みなさん、マンガはお好きですか? マンガ好きな人も、最近はあまり読まないという人も、子どもの頃に一度は触れたことがあるのが「学習まんが」。学校の図書室に唯一置いてあるマンガ本として、読書が苦手な子どもからも人気だったあの存在。マンガ禁止の家庭でも「学習まんが」なら認めてくれた……なんて読者もいるのでは?
そこでこの記事では「学習まんが 日本の歴史」の刊行を勝手に記念して、超個人的な「日本史ドロドロエピソードベスト3を挙げてみたいと思います。

その1 現代でも通用する完全なモラハラ夫 細川忠興
細川忠興の妻は、あの細川ガラシャ。美人で聡明な女性として当時も評判だった人です。しかもこの結婚は織田信長のお声がかり。まさに人も羨む、ビックカップルでした。
ですが、ふたりの関係は「本能寺の変」をきっかけに歪んでしまう。ガラシャの父、明智光秀が謀反を起こし滅亡。ここでふつうならば離縁するのですが、忠興は別れずにガラシャを山奥に幽閉した。彼の彼女に対する執着の深さがうががえます。
幽閉時代を経て、ふたりはまた、ともに暮らすようになるのですが、職人が妻の姿を見ただけで首をはねてしまったといいますから、忠興の嫉妬は、はっきりいって異常です。彼は、外面は優秀な武将だったのがまたモラハラっぽいです。
夫の残虐な仕打ちを見てもガラシャは顔色も変えず、かえって忠興があきれたという逸話もありますが、内心では苦悩していたことでしょう。彼女はやがてキリスト教にひかれ、ついには洗礼までうけて「ガラシャ」となります。
歪んだ夫婦の最後のときは「関ヶ原」。忠興は家来に、石田三成が挙兵したらガラシャを殺すように命じて、家を出ていきました。

その2 正直「毒親」入ってます? 淀殿
信長の姪という超セレブの身で秀吉の側室となった淀殿。彼女は豊臣家の跡継ぎ、秀頼を生むことで秀吉亡き後、大坂城の主となった。最強のシングルマザーの誕生です(ちなみに医学の専門家によると、たくさんいた側室の中で彼女だけが秀吉の子を宿す確率はかなり低いそうです)。しかしごぞんじの通り、「関ヶ原」を経て徳川家康が天下を握る。
やがて大阪冬の陣、夏の陣が起こり、彼女は秀頼とともに滅んでしまうのですが、ここで残念に思うのは、とうとう秀頼を戦場に出さなかったこと。
真田幸村ら大坂方の諸将は、秀頼の出陣をのぞんだといいます。しかし淀殿は秀頼を表に出さないまま滅んでしまいました。息子を大事にするあまりかもしれませんが、であればプライドを捨てて、最初から家康に土下座外交をとる道もあったのではないでしょうか。

その3 神なのか人なのか。持統天皇
中大兄皇子(後の天智天皇)が父、その弟の大海人皇子(後の天武天皇)が夫。そして自身も女帝として即位した持統天皇。父、夫の政策を継承し、自身が完成させていったという凄い女性で、天照大神のモデルになったという説もあるほどです。
「日本の国のかたちをつくった」といっていい偉大な女帝ですが、この人にして、実の子の草壁皇子を帝位につけるために、姉の子の大津皇子を死に追いやってしまっている。神と仰がれる偉大な人でも、人間らしい気持ちもあったというところでしょうか。

(一部省略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f7559fc530d119245e4b4612010b6e8d91d9383?page=2