初詣客第1位、明治神宮創建の頃…

 正月になると初詣に出かける人が多い。

 一般に初詣は正月三箇日にするものとされており、大晦日の夜から神社や寺院に並ぶ人たちも少なくない。

 最近では、警察が初詣客の数を発表しなくなってしまったので、いったいどれくらいの人が初詣に出かけているのか、数が分からなくなった。発表されていた時代、もっとも初詣客を集めていたのは東京の明治神宮で、その数は300万人だった。

 明治神宮は大正9年の創建である。西暦で言えば1920年で、令和2年11月1日には創建100年を迎える。

 明治神宮では、創建当時、鎮守の森ができるよう綿密な植林計画が立てられ、それにそって境内の整備が行われたため、今では立派な森が作り上げられている。そのため、大昔から明治神宮があったかのように錯覚する人たちもいるが、神社としては新しい。

 では、明治神宮が創建する以前、東京の人たちは初詣にはどこへ行っていたのだろうか。

 東京都内の神社で境内がもっとも広いのが明治神宮である。それに次ぐのが靖国神社である。靖国神社は明治2年に創建されているので、明治神宮よりも歴史は古い。

 では、明治神宮の創建以前、東京の人間は靖国神社に初詣に出かけていたのだろうか。第3位は大宮八幡宮だが、広さは靖国神社の約半分しかなく、知名度は低い。

 明治神宮が創建された時代、「初詣という慣習はなかった」が正解である。
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「ゆく年くる年」の創生

 初詣のはじまりについては、新刊の『神社で拍手を打つな! 』(中公新書ラクレ)で述べているので、詳しくはそちらを見ていただきたいが、高浜虚子の句を見ると、そのあたりの事情がよく分かる。

 虚子は正岡子規に師事した著名な俳人で、1894年から1935年までに作った俳句を『五百句』という本にまとめている。

 そのなかで最初に初詣が季語として使われているのは、昭和10年元旦の「神近き大提灯や初詣」の句である。

 これは明治神宮で詠まれたもので、虚子は元旦の午後には鎌倉の鶴岡八幡宮にも初詣し、「神慮今鳩をたたしむ初詣」の句を詠んでいる。

 もちろん、虚子が初詣の先駆者というわけではないが、他の証拠からも、初詣の慣習が昭和初期に生まれたことが分かる。

 これに関連するが、除夜の鐘の慣習も初詣と同じ時期に生まれている。これも、『神社で拍手を打つな! 』で述べた。

 江戸時代には、すでに「除夜の鐘」は俳句に詠まれていた。けれども、除夜の鐘を撞くのは一部の禅宗の寺に限られ、全体には広まっていなかった。

 除夜の鐘が広まったのは、昭和2年からはじまるNHKのラジオ番組「除夜の鐘」を通してだった。この番組は、現在も放送される「ゆく年くる年」の前身である。「ゆく年くる年」の番組に除夜の鐘が欠かせないのも、こうした由来があるからである。

 大晦日に除夜の鐘を聞き、それにつられて初詣に出かける。そうした慣習は昭和初期に生まれたのである

東京の氏神と新来の氏子

 ではなぜこの時代なのだろうか。ここからは東京に限って話を進めることにする。

 東京の人口が急激に伸びはじめるのは1930年以降のことである。1930年には、23区の人口は約207万人で、それが35年には588万人、40年には678万人に増えていく。わずか10年で3.3倍にまで増加したのだ(浅井建爾『日本全国 地図の謎』東京書籍による)。

 東京で人口が急増した時期に初詣や除夜の鐘の慣習が広まっている。そこには何らかの関係があるはずだ。

1/1(水) 9:01配信 全文はソース元で
現代ビジネス
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200101-00069466-gendaibiz-soci

★1 2020/01/01(水) 09:18:45.00
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