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「われわれの責任はないと裁判ではっきりしていることに関し、ご納得いただけるでしょうか」

「納得はしておりませんけども御社の見解としてはそういうことだと。その理屈に納得するということではないですけどね。
油症とともに拡大したPCB環境汚染とその処理についても見解をお尋ねしたい」

「なんともお答えできないですね」

◆PCB人体実験

PCB汚染の食用油を製造販売したカネミ倉庫、そしてPCBを製造しカネミ倉庫に販売したカネカ。
油症事件には、二つの企業が深く絡んでいる。現在、カネミ倉庫は、国、被害者団体との3者協議に出席し、
認定患者の医療費などを負担。一方、カネカは一切関わっていない。今年2月、カネカに取材を電話で申し込んだところ、
冒頭のようなやりとりの末、取材を拒否。送った質問にも答えなかった。

「PCB人体実験」とも呼ばれた最悪の事件。PCBや熱変化したダイオキシン類を経口摂取した被害者は、いまだに苦しみ、
その子ども(2世)も体調不良を訴え、2世の子ども(3世)の健康さえ不安を抱えているのが現状だ。
「法的にもう終わっていること」と述べたカネカのホームページの沿革コーナーには、カネミ油症はもとより、
PCBの商品名カネクロールさえ記載されていない。

◆定型のコメント

カネカは油症に関し、コメントをおおむね決めているようだ。「カネミ倉庫が溶接工事のミスによって熱媒体(PCB)を
食用油に混入させたばかりか、それを知りながら熱媒体混入油を食用油として販売した食品製造業者として全く非常識かつ
異常な違法行為によって起こした事件。1986年5月の福岡高裁判決で、当社に責任がないことが明確に示された」
「尽くすべきは既に尽くしている」

主張の拠り所(よどころ)は、油症事件でカネカが被告となった複数の集団訴訟のうち、全国統一2陣二審のカネカの勝訴判決。
だが、この判決までに出た6回の地裁、高裁判決の全てでカネカは敗訴していた。製造物責任(PL)法=95年施行=が
まだなかった時代の、油症前史と裁判の経過を見ていく。

◆需要開拓を実行

社史「変革と創造 鐘淵化学20年史」(70年発行)によると、カネカはPCB開発を試行錯誤の中で進め、
54年に高砂工業所で「カネクロール」の生産を開始。低圧コンデンサーとトランス用で販売を伸ばし、
高圧コンデンサー用に進出。電力会社、国鉄などへと「需要の開拓は、次々に実行された」。62〜63年に
ノンカーボン紙進出に成功。65年ごろには中国向けに大量の輸出契約を結んだ。需要拡大の流れの中、
食品製造会社のカネミ倉庫にも熱媒体として販売された。

社史が発行されたのは既に油症が発生し、訴訟が本格化するころ。だが紙面からは、油症の原因物質であり、
さらに環境汚染で大問題となるPCBへの懸念は、みじんも感じられない。

◆化学業界相手に

その後、PCBは毒性が確認され、製造販売が禁止された。PCB製造、販売の責任が問われたカネカにとって初の判決は、
77年10月の福岡訴訟一審判決。裁判長は「事故の責任はカネミだけでなく、PCBを販売する際、危険性や毒性を
知らせなかった鐘化にもあり、これは過失」と断じた。カネカは即日控訴。もし同社の敗訴が確定すれば、他の集団訴訟も含め
て賠償額が膨れ上がり、大企業カネカを揺るがす可能性があった。

同時に、化学業界全体に深刻な影響を与えかねなかったとみられる。当時の長崎新聞によると、カネカの見解を
「(判決がいわゆる製造物責任を認めたものとするならば)化学物質メーカーならびに産業界に与える影響も非常に大きい」と紹介。
記事は「メーカーはこれまで以上に安全管理などのコスト負担を強いられ、不況で製品値上げもままならない化学業界全体が
一段と窮地に追い込まれることになる」としている。つまりカネカを被告とした裁判は、原告にとって化学業界全体を相手にする
側面があったということだ。

78年3月の全国統一1陣一審判決も、「少なくとも(PCBをカネミ倉庫に)販売する以上、食品の安全確保のため、
高度の注意義務を負うべきところ、鐘化はこれを怠り、カネミ油症を起こさせる根本的な原因をつくった」と裁断。カネカは即日控訴した。

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