【古代/邪馬台国】鬼道で邪馬台国を統一 古代の女王「卑弥呼」の正体とは?呉と蜀を牽制するための「親魏」という破格の高位の称号
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
邪馬台国の女王・卑弥呼が、中国・魏の明帝に貢献の使者を派遣したのは、西暦239年(前年の西暦238年説あり)6月のことでした。「三国志」の名軍師・諸葛孔明が没した、4年後にあたります。
その年の12月、卑弥呼は「親魏倭王」の称号を授けられました。
これは3世紀の末、晋王朝の史官・陳寿が著した、有名な「魏志」倭人伝――正しくは「魏志」の「東夷伝」の「倭人の条」(1987文字)に出てくる記述です。
さて、この女王・卑弥呼は、日本側の記録ではどのように述べられているのでしょうか。
■孝霊天皇の娘か
「日本書紀」の著者は、第15代の応神天皇の母・神功皇后と同一人物とみなしています。
が、皇后の本当の在世は4世紀の中頃であり、歴史的には約1世紀のずれが生じます。天照大神こそ、との説もありますが、これではあまりに時代が遠すぎます。
筆者は第7代孝霊天皇の娘・倭迹迹日百襲姫命ではないか、と考えてきました。
「日本書紀」によれば、この姫は三輪(現・奈良県桜井市三輪)の大物主神の妻となり、八百万神を神浅茅原へ集めて、大物主神の意を伝えた、とあります。筆者にはこれこそが、日本最初の、統一の原景ではないか、と思えるのですが。
■開化天皇在位年と符合
同時に、倭迹迹日百襲姫命が生きた時代は、姫の甥(姫の異母兄・第8代孝元天皇の子)とされる開化天皇(第9代)が在位した60年間とも重なります。ほぼ邪馬台国の女王・卑弥呼の、統治年数と一致するように思えてなりません。
また、開化までの、9代の天皇の御陵や宮址の伝承地は、ことごとくが葛城山麓に集まっていました。開化と次代の崇神天皇(第10代)の間には、地域的にも、呼称においても、大きな断層がありました。
崇神天皇は一名を「初国知らしし御真木天皇」(「古事記」)=「御肇国天皇」(「日本書紀」)と伝えられています。はじめて国を作った天皇の意であり、ちなみに初代の神武天皇も「神倭伊波礼毘古天皇」=「始馭天下之天皇」(「日本書紀」)と記されていました。
さらには、卑弥呼かもしれない姫の墓は、奈良県桜井市に今も、「箸墓」として伝承されています。筆者はこの墓こそ、卑弥呼のものだ、と推論してきました。
彼女が現れるまでは、男の王が立って治めていたそうですが、国々は争い、乱れており、それが卑弥呼の“鬼道”(祖霊を信ずる道教的色彩の強いシャーマニズム)によって、邪馬台国(倭国)は、ようやく統一された、というのです。
■卑弥呼が「親魏倭王」になれたワケ
卑弥呼は15歳前後で女王になり、30代で後漢と通じ、老年の239年に魏との国交を開いて4回にわたって使者を送り、10年後に79歳で死亡したといわれている。
最初の使者派遣の際、魏の皇帝は卑弥呼に膨大な贈り物を与えた上に「親魏倭王」の称号とその地位を表す「金印紫綬」を授けた。「親魏」という破格の高位の称号は他の諸国の王の上に置かれたことを意味する。これを許されたのは卑弥呼と「大月氏国(だいげっしこく)」と呼ばれたインドの王の2人だけ。卑弥呼は実力以上の評価を受けたことになる。
その理由は当時、魏が呉、蜀の2国と激しく戦い、競い合う三国鼎立(ていりつ)の時代だったことにある。魏は呉と蜀を牽制するために邪馬台国、大月氏国との同盟関係をアピールする必要があった。そうでなければ、小国の邪馬台国を実力以上に優遇する必要はなかったのだ。
https://c799eb2b0cad47596bf7b1e050e83426.cdnext.stream.ne.jp/img/article/000/266/391/21f269693a9dc13923350d18afe352c320191217125251434_262_262.jpg
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/266391 三国志9でうっかり探索してコイツら出すと
面倒だったなあ ウガヤフキアエズ王朝の王様 →女王 卑弥呼
神一族 →占い師
血族 →霊能力がある女性 本当はヤマタイという呼び名ではないらしい
ふつうに考えてヤマトじゃないのか アホだろ
一目置かれてただけで統一なんてしてないぞ
そう書かれているだろ
面白ゲーム設定はいつ発売なんだ 卑弥呼は天皇が成敗した土蜘蛛のひとつだろ?
起源主張はみっともないからやめてほしい 九州の筑後川流域を抑えただけで日本統一ということになるのか >>15
1800年ころ歴史泥棒が侵略と同時に歴史書を全て燃やした
竹内巨磨に指摘さるが宮内庁らが聖域を間違えた 日本書紀なんて藤原氏の創作。ファンタジー。
真剣に研究しても無駄。 事実破格の贈り物を魏からもらってるからな
それでは魏志倭人伝の引用をみてね
汝の在る所は遠きを踰(こ)える。すなわち、使を遣わし貢献するは、これ汝の忠孝。我は甚だ汝を哀れむ。
今、汝を以って親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、装封して帯方太守に付し、仮授する。汝は其れ種人を綏撫し、勉めて孝順を為せ。
汝の来使、難升米、牛利は遠きを渉り、道路勤労す。
今、難升米を以って率善中老将と為し、牛利は率善校尉と為す。
銀印青綬を仮し、引見して、労い、賜いて、還し遣わす。
今、絳地交龍錦五匹、絳地?粟?十張、?絳五十匹、紺青五十匹を以って、汝の献ずる所の貢の直に答う。
又、特に汝に紺地句文錦三匹、白絹五十匹、金八兩、五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を賜い、皆、装封して難升米、牛利に付す。
還り到らば、録して受け、悉く、以って汝の国中の人に示し、国家が汝を哀れむを知らしむべし。故に、鄭重に汝の好物を賜うなり。
解説はあとで >>1
日本書紀自体藤原一族が書いたものだから、
信用していいのかな?
歴史は、勝者が作るもの。 >>19
中華の感覚では贈り物というより臣下への褒美でしょ
よく朝貢してきたな。褒美をやろう みたいな >>21
支配下における面積と、そこのリーダーの恭順
がメンツでしたからな >>1
年代的には、
卑弥呼は神功皇后に相当するだろうな。
いずれにしても、当時の日本は、神武東征からすでに900年経っている。
畿内に相当有力な国家建設をやっていたろう。
中国王朝の「魏」も、一応、「倭」を大国として認識していたのではないか。
その表れが、「倭」と一文字の国名で、しかも「魏」とペアである文字を創製して当時の日本に充てている。
「魏」と「倭」がペアである文字なのは有名。
「委ねる」の右に「鬼(先祖霊)」があるのが「魏」。左に「人(生きてる者)」があるのが「倭」となってる。 >>22
やまたいこく という読み方自体が当て字から推測して当てた名前でしかない
やまとのくに と名乗ったら、中国側が忌み字を入れた漢字表記を作ったような順序 女王国の東は海
千里先にまた国がある
女王国には属してないが倭人の国 >>27
朝っぱらから小汚いチョンが出て来るなよ。 >>21
地元の人が見たこともない豪奢な物を中国から貰ってきたとなれば
中国の凄さが広まると同時にそれを貰ったリーダーへの周りの見る目も変わるからな >>28
どうやら、ファンタジーではないようだな。
膨大な史跡があるからな。すべてを否定するワケにはいかない。 >>15
日本史的には大した事ではなかった
魏の権勢を誇る為に倭国が朝貢にしに来たことを宣伝したい意図が有り魏志倭人伝にも詳しく書いて無い
金印が江戸時代に忽然と現れたのかが重要な事で光格天皇の時代に出土されたのは興味深い >>31
そのとおりだと思う
なので献上品よりも下賜品のほうが豪華になる
嫌なやり方だが圧倒的大国が辺境を支配するには賢いとは思う >>28
もし、創作であれば、神武は奈良生まれ、奈良育ちにするはずだ。
初代が南九州から奈良を攻めに来たという話を、奈良側が創作するのは不自然。
史実と関係あるんだと思う。 百襲姫が天皇じゃないならその説は破綻してるんじゃね 邪馬台国は卑弥呼が都を置いたところ、女王国の一部、女王国は広大と魏志倭人伝に書いてあるやろ 文字がなかったせいで正確な歴史が分からないのは残念だ。渡来人が文字を持って来なかったせいで 卑弥呼はヤマトタケルのおばさんの倭姫命でいいやろ
そもそも散々混乱してた時代で女王がなにやらよく解らんが >>43
当時最先端の暦や銅鏡などの祭祀品は中国大陸から輸入していた形跡があるから百襲姫が魏の国と通じていたこと自体は不思議では無い 「倭は悪い文字」というのが常識になってるが本当だろうか
中国は辺境の蛮族は人間扱いせず、動物の字を当てたりしている。
なのに倭は、にんべんがある。
委は、「矮」と同じだから「小さい」という蔑称だという説もある。
だが卑弥呼が使者を送った国は、魏。
魏にも「委」が入っている。
鬼は、日本ではいい意味で使うこともあるが、中国では
悪い意味しかないという(だから、日本鬼子などという)
倭より魏のほうが、よっぽど悪い字に見える。
常識を疑ってみては >>17
なんで写本は残っていないの?
邪馬台国論争は、江戸時代から古代中国の文献が
日本に伝わって、行われているのに >>54
朝鮮人に聖域を奪われないようにするのにどーするん? >>51
今使譯所通三十國
と書かれてるから卑弥呼以外の国の王様が使訳を通じてても不思議はないな その頃の大陸から見た倭国がどうであったかと日本列島内の勢力構図がどうであったかは切り分けて見ないとね 孝霊厨か?
確かに卑弥呼はヤマトトトヒモモソ姫だよ。 日本語を話す人々の中に,漢字を読み書きできる能力を持った人が増え始めたのは6世紀から7世紀になってからです。
↑
情けない スタップ連中みたいにサクラに断定口調で言わせてミスリードする作戦かよ もし日本側の記録がなければこうなる
「16世紀、ローマに使節団を送ったダテマサムネという日本の王がいた
当然、日本の支配者だったはず
地方領主なんかに、そんなことができるわけがない」 >>59
徐福の子孫が繁栄したとか言われていたかもしれない 天武が真面目に取り組もうと始めたことだけど
亡き後に不比等の野郎が皇族引っ掻き回して実権握り改竄しまくった
それが今も正統な我が国の歴史として残ってるという
真の歴史は闇に葬られたまま >>58
漢の時代の倭国はまだ中央集権されてないだろうからね ┏( .-. ┏ ) ┓
【Amazon/アレクサ/アレフ】
▪Amazon = アレ腐る = アレ腐(フ)
*アレフとはオーム真理教の前身
*腐
音)フ 訓)くさる
某記者談 by
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1211763532787666944
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>61
大陸だって漢字使えるのは一握り、他は文盲、かなみたいなものもなかったし発音も多分バラバラ、どこまで実用性があったか疑問 >>67
近畿から九州までの巨大統一国家を築き上げてるヤマト帝国はちょっと想像しにくいわな 日本の内情を把握するため大陸からスパイみたいに入り込んでた連中がいたはず 入墨をしていた人々の国が邪馬台国
朝廷はそれを征服し、中国から墨刑を取り入れることによって邪馬台国の人々全てを罪人に仕立て上げたのである >>63
揚げ足取りだが、「Idate Masamune」(いだて まさむね)
と署名した書簡を慶長遣欧使節を通じてローマ教皇に送っている
地方の領主としかみなされず、教皇からの返書は得られなかった 徐福は3千人の若者、職工を連れて佐賀の諸富に上陸した
ススキ一面の平野を黄金色の稲穂にして後の邪馬台国となる。
いまや常識である。 >>11
台与をトヨと読めば、自ずと邪馬台はヤマトと読める そもそもヤマタイと読まずにヤマトと
読めばいい話だろ(笑)
支那の古典にも後のヤマトだと書かれてるんだし。 ┏( .-. ┏ ) ┓【Apple/アレフ/ナチス】
Apple=A le pp=アレフ(Aleph)=アレ、フジテレビ
Apple=A le pp=アレ、ポリプロビレン=私は色彩心理学のプロ
林檎🍎=サリンでGO
プル=プルトニウムを撒く
―
フジテレビ=YHWH(ヤハウェ)=尻穴(Siri)に突っ込むキー🗝
*ナチスの鉤十字の鍵の意味
*私のお尻から串を指して、十字架に掛けて燃やす
*三本の鍵構想
一本目/フジテレビ
二本目/在日(Z)
三本目/刀ノ刀へ(ワンピースのゾロの三刀流)や
ワノ国にも見える
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1212288705475399680
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1212289109135220736
la
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>65
日本書記編纂当初は、天武天皇の皇位継承の正統性が第一だったと思うが、崩御後に不比等主導で改修してると思われる。
持統天皇にも相当取り入っていたようだから。 >これを許されたのは卑弥呼と「大月氏国(だいげっしこく)」と呼ばれたインドの王の2人だけ。
それだけ倭国は強大な国だったんだよ。
ゴジャゴジャ言わずに認めろよ日本の左翼歴史学会どもwwwww 卑弥呼の墓は、太平洋の孤島の洞窟の墓地にある
先日TVで見た
ガイジンが発掘して発見してた 昭和時代のSF作家が邪馬台国ハワイ説をとなえていた >>80
だよなwwwww
どうしても朝鮮半島の方が文明的に進んでいたと決めつけたい歴史学者どもが無理やり倭国を村国家程度にしようとするから無理や矛盾だらけの日本古代史になっちまうわけだよ。
素直に読めば良いだよな。
邪馬台国は大和国だし、卑弥呼は天照大神。
どうしてわざわざ捻じ曲げようとするかね? 大月氏と並べるとなあ・・・
どうしても敵国を挟み撃ちと連想してしまうな >>70
金印を貰った時代の倭国と卑弥呼の時代では200年離れている
その200年間は祭祀や鉄製品、水田技術を使い大和朝廷が東征して行く時期と重なるのでは無いかと個人的に思う 金印は本物で確定している。
畿内厨はトンデモの守銭奴 >>77
西暦107年だっけ?
倭面土國王の帥升も朝貢に行ったが、中国側は地方の領主くらいの対応だったね。 畿内説の妄想スレなのか?
寝ぼけたことをいわないように >>88
張騫が大月氏にたどり着いた時の大月氏も女王だったしねwww
条件的に似てるね。 ガンバレルーヤの “よしこ みたいな顔してたらどうするよ 絹織物と勾玉は蛮族扱いできん土産
文明国扱いできる国が魏の周りに大月氏と倭国しかなかったのが実情やろ 大化の改新、壬申の乱、記紀編纂
ここから我々の知る日本の歴史が始まる
逆に言えば、記紀に記されている「それ以前の歴史」は物語
神武天皇や卑弥呼どころか、教科書で習ったはずの聖徳太子や蘇我入鹿でさえ
その実像は極めてあやふやな神話的存在なのだ >>90
奴国の「漢委奴国王」の金印と
邪馬台国の「親魏倭王」の金印とは
別のもの 漢委奴国王や、後の時代の倭五王が征東大将軍や安東大将軍であることに比べて、
親魏倭王は独立した同盟国扱いなのが破格なんだよな 当時の人々は暴力とはったりで簡単に統治出来たんだろうなぁ
「庶民が卑弥呼様など見たら死ぬ!」とかなんとか偶像つくりまくってさぁw 銅鏡にしても呉と類似のものが日本で沢山見つかるとか三角縁神獣鏡が大陸ではろくに見つからないとかある訳で つまり金印は九州からしか出てないと
大月氏国よりも先にだ 卑弥呼=田油津姫説もあったな。
偽僭説ね。
これはどうなんだろうな? >>70
古代中国の文献を信じるなら、2世紀後半に
いわゆる倭国大乱が起き、卑弥呼によって平定された
(その時代の戦闘で死んだ人骨も複数の遺跡で発掘されている)
ただし、古事記や日本書紀にはそれらしい記述はなく、信憑性は不明 邪馬台国が近畿地方とか頭沸いているとしか思えない
九州に上陸して通った国を細かく書いて途中で海を渡るんだぜ?
いきなり近畿地方に飛ぶとか馬鹿ですか
近畿地方に行くなら対馬暖流に乗って中国地方の沿岸を船で進み兵庫あたりで上陸するわ
古代人は知識はなかったかも知れんが馬鹿じゃないからな
途中の海とは有明海のこと
敵対部族がいたため陸路が使えず回路で渡ったと思われる
それで場所は熊本北部のトンカラリン遺跡のところ
ここでは呪術の祭壇のあとが残っている
また近くの江田船山古墳では日本最古の漢字が刻まれた刀剣が発掘されており国宝になっている 卑弥呼は日本の記録には痕跡も何もないんだよ
だから日本書紀は困って適当に神功皇后にあてただけ
もしモモソヒメだのヤマトヒメだのだったら、そっちに書いてる
大和朝廷とは無関係 マジでゲーム設定
魏志倭人伝の記述でそこまで空想を膨らますのはいいけど
たぶんその設定は使い古されている
まあたいがい黒幕はツクヨミって事になってるけどな
ツウヨミはいい迷惑
人間に恵みをもたらす月の女神様なのに
海洋民族にとっては今でも重要な存在
月齢は今の暦では見にくいからな 岡山の大量の古墳群は邪馬台国があった証 徐福が岡山にたどり着きそこに邪馬台国がつくられたことはもはや常識 >>115
柵封されてました、とは書けなかったという説もあるが。
実際には大和朝廷側が国内統一過程で滅ぼした国じゃないかな? まあ日本書紀その他に卑弥呼の記述がないのは、当時の朝廷が邪馬台国倭国と日本は別モンの国なのを知っていたからだ
当時の人がすでに答えを出してる 安倍でさえ表向きのひととなりは嘘ばっかなのにそんな昔のは糞デタラメばっかだろwwwww >>99
もしくは近隣の平原古墳らしいな
二つとも魏志倭人伝に書かれてる殉葬跡が見られるそうな >>111
日本の支配者なら国内の敵なんかわざわざ言わない
自分の支配を誇る
伊達政宗はヨーロッパの力を借りて徳川と対抗するのが真の目的と
同行した宣教師が報告してる
卑弥呼も、狗奴国との戦いで魏の後ろ盾が欲しい
(伊達は断られたが、卑弥呼は張政という軍事顧問を覇権してもらい
魏皇帝の配下を示す黄色い旗ももらった)
外国の力を借りようなんて、そもそも負け確定の売国奴 >>111
その時代の戦乱の遺跡を調査してみると九州に集中してるとかなんとか 魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀
「魏略いわく、その習俗では正月(陰暦)や四節を知らない。ただ春に耕し、秋に収穫したことを数えて年紀としている。」 そんな難しい話じゃないよな
邪馬台国は九州にあった国で
近畿の大和朝廷とは別もの
皮肉にも神宮皇后あたりの時期に
九州で土蜘蛛退治してるのが邪馬台国のその後の話だろう >>123
呉の太伯の末裔名乗るくらいだし、邪馬台国は越族の避難民の入植地に過ぎない
その考えが妥当かと いつまで日本の歴史学会は
邪馬台国と大和朝廷の同一視を続けるんだろうな
ただの思い込みが続いてるだけなのか
なんらかの利害が働いてるのか >>4
常識的に考えると自国の国名に「邪」なんてつける可能性は低いので
邪馬台国=ヤマト国の当て字の可能性が高い。
同じ様に自国のトップに「卑」なんて字を使うほど狂ってたとは考えにくいので
卑弥呼=ヒミコ=日御子or火巫女を忌諱したと考えるのが穏当。 >>123
日本は元小国、倭国を併合した、(倭国の)東にあるから日の本
と倭人が言うけどちょっと信用できない
とか書かれてるシナ 大月氏って現代のアフガニスタンやウズベキスタン辺りなんだけど
当時の日本はそれくらい貧乏だったんだな この外交周辺関係を理解するのに重要なのは
「親魏外交」「それらが事実と裏付けるための曹魏の鏡」
でこの当時の時事関係を証明する証拠が当時の状況を説明してる どこぞの国から貢朝されたってのは箔を付けるにはいいネタだからね
それが例え海のかなたの未開地の一部族でも少しは盛って書くだろうよ >>136
ところが魏志によると邪馬台国は30余りの国を治める都ということになっている。
これが30の国家からなる連合という意味なのか、30地域を治めるという意味なのかさえ分からない。
なにしろ邪馬台国って単語は魏志に1回しか出てこないしな。 >>28
>>32
弥生人は朝鮮半島から来て、九州北部に上陸した。それから千数百年たって奈良にプレヤマト王権が生まれたわけで、北九州を起点とするなら「東征」ではあるだろうな。 >>134
四方の小島五十余国の倭国連合国家でしょ。どうやら日本の学会はタブーみたいw
現在に例えると昔日本に四十七の都道府県国家あり日本はどこにあったと言ってるに等しい話 >>115
困ってもないし適当にあてたとか何も知りませんて白状しとるだけやんけ 歴史は時の権力者によって都合良く書き換えられるモノ
後に権力を握った近畿勢しかり >>115
だがモモソ姫を別名を日女命とした資料が日本側、丹波にはあるからな。
それはずっと最近まで隠されていた話で
昭和の戦後になって初めて公開されている。 新春特番魏志倭人伝を最新技術で読み解いた
https://www.youtube.com/watch?v=63bNv7RmHHc
Google.mapってこんな機能があったんだ >>147
その近畿の中でも葛城勢力だけは何故か歴史が隠されているからな、つまりそこが怪しい。 >>52
日巫女だよ
アホな中国系が侮辱して 変えてしまったんだよ
藤原系の創作だから 歴史書なんて 当時の支配層に都合良く書かれてるだけだよ 卑弥呼が個人名じゃなく、日巫女や姫巫女なら
ヒミコの前にもヒミコがいて、台与もヒミコと呼ばれたろう
邪馬台国以外にもヒミコはいたろう
いつの時代にも日本のあちこちにヒミコがいたなら、記録にヒミコが出てきても
誰のことだかわからない こういう無駄な研究を国立大学からなくせよ。税金使うな そもそも邪馬台国はどうやって魏と交流してたのかはっきりしないのがね。
あと孫権が派遣した亶洲とは日本の事なのか?そこも興味がある。場所的には
呉と交易しててもおかしくはない。 神武は実在して東征もした。
ただ、規模はしょぼく、
天皇(大王)になったというのは後からの創作。
実際には王朝は何回も変わっており、卑弥呼も滅びた王朝のひとつ。
後から天孫降臨から万世一系に創作された。 >>153
よくあることだよ。
武内宿禰でさえ事績が少なくとも60年間以上あって
本当に個人か?って疑われてるんだし。 4〜5世紀はどんな事情だか何人か端折ってるんだろうな >>130
いや 天皇家は東征したって記録残ってるから両者同じ勢力だろう。 正月は三国志12をやってたが、兵が多くないと勝てないし人材はなかなか登用できんしでクソゲーやわ >>162
三国志4は1000の兵士で50000の敵やぶれたのになw モモソ姫とはヤマトトト匕モモソ姫の事だが、
大物主、つまり物部の祖の祀り神に嫁ぐ巫女王だからな。
大物主とははるばる海を渡って国造りを手伝った神、クンピーラ、後々は金比羅さん。
これはエジプトからインドを経て日本にやってきたルーツがトト神の事な。
だからヤマトトト妃のモモソ姫と呼ばれている。 238年に皇帝の曹叡が崩御して
239年に息子の曹芳が皇帝になる
この時に補佐役も変わって曹爽と司馬懿が国を仕切ることになった
皇帝と補佐役に権威付けが欲しかったタイミングで現れた
倭国の使者の難升米と牛利を魏は大いに歓迎する
>〜以って、汝の献ずる所の貢の直に答う。
魏は通常の返礼品を用意したうえで
>又、特に汝に紺地句文錦三匹、白絹五十匹、金八兩、
>五尺刀二口、銅鏡百枚、真珠鉛丹各五十斤を賜い、
さらに特別に倭国の使者が欲したものを与えた
卑弥呼に金印紫綬を与えるけど
使者の難升米に率善中老将、牛利は率善校尉の位を与えて
銀印青綬も与える
この破格の返礼品を持ち帰ったことで
卑弥呼は日本のほかの国(出雲、東海、北陸)よりも秀でた存在になり
のちの初期大和政権の礎となる >>142
魏の使者は「倭」国の国家体制を間違って理解し誤用している。
中国人は倭人の住まう地域をいっしょくたにして「倭国」としていた。
一方、接見した倭人たちは自分たちをの国を「やまと」国としていた。
中国人は「倭国」が倭人の言うところの「やまと国」とを同義語と事実誤認して解釈した、、、
そして倭人伝に書いてしまった。
邪馬台国とは畿内を中心とした九州にも勢力が及ぶ連合国だったのだろう。
