【邪馬台国論争】九州?近畿? 古代史最大の謎に挑む シンポジウム「邪馬台国の今」
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邪馬台国論争が残る「吉野ケ里遺跡」と「唐古・鍵遺跡」の両面から議論を交わした記念シンポジウム=佐賀県立美術館ホール
https://saga.ismcdn.jp/mwimgs/e/6/-/img_e6ecea63d93ef406628ab589e1349ced777937.jpg
邪馬台国はどこにあったのか−。古代史最大の謎に迫るシンポジウム「邪馬台国の今」が2月、佐賀市の県立美術館で開かれた。九州説と近畿説それぞれの立場から、「吉野ケ里遺跡」と奈良県の「唐古・鍵遺跡」の発掘を手がけた専門家が、最新研究を踏まえて邪馬台国論争を解く鍵を探った。
【パネリスト】
藤田三郎氏(奈良県田原本町埋蔵文化財センター長)
七田忠昭氏(佐賀城本丸歴史館館長)
高島忠平氏(佐賀県芸術文化協会理事長)
【コーディネーター】
内田信子氏(学校法人旭学園理事長)
■内田 吉野ケ里フィーバーから30年。当時、私はサガテレビの記者だったが、魏志倭人伝、邪馬台国、卑弥呼という三つのキーワードのパワーはすさまじかった。当時の思い出を。
高島 これでやっと近畿説と対等に戦えると感じた。魏志倭人伝の記述と極めて符合する遺構のまとまりで、(弥生時代研究の権威)佐原真さんに裏付ける発言をしてもらって一挙に盛り上がった。
七田 新聞社の記者たちが邪馬台国と結びつけ、何とか遺跡を残そうという気持ちがうれしかった。これで遺跡が残るなと感じた。
藤田 巨大な遺跡を保存するのは難しいと実感していたので、吉野ケ里はすごいインパクトだった。遺跡全体を保存する道が開かれた、最初のケース。きっちり前向きな波に乗せていく力が重要だと思った。
■内田 現在の邪馬台国論争を整理してほしい。
高島 今日の邪馬台国論争には三つある。「九州説」、「近畿(畿内)説」、そして九州説から出てきた「東遷説」だ。日本の考古学は近畿説が主流であり、九州説は傍系的と位置づけられている。
(近畿説の裏付けとされる)三角縁神獣鏡は、卑弥呼が使者を送った巍の年号が銘に刻んであった。だが、三角縁神獣鏡は中国では1枚も出土していない。
また、弥生時代には各地に独自の政治勢力、王権が成立していた。そこで、出雲や筑紫などの勢力が倭国を作り、奈良に都を置いたという考え方が出てきた。
一方の九州説。まず、環壕集落に中国の影響が色濃い。戦略物資である鉄を輸入・流通させるシステムは九州・山陰が主体で、そこに近畿は組み込まれていない。さらに、九州は圧倒的に国際性が高い。
■内田 唐古・鍵遺跡や吉野ケ里遺跡から出土した建物について聞きたい。
藤田 なぜ弥生時代に、大きな柱、それもケヤキにこだわる必要があったのか。それは、王権のルーツになるような神聖な柱だったからだろう。いろんな集落に大型建物があるわけではなく、象徴的に建てられたと考えられる。
七田 吉野ケ里の北墳丘墓と祭壇は、ほぼ南北の線で結ばれている。南北線に沿って都城が作られた、長安の考え方が入ってきたのではないか。
その南北線の延長線上に普賢岳がある。普賢岳は火の山、火の鳥。つまり南に朱雀という、壮大な空間意識の元に作られている。
■内田 邪馬台国はどこにあったのか。何が出てくれば決着するのか。
藤田 まずは卑弥呼がもらった金印だろう。
なぜ畿内が重要かというと、その次の時代を考えないといけないからだ。大和政権がどうやって成立していったかが、邪馬台国を解く鍵だ。
広大な奈良盆地の生産力がポイントになる。巨大な環濠集落を作るだけの土木技術、労働力の投下、これが次の政権、都を作る力になっていく。それを支える地盤が、大和には充分あった。邪馬台国は奈良盆地の「南和」地域だろう。纏向遺跡も含めた10キロ四方くらいの範囲と考えている。
七田 やはり金印。さらに銀印も10個もらっている。私は邪馬台国を大きく見るか、小さく見るかだと思う。実は巨大な国ではない。農業生産に適した、鉄も入る、中国の文物も入るという国だっただろう。
島 もうひとつの鍵は「封泥」だ。贈り物は必ず授けた者の前で開かれた。封泥という特殊な粘土で封じられており、そこに皇帝爾印と印刻がある。封泥のかけらが出てくれば、そこが卑弥呼がいた場所と特定できる。吉野ケ里発掘調査があらためて始まるので、この封泥か金印が出てくるのではないかと期待している。
(続きはソース)
3/6(金) 16:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200306-03496714-saga-l41 元祖・邪馬台国:北九州(たぶん現在の甘木市)
敗残者が東に逃げてつくったヤマト:奈良盆地 豆知識な。 まず邪馬台国の定義はなんだ?
それぞれ別のものの所在地を主張してる可能性はないのか? もう日本史板で結論出ただろ
309 :日本@名無史さん :2019/09/04(水) 04:03:09.07
>>73-74,247,292-294,305で挙げた内容に>>138,290,295の内容を加味して
総合的に考えた結果こうなった
https://i.imgur.com/8UPzltf.jpg
https://i.imgur.com/pPIaxBU.jpg >>6
朝鮮がなければもっとスッキリしたと思われるな [◎縄文人の特徴◎]
毛が濃い、髪が微妙にくせ毛、まぶたが二重
ホリが深い顔、耳たぶがあり耳たぶを装飾
柔軟な思考
染色体D系統(優性遺伝子が多いのでウイルスに感染し難い)
犬を大切に飼っていた
集落間のネットワークがあった
前述の優性【顕性】遺伝子が多い
[○日本人概ね特性○]
恩に忠義(他人を信用する、騙されやすい)
飽きやすい(革新的)
アイヌ系、琉球系、渡来(大陸から等)系など
千数百年経っても優性【顕性】遺伝子である二重が
劣性【潜性】遺伝子の一重を駆逐できないのは、
都度、日本へ朝鮮人が入国し在日化しているからである
[◎弥生人の特徴◎]
毛が薄い、髪が異様に直毛、まぶたが一重
平べったい顔、耳たぶが小さく装飾できない
硬直な思考
染色体O系統(劣性遺伝子の複合体なのでウイルスに感染し易い)
犬を食用として喰っていた
集落間は対立して戦争ばかり
多重近親相姦(寒さで一重は誤想)で前述の劣性【潜性】遺伝子に変異
(多重近親相姦で発生した一重などは優性【顕性】を凌ぐ噂もある)
[○朝鮮人概ね特性○]
恩を仇で返す(他人を信用しない、裏切る)
執着する(保守的)
第一波 中国大陸からの逃走民
第二波 百済からの亡命
第三波 新羅高句麗からの難民
第四波 満州建国時からの終戦後に帰化
第五波 第四波の在日を伝手に日本で帰化
過去、下層民が多重近親相姦したため
均一DNA塩基配列な地域が現在も点在している
現代日本の分布D,Oは表裏一体
D系統含む 染色体を少しでも含んでれは縄文人の末裔
O系統のみ 大陸や朝鮮半島から渡来、大和民族(弥生人の末裔)、漢民族(朝鮮から渡来した漢民族)、朝鮮民族(在日朝鮮人)から構成される
染色体的には、大和民族≒漢民族≒朝鮮民族 魏に派遣された使節が国の名前を「やまと」と話した
それを中国の人が「邪馬台」と漢字をあてた
どこにあったにせよ「やまと」という国であったことは間違いない >>8
研究してるのって老い先短い爺さんばっかりだからな 邪馬台国がどこかすら
分からないような日本が未知の時代が
三国志の時代で三国志の時代のやつが
歴史として語るようなそこからさらに
600年くらい前が春秋戦国時代とかで
孫子とか孔子とか始皇帝とか
すごい人物がいたわけで
歴史に関しては中国は素直に
すごいと思うわ >>18
「音韻学的には「邪馬台」は「ト」(乙類)に対して、「山門」は「ト」(甲類)であるため、専ら否定されている。」
--wikipedia >>25
それは幼稚な言いがかり
例えば隋書では小野妹子を蘇因高と記している
古代中国人の音写はオノノイモコがソインコウになってしまう程度のレベルなのに甲類と乙類の微妙な違いなんて分かるわけがない ここまでコロナ流行ってくるとわりとどうでもいいな
邪馬台国はっきりさせることでの観光客獲得にもならないものな 魏志倭人伝でも狗古智卑狗(クコチヒク)と記されているのは菊池彦だと言われている
ネイティヴじゃない人間の音写なんてそんなもん 東北の伝承は面白い
龍の黒神と鹿使いの赤神のアマテルを巡る戦い
アマテルを手に入れた赤神は岩隠れをし黒神は北に追いやられたという伝承
黒、暗い、水底の土は黒土
水底の土は上代は烏ぬばと言ったらしい、沼も同じ語源かな
黒、烏、沼
射干玉ぬばたまはヒオウギの黒い種で黒の枕詞
京都の祇園祭や大阪の天神祭では、ヒオウギは床の間や軒先に飾る花として愛好されている。
祇園や天神様は黒と関係あるかもな
龍の黒神
赤は朱丹かな
春日大社は朱の塊
黒と龍、天神、祇園
赤と鹿、朱丹、春日大社 >>28
小野妹子のものは足掛け二年滞在し本人がそう名乗ったもの >>38
>推古朝(593〜628)の遣隋使。中国では字音から蘇因高と呼ばれた。
逆のことが書いてありますが? 魏志倭人伝が正しいから邪馬台国はあるはずという前提がどうにも納得できない。
規模も方角も距離もでたらめだし、存在も疑うべきでは? >>34
鹿は志賀、つまり志賀島を本拠とする海人族安曇を指しているのでは?
志賀島の志賀海神社には一万本以上の鹿の角が奉納されている
鹿島神宮のタケミカヅチとも同一視されている
奈良の春日大社の神鹿は鹿島のタケミカヅチの使い 編集途中で書き込んじゃった
タケミカヅチと同一視されているのは安曇の祖神安曇磯良ね
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
>民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある
>(磯と渚はどちらも海岸である)。また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
>『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神
> 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)
http://www.genbu.net/saijin/isora.htm
>袋中上人の『琉球神道記』には「鹿島の明神は。もとはタケミカヅチの神なり。人面蛇身なり。 常州鹿島の海底に居す。
>一睡十日する故に顔面に牡蠣を生ずること、磯のごとし。故に磯良と名付く。 神功皇后、三韓を征し給うときに、九尾六瞬の亀にのりて、九州にきたる。
> 勅によりて、梶取となる。また筑前の鹿の島の明神。和州の春日明神。この鹿島。おなじく磯良の変化なり」とある。 >>40
どこに?
ここからは私の想像
蘇は苗字として
因高は名前として妹子が名乗ったものだろう
音は妹子に似せたと思われる
小野は出身地の地名
妹子を使わなかったのは中国語で「自分より年下の未婚の女性」を指すことから避けたものか >>43-44関連
日本海側はよくわからないが、太平洋側だと少なくとも宮城までは安曇磯良の影響が見て取れる
宮城の磯良神社は常州鹿島から勧請したとされていて、やはり鹿島神宮のタケミカヅチは安曇磯良のようだ
http://miyagitabi.com/sikama/isorajinja/index.html
><磯良神社の由来>
>延暦23年(804)、坂上田村麻呂が常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったもので、阿度目神・河童明神ともいい、「おかっぱ様」という名前で広く知られています。
>古くはここから南方にある真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていましたが、後に現在地に移されたといわれています。
古代の海上交易ネットワークから見ると秋田まで安曇の影響が及んでいてもまったく不思議はない
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg >>46
>どこに?
君が貼ったリンク先にだよ
検索しろ
>ここからは私の想像
君の想像はソースにならないから要らない 玉名に行ったけどトンカラリンやチブサン遺跡が有ったり不思議な雰囲気だった もう絶対に分からないんだろうけどねえ
まあ、九州だと考えるのが自然だけどね >>52
朝日日本歴史人物事典の解説
生年:生没年不詳
推古朝(593〜628)の遣隋使。中国では字音から蘇因高と呼ばれた。子は毛人。 関西人だけど邪馬台国は九州だろな。
オーサカへやって来るも退けられて上陸出来ず足踏みしてるとこなんか物語としてもいい感じだろ >>55
なるほど、ありました
ご迷惑を掛けました
私の引用は記事中
「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」のものを引用したつもりでした
ちなみに妹子は中国語では「めいず」と発音します 魏が女王国連合に執着したなら
倭には呉と同盟したもう一つの連合があったのでは?
そうでないと女王国と魏が同盟する意味が無い 九州で興ってから近畿に遷都
その過程で分裂していって面倒臭い人間が残っていって
北九から兵庫にかけてのあのルートには
異常に面倒臭いキチな人間が多いんじゃないかと勝手に想像 邪馬台国なんて存在しなかった
すべてがバカウヨ学者の妄想 狗奴国が強くて邪馬台国は弱小連合なんじゃねえか?
邪馬台国が強大な統一国家なんて魏志倭人伝にも書いてない
内乱が多く鬼道の女王でまとまる緩い集団だろ 暗黒神話では
邪馬台国は大分県にあったとされてる
暗黒神話の印象が強すぎて
邪馬台国は大分県以外考えられない まさに不要不急
なぜ今こんなシンポジウムを開くのか 近畿説と九州説の間をとって四国がファイナルアンサー。 箸墓古墳を掘れば畿内で決着やいかにするんだけどなぁ こんな時に何やってんだか…
ホント、考古専攻性は唯我だね
そこに権威主義が乗っかるから最悪だわねー >>25
ヤマタイ(標準語)
ヤマト(東国方言) ・・・東国って近畿のことねw >>72
密度低いし大丈夫じゃないか?
これが駄目なら映画館とか論外w >>68
蜂起の類と考えれば、説明が付く。 (`・ω・´)!
学問ではない狂った近畿説に対する蜂起だ。 そもそも卑弥呼は女王ではないのだから
今で言うなら金正恩の影武者みたいなもの
海の向こうの文献をファクトにしたところで
永遠に決着はつかないから
ということで真の邪馬台国は阿波(徳島)にあった
ということでいいだろう
本当に卑弥呼が女王なら「卑」は使わないと思う
つまり海の向こうが勝手にマウントしてつけた名
まあ卑弥呼や邪馬台国を使った街おこしは悪くない
頑張れよ 反日吉永小百合の映画見たわ、邪馬台国の。
もちろん違法アップロードで。
面白かった。 どうでもええわ
半島の奥座敷日本だから玄関口の北九州から半島の動乱避けて 大阪平野や奈良盆地に遷都
穏やかな内海の瀬戸内海だから安心して船で来れる 何処でもええねんけど
上岡さんが九州力説してたのだけは覚えてるw 九州説は九州の軍事力と生産力の高さを邪馬台国の証拠にしてるけど
魏と組んで呉を攻められないクソザコ邪馬台国なんだから九州が強いほど九州には居られなくなる
後背から狗奴国と呉の同盟に楔を入れる程度の存在だろ >>73
台は「と」発音するはずです
同じ魏志倭人伝の中の次の女王が台与
「とよ」です なんかようわからんけど邪馬台国が大和国だったとする限り普通に奈良やろ
その後日本の首都が京都に制定された シンプルに考えるとな >>41
これは思うよね
蛮族の朝貢はあったと思うが、それが日本人とは断定できない
中国には易姓革命の前触れとして未知の蛮族が朝貢するという定番のお膳立てがある
司馬氏がそれを利用して朝鮮半島人を倭人偽装した可能性は大いにある 不要不急の邪馬台国
歴史事実の神武東征
勅撰の日本書紀は歴史事実 関西人だけども邪馬台国は九州と思う
考古遺物を見ると当時の近畿にあれだけの国があったとは思えない
邪馬台国がもし近畿にあったとしたら強大な狗奴国は近畿の何処にあったんだよ
それを示す当時の遺物なんて出てないだろ 神武天皇の和歌山の虐殺
二階を排出し続ける和歌山
和歌山を関わらせるなと歴史は言っている >>92
邪馬台国が畿内にあったなら
狗奴国は和歌山から三重南部だな 唯一絶対の証拠、桃の種が九州の遺跡から出ない限りは纏向説でいいよ 【あなたはどっち!? 邪馬台国テスト】
あなたが九州論者か畿内論者か分かります
以下の10の質問にYES、No、どちらでもないで答えてください
YESは2点、どちらでもないは1点、Noは0点で計算
1.戦後の歴史学者とマスコミは左翼であると知っていますか
2.毛沢東の演説によって南京虐殺は存在しないと知っていますか
3.歴史学者とマスコミの共犯によって、南京虐殺は存在したと教科書に書かれていることは知っていますか
4.嘘も100回言えば本当になると知っていますか
5.どうでもいい鏡を何種類も掲載している高校歴史資料集に、なぜか伊都国から出土する世界最大の内行花文鏡(円周が八咫の大きさ)が掲載されていないことを知っていますか
6.「報道しない自由」という言葉を知っていますか
7.中国側の資料によって倭国と日本国が別の国として並立しており、倭国側(九州)の支配は朝鮮半島南部にまで及んでいたことを知っていますか
8.魏志倭人伝にふんだんに登場し卑弥呼や台与の象徴でもある高級品の絹が、北部九州からしか出土せず、奈良からの出土がゼロなの知っていますか
9.天皇が天皇である証明は「三種の神器を継承していること」であると知っていますか
10.弥生期に三種の神器が揃って出るのは博多湾沿岸の五か所のみであることを知っていますか
5〜20点の人は九州論者。4〜0点の人は畿内論者もしくは吉見義明、朝日新聞、マスゴミ、歴史教科書の可能性が高い >日本の考古学は近畿説が主流であり、九州説は傍系的と位置づけられている。
しかし、5ちゃんねるでは傍系的であるはずの九州説が圧倒的に多い
これは5ちゃんねらーが学問からかけ離れた位置にいるということだろう >>101
淡路島の製鉄遺構に残っていた鉄製品の特徴から、淡路島は九州の影響下にあったことが判明している
北部九州の海人族が淡路島を支配していた
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
中略
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。 >>1
> 吉野ケ里フィーバーから30年。
私は九州の人間ではないから「吉野ケ里フィーバー」は知らないけど、
30年くらい前に弥生時代ブームがあったみたいだね。
たぶん、その頃だと思うけど、静岡県の登呂遺跡も観光客で賑わっていたらしいよ。 同じ時代のローマと比較するとこの時代の日本は情けない限りだなw 学者が沢山集まってネタしか喋らないとか
日本って本当終わってるよね まあ何で検査しないから感染してませんキリッとかやってるか
良く分かるな
日本人はほぼ脳みそが腐りつつある >>94
畿内説は消えて纏向学と名前を変えて邪馬台国論争からは遁走消滅したからね 考古学では近畿だと言ってるが
5chでは九州なんだってね >>109
そもそも中国の役人が適当に創作しただけかもしれん。
完全に創作じゃないとしても、東の海果ての「東夷」なんかどうでもいいだろと
適当に書いてる可能性高いと思うよw >>106
筑紫平野で間違いないね
日田は鏡を疎開させてたんだろな
筑紫平野は物騒だから >>109
言って無いぞ
纏向学だろそれは
邪馬台国論争ではない
「邪馬台国なんてどうでもいい」らしいからwww >>113
学問とは無縁の人間
こういうのが典型的な5ちゃんねらー >>99
マンガなんかの創作物では九州説に神武東遷とるのが多いからな
おれも結局は安彦の『ムジナ』のイメージだし > (近畿説の裏付けとされる)三角縁神獣鏡は
畿内説はもうこれを引っ込めた方がよくないか?
これを通そうとするとますます畿内説が不利になる 普通に考えて日本王朝の始祖が中国朝鮮なのは仕方ないじゃん
奈良盆地を今までゴリ押ししてきた京大の先生方もいい加減諦めればいいのに >>119
中国朝鮮人は重く用いられず
欲しいのはあくまで技術であって
基本的には豪族の直の隷属民
東漢氏のように天皇暗殺の駒に使われたり 古代は九州vs畿内
幕末までは畿内vs関東の二大政権 鹿はあくまで赤神の使い
赤は遠賀川とか備前播磨とかあちこちに地名が残る
秋も同じ?
まぁ奈良を征伐してできたのが邪馬台国と思うけどな >>124
福岡の赤村の地名は
我鹿屯倉(あがのみやけ)が由来だと言われてる
安閑天皇の関連だから
大和政権成立後の命名かな 福岡に赤
播磨に英賀アガ
福島や新潟にも阿賀アガ
邪馬台国、赤神関係じゃないかなぁ 九州と関西が地元ありきで舌戦してる醜態は、アカデミズムから程遠い。 >>128
どっちも感情論だからね
日本の考古学は関西方面が引っ張ってきた事実があるから、
関西としては近畿説でなければならないってとこがスタート地点だからなあ
アカデミズムなんて2の次の話になってんだよね >>128
最早北九州教とそこから別れた東遷教、畿内教の3つの宗教なんだよ。
そこに明確な根拠なんてなくて、教祖様の仰ることは正しいに決まってるという思考停止してる。 >>113
ネットで拾ったガセネタ、嘘情報をドヤ顔で語るアホ >>128
地元?
東大が近畿にあるのか?
歴博が近畿にあるのか?
九州大が近畿にあるのか?
みんな畿内説なんだが 吉野ヶ里歴史公園に建てられた楼閣の起源は唐古・鍵遺跡にあるけどな。
公園の整備をすすめる上で、邪馬台国だとしたら楼閣があるはずだと言う発想から楼閣を建ててしまった。
しかも唐古・鍵遺跡から出土した絵皿から奈良でデザインされ建てられた唐古・鍵遺跡の楼閣の図面を使って建てるという有り様。
吉野ヶ里歴史公園を見ると、それは立派な遺跡のように見えるけど、内実はこんなもの。 おおお、俺の故郷が話題になってる
筑後川流域が日ノ本の国の源とはwww
今も昔も変わらず何にもないのどかな所ですw 5chですら九州説はもう九州説の中でも色物と言われて笑われてた人達しか残ってない
実際に、冬に野菜は出来ないとか
山本太郎と山田太郎は漢字似てるから同一人物だぁーと言うような人達しか残ってない 邪馬台国ネタって松本清張が「陸行水行」(1962)で取り上げるまであまり知られてなかったらしい
案外新しいネタ 一般人が何となく九州だと思うのは仕方がないが
掲示板にわざわざ書き込み、九州だと力説するやつはカルト信者と同じ >>137
それね
コロナ騒ぎの隙にってやつなんじゃ? >>105
邪馬台国スレに集う俺らもな。(´・ω・`) いつの間にかマキムクから唐古にすり替わってるな畿内説 >>143
纏向は発掘してた関川先生が「ここは違う」って言っちゃったからね >>145
逆だ
実在の天皇の在位年数から逆算すると神武は280年頃の人物
魏志倭人伝の時点ではまだ九州 >>146
邪馬台国と日本は別の国。
日本という国の歴史ではないから、どうでもいいよ。 >>146
それ自分の空想ストーリーに合わせるために、恣意的に年代を弄ってるだけじゃん
合理的な根拠も物証による裏付けも何もない
やってることは記紀の改竄 >>148
こうやってデマしか言えないのが畿内説の特徴
実在が確実な古代天皇の在位年数をグラフにして延長線を引けば神武が280〜290年頃という客観的データが得られる
恣意性はゼロ
http://www.kk-bestsellers.com/mwimgs/c/9/-/img_c91d97fe4490117965d7bf966df9b604298531.jpg
そもそも恣意的に改竄されているのが明白な記紀の年代なんざ最初から誰も信じてない >>149
平均在位30年で一律に計算するのも、大概ナンセンスな話なんだがな。
そもそも卑弥呼自体が在位60〜70年くらい有るんだぜ?
平均こそが正しいとは、余り考えないほうが良いよ。
そもそも記紀に載ってる天王が全てかどうかすらわかってないんだからね? >>150
在位三十年の法則からすると、卑弥呼は途中で影武者に変わってるか、卑弥呼自体は個人名ではなく役職名の可能性もある。
同じく古代の天皇も在任期間が長いのは、同名を複数人が継いでる可能性もある。
どちらにしろ、全部空想でしか無く確かめる方法も無いけどな。
平均在任期間で単純計算ってのも真偽不明の空想だしな。 九州説だけど神武は実在とか言わないほうがいいと思う >>149は平均在位30年ではなく、10年で計算してるようだ
記紀は年代は嘘だが、それ以外は神話も含めて正しいという立場のようだが
初期の天皇は親子継承ばかりなので、平均在位10年はありえない
結局、自分の空想ストーリーに合わせるために、記紀を改竄してる >>153
邪馬台国は北九州だと思うけど、東遷はないと思ってる。 邪馬台国東遷説なんてラノベと一緒
安っぽい空想の産物でしかない そもそも天皇の平均在位は時代によって異なるというのが安本の言い分だろ?
それなのに、ある時代の平均在位をそれ以前の時代にも当てはめるって、根拠になってないだろ >>143
>>144
あれほど固執してた纏向捨ててこれからは唐古推しでいくのか
適当やのう 邪馬台国存在の最大の根拠が文献なんだから文献を無視して推測してもダメよ
畿内説って考古学者が出してきたものだからね
考古学は考古学で素晴らしいけど文献を無視した想像を拡げたらダメ >>161
考古学的にも3世紀だと関西は未だ未開の地だから邪馬台国なんて有り得ない
北部九州地域が邪馬台国(倭国)に決まってるな。 >>147
日本国(大和朝廷)は8世紀の成立だな。 >>161
文献に準拠したら日本列島を突き抜けるわな
魏志倭人伝の内容にどの程度の信憑性があるか?
