母は伴為房の娘(三河伴氏)
■政所(一般政務・財政を司う機関)
・大江氏←初代別当の大江広元は牛田城主(三河国碧海郡牛田、三河県知立市)
・二階堂氏(相模国二階堂)←初代令の二階堂行政は、母親が頼朝祖父(初代藤姓熱田大宮司(三河国額田郡、三河県岡崎市))の妹
■侍所(軍事・警察を担った機関)
・和田氏(相模国三浦郡和田) >>668
旧国名を苗字として背負っている人達は、その多くが古代豪族で国造(くにのみやつこ)の子孫の人達 なんでもいいが、この糞長文コピペ嵐、
超絶うぜんだが。
他でやれや 俺の先祖は清和源氏や桓武平氏や藤原北家や饒速日命などいる。旧士族。
俺の祖父の前妻の実家は某藩の上級武士の子孫。俺の曾祖母の実家は源義経の家臣の子孫。家系の先祖は鎌倉御家人の子孫。俺の血統上の男系の先祖は清和源氏。
もっぱら武家なので明治時代以降は軍人やるしかない。現在は下級国民。 由緒正しき水飲み百姓
余りにも貧しくて離農
大陸に渡るも
敗戦で
無一文w >>674
足利将軍家、徳川将軍家の家臣の三河の生田氏がいるね
日清製粉の正田家の元の姓は生田だが、三河の生田氏と被るから正田に変えたらしいな
三河国生田郷(現愛知県)発祥の武家、生田氏があった。清和源氏という。後伯耆国へと移ったものがあり、鳥取県の生田姓はこれとも関係があるか。江戸時代は長州藩士となる。 掲示板に来て先祖自慢する人間は大名だろうが公家だろうが源氏だろうがリアルでは漏れなく落ちぶれている。そういう事 >>660
関東の名門は今は何してるのか?
俺の家系の先祖は鎌倉御家人で関東の名門と呼ばれた人物を先祖にしているが
北条家に滅ぼされて東北に追われて東北の過疎地に神社建てて
分家を全国各地の武将に成り上がらせて本家はぽつんと細々と生活してて
江戸時代になってから俺の家系が分家してようやく俺んちが藩士になれたが
神社やってる本家は細々生活で分家の方が武士になって栄えた で、ザイニチとB落民が判明したら、どうすればいいの? おまえらのイメージのなかでは、学習院いっててとかの次元なんだろ?
武士の子孫って今はキラキラネーム当たり前やで?
昔は学習院行ってるの多かったかもな
でも今の学習院はそういうものじゃないだろ
サンドウィッチマンの伊達みきおみてみろよ
あんなもんや 正田家の先祖は新田義貞の家来らしいから、元は三河の生田氏かもしれんな
三河には新田義貞の子孫もいる、それが三河熊谷氏の熊谷貞直だ
三河国八名郡(現・三河県新城市とその周辺。豊川の東岸)の宇利城を有した熊谷氏は、熊谷直実の末裔であるとしている。
宇利城主熊谷氏は、松平清康に城を攻められて敗れたが、支族の多くは三河発祥の近世大名の家臣となっている。その中でも特に有名な一族が、徳川家康の重臣であった高力清長ら一族を輩出した高力家である。
三河熊谷氏系譜
直実 ━ 直家 ━ 直重(三河熊谷氏祖) ━ 女(常盤:新田義貞室) ━ 貞直(信州坂部熊谷氏祖)
三河は名族が多すぎる 俺もサンドウィッチマンの伊達みきおと同じ先祖いるで、
先祖のなかに藤原北家あるけど、伊達氏の流れや >>661
お前の時代背景すら全く出鱈目とわかる低学歴の文で釣れると思うか?
