太平洋戦争中の1942年、旧日本軍の潜航艇3隻がオーストラリアのシドニー湾を攻撃した。ちょうど79年を迎えた5月31日、現地の歴史家らの案内で、3隻のルートをたどるクルーズがあった。90人余りが参加し、奇襲作戦の様子を追体験した。

 現地の歴史愛好家らでつくる豪州海軍歴史協会が初めて催した。クルーズ船は、シドニー中心部の埠頭(ふとう)を出発。最初に向かったのは、4キロ近く東側に離れた湾の入り口付近だ。

■よみがえる当時の記憶

 42年5月31日夜から6月1日未明にかけて、日本海軍の2人乗りの特殊潜航艇3隻が敵艦に魚雷攻撃するため、シドニー湾への侵入を試みた。

 当時、湾の入り口には潜水艦を防ぐ網が張られていた。1隻目が網に引っかかり、身動きが取れなくなって自爆した。

 参加者の一人、ビブ・リトルウッドさん(85)は当時6歳で、湾の近くに住んでいたという。「母が『騒々しい音がする。何かが起きている』と私を起こしたのを思い出した。当時の記憶がよみがえって興奮するよ」

 次に向かったのは、数百メートルほど奥にある小さな入り江。2隻目が、豪海軍に発見されて沈められ、乗員2人は艇内で拳銃自殺した。同協会の案内役、ノエル・フェレンさん(79)が説明した。「2隻目は、何らかの理由で魚雷を発射できなかった。海軍艦が50フィート(約15メートル)離れたところから、爆雷を落としました」

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2021年6月1日 12時00分