https://news.yahoo.co.jp/byline/tokurikimotohiko/20190607-00129136/

■炎上騒動が起こったときには、組織の常識は通用しない

正直な話、私は昭和生まれの40代ですから。
冒頭に書いたように、最初に転勤についての告発のツイートを見たときには、「大企業ではよくある話だな」
程度にしか思いませんでした。
昭和の時代の常識が、令和の今も続いていくべきかに異論がある人が多いのは当然だと思いますが、
大企業においては人事は基本的に「絶対」になりがちです。
大企業の中での部署異動は、誰かが異動したら、当然その人の後に別の人を連れてくる必要があるわけで、
1人がごねたら、大勢の人事に影響が出てしまいます。
私が昔勤めていた会社でも、昔は地方転勤の辞令が一週間前に出ることもあったそうですし、家を買ったり
こどもが生まれたタイミングで、転勤の辞令がおりてしまい、泣く泣く単身赴任になった人もいたと聞いてます。
ある意味、そういった人事異動が普通の会社にあるのであれば、それが普通である以上、ある程度そうした人事には
従わざるを得ませんし、それが嫌なら辞めればいい、というのが第三者からの俯瞰的な見方でしょう。
実際に、今回の元社員の妻の方のツイートが注目されたタイミングでは、ツイッター上での意見も割れていたように思います。

ところが、その後ワークライフバランスのページが削除されていた疑惑がでたり。
騒動に言及せずに、ページの削除だけを否定するコメントがでたり。
メディア対応で記者に対して何も認めない一方で、社員には一部認めるメールをしていたり。
法律的視点での組織の正しさだけを主張するコメントを発表したり。

と、徐々にカネカ側の弁護士的対応がされる過程で、世間の印象は、大きくカネカ批判の流れに傾いてしまいました。
ある意味では、日本における昭和的な人事制度の常識の問題点が、今回の騒動で一気に吹き出した面もあると思いますし、
カネカの方々は不運だったとは言えると思います。
ただ、やはり昭和の世代の常識は、もう令和に入った今の時代においては多くが非常識になっていると考えるべきなのだというのが、
今回の騒動で私たちが学ぶべき教訓だと思います。

今後のカネカの印象を変えることができるかどうかはトップの判断次第

今後カネカの経営者の方々には、二つの選択肢があります。
一つは、昨日6日の発表コメントを公式の最後のコメントとして、今後は一切口を閉ざすこと。
もう一つは、これまでのカネカにおける「常識」を一度根本から見直して、社員の皆さんのためにもこれからどういう会社に
なるべきかを真剣に議論し、なんらかの形で真摯に世間にも説明することです。
過去に炎上したPCデポやウォンテッドリーは、前者の対応を選択しました。
これはこれで、時間とともに炎上状態はマシになりますし、時間が経てば騒動を忘れる人は忘れてくれます。
ただ、一部の人は騒動をうやむやにしたことを忘れませんし。
ネット上にはそのキズが残ります。

一方、過去には後者の本質的な対応を選択し、炎上をきっかけに大きな飛躍につなげることに成功した企業も存在します。
異物混入で炎上した後、徹底的な再発防止対策をして復活した、まるか食品のペヤングの事例は有名ですし。
トヨタが、プリウスのブレーキ問題において、最終的には豊田章男社長が自ら米国の公聴会で謝罪をし、その後販売店や
工場の従業員を集めた会合やテレビ局のトーク番組にも生出演するなど、
あえて厳しい場にも社長自ら出ることによって積極的に謝罪を行い、世間のムードを大きく変えることに成功したケースもあります。

炎上したときに本当に重要なのは、弁護士的な法的知識や法的な正しさで相手を論破する能力ではなく。
社長としてはありえない弱みを見せてでも、本気で問題や世間と向き合う姿勢だと思います。
すでにツイッター上では、「カガクでネガイをカナエル会社」をもじって。
カネカのことを「カゾクのネガイをカナエナイ会社」と揶揄する発言も多数みられますが。
カネカが「カガクでネガイをカナエル会社」であり「カゾクのネガイもカナエル会社」にもなれるかどうかは、
今回の騒動をカネカの中の方々がどう受け止めるかにかかっていると思います。


他、■社会的な適切さではなく、法律的に適法かどうかの基準を重視してしまった。
   ■世間とではなく、退職した社員とカネカとの戦いだと思ってしまった。
   ■対応方針が決まるまで、推定無罪で対応してしまった。
等、全文はソースで。