【奈良】「卑弥呼の後継・臺与の墓?」「築造は3世紀後半から末、邪馬台国畿内説に弾み」 卑弥呼の箸墓に迫った2メートル ★2 [樽悶★]
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
箸墓古墳の墳丘(上)近くで見つかった葺石。宮内庁管理の区域の2メートル手前まで迫った=平成7年2月、奈良県桜井市
https://imgur.com/dWesxT5.jpg
「考古学者が一番掘りたい古墳」ともいわれるのが、奈良県桜井市の箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半、墳丘長約280メートル)。日本で最初に造られた巨大前方後円墳で、邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説が戦前から唱えられているからだ。卑弥呼が中国から贈られた「金印」が見つかれば、邪馬台国畿内説を決定づけるとの期待は大きい。しかし、宮内庁が第7代・孝霊天皇の娘の墓として立ち入りを禁じ、発掘もできない。この謎のベールに包まれた古墳に、果敢に挑んだ発掘調査があった。
■古墳研究が何十年も遅れる
「卑弥呼の後継・臺与(とよ)の墓?」「築造は3世紀後半から末、邪馬台国畿内説に弾み」
平成7年2月、新聞やテレビは箸墓古墳の発掘成果を大々的に報じた。これまで不明だった築造時期が絞り込まれ、邪馬台国論争に重要な手がかりが見つかったからだ。
さらに研究者を驚かせたのは、立ち入り厳禁のはずの古墳で、なぜ発掘ができたのかということ。
この調査を担当したのが、県立橿原考古学研究所研究員だった寺沢薫さん(70)。現在は、箸墓古墳や邪馬台国の首都ともいわれる纒向(まきむく)遺跡を研究する桜井市纒向学研究センターの所長を務める。
実際の発掘の範囲は、宮内庁が管理する古墳のすぐ外側だった。墳丘北側に接して広がる大池の護岸工事を近畿農政局が計画し、それに先立っての調査。大池の堤防は墳丘につながっていたため、「箸墓に最も近い」発掘となった。
「何か出たら古墳のギリギリまで掘り進めようという思いだった」。寺沢さんはこう振り返る。「箸墓にこれだけ近いところを掘る機会なんてこの先、何十年あるか分からない。今やらなかったら、箸墓や古墳時代の研究が数十年遅れることになる」
■「立ち会いってどういうことや」
※省略
最終的に、発掘範囲は宮内庁の管理区域の2メートル手前まで肉薄≠オた。「本当はあと1メートルぐらい掘り進めたかったが」と寺沢さん。
調査の結果、箸墓古墳の墳丘は、宮内庁の管理より外側に広がっていたことを証明。さらに、古墳には幅10メートルほどの小さい周濠があることも分かった。
築造時期を特定する決め手となったのが、周濠部分などで見つかった大量の土器。考古学では年代を決める最も重要な「物差し」で、木製品の鋤(すき)=スコップ=とともに出土。いずれも古墳築造にあたった作業員が捨てたものと推定され、土器の型式から箸墓古墳の築造は3世紀後半から末頃と分かった。
「もし立ち会い調査で済ませていたら、葺石も土器も見つからなかっただろう」
■宮内庁の監視の目
ちょうど葺石が見つかり出したころから、宮内庁関係者の巡回の回数が増えていった。当時、記者としてこの発掘現場を取材した際、同庁職員の姿をしばしば見かけた。「宮内庁が管理している墳丘部分まで掘っていないか監視しているんだろう」。発掘現場を訪れた大学の研究者らから、そんな声ももれた。「卑弥呼のロマン」とは裏腹に、現場にはピリピリした雰囲気が漂っていたのを覚えている。
今では、仁徳天皇陵古墳(堺市)などの陵墓で、宮内庁と地元自治体が共同で発掘を行う事例も増えてきたが、この頃は「互いに縄張り意識みたいなのがあった」(考古学研究者)時代だった。
ただし、葺石や土器が見つかったことを受け、研究所から宮内庁の考古担当者に連絡すると、同庁担当者がさっそく現場を訪れ、出土遺物や遺構に見入った。寺沢さんは「組織や立場は違っていても、お互いに考古学者同士。いろんな意見が交換できた」と振り返る。
寺沢さんは現在、出土土器を通じた箸墓古墳の築造年代を260年代後半から270年代とみている。
卑弥呼が亡くなったのは248年ごろ。それなら被葬者は? (小畑三秋)
2021/9/15 08:00
https://www.sankei.com/article/20210915-C22NUJAAMFP2FAFDVJTAFEIUXE/
2021年9月17日 23:01
https://note.com/xanqo_10post_jgo/n/nd1ba09826dcb
★1:2021/09/18(土) 22:53:01.38
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1631973181/ >>1
たった今詳しい人に聞いたんだけど
古代日本て大韓文明の劣化コピーなんだってね マタイの福音書1章に注目
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8%201&version=JLB
14代・14代・14代と「14代ごとに歴史の転換点や偉人の誕生、壊滅的な出来事が現わされる運命」が神様により作られている
次に富士山噴火の歴史を確認
一度目の噴火である貞観大噴火は、14+14+14+14=56代目天皇の時に起きた
二度目の噴火である宝永大噴火は、14+14+14+14+14+14+14+14=112代目天皇が上皇陛下として存命だった時期、113代目天皇の時に起きた
そして今の令和天皇陛下は、14+14+14+14+14+14+14+14+14=126代目
さらに富士山が噴火する時はなぜか毎回「咳の出る肺病」が流行している
感染症と大規模災害が同時に発生する複合災害は、過去何度も起きている。
例えば平安初期の貞観富士山噴火(864年)のときは、咳逆病(しはぶきやみ・インフルエンザ)の流行が続いていた。
『日本三代実録』には「863年は前年から咳逆病が大流行し、大納言・源定、内蔵権頭・藤原興邦、平城天皇皇女・大原内親王、大納言・源弘などが相次いで死去した」と書かれている。
5年後の貞観地震(869年)のときもまだ咳逆病は収まっていなかった。
そこで朝廷は、京都の祇園社(現・八坂神社)に祭られていて疫病を打ち払う神と敬われていた牛頭天王(ごずてんのう)と素戔鳴尊(すさのをのみこと)の祭り「祇園御霊会」を挙行。
当時の国の数に合わせ66本の鉾を立て巡らし、諸国の悪霊が宿るように仕向け、そこへ祇園社の神を祭り、みこし3基を送り込んで諸国の穢れを祓い厄払いした。
以来、毎年7月30日が祇園祭として今日まで定着している。
江戸時代の南海トラフ地震ともいえる宝永地震(1707年10月28日)と、その49日後に発生した宝永富士山噴火(12月16日)のときもインフルエンザが蔓延していた。
100キロメートル離れた江戸でも、新井白石の自叙伝『折たく柴の記』に「夜に入りぬれば、灰また下る事甚し。『此日富士山に火出でて焼ぬるによれり』といふ事は聞えたりき。
黒灰下る事やまずして、十二月の初におよび、(中略)此ほど世の人咳嗽(しはぶき)をうれへずといふものあらず」と書かれており、降灰とインフルエンザ(咳嗽)で呼吸器疾患者が続出したといわれる。 卑弥呼と天皇家を結びつけようとするから無理が出るんでない? 掘ったら、日本が朝鮮の属国だった証拠が出てくるからな。
ジャップは認めたくないんだろう。 宮内庁のじゃまがなかったらいろいろわかって楽しいんだろうなあ 馬鹿じゃないの?
卑弥呼は大和朝廷とは別の九州の豪族なだけなのにw 卑弥呼と大和朝廷は別物
大和朝廷は、土蜘蛛として
邪馬台国を滅ぼしたでしょう。
予算取りのために卑弥呼や豊を
使ってるんでしょう。 だいたいこんな古墳なんて大方の物は太古の昔に盗掘されてて
目ぼしいものなんてほとんど残ってないんだけどね
例え一緒に埋葬されたとしても金印なんて残ってる訳がないw 卑弥呼の墓はマトリョーシカになっている気がするんだけどな
どっかの前方後円墳の下になっているかもねえ かなり周りの池の水が干上がってんな
稲作の灌漑かな?
