ケント・ギルバート ニッポンの新常識 

 安倍晋三前首相と、ジャーナリストの櫻井よしこ氏、同じく有本香氏とともに、私は東京・有楽町のよみうりホールで22日に開催される「日本国憲法のあり方を考えるシンポジウム3」(夕刊フジ主催)に参加する。その前に、憲法をなぜ改正する必要があるのかを改めて解説したい。

1947年5月3日に施行された日本国憲法は、主権者である国民が、直接または代表者を通じて間接に制定した「民定憲法」と位置付けられている。前提として、憲法のすべては法規範で規定されたり、判例や憲法慣習によって補充されていくのである。また、民定憲法には「禁止されていないものは許可される」という考え方がある。


 民定憲法の対義が、大日本帝国憲法が属する「欽定憲法」だが、この憲法は「許可が明記されていない限り、禁止」を前提としている。

 そのうえで、憲法9条に注目したい。

 第1項には、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。これは明らかに専門的な用語であって、「国権の発動たる戦争」とは侵略戦争を指しており、第一次世界大戦後の28年に多国間締結された「不戦条約」が基となっている。

 日本の憲法学者の多くは、前出の欽定憲法のように日本国憲法を解釈し、「戦争のすべてが禁止されている」と論じる。もちろん、民定憲法であっても侵略戦争は認められないが、防衛戦争や米国がイスラム過激派組織「イスラム国」に行った制裁戦争は必ずしも禁止されるものではない。日本国憲法は民定憲法だが、多くの憲法学者は前提が誤っている。

 第2項には、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とあるが、前項の目的(=侵略戦争)のための軍隊を保持してはいけないだけであって、自衛隊は認められなければならない。

安倍晋三前首相は第3項を加えるかたちで、「自衛隊を保持する」と明文化しようと働きかけた。日本政府の「自衛のための戦争、自衛権は放棄していない」という憲法解釈に則(のっと)ったものだ。ただ、左派野党や一部メディアは、92年のPKO協力法や2015年の安全保障法制も含めて、解釈を拡大させると反対している。

 政府の憲法解釈をもとに、憲法を改正する必要がないと論じる人もいるが、それもまた誤りである。なぜなら、多くの日本人が「戦争はすべて罪である」という誤った教育を受け続けており、何十年間も堂々巡りしている議論に終止符を打つ必要があるからだ。

 今、まさに日本国憲法が“限界”を迎えているのだ。

夕刊フジ 2021.4.9
https://www.zakzak.co.jp/smp/soc/news/210409/pol2104090002-s1.html

1 Egg ★ 2021/04/11(日) 00:49:19.42
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1618118824/