が、もちろんそれが倭国の全てと言うワケではない。
邪馬台国は最大国家であり連合国の中心的存在(都)だったんだろう。 うーん ひげ面の毛皮きたおっさんが勾玉や数珠だらけで頭さげまくったんだろうなぁ
中国人に 卑弥呼ふくむ弥生人が中国から来たのは事実
そして縄文人は朝鮮半島から来たって都合の悪い話は日本ではあまりしないよねww
韓国は今も世界で日本の次に縄文人の遺伝子を持つ人口が多いんだぞw
後から来たモンゴル系に押されて少数派になってはいるけど
ノーベル賞が多い日本だが、全国で同じ教科書使っても東日本の血筋で取れた人は1人だけ。
西日本は弥生系の血が強く、東日本は半島からきた縄文の血が強い。遺伝子は残酷
東日本人が韓国がノーベル賞とれないことバカにするのは、ものすごいブーメラン 呉の都の建業の海を渡った西の沖縄や台湾辺りに
邪馬台国があると魏は考えた
魏は呉を北と東から同時侵攻できると考えたかもしれない そもそも10代までの天皇が架空である可能性が大なのにさらに推論するってバカ つか邪馬台国論争を江戸時代から今だに続いてるはアホだろw
一般市民から見るとだからそれがどうしたので苦笑い 丹波とは投馬、現在の出雲辺りがその入り口だな。そもそも出雲大神宮は元々亀岡にある位だ。
また現在の奈良の天理辺りは丹波とも呼ぶし、
モモソ姫の生まれた田原本辺りには保津遺跡という弥生遺跡もある。
つまり丹波の保津川は田原本の保津へ向かう川の名前だ。保津とはホの都、ホトの事だから。
つまりは女性器の事で女王の都。
モモソ姫がホトを刺して死ぬのは女王の死の事、アマテラスの妹もホトを刺して死んでいるだろう。 ハイキングウォーキングの卑弥呼様ーってやつ
当時の日本に「様」っていう敬称があったか疑わしいし
もし仮にあったとして、卑弥呼レベルに偉い人に
「様」で敬意が事足りるかって問題が出てくる
もし万が一、当時卑弥呼様と呼ばれてたとしたら
「様」っていう敬称が昔は最高級の敬称だったのが
時代が下るにしたがって、ただの他人や年上にも使うようになった
それくらいしか考えられない 邪馬台国がどこにあったにせよ近畿じゃないことは確か 栄光の地、群馬にあったに決まってる
九州とか嘘つくな 浦島太郎の乙姫、つまりこれは本来的にはオトヒメ、ホトヒメの事だよ。
元々これも丹波にあったお話の事だから。
だが竜宮城は淡路島か瀬戸内海の愛媛辺りの島だけどな。 淡路が豊かだったのは容易に想像できる
交易に絶好の場所 239年 曹爽と司馬懿が皇帝の補佐役となって国政を仕切る
244年 曹爽が蜀を攻めるけど大失敗して帰ってくる(興勢の役)
247年 曹爽が皇帝の権力を奪うことを画策
司馬懿は病気のフリをして動けないと思わせる
249年 司馬懿がクーデターをおこして曹爽の粛清に成功(高平陵の変)
新たに国政を仕切ることになった曹爽が
呉や蜀を攻める気満々だったころだと思われ239年 >>1
箸墓が卑弥呼の墓だとする伝承は無い。
デタラメを書くな。 箸墓が卑弥呼の墓だとする伝承は無い。
デタラメを書くな。 東方見聞録ですらアレなんだから
魏志倭人伝とか半分くらいウソだと思ったほうがいいぞ。
(´・ω・`) 阿波は石槨墓の中心地でもある。
四国説など唱えてるクズは、
考古学を冒涜している。 3世紀の100人規模の殉死を示す墓は、
祇園山古墳しかない。
付近の高良山は九州の要害でのあり、
実際に磐井氏はこの地から北部九州を支配していた。
邪馬台国は山門八女で間違いないだろう。 >>146
北部九州一帯の地域が邪馬壹國ですね
邪馬壹國と投馬國が女王の勢力圏
女王国とは伊都国と奴国のこと。 >>178
当時の倭の範囲は朝鮮半島南岸と九州、中国地方くらいだからな。 甕棺墓全盛の北部九州と、
石槨木槨埋葬圏の中国四国近畿地方、
既に結論は出ている。 卑弥呼って、今の基準で見たら
ボロボロのBBAだと思うが。
魏の使者ですら、怪しい術で民衆を治めているって、報告してた。 卑弥呼は卑弥呼じゃよ
神功皇后でもヤマトモモソヒメでもない >>192
ジパングが黄金の国 黄金なんてない。
ジパングの人間は、人を食べるとかめちゃくちゃ。 229年にクシャーナ朝が朝貢して金印をもらった
その10年後倭国の使者がきて遠くからきたことをねぎらい
魏は親魏倭王の金印を与えた
理由はなんでもいいからとにかく魏はもてなしたかったんじゃないか
新たに皇帝や補佐役になったばかりで権威を内外に示したかった魏は
遠くから来て金印をもらったクシャーナ朝の前例を利用した >>189
山門八女も北部九州だから邪馬壹國の範囲の中だな
卑弥呼が暮らしていたのは伊都国(糸島市南東部)だけど。 当時の中国人が日本人を卑下した名称をいつまで使うのか
邪馬台国 → 正しい名称は「ヤマト国」
卑弥呼 → 正しい名称は「ミコ(巫女)」 >>166
中国産の朱が使われているのは北部九州の古墳で関西の古墳には使われていないよ。 >>201
ピミファだかピミウォだかの発音らしいじゃん「ミコ」なんてこじつけよ >>203
その説唱えてる学者ガッチャン語の研究でもしてんの? 古代から伝わる陰陽五行に基ずく鬼門封じの神巫女
魏志倭人伝に記された鬼道を司る女王卑弥呼の等身大の姿 >>182
大きな意味では呉と蜀に対する牽制になるだろうけど、
直接的には曹丕が自分のことを烏丸を討伐して服従させた曹操に比肩する存在として邪馬台国を強大に描かせて、さらに服従してきたとする政治ショー。
魏国内で曹丕のカリスマ性を高めることが目的だったのではないかな。 日田の鉄鏡と曹操の墓から見つかった鉄鏡が、
同じものだと分かった。
しかも、皇帝しか持ち得ない金象嵌の鉄鏡だ。
日本に渡来した曹丕(魏文帝)の子孫安貴公が、
曹操直系の子孫しか持ち得ない、
金象嵌の鉄鏡を持っていたと推測できる。 >>200
残念だが伊都は出先機関でしかない。
磐井氏が山門八女を本拠地として、
北部九州を支配した様に、
山門八女が邪馬台国で間違いないだろう。 >>207
北部九州全体が邪馬壹國なんだ
魏では銅が不足してたんで新手に制作せずに既存の漢代に作られた銅鏡を贈ったのではないかと考えられてるな。 >>209
磐井は時代が違うよ
3世紀当時は伊都国が女王国で邪馬壹國の都なんだ
山門八女は傍国の内のどれかだな。 >>171
韓国もごく少数は良い遺伝子を持っているんだな >>211
日田も傍国の内のどれかだけど
有力者がいたんだろうな。 >>171
縄文人は南方系で朝鮮半島へは日本を経由して渡ったみたいだな
水田稲作を始めたのも実は縄文人だったんだよな
縄文人が水田稲作を朝鮮半島や日本列島に持ち込んだんだ。 >>216
大分宇佐は秦族の入植地
漢文明の当時先端知識を吸収していた
この秦族が当時文字も待たない未開な日本列島に
裏で多大な工作している 稗田阿礼の口伝とは、歌なのかも
今、NHKで古代中国の、一つの王国の言い伝えを、末裔のシャーマンが歌で伝えていると、50時間分の暗記だそうだ >>211
宇佐神宮の石棺は豊玉姫と玉依姫のものでしょう。
要するに宇佐神宮はトヨの墓。 宗像三女神って航海の神じゃないの?
倭族が日本に渡ってくる遥か昔に原型が有るような気がする 邪馬台国も卑弥呼も存在するわけ無いやん
日本側に何の記録も伝承もないって時点でおかしいだろ >>212
山門八女が北部九州の要害であり、
その支配者が北部九州の支配者になったという古代の事実を良く頭に入れたほうがいい。
伊都国は出先だと明記してある以上、
そこを都にすることはあり得ないのだから。 >>200
伊都国は卑弥呼の時代よりも後の時代で4世紀ごろの大和政権下の領主国
場所的に博多湾や唐津湾を治めて中国王朝との交易や朝鮮半島に対する軍事的な要所だったのだろう
大領主が出現して古墳も残されて居るが大和政権の影響が強かった事が確認されている 宇佐や日向は九州でママコ扱いされて大陸利権にありつけなくて
機内に寝返ったんだろ
いまでもママコ扱いされてるから新幹線は来ないし高速道路は細切れw >>209
間違いないだろうって
お前の願望書かれてもな >>221
もしかすると当時の北部九州は佐賀博多と宗像山口で別の勢力がいて朝鮮半島と九州との航海ルートも西側と東側に分かれていたのかもしれない トゥームレイダーファースト・ミッションに卑弥呼の墓が出てきたな。
なぜか、香港から船でその場所に行ったけどw トヨは高良大社の豊比盗_社に祀られている豊姫ではないかと考えられる。 >>226
魏志倭人伝に明記されている以上間違いのない事だ。 >>224
紀元前の時代のものも出土してるし
関西では出土しない硯が近年多く出土したりしてる
大和政権は8世紀以降に誕生したものだよ。 >>232
魏志倭人伝には卑弥呼は伊都国に居たと明記されてるんだがw 邪馬台国以北は1大卒を置いて地域を支配した、
その主要国の一つが伊都国であり、
外交上の出先機関の役割を担ったち明記してある以上、
我々が、そこを勝手に邪馬台国の都にすることは無い。 国を挙げての戦が15歳のヒミコの即位により収まる
ヒミコの死後王位争いが起き13歳のトヨの即位により収まる
別に子供を王にするのは珍しくないが
それで実際に争いが収まるというのが普通ではない
なんなの?
ロリコンなの? ちなみに、周辺国に一大卒を置いて支配するシステムは、
磐井氏が糟屋に屯倉をおいていた構図とも重なってくる。
古代の山門八女がそれだけの勢力を維持することのできる豊かな場所だったのだろう。 >>235
女王国(伊都国、奴国)以北の諸国に一大率を置いたと書かれてる
女王卑弥呼は常に伊都国で一大率を使い女王国以北の諸国を治めたとあるな。 >>239
ソレはオマエの勘違いだな。
女王は邪馬台国に居て、
その北の国々や伊都国に、
一大卒を置いたのだぞ。 倭→大倭→大和
これをヤマトと呼ぶのは不可能。
山門=ヤマトだろうな。 >>1
手塚治虫の火の鳥の中では
卑弥呼は天照大神のイメージだったはず
100年前くらいの祖先を天照大神として箔をつけて神話化したってことは考えられないのかな? 神の声を聞ける巫女が
女王の国って、対外戦争ではかなり弱い国だったんだろうな ちなみに投馬国は、西都原に妻という地名がある。
放射読みで、ここを投馬国にする説を考えてみたい。 >>248
逆じゃないかな
物理的軍事力は充分じゃないと、神権政治は機能しなくね? >>75
漢委奴国王印は金の純度が古代中国のと一致してたり後世発見された同時代の別の金印と一致する特徴があったりと、発掘当時では再現不可能な情報が含まれているから偽物は無い。
発掘状況が不明確というのは事実だが、逆にそれ位しか偽物説の有力な根拠は無い。
その他の偽物説の根拠は殆どが既に反証されている。 >>221
>>227
これ。
壱岐対馬ルートを使う勢力(邪馬台国系)と沖ノ島ルート(宗像三女神の祀主)を使う勢力は
いたと思う。西晋が滅んで沖ノ島ルートに移ったってのも考えられる。ちょうど倭国の記述が途絶える頃。 >>242
君は女王国と邪馬台国の関係をどう考えてるんだ?
女王国は何処?邪馬台国は何処? まあ、こういうスレは居心地いいな
本来の2ch/5chの空気感だわ
だって、ほら、他のスレ見てみなよ....
左右と上(級)下(級)しか分かんない蛮人ばっかじゃないw >>42
実はそこが本質なんだよな
「我々が奉じる天皇はここ奈良の出身ではなく九州から来られた」
こう記したのは大和朝廷が九州邪馬台国の東遷の結果としか考えようがない
どこの誰が自分たちを他所者に征服された被征服民だと捏造するのか 卑弥呼というとどうしてもアマテラスを連想してしまい、「日の巫女」と考えがちだが
火の国の巫女、じゃないか? トヨは豊の国の巫女。 火は後に肥に字が変えられる。
だから卑弥呼がいたのは「火」と「豊」がセットになってる北部九州。 >>255
東遷じゃなくて東征だな
九州の邪馬台国系の末裔自体は7世紀末まで残っている。 >>60
じゃ、キビツヒコノミコト(=桃太郎)も兄貴か弟だね♪ 古代の山門八女〜熊本は、
鉄器の生産が盛んに行われていた。
肥の国と呼ばれていた。
肥の国は火の国でもある。
恐らくこの地域は製鉄するに有利な、
薪などの入手が有利な環境だったのだろう。
近畿に製鉄が伝わる以前、
この地域が畿内の支配を免れて、
倭国としての支配圏を確立していた。 >>175
「未だ」を「今だ」だと思ってたりそもそも日本語があやしかったり、アホはどっちなんだかw 人は記憶型と思考型に大別できる
帯方郡(平壌の南)
狗邪韓国(順天、海 7千里)
────────────────確定
対馬国 (対馬、海 千里)
一大国 (壱岐、海 千里)
────────────────九州北部
末廬国 (海 千里)
伊都国 (東南 五百里)
奴国 (東南 百里)
不弥国(東 百里)
────────────────不明
投馬国 (南に水行二十曰)
邪馬台国 (南に水行十日、陸行一月)
海千里は一日、帯方郡から末廬国までが水行十日
邪馬台国の起点を帯方郡とするとうまい具合に合う >>257
肥の巫女・・・
おデブみたいでなんか嫌だなあw >>249
投馬国は「南」に「水行」でしか行けない所にある。
起点がどこになるのかは諸説あるが、
いずれにしても「南の方角にある古代の港」である事に変わりはなく、
当てはまるのは鹿児島の「坊津」しかないと思う。 >>258
よく読んでみ? とても「東征」とか言える旅ではないぞ。
記紀神代で「国譲り」されているにもかかわらずだ。
神武一行はまずは畿内に一番入りやすい淀川経由で入ろうとする。
ところが、ナガスネヒコが攻めてくる。
(ナガスネヒコめ! 大国主はすでに国譲りしてんねんぞ! 何逆らいよんねん!)
( )内は私の心の叫びです。
あっさり敗れた神武一行は淀川をあきらめて南下、紀ノ川経由で入ろうとするも
なんと地元の豪族にまたまた敗れてしまう。 おまけに兄貴が戦死してしまう。
(神武よわっ!w 兄ちゃん! なんで氏んでしまうん?(泣))
しかたなく神武一行は、昼なお暗い熊野の獣道を人目を避けながら畿内入りを目指す。
(まるで、○キブリのようだぜ!(悲))
しかし! 苦労の甲斐あって畿内入りに成功した神武達は大物主に温かく迎えられます。
めでたしめでたし。
・・・ あれ? ちょっと待て!
なんで大物主が畿内の主として神武を出迎えるん?国譲りしたんとちゃうん? 話がちがうやんか!(怒)
そう。全然国譲りなんてされていなかったのです。(笑)
神武は出雲系の姫を嫁にあてがわれて葛城に住むことになります。
その後、九州からついてきたタギシミミは邪魔者になったのか、腹違いの弟の綏靖に
殺されてしまいます。 (このあたりはいつの時代も変わらないんですね。)
この大物主は崇神垂仁の頃には祟り神となっています。
実際の国譲りはこの2代〜9代のいわゆる欠史8代の間に行われたのでしょう。
どういうことがあったかは記紀神代としてまとめられました。
ちなみに、孝昭天皇の皇后世襲足媛は尾張氏の出身であり、古事記にある「天尾羽張(あめのおはばり)」や
その息子、武甕槌神(たけみかづちのかみ)と関係があるのではないでしょうか? 皇室とはなんの所縁もないだろう
何故皇室と絡めようとしているのか >>264
せやから元々は「火の国の巫女」やてゆうてるやんw
神武天皇の本名は「彦火火出見」やったと思うけど、系図を見ると「火」が付いてる人多いで。 >>42
奈良を制圧したのではなくて、豪族たちをまとめ上げたって話だぞ
奈良人が奈良人を従わせたとなると話にならないから外部から来たってしてるだけだ 帥升が後漢に160名の奴隷を献上してるでしょ
倭国大乱前でこれだけの数の捕虜や奴隷を捕縛して献上するには広大な領土と人口が多くないと無理だよな
西日本、九州を統べてないと >>21
中華史の岡田英弘さんによれば
使いを送ったからといって即朝貢にはならないらしい
君臣関係でもないそうだ >>263
邪馬台国議論で必ずと言っていいほど議題に上がる水行陸行の記述だが、他の中国史書に照らすと
水行●●陸行▲▲という表現は、「水行ならば●●掛かり、陸行ならば▲▲掛かる」の意味であり、両方を行うわけではない
これを押さえておかないと正解には辿り着かない
【用例】
通鑑釋文辯誤卷六
https://www.kanripo.org/text/KR2b0012/006#1a
>沈約宋書云汶陽太守何承天志新立去江陵陸行四百里水行七百里上黃縣
江陵から上黄県まで陸路で200kmほどなので、陸行四百里だけで目的地に着いてしまう
江陵は長江のほとりなので蛇行する川を水行すると陸路は無しで目的地に着ける
【嘉興府志】
https://wenku.baidu.com/view/d78078781711cc7931b71692.html
>{嘉善縣誌}達省城二百里達京師水行四千一百三十裡陸行三千六百二十裡
嘉興府の置かれた嘉興市から京師(首都のこと、当時は北京)まで直線距離で1100kmほど
やはり陸行三千六百二十裡だけで目的地に到達してしまう
また、杭州湾沿岸の嘉興市から沿岸水行して北上し、蛇行する川を遡って北京まで2000kmほどで水行もそれのみで目的地到達、陸路の出番なし >>263
他は帯方郡の使者が倭国を訪れた時の行程を記したものだが、
投馬国と邪馬台国の部分は、帯方郡を訪れた倭の使者が、
投馬国と邪馬台国のそれぞれの位置を説明したものだな。
だから「里数」ではなく「日数」になっている。
倭の使者の立場になって考えてみると、
「陸行一月」は自国を大国に見せるために大袈裟に言った可能性がある。
遠い帯方郡からの位置なので、「南」というのも大雑把な方角だろう。
「投馬国は水行のみ」「邪馬台国は水行と陸行」
という交通手段は重要な情報だと思うが、
それ以外の情報は曖昧だと思った方がいいと思う。 三世紀までは奈良盆地内には鉄器がほとんど存在しない一方で、北部九州には鉄器が豊富
この頃の本州の鉄鍛冶工房は北部九州の海人族の進出地のみ
海人族が鉄を持って各地に進出していた
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg
そして四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
このことは三世紀までは北部九州の勢力と畿内勢力が別勢力であったことを意味している
そして地理的条件により、畿内の勢力が北部九州を経由せずに魏とやりとりすることは不可能
ゆえに三世紀の魏志倭人伝に書かれた邪馬台国は九州以外にあり得ない
神武東征が卑弥呼より前ならば、畿内は当初から北部九州から鉄材も鉄鍛冶職人も入手可能なはずで
四世紀まで鉄器が普及しなかった理由を説明できない
証明終わり 坊津には弥生の遺跡がない。
西都原には日本最古級の3世紀中期の
前方後円墳81号基がある。 朝鮮半島を経由して黄海渡って魏まで行き来してるんだから、普通に大陸とのコネがあったんだろう
卑弥呼に比定される一人の神功皇后も母方が天日槍 この頃の日本って南蛮の孟獲とかより野蛮人だと思われてて実際そうだったんだろw >>277
DNAの研究で三世紀まで倭人は北部九州と中国地方の一部にしか住んで居なかった事が分かった
鉄器を持った倭人が奈良盆地に進出するのが四世紀以降で四世紀になると奈良盆地内にも鉄器が増えてくる
四世紀以前の奈良盆地は未だ縄文系の人々の国だったのである。 海人族が海の民であると同時に鉄の民であったことを踏まえると邪馬台国の場所も見えてくる
海人の高位の者が身につけたとされるゴホウラ貝輪の分布が有明海東岸に集中しているのだ
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif
これは弥生時代の鉄鍛冶工房の分布とよく一致している
http://inoues.net/club6/tetu2.jpg 邪馬台国関連のスレは九州説の爺さんが息を吐くように嘘をつくからなぁ 前方後円墳とは、元々、
266年に洛陽に派遣したトヨの使者が見たとされる、
司馬炎が冬至と夏至の祭りごとを行うために作られた、
円丘と方丘を合わせた祭壇であると考えられる。
従って、前方後円墳を卑弥呼の墓にする
などと言うのは完全な間違いであって、
ココが畿内説の大きな戦略ミスとして
のしかかって来ている。 日本史板では>>275,277,283などの史料の他にも魏志倭人伝の記述や地理条件を加味して
総合的に邪馬台国の位置が割り出されている
> https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
> https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg 魏の皇帝、曹氏の直系の子孫が、
一族郎党を引き連れて移住した先が
日田であると考えられる訳だから、
彼ら上級国民にとっても、
暮らしやすい場所だという認識があった
のは間違いないだろう。 >>272
いや神武東征神話では征服したことになってるが?
というか征服じゃなくまとめただけなら地元人でよくね? >>288
なかなか良くできてるな
特に矛盾点が見つからない >>287
奈良人が奈良の人間を攻めるなんて理屈がないからストーリーとして作れないってそのまんまの意味だぞ
というか元からいねーから神武なんて
天皇は日の子であるという思想から生まれたネタ >>293
だよな
畿内厨のコジツケにはついて行けない 倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。
男子は大小無く、皆、黥面文身す。
古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
後、稍に以って飾と為る。諸国の文身は各に異なり
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。
その道里を計るに、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”) の東に在るべし。
女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。
「魏書」第30巻 『 魏志倭人伝 』 普平陽侯相 陳寿撰
日本最古の歴史を造る洗脳教科書とされる古事記や日本書紀には記述がされてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華漢人官僚の史書には記述されていた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう? >>295
制圧じゃなくまとめ上げたと言いつつ攻めたというストーリーが作れないとかイミフ
豪族がいて統一されてなかったなら攻めたって構わんしますますイミフ >>288
お、ちゃんと投馬国が都萬になってるな、よしよし 今の紫禁城にも南壇北壇があって、
冬至や夏至の祭りごとを行うのが、
皇帝の一大イベントであったが、
司馬炎の時には、洛陽の郊外に、
この南丘北円を合わせて、
冬至と夏至のイベントを合わせて、
盛大なイベントをやって、
それをトヨの使者も見たと推測できる。
洛陽に、司馬炎の円丘方丘が発掘できれば、
日本の前方後円墳との関連性も明らかになるのは間違いない事だろう。 ほんと
東征ってちゃんと中身読めば
「大国による侵略遠征戦争」どころか
「ただの集団移住じゃん」
としか読めない
神武天皇は集団のリーダーだったかもしれないけど
それなりの勢力を築くのは
欠史八代を経た崇神天皇からだからな >>298
だから神武なんか実在してないと書いてんだろ
実在してないんだから攻めることもないし奈良に生まれてもない 楽しいよね。古代の暮らしは分からないし、通説は確定じゃないからさ。
みんなが、本当はな?とか、こういことだ!とか読むの楽しいよ。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【緊急 北朝鮮ICBM(ピカチュウ&ZOZO TOWN)】
▪ピカチュウ 2020年
ピカチュウの片方が空に浮かんでいる
(北朝鮮は天国)
▪ZOZO TOWN 10%相当戻ってくる(半分程度)
上記と同じく、北朝鮮がOFF(ぱぁでんねん)にされる
--
*フジテレビ&日本政府&傘下企業群は
アメリカの軍事力を恐れて
北朝鮮とアメリカを相討ちさせる事にした
(NYとワシントンDCのみか)
・サンフランシスコの場合
巨大IT企業の根城があるので撃たせないし
・米軍は手付かず、アメリカ政府はシェルターで生き残るか...?