てか、現場は物凄く地味で、
コレがあの有名な箸塚古墳か、って認識するのにも大変だった
周りは農地で池の中に盛り上がった古墳があるって感じ
その周りは住宅地と農地が混在
知らない人がみたら、単なる田舎の小山と池が農地の中にある、ってだけの場所 >>15
逆だよマヌケwww
卑弥呼の子孫が大和朝廷滅ぼして今の天皇家を作ったんだよ 近畿パーはただのウソつき野郎
認知症コースか三島由紀夫コースかどっちか
関わらないようにね
ただのアレなヤツでしかないから >>6
陵墓指定自体が無茶苦茶いい加減なのが問題
安康天皇陵など古墳ですらない(国人領主館→陣城)のに、陵墓指定されてて立入調査もできないから、中世史家が文句言ってる
逆に飛鳥の中尾山古墳なんかは真の文武天皇陵墓に間違いないと言われているのに、未指定古墳として徹底的に発掘調査された挙げ句に放置状態
天皇(大王)墓を護りたいのか護りたくないのか、良くわからないw 宮内庁は邪魔すんなよ
税金で食わしてもらってるくせに生意気 卑弥呼って天皇制とは、何にも関係ない
地方の一勢力だろ 「邪馬台」=「ヤマト」=「大和」=「奈良」
結論出てね? 掘るなって言うけど24時間警備してるの? 監視カメラはついてるの? >>16
金印は福岡で出土してるし
その他に「卑弥呼に贈った金印」があるかもしれんけどな 邪馬台国の系譜では卑弥呼(女性)→台与(女性)
つまり台与は女系の王
天皇家の系譜では女系天皇は存在しないので、
邪馬台国は現在の天皇家とは無関係
しかし邪馬台国を近畿としてしまうと、
現在の天皇家が途中で簒奪(王位を乗っ取ること)をしたことになってしまう矛盾 >>26
マヌケwwwwww
皆既月食があったのは福岡だぞwwwwww 宮内庁がというか、先祖の墓かもしれないものを掘り起こすというのはなぁ。 >4続き
ヨハネの黙示録13章17節
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%2013&version=JLB
獣の名か、その名を意味する数字を彫った刻印を持っていなければ、仕事につくことも、店で買物をすることもできないようにした
↑これがワクチンパスポート。獣の刻印666の真相はBCG。9個×9個のハンコ痕が666
https://images.babymo.jp/articles/0/333/wysiwyg/5711d449bb502d2bdf177d5f8a34c782.jpg
BCGを過剰摂取してしまうと尋常性狼瘡(結核菌の過剰摂取による皮膚結核)発病の危険がある
http://www.med.kyushu-u.ac.jp/dermatolog/MOULAGE2011/103a103d/T251_7239a.jpg
↑狼の瘡こそが16章2節にある「獣の刻印をした者にできる、恐ろしい悪性の腫れ物」
日本には聖書の神様が実在されており、コロナの原因は東京五輪という悪魔崇拝
五輪の警告はヨハネの黙示録9章20節に書かれている
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%209&version=JLB
金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも、聞くことも、歩くこともできない偶像を拝み続けました
↑
これが東京五輪の比喩
2020年が黙示録9章の時であることは、2019年の時点で特定可能だった
ヨハネの黙示録8章12節
https://www.biblegateway.com/passage/?search=%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%208&version=JLB
第四の天使がラッパを吹き鳴らしました。するとたちまち、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一が打たれて暗くなりました。
そのため、昼間は三分の二の明るさしかなく、夜もいっそう暗くなりました。
上記の8章12節が2019年秋であることを証明する記事の一部
↓
オリオン座が崩れる? ベテルギウスに異変 2020年1月18日 17時00分
https://www.asahi.com/articles/ASN1K0JFVN16ULBJ009.html
冬を代表するオリオン座の1等星「ベテルギウス」に異変が起きている。
昨秋から急激に暗くなり、明るさが3分の1になった。もともと明るさが変わる変光星ではあるものの、過去50年で最も暗い。
その他黙示録全体の証明を補完する、実体化した預言とその一部
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/contemporary/1561503978/
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/ranking/1518167769/ 邪馬台国は纏向遺跡を調べれば調べるほど九州説が濃くなってくる 例えばMS子やM子の古墳を品位がどうのこうので調査禁止されても困るじゃろ?
調査くらいさせてやればいい >>25
これw
卑弥呼は福岡の豪族で中国と貿易してただけ
卑弥呼の子孫が奈良に行って大和朝廷滅ぼしたのが神武天皇のモデルになった奴な ゴッドハンドが日本の歴史を捻じ曲げて見せます!
出土品はすべて捏造です!嘘っぱちです!ゴッドハーーーンド! >>28
奴国と邪馬台国は違うのだから
奴国が九州にあったからほかの国もってことにはならんだろ
朝鮮半島から金印が出たら邪馬台国もそこにあったのかもというのか >>38
邪馬台国は福岡が確定
皆既日食は何よりの証拠 >>18
今時、朝鮮半島南部に倭国の植民地が実在したなどと主張する学者は居ないだろ
後世日本府と呼ばれた組織の実態は、せいぜい伽耶地域における倭人の交易出張所だよ >>3
アホか?前方後円墳の劣化コピーが、半島に有るんだが! 邪馬台国はヤマト国
卑弥呼は通訳を勤めた巫女
これを日本語の聞いた音の通りに漢字に当てただけ
この論争はいったい誰の利権になるんだ?
歴史をクリエイトしたら何処かと一緒だぞ 邪馬台国は朝鮮半島の渡来人よって出来た国、古文書にかいてあるじやん つうか、邪馬台国畿内説はありえないんだよな。畿内にあったのなら九州から中国に渡る時に敵地内を通過する事になる。そんなこと容易くできないだろ 3世紀当時は
奈良の大和朝廷
島根の出雲族
福岡の邪馬台国
これが日本3大勢力で結果邪馬台国が全部潰して今の天皇家になっただけ >>29
天照大神は女性
初期の天皇は女性ということで、
卑弥呼とかの他の豪族との系譜を取り入れているわ
ナニが真実からそれこそ神のみぞ知ることで、
日本書紀に書いてある事が「日本書紀では真実」
考古学的な現在世界と伝承の世界では違う
そもそも、邪馬台国の九州説ってのは、
現代で言われているのは、
その言い出しっぺが大学の担当教官から「なんか他の人とは違う事をやってみろ」って言われて、
渋々、邪馬台国の九州説を自分でも信じていないのに研究し始めた、
ってモノだから
本人がそんな回想を何度も取材を受けて話している
本人が九州説が盛り上がってビックリだとよ 中国人はフン族を匈奴、モンゴルを蒙古、トルコを突厥、タタールを韃靼というふうにわりと音を忠実に漢字に当ててるから邪馬台もヤマトてあることに疑いは無い >>47
天照→イザナミと卑弥呼は時代が全然違う
卑弥呼は3世紀、天照は神武天皇以前なので2600年以上前 3世紀当時の博多は日本で一番栄えてたの知らんのかここの奴らはw
大陸から一番近いから一番栄えてたのに キナイというのは過発達さんに都合で2.7倍捻じ曲げられており
実際にはナガノからヒロシマまでぐらいの範囲を指すのであろう >>51
そんなもん信用するなよネトウヨwwwwww
神武天皇なんか2600年前にいるわけねーだろタコwwwwwwwww 邪馬台国近畿説は危険
邪馬台国と現在の日本は別王朝なので、
倭王とされた卑弥呼一族をいずれかの時代で滅ぼして簒奪したことになってしまう もともと邪馬台国は畿内
学会はその方向性で一致している >>51
天皇制は紀元前の縄文時代に始まって
最初の10代は一人に付き100年以上在位したと信じてる奴? >>38
邪馬台国は、周辺のクニ(今なら村レベルだろうが)をまとめた連合国だからな
邪馬台国と奴国との併立は否定できない
そもそも、オレは邪馬台国が畿内説でも九州説でも、どちらでも良い派
むしろ、伝承の中で、邪馬台国の存在が大王=天皇家の系譜に取り入れられたと思っているから、
物理的場所も事実関係もハッキリとは分からんと思ってる
考古学的考察を楽しんでる程度 >>28
漢委奴国王印
親魏倭王印
まったく別モノだろ 近畿も九州も宗教みたいになってんな。
間違った聖書(倭人の条)を自分なりに解釈して人に押し付ける。
どちらも異常者。 狗奴国の置き場所に困ってる時点で
近畿説は無いよw >>44
そんな古文書が無く、魏志倭人伝東夷条のみに頼らなくちゃいけないから、謎なんじゃ無いかと >>3
大韓文明?
