旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」発見 フィリピン沖の海底で 太平洋戦争中に米海軍の魚雷攻撃で沈没
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太平洋戦争中に撃沈された旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」の船体がフィリピン沖の海底で発見されました。アメリカの調査チームの無人探査機が撮影した映像には、船体が鮮明に写っています。
旧日本軍の重巡洋艦「摩耶」が見つかったのは、フィリピンのパラワン島沖のおよそ1850メートルの海底です。
「摩耶」は、太平洋戦争末期の1944年10月、フィリピンへと迫るアメリカ軍を迎え撃つためレイテ島に向かいましたが、アメリカ海軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、乗員336人が死亡しました。
アメリカの調査チームの無人探査機が撮影した映像では、艦橋の構造物や主砲などの形が確認できるほか、機器に刻まれた文字もはっきりと写っています。
今回「摩耶」を発見したのは、大手IT企業マイクロソフトの共同創業者が立ち上げた調査チームで、4年前の2015年にフィリピン沖の海底で戦艦「武蔵」を見つけたことでも知られています。
旧日本海軍の歴史に詳しい広島県呉市にある大和ミュージアムの戸高一成館長は「連合艦隊の壊滅を決定づけた一連の戦いで沈んだ船で、当時の状況を知るうえでも発見された意義は大きい」と話しています。
2019年7月2日 6時43分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190702/k10011978501000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_003
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190702/K10011978501_1907020642_1907020643_01_03.jpg >>393
牟田口廉也「その通りだ!インパール作戦は当時からしたら妥当!!君はよくわかっておるな!」 >>399
え、障害物あるよ?
オルデンドルフ艦隊と栗田艦隊と出くわしたタフィ3以外の護衛空母部隊、タフィ1とタフィ2 >>351
女の子の名前みたいだよね。マヤって。
タカオもいるぞ 海底で七十年以上経っても腐って崩れ落ちるとかないんだな
こういうの海底で何十年くらい原型保っていられるもんなんだろ >>12
突入してたら、栗田艦隊は
レイテ湾内で全滅な。
バルチック艦隊を上回る惨状になったろう。
とはいえ、栗田ターンをした状態でさえも
半分以上が沈んで帰ってこなかった >>15
燃料が乏しかったから、狭い水道を
近道として通らざるをえなかった。
現に、帰り道では駆逐艦は
燃料が足りなくなってしまった。 >>402
「そうだな」(サッカー日本代表 吉田麻也) >>41
重巡洋艦は、10隻が参加して
まともに帰ってこれたのが2隻だけ。
栗田長官が乗った愛宕も、魚雷攻撃を
受けなかったとしても、いずれはやられて
いただろう。 >>406
近道をするなら西村艦隊が通ったルートとパラワン島の右側を航行してシブヤン海に入るルートがあった
栗田艦隊のルートはパラワン島の左側を航行してるので遠回りしてる >>401
狭いサンディベルディノ海峡を突破したあとは、
米空母追撃戦をするのだが、そのあと米の高速戦艦部隊が
サンディベルディノ海峡の沖合を通過するから
栗田ターンがもう少し遅れていたら、
栗田艦隊はもう逃げ道なし。 >>409
男なのか女なのか。やまと
という女の子もいるで。 >>410
もっと大回りするルートも検討されていたんだよ。
帰路はげんにその大回りのルートで帰っている。
フィリピン南東から哨戒機の捜索範囲があったので、
それで見つかるのを避けるために、ちょっと遠回りして
パラワン島の左側を航行してる。
西村艦隊は、もう見つかるのを前提でもっと近道させてる。 >>394
対空兵装を強化した摩耶は潜水艦で撃沈され、
後方を射撃できるよう主砲の配置をなるべく後ろ向きにと
工夫された利根型は、サマール沖で追撃戦で前向き
射撃を強いられ、足柄は2番砲塔を破壊されるし、
前方射撃しやすい熊野型は全部撃破されるしで、
とにかくツイてなかった。 >>412
「北方に存する新たなる敵」に向けてUターンした(はず)の栗田艦隊だが
敵を求めるにしては消極的な動きに終始して、結局一本棒でさんベルナルディノ海峡を
西進。海峡通過後に、動きの不審さを察知した日吉からの夜戦督戦命令に対して
栗田は「返信は『夜戦ノ見込ミ立タズ』で良いよ。わしゃあ疲れた。参謀長、先に休むからな」と
