【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に? ★3
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“華麗さでは随一”と多くの考古学者が太鼓判をおす古(いにしえ)の鏡がある。「金銀錯嵌珠龍文(さくがんしゅりゅうもん)鉄鏡」。
大分県日田市で戦前に見つかったものとされ、装飾の巧みさから1964年に重要文化財に指定された。
由来を含め多くの謎が残るこの鏡が、三国志の英雄・曹操の墓から出土した鏡とほぼ同じ型式である可能性が高まっている。
「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に――。研究者らは首をかしげる。(続きはソース)
朝日新聞デジタル 2019年9月8日08時00分
https://www.asahi.com/articles/ASM9443XDM94UCLV009.html
★1:2019/09/11(水) 22:54:59.87
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568347237/ さて、これだけの材料が揃ってしまえばもう九州説は揺るぎないと思われるが
はたして畿内説に逆転の目はあるのか?
無いだろうなぁ やっぱり邪馬台国は九州なんだよ
それを関西人がどうしても大和と結びつけようとするから
いつまでたっても埒があかない ソースが有料なんで途中までしか読めないけど
出所は怪しいけど当時作られた本物ってのは確定してるの? >>63
頭を使おう。邪馬台国はフィリピンにあったんだよ
黥面文身ってのはいかにもありそうじゃないか
倭国と日本国は別。中国の書物にもそう書いてある >>70
ヤマトなんてのは九州でも関西でもなく日本全体を指す言葉 歴史学会でトンデモ説呼ばわりされていた
石板鏡を発明した黄帝の第四妃であった
姆母(ぼぼ)が倭人だったと言われる伝説が
本当のことだっただけのこと
いつの時代も鏡は真実を映す道具。
その鏡に映し出された不都合な真実こそ
中国王朝黄帝の正統直系の血統とその皇位継承の証と
なった神鏡の石板鏡
そして姆母(ぼぼ)を讃えるためと自身が
黄帝の子孫である証のための複製された神鏡。 >>71
ソースの続きを新聞で読んだ人によると、出土したとされる場所を調査したところ出土品が鉄鏡と全くそぐわないので関係者はここではないだろうという結論だそうだ もっとも簡単な説明は
使者が大分で死亡
事情を知らない村人たちが埋葬
金印も同時に運んでだとすると
福岡あたりで、失くすか、盗まれる
ルートは、福岡→大分の陸路となる
どこに向かってたのだろうか?
という仮説も立てれるんだけど
金印と鏡を結びつけるモノかろ欲しいな 九州だったら、熊襲は九州なのかね・・・・
高千穂は九州だし日向も九州・・・。
いまだに何処が始めの所なのか、神話でもよく判らないな・・・。 >>73
日本全体を指す言葉はヤマトではなく大八洲(島)だ 普通に九州のほうが中国に近いし発展していたのは間違いないだろ >>65
奥山さん見苦しいです
石灰粉も認められ、盗難品であると同定され、1964年に国の重要文化財として認定、
国立博物館に収蔵された。 これは楊貴妃が日本に逃げて来た時に
唐から土産に持ってきたんだよ 曹操の同類鏡が九州にって
本来全て日本製だから九州で出土するわけで
皇帝のエンペラー自体日本の天皇家のスメトラノミコトの直系のみの一子相伝の三種の神器とか
中国でのエンペラーはヘブライ人が秦を建国した始皇帝のみ
その他は紛い物
メソポタミアのシュメール人達ヘブライ人のスメラ族のスメトラノミコトの天皇家のみがこの地球上のエンペラー
ヘブライ人達の神道の文化がある日本だからこそ
中国から朝鮮半島経由で渡来したメソポタミアのシュメール人達ヘブライ人達が弥生人達だからこそ
中国の曹操の同類鏡があるわけだから
邪馬台国はヘブライ人達でもイスラエルから沖縄へ渡来したユダ族の物部氏達が邪馬台国の民
イスラエルのユダ族の邪馬台国とメソポタミアのシュメール人達ヘブライ人達の大和王権は全く違う
邪馬台国は四国剣山にあったわけで九州ではない >>56
免田式土器は九州北部から奄美沖縄まであるのかすごいな。
侏儒国は女王国から四千余里。また、その東南に裸国や黒歯国も在り、船で行くこと一年で至るとある。
南方と交易してた免田式土器の持ち主達が邪馬台国じゃん。 >>60
自分でやれ