なにか変な夢でも見ているんじゃないか? >>42
現地で没した倭人交易集団の長の墓なのか、伽耶地域の豪族が倭人との交易を円滑にするために倭国の墓制を取り入れたと考えるのか、意見の別れるところだな もう天皇制廃止して宮内庁管轄陵墓片っ端から掘り返そうぜ、そうすればはっきりする。 女性天皇が続くのは元明〜元正のこの1回のみ
これは奈良時代で3世紀の卑弥呼の時代と全く合わない
邪馬台国の卑弥呼王朝の系譜と矛盾する 長年卑弥呼の墓と言われてきた箸墓古墳が
台与の墓という説か出てきたのか
今のところ年代推定から言われているだけとはいえ、
この分野もどんどん変化していくんだなぁ
次の課題は、魏に遣使するほどの権力者だった卑弥呼の陵墓がなくて
台与にはどんな功績があって陵墓が作られたのか?
宇多天皇の功績で醍醐天皇が讃えられるようなことが
この時代にもあったのかもしれないけど >>58
ネトウヨだからそういうの分からないのよw
神武天皇のモデルは九州出身の卑弥呼の子孫なのは確定してるのにw
馬鹿が邪馬台国と大和朝廷と同一視してるんだよな >>1
オレは邪馬台国論争では畿内説論者は
ファンタジー脳としか思えないんだよな
女王国の南と接している狗奴国と苦戦する邪馬台国
畿内に邪馬台国があったとするとその狗奴国って今で言えば和歌山県みたいなもの
あんなに平地が少ない地域にそんな大国存在できたの?
しかも紀伊半島内ですらそんな苦戦している邪馬台国が
畿内から九州に至る領域国家を形成する中核を担っていたと想像するのが畿内説w
あり得ない空想だろ?こんなのw
紀伊半島で苦戦している邪馬台国になぜか九州北部までの諸国は従っているという空想w
ご都合主義にもほどがあるだろw
まるで小学生の空想した世界だよな、畿内説ってw
しかもこの広大な領域の連合国家を治める源泉は
女王の鬼道、つまりご神託だよ
そんなものが通用するのは直接女王と対面して女王のお言葉を聞けるごく狭い地域だけの話だろ
畿内から九州に至る広域連合国家が何か月もかからないと女王に対面できないような
地域にいる国まで女王の鬼道とやらで治まるわけがない
それが治まると考えているのが畿内説の世間知らずの坊ちゃんたちwww
ほんま畿内説論者って常識知らんアホぞろいやでw 卑弥呼の墓なら山口県だろ。FBI捜査官のマクモニーグルさんが遠視してた。 倭奴国は男王
邪馬台国は女王
これが全てだ
日本の始まりは女王国だったのかね?
いいよそれでも 国体は崩壊するよ >>66
一緒の話じゃん
日本人がイスラン教の土葬を素直にそのまま受け入れるのか、って話を考えたら、
当時の現地民の首領が日本式の葬祭文化を認めたって話だから
しかも平和的にな 邪馬台国は天皇家とは繋がりがなく、
地理的に九州の弱小国家
記紀にもある異民族退治で滅びた
よって近畿の古墳群は天皇家のものという従来の認識は覆らない >>68
ヤマトトトヒモモソヒメ説もあるし、
アメタリシヒコと推古天皇の問題もあるし、
史書の上での天皇と実際の女帝とが違う可能性もあるね
>>69
68が引き合いに出している元明天皇、元正天皇も男系つながりだし
文武天皇の没後、息子の聖武天皇が成人するまでの橋渡し >>19
なるほど。後世に別の古墳を作る時に手間を省くために1から作るのではなく卑弥呼のそれに手を加えられたと。
戦国時代に築城のために解体されて現存しないというのもあったりしてね。 >>1
>臺与(とよ)
いつも不思議に思うのだけど、邪馬台国の台(=臺)は「たい」と読むのに、
なぜ臺与は「とよ」なのか? 魏の使者なんか当時の倭国なんか興味なくて九州の邪馬台国に来て勝手に倭国の王と思って貿易してたのが真相なのにアホの歴史学者達はなんでこんなことでずっと議論してるのが謎 ニュース板もレベルが落ちたね
何十年前からタイムスリップしてきたの?みたいな反日史観で >>78
ネトウヨ泣くなよw
大和朝廷は九州の土人に滅ぼされて今の天皇家になってるんだぞwwwwww >>23
そもそもかつての朝廷が管理どころか陵墓の位置さえ把握していないのが悪い。 >>80
大阪の茶臼山古墳は、古墳だと知らずに大坂の陣で陣地に使われたしね
さらに、明治時代に交通の邪魔だといって北半分を切削しちゃって、
戦後になってから古墳と分かったという…
北半分は石室があったはずなので、明治の切削のときに石室が出てきたはずなんだけど… 自国に文字文化が無かったから古代の自国記録が何も残ってないのが痛すぎる国だ。
邪馬台国に限らず出雲王朝や九州東北なんかにも勢力があったようだが何一つ解らない。
大きな内戦があったらしいが中国の歴史書の倭国大乱の記述以外に何もわからない。
つうか、中国や朝鮮と古くから交易してたっぽいのに何で文字は伝わらなかったんだろう
出雲王朝があったと思われる地域には2世紀の朝鮮の硯なんかも残ってるらしいが
硯を輸入しておいて文字文化を輸入しないって何でよ 邪馬台国もやまと国とよぶのがいいのだろう。
なぜか大和と区別をしたがるのが多いよな。
続いてない感を出すため。 >>79
卑弥呼台与を近親婚の男系継承としても時代に合う系譜が天皇家に存在しない
よって別王朝と見るのが定説。 >>89
卑弥呼の子孫の神武天皇のモデルとなった人物が大和朝廷滅ぼして天皇になりすましてるからだよw 卑弥呼台与と同時期の天皇家の系譜では全て男性天皇
よって卑弥呼台与とは別王朝
邪馬台国は近畿ではない別の場所にあり弱小国家で時代が下ると滅びた 邪馬台国は九州のどこかなのは確かだがこれが東遷した(ヤマト王権に参加した勢力の一つ)のか?
それともヤマトが九州に侵攻したときには崩壊していたのか? >>1
こじつけるな
渡来人国家の邪馬台は九州、畿内は縄文人連合国家ヤマト もし畿内だとすると、古事記における出雲との関係はどーなるんだろ?
つーかなんで島根の一強国に過ぎなかった出雲のことがあんなに書かれてあるんだろ
日本の中央は出雲から始まったと言わんばかりに >>88
可能性その1
文字は知っていて使っていたが
それは限られた外交官のみが外交の場で使っていた
だから国内からその時に書かれた文字の遺跡が出ていない可能性
でもこれでも変なんだよな
文字を知っていて使っていたのなら
魏に倭国だの邪馬台国だの卑弥呼だの
蔑視されるような文字をあてがわれているなんてあり得ないだろ
自分たちの国名はこれですよ、と魏に示していたはず
魏志倭人伝に書かれている漢字は明らかに魏の人が倭人を蔑視して
倭人の発音を良い意味のない漢字で当てただけだからな
倭人が文字を使っていたらあり得ない名前になっている >>95
邪馬台国の卑弥呼の子孫が奈良の大和朝廷を滅ぼして今の天皇家が始まったのが真相 >>1
とうとう見つかったか
邪馬台国は奈良で決まりだな >>70
自己レス
三角縁神獣鏡の「景初四年」問題から、
魏からの使者の張政の他に、魏から技術者が派遣された可能性があるんだよね
だから、魏から来た技術者が
「大きい陵墓を作るならこうすれば良いですよ」って教えて計画して、
台与のときに陵墓が実現したなんてこともあるかもしれないね >>69
卑弥呼が死んで男王が継いだが皆従わず内乱になって1000人以上が死んだ
↓
宗女の壱与をたてておさまった >>100
逆逆
畿内ヤマトが九州の渡来人国家邪馬台を滅ぼした
それが天孫降臨、そこから神武天皇が東征で戻ってきた
その途中で国譲りしない勢力と交戦しながら畿内に返り咲く 博多湾と繋がってないのなら あれだ
途中”替え玉”がいて、その後歴史を長くするために繋がった風に捏造をしたのかもな そもそも墳墓が誰の物かもはっきりしないのは発掘して特定すれば良いのにな >>104
13歳の少女、壱与たんの言うことなら従うしかないわ
ってこの時代の日本人からしてロリコンだったんだよなw >>105
マヌケw
3世紀の九州博多はシナ大陸と近くて武器なんか当時の最新鋭のもの使ってたのに近畿の土人達が勝てるわけねーだろタコ
少しは歴史の勉強しろ 奈良県民だけど奈良の歴史なんてホント興味無いわ
日本という国の名前の発祥といわれる藤原京跡なんてワンコ放し飼いで走らせてウンコさせる原っぱぐらいにしか思ってない >>111
馬鹿だな
その頃の武器なんて打製と大して差はない
すぐに切れなくなるからな
数が多い縄文人には敵わんよ 金印なら見つかってるだろ
九州で
天皇家の正当性の為に歴史改変か
当の天皇家は姪が変な男に引っ掛かってるしダメな国だな >>113
頭悪いな中卒おじさんよ
博多は当時日本で一番栄えてた都市で海外からの貿易で人口も沢山いたんだぞw
少しは歴史の勉強しろネトウヨw >>111
決定的なことを教えてやるわ
邪馬台国って消滅してるよな
この事実から目を背けるなよwwwwwww 日本神話はある程度、史実をデフォルメしたものなんだろうが
神話上は大和朝廷は出雲王朝から国を譲られた事になってて
ヤマトの前にまず大国主の出雲があった。
実際に出雲には大きい王朝の跡が見つかってるし
出雲の王の大国主を祀る出雲大社も作られてる訳だが、出雲自身の歴史書が残ってないので
詳細が何もわからないのがもどかしい。
実際は交渉の末の国譲りじゃなく出雲が内戦で負けたんだと思うけどな。
この辺りや邪馬台国と狗奴国の関係にヤマトタケルの事もあるし
倭国大乱が何の内戦だったのか興味深いのに何もわからない。
ついでに言うと熊野三山が何で聖地なのかも気になる所 邪馬台国は中国から倭王の位をもらっている
よって邪馬台国は中国の属国となる
邪馬台国を現在の天皇家と同一視してしまうと、天皇家が中国の属国ということになる半日思想 九州だったとしてそんなに中国との交易で栄えてたところが海渡って畿内まで遠征しに来る必要があったわけ?