大和(ホテル)の特製ベッドで4日ぶりの就寝についたという。
なお、ブルネイに残像艦艇が戻った時、将兵3万が生き残った。負けた気はしていなかったという。 >>408
特攻機だしてた時期だし 生きて帰れると思うのが間違い
全滅前提で突っ込むべきだった >>402
まぁ、人名由来の山岳名やからなぁ。
お釈迦さんのオカンの摩耶夫人由来な。 >>400
何かを揶揄してるつもりかもしれんが
インパール作戦について最新の研究では肯定的な評価が大勢
ろくに知りもしないで情緒的に反発してるバカがいるだけ 江田島の兵学校も今は自衛隊の学校になってるけど、民間の中高一貫で五省を教育方針にした学校があれば息子を入学させたいわ。
但し、校舎も江田島みたいのじゃないとダメだけどな。 戦艦大和の生き残り乗員は
「大和はレイテで沈むのが本当だった」と語っていた
金剛も生き残ったが、すぐ直後に帰国途上で台湾海峡で米潜の魚雷1本で沈没
そんなところで沈むくらいなら金剛もレイテに行きたかったことだろう
3万人の生き残り将兵の中には、その後の10か月中で戦死した者もいただろうが
かなりの数が戦後まで生き残り、戦後の復興を担って多くの子孫をのこしたいる
栗田の功罪も一眼的に観てはならないのだろう >>423
栗田の判断は勝てもしない戦闘にこれ以上の犠牲者を出さない様にする意味では正しい >>423
栗田が反転したからこそ助かった命もあるわけだからその意味では逆に賞賛されてもいいぐらい
結果的に囮になった小沢艦隊や全滅した西村艦隊の犠牲が無駄になったのは確かではあるが
すでに突入したところでさしたる戦果も期待できない状況にあったのだからこれ以上の犠牲を出さないことも判断の一つ
「すでに犠牲になった者に申し訳が立たないから突入するべき」なんていうのはもはや正常な思考ではない
いわゆる滅びの美学というものであってそんなものに兵士の命を使い込まれたらたまらん 高雄型の特徴のある艦橋が光に照らされる
映像を見た時は鳥肌が立った。 >>377
ミッドウェー敗因の最大の要因って、宇垣でないですか?
・ミッドウェー海戦時の全日本海軍としての所有戦力は米より確実に上。
・しかし、あの三方面作戦の艦船構成では明らかにで図演などで日本が敗北がわかっていた。
・宇垣がそのまま実行させた。 >>426
そういう理由なら大和が残ってしまったために菊水特攻で多くの命が失われた >>421
珊瑚海開戦もミッドウェーもそうですよね。
勝てるところを取りこぼしてる。
ミッドウェーに至っては、米正規空母三隻の排除が主目的なのに、なぜか
ミッドウェー攻撃に血眼になっている。まぁ艦船があと空母三隻・戦艦4隻
足りてないのですけれどもねw あったのに出してないw >>431
米軍は珊瑚海海戦で損傷したヨークタウンを不眠不休の復旧作業で最低限戦える状態に修理し
同じく日本軍の潜水艦攻撃で損傷修理中だったサラトガの飛行隊を積んで出撃
太平洋戦争の海戦とかを調べると日本軍より米軍のほうがそういう所の努力とか思い切りが良いよなと思う >>377
ミッドウェーに関しては
・ミッドウェー島専用攻略部隊(空母3・戦艦3・駆逐艦12ほか)を編成する。
遅い加賀はこちらに転属
・無線傍受通信・囮のために高速戦艦を2隻(金剛型)を空母4隻南雲機動舞台の少し前につける
・米空母用索敵を4倍に増やす。(全く足りていないため) >>432
米側証言からすると、
ミッドウェ-で敗戦してしまうと、洋上制空権を1年近く取られる
という背水の陣の危機意識が米海軍にあったようですね。 >>431
ミッドウェーの時は島の攻略と敵空母の撃破の両方が主目的という作戦になっているから
島の攻撃に血眼になるのは作戦上で言えば別に不思議ではない もうみんな捕虜になってアメリカを困らせてやればよかったんだよ
生きて虜囚の云々とか言わずにさ 摩耶スレとは関係ないけど
ミッドウェー海戦でなぜ日本海軍機動部隊はミッドウェー島に関わりすぎたか
それは陸軍を説き伏せてミッドウェー攻略部隊を出してもらった手前、空爆が不十分で
上陸する陸軍に大きな損害でも出ては海軍の名誉が損なわれると考えて恐怖したらしい
連合艦隊上層部からは「米空母はわが軍がミッドウェー攻略を始めたら必ずハワイから
押し出してくる。第二陣は絶対に対艦爆弾装備で待機せよ」と念を押されてはいたが
機動部隊幹部は「空母なんてでてくるわけがない。今は叩けるだけ島を叩くのが常道だ」と
メンツにかけて島への空爆に血道を上げる形となって、スキをつかれた。
偵察を倍くらいに増やしておけば、あるいは空母発見が遅れずに機動部隊同士の対決に
なったかもしれないが、慢心と油断から後手後手になって勝機を失ったようだ。 >>436
日本軍は「捕虜になる奴は非国民!潔く死ね!」と兵隊に教えてたので
運良く米軍の捕虜になった日本兵は「帰っても最前線送りにされる」「家族が村八分にされる」と自暴自棄になり
