【歴史】卑弥呼の邪馬台国と争った国「狗奴国」が熊本に? 九州説に新解釈 ★2
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免田式土器の分布イメージ図。作成した松田度氏は、邪馬台国と抗争した狗奴国の勢力を反映していると推察する(松田氏提供)
https://special.sankei.com/a/life/images/20190902/0001p1.jpg
畿内説が優勢とされる邪馬台国の所在地論争で、九州説の立場を取る大和(奈良県)ゆかりの考古学者ら3人が8月、謎の王国「狗奴国(くなこく)」の実態に迫る学会発表を行った。魏志倭人伝によると、狗奴国は女王・卑弥呼が君臨した国々の南に位置し、卑弥呼とは抗争状態にあったとされる。考古学者らはその勢力圏の中心が熊本県内にあったとし、狗奴国の位置から卑弥呼の邪馬台国は福岡県域にあったと主張している。(川西健士郎)
■最有力の纒向遺跡
九州説と畿内説との間で江戸時代から続く邪馬台国論争は、今も決着していない。だが、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で平成21年秋、宮殿を思わせる3世紀前半の大型建物群の跡が見つかるなど、近年は畿内説が勢いづいている。
産経ニュース 2019.9.2
https://special.sankei.com/a/life/article/20190902/0001.html
★1:2019/09/06(金) 22:38:16.51
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567777096/ 狗奴国を熊本としてるけど地理的に邪馬台国も熊本の話でしょ? >>854
熊本以南の代表が狗奴国で、熊本以北の代表が邪馬台国と考えるといいよ。
狗奴国側に70国、邪馬台国側は30国の集まり。
合計で古の倭国百余国。
後漢に倭奴国と呼ばれた倭の奴国は、倭国の極南にあると後漢書にある。
つまり後漢の頃の奴国の本拠地の場所は熊本でもなく鹿児島。
元々倭奴国で100国が纏めていた所、北側30国を倭国大乱で切り取られたから取り返そうとして戦争。 天皇が九州から奈良に引っ越したとして、
いったい何の必要性があったんだ?
国民全員が500km以上も徒歩で移動したことになるぞ
あり得んだろwww >>791
八女の武装石人は菊池川流域から取れる石を使ってる
球磨川から宇土あたりは肥の君がいたし別物だろう >>862
地元からすると球磨、菊池、熊本関係あると思うな。 女王国の以北
狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国
遠くに在って国名だけしか分からない国
斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、
對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、
躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国 ← 此女王境界所盡
↑
倭國之極南界也 >>864
菊地近辺と熊本近辺と八代近辺は
別々の国くさいよね。
宇土あたりが熊本と八代の境。
境目って地域もあるしね。
菊地と熊本の境は良くわからんけど。 >>866
今でも熊本市と菊池市や八代市は文化的に全然違う
今でこれだから当時はもっと違ったと思う >>866>>867
地元からすると球磨、菊池、熊本関係あると思うな。 >>779
縄文海進からの海退期なんだから、そのあと海退し続けた
結果の現在よりも海進していたとも考えられると思うんだけど。 >>868
同じ熊本で関係あるけど当時は一つじゃないのは確か >>864
俺も地元だけど…?
「熊本の歴史」て本は読んだ?
そこでも北部は磐井側 南部は朝廷側についたのではと推察している >>861
だから国民全体が移動する必要はないんだよ。少数の部族が何回か移動して
畿内で地歩を固めて、最終的に神武=崇神が王になったって感じかと。 >>861
あと、必要性としては、九州の自国から逃げ出した可能性もある。 >>1-1000
魏志倭人伝をよく嫁
邪馬台国は狗奴国の都だ >>777
貝塚地域からこの辺までは海面が来てたことが分かる
これは縄文時代だから卑弥呼の頃はもう少し水位下がってまだ陸地が多かったはずだが参考までに
https://i.imgur.com/gtdj6Cp.jpg >>843
僕が現時点で推測してるのはニニギがヤマトと呼ばれる地域出身だったんじゃないかなと思ってるかな。 >>858
関西vs関東の600年戦争にしか興味ないってことかな? >>870