輜重を維持するだけでも大変じゃね ワクワクする話だけど、史実と神話がごちゃ混ぜになっていて何がなんだかわからん印象もある
とりあえず
卑弥呼→日巫女
に改めても良い時期にきてる気はするが >>122
逆にヤマトを九州の渡来人国家が名乗って当て字で邪馬台としたことで
畿内ヤマトが全国統一に動き出したのが真相
九州征討したものが畿内ヤマトの王となる約束が国譲り 出雲って古代文明が存在したとか高層建築が存在したのに!こんな妄想ほざいて
何てことしてくれたんだ!謝罪と賠償を要求する!
どこかと似てるよね >>117
ネトウヨ爺さんが興奮していて草
そんなに九州の田舎モンから大和朝廷奪われた歴史が悔しいのか?w 邪馬台国って古代中国の文献に書かれた国ってことでステータスがあるだけで
当時の日本の中で重要なポジションだった国だとは限らんのやで >>122
まあ九州の国が畿内に攻めこむ必然性は低いわな
先進地域の九州を抑えているのに
わざわざ遠く離れた辺鄙な山奥まで攻め込むというエネルギーは湧きづらい
逆に辺鄙な畿内に発生した国が力をつけて九州北部の貿易利権を奪うというのは
もっともな戦略だろう
卑弥呼の時代は九州北部が倭国の中心で
倭国30カ国はすべて九州北部の都市国家群
後に興った畿内ヤマト王権は、次第に力をつけて
九州北部の貿易利権を奪うために九州と戦い、これに勝利して
併合したと考えるのが歴史の流れとしては妥当だろう >>76
一緒の話じゃないよ
前者なら倭人交易集団は全てヤマト王権の後ろ盾で朝鮮半島南部に進出したことになり、前方後円墳の分布が即ち交易範囲となる
後者なら倭人との交易に応じた現地勢力には倭国の墓制を取り入れた者「も」居たという事実を示すに過ぎなくなり、伝統的墓制を採りつつ交易に応じた者も居たとすれば、交易範囲と前方後円墳分布範囲は重ならなくなる
更に倭人集団によっては現地墓制を採用したり、前方後円墳以外の倭国伝統的墓制を採り続けた集団もあったと考えれば、交易範囲はますます朧げになる
答えのなかなか出ない推理小説だから、古代史は面白い 大陸と交易して繁栄してたのに、わざわざ遠いとこに遠征する必要無いもんね
大陸から遠いところから来た輩に侵略されたんじゃね >>131
やっぱり九州からわざわざ遠征する必要ないよね
何かかから逃げてきたのならわからんでもないけど >>86
だからこそ積極的に発掘調査して科学的に指定し直すべきじゃないかという話になる訳
結果的には殆どが「陵墓参考地」「被葬者不明」になるかもだけどw >>129
だから、渡来人国家の九州邪馬台が勝手にヤマトを名乗ったから
畿内ヤマトが征討に向かったわけだ
しかも、全国統一しなければならなくなった
国譲りは九州征討したものが畿内ヤマトの王となる約束
出雲国譲りは征討途中にあった話で、日向高天原で邪馬台の残党を滅ぼしたことで天孫降臨となる
それまでの事柄や国譲りは神話となり、そこから神武天皇の東征がはじまる
行きは条件成就前だから仲間に加わるのはいても敵対する者はなかったが
帰りの東征は国譲りしないものたちとの戦いとなったわけだ 女の首長が多いただの土蜘蛛の宗主というだけ
狗奴=球麿、投馬の弥弥那利=耳垂 チョンと同じ嘘つきだったのかな
いやチョンのほうが大分マシなのかな 古墳自体は縄文人の文化だ
墳丘から古墳に発展した流れを見れば
大陸と繋がりがある邪馬台の文化ではない ふーん 古墳も箸墓と同時期の那珂八幡古墳は古いけどね >>136
逆に名称は邪馬台国が先だろうな
邪馬台国の外交での実績を奪うために
後に邪馬台国を滅ぼした畿内の王権も
ヤマトと名乗っただけなのかもしれない >>89
日本書記にも古事記にも卑弥呼や壱与のことは出てこないからな >>136
今の天皇家なんかチョン顔じゃねーかw
ネトウヨさ
天皇ディスるなよwwwwwww とよの国は豊の国だから大分あたりってことで決着ついてただろ >>126
明の時代の偽物説があるけど
本物説が有力 文明を滅ぼしたのはジョーマン人の占い文化だろどーせ >>101
邪馬台国の首都が伊都国なんだ
北部九州地域全体が邪馬台国だね
関西地方に当時在ったのは裸国や黒歯国だな >>153
九州に倭があり邪馬台国も九州にあった
関西に植民した方が発展して本国を凌ぐ様になり大倭を名乗り
大倭を大和に変えたんだ >>143
ヤマトはやまと言葉、縄文人が魏にお墨付きを貰う必要もないよ
大陸のお墨付きを貰おうとするのは大陸と繋がりがあるからで
中国語文化圏ではない
>>146
それは滅した邪馬台が大陸から倭と呼ばれていたからそれを継承した
倭と書いてヤマト、それが大倭、大和と変遷してオリジナルの日本となる ここのネトウヨ爺さんは天皇家が古くからある大和朝廷の縄文人と言い張るならあの天皇家のあの朝鮮人顔はどういう説明してくれるの?
DNAは嘘つかないからなw >>160
朝鮮人顔とは思わないな
明治天皇、昭和天皇は思いっきり縄文人顔だしな
途中、優秀な家系が加わればお前が言うような朝鮮系の顔もあるかもな それ
博多湾の倭国は後に畿内へ本拠を移した
その後、九州で勢力を広げた邪馬台国を畿内倭国が征伐
以上 >>46
どうしても九州が一番がいいんだなw
この手のローカルおらが村根性も考古学の進展を妨げている一因
今の技術だと考古学と遺伝人類学で解明されることはかなり多いのに >>163
倭国ってのはあくまで大陸から呼ばれた名称でしょ
英語圏から日本が呼ばれるJapanと同じ >>160
顔なんてミックスされたもんだから
いちいち〇〇顔とか認定するなんて、5ちゃんに毒され過ぎなんだよ >>123
卑彌呼 ピミク → 今の音で「ひめこ」= お日さまの娘
諸国の王・長官が「○○ひこ」= お日さまの息子
これとの比較で、卑彌呼が「ひめこ」だと分かる。 研究してる人たちって意味あるのか?
何が出てこようが解明できないし決着もつかないだろ >>165
それで?
大陸からそう呼ばれていたから捏造するのかい?
