山手線
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都心をぐるりと1周する山手線。その沿線は規模こそ小さいものの、山あり谷あり、意外なほど地形の変化に富んでいて、実は途中6つもの峠を越えている。過去には峠を越えるために掘られたトンネルも存在していた。

 山手線全体の沿線地形を、東側の「海線区間」(田端―東京―品川)と、西側の「山線区間」(品川―新宿―池袋―田端)の2つに分けてみよう。海線区間は縄文時代の一時期や、徳川家康が日比谷入江を埋め立てる前は海だった場所もあり、ほぼ平坦な土地を走る。
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■山手線の「山線区間」

 それに対して、山線区間とした所は、武蔵野台地を走る部分で起伏があり、谷に作られた駅もある。峠と谷は以下のように続いている。品川から順に見ていきたい。

・第1の峠 品川―大崎間の「御殿山越え」
 <谷の駅 大崎・五反田(目黒川低地)>
・第2の峠 目黒駅付近の「白金台地越え」(花房山など)
 <谷の駅 渋谷(渋谷川低地)>
・第3の峠 新宿―新大久保間の「山手線最高地点越え」
 <谷の駅 高田馬場(神田川低地)>
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・第4の峠 目白―池袋間の「目白台越え」
 <谷の駅 大塚(旧谷端川)>
・第5の峠 大塚―巣鴨間の「巣鴨の台地越え」
 <谷の駅 駒込(旧谷田川)>
・第6の峠 駒込―田端間の「旧道灌山トンネル越え」
 品川―大崎間、品川を出て右側車窓の高台が八ツ山で、その先御殿山へと続く。この第1の峠にあたる御殿山を切り通しで越えると、崖下を流れる目黒川を渡る。目黒川低地にある「谷の駅」が川を挟んだ大崎駅と五反田駅だ。
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 第2の峠、五反田―恵比寿間の「白金台地越え」では、ほぼ峠の上に目黒駅がある。かつてはここに「永峯隧道(トンネル)」があった。このトンネルについては後で述べたい。

 JR渋谷駅はその名のとおり谷にあるため、地下鉄銀座線が山手線より高い場所を走る。青山方面の高い台地の地下を通る銀座線が、渋谷の谷に突き当たり、地上高くに顔を出してしまうためだ。

 渋谷駅から原宿駅を経て代々木駅付近までは最も長く上り坂が続く。機関車の性能が今より劣っていた昭和40年代頃、旧型電気機関車の牽引する長編成の貨物列車が、モーター音を唸らせながらスピードをやや落として走っていたのを思い出す。


高架や築堤上区間を除いて、もともとの地盤の上としては新宿駅が山手線最高所の駅で標高38m。品川駅からは約35m上ったことになる。線路面での最高地点(第3の峠)は、新宿―新大久保間、山手線が中央線を跨ぐ場所で標高約41mだ。

■新宿と田端の標高差は約30m

 第4の峠は、元総理大臣の田中角栄邸などがあった目白台だ。高田馬場方面の低地を見下ろすようにして眺めがいい。高田馬場を出た電車は台地へと上っていく。目白駅や池袋駅は、目白台から続く台地上にある。
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 旧中山道(白山通)が線路を跨ぐ巣鴨駅西方付近が第5の峠。六義園や染井霊園などがこの付近にある。

 駒込―田端間で湘南新宿ラインが走る線路が山手線と分かれてトンネルに入るが、それとは別に、山手線にも長さ数十mほどの「道灌山トンネル」があった。昭和初期頃まで使われ、戦災で瓦礫の処理場となり埋められた。現在、この第6の峠にあたる場所は切り通しとなっているが、坑門の一部が露出しているのが右側車窓に見える。
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 そして田端駅は線路部分の標高が約5m。新宿駅からは途中上り下りがあるものの、標高差で約30m下ってきたことになる。

 山手線沿線のこうした地形は、川や切り通し、築堤などに注意しながら車窓を見ていると、かなり実感することができる。その成り立ちは江戸時代までさかのぼる例もある。

 大都市へと発展した江戸の町。そこでの最大の土木事業は、江戸城など軍事上のものを除けば、上水道の工事だった。人口増加に伴い、飲料水と生活用水の確保が必須だったためである。
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12/19(木) 5:20配信  東洋経済 全文はソース元で
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