↓
*北朝鮮側は、事前に韓国に全住民を亡命させる事を打診したが
韓国側は、国内だと危険なの為に
周辺国家に点在させた方が安全と説明し、北朝鮮側もそれを受け入れて亡命案は流れた
続く bx >>275
こんなのあったのか
じゃあだいぶ解釈が変わってくるなぁ 倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林が多く、良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す。魏の時に至って、三十の国があり親しく交流す。
戸数は七万あり、男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。
倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。
いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨し水魔を払う。
倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れる。
皆おかっぱ頭で、裸足である。
倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。
倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)
重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。
その倭国の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢末に倭人達は乱れ戦うことなり倭人は共に女子を立てて倭国の女王として戴く。
邪馬台国を収め他の倭国群をまとめる女王其の名を卑弥呼という。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
その女王は遣使して帯方に至り朝見した。その後も貢ぎ、遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。
「晋書」第九七巻 『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰 >>302
神武陵はあるから実在してたんだよ
神武、欠史八代の天皇は実在してた
その後の天武までが九州の倭国の記録からの転載された架空の天皇だな
だから陵墓が分からない。 魏志倭人伝の記述を重視するなら北九州のどこかだろう
抗争していた狗奴国や東に海がありその先にまた別の倭人の国があるとの記述から
位置関係を考察すれば北九州が一番しっくりくる 九州で、大和古墳群のコピーと考えられるのが西都原古墳群。
もし仮に、東征があったとしたら、
西都原の妻国から行った可能性が一番高いだろう。 九州説とかいうトンデモを信じてる奴の断末魔がすごいな
ほぼ近畿説で決まりじゃねーか 鬼道にて惑わすねえ、邪馬台国でんでんは三国志の時代、
200年ごろやってるけどお隣の大中華じゃ
その700年前に怪力乱神を語らずってリアリズム政治やってるわけでねw
そらまあ遅れた国、東夷、まさにジャップって思うだろうなあ。
2000年の今に1300年、鎌倉時代の政治様式やってるようなもんだからなあ。
それにしても「卑弥呼」ってすげえ名前だよな()
自称愛国者のネトウヨは中国からこの国にを統べる倭王に対し
一方的につけられたこの蛮人然とした名前を許すのかwww >>312
もう論拠すら挙げられなくなってそうやって印象操作することしか出来ないんだね
畿内厨って本当に恥ずかしい生き物だね >>308
ねーよw
仁徳天皇陵古墳とか中身ダレが入っているのかはっきりしてないのだから
仁徳天皇の陵と呼ぶのは不適切だって研究者が批判してるだろ >>275
お、邪馬台国研究室では議論が発展してるみたいやね
こういう論拠が欲しかったんよ >>310
北部九州なんて邪馬台国の記述にあわない、
七万戸の国なんてそもそも九州には成立しないよ。
現在弥生時代の最大の水田跡は畿内にしかない。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【緊急 北朝鮮ICBM(ピカチュウ&ZOZO TOWN)】
続き
*仮に北朝鮮がアメリカを撃った場合
米軍が韓国(同盟)に常駐して居る為に、日米でほぼ朝鮮半島全域を軍事基地化させた後に
中国やインドを陸路より侵略する
(朝鮮半島は日米の弾除けにされる/朝鮮半島の日本併合)
・中国は、米津玄師のパプリカの赤🇨🇳
・インドは、cancan(小学館)の洋からし🇮🇳
ドリルで攻撃する場合、ダムの破壊や地震波を使う可能性もある
*他、日韓トンネルは既にドリルで掘られてる可能性もあるが、電子飛翔体目線からMapが隠されてるのでは無いだろうか?(中国・インドに陸路で侵攻する必要) bx
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1212620847157919744
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) おっ
九州説の印象操作が効かなくなったのを悟って罵倒を始めたぞ >>318
山門ならヤマトの入口、つまり大和朝廷と隼人の境界線だよ。 >>320
奈良盆地は筑後平野よりずっと狭い
九州で無理なら畿内なんて完全に不可能 >>324
熊本平野が隼人だって?
バカジャネーノ 中国でも張角らの黄巾党の乱が発端になり、
漢が滅んでしまった。
張角も鬼道を駆使して、
教祖としてのし上がって行ったのだよ。
そして、こに黄巾党の残党を利用して、
勢力を拡大したのが曹操だ。
そして、狗ナ国との戦いで、
授けられようとしたのが黄幢という黄色い旗であった。 >>316
『畿内説』なんて最初からなかった
あったのはそうであって欲しいという『畿内願望』だけ 実際のところ江戸時代までは各藩が軍事力持ってて統一されたというより平和協定結んでるようなもので、
天皇より古い古代からの薩長佐賀の九州豪族が明治政府を開いて初めて日本として統一されたんだろうけど、
本当の天皇の立ち位置とか今の九州豪族の状況ってどうなんだろう。 >>325
奈良盆地が邪馬台国ではないw
畿内の河内湖周辺が邪馬台国のエリアだぞ。
まあ正確には邪馬台国の時代、熊本より南は狗奴国のエリアだよ。 これあんまり言ったら「侵略だ!!」とまた中華が言い出すに決まっているので
言いたくない事案です >>275
「素直に読んだら太平洋の真ん中」とかぬかす畿内馬鹿はそれで絶滅させられるわ
そうでなくても、古代の旅程は時間かかるのに >>332
河内湖周辺は北部九州の海人族安曇のテリトリーです
畿内の土着勢力があったのは山に囲まれた奈良盆地内だけ
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/f012.gif >>334
で、戸数はどうするの?
丹山も四国と紀伊半島にしか弥生時代の痕跡はないからな。
また最大級の水田跡も葛城なんだからな。
少なくとも九州にはないよ。
倭人伝に邪馬台国に鉄が豊富なんて記述は全くないしな、倭にある鉄は鉄鏃で骨、石鏃と同じ扱いだしなw >>335
北部九州は大陸への入口だから倭人の拠点があるだけの話。
まあ成田を首都だと言われてもなw >>336
こういう遅れた認識のやつが畿内説とかいう嘘にハマるんだよな
> 244 :名無しさん@1周年 :2019/07/26(金) 15:34:06.93 ID:1O3R9XNh0
> 当時の経済活動の状況を見れば、畿内は外野であることは明確である。
>
> ■魏志韓伝より
> 國出鐵韓?倭皆従取之,諸市買皆用鐵如中国用銭,又以供給二郡
> (国には鉄が出て、韓、?、倭がみな、従ってこれを取っている。
> 諸の市買ではみな、中国が銭を用いるように、鉄を用いる。
> また、楽浪、帯方の二郡にも供給している。)
>
> ■重要事項
> ・3世紀頃は鉄は市で通貨として使えるほど貴重だった。
> ・九州では武器や農具に鉄を使えるほど潤っていた。
> ・しかしこの時代の畿内からは鉄が出土していない。
> ↓鉄の出土状況
> https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
>
> ■推測されること
> ・畿内政権は鉄を取りに行っていない
> ・畿内政権は九州に鉄を分けてもらえなかった
> ・一大率は畿内への鉄の供給を行わなかった
>
> ■結論
> ・3世紀の北部九州と畿内の関係は希薄だった
> ・一大率は畿内政権とは無関係だった
> ・畿内は倭国ではなかった
>
> ■裏付け
> 纏向遺跡の出土土器に九州産や半島産が含まれていない
> もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
> 「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
> (開き直りw) >>337
どう見ても鉄も絹も北部九州の方が圧倒的に量が多いんだがw
お前の妄想古代国家では成田には東京より多くの財物があるんかw ちなみに邪馬台国南方四千里にあるとされるのが、
小人の島の侏儒国で、
近年の発掘調査によって、
極端な短頭、低頭、低身長の大人が
埋葬されている特異地域として、
種子島が比定されて来ている。 >>338
昭和の資料を出されてもねw
倭人伝に鉄の記述が無いのは紛れもない事実だぞ。
そもそも卑弥呼が用いるのは鬼道であり武力ではないぞ。
当たり前だが戦場になるような場所に女だらけの宮を造る訳がないだろw >>336
戸数?
畿内説は飯塚盆地を完全に失念してて笑えるわwwww
あそこ古代から高乾で広大な盆地やぞwwww
それに続けてあんちゃんがごちゃごちゃほざいてんの、畿内説の根拠になれへんやんけwwww なんや、この掲示板で九州説が完全勝利、完全決着するとはな
畿内説は回れ右 >>338
> ↓鉄の出土状況
> https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
完全に北部九州で決まりだな
他に多い日本海側も北部九州の海人族の進出地だし たぶん古代から続く九州豪族と比べると天皇が新参者過ぎてそれを突っ込まれるのが嫌なんどろうなと思う。 >>339
丹山はどうした?
巻向の背後、三輪山周辺は水銀朱の産出地だから。
まあわざわざ三輪山なんて美倭山の事だろ。倭人の象徴の名前だしな。 朝鮮半島に人を送ってまで鉄を採っているとあるのにその言い訳は無理筋だわ
鉄のない畿内は論外だな ここまで特徴的な事は、
魏志倭人伝時代の地名が、
殆ど現代にまで残っている事だな。
種子島はシュシ島とでも呼ばれていたのだろう。 >>346
丹はベンガラだが
793 :名無しさん@1周年 :2018/11/20(火) 01:02:43.71 ID:iWOIC1AW0
>>784
で、該当の部分について、魏志倭人伝の原文はこうなっている
「出真珠青玉 其山有丹 其木有枏杼橡樟楺櫪投橿烏號楓香 其竹篠簳桃支 有薑橘椒襄荷不知以為滋味 有獮猴黒雉」
お前はこの文章を倭国の貴重品についての文だと捏造するが、其山有丹の後に続くのは倭国に生えている木の種類や竹の種類、
食用植物に動物の記録だ
単に倭国に存在するものを事務的に並べただけで、別に宝物についての記録ではない
文字表現についても、真珠青玉が「出」すなわち産出するという表現であるのに対し、其山有丹は「有」、つまり存在するよ、としか言っていない
この「有」は後ろの其木有枏杼橡樟・・・以降と同じ表現であり、「こんなものが有りましたよ」という軽い表現でしかなく、価値は認めていない
この一文の中で特別扱いを受けているのは真珠青玉のみである
木や動物と同程度の扱いを受ける丹がベンガラなのは明白だ >>342
何故そこには水田跡がないんだろうなw
最大級の水田跡が葛城山の麓という、正に
神武伝承でも重視されてる場所だという
時点で答えは出てる。
しかも紀元前の話だからな、ついでに銅鐸と鏡が同時に埋められてたのも葛城地方だけ。 >>311
西都原は九州連合の一つで
その分家が東征して大和連合に担がれたんだと思う
次第に九州連合は縮小、大和が覇権を握ったのかお >>347
で、倭人伝どこに鉄の記述があるの?
邪馬台国の会編纂の倭人伝だけかなw アメリカ陸軍特殊情報部隊にいた人の本に卑弥呼のことが書いてあった >>312
畿内には刺青をする習慣はないし、海に潜って魚貝を捕るなんてできないんだけど。
魏志倭人伝の倭国の記述とは矛盾が多すぎる。
九州説が畿内説を駆逐しつつあるのが現状だろw >>349
ちなみに奈良の二上山からは青玉、サファイアは取れる。つまり奈良盆地周辺は丹も青玉も取れる。
しかもその麓の豪族の名前も河内青玉という。
まあ丹がどこにでもあるベンガラなんて言ってる時点でいつものバカなのはバレバレw >>349補足
三国志烏丸鮮卑東夷傳から物品に対する表現を見ると、「出」は各国の名産品で、「有」は価値の判断をせず、ただ存在を示すだけという使い分けがされている
山にただ有るだけのつまらない丹はベンガラである
出の使用例
「出名馬。赤玉、貂狖、美珠。珠大者如酸棗。」(夫餘条)
「出好弓、所謂貊弓、是也。」(高句麗条)
「出赤玉、好貂。今所謂挹婁貂、是也。」(挹婁条)
「樂浪檀弓、出其地。其海、出班魚皮。土地饒文豹。又出果下馬、漢桓時獻之。」(濊条)
「出大栗、大如梨。又出細尾雞、其尾皆長五尺餘。」(韓条)
「國出鐵。韓、濊、倭皆從取之。」(弁辰条)
有の使用例
「有宮室、倉庫、牢獄。」(夫餘条)
「夫餘庫有玉璧、珪、瓚。數代之物、傳世以爲寶。」(夫餘条)
「有五穀、牛、馬、麻布。」(挹婁条)
「有麻布、蠶桑作緜。」(濊条)
「有瑟、其形似筑、彈之亦有音曲」(弁辰条) 水田跡にこだわってる人いるけどさあ、例えば吉野ケ里遺跡はかなり大きくて
あれを造って住んでた人達は跡は無くなってても水田作って米喰ってたんじゃね? 九州西部の佐世保層群相浦層や、
大分の中央構造線沿いに、
丹山があって、水銀を産出していた。 >>355
青玉をサファイアとするのは現代中国語であって当時がそうだという史料は存在しない
また二上山のサファイアは極微量でしかなく産出品と呼べるレベルのものではない
二上山で有名なのはサヌカイトだ
>まあ丹がどこにでもあるベンガラなんて言ってる時点でいつものバカなのはバレバレw
そういう君はいつも俺に論破されて泣きながら逃げていくいつもの人か
毎回負けてるのに懲りないね >>357
情報が古い。吉野ヶ里級の弥生遺跡なんてそもそも西日本各地にある。
葛城の水田跡が見つかったのはわりと最近の話だからな。
しかもこれはまだまだ広いという認識だよ。 >>350
初期の稲作は陸稲だったんじゃないかね。
それか治水されていない川の氾濫原に稲籾をまいて自然の水田として利用していたとか。
ベトナム辺りでは未だにやっている。
きちんと土木工事を行って人工的に水田の区画を作ってシステムとして稲作をやれるよになったのは
かなり後なのでは。ある程度の権力の集中と富の蓄積のある社会じゃないと
水田耕作は無理だろ。鉄器も必要だし。 >>357
水田跡が無いというか、昔から筑後平野は水田しかないような場所だからな
あなたの田んぼを考古学調査のために掘らせてくれなんて言っても応じてくれる農家は存在しないわ >>360
で、河内青玉という名前の豪族の存在は?
しかも百襲姫と同年代の人物だからな。
ちなみに当時中国側の鉱物資料でベンガラ、すなわち酸化鉄は代赭、赤土と書かれていて
わざわざ丹ではないと書かれている資料しかない。 >>341
政治は卑弥呼の弟が担当していたんだろ。
鬼道を使って宗教的な権威で基本方針を決めるのは卑弥呼で
実務は弟がやっていた。軍事も多分弟が指揮官。
邪馬台国は別に女だらけの都じゃないと思うぞ。 >>351
そこで日本列島を支配する為に東征した記紀に書かれてるが
他にも適度な候補地にもなりうるような地理的条件の
広島、岡山、姫路、大阪、三重、名古屋などをスルーして
神武東征大和王権はナゼ?
周囲を山に囲まれた南奈良平野を首都に定めたのか解明する為
奈良県橿原市周辺に現存する古代遺跡群の厳密な再調査が必要だな >>365
>で、河内青玉という名前の豪族の存在は?
それがサファイアから来ているという根拠が存在しない
>ちなみに当時中国側の鉱物資料でベンガラ、すなわち酸化鉄は代赭、赤土と書かれていてわざわざ丹ではないと書かれている資料しかない。
また嘘ばっかり
抱朴子に丹ではないなんて一言も書かれてないだろ
書かれていると言うなら引用してみろ >>363
奈良なんて新幹線、空港、地下鉄はないんだからなw
未発掘の場所ばかりだ。
つまり掘れば何が出るかわからない状態だよ?
最近も藤原京の下から箸墓の類似型の古墳が出たばかりだしな。 三国志より古い山海経でも単なる赤い山を丹山と記している
現在の内モンゴル赤峰市だが、ここで水銀朱が産出したという記録はなく、百度百科の説明でも
紅色的山峰=(山肌の)赤い山 の意と書かれている
赤土の山が丹山なら丹は赤土=ベンガラの解釈で間違いないだろう
始洲国_百度百科
https://baike.baidu.com/item/%E5%A7%8B%E6%B4%B2%E5%9B%BD
>《山海経》中記載的“丹山”。現赤峰市政府所在地有一座紅山,从字意上解釈,紅山即為“紅色的山峰 決定的な遺跡でも発見されないと永久にわからないんだろうな >>370
丹の説明にベンガラがあるのか?
水銀朱は明確にあるぞw >倭の地は温暖、冬や夏も生野菜を食べ、皆が裸足で歩いている。屋室があるが、
>父母兄弟は寝室を別とする。朱丹を身体に塗り、中国の白粉を用いるが如きである
>その四年(243 年)、倭王は再び大夫の伊聲耆、掖邪狗ら八人を遣使として奴隷、
>倭錦、絳青?(深紅と青の色調の薄絹)、綿衣、帛布、丹、木?(弓柄)、短い弓矢を
>献上した。掖邪狗らは一同に率善中郎将の印綬を拝受した。
上の「朱丹を身体に塗り」と下の「丹」は同じものだろうか? >>371
>奈良なんて新幹線、空港、地下鉄はないんだからなw
それらは筑後平野にも無いだろw
自爆かよw >>374
勝手に言い換えてるんじゃねえよ
抱朴子にはベンガラが丹ではないなんて一言も書かれてない
書かれていると言うなら引用してみろ 吉野ヶ里遺跡は魏志倭人伝の地名でいくと、
華奴蘇奴=神埼付近と考えられる。
つまり、魏志倭人伝上でも、
その他大勢の国としての位置づけなのだよ。 >>359
水銀なんてもっと後じゃないのか?
朝鮮への献上品でよく出てくるが >>11
邪馬臺国じゃなくて邪馬壹(ヤマイ)国という説も >>375
だろうね
そして中国における白粉のように体に塗りたくっていた朱丹が希少な水銀朱でないのは明らか 太古の昔の話でもないのになんでこんなのが謎になってしまうのか不思議なくらい
場所くらい分かりそうなものを 卑弥呼って、最期は戦で大敗した責任を取らされて弟ともども自害に追い込まれたんちゃう? >>349,356
こうして見ると結構厳密に書き分けてあるものなんだな 赤峰で有名なのは鶏血石だぞ、ベンガラでは勿論ないw
山海経なんてそもそも時代が3世紀邪馬台国の年代ではない。江戸時代の資料で今の物を説明するようなもんだww >>367
卑弥呼が天皇で、弟が摂政みたいなもんだろ?
姿を見せないなんて、まさに天皇じゃん >>368
日本列島を支配しようとしてたんじゃなく
畿内の豪族連合に担がれ
出雲、吉備、尾張ももやむなしと言ったとこかと 「邪馬台国スレ」とは
・『畿内派と北九州派』の不毛な万年論争。
・朝鮮半島を絡めた『縄文人と弥生人』の現代政治的な民族主義論。
・『考古学オタクとトンデモ史学』の総合理解不可能な書き殴り。
この3つで煽り荒れまくりに終始する。 >>133
まあ中国人の性格は4000年変わらないということだな
中華思想を現代でも持っているのは感心する 歴史学ってのは答え合わせのできない学問なので
事実ではなく史実からより合理的であろう推測に基づいて定義する
実に浪漫のあるいや浪漫そのものの学問だよね
だからこそ区切りをつけなければ永遠に論議できる学問なので面白い この記事の馬鹿なのは皇紀前提で書いてること
こんなので人物像が特定できるわけもない
そもそも卑弥呼の頃は有力豪族が邪馬台国連合の王を入れ替わり務めてたと魏志倭人伝に書いてある
万世一系自称する天皇との親和性がない >>390補足
ちなみに鶏血石は巴林石とも言い、バイリン地区で産出される石だが、赤峰市の地図で見ても紅山区とバイリン右旗、バイリン左旗は離れた位置にあるw
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B3%B0%E5%B8%82
>>386はやっぱりいつものウソツ畿内でしたとさ 出雲やら岡山やら北九州やらあちこちに小国家があって対立していたはずなのに
ある時から突然関東から九州まで納める統一政権が奈良に登場する不思議
しかもその後分裂も抗争もなしに統一政権として存在し続ける
圧倒的な武力だけではなく圧倒的な権威を持っている何かが登場したんだろうなぁとしか 背後の海越しの異民族を味方につけてやったぜ!くらいの大きく見せるための牽制? 赤い木の実をすりつぶして乾燥させたモノを体に塗っていたんじゃね?
軍人のカモフラージュみたいに
火山の噴火ばかりの時代で、赤土の大地だったとか 「卑弥呼」の本質って
「中国人による日本人キャラクター」
として、空前絶後、他に比較出来ないほどヒットした、日本向けコンテンツではなかろうか。 早目に権威と武力が別れたと考える節が妥当
鉄がない() >>388
じゃ何故?
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は日本列島を収める為
九州に都を置いたままでは日本列島はまかなえないので
日向から東征に旅だったと古事記や日本書紀には正確に記されてるんだ? >>395
突然というよりは
空白の四世紀つまり一切の資料が残ってない時代があるので
突然に見えるだけではあるんだろうけどね あぁ高句麗と呉が結んでるから、高句麗に当てる駒として日本を利用しようとしたのか 邪馬台国は古代のラノベに登場する架空の都市です
こんなに長い間研究しても所在地すらハッキリしないんだから実在しなかったんだろ 「中国人が作ったキャラクターと舞台設定」としては
「卑弥呼と邪馬台国」は「三国志とその主要登場人物」の次に、近代日本で情報商品として消費される物語。
これぐらい日本人のロマンと学究、妄想を掻き立て、積年にわたって莫大な労力と金銭を費やさせ続けている
「メイドインチャイナの情報商品」は、他にない。 ┏( .-. ┏ ) ┓
【SoftBank/オーム真理教/ナチス】
《孫正義氏》
▪オーム真理教の尊師
松本智津夫(麻原彰晃)のクローン体
▪ナチス設立に貢献(突撃隊(SA)の指揮)
エルンスト・レームのクローン体
--
▪孫正義
孫、魔、突撃隊(SA)、世、死
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1212646743361249280
bn
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 邪馬台と大和が繋がってるなら記紀にバッチシ記載しとくはずだけど無いんだよ
都合悪いから消した風土記にはどんなことが書いてあっのだろうか >>403
魏志韓伝によれば、魏が任命した帯方郡太守の弓遵は韓諸国の反乱で戦死している
たぶん韓を南から牽制させる目的があったと思われる >>401
彼らがやってるのは声闘だからね
ここでマウント取る事しかできないのさ
>>407
中国の属国みたいな立場なのは記紀の記述上色々と都合が悪かったんだと思われる >>377
そもそも丹の欄にベンガラ、代赭石が出てこないんだから仕方ないw
ちなみに同時代の資料に代赭石は下品として鉛丹と共にある資料はあるだろ。
ここでは酸化鉄を丹とは表現されてないからな。 >>404
そういう意味では、ロマンあるわな。
あの時代なら、「それなりに現実に即した詳細記述」をすれば、それが「ラノベ」であっても、後の世に多大な影響を与えられたわけで。 >>395
突然ではないでしょ関東から九州まで勢力範囲においた訳じゃない
それに信長〜秀吉でも20年でその範囲は手中に収めてる
九州王権の分家の王を吉備、尾張、大和諸豪族が担ぎ上げ
出雲を追いやった
この出雲も後に大和王権に加わることになるが
そして大和王権がヤマトタケル、四道将軍らが
勢力を伸ばした >>407
簡単な話だが大和でも葛城勢力がさらっと無視されてるだろ、つまりそれが邪馬台国に関連するだけの話。 >>400
古代日本には漢委奴国王一族と親魏倭王一族がいたんだ
漢委奴国王の一族は代々筑紫城で倭国を統治していたけれども
あるとき大きな乱がおこって敗北し親戚を頼って東の山奥まで逃げのびた
統治者がいなくなって空白地帯となった倭国で次の統治者になったのが
親魏倭王の一族だった
ところが親魏倭王の一族はあまりにも強大な初代女王が亡くなったあと
後継ぎがいなくてその勢力が瓦解してしまった
そこでまたぞろ出てきたのが東の山奥に逃げ延びていた漢委奴国王一族だった
「俺が真の王様だぞ!」だが誰も負け犬なんか相手にしてくれない
そこで出した苦肉の策が「女王の親戚の女の子」というどこの誰ともわからない
13歳の女児を御輿に担ぐ傀儡政権であった
でも歴史書に負け犬とは書けないので「東征」とカッコつけて書いただけ >>410
声闘ってwよくそんな知能レベルの低い曲解出来るな
筋道立って低能でもわかりやすく論理的に咀嚼してるだけだろ >>412
要するに「ベンガラは丹ではないと書いてある」は嘘でした、と
赤土が丹と表現されている例は既に>>372にあるから君の負けだな >>400
記紀なんて全て真に受けると
点と点が繋がらなくなる
明確になったことを繋げればいい 馬鹿だなあw
魏志倭人伝を読めば、倭国大乱(漢衰退期2C末?)で邪馬台国は破れ、
男王(=剣を持つ王)を禁止され、女王卑弥呼が「共立」されてる。
誰が共立した? 倭国だ!邪馬台を構成する各小国が共立したんじゃない。
要するに、大乱各当事者の和議条件のことだ。ここを皆が読み間違えてる。
形の上で従来の倭国盟主の座を維持し、権力は手放したという事だ。
漢の時代、邪馬台自ら朝貢せず、隷下の奴国(博多)に朝貢させてたように、
新覇権国(畿内勢)が邪馬台(九州)を表向き倭国盟主として魏に朝貢させた。 >>396
死せる孔明 卑弥呼を… 古賀 英毅
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/548439/
魏志倭人伝は約2千字の漢字で記される。正史「三国志」にある各国伝の中で最長だ。
渡邉教授によると、三国志以外の中国正史では倭の記述が最長のものはないそうだ。
「邪馬台国という“大帝国”がはるばる貢ぎ物を持ってきたのは仲達の功績。だから編者の陳寿は倭人伝をいっぱいまとめなければならなかった」と渡邉教授は言う。
三国志は仲達の孫、司馬炎が建てた西晋の時代に作られる。仲達は「高祖」と追号され「王朝の創始者」になる。皇帝と同格だ。
中国の皇帝はその徳を慕って異民族が貢ぎ物を持ってくるとされる。邪馬台国の遣使は、仲達が皇帝と呼ぶにもふさわしいことを証明する
絶好の素材だった。仮に公孫氏を滅ぼしたのが仲達でなかったら、倭人伝は重視されず、卑弥呼は歴史に残っていないかもしない。 ビッグコミックオリジナルで卑弥呼の漫画やっててそれだとモモソは殺されてたな >>419
何度言おうが、魏志倭人伝以前から丹が赤土を含めて使用されていた語であるという事実は動かない
お前の負け そろそろ邪馬台国は2つあった説を唱えるやつ出てくると予想 >>421
面白い説だな
確かに卑弥呼のあたりと崇神天皇のあたりがかぶるんだよな
これが偶然なのか関連があるのか まぁ記紀は完本で残ってるわけではないので
あの時代で唯一完本で残ってるのは出雲国風土記くらいなので
そっちのほうが参考にはなるかもね ぶっちゃけ「邪馬台国」が存在していたとしても
その規模が大きければ大きいほど、その後の開発でぶっ壊れている&ほとんど発掘出来ない、で「ハッキリ断定出来ない」となり
その規模が小さければ小さいほど、全体が状態よく保存されてる可能性は高い反面、「邪馬台国にしては小さすぎる」でアウトとなり
どっちみち、決着はつかなさそう。 >>410
属国では無いんじゃね?
三国の中で魏王朝は中国の正当な王朝であると認めただけじゃね?
魏にしても喜ばしい事だろうし >>400
アマテラスのモデルが卑弥呼だとバレちゃうからだよ
日本書紀では天照大神の「天壌無窮の神勅」によって天皇の統治を正当化している
その天照大神が実在の人間であり、まして中国に朝貢して臣下の礼を取っていたなんていう事実は大和朝廷にとってあってはならないわけだよ >>421つづき
漢末の倭国大乱に負け男王(=覇権)を禁止された邪馬台は、
華北が完全混乱に陥る3C末〜4Cに畿内勢に滅ぼされ、
その権威を簒奪された。 新邪馬台(大和)の権威の正統性を
演出するために、皆の記憶に残る卑弥呼を天照大神に昇華させ、
西の神が畿内に移動して天皇になったという「神武東遷」の
虚構の神話を作ったわけだ。 >>428
バカ丸出しだな
時の権力機構の官僚達に検閲されて合格もらって出された
出雲国風土記なんか信頼度が乏しいのが理解出来ない低能って >>431
なるほどそれで九州邪馬台国時代のことは徹底的に隠すしかなくなったのか >>425
アホか、丹を赤土で説明してる資料なんて無いわw
赤峰から希少な石である鶏血石が取れるからそう表現されてる話だ。ベンガラなんて何処にもでもある。
神農本経にはご丁寧に代赭石も説明されてるだろ、丹の表現が何処にもない。他の鉱物もハッキリと区別されてるぞw
まあ北部九州で取れるなら石炭位だろ、そもそも温泉や火山の記述がない時点で九州は邪馬台国ではないなw >>431
朝貢は必ずしも臣下の礼をとる儀式或いは外交ではないよ >>430
景初二年(238)六月、倭の女王は、大夫の難升米等を派遣して帯方郡に至り、天子にお目通りして献上品をささげたいと求めた。
この文章が引っかかったんではないかと
ちょっと対等とは言い難い文章だし >>432
こういう妄想は全て>>338で終了なんだよなぁ
九州が敗者側なら鉄を独占するとかあり得んわな 天照大神の時代とは離れすぎてて=卑弥呼は妄想でしかないって>>1にも書いてあるじゃない >>429
規模の大小は関係ないんじゃないか?
魏を知っていた情報網と朝貢出来る財力に優れていた一連合国家と考えるべき >>433
歴史の参考の問題ね
原資料の拾捨選択なら記紀のほうがより厳しくやってる思うよ
地方資料の出雲よりはより都合の良いように >>398
そこだよ
日本側の資料にないだけでなく
日本のどこにも土着の伝説すらない
出てくるのは中国の史書のみ >>437
普通の話で無いかい?
国内でも邪馬台国側が他国と外交する際は、そういう風にしているのだろうし >>442
中国は近代になってできた国家なので
中華ね >>438
でも倭人伝には鉄の記述が皆無だぞw
鉄工房にしても1世紀の時点ですでに畿内周辺、淡路島や近江にあるしな。
また卑弥呼が使ったのは鬼道であり武力ではないと明記してあるからな。
争いを北部九州辺りでやってただけの話。 >>438
説としては面白いけど
やっぱり当時の九州と近畿に
どっちが上下っていう話どころか
関係性が希薄っていうのが普通の考えかなやっぱす >>435
>アホか、丹を赤土で説明してる資料なんて無いわw
>>372で論破されたばかりだろ、もう忘れたのか痴呆
アホはお前一人
>赤峰から希少な石である鶏血石が取れるからそう表現されてる話だ。
>>394で論破済みの話を持ち出して何がしたいんだ痴呆
鶏血石は巴林石とも言い、バイリン地区で産出される石だが、赤峰市の地図で見ても紅山区とバイリン右旗、バイリン左旗は離れた位置にあるw
> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B3%B0%E5%B8%82
赤峰=紅山はただの赤土の山
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/df/%E7%BA%A2%E5%B1%B1%E9%81%97%E5%9D%80%E7%BE%A4.JPG/1200px-%E7%BA%A2%E5%B1%B1%E9%81%97%E5%9D%80%E7%BE%A4.JPG
>ベンガラなんて何処にもでもある。
どこにでも有るから出じゃなくて有だと>>349で教えてやっただろう痴呆 >>443
何とも言えんなー
天武朝って大陸の国家と同等であることをかなり重視してた節が見られるし、少しでも下手に出てるのは否定したい感じであったように見受けられる みんな卑弥呼卑弥呼言うとるが実は中国の文献に最初に登場する倭国王は卑弥呼じゃなくて
帥升(すいしょう)だから。
マメな。 >>446
いや倭人が鉄の矢じりを使っているって倭人伝にかいてあるじゃん
消耗品の矢じりにさえ鉄を使えたなら相当量の鉄を保有していることになる >>449
ソースのある議論で惨敗して罵詈雑言しかできることの無くなった畿内人wwww あと呉の孫権は正体不明の東の海の国である倭国と国交があった
これも三国志に書いてるんだから当時の日本に統一の国があったなら魏だけじゃなく呉とも国交があった可能性もある >>453
それは糞ゴミ九州朝鮮人だろが
はよしねボケ 魏と関係あるのが邪馬台国
呉と関係あるのが狗奴国
狗奴国が九州の国、邪馬台国が近畿の国でも別に矛盾はないね
外交の関係上この地理関係の方がすっきり来るわけで
まあ想像にすぎんがね(邪馬台国と狗奴国の地理関係も変になるし) >>450
「親魏」となっているから属国云々の話じゃないと思うよ
属国なら「臣邪馬台国」って感じになるんじゃない?当時の中国なら >>448
本当にバカだな、それなら山海経には各地で類似の地名がないとおかしいだろw
鶏血石という希少な石が赤峰辺りにある、といいか伝承だからそう呼ばれた話。
そもそも未だに当時ベンガラを丹とするのは一部の九州説の連中しかいないw
倭人伝の初期道教の時代は水銀朱、仙薬が丹とされる。当たり前の話だ。 >>452
鉄鏃だけだろw
試しに丹に関するの文言がどれだけあるかかぞえてみればいい。
九州説の大先生は統計学は得意だろw >>457
三国時代で互いに争ってたから何とも言えない
どっちゃにせよ記紀は下に見られてるのは我慢ならん!ぐらいの時代に作られたモンだし過剰反応があっても不思議じゃないなあ
大体天智天皇が唐風に傾倒しすぎなのがアカンかった
あれのせいで天武以降の数代反動が凄かったから(とはいうもののシステム面は割とパクってたりするが) 卑弥呼と壱与のあとぱったり途絶えるのは
朝鮮半島南部の鉄と騎馬を使える勢力に征服されたんだろうねぇ
その後のヤマト王権の歴史は本拠地である朝鮮半島南部を守る話が多くなるからね とにかく魏は、呉蜀に魏皇帝の権威が異国にまで伝わっているアピールをし、正当王朝として君臨することに必死こいていたと思うし >>460
そりゃ、呉蜀へのアピールなんだからそうなるだろ
我が魏国は、異国から使者が来るくらい権威がある凄い国なんだぞ、アピール >>458
>それなら山海経には各地で類似の地名がないとおかしいだろw
あれほど見事に赤い山は少ないんだろう
別におかしくないが
おかしいのはお前の頭だけだ
>鶏血石という希少な石が赤峰辺りにある、といいか伝承だからそう呼ばれた話
ソースを出してみろよw
妄想ばかり書いてんじゃねーよ痴呆
>そもそも未だに当時ベンガラを丹とするのは一部の九州説の連中しかいないw
いや全然
古代の赤色顔料の一般名だと中国の辞典にも載ってるよw
丹
https://www.zdic.net/hans/%E4%B8%B9
(5) 古代用作染色的顔料 [red pigme 「九州説」と「畿内説」って言っても
そっから更に分けれるからややこしいんだよな
邪馬台国は畿内にできて、そのまま大和朝廷になった←これが一般的な畿内説だろう
邪馬台国は九州に、畿内に大和朝廷がそれぞれできて、大和朝廷が九州を征服←これが5ちゃんの多数派の九州説
邪馬台国は九州にできて、卑弥呼の時代の後に畿内に遷都して大和朝廷になった←これはどうも「九州説」に分類されるっぽい
邪馬台国は九州にできて、卑弥呼の時代の前に畿内に遷都したので、卑弥呼は畿内にいた←これはどうも「畿内説」に分類されるっぽい おっと後ろが切れてしまった
(5) 古代用作染色的顔料 [red pigment]
red pigment=赤色顔料
だとはっきり書かれてるなw >>461
そのわりに征服者の言語の形跡が無さすぎる。
征服軍の侵略形跡も無い。
帰化人と言う形で半島の亡命者とその文化を取り入れながら九州王朝が瀬戸内を東征したのが正解じゃないか?
東征の理由は中国からの逃亡。 >>461
> その後のヤマト王権の歴史は本拠地である朝鮮半島南部を守る話が多くなるからね
これはどの話のことを言ってる? >>465
台湾じゃないでしょ
台湾だったら北朝鮮から中国入りはしないでしょwww
地理、大丈夫だよな? >>133
蘇我入鹿
蘇我馬子
蘇我蝦夷
これも絶対に後付だろ
イヤガラセ感が満載 >>466
位置を素直に読んだら台湾か沖縄にある国だよ >>21
朝貢は、確かに権威の見せつけでもあるが、
実態は国どうしの貿易(物々交換)だったらしいよ >>463
呉は倭国や南蛮の国と国交があるし
蜀も南蛮と国交があるぞ
当時の中華の国交って朝見外交になる 大和朝廷の歴史
紀元前100〜0年、神武天皇らが畿内に集団移住(神武東征)
250年、崇神天皇が畿内を平定
〜300年、中国地方を平定(桃太郎のモデル?こないだブラタモリでやってた)
300〜400年、九州を平定
400年頃、朝鮮に侵攻
420〜480年、倭の五王が中国に使者
こんな感じっしょ なぜ
九州から対馬に渡った
対馬から九州に渡った
と決めつける
九州から対馬に渡った
対馬から九州に渡った
2世紀の漢委奴国は
九州の綿津見大神(豊玉彦)の海神(ワダツミ)の国
3世紀の親魏倭王は
奈良の卑弥呼の邪馬台国で
出雲から対馬に渡って
対馬から出雲に渡ってる やまとのひのみこ、つまりヤマトの日の巫女
と名乗ったんだろう。
1700年後の今も太陽を国旗にして、子どもに大地賛しょうを歌わせるアニミズムこそが日本の伝統であり、原則。
アニミズムは原始的だが、生命の原理原則であり、永遠に受け継ぐもの。
太陽がなければ何も生まれないのに、
世界では太陽を祀る国が随分少なくなった。
地球に生きる生命として、日本人に課せられた使命が
最近軽んじられて見下されてる太陽を祭るアニミズムなんだと思いなさい 当時からメンツのために朝貢にはするが実際は柔軟というかなし崩しみたいな? >>474
ヤマトの日巫女の当て字説は相当古い
江戸時代にはあったからな
日本人凄すぎ >>83
いなかったのなら日本の歴史の教科書には載らないのでは? >>65
元々は巳子の変で
天智天皇が古文書を燃やしたのが遠因だろ
そもそも天智天皇はそれまでの豪族の歴史をのっとったんじゃないのか?
天皇制のリアルな始まりは天智天皇じゃないかな >>464のとおり、丹は赤色顔料の総称扱いで、それのみではどの種類だか分からない
書き分けが必要な場合、魏志倭人伝では水銀朱は真朱(珠)として書き分けている
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography/117/5/117_5_948/_pdf
> 朱という言葉は一般に硫化第二水銀を指すのだが,考古学関係者は水銀朱という名称を用いることがある。それは,古代に用いられた
> 無機赤色顔料化合物に朱(硫化第二水銀),ベンガラ(酸化第二鉄),鉛丹(四三酸化鉛)の三種類があり,これらを厳格に
> 区別していない場合があるからである。
> 例えば,硫化第二水銀は,辰砂,朱砂,丹砂,丹,朱,銀朱,真朱,真赤土,水金,水銀という呼び名があり,
> 酸化第二鉄はベンガラ,ベニガラ,鉄朱,丹,鉄丹,朱丹という別名を有する。また,四三酸化鉛も鉛丹,赤鉛,丹,光明丹,黄丹という別名がある(市毛, 1998)
> さらに魏志倭人伝文中にある「真珠・鉛丹各50斤」という記述の真珠は硫化第二水銀(真朱)のことであると解釈されている。
もしも倭国が真朱の名産地であったならば、かの曹操が建てた魏ともあろう国が倭国への下賜品として相手国の特産品を選ぶようなヘマはするまい
中国における白粉の如く体に塗りたくっていたという魏使の報告を見て「ああこれはベンガラの事だな」と分かったから
それより格上の真朱や鉛丹を倭国への下賜品として、「どうだ凄いだろう」と富を誇示したわけだ >>133
ちなみに言葉の成り立ちを真面目に考えると
「ヤマト」は「国」という意味で、後の大和朝廷とは無関係だった可能性がある
アルプスもスイスでは山の複数系で山々や山脈という意味で、サハラも地元では砂漠という意味
日本アルプス=日本山脈 >>482
だから 中国に〜のような記録として残っている だけ
金印は見つかった という説明だけ あれから20年、20年あればきれいなもんできるやん、そんなもんだろ世の中って 呪力を持つ女王とかなんか怖いからな、ただの戦馬鹿よりおっかねえ >>466
個人的には邪馬台国の本拠地は九州にあって、畿内は各国家中立のエルサレムみたいな聖地だったんじゃないか、と
で、邪馬台国が兵を派遣して聖地の周辺護衛の権利を得ていた 日の巫女さんが言ってた通り、
これからも俺たちは太陽と大地を祭りつづけよう。
キリストでもアラーでも釈迦でも孔子でもなく。
太陽と大地に感謝して祭るなら満場一致だろ? >>466
2世紀の漢委奴国は
九州の綿津見大神(豊玉彦)の海神(ワダツミ)の国
九州から対馬に渡り、対馬から九州に渡った
3世紀の親魏倭王は
奈良の卑弥呼の邪馬台国
国譲りで出雲を併合し
出雲から対馬に渡って、対馬から出雲に渡った
卑弥呼と壱与のあとぱったり途絶えるのは
九州の綿津見大神(豊玉彦)の海神(ワダツミ)の国が
【四番目の皇子の神武】に、奈良の卑弥呼の邪馬台国を武力制圧させた
から >>154
すごい限られたポストで、
コネでしかつけないから
先人の説を覆すことができなくて
研究が進まないんだよね
しかも科学的な分析ですら
やろうとしない
ボクチャン文系だからーみたいな
おかしなプライドがある
こんなお友達研究だから
謎の解明なんて未来永劫できない なんだかんだで中国って昔から蛮族にやられまくりだからな
周が蛮族にやられて春秋戦国時代になって
それを平定した秦のルーツも蛮族だろ確か
その後もずっと中国の歴史見ると
蛮族(というか中華の外の部族)が中国を侵略して中国に王朝を開いて
また中華の外の部族が中国にやってきて侵略征服して中国に王朝を開いて
っていうような歴史をずっと繰り返してるよな >>470
台湾からは対岸の呉に渡るのが本筋だが
国境を接して対立する国家が呉と交易したり援助受けたりしているから
「だったらうちは大陸で呉より強い魏と同盟だ」とやったのかもよ >>495
音で考えたら
やまとこく、やまとちょうてい
が別だというのはあり得なくないか? >>495
外国の古い書物に1回だけ出てくるだけの単語なので >>466
2世紀の漢委奴国王は
九州の海神(ワダツミ)の国の綿津見大神(豊玉彦)
九州から対馬に渡り、対馬から九州に渡った
3世紀の親魏倭王は
奈良の邪馬台国の卑弥呼
国譲りで出雲を併合し
出雲から対馬に渡って、対馬から出雲に渡った
卑弥呼と壱与のあとぱったり途絶えるのは
九州の綿津見大神(豊玉彦)の海神(ワダツミ)の国が
【四番目の皇子の神武】に、奈良の卑弥呼の邪馬台国を武力制圧させた
から まあ巻向周辺が鬼道にふさわしい場所なのはガチだからな、水銀朱、鏡、桃といえば神仙思想だわ >>487
そもそもどうして邪馬台国と大和朝廷を同一にしなくてはいけないのか?
老害がそう言いだしたから忖度しているだけなんだよね。 >>496
そもそも
隋とか清とかは
中華思想でいうところの蛮族の国家だろ
そういう時代の方が繁栄してねえか? >>499
やまと、が国の意味だったら
たくさんあっても不思議じゃない ┏( .-. ┏ ) ┓【入る日を囚える企業】追記版その一
*アドルフとアレフの綴りが酷似
「A」
「L」鉤十字の鉤爪のマーク
*囚えて人体実験をしたり、ナチスが女湯田屋人を覗く
(良い湯だな♪)
▪アドルフ・ヒトラーの綴り
Adolf, Adolph, Adolphe
Hitler
▪アレフ(Aleph)企業
Google=Alphabet
Apple=A le pp、Adobe
Amazon=アレ腐る(フ)
Alexa=xはヘブライ語でアレフ、aはアドルフ
▪光の輪(Hikari no wa)企業
SoftBank 光=日を狩り=日をナチス的に捕える(一休さん)
https://mobile.twitter.com/prettypumpkin71/status/1212661498113167360
cb
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>499
「邪馬台国」は江戸時代に暫定的に付けられた仮名。
実は元の文献では読み方がよくわからない。 >>486
>中国における白粉の如く体に塗りたくっていたという魏使の報告を見て「ああこれはベンガラの事だな」と分かったから
>それより格上の真朱や鉛丹を倭国への下賜品として、「どうだ凄いだろう」と富を誇示したわけだ
おお、なるほど!
山に丹がある国に鉛丹なんぞ送ってどうするんだと思ってたけどすっきりしたわ 日本の首都変遷
高天原 天之御中主神
高天原 高御産巣日神
高天原 神産巣日神
高天原 宇摩志阿斯訶備比古遅神
高天原 天之常立神
高天原 国之常立神
高天原 豊雲野神
高天原 宇比邇神・須比智邇神
高天原 角杙神・活杙神
高天原 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
高天原 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
高天原 伊邪那岐神・伊邪那美神
高天原 天照大神
高天原 アメノオシホミミ
二上大宮/大分宮 宮崎県 ニニギ
大分宮 大分県 ホオリ
大分宮 大分県 ウガヤフキアエズ
橿原宮 BC660〜585年 奈良県 神武天皇
葛城高丘宮 BC581〜549年 奈良県 綏靖天皇
片塩浮孔宮 BC549〜511年 奈良県 安寧天皇
軽曲峡宮 BC510〜477年 奈良県 懿徳天皇
掖上池心宮 BC475〜393年 奈良県 考昭天皇
室秋津島宮 BC392〜291年 奈良県 考安天皇
黒田廬戸宮 BC290〜215年 奈良県 孝霊天皇
軽境原宮 BC214〜158年 奈良県 孝元天皇
春日率川宮 BC158〜98年 奈良県 開化天皇
磯城瑞籬宮 BC97-30年 奈良県 崇神天皇
纒向珠城宮 BC29-70年 奈良県 垂仁天皇
纒向日代宮 71-130年 奈良県 景行天皇
志賀高穴穂宮 131-190年 滋賀県 景行天皇/成務天皇
穴門豊浦宮 192-200年 山口県 仲哀天皇
筑紫橿日宮 201-269年 福岡県 神功皇后摂政
軽島豊明宮 270-310年 奈良県 応神天皇
難波高津宮 313-399年 大阪府 仁徳天皇
磐余稚桜宮 400-405年 奈良県 履中天皇
丹比柴籬宮 406-410年 大阪府 反正天皇
遠飛鳥宮 412-453年 奈良県 允恭天皇
石上穴穂宮 454-456年 奈良県 安康天皇
泊瀬朝倉宮 456-480年 奈良県
磐余甕栗宮 480-485年 奈良県 近飛鳥八釣宮 485-488年 奈良県
石上広高宮 488-498年 奈良県
泊瀬列城宮 498-507年 奈良県
樟葉宮 507-511年 大阪府
筒城宮 511-518年 京都府
弟国宮 518-526年 京都府
磐余玉穂宮 526-532年 奈良県
勾金橋宮 532-535年 奈良県
檜隈廬入野宮 535-540年 奈良県
磯城島金刺宮 540-572年 奈良県
百済大井宮 572-575年 大阪府〜奈良県
訳語田幸玉宮 575-585年 奈良県
磐余池辺雙槻宮 585-587年 奈良県
倉梯柴垣宮 587-593年 奈良県
豊浦宮 593-603年 奈良県
小墾田宮 603-630年、642-643年 奈良県
飛鳥岡本宮 630-636年 奈良県
田中宮 636-640年 奈良県
百済宮 640-642年 奈良県
飛鳥板蓋宮 643-645年、655年 奈良県
難波長柄豊碕宮 645-655年、661-667年 大阪府
飛鳥川原宮 655-656年 奈良県
後飛鳥岡本宮 656-661年 奈良県
朝倉橘広庭宮 661年 福岡県
近江宮 667-672年 滋賀県
飛鳥浄御原宮 672-694年 奈良県
藤原京 694-710年 奈良県
平城京 710-740年、745-784年 奈良県
恭仁京 740-743年 京都府
甲賀宮(紫香楽宮) 743-744年 滋賀県
難波京 744-745年 大阪府
長岡京 784-794年 京都府
平安京 794-1180年、1180-1868年 京都府
福原京 1180年 兵庫県
吉野行宮(南朝) 1336-1348年、1373年 奈良県
賀名生行宮(南朝) 1336年、1348-1351年、1352-1354年、1373-1392年 奈良県
天野行宮(南朝) 1354-1359年 大阪府
住吉行宮(南朝) 1360-1373年 大阪府
東京 1868年-現在 東京都 ※奠都(てんと)…首都ではない 日本の首都だったのは
大分県、宮崎県、奈良県、滋賀県、山口県、福岡県、大阪府、京都府、兵庫県、(東京都)
以上10県
古墳時代から都だった奈良県がいちばん長い >>503
マジレスすると天皇の万世一系を崩したい売国左翼の声が大きくてこうなった。 >>486
逆だな。丹、水銀朱がある国だから待遇が良かったんだろう
倭からも丹を献上しているぞ、ベンガラなんかもって行けば相手にされない >>499
後漢書で倭国
その後の宋書でも倭の五王
倭という国と邪馬台国は別物ということだよ。 >>499
いつ誰が大和朝廷を「ヤマト」と呼び始めたんだっけ? ヒミコを大和朝廷と結びつけようとするのは無理がある >>32
実は俺の曾祖母が卑弥呼なんだよ
1826歳で老衰で死んだ >>508
黒塚や茶臼山古墳にはたっぷり水銀朱が使われているが? >>498
それは無い
朝鮮と交流しているうちに、魏国という存在を知ったハズ
当時の情報網からしてな 古代日本語や古代でなくても戦国期以前の日本語は現代人が聞き取れない発声方法だったらしいので
音域の近似議論はあまり意味がない気もする >>480
なるほど海路が曲線だから距離を稼げたってことか >>512
卑弥呼と大和朝廷を繋げると万世一系が崩れるの? >>471
その辺はそうらしいと言われてる
実際他の名前があったとかどうとか 卑弥呼とセックスしたいよな
まずは69で尻を割ってオマンコと肛門をじっくり鑑賞する
卑弥呼は激しくチンポにむしゃぶりつく
かわいい奴め 漢委奴国王は倭国大乱の前後あたりで九州から近畿に移動
↓
空白地帯となった九州で邪馬台国の卑弥呼が親魏倭王に
↓
卑弥呼が死亡して近畿の漢委奴国王が倭国の統治者に返り咲き
大筋はこうだろね
この後、近畿のヤマト朝廷は九州邪馬台の残党狩りを開始して土蜘蛛として殲滅した >>519
別に台湾から韓国まで交易してもおかしくはないが? 卑弥呼は孝霊天皇の皇女「倭迹迹日百襲媛命」(やまと ととひ ももそひめのみこと)
別名を天照大神 倭国大乱(2世紀にあった日本初の内乱)によって、
多くの国が奈良のヤマト王権に統一され最終的に出来上がったのが今の日本国だ
最初は九州から関東地方までが支配域だったけど時代とともに蝦夷や琉球を吸収していった 倭国(後の大和 ヤマト 日本)は邪馬台国を頂点とした連合国家であり、
倭の女王・卑弥呼はその盟主だった
邪馬台国は九州だったとすればこれで矛盾しない
神武東征〜大乱を経て、大和の葛城王朝や三輪王朝に連合国家盟主の座が移ったわけだ
九州の王朝から畿内へ王朝交代な >>515
日本側最古の地理資料では大和は大倭だしな
ヤマとつく国名で見てもヤマ◯◯は畿内に集中している。
ズバリヤマダイという地名も畿内には二ヶ所残っているよ 奈良の纒向遺跡(むきまくいせき)が卑弥呼の墓
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)第7代孝霊天皇の皇女 >>530
そんな超巨大国家ヤマトなら狗奴國ごときで魏にSOSしたりしない 古代の人物が異常に長命な件について
古代の人々は現代の1年を2つに分けて暦を使っていたから(倍暦)
二倍年暦、半年暦、春秋暦とも呼ばれ、1年で2歳年を取る 狗奴国の男王の名前は卑弥弓呼(ひみここ)
狗古智卑狗(くこちひこ)という官もいた
邪馬台国の卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼は対立し、常に交戦状態にあった
この一族は畿内の大和の王朝に臣従して5世紀頃までに移ったとされる >>522
全然崩れないけどな、卑弥呼は巫女王。
神武天皇は卑弥呼ではなく狗奴国側の血統なだけの話だよ >>513
倭国が丹を献上したなら魏が丹を下賜するわけないだろ
そこは丹木だよ、赤い木
丹には色が赤いという意味もある
丹
https://www.zdic.net/hans/%E4%B8%B9
(1) 紅色,赤色 [red]
染羽以朱湛丹秫。――《周礼·考工記》 >>535
中国の文献には台湾と朝鮮の交易(他国どうしの交易)は詳しくのってないし
意外とその時代は交易盛んだったかもよ 周や百済は 現在の中国や南北朝鮮とは何の関係もない・・別の民族だ
天皇家の先祖は古代中国の周王姫氏、呉王末裔が日本に渡った
7世紀まで大王(天皇)は名字を名乗ってて阿毎(あま/あめ)・・これが天皇の由来 >>518
畿内は邪馬台国じゃなかったってことだな >>534
つまり狗奴国も強大だったんだよ、
消えたとも書かれてないし、
狗奴国が倭の主導権を握っていったという話 伏羲-神農-太昊-炎帝-黄帝-少昊-顓頊-嚳-堯-舜-禹-湯-…-周-王…-呉王-…-今上天皇
天皇陛下は中国の真なる支配者でもある
いまの中国の支配者は古代中国とは何の関係もない、民族すら違う
時代を下って桓武天皇の生母高野新笠は百済武寧王の子孫(続日本紀)だが母系な
中国大陸や朝鮮半島は日本固有の領土だよ >>542
台湾なんて唐の内戦だったかで行くまで無人島だろ 天皇家が本当に万世一系かはあやしい
大昔はDNA鑑定できないし妻の不倫密通で生まれた子でもわからん >>545
残念だが邪馬台国とは畿内の事だから。
今更議論するまでもないが。
北部九州は単に伊都があり奴国でしかない。
狗奴国が熊本から南だね。 >>538
記紀には卑弥弓呼一族が畿内に来たとかそんな話一切ないぞ >>527
どれだけ繋げても継体天皇で途切れるのは同じだよね。 >>541
丹木を丹と木に無理に分けてるのは阿波説の気違いだよ。 明治天皇は長州田布施部落出身の大室寅之祐だ
皇太后「明治天皇はわたしの息子ではない」
山県有朋「別人」
大山巌「今上の命令?無視しとけ」
明治天皇が「南朝正統」としたのはこれが理由
いま明治神宮に祀られてるのはエタヒニン
大室家は南朝子孫を自称し毛利家が長年匿ってきた
大室寅之助の弟の孫が橋本龍太郎
薩長による内乱(国家転覆)だったわけだ
皇居はもとは江戸城であり徳川家のものだったが天皇家が不法占拠、実行支配してる 代々筑紫城に住んでた漢委奴国王の一族は
a) 何かの理由で九州を離れて親戚(安曇族)を頼って奈良へ移動
空白地帯となった九州では後継者争いが勃発して倭国大乱に
b) 倭国大乱で戦に敗れて親戚を頼って奈良へ移動
a,bどちらでもいいが漢委奴国王の金印は奈良に持っていけない事情があったのだろうと推量 「魏志」倭人伝は、マルコポーロの東方見聞録の様なものだろう。
不正確は記録だ。 >>550
当時の畿内は倭ではない
縄文系の人々の国
畿内が倭人の国になるのは四世紀以後 >>548
あの頃は一時的に人口多かったが
後に疫病が蔓延したりして国は崩壊した
という可能性もあるぞ 王称号もらえるってことは、
それなりに領域や戦力はあったんじゃねえの?
九州北部、四国、本州西部〜中央部まで領土で
朝鮮半島南部にも影響力を持っていたとかさ
邪馬台国は、呉の支援を受ける南九州勢力(狗奴国?)、関東地方まで領域だった蝦夷、
勢力圏でも、警戒対象だった出雲や朝鮮半島南部諸国との関係から
魏の後ろ盾が欲しかったとか? 大室寅之祐と同じ山口県田布施部落出身者が
伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基
その子孫が賀屋興宣、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、岸田文雄
明治維新とは北朝から南朝への王朝交代(王政復古の大号令」というわけ
日本を牛耳る「田布施システム」な
総理が陛下や皇族を軽んじてるのは出自を考えればわかる話
徳川宮司(第15代将軍慶喜の曾孫)が「江戸城(皇居)を返せ」怒るのは当たり前で
それで靖国神社は親徳川・嫌皇族なんだよ >>547
それだと逆に言えば、天皇は中国の皇帝なんだから
日本は中国のものって解釈も可能だけどな。
いつも、自分の都合のいい方向に動くとは限らない。 なんだ女系女性天皇でなんの問題もないじゃん
伝統だよ 卑弥呼にせよ壱与にせよ子供は継いでないから女系はアウト 5世孫なんて完全に別の家だろ
おまえらの親戚でも全然つながりのない人とかいるだろw 朝鮮半島の正統後継者は天皇陛下なんだよ
「朝鮮半島の王=日王」と解釈すればいい
朝鮮民族の王は天皇陛下
日本の皇帝は朝鮮半島の王でもある・・・歴史的にね >>549
高確率で違う男の血が混ざっていると思うな
大奥みたいな男を遮断するシステムがあるわけでもないだろうし >>558
安曇族が各地に広がっててそれを頼って東に亡命した近畿ヤマト
ちなみにこの安曇族、勢力範囲は半島南部にまで及んでて異民族との混血が進んでた
これが日本列島に広がった弥生人の祖となった可能性 父系で繋がってる事実が重要なだけだから
実際武烈の近辺男児が居なかったから父系のつながりのある継体に移動しただけ >>539
神武と卑弥呼じゃ年代が合わなさすぎだろう。 >>558
弥生時代前期の時点で倭で最大級の水田跡があるのに?
銅鐸や鏡も見つかっているのに、それはさすがにあり得ないトンデモ話 >>554
替え玉云々は置いといて
江戸城が不法占拠ってことはないだろ
部下である将軍の家を徴発したのだから >>555
金印はそれほど重要視するものでは無かっただけじゃね?
邪馬台国が貰ったんだから、責任持ってお前が持っておけ感覚 >>503
日本にはまず
九州の綿津見大神(豊玉彦)の海神(ワダツミ)の国ができて
綿津見大神(豊玉彦)の父ちゃんの伊邪那岐命が
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行って、
天照大御神(卑弥呼)が生まれ、奈良に邪馬台国を建国
建速須佐之男命(スサノオ)が生まれ、出雲に葦原中国を建国した
そして
奈良の邪馬台国が、出雲の葦原中国を武力制圧し
その後の権力争いで、山幸彦が、
九州の綿津見大神(豊玉彦)の海神(ワダツミ)の国に亡命
その後の権力争いで、山幸彦の四番目の孫の神武が
奈良の邪馬台国を武力制圧し、大和国を建国 弥生時代、近畿は銅鐸や銅鏡(祭器として使われた可能性が高い)が中心に見つかってるのもプラスだね
逆に九州は銅矛銅戈銅剣
鬼道によって治まってるのであるなら近畿説の意見が強く支持されるのも仕方がない >>570
神武天皇とは崇神天皇の祖先話を一番古くにしたんだろう。
東征とはそもそもが紀元前の話。 >>575
そんなたわ言は神社に行って神主に任せておけばいいよ。 ヤマト朝廷の人たちが自分たちのことを「ヤマト」って言ってたのか
中国が日本から来た使者をさして「ヤマト」って言ってたのか
後の時代の人があの朝廷(王朝)のことを「ヤマト」って言ったのか
どれなのかで全然話がかわってくるからな 令和天皇をさかのぼっていくと、応神天皇の子供とされる稚野毛二派皇子に行きつく。
稚野毛二派皇子を神武天皇にしておいたらいいんじゃないか? >>555
光武帝に金印を貰ったのが伊都国の安曇なんだろ
だから安曇の聖地である志賀島にあった
埋まってたのは白村江の戦いで負けたあとに唐が攻めてきたから隠したんだと思う
隠し場所が失伝して掘り出せなかったのだろう >>570
平均在位年数を履中天皇以前の天皇に当てはめれば神武天皇が丁度卑弥呼の時代前後になるんだよな >>534
魏への献上品に
絹(九州)・真珠(機内)・碧玉(富山)があったみたいだし結構な勢力圏だと思うな
どういう形態の国家だったかまではわからんが >>578
弥生時代の銅鏡は圧倒的に九州が多いんだが
畿内が増えるのは4世紀 >>589
真珠は九州でも採れる
翡翠は北部九州の海人族が新潟から運んできた
九州で全て説明がつく >>530
3世紀時点で未だ倭人は九州と中国地方くらいにしかいない
奈良のヤマト王権に統一とか誇大妄想だな。 そもそも中国では魏と言う漢字そのものはいい漢字の部類なのかね
「女」「鬼」で出来てる漢字なんてろくでもないだろ >>583
日本人が自分たちのことをヤマトと言ってたんだろ
中華の帝に謁見に行ったときは、自分たちがヤマトと自己紹介するのを聞いて中華側が邪馬台と当て字を付けて
奈良で新しく朝廷ができた時は、自分らで大和朝廷と漢字を当てた
そうじゃないかい?
ミステリーでもなんでもなくて、当て字の漢字が違うというだけ >>591
九州であの数は無理っぽ
それなら全部機内でも説明がつく事になる 女性天皇 あり
女系天皇 なし
とりま神武天皇から続く「父方のY染色体の継承を持って万世一系」だと思う >>590
鏡作神社の所在地は奈良盆地だよ。
それに畿内から鏡が出土するのは弥生中期の事で出土数だけで判断は出来ない。
銅鐸だって出雲から大量出土した事でそれまでの常識が変わっただろう。 >>571
水田での稲作を始めたのは縄文系の人々で
倭人が来る前から日本列島で行われていた。 >>592
その中に100ヶ国近く国があったのか?
邪馬台国の時点で、20、30まで減ったみたいだが >>596
畿内は九州が独占していた鉄や絹を入手できていないから説明はつかないよ まぁなんにせよ
答え合わせのできない事を語りあうのは楽しいよな
これこそ浪漫よ >>594
邪馬台国がヤマト発音だったとして(別な発音説もある)
後の時代に日本の使者が来た時に「ああ、邪馬台の国ね」と言われた可能性もある >>598
これは確か時代を遡ると平均在位年数が短くなる説を適用してたと思う
履中天皇以降の数百年の平均をそのまま以前に当てはめると卑弥呼とほぼ同時期 答えは出てるだろう
畿内が日本を統一しその後もずっと畿内が日本の中心だ
馬鹿朝鮮人 >>583
自分たちでヤマトと名乗ってたに決まってんだろ >>605
>これは確か時代を遡ると平均在位年数が短くなる説を適用してたと思う
いやグラフ見ろよどう見ても直線で書いてあるだろ
年数が短くなるなら曲線じゃなきゃおかしい >>603
それは違うな、答えなんて邪馬台国とは畿内以外はないよ。
少なくとも考古学の世界ではそういう認識。 天智天皇の弟の天武天皇は姪(天智天皇の娘の持統天皇)と結婚
天武と持統の息子の草壁王子は、叔母(天智天皇の娘の元明天皇)と結婚
その子供が文武天皇 >>53
>「倭は悪い文字」というのが常識になってるが本当だろうか
「倭」の字の分解
人偏に委ねる→委ねる人 あるいは 委ねた人
「委ねる」の分解
禾の下に女。ん?「禾」ってなんだ?というので調べてみた。
https://1.bp.blogspot.com/-hW9Nj6Tv-KU/UBOscpvYdmI/AAAAAAAAA0w/bn6DL133kbw/s1600/%25E7%25A6%25BE1.gif
なんと「穀物が実って穂を垂れた姿」なのか!
ついでに「何の穀物よ」と思ってまた調べたら、粟(あわ)らしい。
https://www.shend-trend.com/wp-content/uploads/2017/06/506037409d31e92f87ffd348fc9196ac-300x224.png
それそれ、正にその姿だよ! という訳で
禾の下に女=女が実った粟の穂を取ってるから邪魔せずに任せとこうぜ
となった。実に見事な場景による心理描写だ。
「矮」(小柄な人)の方は偏が「矢」なので、なぜかをまた調べてみた。
なんと!答えは………「短」の省略形とか!(未だに信じてないがw)
でも「委ねる」んだから「ちょっと不安だけど」ぐらいのニュアンスだな。
そう言えば「魏」の曹操もその将軍の一人も小柄だったな。
忍者もそうで小柄でないと素早い超人的な動きができない。
そういうことが(文字じゃなく見た目から)倭人を大歓迎した
背景にあったのかも >>610
無理だよ
真実の答えあわせはタイムマシンないと無理だよ
史実の正誤は別にしてね 北九州も奈良も関係なく、自分の国のことをヤマトと言ってたんだよ
「邪馬台」は中華側が付けた当て字
「大和」は奈良に新政権を作った時に自分らで付けた当て字
単に当て字の違いだろう >>1
>天照大神こそ、との説もありますが、これではあまりに時代が遠すぎます。
歴史学者なのにまだ皇紀だのファンタジーに囚われてるやついんのか。普通に天照大神と呼ばれた女シャーマン=卑弥呼だろよ
皇紀記録以外は全てこれで整合性が取れる 魏と呉&蜀は小説と違って実際は
国力が完全に月とすっぽんなんだが 文献解釈でも卑弥呼が鬼道を使うとある以上は、鏡や水銀朱、桃が揃っている奈良盆地の
東南が宮としては一番相応しい。
三世紀に少なくとも宮を設けるとすればね。
七万戸の国とすればもっと巨大なエリアに比定されるが。 見てるとちゃんとした資料に基づいて話をしているのは九州説の人だけだな
やっぱり九州だったんだろう >>615
そうすると、漢委奴国王は天照の爺さん? >>613
倭人伝の記述を元にした答えあわせなら現在の資料だけでも可能だという事。
畿内説での間違いなのは倭人伝では方角だけで、しかも何世紀か後の倭国伝では東に訂正されているだろ。
いくら北部九州から何が出土しようが、畿内説ではそこは伊都だから、で話が終わるんだよ。
まあ三世紀の日本地図でも出土しない限りは畿内説で動きようがない。 >>616
滅びの美学の小説でも魏呉蜀の国力比は6対3対1じゃない? >>614
>「大和」は奈良に新政権を作った時に自分らで付けた当て字
Wikipediaより
初めは「倭」と書いたが、元明天皇の治世に国名は好字を二字で用いることが定められ、
倭と同音の好字である「和」の字に「大」を冠して「大和」と表記し「やまと」と訓ずるように取り決められた。
だから魏の連中が「倭」と呼んでた人たちは自らは「やまと」と名乗ってたって事でしょうね。
あなたの言う通り。 >>153
ヒミコが複数いたなら記述に時間のズレがあっても
いいわけだ。おもいしろいね。 >>288
ほーん、九州説だとこうなのか
畿内説にはこういう図解無いの? >小国の邪馬台国を実力以上に優遇する必要はなかったのだ
現代なら「韓国と仲良しだ」といったところで、地球上のどの国に対しても何らの牽制にならないことは明らかで
教科書に載ってる漢書地理志を読めば、どんなに遅くとも1世紀から半島へ渡っていたことがわかるというのもある
3世紀の日本が小国だ何だとかいう連中の頭の中身は、きっと糠みそか何かできてるんだろう >>621
それは答え合わせではないでしょ
真実が答えであって
それと照らし合わせることが答え合わせだよ
君が言ってるのは史実との整合性であって答あわせとは別のものだよ
歴史を語るうえで史実と真実は別のものなのでそこを
勘違いしてはいけないよ >>620
年代からして爺さんではないんじゃね。爺さんの三代くらい前で血縁関係もなかったと俺は思う
日本書紀で比定するなら造化三神の誰か 九州説を推す奴はいつも単発ID
間違いなく飛行機をブンブン飛ばしてる奴 >>625
ないよ
畿内説でそんなの作ると距離も方角もムチャクチャなのが一目瞭然になっちゃうからな >>627
根本的に間違いをしている、邪馬台国とは倭人伝にある記述なんだからな。
それを検証するのが邪馬台国問題なんだよ。 箸墓古墳の遺物を放射性炭素測定したら邪馬台国の卑弥呼の時代と一致した。 酔っ払いが沸いてきたなw
まあ正月だし今夜見る夢が初夢だって >>632
根本的に間違っているのはいるのは君だよ
真実はどうであるか
史実はどうであるか
これは全く別なので
前者はその時代その場所にいって確かめないと無理な事項で
後者は残ってる資料から推測研究する学問
この違いがわかるだろうか? 箸墓古墳に隣接する黒塚古墳から魏の皇帝が邪馬台国の卑弥呼に贈った黄幢が出土した。 >>631
畿内信者も自分たちが無茶苦茶なのは自覚してるのか 箸墓古墳に隣接する下池山古墳から邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝に贈った絹製品である倭文が出土した。 >>631
そもそも畿内説で地図を作ると邪馬台国は巨大になるんじゃね?
対馬辺りまで勢力圏が無いと朝鮮まで渡れない 邪馬台国の卑弥呼の後継者台与と並び爵位を受けた垂仁天皇の皇后日葉酢姫命の古墳には馬の埴輪が埋納されている。 日本の首都変遷
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
ここまでが、
後漢(25年 - 220年)から57年に漢委奴国王に任じられた古代九州【倭奴国】 魏志倭人伝の行程を正確にたどると南大東島沖の太平洋にドボン!である。 畿内説()の言い分
Q.帯方郡から萬二千里では畿内まで届かないが?
A.関係ありません、とにかく畿内なんです。
Q.倭国の産物として記された絹や鉄製品が見当たらないが?
A.関係ありません、とにかく畿内なんです。
Q.方角が南と記されているが?
A.関係ありません、とにかく畿内なんです。なので東の誤記に決まってます。
Q.畿内の遺跡からカエルの骨が見つかったが?1
A.これぞ邪馬台国の動かぬ証拠!ほらやっぱり畿内だった!畿内!畿内!
畿内説は学問ではありません
宗教です 伊都国と奴国の距離は100里、計測したら短里が嘘だとバレてしまった。 畿内説「九州説は方向がデタラメ!」→方向を無視しないと機内にはたどり着かない
畿内説「九州説は距離がデタラメ!」→距離を畿内説の主張に合わせると畿内を通り過ぎて青森付近になる >>645 つづき
そして、伊邪那岐命からさらに
天照大神が産まれ、高天原(奈良)に邪馬台国を建国
次に、建速須佐之男命(スサノオ)が産まれ
大綿津見神(豊玉彦)の代わりに九州 海神(ワダツミ)の国 筑紫城を引き継げと言われたが
大綿津見神(豊玉彦)に脅されて逃げ出して、出雲に葦原中国を建国
そして高天原(奈良)邪馬台国が、出雲葦原中国を武力併合し、
出雲から大陸に渡り、240年に魏から「親魏倭王」に任じられ
日本に
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
高天原(奈良)邪馬台国 天照大神(卑弥呼)
という【2つの首都】が生まれる 畿内説とかもう学者側が諦めてるだろ
最近の畿内説派の論文読んでも倭人伝関連の記述がファンタジー化してて
なろう小説並みに酷い
若い研究者もあきれてる >>636
糞朝鮮人はこんな言い訳しか出来ない
そんなこと言ったら歴史学など成り立たない馬鹿ははやく死ねよ 邪馬台国の勢力圏は戸数20万戸・人口100万人、九州北部には入らない。 >>653
なんの反論にもなっていないよ
レスを返せばいいってものではないよ >>654
奈良も入らないんじゃね
それとも河内とか播磨とかも邪馬台国内なの? 奈良県の人に「高天原はどこですか?」とたずねると「葛城山です」と答える。 >>647
残念でした
山口県須佐町には、
出雲に葦原中国を建国した建速須佐之男命(スサノオ)は
出雲と朝鮮半島を行き来していた
という伝承があり
日本の記紀にも記載がある
つまり、国譲りで出雲を植民地にした奈良の邪馬台国は
距離もちゃんとあってます >>661
頭がまともな人は畿内説なんて信じないからな >>631
それこそ畿内説が破綻している何よりの証拠だな 古墳には「槨」と言うが九州の埋葬方法は「甕棺」である。 山口県須佐町には、
出雲に葦原中国を建国した建速須佐之男命(スサノオ)は
出雲と朝鮮半島を行き来していた
という伝承があり
日本の記紀にも記載がある
つまり、国譲りで出雲を植民地にした奈良の邪馬台国は
出雲から大陸と行き来できる
なんなら、出雲からの大陸との行き来の記録は
【九州からより出雲からのほうが古い】
なぜなら
大陸が対馬から船を出すと、海流に流されて 山陰地方に流れつく
からね >>593
魔除け、厄除けの風習なのかな。
倭も魏の部首入ってるのは兄弟国的な扱いで同盟国的な扱いだった? これはちょっと複雑な系統ネットワークですが、沖縄から見ると九州が一番近いです。
数字を見ていただくと、沖縄から見ると、九州が二八二三という数字で沖縄と東北、沖縄と近畿よりも小さい。これは当然予想されます。
ところが、その次は東北なんです。近畿のほうが地理的には近いのに、沖縄と東北のほうが三二八二とちょっと小さい。
これが驚きであります。あたかも北のアイヌの人々と沖縄の人々に共通性があったと同じように、今度は東北人と沖縄の人にちょっと共通性があることがわかったわけであります。
https://i.imgur.com/uD4xj8i.png
北海道 異なるM7aの系統
東北 M7a2
九州沖縄 M7a1
https://i.imgur.com/mmzqZ8f.jpg 古墳には「水銀朱」と言うが九州は汚い「ベンガラ」を使用していた。 >>278
坊津湾は船を留めるだけで、集落とかは周りにあったかもね。 邪馬台国の時代には九州の吉野ヶ里遺跡は衰退していた。 鉄器で武装した九州は青銅器で武装した畿内に敗北した。 >>654
邪馬台国は七萬戸、一戸を5人として35万人
3世紀の北部九州だから35万人程度は妥当だろう
伊都国や奴国、傍国は邪馬台国を形成する都市国家だから足したらだめだよ
投馬国は朝鮮半島南岸
狗奴国は九州南部。 >>681
当時の鉄器は青銅より弱いぞ
これは歴史の常識 >>672
魏が建国される以前から日本は倭国呼びじゃない? 三角縁神獣鏡を光加速器SPring−8で分析したら中国製だった。 >>664
これまで考えられていたよりも倭人の日本列島への拡散時期は遅く
古墳時代に倭人は九州や中国地方から日本列島全体に拡散して行ったことがDNAの研究で判明している。 奈良の邪馬台国が、太古の昔から大陸と行き来していた出雲を武力で植民地にしてしまえば
九州に
日本の首都変遷
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
という大国
後漢(25年 - 220年)から57年に漢委奴国王に任じられた古代九州【倭奴国】があっても
なんの妨害もされずに
出雲から大陸に渡り、240年に魏から「親魏倭王」に任じられて
大陸と行き来できる >>1
・・・なんで、「卑弥呼」なんて
書くんでしょうね
卑は「卑しい」の意ではなさそうだが。 国宝の海部氏勘注系図に邪馬台国の卑弥呼と後継者台与の名前が書かれている。 >>684
嘘吐けw
青銅器よりも軟い鉄器なんてないよw 長浜浩明氏の『日本の誕生』を読むとほぼ解明されているよ。
神武天皇は実在の人物、BC70からBC33年まで在位。皇紀
そのままでは、矛盾するのでよみかえてある。
邪馬台国は筑紫平野にあった。奈良の神武政権とは関係ない。 >>684
そういうウソはよくないね
富の原遺跡 長崎県大村市
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E3%81%AE%E5%8E%9F%E9%81%BA%E8%B7%A1
> 1980年(昭和55年)以降の発掘調査で竪穴式住居跡(弥生時代)、甕棺・石棺墓、祭祀遺構等が発掘され、土器・石器等とはらんで国内でも例の少ない
> 鉄戈と鉄剣の出土をみた。
> 特に鉄戈の分析から得られた情報は大きく、原料鉱石として磁鉄鉱が用いられ、錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、
> 刃部には真鍮を削れる程度の硬度があり、別の鉄戈の棟部の錆びから調べられた炭素含量は0.1から0.2パーセントであり、棟部が軟鋼であることが確認されている
> すなわち刃部に高炭素の硬鋼を使用し、棟部に低炭素の軟鋼を組み合わせる「合わせ鍛え」の技法(日本刀や農工具に用いられる技法)が弥生期から確認された 有名な歴史学者の磯田道史先生に「邪馬台国の都する所は纏向遺跡ですね」と言われた。 箸墓古墳の埋葬者と言われている「ヤマト・トトヒ・モモソヒメ」は、4世紀中頃の人物。
卑弥呼は3世紀中頃の人物。しかも卑弥呼の墓は円墳。直径100歩、145メートル。
3世紀中ごろ、皇室の先祖は九州にいた。ちなみに神武天皇は3世紀末頃の人物。
箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。年代の推定が古すぎる。学者は年代推定をやり直したほうが良い。
もしも箸墓古墳が卑弥呼の墓なら、邪馬台国と大和朝廷は無関係。 >卑弥呼は15歳前後で女王になり
それなら、卑弥呼とやれる。 鉄の出土は圧倒的だね。
畿内説って何て恥ずかしい生き物なんだろう。 >>695
またひとつ畿内説の虚偽が暴かれたな
畿内説は虚偽のかたまり ビル・エヴァンスの死は50年かけた自殺と言われた
日本はまさにこれから50年間に渡って長い自殺を迎えるわけだ
ただ毎年ゆっくりと堕ちるだけ
しかし個人としては自殺する必要はない
脱出という手段が残っている これを根拠に
中国共産党は1800年ほど前には日本は中国領になっており、日本を名乗る連中が不法占拠している
としているからな >>422
魏志倭人伝の書かれた目的は外国の正確な歴史を後世に残す為ではなく司馬懿の功績を顕彰するためなんだよな
まあそのおかげで古代日本の姿の一端が垣間見られるわけなんだが >>689 つづき
そのかわり、
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
と、後漢(25年 - 220年)から57年に漢委奴国王に任じられた大国古代九州【倭奴国】とは違い、交通網は全く整備されていないので
なんの妨害もされずに
帯方郡ー韓国
− 海を渡る1000余里− 対馬國
− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
と上陸したあとは、そりゃもう、海岸線沿いの獣道を出雲まで、
掻き分け掻き分け、必死に歩く >>685
越南や山東半島にも倭人がいたはずだけど
倭人=日本人ではない 卑弥呼はやっぱり集英社版日本の歴史
邪馬台国のなぞの女王の卑弥呼だよな
他のヤツの描いてる卑弥呼はなんかきめえが
集英社版日本の歴史
邪馬台国のなぞの女王の卑弥呼だけはかわいい >>707
魏志倭人伝のおかげで、対馬は2,000年前から日本だと言い切れるので
司馬懿には感謝しておこう。 >>689 つづき
そのかわり、
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
と、後漢(25年 - 220年)から57年に漢委奴国王に任じられた大国古代九州【倭奴国】とは違い、
出雲の交通網は全く整備されていないので
なんの妨害もされずに
帯方郡ー韓国
− 海を渡る1000余里− 対馬國
− 海を渡る1000余里− 一大国(見島)
− 海を渡る1000余里− 末廬国(石見国美濃・島根県益田付近)
と海路でやって来て、山陰に上陸したあとは、
そりゃもう、海岸線沿いの獣道を出雲まで、
掻き分け掻き分け、必死に歩く >>702
無い、無い
漢字は中国が先なので、日本が魏に憧れたんだったら話は合うけどな
魏は三国時代の前からあるので >>695
そんな昔から日本刀の技術の原型があったのか
ロマンがあるな 神武の奈良政権では、顔面に刺青する風習がなかった。
そのような文物は出土していない。邪馬台国とは違う。 >>713
金印まで授かるの厚遇はなんだっただろうか。 >>689
そもそも魏志倭人伝にはリアル古代日本について
邪馬台国や卑弥呼、数々の倭国群や倭人達の風習は記録されてあるが
神話上w古代日本に影響力があったとされる出雲を彷彿させる記述なんて
コレぽっちも書かれてないんことを深く考察が必要だろうな
つまり銅などの一時的な仮作業場ぐらいの土地だったのが
後付けで神話として創作され伊勢神宮のように大したことのない地に
後世の民衆の目を真実から誤魔化す為に出雲大社などを建てたのであろう 九州の埋葬は甕棺墓が主流、これは江南人が北部九州に住み着いた証拠で甕棺墓は本州
からは出土していないから江南人は本州には行かなかった、本州には朝鮮北部のツングース系
民族が多数住み着いた。要するに北部九州と本州は異民族だったと言う事だ。 >>614
当て字なら、大和で「ヤマト」とは読めないと思うけど?
大和=大倭=倭人の大国という、意味から付けた国名では? >>718
あの金印が厚遇?
厚遇だったらもっと立派な金印ですよ
ただの大量生産した返礼品 北九州説で確定だよ
距離も方角も魏志倭人伝の記述通りだ >>616
小説内でも国力が3倍から5倍くらいある記述だったはずだが?
どう見ても「5倍も国力ある国に勝った孔明スゲー」という描写じゃん 奴国(福岡市南区、那珂川市、春日市)で約二万戸の家があり投馬国は2.5倍の五万五
邪馬台国は投馬国の1.5倍の七万戸と倭人伝に記載があるから、グーグルマップの
航空写真で見ると投馬国は鳥栖市〜小郡市〜朝倉市にかけての筑紫平野部で
邪馬台国は筑後川を挟んだ久留米市〜筑後市〜大牟田市までの広大な筑後平野部
敵対していた狗奴国は荒尾市〜熊本市までの広大な地域にあったと言う事になる。 >>716
当然だろうね
神武の曾祖父、ひいおじいちゃんは天津彦彦火瓊瓊杵尊
天照大神の孫で畿内産まれ、出雲の国譲りの後に、天照大御神により、奈良から出雲に一大卒として派遣された
神武の祖父、おじいちゃんは出雲出身の山幸彦(天津日高日子穂穂手見命)
兄の海幸彦とケンカして出雲を追い出されて、
海神(ワダツミ)の国・・つまり、九州の綿津見大神(豊玉彦)の元を訪れ、
綿津見大神の娘である豊玉毘売と結婚し、ワダツミの国王を継いだ
神武の父、とうちゃんは、九州出身の天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
山幸彦(天津日高日子穂穂手見命)と綿津見大神の娘である豊玉毘売の子供
山幸彦(天津日高日子穂穂手見命)のあとを継ぎ、ワダツミの国王
神武はその天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命の、四番目の子供
彦五瀬命、稻飯命、三毛入野命と3人の兄がおり、九州に居たままではどうにもならないため
兄と父の全面バックアップの元、遠い親戚の饒速日を頼り、ひいおじいちゃんの天津彦彦火瓊瓊杵尊の出身地の畿内を目指した 行ってきた外交官が、手柄を水増しする為に
邪馬台国の距離は遠めに、人口は多めに報告したかも
その上司がさらに水増しして、先代の業績を称えるために子孫がさらに水増しして記述していたりして 奴国(福岡市南区、那珂川市、春日市)で約二万戸の家があり投馬国は2.5倍の五万戸
邪馬台国は投馬国の1.5倍の七万戸と倭人伝に記載があるから、グーグルマップの
航空写真で見ると投馬国は鳥栖市〜小郡市〜朝倉市にかけての筑紫平野部で
邪馬台国は筑後川を挟んだ久留米市〜筑後市〜大牟田市までの広大な筑後平野部
敵対していた狗奴国は荒尾市〜熊本市までの広大な地域にあったと言う事になる
福岡県と熊本県が鉄鏃出土数が飛び抜けて多く出土しているのは戦争状態にあった
と言う事になる >>723
同時期の朝鮮半島の首長は銅印しか貰えなかったけどね >>735
やっぱり歴史音痴のバカウヨこどおじかwww >>737
無理しないでいいんですよ、ゴミウヨこどおじに歴史なんかわからないのだからwww >>207
これ、どうすんの?
どうしてくれんの?愚かな畿内派は? >>738
チョンが出てきた
お前らえ便器は当時シベリアの奥深くで穴掘って暮らしていたんだろ? >>719
ちゃんと書かれているよ
伊都国には
卑弥呼という女王の他に王がいるとされていて
女王国は、卑弥呼という女王の他に王がいる伊都国には一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚している
これは
現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治と
本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治
という植民地の形態そのまんまで
邪馬台国に植民地にされた出雲の記述 近隣国の侵攻に困って大国に泣きついていっただけなんだけどな
軍を派兵してもらえず使者だけなのかってがっかりしてた
基本印の文字数が多いほど格上だから漢のうんたらより格下扱い 西域キ護、朝鮮四郡など漢がやった事を魏がそれなりに継承出来たのは、呉蜀にとっては心理的敗北感をもたらしただろう。とりわけ呉は台湾沖縄あたりで奴隷狩りをするより倭と積極外交すべきだったのだ。 >>743
卑弥呼がアマテラスなら天皇の祖先
>>731 >>745
朝鮮半島を経由しないと、日本は中国大陸から遠いよ。
しかも日本海は狭いくせに荒れる。 >>723
なりすましの朝鮮パヨクか
二千年属国で悔しいのうwww 邪馬台国って
戦国時代で言ったら最上とか長宗我部みないなもんでしょ? >>755
卑弥呼が天照とか、明治天皇替え玉と同じくらいトンデモ 邪馬台国は狗奴国との戦いに勝って、その後阿蘇〜高千穂〜延岡〜西都原のルートで
宮崎に入った、宮崎に入った理由は鹿児島の熊襲を討伐する為だったが熊襲の抵抗が
思ったよりも手強かったから、熊襲討伐よりも関西を討伐する方が先と考えが変わり
東征を思い立った。 >>742
冊封体制で名目上主従関係を結んだだけだからな
魏は傘下の範囲を増やせるし、邪馬台国は魏の後ろ盾を倭国内で誇示できるしウィンウィンだった
実際には呉や蜀と戦っていたので、魏には海の向こうの異民族にわざわざ兵を出す余裕なんてないし >>745
台湾沖縄で奴隷狩り?
朝鮮系民族学校ではそう習うのか?w
ああ、チョンのいつもの盲想だったなw 国賓として来日する
習近平が
安倍に
「親中日王」と書かれた
ハンコを与えるでしょう
破格の高位の称号! 倭国とは琉球の事。琉球では巫女が祭祀に携り、政祭一致の風習が長く続いていた。毛深く、刺青の風習、裸足の風習も倭人の風習に一致している。
当時、朝鮮半島南部を本拠地として百済が日本列島を支配していた。百済の諸国は連合国を作り、その一つが現在の天皇家にあたる。
百済は新羅との勢力争いに敗れ、朝鮮半島の勢力圏を失い百済王朝の分家であった現天皇家に避難した。
白村江の闘いを行った理由も、百済が母国であったからだ。
百済、伽耶、方面には糸魚川周辺から採掘した翡翠が大量に出土している。勾玉も出土しており、美術工芸技術的評価は百済翡翠工芸が最も優れている。
日本とは百済なのである。 >>762
そういえばこの前、文は三跪九叩頭の礼をやってたね。 シャーマニズムで王になったって凄いわ
スティーブ・ジョブス並の凄腕詐欺師だったんだろうな >>143
弥生人は江南から来てるだろ
その後朝鮮にも移り住んだ >>748
歴史知識無知でよくそんな大噓が言えたものだよ
大陸への航海ルートは南西諸島経由も含めすでに何通りもあったのだがな
一番早いのは寧波から北九州からの一直線だ
海流の恩恵だが帆つきだと簡素な舟で30時間なのだ
そんなことも知らないのか 邪馬台国であることを示す唯一絶対の証拠
桃の種が大量出土した地域はどこなんだよ? >>761
これは孫権がやった結構有名な話であり三国志のどこかに記述があるはず。三国志でのその琉求とは台湾なのか沖縄なのか、議論がある。 >>763
キムチ食堂の雑談妄想を日本人の中に持ち込まないでくださいね 鬼道はシャーマニズムなのだろうか?
当時の中国における「道」が意味するのはロード、単純に道路のこと
武道とか書道のような精神的な意味はない >>312
学会としては九州説はほぼ否定されてるけど、九州説マニアの爺さんが毎度発狂してる感じ 邪馬台国は沖縄である。
百済は日本列島の支配王朝である。 >>4
歴史書『鋼鉄ジーグ』でも、その所在地は不明である。 >>720
嘘つき民族と学術的に断定された在日韓国人は嘘が日課なんだw
本州には朝鮮北部のツングース系などは古墳期以降の関西の在地豪族の戦利品、半島からの難民遺民としてしか来ていない
殆んどが関西の在地豪族の所有民だった
>>745
来る日もくる日も入れ替わり立ち代わり大陸勢力に蹂躙され奴婢化されてたのはお前の祖国の朝鮮半島 魏志倭人伝には倭は年中温暖な気候で夏も冬も野菜が取れ、生食をしているとある。
温暖な九州でさえ、冬に夏と変わらないほど野菜が取れるわけではない。しかも、雪も降り、年中裸足で生活など出来ない。
この技術だけでも、九州、機内説は無理である。
邪馬台国 沖縄、琉球でくぐれ >>741
伊都国の王=卑弥呼、壱与なんだ
女王国(伊都国、奴国)の以北の諸国に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚し
女王卑弥呼はこれらの諸国を伊都国で常に治めていた
>>743
卑弥呼には夫も子もいないから先祖ではない。 >>283
魏志倭人伝の時代は当時の中国に最高級の威信財と認識
されていた南海の貝輪を中国の王宮まで仕入れる華僑と
交易しながら支配した海人族が後期縄文人と弥生時代の列島倭人
だから中国の日本の描き方は東西じゃなくて奄美や沖縄まで含むように
南北に長く認識されていたよ 630名無しさん@1周年2020/01/01(水) 15:45:01.10ID:74Tnt8XR0
>>618
うちの辺りは桃の節句とか七夕なんかは旧暦なんだけど、
日本で旧正月の方を盛大に祝ってる地域ってあんのかな?
沖縄の離島なんかにありそうな気がする
668名無しさん@1周年2020/01/01(水) 15:53:00.01ID:G7uryw+r0
>>630
近代以降の日本屈指の学者たちは沖縄や奄美地方や対馬などを日本の源流として飛行機のない時代から時間とお金をかけて多くの研究者が訪れている
対馬は半島から近距離なのに縄文色が濃厚なのは知られているが現在も文科省関係の予算が付いた科学博物館関係者などが研究として訪問している話は聞くね
かなり大きな研究事業のようだ >>772
3世紀当時には畿内には文字も鉄器も無いからね
住んでた住民も今の日本人とは違う縄文系の人々
畿内説なんて過去の遺物だな。 もともと海洋民族であった縄文人や列島倭人が
広範囲に交易をしていたことがここ30年の研究で
より明確に判明してきている
その列島人の航海技術によって大陸の文化と共に渡ってきたのが
大陸南部からの弥生人、ほぼ長江流域の稲作文明人 >>763
日本書紀では百済はわざわざ扶余と書かれている
倭国の日本人とは違うという意味
百済など朝鮮半島のツングース系穢族や同族の扶余族は
動物肉食で冬には豚の脂をこってり身体中に塗る大陸東北部の
生活習慣だな
稲作メインの弥生人とは最も離れた民族なわけで畑作も日本のような根菜類はなく雑穀類だけ >>783
近年の研究ではや日本列島で水田を作り稲作を始めたのは元々住んで居た縄文系の人々でBC10世紀くらいから
弥生時代に渡来系の人は北部九州や中国地方の一部にしか住んで居なかった、来た時期もBC4〜5世紀くらいから
渡来系の人が日本列島全体に広がったのは4世紀以後 >>763
>美術工芸技術的評価は百済翡翠工芸が最も優れている。
世界一の嘘つき国の嘘つきDNAは自分の脳内盲想評価まで誣告する重篤なトンスル脳症? >>786
その渡来系も華南や越方面の人たちですよね そもそも場所も存在すらわからない。
ただ、日本の何処かに居た豪族ってだけで統一してるともいい難い。
へたすりゃ九州に単独王国が有って、そこの自称王かもしれないしw
古代の日本なんてみんな推定ばっかりで半分ファンタジーの世界。
奈良時代くらいからと残ってるものが違いすぎる。
何しろ調べたくても古墳調査させてくれないからなw今の一代繋がる天皇とは
違ったりすると困るからなんだろうけどさ そもそも卑弥呼の傍らには常に弟とされる男がいて言葉も全てその男から出される
そして日食が2年続いた年に殺された
つまり生贄となった
監視され生贄とされたのが卑弥呼 魏からすると一番使えるだろう。呉の背後に存在する国なんて牽
制には丁度いい。
蜀みたいな遠く隔離された国からすれば存在くらいの価値しか無い。
呉からすれば海渡って同時に東から攻めてくる存在にもならない。
魏にとっては、存在だけでも厚遇する価値のある存在だわな 単純な事実だが
馬を日本に運んでくるためには丸木舟では無理
構造船がどうしても必要になる
構造船を作るにはどうしても鉄の道具が必要になる
大和王権の祖は朝鮮半島南部から渡ってきたんだよ
(現在の朝鮮の人かは不明)
すでに半島南部の鉄資源を押さえていた
そこから西日本に領土を広げたため
古事記でも神話の記述が終わると突然倭が半島南端を保有しているところから始まるのさ 百済は扶余族と短絡的に結びつける説は今では少ない。研究によれば王族の風習は北方大陸民の風習を踏襲しているが、人々は全く違う民族である。
百済王族は現地の風俗に同化し、独自の文化を作った。
武器や武具、馬の鎧は九州から全く同じものが出土している。 >>791
>日食が2年続いた年
そんな年は存在しないだろ >>777
【令和考案】
中西進教授
「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく韓国人だ」
「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく、韓国人だ」
は、
『日本に逃げてきた渡来人は、血統で見ると縄文D遺伝子のある大和人ではなく、D遺伝子の無い韓国人だ』
という意味だからね。
さすが文系の学者のトップは理系分野の最新の知見を押さえているわけだ。 司馬懿が倭の使者をどういう風に見てたのか知りたい
こいつらやべーwwwとか思ってたに違いない >>796
247 248年に起きたけど何を根拠に存在しないと >>790
曽我氏のころから、実力者の気に沿わない時は天皇ですら殺されていたし、皇族同士のあらしも頻発していた。
実際のところ、何度か皇統は入れ替わっていると思う。
橘氏や高階氏の子孫のほうが天皇のDNA持ってると思う 年明けから邪馬台国すか 今年はどこが本命なんすか? >>791
卑弥呼の死因は分からないが
普段は化粧にベンガラを使っていたのに
魏から大量の水銀朱を貰い水銀中毒になったのではないかな
と思う。 >>793
元々縄文系の人々が朝鮮半島南部にまで入植してたんだろうな
朝鮮半島北部から南下して来た人と混血して倭人が生まれ
その後日本列島に広がっていった。 >>416
とよ?ってヒミコの親族から
選ばれたんじゃなかったっけ? 破格もなにも、当時は、中国からみれば、辺境の地の、小規模な国王だよ。
遠くからきてくれたから、金印くれたのだろ?頓珍漢な解釈は困るわ。
日本が世界に大きな影響を与えるのは、もっと先の話だ。 邪馬台国から大和政権の間の空白が何より気になる
まあわかってみれば大したことは起きてないんだろうけど >>807
「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」邪馬台国と
その後、日本を統治した大和朝廷は別物ってことでしょ?
もしつながっているとしたら、入れ墨の風習はどこに行ったのか? 李成桂は李氏朝鮮の最初の王です。
衰退しつつある元の本国から、明との戦いに参加しろとの
命令が出ましたが、モンゴル人の軍人・将軍であった李成桂は
(高麗には日本国内の米軍のように元軍が駐留しておりました)
明との戦いに加わらずに、高麗を滅ぼすこと、権力を簒奪する
ことにしました。
李成桂は、朝鮮半島の統治のために、北からの民を流入させました。
それは、すでに半島にいた穢族と同系の北方のエベンキ穢族です。
その後のモンゴル系による民族浄化のような歴史を重ね古代の日本へ
渡来した朝鮮半島の者達とくらべて、現在の韓国人はその北方エベンキ
とのブレンドとしての最終形態でなのです。
それが主だった要因のせいなのか、韓国では日本人の基底遺伝子と
いえるD1bがほとんど見つからないのです。 邪馬台国と大和って似てるしやっぱり畿内説の方がしっくりくるよな 邪馬台国から大和政権の間の空白は邪馬台国は琉球であり、大和政権とは別とすると辻褄が合う。
大和政権とは百済王国の亡命政権。 >>795
無知全開で「今では少ない」w
といえる厚顔無恥が韓国人の特徴いうようなことが反日種族主義に書かれたなw >>1
裏鬼道と縛道使いこなせる俺って、女帝になる素質あったんかなぁ >>788
日本には稲作信仰ベースに縄文要素満載の神道的精神文化を考えると
文字通り日本人は水稲と根菜類の民
箸のような棒に根菜類をたて山神の御初に魚を捧げる文化は
苗族とそっくり
長江文明の米食文化 北の黄河文明は小麦食文化
台湾原住民は苗族の子孫
台湾原住民と日本の古い文化の共通性は最新の分子科学で証明された
蕎麦を麺にして食べる地域は苗族と日本ぐらいで他に例がない
朝鮮半島にはない
納豆食文化も同様で文化の同根性と類似はその他枚挙に暇はない >>811
どの文献かは忘れたけど、琉球に関してはちゃんと記述されてるじゃん
邪馬台国とはまるっきり別 >>217
稲作技術の視点から見ると稲作が始まる以前に、
通常は稗、粟、麦などの雑穀を栽培する焼畑農業
が起こり、その場合、タロイモ(田イモ、里芋)のような
根菜類まで含まれるかで分かれる。
朝鮮半島の場合、華北や東北地区(満州)の畑作、
遊牧の民が流入したが肉食の民だから稲作が
起こる可能性はなく、気候的にも稲種や稲作が華中
から北上することもない。
他方、畑作技術は華北から満州、朝鮮へと流れたことは
考古学上の通説である。
しかし、である。
朝鮮半島にはタロイモ栽培がない。
日本の縄文時代後期からの中心的な農耕は(陸)水稲と
タロイモのセットである。
そしてそれはラオスからベトナムからフィリピン
から環太平洋文明圏では普通の食習である。
しかし朝鮮半島には華北や中国東北地区由来の
農耕パターンしかなく、日本やそれら環太平洋の
地域とまったく違う。
台湾の山岳部では日本の銅鐸に描かれた脱穀の様子の
線刻画そのままの杵や臼で作業していて驚かされる。
朝鮮半島には、日本人が弥生初期(縄文終期)から好む水稲との
共用の根菜類の栽培が一切ないのである。
現在でも奄美や西日本で行われる根菜類の栽培がない。
東南アジアから台湾、日本からハワイまで見られる
南洋系の稲とタロイモのセットではない。
この違いは水稲の伝搬のルートの主流に大きな
影響を与えているはずであるし、日本人と韓国人
との文化の根本部分の違いとなっている。 「男性は大人も子供も、みな顔や体に入墨をしている。」邪馬台国の風習の名残が全く天皇家に残っていないでしょ?
それがすべて。 >>594
自分たちをヤマトって言ってた人達は
いつから自分たちのことをヤマトって言わなくなったの?
言ってる?今は日本だけど >>614
「邪馬台」は邪馬台国のことだろ
俺が言ってるのは「大和朝廷」のことだぞ
それとも大和朝廷にも中国は「邪馬台」って当て字つけてたのか?
それははじめてきいた話だけど >>819
日本の学校では中部地方の遺跡からも鯨面の線刻画が出土すると習うのですよ
どこの国の歴史教科書で学ばれたのですか? 「ヤマト」って地名が二つも被るのか?
これって凄い偶然だろ 日本書紀は継体天皇から朝鮮半島関連記事が急増するが、その理由は普通に考えれはこの時期以降の百済系史料だけが豊富に残っていたから。即ち偶然。
日本書紀を疑ってかかる場合、それ以前の史料は採用しなかったから。即ち意図的。 呉はわからんでもないが蜀の牽制になったんだろうか
南蛮とか西涼とか味方にいるぞって蜀が言ってもだからどうしたって感じだったろうし >>822
で、それが天皇家や神社に痕跡も残っていない理由は? >>815
朝鮮冷麺は蕎麦が主成分だし
中国でも蕎麦で麺を作って食べる。 >>822
安曇野はワダツミである安曇族が九州から移動した土地だよ
安心院、渥美、熱海、安曇とワダツミ達は日本全国へ散らばってる
大和多罪とも呼ばれ、朝廷から迫害されて散らばった >>824
継体のネットワークには半島の手下もいたでしょうが蘇我ほど充実はしてなかたでしょうねえ
つまり、継体と半島はまるで関係がありません
あるとすれば手白香の姻族関係を頼りにできる狭義のヤマト地方との関連を持つ海人族ですね
琵琶湖周辺や若狭や山背を拠点にしていた書紀に詳しい氏族関係ですね
もちろんその一部と重なる系図は確か1978年に国宝指定を受けていましたね >>828
仁徳天皇の兄弟相続の時代のラットレースに続けて失敗しただけなんだよ
そこからは同系両軸の海人族は衰退したが相変わらず牽強付会というやつかな 1800年前の日本語は今と同じと思わないほうがいいぞ
大和も邪馬臺もぜんぜん違ってたりするからね
今同じような発音しているからと言って当時は同じとは限らないということ
というより当時の人の言葉は現代人には理解できないよ >>822
【研究】縄文人、内陸より沿岸部で腕太く 手こぎ舟で鍛えられ
「縄文時代でも帆を使った舟がなかったことを示す成果」
縄文人は、内陸よりも沿岸部に住んでいた人の方が腕が太かったとの研究結果を、
国立科学博物館などが発表した。外洋に出て漁や海上交易をしていたと考えられている
愛知県・渥美半島に住んでいた集団の男性が特に太く、舟をこぐことで鍛えられて太く
なった可能性があるという。
ヒトの足や腕の骨は筋肉を使った活動に応じて太く成長する。縄文人の手足は現代人
よりも太い傾向があるが、年代や地域によってばらつきがあることが指摘されていた。
同館は全国の遺跡から出土した縄文時代の上腕骨797人分を分析。その結果、
内陸よりも、海で漁を行っていた沿岸部の集団の骨の方が太い傾向があった。一方、
海岸に近くても、主に川で漁をしていたと考えられる集団は比較的細かった。
沿岸部の中でも、渥美半島にある縄文時代晩期の保美(ほび)貝塚(愛知県田原市)
の男性は特に太く、出土した22人分すべてが全国平均を上回った。全国で出土した中
で最も太い骨もあり、上腕の細い部分でも外周が8.1センチと、江戸時代の平均的な
男性より約2センチ長かった。外洋で漁をしていた他地域よりも太く、漁だけでなく、
海上交易で舟をこぐ機会が多く、腕が鍛えられたと考えられるという。女性は周辺地域
と大きな差はなかった。
同館は、3万年前に日本人の祖先が大陸から渡ってきた航海を再現するプロジェクトを
進めている。プロジェクトの海部陽介代表は「縄文時代でも帆を使った舟がなかったこと
を示す成果で、3万年前も手こぎ舟を使った可能性が高い」としている。【大場あい】
毎日新聞 2018年8月27日 20時18分
https://mainichi.jp/articles/20180828/k00/00m/040/074000c 安本美典教授 〔1〕
韓国や北朝鮮の方々には、とかく、日本の言語も文化も、
天皇家なども、ほとんど全てが、朝鮮半島からきたはず
だという、強い『思い込み』があるようにみえる。
しかし、そうであって欲しいという『願望』は、必ずしも、そうで
あるという客観的事実と一致しない。
※ 『』は本文そのまま
安本美典教授 〔2〕
韓国の言語学者でも、ソウル大学の李基文教授は、
『日本語と朝鮮語との比較作業の結果、確実にいえる
ことは非常に少ない』と述べている。 本美典教授 〔3〕
さて、さる六月に、私の主催している「邪馬台国の会」が
開かれた。その会で韓国出身の統韓鮮氏が、「『万葉集
論争』を論評する」というテーマで発表を行なわれた。
その発表のなかで、 私の先の文章をとりあげて、統韓鮮
氏はいう。
「安本先生は、ご本のなかで、この文章のように述べて
おられますけれども、日本の古代の文物のなかで、朝鮮
半島を通じてこなかったものには、何があるのでしょう。
私が答える。
「私も、朝鮮半島の古代の文物について、非常にくわし
いというわけではないので、ご存知であれば、この機会
に、教えて頂きたいと思うのですが、ふつう、日本の神社
建築の、高床式建築法、千木、鰹木などは、南方から来た
習俗といわれています。
現在でも、中国の西南部の雲南省などにすむタイ族な
どの住居には、高床式建築法、千木、鰹木などが見られる
といわれます(その写真なども、 よく本にのっています)。
また、下駄なども、中国の南部でみられるといいます。 安本美典教授 〔4〕
統韓鮮氏がいう。
「高床式建築法、千木、鰹木などは、日本では何時頃
から見られたものですか」
私がいう。
「弥生時代からあったといわれていますが、……。」
ここで、会場の参加者から発言あり。
「銅鐸の絵画、家屋文鏡の絵からいって、弥生時代から
あったのではないでしょうか。」
ディスカッションが行なわれたが、 やはり朝鮮半島には、
高床式建築法、千木、鰹木などは、見られないようである。 >>829
俺はそんな方面の事はあんまり考えてなくて、むしろ日本書紀が持つ大義名分的なものがそこにあるのではと思っている。継体天皇以前の最も目ざましい天皇が雄略天皇であり倭王武とされている人物。 >>828
うちの部族は1500年前から大分の海側にいるのが歴史書にも書いてるけど
関東にうちの部族の地名があるわ >>827
朝鮮冷麺は芋が主成分だろ?
中国で蕎麦で麺??? >>106
昔は先進技術やその産物を持ってた椰子なんて、神にしか見えなかっただろう。神格化もされてただろうし、庶民が権力者を見ることすら出来なかった。
ところが今は、大臣が国会での居眠りガオをさらされたり、あるいは、ワケ分かんないアジア人におてて引っ張られてたローマ教皇の方が叩かれたりする時代だからな(w
俺達庶民にはユカイだが権力者には受難の時代だな(w 卑弥呼と松坂季実子には未だにお世話になっております。 もしも表記が邪馬台国でなかったら普通に九州で決着してたと思うんよね
そして邪馬台国だからこそ九州からどう畿内に権力移行したのかという研究がすすむ
それほど邪馬台国とヤマトを連想させるパワーはでかい >>791
247年の日食は北部九州では皆既に近いくらい欠けたけど畿内ではあまり欠けなかったらしいね
やはり北部九州に邪馬台国はあったのだろう まだ継体なんてのを鵜呑みにしてるのが居るんだなw
藁をも縋って古代史に入り込みたい気持ちがわかるが残念orz でもあれだよな。日本って言うのは、既に縄文時代から、
例えば、青森の遺跡などで、大きな栗の木を6本立てた櫓とかさ。
なにか、ものづくりの魂が、1万年も前から感じられるのな。
まあ、青森の遺跡はもうちょっと最近だろうけど。
狩猟採集では、腹一杯になるわけないけど、その遺跡の人たちは
近所の山丸ごと栗の木を植林してたんだよな。
アク抜きしないで食べられる木の実なんて、数種類しかないのよ。
リスだって、どんぐり生食いしているのではなく、中に住んでる虫の幼虫を食べてるんだよ。
縄文海進で、周囲が浅瀬の海で、貝を集めつつ、栗を植林して、貝も干して保存していたのだろう。
少しは食べられたんじゃないかな。そういう風に工夫する民族性が、大昔から既にあったんだよね。
今は、風通しの悪いシステムで、最先端のものがなかなか作れないじゃん。
克服してもらいたよね。才能はあるんだから。 ヤマトと言う言葉は、ムタという古代朝鮮、百済語に関連している。ムタとは平野、田が広く広がり、多くの人々が住む土地を言う。
つまり、ムタが転じてヤマトになったとすると、ヤマトとは国の名前ではなく、土地を指す言葉になる。
それを裏付けるように、百済亡命政権が奈良を都とした奈良は百済語でナラ、国という意味である。
百済はナラ、奈良、国を建国し、その地をムタ、ヤマトと名付けたとすると合理的に説明できる。
ヤマトと邪馬台国は関連性がない。 304名無しさん@1周年2019/12/08(日) 19:11:28.59ID:AGGczja90
太古日本列島に馬はいませんでした。
半島と日本が地続きだった時代、朝鮮民族が馬に乗って渡来し、原始的な生活を送っていた
日本人に稲作など文化を与えたのです。
https://twitter.com/syannhai1?lang=ja
934名無しさん@1周年2019/12/02(月) 20:46:09.19ID:iXWN4iIh0
江上の騎馬民族説は空想が土台になっていて
考古学的にも人類学的にも全く実証性がないもので
現在では盲説扱いとなっている
だが在日コリアンはその盲説をカルト教義のように信じたいので
こういう記事を書いたりするのだろう
彼らには客観的事実や科学的根拠は通用しないようだ
♦♦日本の超一流学者 ♦♦
・田辺昭三
この説はこれが提唱された時代の要請の中で生まれた産物。
・佐原真
かつて、騎馬民族征服説という仮説がありました。
騎馬民族の王侯貴族が組織的な騎馬軍団を率いて
日本にやってきて征服王朝をたてるということはなかった。
人びとの心の奥底では、日本が朝鮮半島や中国などに
対して近い過去に行ってきたことの償いの役割を、果たした
のかもしれない。
・岡田英弘
完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。
江上波夫が創作した、新しい神話。
騎馬民族説には何の根拠もないですよ、あれは全くの空想。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林が多く、良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す。魏の時に至って、三十の国があり親しく交流す。
戸数は七万あり、男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。
倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。
いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨し水魔を払う。
倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れる。
皆おかっぱ頭で、裸足である。
倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。
倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)
重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。
その倭国の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢末に倭人達は乱れ戦うことなり倭人は共に女子を立てて倭国の女王として戴く。
邪馬台国を収め他の倭国群をまとめる女王其の名を卑弥呼という。
女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
その女王は遣使して帯方に至り朝見した。その後も貢ぎ、遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。
「晋書」第九七巻 『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰
日本最古の歴史を造る洗脳教科書とされる古事記や日本書紀には記述がされてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華漢人官僚の史書には記述されていた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう? 朝鮮人は、例えば、中国から染色の技術が伝えられても、時がたつと忘れてしまうんだよね。
レベルが低いのよ。
日本の貴族が極彩飾の天然染料で12単を着ていた頃、朝鮮人は無着色の麻布を着ていた。
アホすぎて覚えちゃいられないのよ。
呆れた連中だよね。投資したお金を返して欲しいわ。 >>837
関東は意外に九州海人族と縁が深いからな
茨城の鹿島神宮の祭神であるタケミカヅチは福岡県志賀島に祭られている安曇海人の祖神安曇磯良と同じ神らしい
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
>民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
>(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
>『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
>袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
>一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。 >>202
後の高野山で辰砂採掘の関係の事もあるので
そこら辺から繋りが出てきたら面白いですね 弥生時代を後の世のように権力動向で時代区分するとしたら、まずは九州北部の繁栄から始まる
その後北陸航路の出雲系による開拓が起こり、それと平行して海人族の辰砂発掘をバックとした四国と瀬戸内海拠点が繁栄
やがて太平洋航路の関東、東海が開拓されるに従い本州の物産を畿内に集積する文化が興る
こう考えると弥生末期の権力移行とは農工の発達ではなく交易物資経路の開発を重視して考えるべきだろうな >>845
古代の日本語では大国主命の別名大名持命の名(ナ)は土地と言う意味
つまり大きな土地を持っている神ということ
ラは長良、長柄などの地名が日本に多いようにラは場所や区域
名柄などは金毘羅と同じくインド由来の縄文や弥生的ともいわれるナーガ
蛇神族や蛇神のいた場所や区域という意味
水分神社の神である高龗や闇龗などはだいたいこのナガ神
そして中国経由でナは大きなという意味
だから奈良(ナラ)は大きな土地の場所という自然な意味 邪馬台国の出土品なんぞ何もないのに卑弥呼の妄想大好きだよなぁ
浪漫的なものがあるんだろうか
九州派と近畿派が舌戦が微笑ましい >>849に加えて、宮城の磯良神社には常陸の鹿島から磯良明神を勧請したと伝えられている
勧請したのは坂上田村麻呂とのことなので、鹿島神宮に北部九州の安曇磯良が祭られているのは古代には広く知られていたことのようだ
http://miyagitabi.com/sikama/isorajinja/index.html
><磯良神社の由来>
>延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。
>古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。 >>838
中国のそばを食べる地域は
主に土地が痩せている地域で、
だから、中国ではそばは貧しい地域の食べ物のイメージ。 780名無しさん@1周年 2019/08/30(金) 16:50:41.25 ID:5oOXWqgk0
>>1
ケルプハイウェイを通って丸木舟で縄文人がオレゴン付近まで行ってた話か?
東北に似た有舌先頭器は何年も前に照合されてたはずだが
929名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:00:30.35ID:0V+sFL3x0
縄文人が海藻つたってアメリカにきたとか前から言われてたよね
270名無しさん@1周年2019/08/30(金) 17:58:29.08ID:PzhspnQS0
>>1
〜地球創世記 ミステリアス・アメリカ〜 生物大絶滅と縄文人の謎
https://www.bs-tbs.co.jp/mysterious-america/
解明
フォートロック洞窟からは世界最古とされる1万年以上前のサンダルが出土している。樹皮を編んでつくられたこのサンダルは、日本のわらじと酷似している。
オレゴン大学に保存されている数々の出土品。その中には日本の縄文時代の遺跡から出土している遺物とほとんど同じ形状のものがあった。これらは縄文人が持ち込んだものだ、という説を唱える教授に出会った。一体どうやってアメリカに渡ったのだろうか?
本州〜北海道〜ロシア〜アラスカ〜オレゴン、と海岸沿いの海を渡ってきた、というのが教授の説。縄文人は丸木舟を作るなど海洋技術が盛んだったこともこの説を裏付けている。
オレゴンの海岸沿いには海藻類の生い茂る遠浅がどこまでも広がっていた。海を旅する人たちの貴重な栄養源になりそうだ。これなら海を渡って日本からアメリカへ、というのも不可能ではないかもしれない。でも、危険を冒してまでそんなことをするだろうか?
縄文時代は安定した平和な時代だった。その一方で、人類には「挑戦する遺伝子」が備わっている。定住せず、新世界に飛び出していった縄文人もきっといたことだろう。
https://tv.yahoo.co.jp/program/62103886/ 443名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:09.44ID:0S+UDbW40
349名無しさん@1周年2019/04/27(土) 11:26:35.85ID:J2Yk4v8A0
>>338
古代史の最後のパズルは出雲朝廷の存在とその出自
出雲朝廷の存在がハッキリし、彼らが朝鮮人であることがわかるとすべてがつながる
もはや朝鮮半島にむかって毎日礼拝をしなければならないだけの事実がでてきたということだ
389名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:38:23.61ID:7Q4r/hXI0
>>349
出雲の大名持神の祭祀はその開始にも
南海のセグロ海蛇という豊穣神待ちなんだけど、
それがどういうふうに朝鮮半島の勢力と絡んでるの?
いっしょに国を開発した大物主神も三輪山に祀られる
蛇神で金印の蜷局を巻いた鈕だしね
408名無しさん@1周年 2019/04/27(土) 11:43:56.58 ID:c/CUrXOr0
>>389
朝鮮半島はまるで関係がないね
セグロ海蛇は、出雲人が神迎えの出雲大社の神在祭、別名御忌祭の神事の主役
南太平洋、南シナ海、琉球列島などに棲息する海ヘビで朝鮮半島になんていない
444名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:09:30.02ID:0S+UDbW40
769名無しさん@1周年2019/08/30(金) 18:46:23.91ID:bFBO74PF0
>>612
日本の神道祭祀関係でいうと
古代から宮殿内には半島蕃族の好物の肉類は
持ち込み禁止
御贄については縄文人や弥生倭人の時代そのままに
魚介、稲、縄文雑穀、日本酒だけで、 比較的半島から
近隣距離の出雲を例にとると、日御崎の海人が捕る
アワビや盾縫の紫菜という海藻が特別な名産品として
宮中では有難られた
そのケルプは大型の海藻だが 出雲神道の祭祀で重要なのは
背黒海蛇と 海藻
海藻を盛って出雲神に献上する やっぱり九州説のド素人連中が暴れてたか
九州説なんてもう学術的には否定されているのも同然で、
現在ではネットの中、とくに5ちゃんねるの中でしか居場所がない
知識のないド素人であり、かつ捻くれ者が集まってるのが5ちゃんねる
物証を無視して、あるいは物証データを歪曲し(典型例が鉄デマのコピペ)、
魏志倭人伝の珍解釈、曲解してるだけ 邪馬台国と大麻の話題になると長文コピペマンが湧くよな 445名無しさん@1周年2019/11/11(月) 00:10:12.11ID:0S+UDbW40
217名無しさん@1周年 2019/06/07(金) 20:34:12.16ID:paZLZmIV0
朝鮮人と日本民族の違いが判断できるのは
海藻を食べると日本民族は胃で消化できるが朝鮮人達は在日朝鮮人帰化人でさえ消化できない
それだけ縄文人時代の2万年前から日本民族は海産物を食べる習慣があったからで
海苔を食べる習慣や泳ぐ習慣の無かったシベリアエベンキ朝鮮人達が
海女が起源とか日本の海苔巻きが朝鮮起源のキムパブとかわけわからんことを起源にして
朝鮮人のデマの判断はすぐにわかる
220名無しさん@1周年2019/06/07(金) 20:38:01.25ID:paZLZmIV0
海藻を食べる習慣があった日本民族だけ
海藻を消化できるが
他の民族は全く消化出来ない 302名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:11:21.59ID:Lf23WkKu0
>>217
>>270
縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある
314名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:20:59.45ID:BvUsWrN0
>>302
「燻製」「塩漬け」「煮干し」のような現代と同様の食料の貯蔵や保存の技術を持っていて
それはフィリピンから鹿児島から関東あたりまでその作業跡が出てる
ピットでは地下水使って虫抜きもするし栗の品種改良までやってるしな
その後と重なるように丸木舟や丸木舟専用の石斧が東京都まで出土するんだからな
縄文人の活動圏は広域すぎるよ
318名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:25:45.48ID:jftzTyjq0
>>302
> 縄文人は、潜水漁法を日常的にやっていて海藻の採取などで長期間海水に潜る特徴が顕著で外耳の周りに独特の突起がある
そんな適度な事書いても
喜んで本気にするのはネトウヨだけだよ。
またネトウヨが縄文人の特徴はって
本気にして他の掲示板にコピペするから
止めときなよ。
341名無しさん@1周年2019/06/07(金) 22:52:02.28ID:A9wu72l0
>>318
「外耳道骨腫」も知らない在日韓国朝鮮人wwww
日本の夜間小学校から入り直せよwww 倭人の地は温暖で
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる
ここ、注目!よく見て。
これは日本の事じゃありませんよ。
日本は年がら年中温暖な気候ではありません。これは明らかに奄美、琉球の事です。
邪馬台国は琉球です。
九州が年中温暖な気候?冗談じゃない。雪も降ります。
そして、当時の気候は今より寒冷でした。しかし、奄美大島より南は黒潮の影響で今と変わらない温暖な気候だったそうです。 >>851
耶馬渓の名前は江戸時代につけられたもので、それ以前の地名は山国
まああんな険しいところに大国は入らないから、あるとしたら卑弥呼を共立しているが
遠絶で情報が乏しいと書かれている餘旁諸国の中に名前がある邪馬国だろう 【考古学】沖縄に東北地方の縄文土器 2千年以上前、広域交流か
沖縄に東北地方の縄文土器
2千年以上前、広域交流か
沖縄県北谷町の平安山原B遺跡で出土した「亀ケ岡式土器」とみられる土器片
http://jump.5ch.net/?http://nordot-res.cloudinary.com/ch/images/196581584464004598/origin_1.jpg
縄文時代晩期(3千〜二千数百年前)の東北地方を代表する「亀ケ岡式土器」とみられる土器片が、沖縄県北谷町の米軍返還地にある平安山原B遺跡で出土したと24日、同町教育委員会が明らかにした。
沖縄での発見は初めてで、西日本でも出土は限られている。製作地や沖縄に運ばれた背景を巡り、大きな議論を呼びそうだ。町教委は「当時の幅広い交流がうかがえる重要な発見」としている。
亀ケ岡式土器は、沖縄から約2千キロ離れた亀ケ岡石器時代遺跡(青森県つがる市)で出土したことに由来し、工芸品のような精緻な模様や作りが特徴。同じ頃の東北では精巧な漆器や遮光器土偶なども作られた。 沖縄って、そもそも四季や秋あるのか?
稲を収穫する規模も小さそうだし、
台風で毎年吹き飛ぶんじゃね? >>823
そもそも「ヤマタイ」と言ったかが怪しい
この時代の中国では「馬」は「バ」と読んだ
泣いてバショクを斬ったのがこの時代 大和朝廷が制圧したできた九州の地名は筑紫国だからな
邪馬台国はその昔のお話 倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林が多く、良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す。魏の時に至って、三十の国があり親しく交流す。
戸数は七万あり、男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。
倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。
当時の周に近いのは琉球。前述の文はそのまま琉球の説明に当てはまる。当時の琉球も山林が生い茂り、水田が少なく、今でも海産物を食べる。
日本列島ではすでに良田が広がり、海産物だけでなく山の食糧にも恵まれていた。
記述している土地が全く違うのだよ。 邪馬台=ヤマト、中国人の当て字
邪馬台国はヤマト王権の前身で近畿、出雲から北部九州の豪族連合
卑弥呼、台与の死後の邪馬台国は大王一族が実権を握り中央集権が強化され倭の五王へ続く
卑弥呼は太陽の女神の伝説を生み
女王がシャーマニズムを行う鬼道の名残は宮中祭祀となった >>847
「男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。」
これが今の天皇家にも神社にも痕跡すら残っていないのはなぜなんでしょうね? >>872
海岸線も八女まで入り込んでたしね当時は 邪馬台国の南に在り侏儒国有り。人長三、四尺。
邪馬台国を去ること四千余里。
又、裸国・黒歯国有り。
復た其の東南に在り。船行一年にして至る可し。
魏志倭人伝より抜粋
>>864
黒歯国がおそらく沖縄で有ろう >>849
>>855
素戔嗚やホムタワケ応神天皇が勇猛な武神として民間信仰が広まったのと同じように
宮城の塩釜にまで祀られる事勝国勝長狭神を例に挙げるまでもなく安曇系の穂高と振魂両派や
それよりも後世のイソラは航海安全の神として民間普及しましたがその過程でかなりの習合がありました
大国主の大国さん、事代主をエビスさんというのと同じですわ
民家レベルの習合の伝搬としては面白いですな >>451
記述自体は魏志倭人伝のほうが後漢書より古いんだけどね >>874
宮中祭祀に
「男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。」
の名残が痕跡もないのは何で? 雪も降る九州、機内が四季の無い年がら年中温暖な土地?
馬鹿な。
人々は皆土足って、凍傷で死ぬだろ。
刺青文化も奄美、琉球が中心で、大和ではない。 >>874
>邪馬台=ヤマト、中国人の当て字
だから、中国人の当て字なら「馬」は「バ」だってば ●時代考証がムチャクチャな韓流ドラマ!!
そんな韓流時代劇で歴史の勉強する在日韓国人の皆さん!!
韓国KBS放送
2010年の大河ドラマ『百済の王クンチュワゴン』
4世紀になぜかフィリピンや台湾に国家があり、百済王に朝貢。
倭のヤマタイ国から王女「チング」姫が来るが、
原始人に毛の生えた程度の身なりのため使臣扱いされず門前払い。
しかし百済王の配慮で謁見が叶い、ヤマタイ国の使臣たちは感激
して土下座で臣下にしてくれと懇願。
百済の臣下たちは倭人は海賊ばかりで信用できないと反対するが、
百済王は広い心でヤマタイ国を百済の臣下となることを許す。
4世紀の倭人たちがなぜか稲や鉄器を見て驚き、チング姫は百済で
勉強したいと土下座して懇願。
ヤマタイ王が病没すると、百済の第二王子がチング姫と結婚し、新しい
ヤマタイ王となる。
百済王から、ヤマタイ国に「大和」の国号が与えられ、倭の統一を命じ
られる。大和王となった第二王子は、百済の臣下として倭の統一に
乗り出す。
・・・トホホ、何なの?
この在日韓国人そっくりの妄想感・・・・・・・ なんか、不自然な、邪馬台国畿内説って、毎日新聞のイカレポンチの利権で
ずっと主張されているのだろ?呆れるよな。日本のマスコミは。腐っとるわ。
自由競争させて、始末しようぜ。
邪馬台国は、九州にあったのだろ?あの、霧島山系のあたりが、邪馬台国のあったあたりなのだろ?
当時は治水は難しかったはずだ。広い平地で少しずつ勾配つけるとか無理だわ。
大雨になったら、何もかも流れてしまう。
歴史のはじめの頃の耕作地というのは、ある程度ハッキリ勾配のある、山の麓なのだろ?
灌漑も排水もうまくゆく。
霧島のあたりの地形はまさにそんな感じじゃないか。高千穂山の伝説とかとも一致する。
昔は、平地は川が暴れるもてあます土地で、少し奥にはいったところが、住みやすかったのだろ? >>849,855
遠く茨城まで北部九州の海人の威光が届いていたのに、奈良の山猿が九州を制圧するとかありえませんね
伊都の海人を味方につけていた九州邪馬台国が瀬戸内海を渡って奈良をも征服したと考えるのがごく自然です >>876
糸島なんかは今でも素晴らしい
海岸線歩いてると古代のロマンを感じる >>885
なんか特集番組とかでも決まって近畿説が優位になるよね
学閥争いが原因って聞いてゲンナリしたわ
これだから文系は糞とか理系から言われるんだよ >>884
声出してワラタ。楽しい国民性だよなぁ。ウリナラファンタジー?
みじめだよなぁ。嘘を思い込まないと、生きられない??正直に生きた方が、
ずっと自由に生きられると思うんだけどね。
そういう風に正しく考えられないのが、韓国人なんだね。本当に、気の毒だ。 日本は金印、朝鮮半島は銅印
中国はちゃんと格付けしていた >>884
まさに畿内説患者の話しの作り方と同じでワロタ 卑弥呼といっているが、
どうみても「日の御子」つまり、日の国の皇子という意味。
中国から見たら日本は辺境だから卑弥呼と当て字しているだけ。 >>351
そこで日本列島を支配する為に東征した記紀に書かれてるが
他にも適度な候補地にもなりうるような地理的条件の
広島、岡山、姫路、大阪、三重、名古屋などをスルーして
神武東征大和王権はナゼ?
周囲を山に囲まれた南奈良平野を首都に定めたのか解明する為
奈良県橿原市周辺に現存する古代遺跡群の厳密な再調査が必要だな
388名無しさん@1周年2020/01/02(木) 17:06:58.81ID:G+wZdCaB0
>>368
日本列島を支配しようとしてたんじゃなく
畿内の豪族連合に担がれ
出雲、吉備、尾張ももやむなしと言ったとこかと
4
00名無しさん@1周年2020/01/02(木) 17:15:55.98ID:5v7N2w5J0
>>388
じゃ何故?
神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は日本列島を収める為
九州に都を置いたままでは日本列島はまかなえないので
日向から東征に旅だったと古事記や日本書紀には正確に記されてるんだ? 男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。そんな風習の国が日本のどこかにあったってだけの話だろ?
当然今の天皇家とはつながらないし、どこにあったとしてもどうでもよくないか? 自分の願望=歴史ではない
邪馬台国は魏志倭人伝の記述を読めば琉球だとすごく分かりやすく書いている。
百済=大和説も、ウリナラファンタジーと馬鹿にするのではなく、よく考えると合理的な説だ。
もっとも、古代百済人が今の韓国人と同じとは言えないまでも。 韓国ドラマの極彩色の衣装とか、オカシイよな。
1900年代ですら、染色されていない麻の着物を着た、一輪車に乗った、
まるで乞食のような、アレが王様だったのだろ?
では、庶民は、もっとひどかったわけじゃん。
王様の住居のまわりの不潔なむしろ小屋が、庶民の住宅だったのだろ?
イザベラバードの著作でどういう状況だったのかハッキリしてるじゃん。
今でも、日本頼みで技術は覚えられない情勢じゃん。やっぱり伝統ってあるんだよな。
なんで嘘をつくんだろな。あんなに見栄っ張りなミンジョクは見たことがないわw
なにが、チング姫だよw。夜中に大笑いしちゃったじゃないかw。 蜀は関係ないんじゃねーか?
あの知力100の天才軍師でも倭とか知らんだろう >>885
山のふもとの水がわく場所や水源地が一等地
飲み水が重要だから >破格の高位の称号
こう言うこといっちゃ失礼だが「埼玉県民栄誉賞」をもらったとしても
それで何かいいことがあるのかわからないのと同じ
卑弥呼ってさ商店街での立ち話で「親魏倭王」を自慢してたのかな? >>901
「あたし、こんなにおっきい金の塊を持ってんのよ」
これは原始社会でも威張れるだろ 昔のことだから、はっきりはわからないが、少なくとも、卑弥呼は魏の王様から、
マトモ扱いされているよな。いろいろな品物を与えられたのだろ?
要するに、当時から、礼節はわきまえていたわけだ。
そういう、人間としての基本が大事なんだよな。人生すべからくそんなものだよな。 >>902
そうだね
俺もノーベル賞なんていらないが、その賞金は欲しいww そうか?
例えば日本だと勲章もらえれば人を殺しても免責されるのは知ってるだろ? 大月氏(クシャーナ朝)と並んで王と称されたのだから、日本の一地方政権ではなく、日本全体の統一国家だろう。 倭王 ヤマトの王
北部九州の地方政権に与える称号ではない。 >>906-907
魏志倭人伝には卑弥呼に反抗する狗奴国の存在や、女王国の東の海を千里渡った先に別の倭種の国が存在することが記されている
その詭弁は通用しない >>906
「男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨をしている。」
そんな統一国家が日本にあってなんで刺青の風習が痕跡も残っていないんだろうね? >>847
これはどう見ても北九州から畿内までを勢力圏としていた大国とは思えないんだよなあ
海洋民族の風習が色濃い住民の小さな国の連合国を想像させられる 卑弥呼は天照でしょう
でも天照を象徴とする太陽信仰は、東方を日の昇る場所としきりに書くシナの文献から着想を得て後から創作されたものと思う
卑弥呼はよく言われるような日の御子ではなく、肥の御子、火の御子だったのじゃないかな >>875
現代日本のサラリーマンがちょんまげしてないのと同じ理屈 >>909
だから邪馬台国はジャワだという説が出たこともあったんだけど。
あの旅程の通り行くとジャワ島なんだと。
インドネシアなら入れ墨の説明も付くからね。 >>913
ちょんまげはちゃんと痕跡残ってるだろ? >>913
同じ理屈じゃないよ、
天照=卑弥呼 なら伊勢神宮の神官は全身入れ墨じゃなきゃいけないだろうよ!バカが どこの小国も女王のことを卑弥呼と呼んでいた
すなわち卑弥呼がうじゃうじゃいましたというオチ 入れ墨は南方系とアホなこと言ってるのいるけど
当時の日本は黥面の海洋民族多かっただろ
黥面の埴輪など出土されてる 文字を持たない未開人なんて、だいたい入れ墨してたし、入れ墨してない方が珍しいけどね。
ネイティブアメリカンだってアイヌだって入れ墨してたしね。 >>914
ジャワ説とると倭国が日本名乗り始めたのと整合性取れなくなるけどね 大手塚『火の鳥』では、卑弥呼が女王で素戔嗚が弟だったね。 邪馬台国て中国語読みではヤマタイコクではなくてチィーマァータイクォーなんだけど
ヤマタイコクて日本語読みするのおかしくね? >>819
古事記の頃には刺青は辺境の民の文化として書かれてるから、その頃には日本のメインの文化ではなくなってるね なんだか邪馬台国=大和国 ヤマト=ヤマトだって言ってる人て言語学とか考えてるんだろうか?
劉備玄徳をリュウビゲントクだって日本語読みして俺の住んでる村がリュウビ町ていうからきっと劉備玄徳の子孫が日本に来たんだ
とか言ってる人みたいだぞw いや劉備とか曹操は中国語読みでも日本語読みに近い発音だな
例えが下手くそか俺 とはいえ当時の中国語の発音は謎だな?
祁馬臺国てなんて発音してたんだろうか? >>864
でも事細かに書いてる地名とかは沖縄と無関係だから困るんだよな
九州に渡りやすいのは波穏やかな初夏あたりだからその季節限定なら温暖と言えなくもないが冬は… 卑弥呼は卑弥呼だろ
桜木ルイでもないし田中ローザでもない 親魏とわざわざ称号を与えるということは呉の国を意識しているということでもある 邪馬台国韓国説もないことはないな
ただ方角の問題やらなんでいったん対馬やら日本の九州北側に渡る必要があるのか?
ていう矛盾が生じることになるけどまあ支配国巡りで北九州から順番にまた朝鮮半島側に戻ったとも考えられなくもないが 俺の仲で、女王卑弥呼はものすごい美人で霊力がある女性
おそらく当時の大和朝廷の姫君
のちに女性天皇になった人だろ
女優さんに例えると、比嘉愛未さんか新垣結衣、あるいは新川優愛、新木優子 >>918
せめてヤマトタケルが全身に入れ墨をしていればよかったねww
歴史と伝統を重んじる天皇家がなんで刺青の風習だけなくしたと思うん? >>884
黒沢明の「七人の侍」を知ってるよな。
(見てなければネットの何処かにあるから探せ)
もし七人の侍や戦える村の男が全員モンゴル帝国に殺され、
あの村が野伏り(北方民族)に完全に支配される状態が
6百年間も続いたらどうなると思う。
野伏りはただ奪うだけ。奴隷として使役することもない。
少しでも奪えるモノがあったら奪う。未來なんか考えない。
一切の生産的な行為を行わない連中だ。
現実はこの世の地獄。ただ夢見るしかない 九州は中国大陸とも交易して大陸の情勢にも明るかっただろうが、本州の奈良あたりが
大陸の情勢に明るかったとは思えん。交流が無いから全く判らなかったと思う。 >>942
まあ、現代の地図を見てナラケンガーと言ってりゃそうなるわな 邪馬台国を真似て、大和国を作ったんじゃねーの
すぐ朴るからな >>937
奈良は当時の国際的な先進地域なんだよ。
おそらく辺ぴな山奥で奈良湖もまだ大きかった時代に
朝鮮半島を経由してきたシナ人が住みついた。
やがて東の果てにある理想の国(孔子も夢見た)を作ろうと
地元民を説き、大土木工事が始まった。
奈良湖南岸のシナ人地区と初期の大和朝の遺跡とが
混在してることでわかる(東漢氏で調べるのが早い)。
白村江の戦いの後、百済人も増えた。
国つ神という国際的な概念があるのもそのため 即位した時点で既に結構な婆さんだったはず
若くて美しい女王ヒミコ様は俺らの妄想だった ID:dmrwJMwj0
この人の話が説得力あるな >>941
生産生産といって全ての草原を農業工場化したり港湾に廃水を垂れ流し二度と自然に戻らなくするのは
草原の民や海洋の民からみたら悪質な侵略だ
自然のものをただ取って暮らせることは本来一番必要なバランスだ >>893
288 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 08:26:27.06 ID:RlTAaQs9O
おそらく卑弥呼は自らを日の巫女として通していた女なんだろう、中国側も名は解らなかったんじゃないか?ふざけるなこのやろうで卑弥呼だろ >>32
ネトウヨ竹田のDNAを調べればすべてはっきりすることだ。 日本は典型的な非生産狩猟加工貿易国家なのに
思想上で中国などの農業資源国の理屈を聞き過ぎるため
いつも矛盾だらけになってしまう
敵対しろとまでは言わないが立場は真逆 >>948
天照=卑弥呼 なら伊勢神宮の神官は全身入れ墨じゃなきゃいけないだろうよ!バカが >>949
うん、その人の説だとヤマタイコクハ九州の1勢力に過ぎないので非常に整合性がある。 本来必要なバランスを無視して
生産性上昇信仰をもとに過剰に人口を供給して
あらゆる土地を人工生産土壌に変えて人口侵略するやり方は
決して正しいとは言えない しかし邪馬台国は最初から魏の存在を知っていたのか
誰かが大陸から流れてきたのか。意志の疎通はできたのか
海を渡れるだけの船や航海術はあったのか
謎だらけだ >>957
日本へは海を渡って住み着いた日本人の祖先達が居たんだから当然やろ >>1
まず箸墓古墳は考古学調査の結果、
卑弥呼の墳墓とすると魏志倭人伝に記された副葬物があまりに出なさすぎてる
特に30枚以上埋めたはずの魏で作られた鏡が一枚も出てこないのが異常。
また魏志倭人伝に記載のある大きさに比べてあまりに小さすぎる
なにせ「邪馬台国は温暖なので一年を通じて雪が降らず、人々は貫頭衣を着て靴をはかない」は奈良の山の風俗だとあきらかにおかしい
これ、どう見ても南方の海洋民族。
となると魏志倭人伝に沿えば奈良の箸墓は卑弥呼のものではないことだけはたしかになる
ヤマトモモソヒメの可能性はあるけどな
要するに日本書紀作者の時代にすら、魏志倭人伝の邪馬台国の卑弥呼はだれかわからんっつうこと。
てか志賀島で金印出たのになんで奈良に邪馬台国あんのよ
北九州の小王朝なんだろ?どうせ >>958
おお
自分の受けた教育だと日本人の祖先は海面が上がって北と南で繋がってた大陸と行き来できなくなった人だったからな >>957
> しかし邪馬台国は最初から魏の存在を知っていたのか
おそらく
> 誰かが大陸から流れてきたのか。
たぶん。てか漢が楽浪郡を半島南端に持ってたからおかしかない
朝鮮半島南部なら島伝いに小舟でいける
>意志の疎通はできたのか
漂着民いたんじゃね?ジョン万次郎的な
> 海を渡れるだけの船や航海術はあったのか
朝鮮半島南部から陸路なら余裕
これも奈良畿内説捨てれば可能
> 謎だらけだ >>960
それ1960年くらいまでだねー
日本書紀にも山彦に嫌がらせされた海彦がワニとセクロスしたって書いてあるのに。
完全に海洋民族だぜ?日本の天孫族 九州説の人は、音として、名称として、「邪馬台=倭=大和=ヤマト」とは思ってないの?
邪馬台と大和は全く関係ない言葉だと考えてるの?
それともヤマトという民族なり権力なり名称なりが九州から近畿に東遷・移動したと考えてるの?
素人考えだと同一視するのが自然だと思っちゃうんだけど。 なに言ってるんだ、コイツは
そもそも二代から九代までの天皇(欠史八代)は
これはもう、限りなく実在していない可能性が高いというのが、
日本古代史の常識中の常識だろ
卑弥呼の正体は「第7代孝霊天皇の娘・倭迹迹日百襲姫命」
なんて言っても、その孝霊天皇が存在していないのだからね
(孝霊天皇の娘ではない)実在のモデルがいたとしても
その生存年代なんてそれこそ確定できない
「神功皇后と卑弥呼は時代がズレてる」とイキっているが
代わりに存在しないであろう人間を出してくるんじゃお話にならない
だいたい倭迹迹日百襲姫命は政治権力と程遠い巫女的な人物
として伝えられており、卑弥呼との類似点はあまりない
まだ伊勢神宮の祖である豊鍬入姫や倭姫の方が近いはずだ
この二人も実在は確認されないが、倭迹迹日百襲姫命よりはまし
作家の与太話なんだが、容易く信じる人たちがいるので
一応釘をさしておきたい >>950
縄文時代の末期に寒冷化が端まって
縄文人は絶滅の危機まで追い詰められた。
その結果選んだ方法が、自由な縄文式の生活をやめて
人為的な水耕定住生活を選ぶこと。
自由だが絶滅を選ぶべきかどうかは難しい問題。
先祖は最後に「気候変動には勝てない」とギブアップした 普通に考えて大和が後付けだろ
豊田市みたいなもんじゃん 【古代/邪馬台国】鬼道で邪馬台国を統一 古代の女王「卑弥呼」の正体とは?呉と蜀を牽制するための「親魏」という破格の高位の称号★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1577993992/ 途中に狗邪韓国に寄って倭国の北岸で倭人が鉄を取ってるって言ってるんだから九州以外にないだろ 北九州だけで終わってしまって、瀬戸内海の調査に向かうと
世間の関心が薄れ、文科省もカネを出さなくなる。
問題は畿内説を唱えてくれる専門家だが、
「桃の種の年代測定値が卑弥呼の時代でも行ける」と
頑張ってくれる人がまだ居る。ありがたいことだ 入れ墨って考えたらやっぱ沖縄とか台湾の方なんじゃない? 親魏倭王の親魏って格式だったんだ
魏と親しく通交してた程度の意味なのかと
>>1
大物主神は神武天皇の妃の父らしいけど
初代天皇の義父が七代天皇の娘の夫ってどういうことなの なんとか九州北部から出雲東海までは
治めましたて挨拶に行ったのがヒミコの時代だろ
まぁそのあとエラい苦労するわけだけど 車もエアコンも病院もない時代に79歳って相当長生きじゃね? そもそもヤマト王権は色んな豪族の集合体だし朝貢してた実績から地域名拝借した程度の話だと思う
国産み神話だって淡路の海人族に気を使って淡路の神話採用しただけらしいし >>893
>>951
鬼道=日本神道、古神道
卑弥呼=日の巫女
間違いがない
太陽信仰が日の巫女のトレードマークであり、
その土地の出身のカリスマの巫女に他ならない
その土地は日の国だ 卑弥呼も天照大神も太陽信仰の女性、しかも独身で同じ境遇、つまり
卑弥呼=天照大神で間違いないし先祖は北朝鮮あたりと思う。 >>982
>先祖は北朝鮮あたりと思う。
それは決してないなw >>1
太陽信仰をよくするのは、卑弥呼=日の巫女=天照大神の独創ではなく
その土地自体が日の国と呼ばれるくらいにその信仰が盛んだったことを意味する
縄文の古い時代から伝わる信仰形態を宿した土地
日本神道の祖形であり
日の国と呼ばれた土地
そこで特別な霊格を持った日の巫女として皆が認めた女性
その人こそ
卑弥呼、日の巫女、天照大神だ
そこがすなわち魏志倭人伝の伝える邪馬台国だ この手の話は教科書に採用されるまで信用ならんし、そもそも、余程の証拠が出ん限り証明出来ん とりあえず出尽くした数少ない証拠をいじくり回して
適当な妄想をぶち上げてるだけだろ
ほんま人文系学者って楽な商売だよな >>963
アマノウズメを猿田彦に嫁がせ殺させサルメを名乗らせて猿田彦のもつすべてを奪ったのが朝廷
ヤマトタケルのタケルも然り
古代朝廷は騙し討ちした相手の名を奪い彼らの財産や正統性をも乗っ取った >>1
そのころの日本では個々に大陸と交易をしてるし、関東での日本王国という国の史実も文献に残ってる、要は日本の個々の豪族が我こそが日本の統治者であると嘘を付いて大陸と接触してたんだよ、一々、卑弥呼がーとか探す方が糞、卑弥呼なんてただの地方の豪族だよ もし卑弥呼が日本を統治してたら各地で卑弥呼の足跡となる情報が残ってるはず、それすら無いと言うことは、地方の豪族が勝手に明と私達が日本代表ですって交渉してただけだよ 現代の音価で似ているとか似ていないとかナンセンスだよ
1800年前の発音がどうだったか考慮に入れないと無意味 ていうかさ?卑弥呼という女性のまとめ役の前にいた男の王の名前がなんでいっさい出てこないんだろうな?
て考えたら当時小諸国の王というか各長のまとめ役でボッとでの連合取締役だったんだから
邪馬台国は邪馬台国連合であってヤマト国みたいな国みたいなもんじゃいから
卑弥呼の就役とともに栄えて卑弥呼引退のあとすぐに解散消えた一時的なブームだったんじゃないか?と思ってる 拾い物
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷
日向風土記逸文(713、引用は続日本紀797)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。本当に原本にあったか?)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) 北部九州一帯が邪馬台国だった
卑弥呼は伊都国に住んで居た。 支那が、住民の余りの質の悪さから百何十年も国交断絶したくらいだから、北九州で間違いあるまい
倭人伝にもあった通り、今でも入墨もんがのし歩てる地域だものな
まともな地域なら、国交は途絶えても交易は継続するだろ
交易も途絶えたんだから、海賊行為が目に余ったんだろうな このスレッドは1000を超えました。
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