チョンみたいに(笑) >>139
古墳は自然墳丘から発達したものではなく、完全な人工構築物だ
かつては全面彩色した葺石で覆われ、丘上にはこれまた色とりどりの埴輪が並べられた
縄文時代の墓制とは全く繋がりが無い
ルーツは朝鮮半島北部から満洲、沿海州に広く分布する石造墳丘墓ではないかと俺は思っている >>161
戦犯の昭和天皇なんぞもろチョン顔だろw
あれを縄文顔とか言ってるお前の顔はガチで不細工なんだなネトウヨ爺さんwww >>169
文面をこねくり回してるよりかは、物証が出てきたほうが手っ取り早い
考古学は、文献、発掘、民俗学の3つやり方で探っていくもの >>2
壹與「私の歌パクらないでよね! 卑弥呼の後継者だって本当は私なんだから!」 >>152
倭人伝を素直に読めば邪馬台国は大分でその東の海を越えた四国西岸が和種の国、足摺岬まわって高知西部が侏儒国になるが舟で東に一年の裸国や黒歯国はどこだろうね?
一年と言っても倭人は暦を知らないから遥か遠くって解釈した方がいいのかも。
なら室戸岬、徳島、淡路島から明石海峡を越えて大阪の池上曽根遺跡がそれだったりして。 天孫降臨は日向高天原なのに、その前に必ずあった九州平定の記述がないんだよな
何の説をとっても必ずあるはずの九州平定
これが神話になる時点で九州邪馬台が滅んだ証でもある
本拠地の九州平定なしに東征は絶対ないからだ >>160
島津家のDNAだろ
孝明天皇〜三代タレ目だし 昨日さいたまの古墳群と忍城見に行ったら卑弥呼の墓て板に書いて置いてたよ 今まで多数の学者やマニアや作家連中があれこれ研究してきたけど、結局魏志倭人伝そのものの信憑性がアレだから、結論は出てないし
これからも出ないだろ
タイムマシンでも発明されない限り >>176
神武東征で神武天皇が最後滅ぼしたのが当時の大和朝廷だろ
何を言ってるんだ?このキチガイネトウヨ引きこもり子供部屋おじさんは? アメリカが歴史を否定し、イギリスから植民してきたんだからこんなもん変えちまえ!
俺らアメリカがオリジナルだ! こんなこといいだすようなものよ
アメリカは正しいプライドを持ってるからそんな馬鹿なことは絶対言わない >>170
捏造?倭と書いて何と読むんだ?
しかも日本はまだ漢字文化圏ではない
邪馬台はヤマトの当て字 >>180
大和朝廷なんてもっと後の話だろ
漢字すら無い時代だわwwww
馬鹿か 3世紀に北部九州にあった邪馬台国の女王卑弥呼が孫に命じて南九州の豪族の土蜘蛛征伐に行かせる(これが天孫降臨)その後は近畿にある初代大和朝廷を滅ぼすために本州に渡る(これが神武東征)
その後大和朝廷を滅ぼして自分が天皇になり卑弥呼が死んだ後に邪馬台国を滅ぼしに兵隊を向けただけの話しなんだけどね真相は >>51
>>1
記紀の元ネタは火事で燃えた天皇記や帝紀だからな
しかも帥升=垂仁天皇で時期もだいたい合致する
卑弥呼に関する記述も記紀にはあってそれは神功皇后の時
記紀で暦と言うか干支という名の年表が記され始めるのが
神武天皇の時でこれより以前に殷では既に干支という暦が発明される
つまり日本で神武天皇時代に使い始めたとしても矛盾はないのな
日本の古代天皇が長寿すぎるというがそれは歴史書の系図の破損によって発生する
それが欠史8代の業績の欠如から伺える
さらにそんな風な系図の破損による長寿は世界中の書物歴史書で発生している
聖書や史記をみれば明らかだ
つまり本当の帝紀等はもっと長いものだったという事
火事で破損してしまったから業績などが欠落した 畿内説で、300年より前ってのは良いけど・・・
宮内庁・・・
>しかし、宮内庁が第7代・孝霊天皇の娘の墓
概ねで存在してない事が濃厚で謎の時代だってのも良いんだけど、
それって、古墳時代なのかよ? >>31
古代の墓なんか天皇陵以外はみんな掘り返されてるわ >>1
あと繰り返すが魏志倭人伝は眉唾物の記事が多い
信じるに値しない記述が多いという事を忘れないように 【高尿酸値・痛風予防の五ヶ条】
@食べ過ぎに注意
肥満体は、プリン体を合成しやすく、尿酸の排泄機能が低下する傾向にあります。
Aお酒は飲みすぎない
アルコール自体に尿酸値を上げる作用があります。
B水を2リットル以上飲む
尿で尿酸を排出するため、1日2リットル以上飲みましょう。(甘い飲み物は逆に尿酸値を上げてしまうので注意)
Cストレス解消
ストレスは尿酸値を上昇させる危険因子です。あなたに合った方法でストレスを解消しましょう。
D適度な運動
話しながらでもできるような軽い有酸素運動で肥満やストレスを解消しましょう。
詳細はソース
痛風の治療・予防のコツ|激痛!痛風を予防する|高尿酸血症・痛風|三和化学研究所
https://www.skk-net.com/health/illness/01/index04.html >>184
近畿に大国があったんだよその時代には
つーか神武天皇がガチで2600年前の人物だと思ってるのお前みたいな引きこもりのネトウヨくらいだぞwwwwww
このネトウヨ爺さん毎日youtubeの竹田恒泰チャンネル見てそうw 筑紫(福岡)の日向峠の高千穂(高祖山)
その眼下にある吉武高木遺跡 >>189
でも実際の血のつながりがないから神話は含めない
それが今の天皇は男系の根拠 女系シャーマンである九州北部の土蜘蛛の連中が既に大陸に救援要請してたからバツが悪くなっただけよ
邪馬台国でプロレスしてる連中が飯食えなくなるから謎みたくされてるけど 天皇の血のつかながりぐらい
俺たちがあーだ、こーだ言わなくても
いろんな専門家が正確か?調査してるだろ? >>198
だからそれが畿内ヤマトだ
九州で当て字の邪馬台が魏にお墨付きをもらったから討伐に出た
邪馬台国消滅で大陸との繋がりが途絶えたのが何よりの証拠 >>202
いろんな専門家が調査した結果として「なんだかよくわからない」 トヨがいたのが豊の国
いまの大分
卑弥呼の墓は宇佐神宮 邪馬台国とその後のヤマト王権は連続性がない
特に大陸との繋がりだ
神武天皇のアニメ、稲飯命が朝鮮南部を制圧してその後の白村江の戦いまで
大陸とは疎遠だ >>205
だから神武東征で最後に滅ぼしたのがその近畿大和朝廷なんだよw
そこで新たに朝廷を作ったんだよ
出雲の国譲りはその後の話しだ馬鹿w <<金印なら見つかってるだろ 九州で
シナ製の偽製 長崎で発注し 完成品を受け取って
持ち帰って 発見を捏造した
シナでは 偽印は 大量に作られていた >>144
卑弥呼やトヨの事は出てこないけど
魏志倭人伝の出来事は神功皇后の時あったとちゃんと記紀に記述されている
しかもそれで卑弥呼が説明できてしまうのな
新井白石や本居宣長の偽女王説
実際に魏志倭人伝に出てくる卑弥呼は軍事力も弱く狗奴国の卑弥弓呼にいいようにやられて
挙句には魏に援軍を求めている
そして張政が日本に来た時には卑弥呼は既に死んでいて奴婢100人と墓に埋められていた
新井白石説
邪馬台(ヤマト=ヤマ大)国の元とされるヤマトの元は山門国である
山門の田油津媛は200年頃に神功皇后により殺された
九州は神武天皇の故郷で親族は数多くいたので皇族を名乗っていた可能性が大きい
貢物を出したものが山門国のものであるならば田油津媛の子孫なのかもしれない
明治時代まで田油津媛の墓は女王塚と呼ばれていた ヤマトに北部九州や出雲に対峙できる「勢力」など無かったよ
出雲の配下にあり銅鐸を愛する農耕民がいただけだ ちっさい国がいっぱいあったから特定できないってことかあ >>207
当時の中国人がつけた当て字です。
「卑弥呼」が使われたのは、西晋の時代に陳寿という人が書いた三国志の魏書のなかで、烏丸鮮卑東夷伝の倭人条でのことです。
とにかく自分たちが最高で(中華思想)、周りの者は劣っていると考えていたので、「倭」「邪」「馬」「卑」など、聞いた音に当てるのに、良くない漢字を使いました。
その後、「倭」国の人たちは、漢字を理解するようになって、「倭」よりも良い意味の「和」を用いて、「大いなる和」として、自国の「やまと」に「大和」を使うようになったのではないでしょうか。 出雲は畿内で製造してた銅鐸が多い
ずいぶん占いじみてるよね 誤字、訂正神武天皇の兄、稲飯命
変なやつもいるから突っ込まれる前に訂正しとくわw
>>211
出雲国譲りは天孫降臨の前だぞ
しかも東征で畿内ヤマトを滅した記述はない
国譲りで譲らない勢力との交戦だ 中国の公式な歴史書である『魏志』ですから、いわゆる「中華思想」を背景にしていまして、周辺諸国の事情を説明する段にあっては日本などは言うに及ばず、その他の国の名前や登場人物の中国名などは佳字を使わず、一段低い文字を与えております。 >>191
天皇記や帝紀は本来はもっと複雑で長い歴史書だったが
半分は燃えてなくなった
古ければ古いほど系図に欠落が生じてしまった
それは記紀自身にも色濃く影響している
よく見ればわかるはずだ 邪馬台国の卑弥呼は 諸人が 合意で 設定した女王
ヤマトの王は 天の子孫であり 強い軍事力で王位を奪い取ってる
つまり権力成立の経緯が違う
ヤマトは武闘派 卑弥呼は調整型
これを同一とする学会は サヨク反日
チャイナの属国 天の子孫ではない 巫女の末裔と
天皇を貶めるのが目的 畿内ヤマトはずっと呼び名はヤマト
神武天皇が国譲り、抵抗勢力との交戦後、即位してから
当て字で倭、大倭、大和と変遷しただけだ >>8
こいつら、明治時代まで普通に占いとかしてた能なし軍団だろw >>216
そんなことわかりきっていますよ
大陸民(中華思想)と違って、歴史を捏造してませんので(笑) いいか、神武東征で畿内の国を滅した記述はない
抵抗勢力と戦い破った後、即位したとある
つまり、自分の国で即位したってことだ 魏志倭人伝に全部書いてある。(古代やってる学者達がボンクラ杉w)
魏志でバレるのは、あの奴国(漢の時代に朝貢!)が、実は邪馬台の配下
だった! つまり、邪馬台こそが漢の時代の列島覇権国だったと分かる。
ところが、その邪馬台がなんと今度は自ら魏に朝貢してる。何故??