尋問で話さなくても良いこと(名前、所属部隊は正直に申告しないといけないがそれ以外のことを話す義務はない)までベラベラ喋るので
当の米軍もビビったという >>448
捕虜になるまではてこずらせても、いったん捕虜になったら
軍機でもペラペラしゃべるので、「これは謀略じゃないのか?」と
米軍情報部も訝ったというが、事実だったので二度ビックリ。
生きて虜囚のなんたらではなく、ジュネーブ協定や捕虜になった時の
心構え、尋問に対する心構えをきちんと教育しなかったツケだな >>382
歴史というのは後知恵という叩き棒で一方的に先人をぶっ叩くために存在するもんだぞ
学者でもない凡人が歴史に手を出す理由なんてそれだけだと言ってもいい ミッドウェーの結果に関して敵将ニミッツは
「日米の戦力差から見て勝てたのは奇跡。日本海軍が戦艦を先頭に攻めてきたら
到底勝つことはできなかった。
あとは、日本軍の過ちとしてはダブルパーパス。二兎を狙ったのが悪かった。
作戦は単純であれ。ただでさえ島嶼攻撃は機動部隊としては荷が重いのに
敵空母の出現に備えつつ、島を思い切り叩けというのは、やはり作戦としてまずかった」 >>439
「生きて虜囚の辱めを受けず」も最初は日清戦争の頃に清国兵に降参しても殺される日本兵が続出したので
「敵にとっ捕まって耳や鼻を削がれながら殺されるくらいなら死ぬまで戦おう」って訓話だったのに
いつの間にか武士道とか「日本男子とは」みたいな論争を経て「日本人なら敵の捕虜になる奴は居ないはずだ」に変質してしまった
精神的なスローガンや訓話がいつの間にか実務に入り込んで現場を支配するのは日本軍の悪い癖
●馬鹿 「みんな米軍の捕虜になれば良かったニダ!」
●国民 「おまえ、米軍がいかに捕虜を虐待したか知らないだろ」
●馬鹿 「あうあうあ」
−−−−−−−
リンドバーグ 第二次大戦参戦記
http://satehate.exblog.jp/17400160/
軍曹は撃つべき日本兵を見つけられなかったが、偵察隊は一人の日本兵を捕虜にした。
「しかし、俺はこいつを殺せないよ!やつは捕虜なんだ。無抵抗だ」
「ちえっ、戦争だぜ。野郎の殺し方を教えてやらあ」
偵察隊の一人が日本兵に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に、日本兵の頭部に
腕が巻き付き、喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで切り裂かれた」のだった。
*****では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった
百か二百だった。 残りの連中にはちょっとした出来事があった。 もし戦友が飛行場
に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」
わが軍の一部兵士が日本捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残忍な蛮行をやってのけることも
容認された。 わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。
日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。
われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが南大平洋における戦争を
この目で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無く
なるように思う。 事実、この点に関するわれわれの成績が日本人のそれより遙かに
高いという確信はもてないのだ
われわれには勇敢な行為であっても、彼らがそれを示すと狂信的な行為ということになる。
われわれは声を限りに彼らの残虐行為をいちいち数え立てるが、その一方では自らの
残虐行為を包み隠し、ただ単なる報復措置として大目に見ようとする。 >>445
調査チームに問い合わせたって人がTwitterで投稿してたが
チームは別の海域に移動したので愛宕は未発見らしい >>417
足柄は第五艦隊所属だから羽黒だな。
弾薬庫に誘爆する危険があったが砲塔員が戦死寸前に緊急注水弁を開けたので
同艦は助かった。 >>426
英霊に相済まないと言って更に英霊を量産するのは不合理。
>>429
戦力が優勢なのにそれを分散しセンシティブな作戦を立てた仙人参謀とそれを承認した
GF司令部が敗戦の最大要因。
>>431
追撃を主張した宇垣は帰投した翔鶴の惨状を見た後は五航戦司令部をに対する非難
を引っ込めた。 >>444
例えば韓国軍に捕虜として投降する気になるか?と考えれば理解できると思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています