朝日新聞は社説で「東京五輪の中止」を求めた。しかし、依然として東京五輪のスポンサー契約は続けている。元朝日新聞記者の鮫島浩さんは「むしろ朝日新聞の社内では、五輪中止を求めた社説が問題視されている。読者の信頼を回復するには、まずは社内の『言論の自由』を回復するべきだ」という――。

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■「五輪中止社説」に猛反発

 朝日新聞社長が池上彰氏のコラム掲載を拒否したことに対し、朝日新聞記者たちが現場から抗議の声をあげて社長を辞任に追い込んだのは2014年秋のことである。あれから7年の歳月を経て、この新聞社は様変わりしてしまった。

 朝日新聞社説が東京五輪中止を主張したのに対し、東京五輪スポンサーとして五輪を盛り上げる報道を主導してきた朝日新聞編集局が猛反発しているのである。

 社説が掲載されたのは5月26日朝刊。新型コロナウイルスの感染拡大が止まらず五輪中止の世論が高まるなかで、今夏の開催が「理にかなうとはとても思えない」と断言し「今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める」という主張を掲げたのだった。

 近年存在感に乏しかった朝日新聞の社説にしては、切れ味鋭い論調であったといえよう。ツイッターなどでは「五輪スポンサーの朝日新聞がついに開催中止に舵を切った」と歓迎する投稿が相次ぎ、朝日新聞は久しぶりに株をあげたかにみえた。

 ところが、内実はまったく違ったのである。

 この社説に対して、五輪報道を担ってきた社会部やスポーツ部を中心に編集局の部長やデスクらから強い抗議の声があがった。

■「編集局内部の自己規制」記者たちが掲載見送りを主張

 社長ら経営陣が社説を執筆する論説委員室に「上からの圧力」を加えたのではない。かつて社長を突き上げて辞任に追い込んだ編集局が、今度は五輪中止を訴える社説に猛抗議し、その日の掲載の見送りを迫ったのである。

 社説にさえ抗議するのだから、東京五輪開催に批判的な記事が編集局内部から発信されないことは当然であろう。

 私は5月31日をもって27年間勤めた朝日新聞を退社し、フリーとして独立した。国家権力を監視する批判精神を失い、「客観中立」を装った「両論併記」の差し障りのない記事を大量生産して安穏としている社内の空気に失望したからである。

 いま朝日新聞の編集現場で起きていることは「国家権力からの圧力」や「経営陣からの圧力」による萎縮ではない。「編集局内部の自己規制」である。私の退社間際に勃発した「社説問題」はその実態を可視化した。それは自らの決断は正しかったという確信を私に与えた。

 社長による掲載拒否を覆した朝日新聞記者たちが、たった7年のあいだに、東京五輪中止を訴える社説の掲載見送りを主張するにまで変わり果てたのは、いったい何故なのか。朝日新聞がジャーナリズムの立場を捨ててまで五輪スポンサーになり、大会開催に固執しているのだろうか。「東京五輪と朝日新聞」の歩みを振り返り、検証したい。

6/11(金) 9:16
配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/3309f87943ccb4edd618d59c8c852bd192c654c6