よく読めば、漢の衰退期に起きた倭国大乱(2C末?)で邪馬台が敗れ、
覇権放棄の証として女王(卑彌呼)を即位させたと分かる。
それが証拠に、卑彌呼の死後、邪馬台の覇権復興を掛けて男王が立つも、
戦になりまた破れ、女王(臺與)に戻した。覇権はもう戻らなかった。
で、外部の新覇権国から、今度は邪馬台が魏に朝貢に出された訳だ。
倭國大乱は、教科書にあるような邪馬台内三十数ヶ国の内戦ではなく、
列島の大乱だったことが分かる。
邪馬台の覇権のカギだった博多港を押さえているのが、新覇権国だわな。
誰が押さえてる? 謎の勢力「大倭」だ。大倭がその代官「一大卒」を
伊都国に置いて博多港を完全掌握してる。これこそが新覇権国だ!
これが3世紀の列島の姿だ。
次の4世紀に奈良の"大倭"改め"大和"朝廷が「全国統一」するわけで、
この時間の無さを考えると、魏志の大倭=奈良の大倭(大和)で確定だな。
>>1
はあ?
邪馬台が奈良に在って大和朝廷の前身だって??
馬鹿もいい加減にしてほしいwww >>71
朝鮮人には日本の歴史は関係ないだろw
ネトウヨプッw >>235
だから縄文人だと書いてるだろ
渡来の邪馬台がヤマトと名乗ったから九州に征討しにいった 唐の王様もハプログループNだよ。
唐の滅亡と同時期に皆殺しにされた >>216
不勉強極まりないな
偉そうに講釈垂れる前に旧唐書日本国伝くらい読んでこいや >>48
「お国は何と呼ばれておる?」
「我が国はヤマトたい、ヤマトですたい」
「ヤマタイ国ですね、分かりました」 >>231
神武天皇は東征で大きな戦はしていないんだよ
九州では宴会していただけだし中国地方でも同じ事
大きな戦は長髄彦との戦いだけ
しかも長髄彦が守っていた饒速日尊は神武天皇と同族であった
つまり勘違いの戦というわけ >>71
神武天皇の即位はBC660年だからな
しかも垂仁天皇=帥升
で神功皇后の治世はおおよそ200年から300年まで >>242
まぁ、それでも構わない
何で大した戦いでないのか
それは国譲りを約束した連合国家の仲間だから
九州平定は省いて神話に置き換えてる
九州邪馬台国を滅ぼしたら神武天皇が即位するのは既定路線 >>218
本当は2回目の物部東征の際に、出雲と大和は同時にやられちゃってますよ
1回目は熊野
2回目は瀬戸内海を分断する吉備国と正面から戦った
物部十千根と、物部朝倉、タジマノモリ軍が出雲側を攻撃した
国譲り、2回の東征が一つに描かれたのは、朝貢した事実を記紀に隠す為、三世紀の卑弥呼と4〜5世紀の神功皇后を圧縮して一つにした
だから神功皇后記にはわざわざ誤解しやすいように魏書の卑弥呼を引用して書いているはずだよ 邪馬台国=山門郡で蜘蛛塚(女王塚)のところ
国内では人を誑かす女なんて名前付いちゃってるが大陸側には媛神子とかで通ってたんでない >>169
解明されるか、決着着くかは神のみぞ知る
極端な話、確実性や実現可能性の前には明日死ぬかも知れないヒトの努力は全て無駄ということになる >>248
何で朝貢した事実を隠す必要があるのか?
色々ツッコミがあるけどまずそこだな そもそもヤマト王権の都は畿内だって言ってるのに何を意固地になってんの?
やっぱり歴史を町おこしに使ってた田舎者が意地をはってるの?
ポッケナイナイなの?w 魏志倭人伝に出てくる倭国は温暖で風俗も海洋民族っぽい
奈良とは違う感じが漂ってる >>244
新羅=コンスタンティヌスのハンガリー読み? >>(前スレ)941 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1631973181/941
> だから新井白石や本居宣長は偽女王説を出して//
ありゃ、架空の構成員がやった事でして、
邪馬台国なんて無いんです、というのが日本書紀の言い草だ。
偽女王なんて、架空の構成員のやった事でして、を踏襲してるだけだね。
> そこから地名の山門(ヤマト)を導き出している
あながちこの説も間違いとは言い切れないんだよな//
何で山門(ヤマト)が先になるのかね。
狗奴国王は卑彌弓呼なんて、似た名前を称してる。
だったらさ、地名だって、邪馬台に似た山門(ヤマト)を称したって不思議はないだろ。
> 卑弥呼の墓は確かに大きいがそこには奴婢100名が存在しなければならない//
だからさ、38世紀頃のオ〆の骨でも想像する事だね。 >>253
記紀すら読んだことがないお前が朝鮮人な
神功皇后の三韓征伐が気に入らないバカ
それがお前の正体な >>259
日本人はもともと韓国人の子孫
渡ってきた経路を考えれば、北九州以外はあり得ない おまえら 魏志倭人伝が 三国志の外伝の付録ってこと知ってるか?
魏の曹操の孫の時代に編集されたものだぞ
三国志は最近の研究でものすごく読み込まれており 同じ頃書かれた外伝もほぼ検証が終わっている
で、疑惑が浮かび上がってきた
記述が今の釜山を出るまではものすごく正確なんだが そこからが非常に怪しい
結局、記録役人の出張費水増し説が出てきちゃって
最後は済州島とか五島列島あたりで遊んでいたんじゃないか?
という説まで出てきた
書いた人は多分だが安倍の祖先 九州王朝説・多元王朝説
弥生中期から卑弥呼の時代はもとより7世紀にいたるまで、ヤマト王権のみならず、日本列島内において様々な勢力圏、連合独立地域自治権、が存在していた、
という多元王朝説が古田武彦らによって1970年代以降提唱され、かつては歴史愛好家などから一定の支持を得たこともあったが、
存在している文献資料の検討や古墳をはじめとする考古資料から、現時点において、学界は「この説は信憑性に欠けている」としている。
なお、これをさらに発展させ、九州王朝のみが存在したとする九州王朝一元説や、大和に王朝は存在せず、本来は豊前の王朝だったとする豊前王朝説、
九州王朝と東北王朝のみが存在し、大和は東北王朝の支配下にあったとする東北王朝説もあるが、多元王朝説論者も含めて学界からは無視されている。 東夷伝は嘘ついてないが興味がないので適当
大陸側からすれば弱小の山門国の田油津媛の家系には興味がないけどここらの勢力圏の連中は高句麗と三韓の牽制に使ったろうかくらいの感覚
畿内まで食い込んでる大勢力なら対応変わってたろうな 畿内説を取ると
卑弥呼の時代には、すでに天皇が存在していたことになるんだから
当然ながら卑弥呼や台与の名前、魏に使者を送って金印をもらったことが日本書記に書かれていないとつじつまが合わない
でもそんな記述はなくて日本書記には魏に女王が使いを送ったことを唐突に、しかも
魏志倭人伝の記述を丸写しで書いているだけ
このことから魏志倭人伝を読むまでヤマト王権には魏に使いを送ったという伝承がなかったことが
伺われる
こんな記述なのにヤマト王権=邪馬台国と言っている人は知能に障害がある疑いが濃厚 日本国は小国だったけど
濊国を併合したんじゃないの? >>265
当然朝鮮系と関係はあるよ
何かの関係はね
ただ少なくとも神武天皇は南九州の妻国出身だから朝鮮要素はまあ無いね Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?
Answer
(-略-)私(佐原)は (-略-)
なお、しいて「どちらか」というなら私は大和説で、卑弥呼の使いの時の年号を書いた「三角縁神獣鏡」が近畿を中心に出土していることなどからです。
大 多 数 の 考 古 学 者 は 大 和 説 で す。
参考文献として、『邪馬台国への道』(朝日新聞西部本社編 不知火書房 1995年)を挙げておきます。
(元館長・佐原真) >>258
卑弥呼は偽女王だった可能性は大きいぞ
狗奴国の男子王卑弥弓呼に勝てずに魏に援軍を呼ぶ弱さ
本当に倭国の女王なのかよ?と新井白石と本居宣長が疑うのも当たり前
しかも援軍要請出してからすぐに殺されている
女王ならそんな事は周りはさせないはず
すぐに奴婢100人と共に墓に埋められているからな 九州みたいな地名に拘ってる人は哀れ
九州ってのは武帝の時代、中国全土のことを指していた古名 >>271
根拠が「大きな古墳」しかないもんな
こんなに大きいから卑弥呼に違いない、卑弥呼だから古墳も大きいに違いないっていうトートーロジー
畿内説はいい加減諦めろ 倭 在帯方東南大海 中、依山島為国 。(魏略)
倭人在帯方東南大海之中、依山島為国邑。(魏志)
帯方より女 国に至る万二千余里。(魏略)
郡より女王国に至る万二千余里。(魏志)
自帶方至女国万二千余里(太平御覧・倭条)
百女国以北其戸数道里可得略載(翰苑)
自女三國以北其戸數道里可得略載(紹興版本魏志倭人伝)
と中国の歴史書なんかテキトーに孫引きして
もともと酷いシロモノだからな
こんなシロモノに書いてある数字をいちいち正確に真に受けるほうが
どうかしてるワケ
つまり魏志倭人伝の数字をまにうけてるヤツは知能に重大な問題がある >>246
だから記紀くらい読めって
バカ朝鮮人はよ >>279
そうだよ
九州倭国の首都が邪馬台国(山門国)で
近畿日本の首都が多分纏向
あんまり生活臭ないけど >>279
そう
古代中国王朝視点では
倭国とは九州だけを指す言葉
本州を日本と認識していたことが地図を見ても伺える
https://i.imgur.com/yETpQae.jpg >>278
畿内大和は邪馬台国時代より前から朝貢してたよ
金印のあと50年後ぐらいにはクニオシヒトが自ら朝貢 https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=zh-CN&tl=ja&text=%E4%B8%80%E5%A4%A7%E5%8D%92&op=translate
一大卒、凄い訳だなwwwww 畿内説はもうやめとけよ
ウソなんだから
頭がもたんぞ近畿パーのお相伴してたら
まるで言うことデタラメなんだから
認知症になるぞマジな話しで 邪馬台国は対馬にあった
元寇の際に壱与が蘇って鬼や天狗を率いてモンゴル帝国と同盟を結んだ 🐼話言葉と、書き言葉は違うんだ
みたいな言い訳は通用しないんじゃ…?
セリフをそのまま記してるのに。 >>245
ガチで言ってるならマジモンのネトウヨじゃんこいつw >>286
それは写し間違いというのが一般的な説じゃね 卑弥呼なんか九州の一部を支配してたただの地方の豪族だぞ
朝廷は奈良に別にあったの 畿内説なんて薬やってラリってるのと大差ないぞ
煽りで言ってんじゃなくてマジだよ
認知症になるか、三島由紀夫みたいな何か気持ち悪い人間になるか
どっちかしかないぞこんなデタラメ言ってたら 白狼山の北 モンゴル墳墓地区はもともと魏の支配下にあり毎年一定数の農奴を魏に献上していた
岸信介の職権乱用調査によると 祖先はそれらだという
農奴と言っても強制重労働されるものでなくちゃんと訓練や教育を受け辺境の警備などについたのである
卑弥呼も魏に農奴を進呈しており北方領土(モンゴル)の警備についた。背がちっちゃいのに非常に強力であったと記されている。
ただし曹操親子は白狼山の北に一歩も足を踏み入れていない。 まず神武天皇が2600年前にいたのが100%嘘だからなおまえら >>279
そう、だが邪馬台国が無くなって畿内王権が大陸相手には倭を名乗った
倭、大倭、大和、日本と変遷していくのは事実 幽州役人「弱小国だし距離とか適当でいいか…」
陳寿「なんか聞いた感じ適当っぽいけど司馬さんがその親分の遼東公孫氏滅ぼしたし大国っぽくみえたほうがハクがつくか…」 畿内説と、九州説だっけ?
高校時代、絶対にこっち!自信がある、根拠は云々って熱くなってたんだけど、どっち推しだったか忘れちゃったよ 今やってる”調査”も後世からすれば盗掘なんだし
朝鮮半島から文明が渡ってきたのはもう明らかなんだから
あと1000年くらいそのままにしといたほうが考古学(未来の墓あらし)への貢献になるぞ >>292
別に当時のヤマト王権が日本全国を支配していたわけじゃない
漢書で書かれていた倭国は100余国が乱立していて
それぞれが貢物をもって朝貢していたと書かれている
そして卑弥呼の時代には30カ国が独立していて朝貢していたと書かれている
つまり当時はヤマト王権が絶大な力をもって統一されていたわけじゃなくて
日本全国に小国家が乱立していて
邪馬台国も畿内のヤマト王権もそんな小国家の一つにすぎなかった 畿内だとしたら
「東の海を越えたところにも倭人の国がある」って記述はどうなるんだよ? >>282
山門はないあり得ない
そもそも歴代の天皇陵の比定すら終わってないじゃんw >>295
神武天皇がBC660年に即位したのは
嘘か本当かわからないと言うのが事実
少し黙っとけよ、バカ朝鮮人はよ とにかく日本史の捏造は明治陸軍の第一テーマだったのである ところで吉野ケ里って魏志倭人伝に出てくる国に比定されてるの? >>301
それ以上に畿内だとしたら
女王国と戦していた
女王国の南と接する狗奴国って
畿内説だと謎すぎるw
今で言えば和歌山県?
あんな平地の少ないところにそんな強大な大国ができるか?w
あるいはヤマト王権と同じ奈良盆地の中に敵対国があった?
そんな狭い畿内ですら統一できてない国が
九州北部まで至る広大な地域を治めていたと言っているのが畿内説だぞw
あり得ない妄想だろ?
畿内ですら、納めきれてない邪馬台国が畿内から中国地方から九州まで納めていたという
壮大な矛盾を含んだ妄想をしているのが畿内説論者
こんな妄想はオカシイと思わないのが不思議だよなw あれなんだな
ヤマトという名称と倭という名称がダブったことが分かりにくくさせた
邪馬台も列島含めてヤマトと大陸相手に名乗ったんだろう
そしたら魏が、列島含めて倭と呼んだと
で、畿内ヤマトが勝手にヤマトを名乗るなと征討に出た >>301
海面上昇してて、島だったんじゃないの?