陳述が邪馬台国まで来て確認したわけでもないし、三国志以前の文献から真偽の確認もせず抜粋してるだけだから
まるっきり信用するわけにもいかない。 >>165
読みかの問題だな
1里が80m
里数の行程と日数の行程は同じ行程を距離と時間で二重に説明したもの
と考えれば日本列島を突き抜けずに北部九州地域が邪馬台国となる。 東遷があったのかどうかはわからんけど
仲哀峠が犬鳴よりやばいのはガチ 倭じゃなくても距離の記述が滅茶苦茶な例もあるからそこだけ強調するのはナンセンス なんか証拠出てから騒げや。そもそもどーでもええやろ。
格付け欲しいから必死に騒ぐのか?
「ピザはウリナラ起源ニダ!キリストはウリナラ起源ニダ!強制慰安婦・徴用工は事実ニダ!」
と変わらんわ。いつまで支那のポエムに縋ってんだ?
連呼してたら真実になるって思考は、朝鮮人の証拠だなってのはわかったけど。 文献上も考古学的な資料からも北部九州地域が邪馬台国であることは決定的なんだが
利権で似非学者が畿内説を強行に主張してるだけだな。 >>166
それは最初に目的地ありきで、こう読めば辻褄が合うと言う解釈論の話しだね。
その解釈が正解なのかどうか、答え合わせができてるわけでもないし、今後もできるわけもない。
短里、読み替え、放射読み、誤字扱い、方角回転
あらゆることをやった上で北九州だろうとしてるだけで、魏志倭人伝に信憑性がないことには変わりない。 >>172
辻褄が合う読み方が正しい読み方ですよ。 魏志倭人伝、対馬とか韓国の話も出てくるよね
対馬国→韓国の南岸に日本語を話す人達の国→狗邪韓国
狗邪韓国って人種的にはどこの人だろうね >>173
>短里、読み替え、放射読み、誤字扱い、方角回転
そんなことやれば、日本全国どこにだってたどり着ける。 >>175
読み替え、放射読み、方角回転はしてないよ
東夷伝の1里が80mであることと
水行一月が水行一日の誤字だけです
里数の行程と日数の行程を連続して読むから日本全国どこにだってたどり着けるんだよ
距離と時間を繋げて読むなんて異常な読み方だよ。 魏志倭人伝を信用出来ない偽書と魏志倭人伝は信用出来る世界の真実を同時に言わないといけないのが九州説のツライところ 北部九州は博多湾が深く入り込んでいて温暖であり、
実際に安曇族という海の民が存在していたと言う事実。 >>178
そこに邪馬台国が無い根拠にされてるやつだな
九州には有力部族が多いから邪馬台国は九州じゃないってやつ >>177
日本語として意味が通じてないよ?
邪馬台国論争は魏志倭人伝は信用出来るが前提だよ
信用しないと議論にならないだろ? 倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。 >>179
北部九州地域の都市国家連合が邪馬台国だよ
卑弥呼は伊都国(糸島市南東部)に居たんだよ。 >>141
コロナ騒ぎも2か月以上続いてるからな。 アホ「なぜ志賀島から金印が出たのか理解できない」
天才の私「志賀島は安曇族の氏神たる志賀海神社があり、
安曇族=奴国であるので、志賀島から金印が出るのは当然である」 >>176
読み替え、放射、方角転換なしでどこに着くと? 兵器には矛、盾、木の弓を用いる。
↑弥生後期に兵器として用いられる鉄の矛は北部九州からしか出土しない。
また、奴国は銅矛を祭祀で用いる文化圏でもあった。
竹の矢は鉄鏃であったり、骨鏃であったり。
↑弥生後期の鉄の鏃は圧倒的に九州から出土する。 >>176
まず一大国から末盧国の千里=80kmとして
どこに上陸する? 東夷伝の原文を読めば北部九州地域が邪馬台国だって分かる
畿内説の人は意訳されたものしか読んでないね。 >>190
伊都国はどこにある?
糸島市なら、確実に方角を90度誤魔化す必要があるんだけど? 真実が書いてあるはずだけど真実は書けないっていう陰謀論でしか九州説は成り立たない 弥生後期に数十人規模の殉死が考えられる祇園山古墳が、
北部九州の要害たる高良山の麓に存在し、
北部九州の支配者が埋葬されたことが想定できる。
墓の規模も当時の帯方郡の墓と同等の規模である。
この付近を廟とする高良山の神官の一族は鏡山氏と名乗った。
高良大社には、豊比淘蜷_=トヨが祀られている。 >>191
>>193
名護屋浦か呼子付近に上陸
東松浦半島を南下して唐津市街で東へ
糸島CC付近で伊都国に到着 弱い人が架空の邪馬台国が強いと信じる妄想の果てに立ち上がるのが九州説
説としてもあまりにも弱い >>195
祇園山古墳は残念ながら出土品的に自分の首を絞める事になる。
三角縁神獣鏡が出てるんで、卑弥呼の鏡は三角縁神獣鏡ではあり得ないという話しと矛盾する。
そもそも墓のサイズも魏志倭人伝の卑弥呼の墓よりかなり小さい。 >>197
まったく80kmに足りてないのでやり直し。 東遷とか意味わからん
そんな昔に、しかも統一王国じゃない
邪馬台国本体が全部移動するわけない 絹綿を生産している。
↑弥生後期は北部九州のみが絹綿の産地。
棺埋葬で槨無し
↑弥生後期の北部九州は棺埋葬全盛であり、
中国・四国・大和は槨埋葬であった。 近畿にあったとしても奈良のような山奥にはないな
現代人だって山奥になんて住みたくないんだしさ >>200
1里80mくらいだから名護屋浦か呼子付近に上陸し糸島CC付近500里(40km)
壱岐から名護屋浦か呼子付近までは海上の為に実測出来ずに誤差が大きい 樓觀がある
↑北部九州の遺跡からは樓觀が出土、マキムクには樓觀なし。 >>197
後、末盧国から東南陸行500里のはずが、南東、北東の二段階右折をしないと500里では平原遺跡辺りまで届かないし
そんな二段階右折の先にある平原遺跡は呼子から見たら真東。
距離のちょろまかし、若しくは方角の改変がないと無理。 神武記見てもせいぜい弱小一派があっち行き
こっち行きしながらたどり着いてぼろ負けw
ただ、先行者の物部はかなりアッパークラス
だろう。多くの名族は福岡に本貫がある。
桃がどーのと馬鹿には付き合いきれんな。 >>205
一大国が壱岐島として、千里80kmも南下したら佐世保を通り越して、大島辺りまで行く。
西に進めば五島列島、東なら遠賀川手前。 >>199
祇園山古墳出土とされる三角縁神獣鏡や変型方格規矩鏡は数少ない舶来鏡であり全く矛盾しない。
墓のサイズも帯方郡の太守の墓と同規模であり矛盾しない。 >>211
三角縁神獣鏡は中国からは出てないから、卑弥呼の鏡たり得ないんじゃなかったのか? 九州説は自爆論理ばっかりなんだよな
根拠を並べようとするほど九州説を否定してしまう なんで日本の文献に出てこないのかね。
素人の質問で悪いが。 前方後円墳は西晋の初代皇帝司馬炎が洛陽の郊外で、
夏至と冬至の祭典を行うために作ったとされる、
円丘方丘を合わせた祭壇を倣ったものと考えられ、
泰始2年(266年)にコレを見たトヨの使者が、
日本に作ったのが最初であり、
畿内説の「初期の前方後円墳の最大のもの(箸墓)が卑弥呼の墓である」
と言う説は大きな戦略ミスであると言える。 >>209
海上では距離が測れないから過大な距離となったんだ
三海峡共1000里とか明らかに計測不能で感で書いてるな
陸上は歩測だし朝鮮半島沿岸航海距離は陸の距離を当て嵌めてるな。。 >>212
それは意味がない。
畿内の三角縁神獣鏡の殆どは後世に作られた
日本製であるという事実が畿内説を完全否定しているのだからな。 考古学者は予算を得るために近畿説を温存してるけど、本音では九州だと思ってるよ。 >>212
例えば、中国から三角縁神獣鏡が出てきても、
畿内の三角縁神獣鏡が後世の日本製であるという事実が、
畿内説を完全否定するのであるからな。
この論理、わからないかな?? シポジウムか。
非科学的に、おらの方が邪馬台国と言い張るだけ。
一例を挙げると、魏志倭人伝には20種類以上の植物が描かれているが、そこに桃はない。
ところが、畿内派は、纒向で大量の桃の種が出ると、「ここが邪馬台国の証拠だー!」というんだ。
なっ、バカを通り越してるだろ。 >>216
そこだけ都合よく測定不能だから一括で千里なんだな。
しかも上陸後の距離か方角も誤魔化さないと無理だしな。
単里と一月の誤記だけで魏志倭人伝に書いてあるとおりって話はどこへ?
魏志倭人伝の記述を話半分に受け止めればいいだけよ? >>214
日本の文献に出てきてる。
ヤマトが九州で滅した土蜘蛛の一族、それが卑弥呼の後継者の台与だ。 >>214
大和朝廷が8世紀ごろ、国としてまとまるために、過去の言い伝えや歴史書を都合がいいように編集してるから。
天皇という存在を神格化することで、今の日本が存在できている。
これをあまり変に壊されたくないんだよ。 邪馬台国は魏志倭人伝にしか記述がないんだから、魏志倭人伝を話半分に受け止めてはならない。 箸墓からは馬具が出た。
4世紀前期の墓であることは間違いないだろう。
畿内説は箸墓を3世紀中期の墓にするために、
土器の編年を弄ってしまった、
ゴッドハンド級の事件である。 邪馬台国にはあり得ない桃と馬具。
魏志倭人伝によると、倭国には牛馬はいないからな。 高良大社の神官の一族の一つ、
鏡山氏は物部氏の一族であると言われている。
卑弥呼は物部氏の姫であったと考えられる。 当時の航海技術や測量技術を考えたら延々と海を渡る訳が無く、遠くに見える島を目標にして航海するというのが納得できる
対馬や唐津を目指して航海した
測量なんてだいたいこうだろうという距離だから、現代の技術や感覚で正確に算出するのは無理がある
上記の考え方からすれば ID:JBd7accs0 が言っていることは間違いとは言えない >>201
暇持て余した王族のボンが腕試しに剣担いで東へ旅立つ。
オーサカ手前で半殺しにされたりしたけど、三重から裏回って大勝利!
・
・
・
そのあと居付いて栄えて共通の祖先の記憶なんか薄れたころ、本国を強力になった分家側が併合 纒向以前の副葬品による階層分けでは筑紫が最も階層が分化しておりその頂点に伊都国があった
前方後円墳の副葬文化は筑紫式
寺澤氏は女王が共立であること、纒向形成の主勢力が吉備であることを強調してはいるが、事実上卑弥呼以前の東遷を認めてないか?
だから寺澤氏は九州説からもよく引用される 畿内説は捏造だと畿内説が言ってた
捏造計画が存在するとか 九州高千穂に神降り伝説があるし、九州なのかなあ
でも九州は有史以来今まで辺境の僻地だから、やっぱり畿内なんだろうなあ >>219
中国から一枚も出てないのに、中国製とはどうやって鑑定したんだい? >>7
たかが直線距離で数十キロの範囲で水行何日やら陸行1月とかありえんから
中国に換算してみろよ同じ街の範疇だな 九州北部もあり得ないんだよね。
九州に上陸し、最初は東方やや南に歩き(太宰府付近まで)、そこから川を使い南に、さらに南の1月歩いたところが邪馬台国。
これは、九州南部しかあり得ない。
宮崎市以南だ。 何べんも言うけど関西の人間だが邪馬台国は九州と思ってる
邪馬台国当時の考古遺物を考えると
どう考えても関西に邪馬台国や狗奴国他多数の国々があったとは思えないし
時代が合わない
関西説の学者達は当時の九州はどうなってたと考えているのか
考古遺物を考えると九州の方が都会なのに当時のシナ人が九州無視して田舎の関西に行くのかw 【天皇は縄文人と同じY染色体がD1bであったと確定している。健康診断で全国民のDNA調査をした結果は男の9割以上がY染色体がD2であった。ちなみに朝鮮人韓国人シナ人はD1bは無し】
N253487/ Sumeramikoto (Emperor of Japan) D-CTS8093
http://www.familytreedna.com/public/japan/default.aspx?section=ycolorized
http://wiki3.jp/famousdna/page/23
伏見宮家
伏見宮家のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)。
これは、伏見宮家の男系子孫1名から得られた解析の結果に基づく。
東山天皇
人皇第113代・東山天皇(Emperor Higashiyama, 1675-1710)のY染色体遺伝子は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)(注3)。
これは、東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔粘膜の解析による(注7)(注8)。
南朝・後村上天皇
南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明した(注1)(注2)。
近衞文麿
内閣総理大臣を務めた、近衞文麿(Fumimaro Konoe, 1891-1945)のY染色体は、
ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)。
2019年6月19日改訂のISOGGより D1a2 (旧D1b1'2)に変更。
「縄文系」のD1a2 (旧D1b1)、(チベット系D1a1)
オクスフォード大学の遺伝学研究チームのクリス・テイラースミス(Chris Tyler-Smith)及び、
カラー・レッド(Color Red)は、日本人男性のY染色体の一塩基多型(SNPs)および
縦列反復数(STRs)を解析した結果、天皇家のハプロタイプは(D-CTS8093)に属する
系統であると結論づけました。 鏡が日本製か、ソレ以外かは複合的要素がで決められるものだ。
出土遺跡の時代、鏡の形式、同型鏡などに従って分類され、
日本製という銅鏡が設定されるのである。 >>234
>九州高千穂に神降り伝説があるし、九州なのかなあ
その発想はほとんど間違い。
伝説は大和朝廷に都合の良いように造られてしまっているから。
ただ、大和朝廷がヤマトと名乗ったのは、日本列島の古くからの支配者だと偽装するためであり、邪馬台国の発音は「ヤマト」だったのだろうね。 ★近年の学術諸分野の研究のまとめ@
[縄文人の特徴]
毛が濃い、髪が微妙にくせ毛、まぶたが二重
ホリが深い顔、耳たぶがあり耳たぶを装飾
柔軟な思考
染色体D系統(コロナウイルスに感染し難い)
犬を大切に飼っていた
集落間のネットワークがあった
前述の顕性遺伝子が多い
【日本人概ね特性】
恩に忠義(他人を信用する、騙されやすい)
海洋民の特徴の大らかさと危険知らずと
未知への畏怖が精神性として同居
辛抱強く文化や技術を育てる
少しの材料や切っ掛けでガラパゴス化させる専門気質
アイヌ系、琉球系、渡来(大陸かの西域)系など
千数百年経っても顕性遺伝子である二重が
潜性遺伝子の一重を駆逐できないメカニズムは未だ不明
古墳時代に日本へ朝鮮半島難民が渡来したが、大和朝廷に
よって隔離管理されていたので列島民との交雑はあまり
起きていないので二重が朝鮮半島に比べ高割合
[(稲作)弥生人の特徴]
毛が濃い目、髪は直毛が多い、まぶたが二重や眼がくりくりした一重
顔にほどほどの凹凸、耳たぶは肉厚と普通が混在
複数次元の思考 (農耕民であり漁民であるなど)
染色体O系統(コロナウイルスに感染し易い)
犬は縄文人と同様に家族扱い(中部地方の弥生遺跡など)で基本的に食べない
縄文集落や他集落との共存や協力や融合(2000年前半に結論)
【朝鮮半島民族人概ね特性】
毛が薄い、髪が異様に直毛、まぶたが一重
凹凸の少ない平べったい顔、耳たぶが小さく装飾できない
硬直な思考
歴史全体にわたる大陸からの侵略によって逆恨み
や恨の思想文化
犬を食用として喰べ家族扱いでなく墓もほとんど作らない
三韓時代から半島全体で対立し合い戦争が多い
多重近親相姦(寒さで一重は誤想)で前述の潜性遺伝子に変異
水稲文化や稲作文化が殆んど無い
日本列島の縄文人や弥生人の特徴や文化から遠い
恩を仇で返す(他人を信用しない、 裏切る)
傲慢(窮地にたつと我が先に逃亡)
執着する(逆恨み的) ★近年の学術諸分野の研究のまとめA
第一波 3万8千年前頃から中国大陸や南方からの渡海が増える
第二波 縄文人が複数ルートで渡海
第三波 大陸南部や越方面からの多数の稲作弥生人が日本列島に渡海
第四波 百済からの亡命遺民と多数の半島の難民と日本に連行された戦利捕虜
第五波 新羅高句麗からの難民 (朝廷によって日本各地に移配される)
第六波 日韓併合前後より多数の半島民が日本に訪日 定住へ
第七波 終戦より後もUターンも含め多数の朝鮮半島民が日本に訪日 定住へ
過去、下層民が多重近親相姦したため
均一DNA塩基配列な地域が現在も点在している
現代日本
D系統 縄文人の末裔
日本国籍 アイヌ民族
日本国籍 琉球民族
日本国籍 大和民族(縄文人と弥生人との融合の末裔)
OとC系統 大陸や朝鮮半島の半島での交雑民族が渡来
日本国籍 漢民族(古代中国から渡来した漢民族 正史では隣国)
日本国籍 現代朝鮮民族(在日朝鮮人)と古代の半島難民(正史では半島蕃族、隣国扱いではない)
から構成される
遺伝的には
大和民族 =縄文人と稲作弥生人との融合(D1bがベース) ≠ 朝鮮民族(O・C系統)
D系をベースとする大和民族は朝鮮民族とはまったく違う
大和民族とは
弥生時代に大和(奈良盆地の南東部)を本拠地とする人々の末裔や日本全国の
九州地方の隼人や、東北地方の蝦夷や琉球などの縄文時代や弥生時代から、
もしくは琉球奄美の南洋の高価な巻貝を、それを求める中国の王宮や西日本の
豪族に海洋運搬していた日本列島周辺の琉球民や奄美民や薩摩民
生粋の大和民族はあえていえば、
弥生時代に縄文人と稲作弥生人がほどよく融合したために
日本列島は各地がまとまりのあるDNAの構成となっている
大和(奈良盆地の南東部) を本拠地とする人々の末裔は
先祖が弥生終期から古墳時代から律令時代の列島の支配層
だったというだけの話でその役割を役割を果たした氏族が
文献史学上に豪族や有力氏族として記録される
その歴史の一時代にまとまりで勢力があった人たちで現代に
おいて定義することに意味はない
だが、皇室は別である
生粋のヤマト民族といえるかもしれない
実歴史の上で、頭1つから5つは各豪族を凌ぐ根拠があったと
考えられるからである >>227
書いてないものを無かったと決めつけるのも難しいな。
それ程精緻に全てのことを書き記したわけでもあるまい。 >>214
各時代の権力者によって焚書されてるから
真の歴史が書かれた文書があったとしても失われている また、最近、日田から出土したと考えられている金銀錯嵌珠龍文鉄鏡も、
曹操の墓から出土した鉄鏡と、ほぼ同型式とされる事が明らかになった。
魏国と倭国のつながりを考える上でも興味深い発見だな。 >>244
それはどうだろう?30種類近くの植物の記述があるのに、あえて桃を省くとは考えにくい。 >>246
日田は、博多湾から川だけで行けるんだよね。久留米経由で。
その舟運は、江戸時代まで活用されていた。 >>241
都合よく作り変えるならわざわざ東征なんか書かないで近畿から全国制覇する話にすると思うぞ >>241
大和朝廷に都合よく作られたのに、初代は日向から東遷して来たと書いてあるってどういうことなんだろうな。 小人の住む侏儒国は邪馬台国の南方四千里の島国である。
丁度、山門から4千里の種子島の遺跡の発掘によって、
弥生後期に小さい成人の集団が埋葬されていることが明らかになった。 九州説ってネットで拾ったガセネタをドヤ顔で語るアホ多いな
ID:2UfnBG3+0なんかがその典型で、学問とは無縁の人間なんだろう
学術書も論文も今まで一度も読んだことなさそう >>250
応神やら九州に縁がある天皇が多すぎるし俺は九州とヤマト王権の関係性は深いとは思ってるな
邪馬台国は奈良だろうけど >>214
だからさー
日本神話の太陽女神の話を実在の女王の話として記録したんだよ
シナは他の遊牧民や南方民族についても
神話を史実として記載している
狼の子孫だとか 稲吉角田の稲吉土器の船上の人物は羽をつけた
東南アジアから台湾に見られる鳥装の頭部装飾
丸木ゴンドラ風の船と数人の海人と地上10メートル
高床式神殿が描かれている
東南アジアから日本に共通していた水稲文明地帯
の風俗らしいけれども日本海側で出土しているが
それとよく似た奈良盆地の倭人や縄文人の混成集団
と思われる唐古遺跡でもある
鳥装の頭部装飾人間による舟漕ぎ絵画などが出土して
いるが近縁集団の可能性がある
興味深いね
この記事の講演録を読んでみたい >>250
日向がどこか実は分かっていないが、それを無視しても理由は明らか。
最初から畿内だというと、中国の文献ではどう見ても倭国は畿内ではないという事実と符号しなくなる。
日本書紀は、「大和朝廷は古くからこの列島を支配していて正当性がある」と主張するために書かれたもの。
「私たちは朝鮮半島南部から列島を征服した任那ではなく、昔からの倭国の後継で都を移しただけなんですー!」と嘘をついたわけ。 >>231
文化の伝播だろうな
全国各地に伝播している
特定の場所への遷都は認められない >>255
琉球奄美地方のアマミキヨの話は非常に深い
日本の創世神話に引き継がれている要素がある >>257
神話における大和朝廷の正統性はアマテラスの神託だよ
倭国なんか関係ない 昔から任那は日本と呼ばれていたが、それが滅び、兄弟関係の百済も滅びると、この列島を、国を「日本」と呼ぶことにしてしまった。
それまで、日本は朝鮮半島南部、今の日本列島は倭国であり日本ではなかった。 あれ? 九州という結論じゃなかったっけ?
阿蘇山の巨大噴火の火砕流で九州全域終わった時に(ry >>250
ヤマト王権の出発地は宮崎には違いないんだろうな
出発地を捏造する意味ないし
で東進して奈良に居住したという事だけどこれも捏造する意味ないな
東進の詳細は捏造の可能性あるけども >>260
国内向きにはね。
ところが、日本書紀は白村江で戦った唐への言い訳のために書かれた。
唐に対しては、我々は列島を支配する正当性(古くから中国様が支配を認めていた)と嘘をつく必要があった。 日本の縄文期から弥生期の特徴性と一致するのが長江や越の青銅文化だね
高床式建築物(弥生時代)
漆や絹の利用
鵜飼いや海や浜辺の石を祠に積み上げる文化
漁労に蛋白源を求める魚食文化
自然の精霊信仰
南西諸島型の女性優位の巫女文化 ちなみに安曇族は北は山形、
高地は長野県安曇野、穂高山山頂まで
移住していった事が分かっている。 >>263
それは、宮崎が邪馬台国だったから。
大和朝廷は、どこが王宮だったのかまでは掴めなかったが、宮崎が邪馬台国だったということまでは掴めた。
だから、「我々は古くから中国様が支配権を認めてくださっていた邪馬台国の後継なんです」と嘘をつくために、出発地を捏造する必要があった。
後継者でなければ、「お前らに列島を支配する正当性はない」と言って唐が攻めてくる恐れがあったからだ。 >>252
hydeの両親が喜界島出身なのが笑える どうかんがえても古代において文化のレベル、生活のレベルが高かったのは
九州北部だろ。稲作するのに関しても。
もしも海岸付近に国の大部分があったとすれば、津波による被災で全滅した
のかもしれない。コロナウィルス肺炎で絶滅した可能性も否定はできないがな。 >>257
>>261
ハイハイ
在日朝鮮人さん、平気で大ウソはやめましょうね
朝鮮半島で倭系遺物が出土しているのは釜山などの地域の南端部だけですね
そして百済と兄弟関係とかアナタの妄想願望の作文は何の意味もありませんから
そういうことを記す文献資料もありません
ただ新羅の支配層に倭人が少数入っていることくらいですね
古代の半島は新羅を始め海洋軍事力に勝る日本の倭人に王宮まで攻め込まれていますね
そして連戦連敗
それを記す史料はありますね >>257
高千穂に邇邇芸が降り立った後の道程が書いてあるので、日向は日向国と解釈して問題ない。 🌟新羅本紀🌟
弥生後期 〜 古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に不慣れでございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」
※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。 >>264
書紀と晋書の倭国記事は合ってないじゃん >>261 >>264
新聞学科のバカさに大爆笑w 当時の記録「魏志倭人伝」にはこう書かれている
・釜山→対馬→壱岐→そして上陸できる
・倭人は海洋民族
・倭人の墓は棺桶はあるが収納施設はない。そして棺の上に土を盛る塚であった
・女王国の東の海を渡るとまた倭種の国がある
・女王国から船で南に向かうと侏儒国(種子島)がある また、邪馬台国と対立した狗古智卑狗は
隈の国の菊池=久々知の豪族と考えられ、
弥生後期の鉄器の分布状況が、
筑紫と隈の国の戦いを物語っていると言える。 >>274
それ、日本書紀が改ざんされてる証拠だよ まだ九州主張するやつがいるんだな
決めない方がお互い儲かるからな
一生やってればいい 中高年の在日の人>>257 >>264などは
普段は反日し放題で大嘘をつきまくっているにも関わらず
科学の関連分野が進み自分の言ってることが誰にでも
大嘘だと分かる時代になったので微妙にその大嘘の内容を
少しずつ場当たり的に変化させ、また薄っぺらい内容をたれ
流しています
韓国が兄の国?
百済が兄弟国?
嘘をつく必要があった?
トンデモのバカでしょう?
