ダッカのテロ事件の現場に手向けられた花束
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 22人の命を奪ったテロリストは“日本人”だった。3年前バングラデシュで起きたテロ事件の容疑者がこのたび、イラクで拘束されたと報道されている。その男の名は「オザキ」――。立命館大学の准教授だった彼が「イスラム国」幹部になるまでを追った。

 バングラデシュの首都ダッカでテロが起きたのは2016年7月1日夜のことだった。

「武装した7名が市内のレストランを襲撃、食事中だった日本人7名を含む22名が殺害されました。現場は血の海、被害者の中には“私は日本人だ、撃たないでくれ”と懇願した人もいたという悲惨な現場でした」(外信部記者)

 この時の実行犯を勧誘していたのが、バングラデシュ出身のモハメド・サイフラ・オザキ容疑者(36)だ。

「バングラデシュでイスラム国の支部を名乗る過激派組織の幹部であると現地紙は報じています。テロリストのリクルートがその役割でした」(同)

 このオザキ容疑者は驚くことに13年に及ぶ日本滞在歴があった。それは02年、バングラデシュから大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学に入学するところから始まる。アジア太平洋マネジメント学部(当時)に所属し、まもなく同大の同級生だった伴侶と出会う。その女性の姓が“オザキ”だった。

■子煩悩な父親

 大分県出身の彼女は寮も併設する福岡市内の女子高を卒業。所属していた音楽部の当時の顧問が語る。

「トロンボーンを担当し、しっかり者で部長として部をまとめていましたね。進学先の大学はまだ出来て間もなく“どんな雰囲気だろう”とは話していました」

 大学入学後の05年、オザキ容疑者と結婚。一方の夫は日本国籍に加え博士号まで取得し、11年から京都市の立命館大学で助教を務め、最終的に国際関係学部の准教授となっている。大学関係者の話。

「日本語でも英語でも授業を行っていて、経済や経営学についての講義を担当。例えば、江戸時代からアベノミクスまでの日本経済を教えていました」

 すでにイスラム国との接点を持っていたオザキ容疑者はテロリストの候補者をフェイスブックで勧誘。バングラデシュから日本に呼び寄せた後、トルコ経由でシリアへと出国させていた。

 当時、家族で暮らしていた滋賀県草津市の近隣住民によれば、

「近所の公園で子どもと遊んでいる姿をよく見かけました。子煩悩な父親と普通の主婦というイメージでしたけど、自宅にターバンのようなものを巻いた外国人が数人、出入りしていました。異様な印象を持ったことを記憶しています」

 ところが、一家は忽然と姿を消すことになる。

 警察庁関係者が言う。

「15年末、生活したままの状態で失踪したのです。妻の家族が滋賀県警に捜索願を出すも、行方は分からないままでした」

 一家はブルガリアを経由し、シリアに入国していたのだ。そして冒頭のテロ事件に手を染めることになる。

 東京外国語大の飯塚正人教授が指摘する。

「日本にイスラム教徒は少ない。日本人や日本のイスラム教徒を過激派に勧誘するのは効率が悪かったのでしょう」

 実はオザキ夫妻には幼い子どもが5人いた。

「うち4人は日本で生まれている。しかし、シリア入国後に空爆で妻と長男、三男は死亡したと見られています」(先の記者)

 日本のキャンパスで出会ったテロリストと妻。その悲しき末路だった。

6/8(土) 5:57配信
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