私は、SNS上での誹謗中傷に対しては断固許さない姿勢をここ数年間堅持してきた。

批判や論評を超えた明らかな誹謗中傷に関しては、複数回、私が被害者(原告)として訴訟を提起し、
そのいずれのケースでも加害者(被告)による謝罪和解、あるいは裁判所からの賠償命令が加害者に発せられ、
銀行口座の差し押さえまでに至るという完全体制で臨んできた。
決して泣き寝入りしない、という姿勢を内外に発してきたのである。

・「スルー」「黙殺」でますます過熱する誹謗中傷
まず結論めいたことからの述べると、SNS上での誹謗中傷は「スルー」あるいは「黙殺」によって鎮火する、という考え方は間違いである。
SNS上での誹謗中傷を行う加害者の心理は、一部の愉快犯を除けば何かしらの正義感を伴っている。
つまり「こいつは誹謗中傷をされて当然である」という加害者側の歪んだ正義感によって行われることが多いのである。

 例えば個人に対する誹謗中傷ではないものの、特定の国や民族をひとくくりにして差別する
いわゆるヘイトスピーチの発信源であるネット右翼が、その素性を秘匿しないでSNS上に差別投稿を行い、
それが露見して処分を受けたり問題になるケースは枚挙に暇がない。「
奈良の町議FBに再びヘイト投稿」(2019年11月)、「ヘイトスピーチで更迭 年金機構・世田谷事務所長」(2019年3月)。

 このような事例と、SNS上での誹謗中傷加害者の心理はほとんど同一と言ってよい。つまり自分が正義の懲罰をしているのだから、
自分の人定を隠す必要性を感じないのである。
(中略)
・「甘受論」にどう立ち向かうか
(中略)
 私の裁判経験から述べると、ある加害者は「オピニオンを発する人間は、ネット上の批判に耐えるべきである」という反論を繰り返した(裁判所からは否定されたが)。
これを私は勝手に「甘受論」と名付けている。
つまり、公に向かって何かを発信したり、例えば木村さんのケースのようにテレビに出演している著名人であるならば、
ある程度の罵詈雑言は想定されるべきで、それは甘受してしかるべきだという屁理屈である。

 ところが被害者側が「モノを発信したり、メディアに露出している等」ということを根拠に、この人物は誹謗中傷をある程度は甘んじて受けるべきである、
という理屈に従えば憲法の定める法の下の平等(第14条1項)に反することになる。

よって裁判所はこれらの要素を和解や判決の加害者側情状に一切考慮しない。
逆に加害者側が社会的地位を有していたり、社会的発言力がある場合等は、被害者による訴額増額の根拠にはなりうる(
―当然、紙媒体等での名誉棄損はもっと高額な訴額の根拠となりえるが、本稿では詳述しない)。
「自分は有名人(芸能人、タレント)だから、SNS上での誹謗中傷にはある程度耐えなければならない」
という考え方をもし被害者側が持っているのであればそれは間違いなのである。

被害者が被害回復を主張し、断固とした対応を見せなければ、SNS上での誹謗中傷は一向に収まらないのである。
このように「甘受論」は全くナンセンスである。被害者の被害回復を、被害者側が躊躇する理由はどこにもないのである。

(だいぶ中略)
 結論を述べると、このような被害者の毅然とした態度により、SNS上の誹謗中傷は確実に減少すると私は経験則から言うことができる。
SNS上の誹謗中傷は場合にもよるが複数人が関与していることが多い。
よって「毅然とした法的措置を”既遂”した」(―これからやりますとか、法的措置を講じる可能性がある、などという曖昧なものでは効果小)と公に宣言するだけで、
誹謗中傷をする加害者は「逆襲」の可能性を感じて誹謗中傷を中断するか断念する。
残念ながらほぼこの方法しか苛烈な誹謗中傷を減退させる方法は無い。
ほとんどの誹謗中傷の加害者は、自らが相手を攻撃することには躊躇が無いが、自分が罰せられると感じたとたん、急に自己の加害性と向き合うのである。

SNS上の誹謗中傷に対しては、
1.泣き寝入りをしない、
2.スルー・黙殺は却って状況を悪化させる可能性もある、
3.弁護士を使った訴訟の提起は決して高いハードルではなくなっている、の3点を認識し、
いわれのない誹謗中傷や差別には断固とした態度で臨み、
二度と再びネットの誹謗中傷で人が亡くなるようなことがあってはならないとの決意を新たにするものである。(了)

全文ソースで
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200531-00181000/