日本人ならみんな知っているような客観的な歴史を
在日の人は全く知りません
たとえば反日種族主義もこわくて読めません
いままで日本国やお役所や日本国民に向かって
大きな声で叫んできたことが嘘だとわかるからです
ですからそこら辺の普通の在日のおじさんやおばさんが書いた
歴史本しか読まないそうです
だから歴史をまともに知りません
これまでも都合よく日本人を弟とか兄弟とか言いたがり、兄の国に
逆らうな等、在日社会や在日韓国朝鮮人の特有のマウント願望の
妄想をよく言いますが日本人の兄でも何でもありません
古代から日本に迷惑ばかりかける海の向こうの赤の他人の国
あることがここ20年の諸科学の分野で明らかになっています
【令和考案】
中西進教授
「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく韓国人だ」
「日本に逃げてきた渡来人、血統で見ると大和人ではなく、 韓国人だ」
は、
『日本に逃げてきた渡来人は、血統で見ると縄文D遺伝子のある大和人ではなく、D遺伝子の無い韓国人だ』 またマキムクは外来土器の出土状況から、
北部九州の土器の出土がなく、
当時のマキムク政権は北部九州にまで
勢力が達していなかった事が分かっている。 ★ 瞬殺される在日韓国人の無茶苦茶解説w★
600 名無しさん@1周年2019/05/01(水) 00:42:51.62ID:tE8rei4P0
下野守 栃木県
秦大魚(746年〈天平18年〉9月) 従五位下 〔続日本紀〕
百済王俊哲(再任:791年〈延暦10年〉9月22日〜795年〈延暦14年〉8月7日卒去) 正五位上、後に従四位上、陸奥鎮守将軍〔続日本紀〕
百済王教俊(809年〈大同4年〉1月16日) 従五位下 〔日本後紀〕
甲斐国 山梨県
田辺史広足(天平3年12月21日補任(以下補任日、『続日本紀』)渡来系
馬史比奈麻呂(天平13年12月10日、『続日本紀』)朝鮮系
山口忌沙弥麻呂(天平宝字5年10月1日)朝鮮系
坂上大忌苅田麻呂(天平宝字8年10月20日)朝鮮系
5世紀はヤマト王権による中央集権化に伴い東国の軍事的征服が行われている時期で、この頃には朝鮮半島から乗馬風習が伝来している。 ★ 在日韓国人の無茶苦茶を瞬殺する日本人の解説★
609名無しさん@1周年2019/05/01(水) 05:47:44.39ID:6XSsaE4p0
>>1
桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫 についてだけど、
皇統が125代続く中で、百済系がたったの1人で高野新笠が
武寧王から200年後の人物で、限りなく血は薄いよ
>>600
この出鱈目ぶりは日本人じゃない気がする
やっぱり在日コリアンなのかな
まず、高校生でも知っている坂上氏は後漢霊帝の末裔で
坂上氏自体が朝鮮族ではないよ
坂上大忌苅田麻呂も、後漢霊帝の孫の阿智王にもかかわらず
姓が低いと不満を申して宿禰をもらったことで有名
この>>600は日本史の知識ゼロなのが丸わかりなんだけど
なにかの文字起こしして嘘を付け足している感じかな
在日の人ってみんなこんな感じの捏造するのんだったら
怖いね
日本の渡来系氏族の中では後漢霊帝の後裔たちが優秀で
活躍してる
それを在日の人がすべて朝鮮系と勝手にしてるだけかもしれない
だから注意だね
みんな徴用工になっちゃう感じだよね
田辺史広足は「姓氏録」では崇神帝の後裔、だけど「諸蕃雑記」で
百済系とされてて、その背景は天皇がその出自を憐れんで豊城入彦の
後裔に入れたのね
ただし当時の朝鮮系の諸蕃の蕃族は出自を偽ることが多かったけど、
この一族は東大寺建立にあたり一千貫を寄付しているまともな一族
百済王俊哲は、蝦夷との北上川の大会戦で、夏草が茂って戦えない、
馬の餌がないと臆して戦わずで、桓武天皇の逆鱗に触れたバカ者
強い蝦夷の伊治 呰麻呂と戦うのが嫌で、周辺の神社の格上をして神仏
の力だけで勝とうとしたバカ者
この生母が高野新笠なんだけど、百済渡来は歌と舞の才能がある者が
少々のみ
もちろん、舒明帝の時に義慈王は豊璋を日本の人質として義慈王は
唐に拉致され、豊璋は帰国し663年に唐新羅と戦って敗走し、そして
百済滅亡させた
最初から日本に依存してばかりで、最後には日本を泥沼に引きずり
込んだから、もう最低の民族
本当に百済は、日本の疫病神の働きでよく貢献してくれていたよ
山口忌沙弥麻呂も、また>>600の大嘘
事実は坂上氏と同じ後漢霊帝の後裔で中国系の漢人系で遠い親戚
ただ、本拠は奈良と大阪の県境の大和川の荷物積み替え地の付近
だから、山口氏の2つしかない2系統目で、大和の大豪族の武内宿禰
の末裔かもしれない
いずれにしても山口忌沙弥麻呂が朝鮮系というのは大嘘です 古代は九州の方が大陸や朝鮮と近いこともあって栄えてたしな
邪馬台国は九州
日本統一を進めるにあたって近畿へと移っていった 山門国と安曇族の古代の力関係だが、
6世紀の筑紫君磐井が安曇族発祥の地
糟屋を支配していた事から考えて、
山門国の勢力が北部九州を治める構図があったと考えられる。 >>278
中国史書に合わせた方が信憑性上がるのに
わざわざ違うように改竄するの変じゃん >>291
中国史書も数十代に渡って複写されてるし、その間に使う漢字も変化してるから、
複写ミスや原文ママにコピペ出来ていない文章もあると思うよ みんな甘いぞ邪馬壱国は無かった説があるのを知らんのか 学会ではとっくに邪馬台国は畿内で結論が出てる
古代史の論文も全部邪馬台国は畿内にあったこと前提で書かれてる >>290
筑後川挟んで南北で争っていた形跡も多くあるらしい >>296
九州説が有力視されると、畿内学者が御飯食べられなくなっちゃうから必死だよね 倭国大乱の痕跡は、
北部九州の遺跡に数多く残っており、
マキムクには皆無だ。 >>300
倭国大乱の時期に一致する焼け跡が広範囲にあるよ >>257
任那ごときが列島を支配できる訳ないだろガイジ なるほど邪馬台国は主邑までは攻め込まれなかったのか 邪馬台国は奈良だわ
卑弥呼率いる入れ墨の集団が奈良を征伐して邪馬台国を作ったんだわ
畿内の先住民は卑弥呼にしばかれたが何百年もかけて紆余曲折を経て平安を取り戻したんだろう 卑弥呼が使者を魏に送ったのは諸葛亮が没した数年後
魏が蜀漢を倒したあとに西晋が建国
西晋の陳寿が魏志倭人伝が含まれる三国志を書いたのは3世紀末で
西晋の当面の目標は呉を倒し天下統一をすること
魏志倭人伝の記述は当時の政治的な意味合いで加工されている可能性がある
魏に使者を送ったヤマトを
・呉の背後に近い南方に位置するように思わせ
・海戦に強い呉の脅威となる存在に見せた
そのために、距離と方位はあえて書き直したという見方もできる >>301
焼跡とか野焼きの跡、火災の跡と区別つかん。
そんな貧相な根拠で倭国大乱の痕跡とか言っちゃうわけ? >>307
広範囲だったら人為的としか説明できないだろ
東日本のように焼き畑農業文化圏ではないんだから アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。
一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスターに属することも分かった。
さらに、他の30人類集団のデータとの比較より日本列島人の特異性が示された。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_241101.html >>298
そうなんだよ。それが一番厄介。
膨大な近畿の埋蔵物課の連中が税金に
ぶら下がってる。
そいつらは会見や発表で必ず邪馬台国ガー
言ってる。 >>309
当時消火活動できる訳でもねーし、勝手に鎮火するまで放置一択だろうに。 邪馬台国の決め手になるのは封泥だ。
封泥は中国から数多く見つかっており、
コレクションにしている人も多い。
しかし、親魏倭王の封泥も、漢委奴国王印の封泥も見つかっていない。
コレは、当時封泥を解いたとされる楽浪郡や帯方郡が、
今の北朝鮮にあるからであって、
北朝鮮が崩壊した際には、帯方郡の遺跡を発見発掘して、
親魏倭王の封泥を見つけ出し、
その泥の成分が北部九州のものであることを確認して、
邪馬台国の位置を推定する事になる。 魏の使者は倭国には来たがそこから邪馬台国に到着したとは一行も書かれてない?
多分、倭人から訊いたいい加減な行程を記録したんだろう ヤマタイ国は誤読、本当はヤマト国だ。
は信用していいの? >>315
古代日本語には母音連続はないので
YAMATAIのAIという発音はない
YAMATOと発音する コロナウィルス感染で大騒ぎしているのに、こんなどうでも良いスレに
必死で書き込みをする非常識なバカがいる事に驚いた >>298
もともと京大(内藤湖南)の畿内
東大(白鳥庫吉)の九州の戦いなので
東大と京大が存続する限り続く >>320
5chでコロナ論じて意義があると思う方が馬鹿だと思う つーか邪馬台国は九州に在りました
で卑弥呼や後継者が消滅して勢力を失い謎の世紀といわれる戦国時代に突入
九州の豪族や難民達がもう嫌と新天地を求めて東進
そしてここはまほろばだと近畿を安住の地として邪馬台国の末裔じゃないにしろ後継としてヤマトと名乗る
駄目かw 旧唐書によれば、倭国と日本国は別の国らしいじゃないの。
倭国が北部九州で日本国が近畿じゃなかったっけ?
その後、倭国が日本国を吸収合併して、合併後の国号を日本にしたと思ったが? 中国の史書もいい加減なところあるからな
明書で記述されてる日本の戦国時代の描写もいい加減だぞ >>287
実は距離を信じるならわりと間違ってないというな >>314
使節なり使者は実際に来たと思う
途中の集落ごとに歓待を受けて、かなり余分な日数がかかったため、一月も要したのだろう
あるいは、正確な距離や支配領域の広さを知られないために、邪馬台国が故意にやった可能性もある >>269
稲作技術の視点から見ると稲作が始まる以前に、
通常は稗、粟、麦などの雑穀を栽培する焼畑農業
が起こり、その場合、タロイモ(田イモ、里芋)のような
根菜類まで含まれるかで分かれる。
朝鮮半島の場合、華北や東北地区(満州)の畑作、
遊牧の民が流入したが肉食の民だから稲作が
起こる可能性はなく、気候的にも稲種や稲作が華中
から北上することもない。
他方、畑作技術は華北から満州、朝鮮へと流れたことは
考古学上の通説である。
しかし、である。
朝鮮半島にはタロイモ栽培がない。
日本の縄文時代後期からの中心的な農耕は(陸)水稲と
タロイモのセットである。
そしてそれはラオスからベトナムからフィリピン
から環太平洋文明圏では普通の食習である。
しかし朝鮮半島には華北や中国東北地区由来の
農耕パターンしかなく、日本やそれら環太平洋の
地域とまったく違う。
台湾の山岳部では日本の銅鐸に描かれた脱穀の様子の
線刻画そのままの杵や臼で作業していて驚かされる。
朝鮮半島には、日本人が弥生初期(縄文終期)から好む水稲との
共用の根菜類の栽培が一切ないのである。
現在でも奄美や西日本で行われる根菜類の栽培がない。
東南アジアから台湾、日本からハワイまで見られる
南洋系の稲とタロイモのセットではない。
この違いは水稲の伝搬のルートの主流に大きな
影響を与えているはずであるし、日本人と韓国人
との文化の根本部分の違いとなっている。 >>207
現地に行ってみろ
東松浦半島内を南下して唐津から東に進むから
東南なんだよ
>>221
上陸後は500里(40km)で糸島市南東部の伊都国に丁度着くよ。
更に100里(8km)で奴国(福岡市早良区)
次いで100里(km)で不弥国(那珂川市、春日市)
に着く。 北部九州にあったら、その後短期間でそれを上回る軍事国家が近畿に誕生したことが説明できない
今でいえばアメリカがバックにいる東京政府が滅亡して、仙台が中心になるようなもんだ >>337
邪馬台国が倭国で最強最大の勢力とは限らないんだよ >>99
学会の闇を知らないんだな
一部の権力持ったじじいが近畿説を必死に唱えてるだけな
考古学に所属してる教授に聞いてみな 志賀島で発見された金印が本物であり、さらにそれが本当は糸島辺りにあった神社から盗まれた物という説が正しければ、糸島辺りに金印を授かるぐらいの国があったことになる
近畿では金印に相当するようなものって発見されているんだっけ?
俺は福岡の糸島近くの人間だから、ちょっとだけこの辺の歴史を知っているけど近畿のことは詳しくない >>341
糸島辺りに住んでるのなら
そこにどれだけの国が造れるか想像できるだろ
委奴国だけでも福岡一帯だったはずだよ
福岡一帯が委奴国と考えると志賀島から金印が出てきたとしても
不思議ではない >>341
宝物を遠く離れた神社に奉納するのは珍しくない
三種の神器のうち二種が都を遠く離れた神社にある 朝鮮半島での稲作遺跡が発見されて山東半島が日本の稲作の直接の起源という説は有力化しているよう。さらにぎょっとする事に山東半島が日本語の故郷だという説すら現れた。日本語の起源なんてそう簡単に分かるはずもないが、これらの説には大きな矛盾は無いってな感じ。 >>340
近畿じゃなかったら一生かけてやってきたことがムダになるわけだからな・・・
名声もすべてパー。
あのじじい共がいなくならないとなんも進まんよな ★《イネの伝搬 》 (日本と長江流域の稲作文化)
1 . 5000年前の湖南省の洞窟遺跡で陸稲発祥 が確認された
2. 5000年前の淅江省の河姆渡遺跡から 水稲栽培のコメが150トン出土 3. 更にその米を静岡大学でDNA分析をした結果、佐賀県の菜畑遺跡の炭化米のDNAと一致した
コメの渡来については、 すでに 縄文遺跡からのプラントオパールの検出によって縄文中期まで その可能性が指摘されていた
4. この菜畑遺跡の確認によって、 長江中流 ・下流域との人と 文化の移動・交流の結果として 熱帯ジャポニカの渡来が明確になった 日本の稲作の起源が山東半島、日本語の故郷も山東半島となるともはや縄文人の出番はなくDNAだけがわずかに残った、という所だろう。というわけで俺は縄文弥生関連には興味が無くなったわ。
嗚呼、さらば縄文人。コロナ&弥生人が来たりて彼らは去りぬ。(意味不明、小泉進次郎調) ◆最新の先端科学の検証結果
DNA的にも文化風習的にも、朝鮮半島は縄文人はもちろん
弥生人ともほとんど関係がありません
古墳時代に集団で日本周辺に漂着した逃亡半島難民はたくさんきたけど
難民キャンプ集落で隔離生活していたので日本人とは交雑する関係もなく
それ以上に列島弥生人は朝鮮人とは何の関係もありません
朝鮮半島人は水稲文化人じゃなくて肉食畑作文化人だからです
弥生人(パッチリ一重) = 列島弥生水稲倭人 ≠ 朝鮮半島人(肉食こうりゃん畑作人)
弥生人の出どころ = 稲作弥生文化人 = 長江流域〜華南〜越人中軸 水稲地帯が中心
古墳期以降の半島渡来難民(糸目一重の線目) = 朝鮮民族(肉食こうりゃん畑作人) ≠ 弥生人(水稲文化倭人)
というDNA調査結果 >>341
後漢書には金印をもらった倭奴国の位置について明確に倭国之極南界也と書いてある。
後漢の頃全部で百余国あった九州を倭国、その東を倭種とするなら、西暦57年頃倭奴国は倭国の南端、つまり九州最南端にあったことになる。
九州北端の志賀島や糸島にずっと金印があったわけではない。 >>342
糸島って半島を含めると結構広いのよね
海にも面している(近い)し、中国や朝鮮半島の人間と何らかの交易があってもおかしくない
小さい国(集落)がいくつかあったのか、大きいのが1つあったのか
小さい集落を束ねる1つの国があったのかも
博多湾は那珂川辺りまで砂浜だったらしいので、那珂川辺りにも中国や朝鮮との交易を持つ国があってもおかしくない
つまり糸島辺りの国と那珂川辺りの国がバチバチやっている可能性がある
当時、国どうしがバチバチやるのは距離的にこの程度でしょ
そう考えると、やっぱり福岡辺りに何かしら大きな国(中国の史書に書かれるぐらいの国)があったと考えてもおかしくはないと思う >>350
魏志倭人伝にも邪馬台国のある位置は会稽東治の東
つまり中国の会稽郡東冶県、現在でいうと福建省福州市の東と書いてる
その位置は沖縄とか台湾の辺りになる
魏志倭人伝に書いてある邪馬台国の行程は現実のものじゃあない 【日本人の歴史】
・3万年くらい前から日本列島へのスンダランド等からの複数ルートの流入で
Y染色体D1a2系、 D1b系の日本固有種の原日本人が発生
この基底構造が朝鮮半島から大陸北部と顕著な違いをなす
・6000年程前縄文海進の頃に半島南端部に移住する原日本人が少数発生
縄文土器が複数出土
・3千年ほど前から大陸に特徴的な東方の桃源郷思想や扶桑国志向の影響もあり多数の長江系稲作文明の
担い手であるY染色体O1bの弥生人とそれと若干混成された黄河系のY染色体O2が日本列島に入りY染色体D1bの
原日本人である縄文人と混血融合がすすみ現在まで続く日本人の鋳型といえる日本列島の倭人が発生
朝鮮半島は古代から海洋民族ではない大陸系民族で丸木舟の出土もなく済州道の女性以外は潜水漁法もなく
日本列島に顕著な海洋民族の存在は南端部以外にはいなかったと考えられている
・14世紀頃から北海道で原日本人である縄文系と倭人とバイカル湖アムール川系の一部が混ざって
アイヌが発生
その時代までには列島内で原日本人の血を引く縄文人や倭人とアイヌや琉球や熊襲や隼人など海洋系稲作民族
としての日本民族の原型が倭人や大和民族として完成
【韓国人の歴史】
1万年程前まで人が住んでいたが以後ほぼ無人になったが
大陸用北部の扶余系が次第に朝鮮半島全体に広がる
以後北方ツングース系のエベンキのY染色体C2が流入
黄河からY染色体O2が流入
長江からY染色体O1bも流入したが水稲に適した地域がなく日本列島へ移動
よって北方ツングース系のエベンキと扶余系とモンゴル人の混血が韓国人になる
⁂6000年程前から南端部の洛東江下流域に原日本人である縄文人や弥生倭人が
渡海し入植する(縄文土器や弥生土器が出土)
この集団が伽耶地域の中心勢力の一部をなすが白村江戦までにはに日本に帰還 >>340
こういう陰謀論を唱えてしまうのも5ちゃんねらーの特徴 >>352
俺が取り上げたのは後漢書と、金印を貰った倭奴国についてだよ。
邪馬台国の位置についてなんて何も書いちゃいない。
漢委奴國王の金印は九州最南端、つまり今の鹿児島辺りにあった国が貰ったもの。 漢の時代から伝統的に
倭国の王都は倭国の極南界にあるとされていた
魏志倭人伝もその伝統に則って邪馬台国を南1万2千里の遠い所に設定して書いたというだけ
なので魏志倭人伝を見て邪馬台国までの行程をどうこう言っても始まらず
考古学的な証拠で見たら魏で作られた銅鏡の出土や前方後円墳がある事などで
邪馬台国は畿内にあったとするのが定説 >>310
無知で有名なクラスターチョン馬鹿www >>355
当時の航海技術や測量技術、移動方法などを考えるとそれはちょっと厳しいような気がする >>355
漢から金印を貰ったのは奴国だよ
奴国は九州北部の博多あたりにあった旧名儺県(なのあがた)のこととされている
漢奴倭国王の金印が見つかった志賀島はその近く >>358,359
倭国の南端にある国に金印を贈ったと後漢書に書いてあるのは揺るぎようがない。 最近よく「三角縁神獣鏡は国産ではないか?」と考古学の研究が
発表されているが、この人らは考古学の良心よな >>356
いやだから当時の近畿って邪馬台国他色んな国々を包括出来る程発展してたのか
邪馬台国の下に狗奴国が有るけど近畿南部に考古遺物の観点からここが狗奴国だと
比定出来る場所でも有るのかって話 >>360
後漢時代の倭国の範囲が朝鮮半島南岸から北部九州地域だったんだよ
博多湾付近が倭国の極南界だったんだよ >>360
魏志倭人伝にも邪馬台国はかなり南にある国として書いてあるよ
会稽東治の東つまり現在の位置に直すと台湾のあたり
金印を貰ったと書いてある奴国は実際は九州北部の儺県
邪馬台国も実際は畿内
漢では朝貢に来る国は遠ければ遠いほど皇帝の徳が高い証とされてたから
金印をあげた奴国は倭国の最南端にある国ということにされた
魏でもそれを踏襲して
邪馬台国は畿内にあったけれども国境の帯方から南1万2千里の遠い国として魏志倭人伝に書かれた 邪馬台国は永遠の謎
これで色んな人が飯のタネにありつけるんだよw >>364
3世紀の出土品見る限りでは邪馬台国は畿内じゃないな。 >>360
だから現代の技術(航海・測量・移動方法)で考えてはダメなんだって
当時は地形を空から俯瞰できないので、国の南端というのは見える範囲若しくは言い伝えられている範囲と考えるのが妥当でしょ
「九州の南端は鹿児島だー!」というのは現在の我々は分かるけど、当時の人たちは目の前に見える山が南端(福岡で言えば油山とか)になると思う
距離に関しても「だいたいこんなもんだろ」というものだと思う
若しくは「白髪三千丈」の国なので、盛っている可能性もある >>366
伊都と志摩で糸島市だから伊都国の地名も残っている >>362
魏志倭人伝には邪馬台国の場所が会稽東治の東
つまり沖縄とか台湾になるあたりと書いてある
現実的な地理を反映していないので南に狗奴国があるというのも当然実際とは違う
そして考古学的な発掘では3重の環濠をもつ唐子鍵遺跡の存在や
卑弥呼の時代3世紀ごろから全長200m級の前方後円墳が存在した事がわかっている >>350
魏志倭人伝の奴国との整合性がつかないな >>367
畿内では魏で作られた当時の中国鏡が多数見つかってるよ
そして景初とか正始とかの魏の年号も入っている
景初や正始は魏志倭人伝に卑弥呼が魏に遣いを送った年度と書いている 書物に明記してあるのだから辰砂の産出する地域が邪馬台国に含まれている筈。
阿波の若杉山遺跡が辰砂の採掘遺跡ととしては著名ではあるが、
小規模な採掘遺構は西日本各地に存在するので、邪馬台国阿波説を支持するわけでは無い。 景初三年記銘 画文帯同向式神獣鏡
正始元年記銘 三角縁同向式神獣鏡
こういうのが近畿で見つかっている
景初三年や正始元年は西暦240年ぐらい
魏志倭人伝には卑弥呼が魏に遣いを送った年と書いている >>365
そうでもないんじゃないのかな
日田の鉄鏡が魏の最高の御物との評価を曹操高陵を発掘した学者から得たのは大きいと思うよ
これだけ三世紀の中国と密接な関係を伺わせるものは他ではない 考古学会や史学会ではとっくに邪馬台国は畿内の大和国で決着がついているのに
なぜ九州説は邪馬台国はどこにあるのかわからないと食い下がるのだろうか
一説によれば九州説の本を売ることによてt北朝鮮のミサイル打上げの資金にしているという >>375
全国各地から出土する後世に日本国内で作られた卑弥呼を記念する鏡だな
出土量も多すぎるし卑弥呼が貰った物ではないな。 まあでも、年号変わってもいても地方には伝達が遅れて・・・とか、古代にはまれにある話みたいではあるけど。 >>379
魏志倭人伝には書いてないけど
景初四年は改元の前の半年ぐらい使われてたらしい 九州北部〜関西または東海地域までが邪馬台国の影響下にあったんだろ
ただ、卑弥呼の時点での中心地は不明ってだけで >>380
卑弥呼は伊都国(糸島市南東部)に居たんだよ
これだけは断言出来る。 >>385
卑弥呼が居たのは邪馬台国で少なくとも伊都国ではないね >>384
3世紀に北部九州地域では鉄器が普及していたが
その他の地域では鉄が国産化されるまでは鉄器が普及していない
3世紀には北部九州地域と関西地域の交流は少なかったんだよ。 >>385
邪馬台国は各地の諸国の連合体なので、学問的には、卑弥呼が日本列島のどこに居ようが大きな問題じゃあ無いんだよね。 >>381
三角縁神獣鏡はSpring-8という蛍光分析器で含まれている不純物を調べたら
魏で作られた鏡と同じ成分が含まれていて魏鏡と判明
国内でコピーされた鏡もあるけれど
そして三角縁神獣鏡だけではなくて
魏の年号の入った画文帯神獣鏡も畿内で見つかっている >>388
邪馬台国は伊都国や奴国の南にあると書いてるよ
その場所は会稽東治の東つまり現代の位置に直すと沖縄や台湾のあたり >>385
九州北部には農耕集落があったのは間違いない(集落を表す言葉「原(バル)」「丸」が付いた地名が多い)ないんだけど、じゃあどこが邪馬台国?と言われても分からないと思う
吉野ヶ里にしても、唐津や糸島に船で着いてあの山を越える?(現在は道路があるので移動し易いが、三瀬峠など歩いて渡るのはたぶん無理)というのがある
俺は邪馬台国近畿説を否定しないが、北部九州のどこか(吉野ヶ里は無し)だと思う >>390
魏じゃなくて中国産の銅だろ
当時は国産の銅はないから全て中国産の銅だよ
見つかってるのは関西だけじゃないよ。 九州説のやつらは義務教育からやり直した方がいい
前提となる知識があまりにもお粗末
このスレの九州説で、高校生レベルの知識があるやつは一人もいない
いきなり高校の教科書読んでもチンプンカンプンだろうから、まずは義務教育からだ >>392
里数と日数は同じ行程を距離と時間で再度説明しただけ
邪馬台国は伊都国や奴国の南ではなく
邪馬台国は帯方郡の南なんだよ。 >>371
いやだから邪馬台国の尽きるところの南って書いてるじゃないか
それに当時の近畿には邪馬台国やら狗奴国やら伊都国やら諸々の国々が収まってたとする説得力が全く無い
どう見ても当時は九州の方が都会
それに倭人伝はどう見ても近畿まで行ってないだろ
あれで近畿だと言うなら当時の中国地方にあった勢力をスルーして支那人はいきなり近畿にワープしたのか 銅鏡の発掘された地は辰砂が採れる地とほぼ一致する
辰砂から水銀が採れる。銅鏡は水銀を塗って鏡になる(水銀メッキ)
銅鏡は上流階級の権威の象徴でもあり実用品でもあったはず
奈良の遺跡から銅鏡が多数発掘されているということは奈良でも辰砂が採れたということではなかろうか
辰砂あるとこに大集落(上流階級)あり 奈良に邪馬台国があっても別にいいじゃないか >>394
Spring-8で調べたら
国内で作られた銅製品は魏鏡の銅と成分が一致した三角縁神獣鏡と違って
複数の銅を混ぜて作られたという成分分析結果が出た >>397
魏使は伊都国に滞在してるから伊都国が最終目的地であり卑弥呼の都なんだよな。 >>376
アカデミックな話じゃないのよロマンの話
そこは切り分けないとw 魏志倭人伝の描写にある「倭国大乱」の痕跡がある同年代の遺跡は、九州の方にしかないんでしょ?