地元からすると球磨、菊池、熊本関係あると思うな。 >>871
地元からすると球磨、菊池、熊本関係あると思うな。 邪馬台国が北部九州地域で狗奴国は南部九州地域だな
邪馬台国は都ではなく北部九州地域の小国の連合体。 >>877
邪馬台国ジジィは大概、邪馬台国があったとされる時代しか興味ないでしょ
縄文時代も奈良時代以降も気に止めない
あと、邪馬台国に使者を送ったとされる時代の中国の状況も気にしない
245年頃といったら、司馬氏によるクーデターが起きる2年前
そして、265年には魏から西晋に代わる
下手したら、魏の使者として送ったけど
帰ったら西晋に替わってましたという時代 トンカラリンとか謎の遺跡あるよね
意外に古墳が多いしね >>873
逃げ出したと言うよりも九州に居てもうだつが上がらないと考えて新天地へ移住したんだろうな。 >>887
神武だけがね。
近畿日本に招かれたわけな。
頭にしてやるからこっちに寝返れって言われて行ったわけな。 鞠智城は7世紀後半に建てられてるし
何らかの要所だったんじゃないかな >>884
縄文時代から奈良時代くらいを考えないとね
だから漢委奴國王の金印とかも問題になるし大和朝廷の成立も問題となる
縄文系弥生人や渡来系弥生人の渡来時期や広がりも問題。 >>891
>鞠智城は7世紀後半に建てられてるし
鞠智城は7世紀後半以前に建てられてる
何時の築城かは不明だよ。 やっぱ邪馬台国は九州か
まあ普通に考えりゃそうだよな >>891
九州文化を担ってるのが熊本の菊池だからそれ以前から拠点性があって
何かが下に埋もれてもおかしくはない
あの辺全部ひっくり返したら邪馬台国の全容が分かるだろ >>886
>>889
女王国とは帯方郡から12000里の地点
伊都国と奴国の国境線付近が丁度12000里だから
魏志倭人伝では伊都国と奴国付近を指して女王国と呼んでいる
投馬国は女王国よりも北にある。 >>891
修繕した記録はあるけど建った時期は不明のはず >>890
招かれた?
戦って一度は敗退して再度攻撃して占領してるよ。 投馬国(とうまこく又はつまこく)は、3世紀に日本列島に存在したとされる国のひとつである。
長官は彌彌(弥弥、ミミ)、副官は彌彌那利(弥弥那利、ミミナリ) >>900
他の同時期と思われる城が7世紀と考えられる事から
7世紀と思ってそう間違いじゃないと思うよ 邪馬台国と現神武朝の関連すら未だによくはわかってないんだったね? >>897
どこまで本当か分からんけど菊池から山鹿あたりの菊池川沿いは昔は茂賀の浦という大きな湖だった説がある
景行天皇の話が大本だからどこまで本当かは読み手のさじ加減次第なんだが参考までに >>891
ご指摘のとおり建った時期は不明だったね、ごめんよ 邪馬台国と言うし名は体を表す、つまり騎馬民族だよな 倭の奴国
↓ (倭国大乱で分裂)
奴国 & 狗奴国
↓ (卑弥呼共立)
再統一された倭国
卑弥呼は倭国大乱時には狗奴国側の邪馬台国の女王 狗奴国がどこなのかって、よく議論になるよな
恐らくは女王(ヒメミコ)に否定的な身内の勢力(彦皇子 ヒコミコ)に対して、魏の権威で平和的に従わせようとしたのだろうと思うけど、そうすると武埴安彦の乱あたりが有力になる。 熊本は九州西南を支配してた縄文系の国の一つであって、邪馬台国とは関係ないね
そもそも隈本の「くま」って地形由来なんだから、3世紀の「狗奴=クナ、クヌ、クノ」が元になってるわけないし
「狗奴=クナ、クヌ、クノ」が年月を経て「クマ」になるってのも発音的に無理がある ただ、狗奴国=熊襲と考えると神功皇后の熊襲討伐の伝承がこれにあたるんだろう。物証がないとなんとも言えないが、この説に従うと卑弥呼が北部九州に滞在していて亡くなった可能性もなきにしもあらず >>913
そもそも、肥後じゃないの?
隈本は地域名じゃなく、地名
県名じゃなく、市名か町名レベルって感じ >>915
球磨川がありはする
隈本より前に菊池に隈府(現在はわいふ 江戸時代以前はくまふ と読んだ)という地名はあった
城南にも隈庄という地名はあるがこっちは詳しくは知らない >>916
広域地域名じゃないよね
あくまで狭いエリア
一生懸命、クマがどうしたとか言うレベルに達してない
熊本県の旧名は肥後国
隈本国なんて呼ばれない
あくまで都市名もしくは城名 卑弥呼 ≠ ヒミコ ≒ ピミホ
卑彌弓呼 ≠ ヒミココ ≒ ピミキコ
古代中国人が発音した音に近い日本語を探すならまだしも
ひめみこ だの ひこみこ だの日本人が漢字を日本語読みしてふりがな振っても意味ない 九州は元々4つ
北が筑紫国、東が豊国、中部が肥国、南が熊襲国 邪馬台国って結局狗奴国に滅ぼされて熊本関連の物が大和政権に繋がったのを見ても
元々熊本の話なんだよ タケルとか熊本の熊襲から盗んだ名前だろ?