>>65
ないことを証明してから言え
これは悪魔の証明ではない >>51
なるほど、たしかに>>57や>>62の情報を踏まえるとそれで全部無理なく説明できるな
他の考古学情報とも合致してるみたいだし、色々考える人がいるもんだ 曹操を勝手にイメージすると、
”使える”モノを好みそう”使える”モノは大量に作らせて普及させそう
で、装飾が大量生産品では無いのだろうけど、
最高級? 曹操なのか,曹丕なのかハッキリしろや(´・ω・`) 難升米は内宿禰。武内宿禰の弟。タリシヒコ系王は神功と武内宿禰により滅んだ。神武東征はそれ以前ひょっとすると神武と開化は同一。紀元前660はウエツフミには神武は70代以上だからこの伝説を記紀は借用したのかもしれない。 そもそも記紀に刺青の記述が一切無い
古墳時代にも飛鳥時代にもない
倭国は日本人ではないフィリピンの人達の事だろう 金印って、まだ紙が発明されてない時代に出来てたのか?w これは240年に梯雋から倭女王卑弥呼に献上された鏡ですねありがとうございました。 倭人はヘブライ人
倭はヘブライ語でヘブライ人達のこと
在日が誤魔化してるが
フィリピン人ではない 普通に考えて同格の国だったってこと
朝鮮は発狂するだろうけどねw 韓国の南東部の端に、邪馬台国の出先機関があって連絡係が常駐してたと
魏誌倭人伝に書かれてた >>76
そもそも、日田はここから九州のあちこちに行ける中心点みたいなところなんだよ
それだけに軍事的には要衝で江戸時代も幕府直轄領だった
そこまで考えると日田に邪馬台国があるというのはそんなに不思議ではない >>63
きてるよ
対馬壱岐の様子とか見ないとかけないから
卑弥呼にも会ってるし まあ多分間違いですわ・・・・。
それが本当なら今頃日本は中国だろうから・・・・(´・ω・`) >>90
記紀神話では九州倭国の事が無かった事にされてるよな
前漢や魏との交易にも一切触れていない 司馬懿に滅ぼされた公孫淵の子供が難升米が密かに邪馬台国に連れてこられて日田に隠棲した。
それでそのまま日田に公孫家の秘宝が、、、(嘘です 日本書紀にも任那日本府があったと言うから、魏の時代にはもう倭人がいた 中華が広過ぎて他国に目を向けられなかったのが残念過ぎる
でも各々が頑張って土地を守った事は評価するわ >>80
はい、ウソ
日田からの盗難なんかまったく証明されてない
出土場所がはっきりしないものが重要文化財になっただけだ 日本人のレスが少なすぎて笑えるね・・・(´・ω・`) 九州の唐津というところにたどりついてから船で海岸沿いを移動して
そのあとどこかにやまいち国があったと書かれてた >>98
書かれてない
>>100
むしろどこからも攻められない位置かと >>109
盗まれた本人=渡辺音吉が認めてるんだぞ しかしなぜ日田に??
謎は深まるばかり。
あの筑紫君が何かしら知ってるんじゃね? 津は大切な場所という意味もあったから
唐津とか邪馬台国の頃も大切な場所だったんだろうな
天然の港があったとかなにかあったんだろ 倭人伝は最後どこかと争って男性の王が誕生するところで終わっていて
そこも邪馬台国だと書かれてた >>118
末盧国だから相当重要だね。
梯雋や張政も通った国だ 日本の歴史から考えると、吉野ヶ里に邪馬台国の王が暮らしていた時期がある 金印が田んぼからでるぐらいの土地だから
ざっくざっくやでー 日田の近くだと、平塚添川遺跡があるな(まあちょいと離れてはいるけど)
何か関連はあるんだろか >>110
九州までじゃなく「倭国まで」じゃね?
>倭國在百濟新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。
>魏時驛通中國三十餘國。 >>116
大友氏とか有力な大名いたからどこぞから戦利品としてせしめた可能性はある >>120
男王が立ったが争いで千人以上が死に、台与が立ってやっと収まったってまでを記載してるのが魏志倭人伝
南北朝時代の梁書だと、その台与の後に男王が立った事になってる 倭人伝はまず中国の海岸を北に行くと半島の付け根に狗邪韓国があると書かれてる
狗邪韓国の北に帯方郡、今の沿海集サハリンなど豊かな地域だったらしい
狗邪韓国からは南北に川を渡って東南に進む
魏の人が、百済や新羅の人に聞いた韓国の東南に住む倭人についての記述がある >>127
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡 の蕨手紋が筑後川や熊本北部の装飾古墳に影響を与えたと見た!
