男尊女卑・家父長制は古代文明に共通している
ユダヤ教や初期キリスト教では、平民の性差別については比較的緩やかだったが(男も女も神のイメージから作られたという創世神話のため、ただしキリスト教・パウロは創世記をファンタジーとしているため寓話的解釈)、
古代文明の標準モデルとなる古代ギリシャは男性優位であり、そのギリシャから模倣したローマと一体化するためにローマの習俗に合わせた結果として、現代に引き継がれた面がある

バチカンの教皇(この教皇という翻訳もラテン語・ギリシャ語ではパパに過ぎないので明らかな誤訳であり教父代表がよりまともな意訳)は世襲制ではなく選挙制であるため、男であれば生まれに関係なく誰でもなれる
女が教皇になれないのは、宗教的というより(男尊女卑が標準だった)ローマ市民だったパウロに起因する(男女平等を掲げればここまで成長する宗教にはなっていない)ところが大
きいので他のキリスト教宗派では男しか司祭・牧師になれないという縛りは絶対ではない

また初期キリスト教では女性指導者が多いという逆転現象がおきており、神の下における男女平等を支持する派閥(主流派)と、男女差別(伝統的な男女の役割維持、主に福音派)を支持する派閥の2つが
罵倒しあう状況が長く続いてきた。バチカンはこの2つのうちでは宗教的伝統となる聖職者の生涯独身・妻帯禁止、男性司祭を支持するが、人権については主流派のスタンスであるため
政治的なスタンスが誤解されやすい傾向がある

古代ギリシャでは女性はおおむね男尊女卑下にあり奴隷か女かというぐらい劣ったイメージがあったとされる
中でも巫女や宗教系の職業や王族・門閥貴族だけに確保される役職は例外だったが、それが平民の女性のステータスにまで波及することは皆無であり、中近東の古代において男女平等を目指した
文化はシュメール文明だけとされている

卑弥呼を代表とする日本の巫女も同じであろうと考えるが、古代では巫女は国王の子女や貴族・有力者の娘がなることが多かったため、国王や貴族が神の生まれ変わりとして
超能力を持っていたと信じられている古代では巫女の地位が高いのはあたりまえであり、巫女・女性聖職者のステータスが底辺にまで波及するのは近代になるまでは無かったと考えて良い