ひきこもりの英訳は“Hikikomori”、日本特有の難問を解決するためにすべきこと

川崎通り魔「無差別大量殺傷事件」が炙り出した問題の本質とは…
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「一人で死んでくれ」炎上で置き去りにされる重大議論(2/2)
〈死にたいなら一人で死んでくれよって、そういう人は。なんで弱い子どものところに飛び込んでんだって〉。

 川崎の無差別殺傷事件を受け、落語家の立川志らくが情報番組で口にしたこの発言は、大きな波紋を呼んだ。20人を殺傷し自刃した岩崎隆一容疑者(51)に放たれた“一人で死んで”は正論か、暴論か。尽きることなき論争の陰で、「無差別大量殺傷事件」が炙り出した問題の本質とは――。

 数多くの殺人犯への取材経験を持つノンフィクションライターの窪田順生氏は、「岩崎に対して過度に配慮すると、同じ境遇の人たちの被害者意識を増幅し、事件を誘発してしまう」と指摘する。被害者意識こそが、犯行に及ぶ人間の背中を押すのだという。

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 であれば、「孤独に苛まれる人たちを“被害者”として腫物扱いするような息苦しい社会ではなく、どんな意見も言い合える世の中にすべき」(窪田氏)ではないのか。

 その点については、評論家の呉智英氏も首肯する。

「この事件を受けて、医療や福祉の支援態勢について協議するのは大切だと思います。しかし、それと“言論”とは別の話です。志らくさんが口にしなくとも、社会には“一人で死んでくれ”という声が間違いなく存在する。支援を必要とする人たちがそうした現実に直面した時にどう対処するのか。そこまで含めて彼らのケアを考えるべきでしょう。ツイッターなどのSNSが広まったことで、いまは誰もが無許可で鉄砲を持っているような状態です。テレビや新聞は非難を恐れて萎縮しがちですが、それによって言論や言説が封殺されるのはおかしい」

“Hikikomori”
 他方、放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏はこう述べるのだ。

「今回の容疑者のような人たちにとって、唯一の目的は人生の最後に注目を浴びることなんです。近年、欧米では犯人に共感したり、崇拝することを避けるため、無差別殺人事件の容疑者の名前は極力報じません。つまり、加害者を風化させることで新たな犯罪を抑止する。日本のメディアはそれと反対に、加害者の背景を深掘りして視聴者の好奇心を煽っています。この論争にしてもテレビはセンセーショナルな話題として取り上げているだけ。その反面、ひきこもりやメンタルヘルスの問題は視聴率を稼げないから手を出さない」

 コンプライアンス意識ばかりが肥大して、耳の痛い言説を袋叩きにする、あるいは批判を恐れるあまり正論にフタをする。そんな物言えぬ社会は決して健全とは言えまい。

「一人で死んでくれ」発言の言葉尻だけを捉えて、単純に二極化した炎上騒動に終始するのではなく、むしろ、いまこそ自由闊達な意見の応酬が求められているのではないか。

 デーブ氏が続ける。

「ひきこもりの英語訳は“Hikikomori”なんです。つまり、ひきこもりは日本特有の概念。その最大の理由は、日本では心の病が疑われても精神科やカウンセリングに足を運ばないから。アメリカでは歌手のブリトニー・スピアーズが“メンタルセラピーに行ってきたよ”とインスタに投稿するほどカジュアルなことなのに、日本では“恥ずかしい”となってしまう。今回の容疑者が治療を必要としたかは分かりませんが、この種の犯罪を喰い止めるために必要なのは専門家によるメンタルケアだと思います」

 これまで家庭内で隠蔽され続けてきた「中高年のひきこもり」という、わが国特有の難問――。

 その深い闇に光を当てるには、炎上騒動に与しない、タブーなき議論こそが必要だろう。

週刊新潮 2019年6月13日号掲載
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