つまり集落に掘だの柵だのという戦闘用の備えがある遺跡がさ
邪馬台国がどこにあったのかは見当がつかんけど、あまり、そのブランドにこだわりすぎない方がいいんじゃないだろうか そんなことより、九州は今のところコロナ発生が少数で抑えられてる事に
ちょっとホッとしている。このまま慎重に過ごして発生しないように
がんばろう。邪馬台国はどうでもいいから。 >>376
日田から本当に出たのなら根拠になるが、実際は古物商の嘘八百に騙されただけ
出土場所が不明の鉄鏡 >>396
伊都国や奴国は邪馬台国より北にある国々と魏志倭人伝には書いてるよ
>>397
魏志倭人伝にはそもそも
邪馬台国の位置は会稽東治の東
現代の位置に直すと福建省福州市の東で沖縄とか台湾になる辺りと書いてる
つまり実際の位置は書かれてないということ
そして前方後円墳や
国内最大級の唐子鍵遺跡の存在
そして3世紀は畿内を中心にして新しい土器が全国に分布していく事などから
3世紀には倭国の中枢は畿内にあったとされている 今、コロナでそれどころじゃないんだ。埼玉でいいよ。 >>395
お前みたいなことを言う奴ってツマラナイのよ
現在残っている物や地学的行動的な物から推称していくのが面白いのであって、自分と違った考えなどを罵倒するものではない
このスレでもある人が立てた推論を別の事実からおかしいところを指摘する
決定的な証拠が出ない限りあれこれ考えることが楽しいの
他人の考えを否定するばかりでは楽しくない こんなご時世にシンポジウムって馬鹿かよ
ウェブ会議でやってろや 穴掘って満足してる奴は小田先生から「お前は接待の席で古墳お話だけしてろ。な」と言われるのが関の山 「銅鏡? ちゃうちゃう あれでお好み焼き焼いてたんやで」卑弥呼 >>403
魏の領地の徐州は古代から銅の産地で有名
多くの銅銭がそこで産出される銅で作られた
ちなみに三角縁神獣鏡にも銅出徐州、徐州産の銅で作ったという銘が入っている 金印は委(倭)の奴国じゃなくて委奴(いと)国だっていう説もあるよね
伊都国のいと? 二千年後、原宿遺跡から大量の銅鏡が発掘される
すわ、邪馬台国か?
(あれはクレープ焼く道具や 天の声) >>406
では狗奴国や一大率のいた伊都国や奴国や投馬国は何処にあったんだ Spring-8の事はウィキにも、材質が中国産と比定できても中国で制作されたものとは限らないと書いてあるやん
これをしれっと魏で作られたとか言ってしまうのはどうかと思う >>415
狗奴国は鹿児島で伊都国は糸島
奴国は那の津で博多あたり
投馬国は瀬戸内海の鞆の浦と解釈される事が多い 九州北部または近畿程度の領土で、金印貰えるとは思えんのだが? 邪馬台国に近いという投馬国が名前的に、九州薩摩か近畿の兵庫どちらも可能性があるのがまたややこしいのよな >>416
逆に中国の魏の銅材で作られた鏡が中国産じゃないケースなんてないと思うね
国内で作られた鏡は色んなところの銅を混ぜこぜにしたらしい分析結果が出るから >>412
こうやって息を吐くようにウソをつくのが畿内説論者
徐州刺史部で銅山があったのは徐州最南端の江都や儀徴のみで三国時代は呉の領土だ
魏側には存在しない
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 三国時代の、魏の領域になっている徐州に、銅を産出する地域は、ふくまれていたのか。西晋時代、東晋時代の徐州は、どの範囲をさすのか。
> すでに、1992年に、中国の考古学者、王仲殊氏は、参考文献を示し、かなりくわしく論じている。
中略
> 要するに、上にのべたように、三国時代には、彭城およびその付近では決して銅を産することはなかった。
> しかし、もし『銅出徐州』の銘文中の徐州が、いまの江蘇省の長江以北と山東省東南部の広大な地区をさしているならば、いまの揚州市付近の江都、
> 儀徴一帯には、古く銅鉱があり、漢代の初めに呉王の劉?が鋳銭したところと伝えられている
> 〔呉王劉?は漢高祖劉邦の兄の子で、呉地方に封建され、王国内の予章郡で銅山を開発して、銅銭を鋳造した。
http://yamatai.cside.com/katudou/image3/365-17.gif
> 王仲殊氏の文章中にみえる「江都」「儀徴」などは、後漢の時代、「徐州剌史部」の監督する地域内にはいっていた。
> この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
> 三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。 >>423
それ九州説がよく言うやつね
実際は曹操と劉備の徐州の戦いのあとで卑弥呼の時代に徐州は魏の領地
銅の産地が呉の領土だった事はないよ 九州説は大嘘をつくから学会で信用を失って学会は畿内説一色になった >>413
倭の奴の国王では、倭の中にある奴という国の国王だから2つの国があるのはおかしいという考え方だよね
だから「委奴(いと)国」の王だと
それだと糸島(伊都国)に合うと思う
金印を下賜するような国が糸島にあったのであれば、同程度の国が北部九州にあったと考えてもおかしくはないと思う
やっぱり邪馬台国は北部九州にあったのかなあ >>399
Spring-8もとっくの昔に金属考古学の専門家によって調査自体が無意味と否定されている
素人騙しのネタでしかない
http://arai-hist.jp/thesis/archeaology/yamataikoku/100.pdf
> 平成十六年五月、マスコミが一斉に泉屋博古館の発表をもとにして「卑弥呼の鏡、中国鏡と成分一致、製作地論争に新展開」と報じた。
> 興味ある内容であり、さっそく関連する詳細な報告書「Spring-8を利用した古代青銅鏡の放射光蛍光分析」1)を入手し一読して驚いた。
> すくなくとも、金属考古学を多少でも知る者にとっては、とても容認しがたい議論が展開されていた。
> すなわち、微量成分のアンチモンが錫原料からもたらされたと言う前提そのものが完全に間違っており、
> 当然のことながら、その前提から導かれた「三角縁神獣鏡は魏鏡」との結論も無意味のものであった。
中略
> たまたま、泉屋博古館の続報論文について、金属製錬史分野の第一人者である植田晃一氏とお話する機会があったが、
> 植田氏も泉屋博古館の主張について「実際を知らない愚論で、……こんな幼稚な論文が罷り通ったのでは、日本考古学の将来は真っ暗」
> とまで述べておられた。 >>424
それは徐州の北の方の話
徐州南部の銅産地はずっと呉の領土 >>417
那の津って今では博多港の一部だけど、鎌倉時代以前は砂浜だったので国や集落は出来ないと思う >>425
>>427のとおり嘘吐きは畿内説なんだよなぁw 委の奴国なのか委奴国なのか
金印の刻みを見ると漢で一行 委奴で一行 国王で一行
「委奴」なんだろうな >>427
ああ新井の金属考古学ね
科学的根拠が全くなくて誰にも相手にされてないから
>>428
それなら銅出徐州と彫ってある三角縁神獣鏡は呉鏡?
魏の年号が入ってたり素材が魏鏡と一緒で魏鏡の証拠が一杯あるんだけれど
>>429
博多の辺りの旧名は儺県(なのあがた) >>432
金属については金属考古学の学者である新井氏より詳しい学者は畿内説にいないだろw
そもそも今更Spring-8など持ち出さなくても、青銅に含まれる鉛同位体の比率はとっくの昔に研究されている
その結果、三角縁神獣鏡に使われている銅は魏の敵国だった呉の鄂州市の銅であり、魏の鏡じゃないともう分かってるんだよw
呉の銅を中原勢力が使えるようになるのは西晋が呉を滅ぼした280年以降で、卑弥呼はもう死んでる
■「西晋鏡」の鉛同位体比
> つぎに、「位至三公鏡」「双頭竜鳳文鏡」「蝙蝠鈕座長宜子孫銘内行花文鏡」「夔鳳鏡」など、おもに西晋時代に行なわれたとみられる鏡の、
> 鉛同位体比について考える。
> これらについては、もとのデータも、かかげておく(下の表参照)
>
> 下のグラフをみれば、いわゆる西晋鏡の鉛同位体比は、あきらかに、それ以前のものと違っている。
> http://yamatai.cside.com/katudou/image3/365-15.gif
> これらの鏡は、おもに、北部九州に分布しているにもかかわらず、つぎの時代に主流となる、「三角縁神獣鏡」の鉛同位体比の分布領域と、
> そうとうていど重なりあう。「三角縁神獣鏡」は、近畿を中心に分布する。
> これらの鏡には、中国南方、長江(揚子江流域)などの「南中国」系の銅が用いられていると判断される。
中略
> この江都、儀徴には、古く銅鉱があった。
> 三国時代には、「江都」「儀徴」などの地域は、呉の領域内にあった。
> 西暦280年に、その呉を滅ぼした西晋の時代には、この地域は、とうぜん、西晋の領域内にあった。
>
> したがって、この地域の銅は、北の洛陽にもってくることができた。「位至三公鏡」などの、いわゆる「西晋鏡」を、製造することができた。
> そして、前のグラフ(「西晋鏡」の鉛同位体比の分布)、をみれば、いわゆる「西晋鏡」の銅原料は、中国の長江下流域の浙江省の
> 黄岩五部鉱山の鉛鉱石のものに近いことがわかる。五部鉱山の鉛の測定値を中心とするような形で、「西晋鏡」の鉛同位体比の測定値が分布している。
> ところが、「三角縁神獣鏡」になると、長江の長江中流域の、鄂州市に近い、湖南省桃林鉱山の鉛鉱石の測定値に近づくものが多くなっている(下図参照)。
> http://yamatai.cside.com/katudou/image3/365-18.gif ちなみに畿内説が心の拠り所にしている紀年銘鏡も、銅の成分を測定すると異なる年号の鏡で同一ロットの銅が使われており
後の時代にまとめて作成したことが判明している
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ronnrinomichibiki/1hpkouennshuu-arai-hi-gikyousetsu2016-1-17.pdf
> (5)複製鏡の存在(紀年鏡の場合)
> 国内出土の「魏の紀年鏡」で鉛同位体比が判明しているものが、5種9面ある。表4には相互間の鉛同位体比の類似係数の関係を示す。
> これを見ると,同笵鏡でも鉛同位体比が大きく異なり、同時に鋳造したとは考えられないものがある
> 反面、年号の異なる鏡に鉛同位体比が一致していて、同時に鋳造した可能性を示すものがある。
> すなわち、
> Aグループ(正始元年森尾鏡、景初4年辰馬鏡、青龍3年大田南鏡、青龍3年個人蔵鏡)
> Bグループ(正始元年柴崎鏡、景初3年広峯鏡)
> であり、年号鏡を後の時代に纏めて製造していたことを示唆している 九州説が金属考古学とか鉛同位体とか言い出したら気をつけろ
新井という在日学者の大ボラ 九州では奴国の辺りが一番栄えてるから邪馬台国は九州では無いのだろうね >>436
反論できないから中傷だけして逃亡w
これが畿内説論者の正体だ >>375
江戸時代に作られたんじゃないかってくらい保存状態が良い鏡だよね
江戸時代と言えば、徳川幕府永続に邪魔になる古文書を水戸光圀が各地から集めまくって不審火で全部消失させて大日本史を編纂した時代だね >>395
ちゃんとした義務教育受けて論理的思考能力を得てたら近畿説のお粗末さに気づくだろw >>419
遠方から来て貢物に珍品が多かったんだからそれに報いるのが皇帝だろう 神獣鏡は形式も材料も魏の鏡じゃないからいまだに畿内とか言ってる人はよく勉強してね
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku356.htm
> 「三角縁神獸鏡」や「画文帯神獣鏡」の文様は、「南中国」の呉鏡系の文様であって、卑弥呼や台与が外交交渉をもった「北中国」の魏や、
> 西晋の鏡系統の文様ではない。また、鉛同位体比による分析でも、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、
> 「南中国」の銅が用いられているという結果が出ている。
> [平尾良光「青銅器の鉛同位体比−分析データをどう読むか−」(『考古資料大観 第6巻』小学館、2003年刊、所収)参照]。
>
> つまり、「三角縁神獣鏡」や「画文帯神獣鏡」は、文様も原料も「南中国」系のものが用いられているのである。王仲殊は、のべている。
> 「ここで注意すべきは、中国の平縁神獣鏡が、どの種類であれすべて南方の長江(揚子江)流域の製品であって、
> 北方の黄河流域のものでなかったことである。最盛期である三国時代のさまざま平縁神獣鏡を例にとると、それらは長江流域の呉鏡であって、
> 黄河流域の魏鏡ではない。」 >>441
そういえば、尾張の大須観音にある古事記の写本が最古のものらしいね。
尾張は尊皇派だったから、まさか書き換えてはいないと思うけど。 三角縁神獣鏡って未だに畿内説の重要根拠なのか?
中国で1枚も見つかっていないこの遺物は既に日本製作説のほうが主流だと思ったけど 岡山あたりなんだろ、実際は。
盛り上がらん答えだけどw 邪馬台国とか、存在自体が怪しい。
実在しないから無意味な論争になっているのだろう。 どっちでもいいわ。
はっきりして何か今後影響あるのか? >>447
10年くらい前に中国の洛陽で1面見つかってるよ
まあそもそも三角縁神獣鏡とほぼ同じの斜縁神獣鏡は中国で普通に見つかる
分類上少し違があるというだけ >>444
縁が斜めになってる鏡は魏鏡および北方の鏡の特徴
呉を始めとした南方の鏡は縁が平ら >>450
わいもそう思う
「邪馬台国」なんてのは多分なかった >>452
あれって怪しいおっさんが骨董市で見つけたとかいうやつでしょ
学術的価値0だよ >>444
材料も鏡の形式も呉のものなのか
じゃあ邪馬台国とは関係ないんだね >>455
畑から出土したのが骨董市に売られてたんだよ
出土した場所もわかってる
畿内でよく見つかる三角縁神獣鏡は魏からもらった鏡だった事の補強材料
まあそもそも三角縁神獣鏡と作りが同じの斜縁神獣鏡は
中国で普通に見つかってるんだけど 「邪馬台国」とか、おとぎ話の世界じゃん。
学者の想像の産物で実物とは掛け離れている。 九州説が三角縁神獣鏡は中国では1枚も見つかってないと言うのはウソ
洛陽で見つかってるし同じ作りの斜縁神獣鏡も中国で沢山出ている >>444
神獣鏡が呉鏡だなんてのは50年前の研究 >>460
神獣鏡が魏鏡なんて中国では誰も認めてない
日本ローカルの珍説 >>435
見方がよく分からんが、AグループBグループそれぞれの中で鉛同位体の数字が一致してるというが、
どこがどう一致してるか分からん
というか、一致してるようには見えん 吉野ケ里って大規模工業団地造成中に偶然見つかったんだよな
当初は調査済んだらさっさと埋め戻して工事再開の予定だったのに
全国から勝手に見物客が現場に押し寄せて長蛇の列が絶えなくなった
結局工事は中止になって代わりに遺跡中心の大規模公園作ったけど
今じゃ閑古鳥鳴いて持て余してるw 20世紀の終わりごろから中国各地で発掘が進み、神獣鏡も華北での出土が増えてきた
その結果、編年研究も進んで、年代を追って華北の鏡、江南の鏡と分離されて行ったことも分かってきた 鏡については畿内説有利というか発掘が進んで九州説のこれまでの論拠が次々に崩されてるね ざっくりではあるが、神獣鏡は種類ごとに分布地域も違っている
同向式神獣鏡は華北に、環状乳神獣鏡は華北にも江南にも、対置式神獣鏡や重列式神獣鏡は江南に多い いつもながら、ちゃんとソース出して話をしてるのは九州サイドだけだな
畿内サイドはいつもソース無しで口からデマカセ言って信用を失ってる >>469
近畿にしないと天皇の権威がイマイチになる 鉄を持ち巨大古墳を作る勢力が突然現れて地域を席巻したのが大和朝廷に繋がる一派だからなぁ。
どっかから来たとしか思えない。 >>1
【九州】九州人の43/44は渡来系朝鮮人だと国立遺伝子研究チームが解明した。
九州人、特に福岡、佐賀、長崎は先祖に多大な朝鮮人の血が混じっている事が多く、
現在でも近い身内に朝鮮人の血が混じっている人が多いそうです。
DNAを調べると日本古来のDNAとかけ離れていて、朝鮮系DNAに近いとのデータもあるようです。
そんなのが関係しているのか、九州では、特に福岡県などでは暴力団の抗争が絶えませんよね?
抗争といっても、テロ組織的な過剰で突撃的な抗争の仕方で日本中を震撼してますよね。
まさしく、これも朝鮮人の血筋も関係しているとネットでは騒がれていますね。
※朝鮮人の血と書きましたが、中国人の血も多い場合もありうる。
また、Google検索(グーグル)で、[九州]って検索すると、
[九州〜〜]と以下の検索予測ワードなどが沢山出てきます。
「九州人 特徴」、「九州人 性格」、「九州男児 特徴」、
「九州男児 性格」、「九州人 性格悪い」、「九州人 嫌い」、「九州人気質」
このような予測ワードが出てくるのは、全国的に見て九州だけです
1度遺伝子検査を受けてはどうですか?
ここの書き込みを見ていると、先祖に朝鮮人の遺伝子を持つ人が大半のように見受けられますが?
https://i.imgur.com/ZDOilxS.png
元動画
https://www.bannerkoubou.com/image_gif_animation/MLBJ59fYxwxfCrfeeUSn1577557309-1577557484.gif 吉野ヶ里遺跡ついこないだ行ってきた凄い良い場所だった子供遊ぶところが大きくて、ウサギもさわれたし 上の方で九州説の切り札的存在で新井の反論が貼り付けられてるが、
新井ってこういうことをやるやつだとよく認識した方がいい
https://i.imgur.com/TjIwg2k.jpg
「中国製が確実な漢6期7期鏡の領域」と「三角縁神獣鏡」の領域を比較して、重なってないから
三角縁神獣鏡は日本製という結論にしている
しかし、「中国製が確実な漢6期7期鏡の領域」とは、元々あった「漢6期7期鏡の領域」から
「三角縁神獣鏡と重なってる部分」を新井が勝手に除外して作った分布図である
都合の悪い部分を除外して、都合のいい部分だけを残したわけだ
こんな恣意的な分布図を作れば、どんな結論にも誘導できるわな >>466
妄想おつ
実際はこれまで舶載鏡とされていたものまで国産だったと分かって三角縁神獣鏡はオワコンになったんだがな
三角縁神獣鏡「魏鏡説」の著しい退潮
http://www.shmj.jp/tuushin/tuushin77.pdf
> しかし実際には、今世紀に入る頃から、魏鏡説は防戦一方に追い込まれていたのである。
> 従来、魏鏡説であれ国産鏡説であれ、銘文や文様など表面観察によるものが主体であったが、近年、鏡の製作方法や
> 内部組成の研究が大幅に進展したからである。
> 実は青銅鏡というものは、複製する方法がたくさんある。だから、表面観察だけで、その製作地を推定することなど不可能である。
> 特に、三角縁神獣鏡は日本から既に 560面も出土しているが、未だ中国からの確実な出土例がない。
> 大流行したのは確実に日本のみであり、流行地で複製鏡が製作された可能性が高いのである。
> その意味で注目すべきは、三角縁神獣鏡の 80%以上が同型鏡(同笵鏡)だという点である。
> 中国鏡にはほとんど同型鏡(同笵鏡)は見られないので、三角縁神獣鏡だけの特徴であり、いわば大量複製技術なのである。
> また、三角縁神獣鏡には表面に凸線キズという欠陥が認められるが、これも中国鏡にはない。
> 見かけは同じであっても、内部品質、特に組成は製作地によって異なるかもしれない。
> これらの点に関して、近年の大きな進展は、
> 1、中井一夫が、鏡のキサゲ加工から、青龍 3年鏡は踏返し鏡であることを論証したこと
> 2、鈴木勉が、2層式鋳型(粗い外型に細かい内型)を用いて、凸線キズの再現に成功したこと
> 3、新井宏が、鉛同位体比の研究から、異なる年号鏡を後にまとめて鋳造していることや同時期の中国鏡との比較で、
> 大部分が国産であることを論証したこと、などである。
>
> 王仲殊は最新の論文で、「日本の著名な金属考古学者新井宏氏が、三角縁神獣鏡に含まれる鉛同位体比率の測定に基づき、
> ……三角縁神獣鏡が中国の「魏鏡」ではなく、日本で製作されたことを確認」と称賛してくれた。
>
> さて、2015年になってからの進展。
> ひとつは、前出の鈴木勉が三角縁神獣鏡の鋳造後の補修痕を精密比較して、埋葬古墳毎に特徴が異なり、
> 鋳造地が古墳に近いところにあったとしたことである。もちろん、これは国産説に繋がる。
> もうひとつは、奈良県立橿原考古学研究所が年末に読売大ホールで開催した公開講演会「三角縁神獣鏡研究の最前線」で、
> 凸線キズの研究から、三角縁神獣鏡の「舶載鏡」が誰もが国産鏡と認める「仿製鏡」と、同一の鋳型(外型)で作られていたことを
> 明らかにしたことである。「舶載鏡」も国産であった。
>
> 筆者もこの講演会に招待されて参加したが、所長の菅谷文則は遠慮がちながら「国産説」と言う。
> しかし、発表者はなぜか歯切れが悪かった。
> あるいは、旧石器捏造事件のように、石器を埋める現場の撮影までしない限り、考古学界では「魏鏡説」が生き続けるのであろうか。 >>475
古代米作って秋に収穫祭とか芋掘り大会とかイベントも色々やってるよ
入園料高いけどw >>476
>「中国製が確実な漢6期7期鏡の領域」とは、元々あった「漢6期7期鏡の領域」から「三角縁神獣鏡と重なってる部分」を新井が勝手に除外して作った分布図である
そのソースは?
まったくデマと中傷だけに命をかける畿内厨らしいクズっぷりだな https://i.imgur.com/ZDOilxS.png
これ逆に倭国からも半島に進出していないと韓国人がこの位置にズレないよね? >>477
20年は前の説
Spring-8で調べたら三角縁神獣鏡の銅は中国の魏鏡と同じ不純物が含まれている事がわかって
国産鏡説がオワコン
九州説から学者が一斉に逃げ出して現在の学会は畿内説のみ >>479
岡村編年で漢鏡6期7期の分布図がこれ
https://i.imgur.com/lLyXyLV.jpg
ここからBの領域の右半分を除外したのが新井の分布図
『中国製が確実な』漢6期7期鏡の領域と呼んでるようだw これどう?
元から魏志倭人伝の記述通りの遺跡やったんやろ? その一番大事な中心部の上に神社あったから今まで掘れなかったと
吉野ケ里遺跡の未調査区域 「弥生後期の王の墓」期待
https://www.nishinippon.co.jp/sp/item/n/520910/
>日吉神社周辺の土地は吉野ケ里歴史公園の中心部に位置し、面積は4209平方メートル。神社があることから、これまで発掘対象になっていなかった。
>2022年度にも発掘に着手する。
>日吉神社から約150メートルの北墳丘墓は弥生中期のころに歴代の王が埋葬されたとみられ、
>吉野ケ里の集落が最も栄えたとされる弥生後期の王の墓はいまだ見つかっていない。 >>481
向こうに年号を入れる習慣ないから国産ってやつ? 当然原材料をどっかから調達したから何が混ざってても別に関係ないのでは? >>479
おまえも答えてくれよ
紀年銘鏡の鉛同位体比の数字はどこがどう一致してるんだ? 画文帯神獣鏡を始め平縁の神獣鏡は日本でも出土するが、同向式神獣鏡と環状乳神獣鏡が7割以上を占める
華北で作られたものが多いのは当たり前の話だが >>483
へー、あの神社周辺いよいよ掘るのか、なんか出てくれば面白いな
吉野ケ里も今やすっかり閑散としてるし、ここらで起爆剤欲しいところ >>483
>元から魏志倭人伝の記述通りの遺跡やったんやろ?
まったく似ていない
卑弥呼の宮殿には従者1000人が仕えると書かれている
しかし吉野ヶ里にはそんなスペースはない
小さ過ぎる
吉野ヶ里は地方の小豪族の居所
こんなの最初から分かってたが、都合が悪い部分を伏せて宣伝してただけ >>474
南関東などの中央軸が特に朝鮮人に近い、顔を見れば分かるがな
中央軸(弥生系が多い)
東京、神奈川、千葉、埼玉、兵庫、大阪、静岡、愛知、福岡、京都、宮城
https://i.imgur.com/MppWr3C.png
ゲノムDNAでさぐる日本列島人の由来(斉藤) 交詢雑誌2019年11月搭載
二年前に出しました本では、四国の位置がよくわからないので、四国はちょっとやめて、簡単に言いますと、山陽新幹線と東海道進化を結んだところと考えてください。
それが中央軸。今でも渡来が続いております。その他は周辺部です。したがって、出雲も東北も南九州も四国もみんな周辺部分であるということになります。
これは共同研究をしておりますジェネシスヘルスケア社から提供を受けた日本人一万五千人を調べた結果ですが、
四十七都道府県のミトコンドリアDNAのハプロタイプの頻度を基にして調べたところ、驚いたことに、まさに今私が地図で言いました周辺部分が右に行きました。
鳥取、私は福井ですが、福井も田舎の県です。おとなりは島根です。島根と沖縄は近いんですよ。それから上に高知、山形、熊本、大分。もう北、南、入り乱れております。
そして、左のほうには中央軸で、東京、神奈川、千葉、埼玉、兵庫、大阪、静岡、愛知、福岡、京都、宮城と、これも東西関係なく集中しております。 >>482
だからその右半分って三角縁神獣鏡だろ
三角縁神獣鏡とそれ以外を比較するなら除外して当然
ただの言いがかりだね >>481
そのデマはとっくに>>427と>>433で論破されてる
何度同じデマを流す気だよ
そんなんだから畿内説はゴッドハンダー畿内って呼ばれてるんだぞ >>488
吉野ヶ里は邪馬台国だとは思わないが、それでも唐古・鍵遺跡よりは大きいんだがなw >>492
まあ普通になかったろうな。
自分の国に「邪」なんて文字を使う馬鹿がいたとは思えない。
もちろん自国の女王に「卑」なんて字を使うのも重度のキチガイだけだ。 >>490
漢鏡6期7期と書かれているだろが
くだらんレスすんな >>485
類似指数が0に近いほど成分が似ているということ
グループ内の鏡は類似指数が0.1より小さく極めて成分が近い こんなの品物が多く出たとこがそうだろ
やれ何万年前の物だーとかわけわからん断定してる分際で邪馬台国の所在地がわからないとかアホ過ぎるだろ
もう分かってるけどその場所だと困る理由があるんじゃないの? >>496
じゃ、舶載であることが確実とは言えない鏡だっただけだな
いずれにせよ新井氏が恣意的に除外したというソースがなければ素人のお前がトンチンカンな言いがかりをつけているだけ >>480
だって未開の地だった朝鮮半島は南部を倭人が開拓して百済新羅任那とかは倭人が治める倭人の国だったしな
そこに北方から来た今のチョンのルーツである不潔で野蛮な穢れた民族に新羅を泥棒され男は皆殺し女は強姦され近親交配も加わり今の火病持ち朝鮮土人がいる >>470
そもそも九州説の発端が、大和朝廷の先祖が朝貢していたのは具合が悪いので、魏に朝貢していたのは、
当時九州に有った、今の大和朝廷とは直接つながりの無い、別の国であるってことにしようっていう、
学問とはかけ離れた不純な動機からだからな。 >>363
後漢の頃、北九州だけで百余国あって戦争してたら、北九州は壊滅的ダメージを負ってるな。
>>372
魏志倭人伝の中には奴国ではなく「狗奴国」って国があったろ?
今使譯所通三十國
魏志倭人伝では、後漢の頃倭国は百余国あったが、魏の頃「交流」があるのは三十国だとある。
交流が有るのはと書いてるわけだから、残り七十国は交流が無いだけで、消滅したわけではない。
倭国大乱で北九州百余国が三十国に併呑されたのではなく、九州百余国から北九州三十国が分離独立したという事だ。
だから南の狗奴国は女王と和せずで、再侵攻を受けて戦争状態になってたという事だ。 >>457
誰かが日本から持ち込んだろう、現代なら飛行機であっと言う間に着くからな。
>>477、>>481
畿内説の人は嘘吐きだな。
神の手かw >>474
在日韓国人や帰化も含まれちゃう!
『反日種族主義』の概要
[ 嘘をつく国民 ]
・2014年だけで偽証罪で起訴されたのが1400人
・日本の172倍、 人口で考えると430倍
・詐欺総額は4兆5000億ウォン(4000億円規模)と推測されアメリカの100倍と報じる新聞も
・人が人を信用しない社会で訴訟が入り乱れ民事訴訟の件数は世界最高クラス
[嘘を付く政治、社会]
・政治が嘘付きの模範となっている
・嘘で選挙情勢などが変わることも
[嘘つきの学問]
・政治が嘘を利用するようになったのは学問に一番の責任がある
・大学が嘘の製造工場である。 韓国の歴史学は嘘を列挙すればきりがない
・韓国人一般の通念である日本軍が慰安婦を引っ張っていったなどは真っ赤な嘘
・それらしき学術で歴史学の嘘が固められている
・朝鮮王国を日本に売り渡し滅ぼしたのは高宗であるが開明君主として崇められている
[嘘の裁判]
・嘘の文化が裁判にまで 蔓延している
・嘘の学問が嘘の歴史を作りその歴史教育を信じた人が裁判官になっている
・嘘の裁判結果が出るのも当然と言える
・日本の朝鮮支配が非合法とする前提自体が 間違っているので 裁判結果もでたらめになる
・真実かどうか分からないことを調査もせずに 結論付けている < 反日種族主義 >
価格: 1760円
発売: 2019年11月14日
ジャンル:ノンフィクション
販売元:文藝春秋
著者:李 栄薫(イ・ヨンフン)
「反日種族主義」はソウル大学経済学名誉教授である李 栄薫(イ・ヨンフン)氏らが書いた著書です。
韓国では珍しく「慰安婦は性奴隷ではなかった」「労働者の強制連行はなかった」とする日本寄り主張の内容の書籍となっていますが、本質はそこではなく韓国社会にはびこる嘘を問題視する書籍と言えます。
韓国では特に日本関連になると、感情が優先され嘘が多い。そのため、日本関連の考察に対する嘘を
引き合いに出して韓国社会の問題点を指摘しているということです。
すなわち著者は特に親日ということでもありません。 ただただ韓国にはびこる嘘を憂い、韓国の未来を
真剣に考えているということです。 普通に考えたら、三輪山のふもと。
奈良県桜井市だな。 在日韓国人の誣告や提示や書き込みや動画って
わかりやすい嘘つき民族だな
「反日種族主義」の内容通りで(゚^Д^゚)゚。 ギャハハ
在日韓国人のなりすまし誣告って国際的にも話題だよね 在日隣国人には気の毒なんだよね
Y染色体D系という染色体グループは
アイヌや沖縄を中心とした日本人に顕著で
他にチベットとインドの孤島にしか頻出
しない事が科学的に明らかになっている
特に現代の朝鮮半島人は数万年前に日本人とはDNA的に隔絶している
在日隣国人は『反日種族主義』で断定されているように嘘吐きというだけじゃなくて
本当に無知が過ぎる
当時の日本の法律では朝鮮半島からの渡来は朝鮮蕃族扱い
つまり隣『国』扱いではない
しかも大半が大陸勢力に蹂躙される中での逃亡難民
済州島4.3事件や朝鮮戦争時など昔から歴史は繰り返す
日本にとっては迷惑な半島難民
普通の反日だけにととまらずアイヌや沖縄の分断活動までやって
異常すぎる
やめてくれないかな 鴨緑江越えして朝鮮半島になだれこんでくる大陸勢力の侵略や蹂躙によってDNAが劇的に塗り替えられたのは弥生末期〜古墳時代の朝鮮半島
日本の場合は関西の古豪は韓地遠征のたびに戦利俘囚を半島から連れ帰って 私有民して管理していた時代で
半島諸族の半島民は集落単位で朝廷による管理指定居住だから日本人との雑婚もほとんどなかった ★日夜隙あらばデタラメの噓を流そうとするクラスターチョンw
しかしコトゴトク日本の学校で勉強した日本人にやっつけられるw
304名無しさん@1周年 2019/12/08(日) 19:11:28.59ID:AGGczja90
太古日本列島に馬はいませんでした。
半島と日本が地続きだった時代、朝鮮民族が馬に乗って渡来し、原始的な生活を送っていた
日本人に稲作など文化を与えたのです。
https://twitter.com/syannhai1?lang=ja
934名無しさん@1周年2019/12/02(月) 20:46:09.19 ID:iXWN4iIh0
江上の騎馬民族説は空想が土台になっていて
考古学的にも人類学的にも全く実証性がないもので
現在では盲説扱いとなっている
だが在日コリアンはその盲説をカルト教義のように信じたいので
こういう記事を書いたりするのだろう
彼らには客観的事実や科学的根拠は通用しないようだ
♦♦日本の超一流学者 ♦♦
・田辺昭三
この説はこれが提唱された時代の要請の中で生まれた産物。
・佐原真
かつて、騎馬民族征服説という仮説がありました。
騎馬民族の王侯貴族が組織的な騎馬軍団を率いて
日本にやってきて征服王朝をたてるということはなかった。
人びとの心の奥底では、日本が朝鮮半島や中国などに
対して近い過去に行ってきたことの償いの役割を、果たした
のかもしれない。
・岡田英弘
完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。
江上波夫が創作した、 新しい神話。
騎馬民族説には何の根拠もないですよ、あれは全くの空想。
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 朝鮮人も人間のはずなんだけどねえ・・・・
まともな人間が心ある在日朝鮮人がいるなら在日や韓国のウソに声を挙げたり今までのウソの総括でもしたらどうよ?
反日種族主義
https://www.sankei.com/smp/world/news/191123/wor1911230005-s1.html 『反日種族主義 日韓危機の根源』単行本 (ソフトカバー)
2019/11/14〜 現在50万部目前! 売り切れ御免!
≪絶賛発売中 200万部販売予測!!≫
コロナ有休を使って読書しましょう!
韓国を震撼させたベストセラー、日本語版がついに登場!
緊迫する日韓関係の中で、韓国で一冊の本が大きな話題を呼んでいる。
6月の刊行以来、10万部のベストセラーとなっている『反日種族主義』は、
元ソウル大教授、現・李承晩学堂校長の李栄薫(イ・ヨンフン)氏が中心と
なり、 現状に危機感をもつ学者やジャーナリストが結集。 慰安婦問題、
徴用工問題、竹島問題などを実証的な歴史研究に基づいて論証、韓国
にはびこる『嘘の歴史』を指摘する。
本書がいわゆる嫌韓本とは一線を画すのは、経済史学などの専門家が
一次資料にあたり、自らの良心に従って、事実を検証した結果をまと
めたものであるということだ。
その結果、歴史問題の様々な点で、韓国の大勢を占めてきた歴史認識
には大きな嘘があったことが明らかにされている。そしてそうした嘘に
基づいた教育が何年も積み重ねられた結果、韓国の人々の多くは誤った
歴史認識を正しいものと信じ込み、反日に駆られている。
民族主義というより、意見の合わないものを力ずくでも排除する非寛容な
「種族主義」が韓国には蔓延しており、それが日韓の関係を危機に陥らせ
ている根源なのである。
本書は大韓民国を愛する学者たちによる、憂国の書だ。
目次
はじめに
プロローグ 『 嘘の国 』
第1部 種族主義の記憶
1 荒唐無稽『アリラン』
2 片手にピストルを、片方に測量器を
3 食糧を収奪したって?
4 日本の植民地支配方式
5 「強制動員」の神話
6 果たして「強制労働」、「奴隷労働」だったのか
7 朝鮮人賃金差別の虚構性
8 陸軍特別志願兵、彼らは誰なのか!
9 もともと請求するものなどなかった――請求権協定の真実
10 厚顔無恥で愚かな韓日会談決死反対
第2部 種族主義の象徴と幻想
11 白頭山神話の内幕
12 独島、反日種族主義の最高象徴
13 鉄杭神話の真実
14 旧総督府庁舎の解体――大韓民国の歴史を消す
15 親日清算という詐欺劇
16 ネバー ・エンディング・ストーリー ――「賠償!賠償!賠償!」
17 反日種族主義の神学
第3部 種族主義の牙城、慰安婦
18 我々の中の慰安婦
19 公娼制の成立と文化
20 日本軍慰安婦問題の真実
21 解放後の40余年間、慰安婦問題は存在しなかった
22 韓日関係が破綻するように
エピローグ 『反日種族主義の報い』 「嫌韓」「反韓」ってウィキペディアの項目がちゃんとあるからおもしろいw
>イギリス
韓国はW杯開催してはいけない馬鹿な国[225]」
フランス
「よく嘘をつく韓国人」
イタリア
サッカーのコッパ・イタリア決勝式典に韓国人歌手のPSYが登場し「江南スタイル」を熱唱したところ、
観客から激しいブーイングや口笛(欧州諸国では野次に相当)チームの応援歌を歌われたり、爆竹を鳴らされるなどの邪魔をされた
・・・・・・・・・
サッカー専門家によるとイタリアは2002年の日韓W杯での韓国の行為を忘れておらず、
イタリア人にとって「韓国は忌まわしき国以外の何物でもない」からであると伝えられている。
この件について韓国は「人種差別的なブーイングだ」「観客のマナーが悪い」などと
ドイツも、世界一韓国嫌いな国といわれている[229]。
その理由として、2002年の日韓ワールドカップで韓国サポーターが「ヒトラーの子孫たちは去れ」と横断幕を張った、
2012年のロンドン五輪でもドイツのフェンシング選手のウェブサイトにサイバーテロをしたことなどのほか、
1960年代には当時の西ドイツが、また1990年代のアジア通貨危機ではドイツ統一間もない時期にも関わらず韓国を経済支援したものの、
現在では韓国企業がドイツの輸出業の脅威になっていることが恩を仇で返されたとして見られていることなどが挙げられている あらためてグーグルマップで日本のまわりを見てみたけど、竹島は日本に近いね。
改めて地図を見たけど、例えば竹島が韓国のものなんてホントに無理筋だよ。
そもそも古代から韓民族は海が苦手で泳げないくて丸木舟も出ないんだってね。
感覚的に膿に強い人達なら朝鮮半島南部に攻め込めるけど、文献記録にも海がダメダメの
韓国人がなんで?って思うもん。
日本人はお人好しすぎる。
信長とか秀吉とか朝鮮攻めるというのも自然に思えるよ。
わざわざ農耕や水耕ができない寒い朝鮮半島に攻めに行くのはちょっとバカだと思うけど。 所在地ありきの議論はアカデミズムの欠片もない
ただの宗教 元素の分析で鏡が魏から来たものだと決めつけることは論理が飛躍している。
銅の物質としての材料は魏だとしても、それを鋳直して国内で鏡を作った
可能性は否定できないからだ。銅をどのような形で手にいれてたかはわからない。
もしかすると中国銭を鋳つぶして鏡にしたかな? >>515
邪馬台国の都の伊都国の東、日向峠から神武は東征へ出発してる
神武のモデルとなった人物は実在したんだろうな。 >>502
ていうか、普通に記紀を読んだら九州の勢力が近畿まで
移動してきたって解釈するのが当然だと思うけど。 >>522
魏領内では銅が産出しなかったから魏鏡の材料は
色々な古い銅製品をリサイクルしたものでこれが魏鏡の材料だと特定できないよな。 >>523
まあ崇神=神武で、崇神のモデルが実在したとは思う。 3世紀の鉄製品の出土量をみれば北部九州地域が他の地域を圧倒している
北部九州地域以外に邪馬台国の所在地は考えられないんだよな >>236
整備されてない日本の陸地なんて山道を進むのと変わらんだろ 神武天皇の軍より長髄彦の軍の方が強かったっぽい。(´・ω・`) >>524
うん、だから、魏に朝貢していたのは、大和朝廷と直接的なつながりの無い国、に無理にでっち上げようとしたせいで、
いろいろ矛盾ができてしまった。 九州とか近畿とか言う前に、そもそも邪馬台国自体は存在してたのか? どこにあったか永遠にわからないほうが良いなと古代史研究家は思ってんじゃないかってくらい、
いつまで論争続けてるんだお前らw 邪馬台国がどこにあったか、大国かどうか、
卑弥呼が大女王かどうかなんて
わからんが、卑弥呼が名前ではなく
役職だろうなとは思う。
仲の悪かった狗奴国の王が卑弥弓呼、
男女の違いもあるのにここまで漢字被りは
しないだろ。 7世紀から20世紀までは皇国史観で何も問題が無かったせいやろ 邪馬台国は大陸からの移住組が作った国で九州説が正しいと思う
畿内は和という別の豪族の集まりじゃないのかな >>523
日向は日向峠ではなく、日向国の事だぞ。
神武東征のルートを読んだことないの?
日向峠からわざわざ豊予海峡まで船で南下し、Uターンして宇佐と遠賀川経由で行くわけがない。
そもそも瓊瓊杵命が高千穂に降り立った後、居を構えたのは吾田長屋笠狹之碕。
つまり現在で言う鹿児島県南さつま市だ。
日本書紀の本文だけでなく、一書にも同様の記述がある。
また瓊瓊杵命の妻の名前は木花之開耶姫がメジャーだが、他に鹿葦津姫や吾田鹿葦津姫、神吾田津姫と、吾田の地名が混ざる名前がある。
吾田とは、鹿児島県西部の古い地名。
ちなみに古事記でも瓊瓊杵命の妻の名前は神阿多都比売
鹿児島県西部の土着国津神の娘。 >>540
速吸門は豊予海峡ではない説もないこともない 〜邪馬台国多数説(たくさんあった説)〜
土地土地の時代時代の支配勢力は常に邪馬台国を名乗るのが古代の流行だった!
これでよくね?
あとは「最強極悪邪馬台国はこれだ!」「この邪馬台国がエロい!」とかで争えばいいじゃん もう一つ
筑紫の日向の解釈を筑紫国の日向峠とするのがそもそもの間違い。
日本列島はいくつかの島でできているが、古くは大八州と言う区分があった。
その中で九州そのものを筑紫州、筑紫島と呼んでた訳だから、筑紫と書いてあるからと言って、即筑紫国と考えるのは早合点。
前後の文脈から、筑紫が筑紫州の事なのか、筑紫国の事なのか読み解く必要がある。
540に書いたとおり、瓊瓊杵命や神武東征に関わる筑紫は筑紫国の事ではなく、筑紫州の日向国と読み解くのが自然。 >>535
漢字は中国側があてただけだろ
そうじゃないと邪とか卑とかの悪い漢字使うはずない >>541
豊予海峡でないとしても、宇佐に行って、遠賀川河口を経由してる時点で北上してる矛盾も残る。
内陸部にある日向峠から速吸之門に船で漕ぎ出すことも不可能。
日向峠はルート的矛盾が酷すぎる。 学界の主流、定説は近畿だからな
九州はネタで生き残ってるだけ 東博の出雲大和展中止直前に行ってきたけどなかなかよかった。
卑弥呼くらいの時代って結構文明的には進んでいたのだな そもそも畿内説は邪馬台国に関連する出土品無し
魏志倭人伝にも日本書紀にも矛盾するような仮説ばかり
倭国では3世紀初頭に大飢饉が発生し多くの人が半島に避難している
畿内からも北部九州を経由して半島へ避難した人も居たであろう
そのスキに纏向は東海政権の古墳霊園にされちまったんだよ >>545
速吸門は関門海峡だろうね
宇佐と遠賀川河口は順番を入れ替えたんだろうな。 宇佐って瀬戸内航路だと遣唐使くらいの時代も潮の関係で必ず立ち寄った中継地点なんだよな >>548
関係ないはずの畿内の倭人が北九州経由で半島に避難という矛盾をなんとかしてよ。
関係ない、よく分かりもしない倭種が侵入してきて、勝手に船で漕ぎ出してましたって、馬鹿馬鹿しくならん? >>548
畿内から魏志倭人伝に記載された物が出土しなかったからといって、邪馬台国が畿内に無かったと直結するのは短絡的すぎる。
そんなのは幾らでも説明付けられるんだよ。 >>549
順番を入れ替えれば
日向峠、遠賀川河口、関門海峡、宇佐の順になるんだが?
もう無理すんな >>553
それが元の順番だろうな
日向を宮崎に変えたんで順番を変えたんだ
宮崎から関西に向かうのに遠賀川河口とか行く必要もないし
関門海峡の記述もないとおかしい。 >>552
その逆はもはや妄想だろ
自分で何言ってるかわかってるのか?
頭おかしい? >>539
移住者と土着者が融合したんだよ。
記紀では、天津神と国津神と言ってるがね。
邪馬台国は天津神と国津神の連合国家。 >>557
貴方は畿内から、絹や鉄があまり出土しないからと言って、邪馬台国では無いと言いたいのだろうか?
実は、畿内論者はそうは取らない。
君とは根本的な考え方が間違ってるんだよ。 >>555
順番を変えられたに違いない!
ってのは陰謀史観っつて、一番やっちゃいけない事なんだよ?
証拠不要、証明不要で好きなだけ好きなように言えばいいからな。
東遷説が矛盾だらけで、全部陰謀で片すしか無い代物ってよく分かるやろ >>556
飢饉で逃げ出して、古墳を作る余裕なんてあるんだ。 >>557
魏使は、邪馬台国の本拠地である畿内には入っていない。
邪馬台国の出先機関である九州北部までしか来ていない。
だから九州北部の習俗を記録した。
なので、出土品と魏志倭人伝は一致するのは当然。
例えばだ、上野動物園の入口まで来て、パンダを見れなかったら、パンダの詳細は語れないだろ?入口付近の情報しか得られないんだよ。 神武天皇以前の大和の豪族は母系継承だったらしいから、ある意味平和に乗っ取る事が出来たのかもね。(´・ω・`) 3世紀の中国の歴史書「魏志東夷伝弁辰条(ぎしとういでんべんしんのじょう)」には、
朝鮮半島南部の地域に鉄が多く出て、「韓、注意1(ワイ)、倭みなしたがってこれをとる。
諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし」と記されています。
鉄を求めて、弥生人がさかんに朝鮮半島南部に出かけていった様子が描かれています。
弥生時代の鉄器出土量
https://i.imgur.com/eRF3Zza.png
当時の奈良にはまだ鉄器文明が到来していませんでした 宮崎は古代からひむかって呼ばれてた。
ひみこじゃん。 >>480
怪しい怪しい科学的根拠ゼロのNHKの『サイエンスZERO』ですね
解説の篠田謙一がフリップの「現代日本人」の位置を「ここにこないといけない」言いながら「韓国人」に移動させてわざとくっつけてるんですね
しかも篠田は「ミトコンドリアDNA」の分析結果だけを根拠に番組で持論を展開していた
こういう作意的な妄想をソースにネットでコピペするクラスターチョン 奈良盆地は空地だったので半島人が余裕で占拠
産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。 現代に残る名残り
湿潤耳垢:縄文系(中国南方系含む)
乾燥耳垢:半島系(ツングースク系≒朝鮮人)
https://i.imgur.com/VqqGojH.png >>566
ひみこは日本語の意味通り漢字をあてると「日巫女」なんじゃなかろうか? >>563
残された記録に該当しない出土品ばかり並べて邪馬台国だと言い張る畿内説は明らかに池沼だろ >>563
南宋や元の時代ですら中国の認識は日本≒福岡近辺という認識だったようで
元から来ていたスパイが倭国は豊かな農地も金銀財宝もないから侵攻しても仕方ないと本国に送った書状が残ってたような >>572
黄金の国ジパングと思われなくて助かったな。 後漢時代の倭奴国は100国あったが魏の時代の倭国はわずか30国。
中国との関係維持を重視したのが九州邪馬台国であり、独立政権を目指したのが畿内。
それらが倭国大乱によって分裂したんだろうよ。
実際に纏向遺跡では北部九州や大陸との関連性を示すものは出土しない。
それどころか出土した木製仮面なんてのは縄文系の文化だ。 >>565
一応、奈良県の唐古・鍵遺跡からは鉄も出てるんだがな。 >>574
その時代に「独立政権を目指す」
という概念はまだないでしょ。
せいぜい、自分たちだけでやっていけるぐらい。 >>574
九州北部の女王国は、わずか三十国の連合だし、南の狗奴国からも攻められてる。
こんな状況だから魏に使いを出して、援助や権威付けを図ったんだろう。
占いオババや次の占い少女で強国足り得るわけもない。
ゲームの三国志じゃあるまいし、幻術で戦えるはずもないからな。 古代 海中に没した帝国がこの国にあった。
南紀 空母信濃が眠る海溝にそれはある。
それは広大な陸地であった
消えた邪馬台国はそこに 後漢書によれば、畿内というか九州女王国の東は全部拘奴国 最初は九州で、それから奈良まで、鉄加工のため、森林伐採しながら、移動して行った説が有力じゃないの? 拘奴国は移動なんかしてないだろうな、最初から畿内にいたんだろう >>576
「独立政権を目指す」じゃなくて外界から孤立してただけだよな。 >>565
はいはい、いつもの鉄デマのコピペ
嘘で騙すことを目的にやってる確信犯 >>582
時系列的には、後漢書→魏志だから、畿内→南九州に移動してないとおかしい >>567
http://yaponesian.org/content/files/Yaponesian_Vol_0_No_0.pdf
https://i.imgur.com/6aEv9XK.jpg
祖父母が4名ともその地域出身である方で、この研究に協力していただける方から、
インフォームドコンセントを得てDNA試料を提供していただきます。 2019年〜2022年
全国50地域 各50名
(出雲市・枕崎市) はすでにDNA検査が終了し、 (沖縄県5地域と能登地域) はすでにDNA試料が集まっています。
領域代表 斎藤 成也 (国立遺伝学研究所 集団遺伝研究部門 教授)
計画研究 A01班 (現代人ゲノムの決定と解析)
研究代表者 斎藤 成也
計画研究 A02班 (古代人ゲノムの決定と解析)
研究代表者 篠田 謙一 (国立科学博物館 副館長)
計画研究 A03班 (動植物ゲノムの決定と解析)
研究代表者 鈴木 仁 (北海道大学 地球環境科学研究院 教授)
計画研究 B01班 (自然科学的手法による年代測定を含む考古学的解析)
研究代表者 藤尾 慎一郎 (国立歴史民俗博物館 教授)
計画研究 B02班 (日本語・琉球語の方言解析と東ユーラシア全体の言語解析)
研究代表者 遠藤光暁 (青山学院大学 経済学部 教授)
計画研究 B03班 (ゲノム配列からの人口変動推定と大規模ゲノム解析法の開発)
研究代表者 長田 直樹 (北海道大学 情報科学研究科 教授) 一国の勢力が現代の市並の時代に近畿から九州までを支配する大きな王国があったとは思えないな
だから畿内説より九州説の方がしっくりくる
海を超えた東に更に別の倭人の国があるという記述も九州説に合う 魏志倭人伝を信じるなら、海の上にあったんじゃね?
俺は信じないから、邪馬台国は創作だと思ってる >>575
>>585
九州との交易で僅かに手に入れてた貴重な鉄製品なんだよな。 >宇佐神宮の真ん中の本殿が卑弥呼の墓だよ
墓の上に本殿が建ってるんだよな で、歴史に詳しくない人間的には何処が最有力地なのか知りたい訳よ
九州説なのか畿内説なのか だいたい1世紀に奴国が海超えて朝貢してる時点で
5〜6世紀に支配地域広めていった大和政権とは違った王権が
九州に在ったのは厳然たる事実やんな >>595
北部九州地域が邪馬台国なのは決定的だけど
利権絡みの学者が強行に畿内説を主張してるのが現状。 1世紀に朝貢した奴国は3世紀には邪馬台国に併合された
その後歴史の空白の時代に畿内の大和王権の支配が進み
5〜6世紀には九州政権の大宰府・磐井などが併合された、って流れが自然でしょ
な〜んにも難しいことはない >>595
このスレの記事に書かれているよ
近畿説が主流で、九州説は傍系的だと
■内田 現在の邪馬台国論争を整理してほしい。
高島 今日の邪馬台国論争には三つある。「九州説」、「近畿(畿内)説」、そして九州説から出てきた「東遷説」だ。日本の考古学は近畿説が主流であり、九州説は傍系的と位置づけられている。 >>598
1世紀に朝貢した倭奴国が3世紀の伊都国
この伊都国が邪馬台国連合の盟主
5〜6世紀に神武の東征があり大和王権が奈良に成立
8世紀に九州の倭国を併合して日本列島を統一だよ。 先ず、魏志倭人伝を読もうよ。短い文なんだから。
邪馬台国は九州ではあり得ないことは素人でも分かるから、
よっぽど捻くれた読み方をしない限り >>601
捻くれた読み方しないで素直に読めば邪馬台国は太平洋の彼方にあるよね?
沖縄説の信奉者かな? >>601
捻くれた読み方をしてるから九州だと思い込むんだろう
・倭国一般、倭人一般について書かれた記事を邪馬台国のことだと曲解
・逆に、邪馬台国について書かれた部分はガン無視 >>595
1に
>今日の邪馬台国論争には三つある。「九州説」、「近畿(畿内)説」、そして九州説から出てきた「東遷説」だ。
>日本の考古学は近畿説が主流であり、九州説は傍系的と位置づけられている。
>(近畿説の裏付けとされる)三角縁神獣鏡は、卑弥呼が使者を送った巍の年号が銘に刻んであった。
とあるだろう
これを解説すると、戦前は九州説が主流だったが、戦後まもない頃畿内で発掘調査してる時
三角縁が複数出てきたのをアホ考古学者がろくに検証せず「これは卑弥呼が魏からもらった鏡じゃぁー!!」とやっちゃったのw
で畿内派が増えたんだが、その後発掘が進むにつれ「三角縁、たくさんありすぎ。こんなに魏からもらってねえだろ」
「作りが荒い。国産じゃね?」という流れになって九州に戻りつつある
だから今畿内派だと恥ずかしいわけ
歴史や考古学に興味なくて知らないで「邪馬台国って大阪だっけ?京都?」とかいうレベルなら別に恥ずかしくないが
そこそこ詳しい層が言ってるのはアイタタタってなる >>584
縄文時代の黒曜石でさえ、日本各地に伝播してる。
弥生時代の後期に奈良程度の盆地で孤立してられる方が難しい。
もし、孤立していようとしたら、積極的な孤立政策が必要だぞ。 >>591
鍛冶工房遺跡は淡路島でも出てるからね。
長崎のとは100年近く時代の開きがあるようだが・・・。
https://youtu.be/YzaLKxj_XaE >>606
黒曜石とか隣村から隣村へと物々交換で伝播したんだよ
3世紀時点では九州と関西では直接の交易はなかったんだよ。 >>608
鍛冶工房は鉄製品を他所から持って来て作り直してただけだからな
関西では肝心の鉄製品が極僅かしか出土してない。 >>600
後漢書の倭奴国は、三国志魏書では狗奴国と蔑称を付けられ、女王国と南北に分かれて争ってる。
九州百余国の内30の国邑が卑弥呼を頂点とする女王国連合
残り70国が狗奴国側の連合
倭奴国の男王の死を契機に、北九州に渡来していた半島人勢力が豊富な鉄器を背景に分離独立したのが女王国
※弥生時代後期の北九州は他の地域より、半島との混血が進んでいたことは、DNA鑑定でハッキリしている。
卑弥呼の死後、壱与の代に女王国は消滅してる。 >>612
鉄は繰り返しリサイクルされてるので、
流通の流れがつかみにくいのは否めない。
徳島の矢野遺跡では、砂鉄から鉄を作っていた痕跡のある遺跡が有るので、
鉄は輸入品ばっかりというわけでも無い。 273名無しさん@1周年2020/03/09(月) 18:19:32.73ID:X2HQJvlK0
🌟新羅本紀🌟
弥生後期 〜 古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に不慣れでございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」
※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。 >>615
当時の倭国は朝鮮半島南岸と北部九州地域を領していた海峡国家だった事が分かるね。 >>615
その新羅も、今の半島国家の直接の先祖といいがたいのが悩ましいところだな。
ともあれ、スレ違いである。 古代中国では邪馬台国を「ヤマタイコク」と読んだわけじゃねえんでしょ。
魏志倭人伝に「邪馬台国」と書いてあったのをバカ正直にヤマタイコクと読んだから、話がややこしくなったわけで。 >>613
後漢書は5世紀に書かれ5世紀時点の事が混入している
後漢書の狗奴国は3世紀の南九州の狗奴国とプレ大和王権と混同している。
>>614
5〜6世紀になるまでは鉄は全て輸入品だよ。 >>618
本居宣長も「やまとのくに」と読んでいたかと 低顔(顔が上下に短い)
南九州>●縄文人>中瀬戸内>西瀬戸内>近畿>大分>東福岡>西福岡>山陰>関東・東北>長崎>南福岡>北福岡>○土井ヶ浜弥生人
眼窩が深い(眉骨と鼻が高い)
長崎>南九州>南福岡>●縄文人>大分>西瀬戸内>西福岡>○土井ヶ浜弥生人>中瀬戸内>東福岡>関東・東北>北福岡>近畿>山陰
梨状孔が幅広い(鼻幅が広い)
●縄文人>南九州>大分>長崎>関東・東北>中瀬戸内>東福岡>西瀬戸内>南福岡>北福岡>近畿>山陰>○土井ヶ浜弥生人>西福岡
https://i.imgur.com/9KOY1sn.jpg
https://i.imgur.com/8UaDN5z.jpg >>595
九州の人が必死になって九州説推してるけど
近畿の人も学者も特に興味がない
言って委員会で学者が言ってた
「邪馬台国を専門に調べてる人は10人前後」
それ以外のほとんどの学者は「近畿」で固まってるって 大和朝廷が支配する記紀に出てくる地名が、魏志倭人伝には出てこない
これが答えな そもそも朝廷には金印伝えられてないし記紀にはその頃の通交の記録も無い
何も難しいことはない 卑弥呼は倭国大乱末期に登場する人物だから、九州ではない事は明らか 邪馬台国は奈良です
卑弥呼率いる入れ墨の集団が奈良をボコって邪馬台国を作ったのです
いわゆるヤマト政権の始まりです
畿内の先住民は数百年邪馬台国に抗い続けやっと平安を取り戻したのです 九州とは元々「全国」の意味がある
その東の果てには国東半島がある
古い地名は教えてくれる 卑弥呼の時代、すでに近畿には大都市があり、遺跡から東は東北、南は九州までの土器が出土。
古墳も近畿から始まり、各地の豪族がまねて作っており、邪馬台国は近畿に決まり。
九州の田舎豪族がホラを吹きまくって大国のように見せかけたなら九州で決まり。 >>632
そらそうだろ、大王が天皇を名乗るようになったのは天武天皇の頃からだから。
後からさかのぼって代々の大王に天皇号をつけてる。
魏志倭人伝が編纂された当時、天皇という称号の人物はいなかったので、
出てきたらかえって不思議なことになる。 <旧唐書より>
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png
■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
■日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。 ようこそ邪馬台国へ
翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂)
が引用している「廣志」に、邪馬台国の場所が記されている。
ttps://i.imgur.com/aoXGq7Z.png
邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。
廣志曰く、倭国東南陸行五百里、到る伊都国。
又南、至る邪馬嘉(臺)国。
■アクセス
伊都国の南すぐ
ttps://i.imgur.com/t1La2wr.png >>634
いやいや、そんなことわかってるがなwww
天皇は天武からでその昔はワカタケル「大王」な
「ヤマトの大王」なのに魏志倭人伝には大王が出てこないって言ってるんだよwww >>630
卑弥呼の時代、奈良の遺跡からは土器しか出ないのに
北部九州の遺跡からは鉄器が出まくってる
中国文明の影響を真っ先に受けた北部九州が
当時の最先端地域であったことは明白であり
その北部九州から日本の国が始まったと考えるのが
合理的である >>635
その地図でみるとと大琉球と倭国が同じ規模だな
そしてヤマトは倭国の北に位置すると >>638
卑弥呼を天照大神と同一とみなすと、
話のつじつまは何となく合うけど天皇の年代が合わなくなる。
大和朝廷の成立期の諸国の神話を一つにまとめて国家の成立の神話としたため、
つじつまが合わない部分が出てきてしまっていると考えた方が良いよね。 古代の鉄製品が出土するって事は、ゴミ捨て場だったのかもしれないね。 >古代の鉄製品が出土するって事は、ゴミ捨て場だったのかもしれないね。
おいおい、お茶吹いちまったぞwww
当時、相当に貴重な金属だった鉄のあった場所がゴミ捨て場だと?
お前は金の塊が大量に出て来たら、そこもごみ捨て場だというのかw >>635
それはあれだ、白村江で負けてビビって
俺ら倭とちゃいますよ!日本言いますよ!って事だよ言わせんな >>643
鉄がカネとして使えた時代なんだが?
>>>565
>諸市買うにみな鉄をもちい、中国の銭をもちうるがごとし 旧唐書で、中国を訪れたヤマト政権の使者が日本は小国だったと明言してるのに、
あたかも畿内に大王国でもあったかのように印象操作してる畿内説の学者って頭悪いよね だからそれは白村江で負けて俺らあんたらと戦った倭とは違いますよ!って事だよ
そうじゃなければ九州王権が7世紀まで存続してた事になるやん、
さすがにそれは無いっしょ 高千穂山に神が降りたのが始まりなんだから
普通に九州だろ 神武天皇の神話を素直に読むと九州から畿内の有力豪族に婿入りした皇子の話なんだよな
飛鳥時代ごろまではそういう伝承がなんか残ったのかね >>650
九州王権が7世紀まで存続してて何か問題あるの?
>>652
記紀は奈良時代に書かれているよ。 >>448
…………お前はやけに盛り上がってんな、大都会民か? >>524
本当に移動したかはともかく、九州に無視出来ない勢力はあったのは確かだわな >>653
遣隋使が九州から引っ越したと言った記録があるんだからもうちょっと前からの伝承だろう シンポジウム会場でクラスター発生とかなってないよな >>656
九州から引っ越したと言った記録とは何? >>524
礼安里遺跡のあった頃の韓国人は縄文人をも超える長頭だそうだ
朝鮮人の頭型は中頭(縄文中期)→長頭(弥生)→過短頭(古墳〜現代)という風に変化している
縄文中期の韓国人(安島・煙台島人)は低顔・低身長・鉗子状咬合で縄文人そのもの
礼安里遺跡の韓国人は長頭・高顔・高身長で倭人そっくり
https://core.ac.uk/download/pdf/144570274.pdf
現代人は北九州は長頭、対して瀬戸内から近畿〜関東は短頭
そう単純ではない 倭人は長頭、古墳時代以降の渡来人は短頭と考えられる >>660
現代日本人の殆どが古墳時代以降の渡来人の子孫なんだけど 松浦までで、実距離は中国の里の1/5程度であることがわかっている。
これを前提として5倍誇張説を仮定する。一里あたり87mである。
5倍誇張説の場合の計算結果と推定場所
帯方郡の場所
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Ancient_Korea_Taihougun.png
帯方郡黄海北道鳳山郡説より、帯方郡側の海州を起点とする。
帯方郡から狗邪韓国まで、乍南乍東7000余里 7000里/5=1400里*435m=609km 海州―釜山広域市 700km
狗邪韓国から松浦まで3000里 3000里/5=600里*435m=261km 釜山広域市−唐津 210km
松浦から伊都国南東500里 500里/5=100里*435m=43.5km 唐津―小城 38.3km
東南100里の奴国まで 100里/5=20里*435m=8.7km 小城―佐賀 10.1km
東100里の不弥国までの道 100里/5=20里*435m=8.7km 佐賀―大川 9.5km
南水行20日の投馬国まで 20日/5=4日*30里=120里*435m=52.2km 大川―玉名 47q
水行10日、陸行1月の邪馬台国
水行10日 10日/5=2日*30里=60里*435m=26.1km 玉名―緑川 26q
陸行1月 30日/5=6日*30里=180里*435m=78.3km 緑川―人吉 86q
侏儒國 南4000里 4000里/5=800里*435m=348km 熊本緑川流域―屋久島 315km
裸国、K歯国 水行一年 365日/5=73日*30里=2190里*435m=952.65km
熊本緑川流域-奄美大島 580km
熊本緑川流域-沖縄本島 824km
おまけ
韓地、方4000里 (4000里/5)^2=800里^2=(800*435)^2 =121104km^2
wikipediaより、
韓国 面積 100,210km^2 近畿なんか最初から箸にも棒にもなのに
天皇を正当化したいだけの話だからな 畿内説は無くなって、考古学者は
地元の考古学を調査研究する
纒向学に転向済み。
さすがに畿内説ではもう予算が出ないし
畿内説で予算を取ったら
畿内説の実証ができたかの
結果が問われるからね。
200回巻向掘っても、邪馬台国に関係するものは何も出ず
かと言って予算を頂いた以上
結果を出さないというわけにも行かず
必死にひねり出したのが
桃の種や魚の骨、そして花粉だった。
もう畿内の研究者もこんな苦しみはしたくないだろう。
だから、普通に地元から出土するものを
地道に研究する纒向学に移ったわけだ。 >>663
九州説の発端は天皇の権威を高めるためなんだが
邪馬台国は魏に朝貢してたわけだが本居宣長が
「偉大なる日本の天皇が中国に朝貢などするわけがない
だから中国に朝貢していた邪馬台国は大和朝廷とは何の関係もない
九州の一地方の小国みたいなもので卑弥呼は酋長みたいなものにすぎない」
と言い出したのが九州説の発端だ 畿内説はまず史書にある何かを掘り出してから論じるべきだね >>653
>九州政権が7世紀まで存続
それはさすがに俄かに信じがたい
4〜5世紀辺りに大和王権に吸収されたでしょ ★在日朝鮮人が日本人に知られると困る歴史の真実@★
◆弥生系渡来人が江南地方から稲作や飲茶の風習とともに
日本に渡来したこと。 肉食民の朝鮮民族の渡来は 想定よりも
少数で稲作と魚介類を食し飲茶を風習とする江南から日本列島
に分布する縄文人や弥生人の文化風習とは全く親和性のない
民族であること。(稲DNAの解析による証明、古代から半島には
飲茶の習慣や茶文化がない)
◆朝鮮半島南部の先住民が倭人(のちの日本人)であること
半島南部で縄文土器や弥生式土器が多数出土
(最近の研究では縄文土器は倭人の一部をなす中国南部の江南でも出土)
◆朝鮮半島における文化的独自性の欠落
(対馬暖流の恩恵を受ける南海島を除き稲作文化もなく、茶文化
やあらゆる分野での古典文献資料の不在)
→ 事実の捏造、文化の掠奪、文学が日本のように豊かに育たない
朝鮮半島の大半は寒冷小雨でこうりゃんなどの畑作には好適だが…
◆百済、新羅が日本の大和朝廷に対し【従属的地位】にあったこと ★在日朝鮮人が日本人に知られると困る歴史の真実A★
◆百済、高句麗など朝鮮半島に広く侵入し住み着いた獣肉食の
狩猟遊牧民の扶余族はその歴史を通じて中国に直接的隷属する立場であり、
穢族と呼ばれていたこと <旧唐書より>
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png
■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
■日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
小国だった日本国
小国だった日本国
小国だった日本国 ★在日朝鮮人が日本人に知られると困る歴史の真実B
◆常に中国、モンゴル、日本などの直接的隷属国であった歴史
◆朝鮮通信使が実質的に日本への朝貢使節であったこと
◆近年、縄文文化が欧米の学者から最高水準の評価を得ているが
なぜか自分たちの居心地感が悪いのでどんな手段を使ってでも
縄文文化や縄文人を貶めたくてしかたがないこと
◆縄文人に近く朝鮮人から最も離れた雰囲気があり
日本人の根源のD遺伝子を豊かに持っている沖縄人や
奄美人やアイヌ民族や蝦夷が憎くて憎くて仕方がないこと ★在日朝鮮人が日本人に知られると困る歴史の真実C
◆縄文人や先住民をネタに同情しているふりをして
沖縄やアイヌを日本から切り離して独立させようと
必死なこと
◆「天皇は朝鮮人」「日本人は朝鮮人」と絶叫していないと
火病で狂死してしまい、
「渡来系弥生人は朝鮮人」
「渡来系が縄文を征服した」
「半島渡来人が縄文女を強姦して男は皆殺しにした」
「北海土人」「ニチョン人」など
天照大神を「朝鮮北方系の弥生人天照大神」
「天皇家は朝鮮人とくに扶余系の末裔」
「日本人の祖先は朝鮮人」「日本人は全員朝鮮人」
などと喚き散らし、
とにかく何でも意味不明でもかまわないから妄想や
願望めいたデタラメを絶叫していないと精神が錯乱し
火病で頓死してしまうこと >>666
発端はそうかも知れないけど最近はウヨ系の人が畿内説に傾いている印象だな
理由は天皇の正当化だな >>674
>ウヨ系
とは限らないよ。
印象操作を繰り返して歴史を上書きしたがる民族がいるだろ? >>676
お前この手のスレに書き込むにはレベル低すぎねえか? 任那って何だったんだろう
当時の言語ってどうなってたのやら >>679
魏志倭人伝では、邪馬台国は帯方郡から南に水行して行ける場所だとも読めるから
卑弥呼は任那に居たのかも知れんな
ちなみに日本書紀によると筑紫(北部九州)〜任那(半島南部)は2千里ほどだ。
崇神記65年 「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」 >>672
>◆縄文人に近く朝鮮人から最も離れた雰囲気があり
日本人の根源のD遺伝子を豊かに持っている沖縄人や
>奄美人やアイヌ民族や蝦夷が憎くて憎くて仕方がないこと
そんな感じだ
在日チョンは在日勅語でチョンが朝廷を作って日本を征服したってなってんだよ
アイヌ民族や北海道民や東北民や蝦夷や熊襲や沖縄や奄美諸島を征服したという妄想チョン史観を日本人の頭の中に刷り込む活動てことな
つまりD系遺伝子を多めに持った先住民を差別の対象にして自分の先祖が大陸に蹂躙された半島から逃げてきた奴婢難民ということ歴史から消すのに躍起
それでアイヌや蝦夷や東北民や太平洋上の島民を差別の対象にしたくてしたくて仕方ないんだろ >>679
半島の南部は倭の支配圏及び倭に朝貢しつつ中華帝国にも朝貢する国々。
なので、任那辺りは古代日本語が通用していたと考えられる。
現代朝鮮語は、文法は日本語と類似しているが、
語彙の共通性が意外に少ない。
日本人が朝鮮語聞いても全くわからんから、
同系の言語とは言えない。 日本に渡来した稲作弥生人の身体的特徴
1.瞳は黒色が多い
2.一重瞼も二重瞼も奥二重も多く朝鮮半島民と違い目の表情が豊か
3.細い鼻筋もあるが団子鼻も多い
4. 髭や体毛が薄くもあるが半島民とは比べて濃い
5.前歯が大きく歯並びが悪いケースが多い
6.直毛と若干の巻き毛
7.中身長が多くスタイルがふつう
8.半島民よりも太いくちびる
9.耳垢が湿りがち
10.犬は友達、重要なタンパク源は魚介類で鵜飼いも得意 >>679
断片的に記録が残っている百済語は倭語と多少共通するところがあるようだ ヒゲの発達程度の地域差(人類学者レヴィン)
琉球2.32
北海1.98
九州1.82
関東1.78
東海1.78
東北1.69
北陸1.67
中国1.66
近畿1.51
調査対象:日本人男性1万300人 水行20日やら陸行1月とあるんだから絶対に九州北部で収まる範囲ではないわな
倭国大乱があったとされる時期に高地性集落が瀬戸内全体に広がってることから倭国大乱は瀬戸内地域を中心とした九州出雲吉備畿内勢力の争いだったんだろう
これらの国々が共立して奈良に新しい都を作ったと
魏志倭人伝による倭国の描写は中国文化から遠いから九州ではない可能性が高い
まあ畿内だろうな >>682
現代の朝鮮半島は新羅の末裔でしょ
百済と新羅は言語が違う 例えば三角縁神獣鏡が中国産で、かつ金印までもが箸墓から出たとする
普通は決まりと思ってしまう
でも畿内弥生と古墳文化の非連続性、九州弥生と古墳文化の連続性があるらしいので、
九州が東遷で一緒に持ってきたという線が残ってしまい、解の特定には役割を果たさない
終点じゃなくて始点から出ないことには終わんねーな、、 >>686
まるでネズミ講みたいな思考だな。
これがその奈良の都の出土品だ↓
■纏向遺跡で出土した土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1% >>528
当時の三国時代が整備されてるとでも思ってるのか
雲南みたいなところですら行軍1月何百キロも進んでると思われるのに >>682
数10年前に日本語とは違う言語と結論が出されてる
安本美典教授は「朝鮮語で万葉集は読めない」という本まで出して解説していた 遠賀川の河口周辺の砂浜は
砂鉄が取れることで有名なんだよね
卑弥呼の時代にそれが知られていたのかは
わからないけど
調べてみたら面白いかもね >>639
その嘘知識ってどこから仕入れてくるの?
九州説素人のブログ? >>687
韓国人は新羅の末裔ということにしておきたいのかもしれないが、
実際は高麗の末裔なので、より北方から南下してきた民族の末裔だよ。
だいたい新羅の王朝には倭人の王もいるのに、
それでは朝鮮民族にとって都合が悪かろうと思うのだが。 >>691
似てるのは文法と、近代に移入された日本語由来の単語だけだしね。
ラテン語圏のように、何となく言ってることはわかる・・・みたいな
距離の近さは無い。 >>696
日本人って言いきると話がややこしくなる。
倭人もしくは和人といいましょう。 渡来系倭人とは、
一部では出戻り縄文人という説もあったな。 日本書紀「新羅を制圧すると新羅の王は東に日本という神国有と言った。そして神功皇后は高句麗も制圧した」
広開土王碑「倭人が百済と手を組んで攻め込んできたのでおもいっきり返り討ちしてやった。倭人壊滅」 >>695
言語が同じなら民族が同じという単純な話でもないが
高麗語は新羅語の流れを組むという見方が主流ですね >>688
九州弥生と古墳文化の連続性ってネタで言ってるの?
従来の祭祀を放棄して畿内祭祀に乗り換え、三角縁神獣鏡を下賜され
生活土器まで畿内様式に変わってしまったのに、連続性とは呆れる
鏡も破鏡から完形鏡の副葬という畿内様式に変わった >>698
在任那日本人と言った方がいいか。
任那が滅んだ頃に朝鮮半島から渡って来た人たちがいるよ。 >>695
あと高麗の故地は新羅の支配地ですね
そういうイデオロギー的な見方はよした方がいいですね 九州は5世紀後半から6世紀になると
畿内様式の古墳も混じってくるが
相変わらず九州独自の古墳も多い。
まあ、各地で割と自由にやってる。
その中には畿内様式を採用する豪族もいる。 >>705
周りが畿内色に染まっていく中、石人文化圏がガンコ親父な印象w >>703
「日本人」がいつ成立したか、時系列の取り扱いは慎重にってこと。 >>703
和人を日本人と言うのは古代ローマの人をイタリア人と呼ぶようなもんだよ
そこしっかりせんと恥かくよ? >>707
日本に帰化したら日本人だよ。
俺の先祖も古代朝鮮からの帰化人だよ。 九州ってのは良いんだけど、
北九州ってのが間違いなんだよな。
確かに北九州が栄えていたんだけど、伊都国とか一大卒とかなんだよ。北九州は。
女王国から東に渡海すると倭人の国がたくさんあったり、
南が遠絶だったりするから、
九州の東南地域=旧ひむかの国が正解なんだよ。 >>710
>>712
今は学校が休みだから暖かく見守ってあげて。 >>706
それは自分でも思う。
基本的には九州はバラバラよ。 九州の古墳形式においては統一とか支配とかは
考えなくていいと思う。
統一されたとしても
古墳を統一するような支配形式ではなく
古墳の形式は自由に任されていた、
と見るべきだろう。 >>665
かなり前から予算出ない九州説
そして、何度掘ってもどこを掘っても何一つでてこない九州説に失礼だろ、それ 任されていたものが次第に畿内の影響を受け始めるという事は
自ら畿内色に染まるということで、それだけその権勢が大きくなってきた証左と言えるね >>717
予算出なくて、壊されないところは
極力発掘しない方針の北部九州ですが
弥生遺跡は畿内の5倍ほど出てますよ。
弥生遺跡数
奈良県 600
福岡県 4000 >>619
倭奴国の朝貢の文に、倭奴国の位置が書いてある。 >>719
予算でればいいね^^
>>720
それだけ盗掘されてない遺跡が出てきても
邪馬台国のやの字も出てこないんだよね
そもそも畿内の墓はほとんどが盗掘されてるから
そういう意味じゃ、発掘されればされるほど、九州説が消えていくという面白い現象がおきてるよね、九州って >>717
まぁそりゃそうだよ
九州説の根拠となってる地名や江戸時代以前の「出土品」の実態を知ればね
・地名
田舎大名にありがちな箔付けの為の改名で、島津氏と大友氏がだいたいの主犯
とくに霧島連山周辺の地名は島津氏の治世に改名されたものがほとんどであり全くアテにならない。
・出土品
石高水増しで首が回らなくなってた福岡藩の仕業。これはかなり有名な話 >>725
畿内は遺跡の上に継続的に人が住んでいて
発掘すら不可能な場所も多いから仕方ない。
九州にしても、中国四国にしても、発掘される大きな遺跡は、
ほとんどは、人が住んでない田んぼや畑、山林の下にあったから残っているんだよ。
平安時代から鎌倉時代にかけて、環境の変化によって集落の移動が見られるから、
田舎の遺跡は比較的土の下に残されている。 >>728
そもそも北部九州では
発見されても、ビルや高速道路の土台など
壊されることが確実な部分しか
発掘していませんよ。
あとは埋設保存で未来に任せます。
ちなみに吉野ヶ里も9割は埋設保存で
あの公園の1メートル下に
本当の遺跡は眠っています。 邪馬台国論争は歴史好き高齢者のボケ防止に役立っていると思う。(´・ω・`) 伊都国(糸島市)→東南→奴国(春日市岡本付近)→東→不弥国(宇美町、須惠町)
→南→投馬国(朝倉市・小郡市・鳥栖市)→南→邪馬台国(久留米市〜大牟田市)
狗奴国(熊本県北部)と言う事になっている、邪馬台国連合は三十余国なので
長崎県、佐賀県、福岡県、大分県の県北地域と日田市となる。
次回は三十余国がどこなのかを記載しよう。 >>729
奈良はどこ掘っても遺跡が出てきて工事が止まるので民間の開発が低調なんですが・・・。 >>729
「調査を終えて」眠ってるんやで
1986年から30年以上かけて調査発掘してるのに
邪馬台国関連のものが出てこないから、しゃーないわな >>699
縄文人は南から島伝いに船で日本列島に来て、一部はアメリカ大陸にまで到達してるから
朝鮮半島の沿岸部に居てもおかしくないな。 >>732
福岡市の地下も古代から現代まで途切れる事のない遺跡だらけなんですけど。 >>735
開発の著しい大都会福岡の方が、工事前の地層調査で遺跡が見つかりやすいんよ?
太宰府だって奈良に比べりゃ大都会。
新しい建物が立つ限り、地下の埋蔵物は自然と見つかっていく。 >>733
何を持って邪馬台国関係の出土物とするかですね。
吉野ヶ里遺跡は弥生中期から奈良平安までの
複合遺跡です。 この前も福岡市にある修猷館高校のグランドを改修のために掘り返したら西新遺跡なるものが出てきて、あらびっくりとか言ってたもんな
奈良もガタガタ言わないで、というか宮内庁にガタガタ言わせないで古墳を調査したらもっと多くのことが分かるだろ >>734
鬼界カルデラを皮切りに縄文人は手付かずの漁場を求めて山陰、瀬戸内、朝鮮半島南岸、南西諸島に進出した。
https://i.imgur.com/Nny4FfS.png 大宰府も期間の長い複合遺跡で
彌生後期と古墳時代の遺跡が
奈良時代に壊されて
ごっちゃになった痕跡が出てきたりしますね。
一時期は古墳時代の出土物が
弥生遺跡の下から出てきて
編年がおかしいことになったとか。 >>731
伊都国(糸島市)→東南→奴国(福岡市)→東→不弥国(那珂川市、春日市)
帯方郡→南→投馬国(朝鮮半島南部)→南→邪馬台国(北部九州地域)
狗奴国(熊本県南部、鹿児島県、宮崎県)と言う事になる、邪馬台国連合は三十余国なので
長崎県、佐賀県、福岡県、大分県、熊本県北部
傍国は不弥国(那珂川市、春日市)の次回に繋がる。 >>736
開発が進んでない奈良の方が調査はし易いよ
家が建ってるのに下は掘れん 比恵、那珂遺跡とか博多遺跡は
出土物の量が多すぎて
発掘出来ないレベル。
ちょこっと端っこを採取したあとは
また埋め戻しました。
全体で何十トンあるかわからんし
金も人手もないので
最低必要な部分以外は埋め戻しています。 倭人伝に記載している魏と交流のある三十余国とは長崎県、佐賀県、福岡県と
大分県北部の事を指している、具体的には
福岡県・・福岡市西区、福岡市博多区、福岡市南区、福岡市東区
糸島市、春日市、志免町、篠栗町、古賀市 福津市、
宗像市、宮若市、田川市、飯塚市、行橋市、筑紫野市、
那珂川町、筑前町 朝倉市、久留米市、八女市、うきは市、
佐賀県・・佐賀市、吉野ヶ里町、多久市、武雄市、唐津市
長崎県・・雲仙市、壱岐市 対馬市
大分県・・日田市、宇佐市、大分市
と言う事になっている、上記の地域を三十余国に決めたのはここから翡翠の勾玉が
出土した事による。翡翠の勾玉は新潟県糸魚川産出、卑弥呼がここの国王に下賜
したものだ 中国の王という父権的権力の政治文化の代表者に女王と認識させるシャーマン女性の文化は古代から現在まで続く沖縄や奄美地方に特徴的な文化だわ 橿原考古学研究所が提供する奈良県の遺跡地図を見てもらえばわかると思うけど、
奈良は遺跡の数も面積も大杉で調査が追い付かない状態。
しかも、都の建設で遺跡や古墳ぶっ潰して新しい街を作っていたり、複雑すぎるのよ。
学術的な調査より緊急調査の方が優先されちゃうし、あらかじめ遺跡の多そうな地域を避けて開発したら、また新しい遺跡が出てくるし、
とにかく大変。 筑後地方にあった邪馬台国と熊本県北部にあった狗奴国は戦争中で卑弥呼は戦争の
さなかに亡くなった。戦況は狗奴国有利だったから女王でも立派な墓を作る余裕は
無く、一般人と同じように石室が無く、棺桶に土をかぶせただけの墓であったと
倭人伝に記載している。 >>735
福岡市の場合、海側は室町時代まで海の底だった場所も有るのでその点はまだ楽。 >>742
奈良は古い家がずっと建ってるから発掘が進まない。
おかげで纒向遺跡ですらまだ全体の5%とか10%以下しか掘れてない。 邪馬台国は戦争に勝つ為に日田地方の国と軍事同盟を結んだ、日田国の軍勢は
杖立などの山道を通り狗奴国の首都を側面攻撃をして攪乱させた、そのおかげで
劣勢だった邪馬台国は優勢になり、かろうじて狗奴国に勝った。
狗奴国を支配した邪馬台国は南九州を攻撃するよりも本州を支配する方を選んで
東征を開始したと言う事になる。壹與の子供の1人が神武天皇と言う事になる。 天体とか天災とか疫病とか戦とか飢饉とかで常に移動してた 中国人の言う倭人は日本でいう縄文人の事だよ
その特徴をこう記している。
色黒、背が低い、多毛、かっしり体系、はだし、入れ墨
文化は、高床式、朱、玉、漆器、漁労
つまり日本でいう縄文人の事だ。 纏向遺跡の周辺はほとんど田んぼやろ
田んぼといえど所有者の許可なく勝手に掘ることは出来んけど 九州は奴国以上の都会がないから邪馬台国は九州ではないという理屈に対して、九州説が採れる選択肢はそう多くない
・まだ発掘されてないだけと強弁する
・古田氏のように道程をいじくり奴国とされる地が実は邪馬台国だとする
・経済と政治の中心はそれぞれ別にあり邪馬台国が都会とは限らないとする
三番目が正解だとすれば、政治の中心を遺跡から探し出すのは難しい
経済の中心地から離れているのなら、政治の中心は移動式だった可能性もある
鉄製品を作るために近隣の山を伐採し、禿げ山になったら遷都した説もある
逆にいえば邪馬台国らしきものが見つからないことが三番目の正しさを表しているようにも思うが >>754
3世紀の日本に七萬戸の都市国家はない
邪馬台国は都市国家の連合国家だよ 弥生時代の鉄鏃出土数(鉄鏃とは鉄製の矢じりの事)
東北**1 群馬*21 千葉*63 東京*37 長野*27 石川*55 福井*32
滋賀*13 京都112 大阪*40 兵庫*92 奈良**4 和歌山**5
岡山104 広島*79 山口*97 鳥取*46 島根*30 香川*36 愛媛*25 高知*53
福岡398 佐賀*58 長崎*29 熊本339 大分241 宮崎100 鹿児島**3
※鉄製鏃は敵と戦う為に矢の先端に取り付けて殺傷力を増やす武器
上記出土数からも判るが、邪馬台国は福岡県にあって狗奴国が熊本県にあった
から他地域とは出土数が大きく開きがある。特に奈良県はわすか4しか出土せず
これではとても戦争があったとは言える訳が無い。 >>756
実際に掘れてないものを草生やして誤魔化して惨めだね 水行二十日の類は、超大国(邪馬台国から見て)の魏に攻め込まれたらたまんねえから、魏の役人にテキトー言った説。 宇佐神宮と伊勢神宮の関係、宇佐神宮は皇室第二の宗廟と言われており、
奈良に天皇がいるのなら奈良に奈良神宮を創れば良いものをわざわざ伊勢に創ったのは
伊勢神宮の東に海があり宇佐神宮の配置と合致するからだ。ただし宇佐地方は
邪馬台国では無い、伊勢と奈良の関係で判るように宇佐の遙か西方に邪馬台国は
あった事になる。それが筑後地方と言う事になる。 邪馬台国なんてなかったのがわかったのに何いってんだよ 纏向遺跡の寸法をグーグルマップで見てみたら実に小さいのな
あれではたいした事は判らんだろうね
大規模に発掘調査ができたらなあとは思う >>761
徳島は矢野遺跡一択なのが今のところ弱い。
縄文時代から平安時代までの長い時代に渡る大遺跡なんだけどね。 >>762
邪馬台国自体が実在していれば、ここまで論争には成っていないと思う。
実在しないからこそ、議論の対象になるのだろう。
実在していれば、その存在だけ確認すれば事足りる。 宇佐神宮の祭神は正面左に応神天皇(八幡~)、中央に比売大神、右に神功皇后
となっている。宇佐神宮は八幡宮の総本社なので応神天皇が中央に配置されるべき
だが実際は3つある本殿の右端でしかも正面を向かず横向きに作られており真ん中は
比売大神の本殿となっている。これは宇佐神宮はもともと比売大神だけを祀った
~社だったが後世に応神天皇と神功皇后を合祀したからだ。宇佐神宮は比売大神は
宗像三女神と言っているが実際は卑弥呼の事だろう。 北部九州は邪馬台国の出先機関。
邪馬台国の本拠地は畿内。
後世でも北部九州は海外との玄関口でしか無かったんだよ、太宰府然り、出島然り。
邪馬台国の記述は、この出先機関である北部九州の習俗をまとめたに過ぎない文献。
どから絹も鉄も出てきて当然なのさ。 >>733
畿内には邪馬台国関連の出土品あるんですっけ? >>766で応神天皇の本殿は右端と書いたが、左端の誤りだった。右端は
神功皇后、中央は比売大神となっている。 >>608
その淡路島の鍛冶工房で見つかった鉄製品には北部九州製の特徴があったんだよ
つまり北部九州の海人族が瀬戸内海をも支配していたということ
この状況で畿内が九州を超えて魏に使いを送るのは不可能
弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201803/0011093126.shtml
>エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
>ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
>弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
>愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
>「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
>今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。
ちなみに淡路島は北部九州の代表的な海人族・安曇の関係地であることが分かっている
http://4.bp.blogspot.com/-mYi5TCXdsF8/VDnqBtD4d9I/AAAAAAAAA2s/YwNSV2jEEZc/s1600/018E8B387E69699_R.jpg >>767
九州が出先機関なら、どうして都のはずの畿内には鉄も絹も無いんですかねぇ
出先機関にはたくさんあったのにw
このように、畿内説というのは論理的思考ができない人間が騙されて信仰しているわけです >>774
5世紀以降の山陰で製鉄が始まってからは
鉄器が出るようになりますね。 >>774
卑弥呼の時代じゃないから無意味
>>149のとおり280年頃には神武が九州から東征するんだしな
むしろそのタイミングで畿内に鉄製品が入るのが東征の証拠といえる なお東征で鉄を運んだという話は残っていません妄想です あまだやってんのか
九州からの東征やろ
馬鹿げてる 昔、宮崎康平の本を読んだな。本の中身より学生時代の回想に
興味を持った。大学時代、劇研に属し会のリーダーが田村泰次郎
すぐ上に、山本薩夫と谷口千吉
前後に森繁久彌、鹿内信隆、上林吾郎、谷村錦一 畿内で見つかっている鉄器
○ホケノ山 畿内 3世紀中葉
鉄鏃 約60本
素環頭大刀 1口
鉄製刀剣類 10口
○椿井大塚山古墳 畿内 3世後葉
鉄刀7本以上、鉄剣十数本以上、鉄矛7本以上、鉄鏃約200本、
銅鏃17本、鉄製甲冑1領、鉄鎌3本、鉄斧10個、鉄刀17本、
鉄製ヤリカンナ7本以上、鉄錐8本以上、鉄ノミ3本以上、
鉄銛十数本、鉄ヤス数本、鉄製釣針1本
その他鉄製冠ではないかと疑われる鉄製品
○黒塚古墳 3世紀後葉
刀剣類27口以上、鉄鏃170本以上、小札、U字形鉄製品
卑弥呼の時代=3世紀中ごろ >>782
ホケノ山古墳からは4〜5世紀の古墳から出土する画文帯神獣鏡が出土してるし
椿井大塚山古墳や黒塚古墳からは4世紀に作られた三角縁神獣鏡が出土してるから
3つとも4世紀以後の古墳ですよ。 当時のことを普通に考えて、稲作は南北どちらから広まった?と問えば、ほぼ間違いなく南からと答えるだろう
稲作の発展により集落・国・統治へと発展していくのは間違いない
なので、当時の文化は南、九州から北の方へ伝わるのは当然だろう
さらに言えば、中国との交易は九州の方がやり易い
だから中国からの新たな文化は九州から北へ伝わったと考えるのが普通
当時の文書に書かれていることを現在の技術で分析している奴がいるが、当時に書かれたことが正かどうか分からないし、当時の技術(測量・航海・移動)を現在に当てはめて考えるのはナンセンス
例えば陸行10日とあっても、現在10日(シューズを履いて)歩いて行ける距離と当時(良くてワラ、最悪素足、さらに舗装されていない道)歩いて行ける距離は大きく異なるだろう
当時の文献に合せて現代の測量や移動技術を用いて計算するのはおかしい
どう考えても邪馬台国は九州のどこか(たぶん筑紫平野辺り)にあったのは間違いない >>783
ホケノ山は棺の炭素14C年代測定法が行われて上限が244年の鑑定
3世紀ですよ >>483
王墓が出てくれば前史を含めて二千年の歴史がある神社という事になるな。古い神社はそんなものだろう。
ところで法隆寺の地下から大規模な役所跡すなわち斑鳩宮が発見されれば厩戸皇子の実在は確定という事になるはずだと思う。 法隆寺と飛鳥寺って、どっちがどっちつうか
何か双生な感じがすんだけど? 前方後円墳の初期形態で最古の墓は四国東部なのはまず確実な事実(古すぎて、古墳とは認められず墳墓とされる。)
四国東部には大和朝廷の祭祀に大きな影響を及ぼした勢力が存在していたことが推測されるが、
それは単純に邪馬台国・卑弥呼と結びつけて良いものではない。
なにせ大和王権は、西日本から中部日本各地の勢力を糾合したものだからね。 >>788
お寺は飛鳥時代以降の創建なんで、このスレではご遠慮願いたい。 >>783
科学的論証もなく、恣意的に畿内にある遺跡の年代を卑弥呼の時代に合わせてしまうのが畿内説論者の悪いところ >>784
陸上は歩測でだいたいの距離は測れるし
1日に歩ける距離も昔から洋の東西を問わず殆ど変わらないよ
日本陸軍での行軍が通常25kmで強行軍が40km
古代から何処の国の軍隊も余り変わらない
人の歩く速度だからな。 >>782
>奈良県立橿原考古学研究所は、2008年(平成20年)の発掘調査報告書で、出土遺物から築造年代を3世紀中頃と結論しつつ[3][4]、
>木槨木材の炭素年代測定結果の幅が4世紀前半をも含む範囲であることを報告しており[2]、
>邪馬台国の会はこの測定結果と、石囲い木槨(割竹形木槨)が発見されたことが『魏志倭人伝』の「棺あって槨なし。」
>という記述と矛盾するとして、築造年代と邪馬台国畿内説に対して疑問を呈している
恣意的断定は科学的と言えない >>787
ホケノ山古墳の木棺の木片サンプル5つの炭素14C年代測定
サンプル1.AD30〜244年
2.AD5〜155年
3.AD20〜215年
4.BC30〜135年
5.AD55〜235年
木棺の木片サンプル5つの上限が244年
他にもホケノ山の副葬品に古い鏡の方格規矩鏡や画文帯神獣鏡はあるけど
240年頃に倭に伝来した三角縁神獣鏡が含まれていないので
炭素14Cの年代測定結果と副葬品の年代の2つから見て
ホケノ山古墳はAD240年かそれ以前の造営 >>792
ローマは街道整備やってたから行軍速度は現代のそれと大して変わらんだろうけど、
古代日本じゃ無理な行軍スピード 邪馬台国は九州北部のどこかにあった。
までなら、出土物という状況根拠があるだけ信憑性はある。
問題なのは卑弥呼のアマテラス説や、邪馬台国東遷説に踏み入れてしまうと、完全に根拠の無い空想と陰謀論に終止してしまうこと。
どう取り繕っても大量に矛盾にブチ当たり、その度に陰謀論と根拠のない空想を言い訳にするしかなくなる。
邪馬台国九州説と東遷説はニコイチで混ぜるな。 >>794
年代測定からの判断は、普通「以前」ではなく「以降」とする
木材が生命活動停止する以前から木棺が作れるか? >>795
四国遍路の徒歩での速度が大体健脚で一日40km、普通で25km
約1200km廻っての平均速度だが、途中の山道区間ではもう少し遅くなる。
遍路はお寺廻って納経したり、お経読んだりしながらその速度なので、意外に速いんだよね。
大軍での行軍は休憩や補給も必要なので意外と速くない。 >>797
木を切ってから作ったとしても誤差を含んで30年〜244年
ホケノの木棺の木材は中央値を取れば150年ごろの伐採とも見れるんだけれど? >>795
3世紀の日本だと橋も整備されてないし、宿場町もないので長距離の陸上移動はむりですね
道路の整備されてない時代は水上を船で移動するのが主だったようです
なので陸行一月は昔しから陸行一日の誤記とする考えが有力なんです。 九州で確定でしょ
某学会では畿内説(近畿説)を必死に唱えてるお偉いさんがいまだにいるけどw >>799
そもそも測る物差しが間違ってるのに気づけよ 畿内にはホケノ山やその他100m200m級の前方後円墳が
3世紀の卑弥呼の時代からあった >>6
魏と交流してた畿内を邪馬台国とするのが邪馬台国畿内説
超古代文明邪馬台国が九州に君臨してたとするのが邪馬台国九州説 >>807
関西が中国と交流を持つのは遣唐使の時代からだから
邪馬台国が関西であるはずがないんだよな。 >>793
>木槨木材の炭素年代測定結果の幅が4世紀前半をも含む範囲であることを報告しており[2]、
>邪馬台国の会はこの測定結果と、石囲い木槨(割竹形木槨)が発見されたことが『魏志倭人伝』の「棺あって槨なし。」
>という記述と矛盾するとして、築造年代と邪馬台国畿内説に対して疑問を呈している
まずC14年代測定法は誤差が大きくでるときがあり、1つ2つの測定結果だけで判断すべきではない
実際、纒向遺跡では100以上の試料を測定して、総合的に年代を判断をしている
邪馬台国の会の言い分は、異常値の出た1つ2つを持ち出して文句をつけてるが、整合性の取れている残りの大多数を無視している
つまり単なる難癖
石囲い木槨云々は、場所が違うという主張なら、倭人伝の曲解であり間違いではあるが、論理としては一応合っている
年代が違うという主張は論理そのものが間違い >>808
3世紀の魏の年号が入った鏡が関西の古墳から出土しているよ 国産だとしても
魏の年号は魏と交流してなければわからない >>810
中国では鏡に年号を入れないから日本で後世に魏との交流を記念して関西の古墳から出土するくらい大量に作ったみたいだな。 >>812
鋳型が北部九州地域で出土してたから魏と交流してたのは北部九州地域の国だな。 年号がずれてるけど?w
銅鐸みたいに、よくわからないで後の世にコピーしただけじゃないのw >>813
中国でも普通に年号の入った鏡は出ているよ
>>814
鏡の鋳型が出たなんて聞いたことないね
そもそも銅鏡を作ったら鋳型はぶっ壊れるもの >>811
三角縁神獣鏡が仮に国産だとしても、魏との交流がなくて作れると思ってるのか?
神獣のデザインは畿内のオリジナルなのか?
漢字の銘文を交流のない地域の人が彫れるのか?
魏の年号を改元も含めて入れられるのか? 三国志が世に広まったのは、どんなに早くても3世紀末
三角縁神獣鏡は3世紀後半から出土する
時系列が逆になってるのだから、魏との外交の内容は、その当事者以外には知りえない さすがに交流があってコピー品が出たら、そこが邪馬台国とか飛躍だろw >>782
残念、ホケノ山は4世紀の古墳ですw
棺が古く出るのは単なる古木効果による誤謬
古木効果のない資料で調べると4世紀から5世紀と出ている
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku277.htm
> 『調査概報』の年代を見た近畿説の考古学者は、ホケノ山古墳の年代をさまざまな理屈を付けて古く持っていき、
> これが卑弥呼の年代と重なると述べるようになった。
>
> しかし、今回の2008年の研究報告書では、ホケノ山古墳についてかなり新しい年代が報告された。
> 今回の報告書は、樹齢が15年ぐらいの細い木を測定対象として、いわゆる古木効果が入らないように注意深く試料を選んだ。
> これだと、再利用したものではないし、風倒木でもないと言えるので、炭素14年の誤差も15年以内に収まる。
>
> 小枝からとった試料No.1の2σ暦年代範囲は250〜400calAD(95.4%)、 試料No.2の2σ暦年代範囲は320〜420calAD(81.5%)と
> 250〜300AD(13.9%)である。
(中略)
> この結果は、ホケノ山古墳の年代が卑弥呼の時代の3世紀中頃よりも、かなり新しく4世紀後半であることを示している。
> 『調査概報』のデータを見て、ホケノ山古墳の年代を卑弥呼の時代まで遡らせる主張をしてきた考古学者たちは、はしごを外された恰好になった。 古木効果とはこういうこと
畿内説はこういうカラクリで素人を騙すのが得意なので注意しよう
Old Wood Effect(古木効果)を理解する
https://www.radiocarbon.com/jp/old-wood-effect.htm
>芯材(内側)と辺材(外側)の放射性炭素年代は異なり、芯材の方が辺材より年代が大幅に古くなります。
>炭化物や木の炭素年代測定を行う場合は、年代は特定できますが、サンプルが短命な植物や小枝がサンプルでない場合は、
>木の成長過程のどの部分をサンプリングするかによって数百年の誤差が生じる可能性があります。
小枝は古木効果の入らない理想的資料で、その測定結果が4世紀 魏の威光を頼りに君臨していた王が畿内にいたという点が面白い 関西を中心に中国地方まで普及していた銅鐸が三世紀になると急に使われなくなる
作ったばかりの銅鐸までもが村はずれの崖に埋められている事が判っている
この頃に関西地方で政治変化が起きていた証拠。 ( ´ー`).。o○<ドウシテ魏志倭人傳に「邪馬壹國」と書いてあるのにそれを「臺=台」の誤記ナンテ勝手な事が言えるのだろう…)
d(^-^)<邪馬壹とは「ヤマト」であり、古事記の「豈國(あにくに)」の事であって「豈=山+豆→ヤマ+ト」を意味します) >>803
九州と奈良って
今でも距離相当あるのに
なんか色々かぶってるのは謎なのか? >>784
だよなぁ
当時の圧倒的文明国だった中国に近い九州から日本が始まったと考えるのが自然だよ
奈良盆地でポンと自然発生したみたいな関西ファンタジーは無理がある >>7
大体いいけど不弥国は違う
能古島のこと
近くなのに目視だけとかアホの言うこと
当然行ってる
それから侏儒は違う
四国の高知西部の幡多のこと >>7
あとちゃんと書いてないが
水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い
さらに邪馬台国は移動している
山門は発祥の地であって卑弥呼の時代は御井に移動している
だから御井に卑弥呼の墓があるんだから
御井は筑紫平野の軍事的要衝であって墓だけ移すわけがない
当然邪馬台国自体が山門から移動したのであり
そこで卑弥呼が死んだから御井に卑弥呼の墓があるのだ
更に、卑弥呼の後移動して甘木、朝倉へ移った
これが安本美典の言う邪馬台国
邪馬台国は移動している
良く覚えとき
日帝ジャップは馬鹿だから
「ジャップは太古の昔から天皇に統一的に支配されていた」
という妄想を維持したい。
しかし『魏史』倭人伝の卑弥呼の記述は、
明らかにそれに都合が悪い。
どうみても九州のほうにいたと思われる
卑弥呼が「倭女王」だとはっきり書かれてるからな。
だから、日帝ジャップは「邪馬台国は近畿にあった」
という妄説を主張して、自分たちの妄想を守ろうと悪あがきをする。
邪馬台国ネタは、
ジャップの支配層の本質的な幼稚さを暴露する
格好のネタw
だからネットでもどこでも 繰り返し話題にされる。 「邪馬台国」を「ヤマタイコク」と読むヤツはいろいろと馬鹿。
まず原資料の表記は、邪馬「台」国じゃなくて 邪馬「壹」国。「一」の難しい漢字。
で、これは中国の史書に出てきた用語。当時の中国語で読むのが当然。
だから例の国の名前が「ヤマタイコク」である可能性はほぼゼロ。ゼロ。
こんな基本事実をいつまで無視してたジャップのバカぶりは無限大w
だから「邪馬台国」という名前を勝手にジャップ語で
「ヤマタイコク」と呼んで、
ヤマトに似てるから「邪馬台国」は畿内に違いない!
