0001蚤の市 ★
2020/09/13(日) 08:42:03.53ID:5APMh0T29拠点を転々
新選組は1863年から壬生寺(みぶでら)(同市中京区)近くを屯所としたが、隊士が増えて手狭になったため、65年、西本願寺に移った。境内に新選組本陣の看板を掲げ、寺の北東にあった北集会所(きたしゅうえしょ)と、現在もある太鼓楼を使っていたという。
しかし「本願寺史」などによれば、新選組は境内で大砲や小銃を連発する訓練をして、参拝する門徒や僧侶らを震撼(しんかん)させた。また腹を切る者や処刑される者、捕縛される者らがおり、「極楽に地獄を合併したるがごとし」といわれる光景だったという。
西本願寺は新選組を追い出すための苦労を重ね、屯所は67年6月、寺から約500メートル南の不動堂村へ移った。費用は西本願寺が負担した。
不動堂村屯所には、表門、高塀、長屋、近藤勇や土方歳三ら幹部の居間、馬屋などのほか30人が一度に入れる風呂もあり、大名屋敷に匹敵する構えだったという。伏見奉行所に引き払うまでの約半年、使われた。
過去の著書でも推定されていた
屯所の所在地をめぐっては様々…(以下有料版で,残り687文字)
朝日新聞 2020年9月13日 8時00分
https://www.asahi.com/articles/ASN945DS9N94PTFC00S.html