もっと偏差値あげろや >>683
武士ゆうても江戸は将軍から足軽中間までいんだよ
下級武士以下は屯田兵やら人力車夫やら職人だらけだが? 聞いたけど頭に残らないから
大した先祖ではなさそう
俺自身もボロだし 仮に100年間で3世代とすると、爺さん婆さんの数は4人だ。
200年で6世代とすると、先祖にあたる爺さん婆さんの数は32人
300年で9世代とすると、256人
400年で12世代とすると、2,048人
500年で15世代とすると、16,384人
600年で18世代とすると、131,072人
700年で21世代とすると、1,048,576人
800年で24世代とすると、8,388,608人
900年で27世代とすると、67,108,864人
1000年で30世代とすると、536,870,912人
平安中期の1000年前に
自分らの祖先は理論的には5億人以上存在してるわけで、
つまりそれはその当時の全員の遺伝子が今の自分に受け継がれてるって事。
先祖が武士だの何だのって、なんの意味も無い。
だから故に、ワンルールで家系を残す天皇家(神宮)や千家(出雲大社)って凄いわけよ。 >>683
伊達みきおは工業高校だろ
てめえはいい加減出鱈目ばっかほざいてんじやねえよ >>689
だからよ、江戸幕府は血統なんか一切重要視なんかしてないだろ
身分も家柄も、家単位に与えられてるから、
養子でもだれでもオッケーだし、
だがその家の直系の人しか身分も家柄も世襲できない。 だから、遡ればホニャララとか、
全くそんなの他人なんだよ
遡ればだれでも繋がるわあほくせー。
こいつら、直系じゃねえから、血統ばかり遡ぼるしかできない。
で、遡ぼったところで、お前の家とは赤の他人やろってな。
馬鹿が。 >>617
東北出身の焼肉屋の息子も同じこと言ってたわ。 俺の先祖は尾張国海部郡出身だから漁業従事者だと思う。 俺の先祖のなかにのぶやぼに出てくる戦国武将がいる
歴史では某戦国大名家に謀叛を起こして一時牛耳ってた悪者扱いだが
某戦国大名が暴君過ぎたから、隠居させただけなんだよね
俺の先祖は良い人 大内や長曽我部やら陶やら西国も、
始皇帝の末裔とかほざいてた中2全開の気違いがいっぱいいたな >>131
三河に鎌倉期の先祖の墓があるから、三河にいた菅原氏なんだろう
前田利家の出自の鍵は三河にある
家康が伊賀越えの際、三河に上陸し滞在した寺には前田利家の先祖の墓と伝わる鎌倉時代の墓があり、その事情を家康は把握していた
この清浄院の隣の寺には前田利家の伯母さんの墓もあるらしい
前田利家の先祖の墓がある清浄院(三河県碧南市)
http://s.webry.info/...1406/article_10.html うちの祖先、あえて名前は言わないけどかなり有名な武士の末孫らしいんだよね
すげー古い墓にそれらしき1文が書いてある
探偵ナイトスクープに依頼すりゃ調べてくれるのかな 農家系と商人だ
でも農家というか庄屋だけど一族には武士になったのがいるらしい 前田利家の先祖の墓が寺のすぐ近くで生まれたのが、長田忠致の兄の子孫で在る永井尚勝だ
その長田氏の血を引くの永田徳本、トクホンチールな
長田=永田
三河の永田さんは、元は長田氏な
永田徳本
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%94%B0%E5%BE%B3%E6%9C%AC 俺の祖先は10万年ほど前にアフリカで誕生したらしい 葉室麟が武士に憧れて葉室とペンネーム付けたとか最近知った
本名かと思ってたわ 三河で「永井」といえば海苔屋
三河で「永田」といえば仏壇屋 永井直勝は忠致の兄の家系
その兄貴は乳母が住む三河の碧南に逃げて、源頼義創建の神社で神主になった
直勝の子孫が遠山の金さんと三島由紀夫だ
そして長田忠致に義朝と一緒に殺された鎌田政清の子孫と称したのが、旗本の深津氏
豊田には今でも子孫と称する深津さんが住んでいて、トヨタ本社近くには、その関係者建てたと思われる鎌田政清の墓もある
なんで豊田かと言うと、鎌田政清の祖父は豊田にいたらしく、その所縁らしい >>705
葉室っていうと、どちらかというと公家のイメージだが。 そうだ、葉室顕隆の正室は三河の源頼朝の祖父の従兄弟で院政期、鎌倉期は三河守になった家系だ
顕隆の息子に養子入りしたのが、三河守俊成だ
三河の藤姓熱田大宮司家
・家祖:藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)
・系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))