それぐらいすごい鏡だね 大和大国→邪馬台国(邪魔大国)
日巫女→卑弥呼
竜宮→琉球(ながれだま)
魏志倭人伝は大陸の書物です蔑視のいいかえで漢字を日本は当てられた
那覇、与那国など那の国は大和の支配地域
今は沖の縄張りで沖縄
支那は那の国の支配地域で那覇が覇権をもってて竜宮城があります
てきとー >>114
またまたウソ
九州説はウソのオンパレード 金印は漢奴隷国という意味のハンコだからおもしろくなかったんだろ 日本は共産党以前の中国は、尊敬しているんだけどもなぁ・・・? いや、当時の子孫達が今もいる訳で、場所がわからないわけがない。
隠したいからウヤムヤにしているだけだと思いますよ。
徳島も遺跡天国だし、卑弥呼時代に遡る古い家柄も多くあるでしょ。
話題変わるけど、例えば分かりやすい江戸初期、徳川家康影武者説とか埋蔵金の真実を宗家、分家等が分からないわけないじゃん。 メイジ政府が盗んできて埋めたんだろwww
ジャップがまた捏造したんだろwww >>109
奥山さんにはもう強弁するしか残されていないのか・・・
石灰粉も認められ、盗難品であると同定され、1964年に国の重要文化財として認定、
国立博物館に収蔵された。
盗難品であると同定され
盗難品であると同定され
盗難品であると同定され 九州で決まりだな
他は町おこししたいからって見苦しいよ そもそもそんな物見つかってないって話しだしね・・・・
どうすればいいの・・・? なんで近畿説が有力なんだろう
近畿にあったのなら金印が福岡から発見されたのも不思議 >>142
単なる学者の縄張り意識
九州に決まってるんだよ
とりわけ古田説 日田らへんに邪馬台国系統の国があってそこから瀬戸内海ルートで西征していったんか >>142
掘りたい遺跡が近畿にいっぱいあって予算が欲しいからだろ。
学問的には「文字の書かれた遺物でも出てこない限り永久に分からない」が正解。 >>142
なんで九州なんだろ?中国との窓口ではあっただろうけど >>142
纒向遺跡の存在がデカいんじゃね
当時奈良周辺に大きな国があったのは間違いないが
個人的に、それが魏志倭人伝の邪馬台国ってのは、ちょっと無理があると思う 福岡の漢委奴国王の金印は後漢の頭で、邪馬台国から100年以上昔だしな
当時福岡にあった国への贈り物
これが親魏倭王の金印だったらまた違っただろうけど ダンワラ古墳があったはずの法恩寺山古墳群は筑後川流域の装飾古墳文化圏だったな。
磐井の勢力圏かな? >>1
光栄の三国志で曹操軍に攻められて、
総大将が曹操だったときの絶望感ったらない。 九州で見つかった金印は
偽者だと思うけれども・・・(´・ω・`) >>138
誰が日田からの盗難品だと同定したんですかねw
何の証拠もない作文をいくら書いても、日田からの盗難品だと同定されることはない
出所不明のものでしかない 遺跡だと、奴国があったと思われる福岡市は、邪馬台国の時代、畿内とかなり密接だった
ただ、これが伊都国があったとされる糸島になると、畿内の影響はがくっと落ちて、ほぼ無くなる
久留米やら朝倉、日田辺りはまだ九州独自っぽい
ただ、久留米の南、熊本の山鹿あたりになると、畿内系のかなりな影響が見られる
さてどういう事か、、、 >>155
普通は、政権が変わった後には貰った印鑑は返していたらしいからね・・(´・ω・`) >>156
収蔵した国立博物館の同定チームだと思う >>156
江戸時代に漢の印綬のサイズが分かって無かったり
紐を通すところ(鋳)の意匠が蛇だが、江戸時代に蛇の鋳は知られてなかった
(亀とか駱駝とかのみ)偽物をつくるなら、そちらに合わせたはず
中国から出た印綬が大体似たような感じ
だから偽物の可能性はかなり低いと思われる >>157
とても興味深い。
しかし、山鹿と大和王権の関係と影響がイマイチわからない >>154-155
金印自体は間違いなく本物。ただ出土の経緯は怪しい。神社から盗まれたものかも知れない。 >>163
山鹿にいた邪馬台国の人が畿内に東遷したんだよ >>163
近畿の勢力が全国に広まりつつある時代にそれに抵抗した地域があったんだろう >>163
仮にだけど、邪馬台国の南にあったとされる狗奴国が山鹿(具体的な遺跡名だと方保田東原遺跡。ここは畿内の庄内式が多数出る)
だとして、邪馬台国を挟み撃ちにするために、畿内が狗奴国を取り込んだのかも >>164
糸島の細石神社にあったのかな?
邪馬台国伊都説では卑弥呼の墓と目される平原遺跡のすぐ近くにある、、? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています