マツタケの養殖に人生を捧げ、「マツタケ博士」と呼ばれた吉村文彦さんが今年1月、京都市内の自宅にて逝去された。

享年80。毎年秋のマツタケシーズンになると「マツタケ研究」の第一人者としてNHKや民放テレビ・ラジオで解説をしていたので覚えている方もいるかもしれない。

縁もゆかりもなかった岩手で活動したことで、岩手はマツタケ増産を果たし「岩手のマツタケ」はブランド品としての地位を築いた。これを推し進めた吉村先生の功績についてはあまり知られていない。

◆いつから「マツタケの本場」になったのか

マツタケの本場・岩手――そういわれるようになったのは、実はそう昔のことではない。

今では1キロ10万円の値段がつくほどで、20万円、30万円というのも珍しいことではない。ずば抜けて高価な食材として「森の宝石」とも称されるマツタケであるが、岩手産マツタケは中央ではそれほど高値がつかなかった。

その理由を解き明かすためにも、まずはマツタケの歴史を振り返ってみよう。

平安時代から和歌に詠まれていたマツタケの食文化。西日本の中心は京都であり、そこに岡山や広島、信州、和歌山などのマツタケが出荷されていた。なかでも京都の北部、丹波篠山産が最高級とされ、その時代は昭和60年代まで続いたのである。

それが、地球温暖化の影響なのか森の荒廃の影響なのか定かではないが、京都のマツタケの生産量が極端に減り、冷蔵車での流通が進んだことも影響して岩手産のマツタケに注目が集まった。

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