☆源頼朝、★足利義兼
藤原実範
・藤原成季
・藤原季綱(三河守)→@へ
・藤原季重
・藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→Cへ
・藤原行綱
・興義
・実慶
・三位女→高橋惟康(伊勢新二郎大夫、三河国加茂郡高橋庄(八条院領目録にあり)領主)
@藤原季綱
・藤原友実→Aへ
★藤原実兼→藤原通憲(信西)
・藤原悦子(鳥羽天皇乳母)→葉室顕頼(三河守)→藤原俊成(養子、三河守)
・他多数
A藤原友実
・藤原能兼→藤原範季(後白河院近臣、順徳天皇の外祖父、源範頼養父)→Bへ
・女子→源頼政(上西門院に出仕、伊豆守、源三位)→C
・他多数 >>711
公家から見れば、武士も庶民だな。
ようやく大名レベルで従五位下。
これで一生終わるとなると地下人だね。 どうもうちの先祖は関ヶ原の西軍側にいた武将の傘下にいたと思われるが、敗残から逃げ帰ってどうしたかは知らないが最終的に帰農して代々続いて今に至ってるみたいだ。
地域に残る伝承とか断片情報を集めるとどうもその辺が有力と思われる。 >>711
そりゃあ変わんねえよw 流動してるだけだから。日本は比較的持ち回りの社会だった
特に室町期に入って悪党や足軽が出現し、才覚さえあれば武士になれた
固定してのは江戸期に入ってから 公家は大方が貧乏だぞ
維新後摂家クラスでも平民の金持ちに嫁入り婿入りさせて食つなぎ
高位じゃない公家の娘は芸者や妾になったり
まあ武家の娘も同じだけど 本家が旧天領にあるけど、江戸時代までしか遡れないんか
室町とかから知りたいわ、先祖に野盗の汚いオッサンとかいてほしい >>1
江戸時代も半ば以降になると、武士の身分を金で売り買い出来たんだからこんなの意味なくね?
農民や商人でも金を出したら武士になれたんだから 渋谷隆一編『明治期日本全国資産家・地主資料集成』
渋谷隆一編『大正昭和日本全国資産家・地主資料集成』
この辺に載っていればまずは旧家の部類 武士の場合、宅間のようにネトウヨ化傾向が強いから注意。 >>713
島津、伊達など国持ち大名クラスは正・従四位ほど
御三家や前田で従三位ぐらい
徳川将軍は正・従二位前後 >>720
宅間も、先祖を遡ると薩摩の下級武士だと言い張ってたよな 私の先祖は
秀吉の朝鮮出兵で朝鮮で戦ったし。江戸老中の子孫
パリ博に有田焼を日本代表で持っていきましたし
明治海軍中将でシナ、ロシアと戦いました。
ホンモノのサムライジャパンです。
日本人の9割百姓や乞食の子孫のくせに
一丁前にサムライ精神だの大和魂だの言ってるの鼻で笑っちゃいますw そして落ちぶれた子孫は最果ての地、5ちゃんねるに流れ着いたのであった
アーメン >>38
その藤原さん達で現在でも藤原を名乗っているのはいないね
現在の藤原さんは下っ端藤原さんかある時期で勝手につけたかどっちか 自分自身の頭の悪さや品性の無さを
先祖の出目で帳消しにすることは出来ないぞ
>>723が証明してくれている 遡れば全員農民とか漁民とか山賊だろ
どのタイミングで武士になったかだけの違い 明治生まれのお婆さんの尋常学校(小学校)の成績表があるんだが、名前の横に「士族」と書いてある。
成績表に身分書いてたんだなぁ……
まあ、そういうのが無くなったのは良いことだと思うよ。 >>723
老中になる家格の家康家臣が朝鮮へ出兵はしていない
小笠原貞頼は老中の家系ではないよ
そしてお前は老中の直系尊属ではないし曽祖父が華族でもないじゃん
古事記でこどおじじゃん >>730
> そしてお前は老中の直系尊属ではないし
そこは「直系卑属ではないし」としなきゃ >>608
ネトウヨさんたちって、会ってみるとほとんどその「えらはり顔」してるんだってね。
ヒットラーってユダヤ人だって言われてるけど、やっぱ同族嫌悪なんだね。 汚らしい百姓乞食の子孫がギャアギャア言うててワロタw >>713
日本には公家までいたから、武士の世の中になっても、名になった武士が完全に貴族化するところまではいかなかった
武士と農民との境界線は曖昧で、農民が武士化する事が可能であった上、江戸時代に身分固定がされても、武士の身分はお金で買えた
その江戸時代の大名の身分でさえ、旗本や御家人からの抜擢でなる人が出てるし、絶対になれないものではなかった
そういう意味で日本は普通の貴族社会を殆ど経験してこなかった特殊な社会って事になるのかね >>271
> ことにわが郡は今川氏の領土となつたとき、其の参謀に禅僧雪斎長老があつた為め、
> 宗派の上に大動揺を来すことになつた。
俺の地元も今川氏の領土だった時期があるから臨済宗の寺があるのかな?
