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 古学者の高島忠平氏が監修とコメンテーターを務める古代史連続講座「古代から未来のトビラを拓(ひら)く〜遠賀川の古代文化と邪馬台国」の
第3回フォーラムが22日、飯塚市のイイヅカコミュニティセンターで開かれた。
邪馬台国と敵対していたとされる狗奴(くな)国に関する近年の研究などについて、肥後考古学会と熊本歴史学研究会に所属する島津義昭氏と、
NPO法人古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク理事長の赤塚次郎氏、高島氏が意見を交わした。

 島津氏は、九州にある遺跡の出土品などを紹介。
弥生時代後期から古墳時代初期にかけてのかめ形土器は形が大きく二分され、「熊本を境に九州南部で出土するかめ形土器には足が付いている」と指摘。
「政治的区分の可能性があり、九州北部が邪馬台国、南部に狗奴国があったと考えられる」と述べた。

 赤塚氏は「東日本最大の遺跡とされる朝日遺跡(愛知県)が気候変動や巨大地震で滅びた」と説明。
その上で「邪馬台国時代に入って社会を立て直そうと、東海地域の部族は移動し、東と西のまとまりができた。狗奴国と邪馬台国の争いが247年とすると、
初期の倭王権誕生に東海地域の部族社会が大きく関与したと思われる」と話した。