今回紹介する、ゆっくりするところさんが投稿した『【ゆっくり解説】裏切り者は許さない・・・八つ墓のモデルとなった『津山事件』』という動画では、音声読み上げソフトを使用して、昭和犯罪史上最悪とも呼ばれる「津山三十人殺し」を解説していきます。

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体の弱かった男が猟銃と日本刀で村人を襲うまで
魔理沙:
 これは岡山県津山市の集落で、1938年(昭和13年)に起きた大事件だ。一般的に「津山事件」と呼ばれているが、犯人の名前から「都井睦雄事件」とも呼ばれる。これは小説『八つ墓村』のモデルにもなった事件なんだ。

 この事件の犯人は、都井睦雄という男性だ。都井は1917年に岡山県苫田郡加茂村、大字倉見(現在の津山市)に生まれた。二歳で父、三歳で母を肺結核で亡くし、祖母に育てられることになる。

 そして都井は小学校を卒業する頃に、肋膜炎を患い、医者から農作業をすることを禁止された。そのせいで都井は無気力になっていき、無為な生活を送っていた。その後病状は快復に向かっていて、実用補修学校に入学したものの、学業を嫌うようになり、家に引きこもるようになってしまい、同年代の人間との関わりもなくなっていった。

 1937年、二十歳になると、都井は徴兵検査を受けた。しかし肺結核との診断を受け、事実上の徴兵検査強不合格を突き付けられた。都井の徴兵検査の話はすぐに村中に広まり、それまで都井と関係を持っていた女性たちも、掌を返したように都井の陰口を言うようになった。

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 当時、この村では夜這いの風習があったとされていて、都井も普通の女性と関係を持っていたらしい。徴兵に受かるというのは、ある種ステータスでもあって、強い男の象徴ともされていた風潮があった。その徴兵に不合格になっただけではなく、病気のせいで農作業もまともにできず、弱々しく生きるしかなかった都井問いに対して、集落の人は白い目を向け、かかわらないように距離をとっていった。

霊夢:
 村八分みたいにされてる。

魔理沙:
 都井には姉がいた。その姉だけは唯一の理解者だったが、結婚して家を出てしまっていた。結核による差別、徴兵不合格への嘲笑、関係のあった女性たちの裏切りによって、都井のプライドはズタズタに引き裂かれた。心のよりどころだった姉も近くにいなかったため、都井は人生に絶望した。

 その後、都井は狩猟免許を取得して、散弾銃を購入し、毎日家にこもっては射撃練習をする日々を送っていた。この頃から都井は自分をバカにした人間に復讐するために、犯行を準備していた。それにこの頃から都井は、姉と数名の人間に宛てた長文の遺言を書き残していたという。

霊夢:
 犯行が終わったら自害するつもりだったのかしら。

魔理沙:
 最初からそのつもりだったようだ。加茂町駐在所まで自転車での距離を測り、万が一逃してしまった標的が救援を求めるまでの時間を把握しておくなど、犯行に向けて周到な準備を進めていた。

 そして1938年、5月20日、17時ごろ計画が開始された。まず都井は電柱によじ登って送電線を切断し、集落のみを停電させた。この時の停電では村の人間は特に不思議に思わなかったそうだ。日が変わった21日1時40分ころ、都井はいよいよ行動を開始。

 詰襟の学生服に軍用のゲートルと地下足袋と、頭には小型の懐中電灯を両側に一本ずつ、はちまきで結わえ付けた。匕首、手には改造した猟銃を装備していた。

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2021年3月31日 18時0分
ニコニコニュース