当時の概念でもそんな事するか? >>920
個人的にはニギハヤヒと神武=崇神は狗奴国系だと思うんだよね。
で、応神=仁徳は邪馬台国系だと。 そりゃ熊本に邪馬台国って名前のラブホあるけどさぁ
う〜ん… >>922
熊本系だと思うんだよな
仮に熊本じゃなくても九州の有力な部族が絡んでると思うわ この時代のシナ語の発音で狗奴国ってどう発音するんだ? しかし、畿内派は元気がないな。こんなに元気がないのは初めてかもしれんね。 狗奴国に関しては物証が無いから何もわからんのが正直なところ
魏から贈られた黄幢らしきものが黒塚古墳から出てるくらい 邪馬台(やまと:少なくとも奈良方言ではそう発音)の起こりの地は、
日田盆地。筑紫平野を支配し強大国になり、ついに、博多(奴国)の
港を支配下に。その後は、大宰府が政治・軍事・経済の中心。
博多(奴国)に朝貢させ、漢の権威を背景に、列島の覇権国として君臨。
しかし、奈良-百済地域の密通、出雲-新羅地域の密貿易で力関係変化、
漢衰退期の倭国大乱で、おそらく奈良が出雲を滅ぼし、邪馬台万事休す。
男王禁止=覇権放棄(女王卑弥呼「共立」)を受け入れざるを得なくなった。 >>926
nとmは簡単に入れ替わるそうだぞ。
狗奴 kuna → kuma 熊(熊襲2部族の熊の方)
他の例:
任那 ninna → mimna → mimana みまな この時代の中国語って何を指してるつもりなんだろ
中国って北と南で言語が違うレベルなのに 狗奴国は卑弥呼は何者か?で決まるんだよ。記紀に照らせば神功か倭姫かその辺りしか居ないし、記紀以外なら後大和朝廷にどう繋げるか?もあるし。神功=卑弥呼が一番マトモだと思うけどね。卑しい巫女じゃないといけないんだよ。行宮が色々あるから都も決めづらいわね。 >>930
レスありがとう
>>931
魏志倭人伝の話をしてるんだろう?
魏のシナ語ってことだ >>932
魏志倭人伝の話をしてるんだろう?
魏のシナ語ってことだ >>939
実際にそう考えられてんだけど
逆に違うと言うなら、こういう理由で違うと思いますって話のレベルだよ
ボクがそう妄想したので違うんだぁーじゃ話に成らない >>902
3世紀の倭は朝鮮半島南部から北部九州地域にかけての範囲
その他の日本列島には倭種(縄文系弥生人)の国々が在った。 >>942
根拠はあるでしょ
日本書記だかから、防衛の為に同時期に建てられたと
目されてる云々で
あくまで参考レベルとも言えるけど
現状は7世紀と見られてる
それを覆すなら、何らかを提示しないとならん
ボクの妄想では話に成らない >>1
>卑弥呼の邪馬台国は福岡県域にあったと主張している。
奴国から邪馬台国まで全部をこんな狭い範囲に押し込んでしまうって凄い発想だな
魏志倭人伝に戸数が載ってる15万戸+旁国21国をぎゅうぎゅう詰めにするわけだ
ちなみに、三韓を合わせて15万戸
とりあえず、ざっくりとした面積比較
韓国 10万km2 ←ここに15万戸
福岡+佐賀 7000km2 ←ここに15万戸+旁国21国
倭国の人口密度は三韓の15倍になる
旁国21国も含むと、人口密度は20倍くらいになる
無理ゲーすぎる これ見ると、当時の海岸線は、現在の筑後川の河口から8kmくらい遡ったあたり
さらに筑後川本流から数キロまでの範囲には遺跡がほとんどないし、湿地だらけ
筑紫平野は一見すると広いように見えるけど、弥生時代に人間が住める場所はものすごく狭かったってことだな
http://www.yoshinogari.jp/img/c3/cat-1/b102_01.gif >>945
だから潮汐を使って肥前と肥後の間は海上移動したと思った方がいい。 >>917
火の国と名付けたのは景行天皇の時だし肥前肥後になったのはその更に後
となると地名として残ってる球磨川とかの方が材料としてはまだ優位 記紀によると再三熊襲討伐やってるから、畿内説九州説問わず熊襲=狗奴国の可能性はあるんだよね
問題は戦乱の跡などの物証が無いこと >>947
何が優位なんかよくわからんけど
火の国でも結局、クマ関係ないじゃん
いい加減、隈本がいつの間にか広域地域名だと錯覚してしまった事を理解しなよ >>945
大牟田も"むた"が湿地の事らしいし
宇土半島も昔は島だったらしいし
今の海岸線から考えると間違うのかも
しれないね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。