新型コロナウイルスの感染拡大は人々の暮らしを大きく変えました。医療従事者、夜の街で働く人たち、インバウンドが消えたゲストハウス、東京五輪、パラリンピックが延期になった選手、厳しい状況の外国人留学生…。色々な立場の人たちを訪ね、コロナ禍に見舞われた「私たち」の2020年を伝えます。

 「非常に悲惨な消耗戦。仲間がひとりふたりと欠けていって、どこにも援軍を求められない」。東京都葛飾区の医師、大桃丈知(たけとも)さん(57)は医療の現状を語る。1月以来、最前線で新型コロナウイルス対応にあたってきた。

 中国・武漢からチャーター機の第1便で帰国した人たちへの対応が始まりだった。「覚悟をもって、誰か行ってくれないか」。1月末、医師会からの非公式の呼びかけに手を挙げた。

 2月初旬からは集団感染が発生した大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」に入った。船内では当初、複数の医療チームが活動していたが、医療従事者の感染や風評被害も相まって、多くが撤退していった。「人を出せない側の事情も分かる。ただ、誰かがやらなければ」。信念で活動を続け、防護衣を着て一日中、薄暗い船内をかけずり回った。

 平成立石病院(東京都葛飾区)の副院長で救急科部長でもある。2月半ばには病院でも陽性患者の受け入れを開始し、これまで300人近くを診てきた。入院患者や救急外来の診療などの他、4月からは都の軽症者用ホテルで活動する医師らを束ね、区のPCRセンターでも検査にあたっている。

 「仲間がいるから、やっていられるんですよ」。治療に集中できるのは、看護師や救急救命士、周囲のスタッフがいるから。患者が回復し、まわりが皆、笑顔になることは励みだ。だから「彼らがプライドを持って働ける病院でありたい」と大桃さんは言う。第2波の始まった7月以降、約8割の使用率だった陽性患者用のベッド19床は、感染者の急増した11月から満床が続く。

 これまでDMAT(厚生労働省の災害医療派遣チーム)、AMAT(全日本病院医療支援班)、JMAT(日本医師会災害医療チーム)として、東日本大震災、常総水害、熊本地震、昨年の台風15号など数多くの災害現場で活動してきた。地震や風水害では、人と人が手を取り合い、復興へのゴールを設定できた。コロナは違う。先は見えず、全世界が危機のただ中にあって応援は望めない。それでも今このとき、ウイルス治療の新薬研究に心血を注ぐ人、技術開発を手がける人、コロナ克服に向きあう多くの人がいる。大桃さんにとって、それが一筋の光だ。

 「闘いはずっと続いている。患者は増える要素しかなく、医療は更に厳しい状況になるでしょう。でも今は、踏ん張るしかない。自分ができることで、踏ん張るしかないんです」(川村直子)

朝日新聞 2020/12/12 17:00
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