とか言ってる奴は白痴オブ白痴の大馬鹿野郎。 永遠に馬鹿なジャップは例によって、
「卑弥呼」を勝手に「ひみこ」と読んで知らん顔。
しかし言うまでもなく「卑弥呼」は中国の史書に出てきた単語。
当然当時の中国語を基準とした読み方をすべき。
幾つかの可能性があるんだが、その中の一つは、
「ぴみは」 ないし 「ぴみか」
になる。
いずれにせよ「ひみこ」なんて読み方はありえない。
勝手に「ひみこ」を正当な読み方みたいにしてんじゃねーぞ、糞ジャップ だから例えば吉野ヶ里は邪馬台国ではない
吉野ヶ里には代々の王の墓がずっとあり
明らかに移動していないから 1 卑弥呼の墓は奴婢100人とともに殉葬
こんな墓は日本列島には一基たりともない
2 邪馬台国では鉄器使用(製鉄技術もあった)
砂鉄を用いたたたら製鉄ができるのは6世紀以降
3 撰者陳寿は洛陽以北へは一歩出てない(伝聞)
呉を牽制するための作り話がほとんど
いい加減にしろ池沼ども >>836
つかやっぱ近畿パーってチョンだったのな
なるほど 棺に使うことが多い槇は成長が遅く、
計測された大きい高野槇では
周長4.5メートルで直径1.5メートル程度で
成長に600年かかっています。
最外周のサンプルが確実でないと
200年程度は簡単に古く出せます。 どこにあったかすら分からない国
その程度の国だったってことでしょw >>836
チョンのお前が今頃知って大騒ぎしてるだけだろ
井沢元彦が30年前に片手間に書いたような作品を読んで今頃騒いでるのがチョン
だが井沢は頭がいいから当時から騎馬民族征服説なんて嘘だと言い切っていた
お前のこだわる当時の読みでいけば奴国は大きな国、奈良は大きな場所という意味になってしまうがいいか?
時代背景もあって奈良なんて古代の半島語ってことでお前らが広めてしまってるがw >>842
実在しないからこそ、幾ら調査しても物的な証拠が出て来ない。 >>846
古代国家なのに、その記録が全く無いのはオカシイと言う事。
魏と関係が深いのに、文字(漢字)が無いのも解せぬ。 >>834
まともな歴史資料が何一つない朝鮮半島のことを言ってるの?
天皇は日本の決め手の海の民の王支族の支援で大和から飛鳥の地点で大業を果たしたって文献ではなっていて
考古学もその通りの展開になってるよ
書紀の中でも潜水して天皇に届け物をするような海の民が少なくとも九州から房総や北陸にまで広がっていて
その瀬戸内や吉備の血縁濃い人達が一気にバックアップしたって文献内容になってるから
近年の考古学の出土結果と似てるよね
連弧紋鏡もそうだけど今のところ主力の位置が九州から大和に移動してるように見えるね 宮内庁と京都大学の関西ファンタジー
「天皇はんの墓は絶対見たらあきません」
畿内説は学問じゃないからな あと最古級のスズリとか出てるわな九州から
紀元前まで遡る
また古代のスズリの大多数は福岡出土だ >>849
東遷も東征もない
考古学的に否定済み
九州倭国と近畿日本は別の国 大宰府掘り返せばごりごりと木簡出てきて
邪馬台国なんざ即特定出来そうなんだけどなあw >>816
同じ型から作ったと推定される鏡は何枚か違う地域で出てるよ。
型が見つかったっていう話は俺も知らん。 女王国の東の海を渡るとまた倭種の国がある
女王国から船で南に行くと侏儒国(種子島)がある
女王国の南に敵対する倭奴国アリ
畿内説ってのは歴史捏造だ 太宰府は既に掘り返されてるけど九州倭国の存在を確認できるものは無いね
九州国立博物館が太宰府学なんてやってるから見つかれば喜んで公表するよ 畿内説は変な意地を張らずに、
九州説に統一した方がいいと思うよ。
次の大河ドラマで卑弥呼もいいと思うよ。 >>860
太宰府の自体が九州倭国の存在を示しているな。 九州邪馬台国からの東遷で大和ってのが一番スッキリしてて良くない?
ただのおとぎ話が実はリアルでした、ってすげえロマンない? >>856
大宰府が邪馬台国かもしれないし違うとしても
邪馬台国関連資料が見つかるかもしれない >>865
東遷伝承は素直に考えれば畿内政権による九州征服正当化のためのプロパガンダかな
ろくに論拠となる資料は出ないからね スサノオの下界への追放、大国主の国譲り、神武東征・・・この辺を素直に受け止められないからな。 恒例の+邪馬台国スレだけど最近は畿内説に元気が無いな
三角縁神獣鏡を未だに重要根拠として魏鏡と言い張るのはどうかと思うわ
そうせざるを得ないほど畿内説に材料がなくなっているみたいだな 曹操の墓から出てきた鏡と酷似したものが大分の古墳で見つかったとか >>870
日田の鉄の鏡ね、鉄鏡は銅鏡に比べると出土が少ないんで注目されている。 >>831
奈良盆地で突然文明が発生したのではなく、そもそも縄文時代が始まる前から日本全国に文明はあったんだよ。
畿内は瀬戸内海や東海、北陸との交易の痕跡が色濃く出ているし、纒向遺跡にしても邪馬台国論争のフィルターを外してみると
3世紀当時に300haもの規模を持つ日本最大規模の交易都市だった事は間違いない。
奈良盆地に公益拠点ができたのは、日本海航路の阿曇と瀬戸内・太平洋航路の隼人、縄文先進国の関東・東海
それぞれが行き来しやすい中間地点だったからだろう。 >>870
あと、順番が逆、日田出土とされる鉄の鏡に似た鉄鏡が、曹操の墓とされる墓からも出てきた。 魏の使者が来た場所がどこかと言ったらそりゃ九州だろうな。
ただその頃の日本には畿内に支配的な政権があって九州もその影響下にあった可能性が高い。
畿内も九州も両方とも大和なら別に矛盾もない。日本開催の国際サミットを沖縄でやってるのと同じ。 纏向は諦めました
<ソース>
読売新聞YOL(21.11.2018)
邪馬台国の候補地?見学施設、財政難で建設延期 社会
奈良県桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向(まきむく)遺跡で、
2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。
財政難が原因。整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として
期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。
[調査結果]
纏向遺跡で出土した土器の産地
伊勢・東海系:49%
北陸・山陰系:17%
河内系:10%
吉備系:7%
近江系:5%
関東系:5%
播磨系:3%
西部瀬戸内海系:3%
紀伊系:1% >>875
>ただその頃の日本には畿内に支配的な政権があって九州もその影響下にあった可能性が高い。
3世紀に関西と九州と間に交流の痕跡は殆ど無い
関西から東は世界から孤立していたんだよ。 銅鐸の鋳型は九州でも出土してるに、銅鐸自体の出土が九州では少ないっていうのも謎だよな。
九州では埋納せずに鋳つぶして再利用したのかな? >>875
上の方でも複数レスがあるけど畿内論者は北九州と畿内の交流の痕跡が少ないことを無視してずっとこの支離滅裂な主張を繰り返しているな
余程畿内から中国との交流の痕跡が出ない事が苦しいようだ 九州の銅器の鋳型は石を掘った石型なので残りやすい。
土型、砂型では残れない。
また、九州の銅鐸は中国の原型に近い小型のもの。
大型化して独自の進化を遂げるのは中国地方から近畿のもの。 大宰府もそんなんだけど、前からあった街・施設の上に新しいの作っちゃうと、前の遺跡は残らない場合もあるからね。 九州だろうと畿内だろうと邪馬台国がどちらにあっても別に重要じゃないのにいつまで論争してんだよ
補助金貰おうとすんな 埋納というのがナンセンス
出土場所や状況から大半は外敵から一時的に隠したものだろう
そしてそのままになったという事は最終的に外敵に負けたということ >>879
その嘘のソースはどこ?
ネットで拾ったガセネタ? ヒナモリって遠い地域を治める官職だからまぁ九州はそういう位置づけだったんだろうな
どういう経緯で大和が王権の中心になっていったのか気になる 銅矛銅剣銅鐸とも同じように大型化していき、同じ時期に使われなくなった
まるでどっかで一元管理しているかのように
弥生遺跡からは縄文の遺物も出ていたが、これら青銅器の進展と共に出なくなった
でも青銅器文化が一斉に終わりを告げると縄文に戻ったかのような呪術を主体とする卑弥呼が登場する
何かしらストーリーを考えると楽しいわな 1ヶ所に限定する必要はない
西日本の広い地域がヤマトとして大陸や半島と別地域であるとされた
時期によって中心地は移動する
文字獲得以前の頃に治めるのは太陽神の巫女である女性
最高権威者の呼び名は個人名ではなく役職に相当する
あるヒミコは九州に居ただろうし別の時代のヒミコは別の地域に居ただろう >>885
[纏向遺跡]
銅鏡、刀剣類、勾玉な、鉄製品などが出土していないなど年代を決定する
決定的な出土物は乏しく、ここに邪馬台国であったと決定的なことは言えない。
日本全国で作られたと見なされる遺物が出土しているが、中でも大和国に隣接し、
古代から交流が盛んで関係が深かった伊勢国で造られた物と、伊勢湾を挟んで
東側に位置する尾張国で造られた物が多い。
また、搬入品のほか、ヤマトで製作されたものの各地の特色を持つとされる
土器が多く、祭祀関連遺構ではその比率が高くなる
(多い地点では出土土器全体の3割を占める)。
また、これら外来系の土器・遺物は九州から関東にかけて、および日本海側を
含むものの、九州由来もしくは朝鮮由来の土器は非常に少なく、この遺跡が
大陸との交易は乏しかったと推定される。 そもそも弥生時代に奈良に政権というものが存在した痕跡は無い
[箸墓古墳](纏向)
2018年4月、奈良県立橿原考古学研究所が前方部出土の壺形土器と壺形埴輪26点、後円部頂上から
出土した葬送儀礼用の土器の破片54点を調査した結果、前方部の土器は地元の土であるのに対し、
後円部は吉備地方の土の特徴と酷似していることが分かった。
このことから吉備地方で製造された完成品を後円部に並べたこと、吉備地方の勢力が大きな力を
持っており、箸墓古墳の造営に重要な役割を果たしたことが推測される。 名曲JR九州社歌の歌詞を変えなきゃいけなくなると残念なので、九州説で良いですw
https://youtu.be/b3aKJJmSW98 奈良盆地では硯も出土していないので文字文化が存在したことも確認できない
魏志倭人伝によると倭人は文字を使っていた 倭人は文字使ってねえよ
暦すら知らないから農耕リズムで1年と数えてるって書かれてんだろ >>887
一元管理してたんじゃなくて倭国大乱じゃないかなあ
>>888
文字獲得って、大陸に朝貢した1世紀には既にあったんじゃないの? >>895
「皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯」
文書で確認していた >>894
魏志倭人伝のどこにそんなことが書いてありました? >>766
宇佐は豊の国であって、卑弥呼とともに台与も合わせて祀ってるのでは
なかろうか。そうして台与はまた神武天皇の祖母の豊玉姫であり、伊勢
神宮外宮の豊受豊受大御神とも同一のものではないかなと思ったり。
ちなみにアマテラスは応神=仁徳系の神様で、やはり卑弥呼もモデルの
一人だろう。つまり伊勢神宮は卑弥呼と台与を祀っているのではないかと
考えている。 >>897
なんで前の分省略すんの??
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國皆臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯 卑弥呼は神功皇后だろ?魏との修好は我が大和朝では名誉の歴史だw >>885
そもそも纒向遺跡を発掘調査した関川尚功氏が纒向遺跡と邪馬台国との関連を否定しているが?
嘘とまで言うなら畿内の北九州、または中国との交流の物証出したらいいんじゃね >>901
神功皇后は、子供産んでるから卑弥呼と同一視するには色々問題が生じるんだが。 わかりやすいけど、九州説って>>897みたいなやり方でしか成立しないんだよな
元の文章を読めば、「津(港)」で「帯方郡の使い」が確認して女王の元に届けていた、と書いてあるのに
前の部分省略したら、まるで女王側(倭国)が文書で確認したかのような印象になる
里を無理矢理単里にした時と同じだよな >>901
神功皇后(あるいはそれより前の景行天皇とヤマトタケル、その子の
仲哀天皇あたりまで)はほとんど作り話のような気がする。
応神=仁徳が崇神王朝を奪ったという事実があって、それを上手く
記紀編纂時の天武朝までつなげようとしたんじゃないかなと。 >>897
たとえ相手が読めなくても文字にして渡すのが交流ではふつう
渡すから読めてるというのがまず間違い
漢委奴国王だって印に字を書いてる ヤマタイとヤマトが似てるから大和で邪馬台国は奈良なんじゃねえの? >>906
台与の支援も文書だったぞ?
お前本当に魏志倭人伝読んだのか? 弥生時代のすずりは松江でも発掘されている。
すずりがあるからと言って文字を書いていたとは断言できないけどね。
(たとえば絵をかいていた可能性も有る。) >>908
紀元前からスズリを使ってるわけで、金印も貰ってるんだし、むしろ文字を知らなかったと考える方が困難だろ >>904
ホケノ山古墳って纒向遺跡の中にあるのを知らないの? >>912
おまえは1枚絵描いただけで漫画家になるのか? 景行天皇から神功皇后までは福岡が拠点。
応神天皇が生まれてから畿内に帰った。
卑弥呼が神功皇后なら
福岡の話ということ。 だから大宰府の下掘り返そうぜ!
木簡ゴロゴロ出てくるよきっと! 九州からは邪馬台国の遺跡はなにも なんにも出てこないからね 結論の出ないことを長年うだうだ続けて
「学問」と称する詐欺ww >>917
大宰府の遺跡自体が価値の有る遺跡なので、さらにその下を掘るには、より古い遺跡の存在を確信してないと難しいだろね。 文字の出土状況は大雑把にこんな感じ
文字の出土状況
3〜4世紀は墨書土器などで文字の痕跡がある。
一文字だけ書かれていることが多い。田の字が多い。
5世紀は金石文の痕跡が残る。鉄刀などに彫られた文字である。
文字の形をみると、彫りの職人は書き順やとめ、はらえなどを
意識していないでたらめな彫り方になっており、
彫り職人は文字を使い慣れていないことがわかる。
6世紀は木簡が出始める。手習いの細片が多く、文字を習うという習慣が
始まっており、文字が下級役人に浸透し始めてきている。
7世紀には戸籍が出始める。文字を文化行政に実用的に
使用し始めていることが推測できる。
8世紀には万葉仮名など日本独自の使用法に、
魔改造が始まる。 そうだ、微妙にスレ違いかもしれんが折角詳しい人集まってるんで聞いてみるけど
倭の五王ってなんで北朝じゃなく南朝に遣使したのかな?
そもそもそんな航海技術あったん?
北ルートの遣唐使であんな苦労してたのにw >>881
調べたら春日市から銅鏡鋳型が出てたw
https://tizudesiru.exblog.jp/237928253/
>>886
ヒナモリは伊都国に居た卑弥呼が周辺諸国に置いたんだよ。 >>923
出雲の件を含めろよ
あと縄文時代から存在するペトログラフもな
文字らしきものが発見されてもそれが渡来文字かどうか区別する必要とある 906も書いてるけど、基本的に通訳を介してたのが倭人
通訳は大陸人で倭人が字を使えなかったのがわかる
文字をマネてみたいなことはしてたはずだが日本語にするにはムリな時代
台与に文書渡したってのも文明国では文書にして渡すのが当たり前てだけ
文書渡す(読めるとは言ってない) >>906
息をするように嘘をつく人が一定数常駐してるからな
邪馬台国スレは常連ばかりだからすぐ気づくw 台与はとよ
邪馬台はやまたい
絶対にやまとと読ませないのは何故 >>931
だって九州のヤマトで確定しちゃうから・・ >>919
水城の底辺部の築城年代が3世紀だから太宰府も地下に古い年代の物が埋まってるかもね。 飯も食わずに四六時中印象操作をやってる畿内説の宣伝係がいる
何度もトリップを公開してしまうOKUYAMAというマヌケw >>931
普通に考えると「やまとのくに」でしょう 伊都国→イトコク
都があったなら邪馬都国と書かれたはずだな >>935
学者に九州説なんてほぼ皆無なんだから結果的に九州説否定派が多いのは当たり前だろw >>939
むかーし老害学者だった連中だろ
旧石器時代捏造とかやってたなw
畿内説捏造計画も俺は知ってるぞw >>914
知ってるけど?
ホケノ山古墳が中国または北九州との交流の物証と言いたいの? 水城の最古がいつかは諸説あるが
自分が知っているのは、古水城の5世紀と
7世紀の現?水城。
観世音寺に保管されていたと伝えられる
木樋の木材が5世紀だったかな?
周囲の神籠石山城が推定4世紀らしいので
その頃から水城も含め太宰府防衛陣が作られていたと見られる。 >>906
王遣使詣京都 帶方郡 諸韓國 及郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。
文書と賜遺の物を同時に伝送するから間違いないってことだから
受け取った倭人側が目録と品物を確認して間違いない
つまり倭人側に文字が読める人が居たんだよ。 >>942
水城は3層で最下部が3世紀に造られてる。 中国から渡ってきた人がいたのか、
日本人が行って勉強してきた人がいたのかわからんが
文字が読める人が少数いても不思議じゃないね。
国書書くなら読み書きできる人がいないと無理だろうから。 7世紀の水城しかわからんが、
水城の大きさは1200m×80m
かなり巨大な古墳に匹敵する大きさ。
それだけの巨大な防壁を作れるのに
あまり大きい古墳がない。
九州はあまり古墳の大きさは気にしない
文化だったと行ってよいだろう >>945
使える人は一定数いたんだろうけど、第一回の遣隋使ですら書状持って行かなくて恥かいたからなんとも 魏の時代の畿内は倭国ではなく倭種の国でしょ
100歩譲っても狗奴国の一派ってとこかな
<旧唐書より>
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。
https://i.imgur.com/LMs5IbV.png
■倭國条 〜631年 (倭国時代末期)
「倭國者,古倭奴國也。」
(倭国はいにしえの倭奴国である。)
■日本条 701年〜 (畿内ヤマト政権時代)
「日本國者,倭國之別種也。」
(日本国は倭国とは別種である)
そして古代倭国との関係について
日本国使者があれこれ言い訳をする。
「日本舊小國,併倭國之地。」
(小国だった日本国が倭国を併合した)
↑
これは遣唐使に倭国と日本が別国だったという認識が無ければ出てこない言い訳だ。 >>922
太宰府の遺構って何のことだ
太宰府政庁のこと?
トレンチすればいいだろ別に >>878
吉野ヶ里で一つ出ただけだろ
異国文化のサンプルとして一つ持ってただけだろ多分
少なくとも九州が銅鐸文化でないことは明らかなんだから 北部九州では
銅鐸は原型に近いものがあるし
制作もしてみたけど
あまり興味はなかったみたいね。
試作してそれっきり、みたいな。 倭人が文字使えたなら「卑弥呼」とか「邪馬台国」なんて漢字は許すはずないんですよ
女王様になんて酷い漢字当ててんだと激怒するんですよ
文字が使えたらね 筑紫なんかは結構良い字があてがわれているんで
その頃には倭人もわかってきたみたいだね。
国の位置的に読める人も多かったんだろうね
肥は微妙かなあ。 >>954
古事記で伊邪那岐だの伊邪那美だの散々書いてるだろが 韓国では朝鮮語はモンゴル訛りのツングース言語と解析されてるのに
どうやって日本史にぶっこむんだ >>955
卑字の考えは全く間違い
一番分かり易いのが邪馬臺
臺は皇帝が居る場所と言う意味があり
卑字などではない 本来邪馬台国の論争のはずが、東日流外三郡誌の偽書騒動で場外論争していた人達って
たいがい年いって亡くなったのかな? >>960
↑
この猿誰かなんとかしてwww
神様には「卑字」は散々使うのが当然だけど
人間には「卑字」使うのはあるわけがないキリだとww >>960
お前それ検査しないから感染してませんキリレベルwwwwww 卑弥呼の邪馬台国と争った国が熊本に 九州説に新解釈
2019.9.2
魏志倭人伝によると、狗奴国は女王・卑弥呼が君臨した国々の南に位置し、卑弥呼とは抗争状態にあったとされる。
考古学者らはその勢力圏の中心が熊本県内にあったとし、狗奴国の位置から卑弥呼の邪馬台国は福岡県域にあったと主張している
https://special.sankei.com/a/life/article/20190902/0001.html 奈良文化財研究所名誉研究員の狩野久氏は、邪馬台国は本来
「崇敬な山の入り口」の意味の「山(やま)門(と)」だと
する説を紹介し「邪馬台国が九州にあった可能性は高い」
との見解を示した。 >>962
日本は多神教らしいんで天もいれば邪もいるんですよ >>967
↑
この猿誰かなんとかしてwww
アマテラスの親の神様には「卑字」は散々使って当然だけど
人間には「卑字」使うのはあるわけがないキリだとww 結論は「わからない」で出てるのにいつまでやってんだよw ふつうに使わないよね。ひみこ様は倭国のトップリーダーなのに
卑しいなんて倭人が字理解してたらそこは(`Д´*)9よね
邪馬台国の邪と馬なんて漢字もろに倭人を差別してるよね >>972
↑
この猿誰かなんとかしてwww
アマテラスの親の神様には「卑字」は散々使って当然だけど
人間には「卑字」使うのはあるわけがないキリだとww >>972
↑
こういうのが近畿パーね
あの「近畿では鉄が溶け易いんですキリ」で有名な近畿パー
名誉教授クラスが学会で言うからねこんなことを ヤマトとは山人のことである
大乱とは倭国で強勢だった海人に対する山人の反乱であると
やまひとだから邪馬壹にも通ずる
畿内が九州を制圧した、もしくはその逆だとしてもどちらかの青銅器文化が残っていたはずだが、一斉に消滅した
列島で抑圧されていた山人たちの反乱が起こったからだと
この説は大胆だけど面白いと思った 諸悪の根源は「仮に〜だとしたら」という仮想をもとに「○○なので、△△である可能性があり〜〜〜」と続けて、「だから畿内で確定である」などと思考停止する畿内教信者 読みに当て字を使ってるだけで倭にどういう字を使うか指定することなんてできるわけないのに延々とやっててワロタ
邪馬台国に関する本を一冊も読んだことがないんだろうな >>941
後漢鏡や魏鏡が出てるんだから中国との交流の証 >>941
逆に九州には奴国と伊都国を除くと、3世紀に中国との交流痕跡はない >>981
日本には対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国を除くと、3世紀に中国との交流痕跡はないんだよ
つまり、これらの北部九州の国々が邪馬台国なんだよ。 >>982
そうそう、畿内は倭国大乱で決別した東の倭種の国だよ >>982
だ・か・ら・ホケノ山から出た後漢鏡や魏鏡があるだろが 邪馬台国なんてなかったとわかったのに何言ってるのよ 北部九州は所詮、窓口に過ぎない
楽浪土器は出るが中国鏡が出ない >>985
そうそう邪馬台国じゃなくて大和国だよな 確かにホケノ山は九州の古墳の様式に近い。
だから九州でよく出る内向花文鏡がある。
また、素環頭太刀や鉄刀、鉄鏃、
鉄農具なども鉄の豊富な北部九州の様式だ。
また、畿内に多い画紋帯神獣鏡もあるので
九州様式に畿内様式を加えた
移行過程にあるものと考えるべきだろう。 あと、朱が出た古墳も畿内に2基あって
これも北部九州の形式に近い。
朱が出る古墳は畿内ではこの2基だけで
他には出ていないが
北部九州からは福岡だけで27基
佐賀、大分、熊本を合わせると52基となる。 やっぱり最近は畿内説に元気がないな
畿内と中国との関係聞かれて年代に疑問持たれてるホケノ山古墳とか言っちゃうとか
古い研究者が引退していけば徐々に北九州が有力となりそうだ 畿内の桜井大塚山古墳では
朱と共に九州に多い内向花文鏡と
方格規矩鏡が出ている。
三角縁神獣鏡も多数出ているが
これは畿内のものだろう。
また、桜井茶臼山古墳では棺に朱が塗られており
やはり、方格規矩鏡と内向花文鏡が
発掘されている。
卑弥呼の時代は弥生後期であり
伸ばしても古墳時代前期までだが
朱が出る畿内の古墳は、この時代ではこれだけである。 製鉄や焼き畑農業をしながら山を渡り歩いていた
山渡
これがヤマトの語源
中国語でなまって邪馬台国になった >>555
日本書紀では日向でなく日向国になっているぞ
取り付く島も無い
俺もガラにも無く日本書紀など読んでおる >>991
現状は九州説に学者が皆無なんですが
今の研究者が引退しても次の世代の学者も畿内説 >>988
九州の古墳の鉄器は鉄刀1本とかそのレベル このスレッドは1000を超えました。
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