俺の地元は一向一揆を起こした地域で今でも浄土真宗の信者が多いから臨済宗の寺があるのは変だと思っていたんだ。 >>729
どこだよ
家にも明治期の名簿載ってるけどそんな記載はない 第二次世界大戦でA級戦犯として処刑された松井石根の家は代々尾張公に仕えて町奉行や普請奉行を勤めていたらしい。 >>738
A級戦犯の板垣征四郎の祖父は盛岡藩の重臣で
戊辰戦争の責任を負い東京増上寺に幽閉されている
死刑にならなかった木戸幸一は桂小五郎(和田氏)の妹が母だから
毛利元就の血が母系ながら入っている >>736
https://i.imgur.com/uIFy0NS.jpg
初学第三読本が何か分からんが編輯者(編集者)の名前に東京府士族と書いてあるな
当時の新聞は士族何某や平民何某と書いてあった >>722
ご先祖様も泣いてるだろうな。
年端もいかない児童に何たる所業。
薩摩武士の名折れだよな。 >>742
あ?
武士て将軍から足軽までのどれがよ?
庄屋のがよほど知識階級なんだが?
無知は黙ってろよ 遠回しに先祖自慢してる人が多いな
自分の功績でもないのに日本スゴイしてるのと同じか 江戸時代にアンコールワットまで行って祇園精舎と勘違いして落書きしてきたアホな日本のサムライのドラマ作ってください 因みに戒名でも分かる
下級武士は信士 (絶対居士はありえない)
上級武士、庄屋名主は居士
藩執政、大庄屋は院居士
大名 院殿居士
待遇や家格は下級武士より庄屋名主のが上に設定されてた事実はどうすんの? >>749
庄屋名主は藩勤めより格は上だよ
在郷豪族で元は武装集団で国人だろw 浄土真宗が田吾作宗教とかアホか
そんな事を言う奴は田吾作だ
いいかよく聞け、親鸞のかーちゃんは源義朝の娘だ
と言う事は親鸞は源頼朝の甥っ子にああたる
源氏が深く関わる一派だ
吉見氏の祖、源範頼(三河守)
■正法寺(三河県豊川市赤坂町西裏69)
創建年:弘仁7年(816年)
開基:万巻上人
中興:了信坊(源範円)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧侶)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)
正法寺の創建は聖徳太子が赤坂の地を訪れた際、太子堂を建立したことが始まりと伝えられている
弘仁7年(816)、万巻上人が病により太子堂で亡くなったことから、上人を開基と定め寺院として開山する
当初は天台宗の寺院でしたが貞永元年(1232)に親鸞が太子堂の参拝に訪れた際、当時の住職範円(源範頼の子息)が親鸞に教化され浄土真宗に改宗する >>749
>因みに戒名でも分かる
わからんよ
母方は下級武士だが叔父は戦死したので「居士」を贈られた
父方は、平民だが、おやじの奴、見え張りやがって「居士」にしろと遺言、
いい迷惑だったぜ(お布施が高くなる) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています