すっかり観光客が減った浅草寺。「平日でもたくさんの人でにぎわってましたが」と店主(2020年2月25日、筆者撮影)
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 門前町として知られる東京屈指の観光地、浅草。2019年は約953万人の外国人観光客が訪れ、浅草寺(せんそうじ)と門前の仲見世を中心に毎日がお祭り騒ぎに近い賑わいだった。

 ところが、2020年1月末に中国が新型肺炎の拡大を理由にすべての団体旅行を禁止すると、浅草への来訪者がガタッと減った。町を歩くと戸惑いの声が聞こえてくる一方で、「インバウンドバブルが弾けた今こそ」と浅草の“立て直し”に向けた動きが始まっている。

■「あれはバブルだった」

 浅草の現在の賑わいのルーツは江戸時代にさかのぼる。寺社奉行の管轄地である浅草は、吉原、猿若三座を中心に庶民の生活文化が花開く江戸経済の中心地だった。

 その浅草には今なお66の商店街がある。最も有名なのは仲見世商店街だ。仲見世はつい最近まで、まるで人の頭しか見えないほどの混雑ぶりだった。雷門から浅草寺まで人の行列が続き、「どんな急ぎの用事でも小走りができない」と地元住民は当惑していた。

 だが、新型肺炎の感染拡大によって、図らずも本来の落ち着きを取り戻したようだ。浅草に限らず、「あれはバブルだった」と振り返る観光地の住民は少なくない。日本政府が外国人観光客の誘客目標を2000万人、3000万人、4000万人と積み増していく中で、「本当に地元経済は潤ったのか?」と我に返る住民もいる。

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 レンタル着物を着る外国人観光客が増えたのも、“痛しかゆし”の問題だ。日本の和装文化がインバウンドによって息を吹き返したのはいいことだが、外国人ウケを狙ってレンタル着物の色や柄がどんどん派手になってきたという。地元住民の中にはそれを見て「あれでは吉原だ」と眉をひそめる人もいる。

 「鰻のご飯が大盛りになった」「てんぷらの衣が大きくなった」――浅草ではそんな変化も起きている。「食べ物が、みんな中国人好みに変わってしまった」と嘆く人もいる。さらには外国人旅行者による万引きも増えているという。最近は若い欧米人のグループが万引きに手を染めている。「日本人はおとなしくて何も言えないことを知っているのでしょう」との声も聞かれる。

■負の循環で消えていった老舗の店

 浅草には66の商店街、1200軒の店があるが、それを束ねるのが協同組合・浅草商店連合会(以下、浅草商連)だ。2020年で70周年を迎える大きな組織である。理事長の丸山眞司さんは「インバウンドで確かに潤った部分はあるが」と前置きしつつも、「今の浅草は、かつての粋な浅草ではなくなりました」と嘆く。

 浅草では東京五輪を目前に用地取得が盛んに行われた。地元住民が「多すぎではないか」と思うほどホテル建設が進んだ。また、飲食店や雑貨店、ドラッグストアなどの出店も多く、不動産の取引相場が上昇した。

 雷門通りの路線価をみると、2016年から2019年にかけてのわずか3年で40%超増加した土地もある。「土地の路線価がべらぼうに上がり、これによって固定資産税が増すと、自分の商売を畳む人が出てきました。店を閉じて家賃収入に頼る方が儲かるのです」(丸山さん)。

 「あの店も閉じてしまった」「あそこも今月いっぱいらしい」――そんな噂が飛び交う。50年、100年と続いたにもかかわらず、得意客に惜しまれながら消えていく老舗が後を絶たない。観光客が大挙して繰り出し、潤っているかのように見える浅草だが、実は「失ってしまったもの」が少なくないのだ。

 一方で、外部からの新たな資本参入は、一時的な「目新しさ」にはなるものの、地元にとって長期的にはプラスになりにくい。「新しく入ってきたチェーン店のなかには町会費を払わないところもあります。そうした店が多数を占めれば、地域コミュニティは壊れかねません。外部の資本は“事業撤退”という選択をすることができますが、私たち住民はここから逃げることはできないのです」と丸山さんは不安を訴える。

■地元住民ありきの町づくりを

 ウイルス騒動に巻き込まれた浅草だが、泣き寝入りはしていない。2月、浅草商連で「浅草の魅力をもう一度検証しよう」という新たな会議が立ち上がった。目下、浅草の100軒にヒアリング調査をしている最中だ。「振り出しに戻ってもいいから、これを機会に浅草を立て直したい」と丸山さんは言う。(続きはソース)

3/3(火) 6:00配信
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