中国大陸東部 暦年代 纒向編年 土器出土遺構 対応する土器型式
180年-210年 纒向1類 北溝北部下層 灰粘土層 弥生V様式末
210年-250年 纒向2類 辻地区土坑2 庄内I式(庄内古式)
250年-270年 纒向3類 南溝南部 黒粘土(1)下層 庄内II式(庄内新式)
270年-290年 纒向4類 辻地区土坑4下層 庄内III式(庄内新新式) 布留0式
290年-350年 纒向5類 辻地区土坑4上層 辻地区土坑7 布留T式
倭国大乱(146年-189年)
卑弥呼(-242〜248年
垂仁天皇(壬辰→西暦212年)
┣景行天皇(辛未→西暦251年)
┃┗倭姫命(トヨスキリヒメ)
┗豊鍬入姫命(ヒミコ)
ぴったり一致
AD 238
アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢(ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)→ 明帝
アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜(倭王とか一杯いろんなもん)← 明帝「いいもんくれた オマエを倭王にしてやる」
AD 240
アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) ←下賜(仮の倭王とかいろんなもん)← 斉王「まえのヤツは死んだ 挨拶だ おまえのことよく知らんから一旦仮の倭王にしてやる」
アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →(お、ありがとな)→ 斉王
AD 244
アマテラス御杖代(トヨ スキイリヒメミコト) →朝貢(ドレイとかいろんなもん)→ 斉王「おい だれか黄色い旗刺しでもやっとけ ん? もってけるやつがいないのか?」
AD 247
アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →(クマソどもぶっころしにいった キャハ)→ 斉王
AD 248
アマテラス御杖代伊勢斎王(ヤマト ヒメミコト) →朝貢(ナマオナホ+ドレイとかいろんなもん)→ 斉王
以後、ずっと交信記録なし
コレもぴったり一致 豚朝鮮が資金的に困っていて国立博物館から大量に古文書を売却している
在日企業はそれを買わねばならない
でないと俺は不買する とりあえずソフトバンクやめた 三島由紀夫見ろよ
自分のチンコホモダチにしゃぶらせて
そのあと切腹やって
介錯が下手くそだからメチャメチャに切りつけられて
のたうち回りながら死んで
あいつなんかやったか?
「皇はなどて人となりたまいし」とかなんか聞かせるセリフ言っただけだろ
あとやったこと全部ただの気持ち悪いおっさんやんか
何か残したか三島由紀夫は?
お前ら本当に今でも天皇が神様みたいなのが良かったのか?
お前ら自分のことなんだから真面目に考えろよ
猿ばっかだなお前らは本当
>>308
水系が異なり今でも強烈な文化の境目だし >>271 > このことから魏志倭人伝を読むまでヤマト王権には
魏に使いを送ったという伝承がなかったことが伺われる//
それは当たり前だろ。当時は、政権としては存在してなかったヤマト王権は、
魏に使いなんか送れないんだしさ。遣使したのは、当時の政権だった邪馬台国の卑弥呼だよ。
仕方がないのでヤマト王権は、自分の架空先祖をでっち上げて、
政権として遣使したという伝承をこしらえたってだけだよ。
グダグダと頓珍漢な糞投稿を垂れ流すなよ、ノー夕リソ。 >>316
いや卑弥呼の時代にはすでに
ヤマト王権は存在していたことになっているんだよ
それを前提にして書いているんだが?
それを理解できない
ノータリンはお前だろ >>303
今時皇紀を信じてる男の人って……
>>310
名古屋はその頃海か湿地で人の住む所が少ない >>320
しかも名古屋なら畿内から見て
東側だしなw
女王国の南に接する狗奴国が
名古屋だと方角が全然違うw 伊勢の斎宮にいた斎王(朝廷の皇女(ミコ))を
ヤマトの王と勘違いしたに違いない
ヤマトヒメノミコト
ヤマト → ヤマトコクの
ヒメノミコト → ヒミコ
コレ以外ないワケ 奈良の東大寺山古墳には中平(西暦188年頃)の三葉環の鉄剣が出土している
福岡の若八幡宮古墳でも同じ形のものが出土している
ちょうど倭国大乱の時期と重なる
博多湾の倭奴国を滅ぼそうと倭国乱で暴れた戦闘民族がいたが、楽浪郡から帰ってきた人が見事に鎮圧したのよ
倭が二回出てくるのは間違いなく博多(倭のワタツミ)と奈良(大倭のスサノオ)のことだ 臺与の墓で間違いないって
ムーに書いてたもん(´・ω・`) 倭国の中には奴国(那国・な国)系という全国ネットがあり
ソレ以外の国は本来権勢をふるえなかった
邪馬台国は例外中の例外、非武装中立地帯的な宗教的中心地みたいな、そんなイメージ7 >>276 > 卑弥呼は偽女王だった可能性は大きいぞ//
月にウサギがいる確率は50%、と云ってるにしか過ぎんだろ。
張政がきた時点で、径100歩の墳墓は箸墓だけだ。
卑弥呼急死により、昼夜の突貫工事で箸墓が築造されたことは、日中の史料で一致する。
箸墓が卑弥呼墓である事は確定事項だよ。
偽女王なぞ存在しない。卑弥呼という、大和王権成立前の女王が存在したというのが真実だ。 どうみても記述では
卑弥呼:倭姫命(ヤマト ヒメミコト)(初代斎王)
台与:豊鍬入姫命(トヨ スキイリヒメミコト)
コレですべて辻褄があう
※ 伝承によって記述が逆になった
卑弥呼:豊鍬入姫命(トヨ スキイリヒメミコト)
台与:倭姫命(ヤマト ヒメミコト)(初代斎王)
だったのが伝承で変な伝わりかたして
記述の内容が逆になった可能性が高い >>21
にしては古事記や日本書紀に魏志倭人伝と共通する話がない
大和朝廷≠邪馬台国で土蜘蛛として滅ぼされたって方が説得力がある >>320
今の名古屋市街地がそうだったでのは解る
地域として名古屋を出しただけであって
濃尾平野のどこかってこと >>180
神武は後発組で大和国は先発組の豪族がいてそれを武力で倒したと明言しているんだよな。 >>317
> いや卑弥呼の時代にはすでに ヤマト王権は存在していたことになっているんだよ//
存在してないものは、存在していたことにするのは当然の捏造だろ。
オ〆は何を云ってるのかね、ノー夕リソの工〒公。 >>321
だと思うでしょw 古い地図だと南になるのもあるのねん 崇神天皇 BC97(崇神元年)〜BC30(崇神68年)
魏志倭人伝
> 南至投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日 彌 彌 那 利 可五萬餘戸
日本書紀 巻第七
> 二曰 耳 垂 。殘賊貧婪、屡略 人民。是居於御木木、此云開。
つまり投馬国は御木
いまの福岡県三池郡あたりと比定できる
この部分について だ け はほぼ間違いない
しかもコイツを 景 行 天 皇 が し ば い て る
つまり魏志倭人伝をどこをどう読んでも
邪馬臺国は畿内しかない
建武中元二年 ⇒ 西暦57年 ⇒ 垂仁天皇86年(皇紀717年)
垂仁天皇 ⇒ 「纒向珠城宮」
景行天皇 ⇒ 「纒向日代宮」 こんな関係だよ
時系列を間違えんな
ホンダ→ヒュンダイ
三菱→三星
邪馬台国→大和 >>326
だからさw
卑弥呼がヤマト政権成立以前なら
なんで纒向遺跡は卑弥呼が魏からもらったとされる年号が入った銅鏡を根拠にしているんだよ?w
しかも纒向の宮も遷都したのは崇仁天皇3年と記紀に記載されているんだぞ
マヌケな妄想を書き込むなよノータリン
ヤマト王権はすでに存在していた
ヤマト王権と邪馬台国は同時代に併存していた別の国ってことを認めろや!そこのノータリン >しかし、宮内庁が第7代・孝霊天皇の娘の墓として立ち入りを禁じ、発掘もできない
これは絶対におかしい。
何も一般人に見学させろとは言わないけど、考古学者に調査すらさせないで
地震などで貴重な遺物が壊れたらどうするんだよ。
100年〜200年前ならともかく1500年以上も前の、しかも、普通の墓石ではなくて
巨大な墳墓だろ。それは天皇家の墓というよりも、国民の資産だよ。
考古学者に調査させろ。調査する前に誰かが盗掘したりしたらどうするつもりだよ。 すべて北部九州はすでに大和朝廷の従属国だった
コレで十分に説明がつくからな
美濃でセックスしまくってた次の代の景行天皇は
熊襲が貢物よこさない土人だから熊襲討伐にいってる
こっからも北部九州までほぼすでに大和朝廷が征服してたとみるのが妥当
でないと速攻で熊襲なんかしばけないからな 全国津々浦々に在した奴国の拠点は、やがてくる律令制の下部民となる 大和は稲作文化で平地 邪馬台国は畑作程度の狩猟民
渡来人の倭国は出雲、九州に拠点を構えていて、戊辰戦争の様に近畿に巣食っていた野蛮な邪馬台国などを征伐して金印を九州に持ち帰った 冷静に考えてみ、邪馬台国が何処に在ったかが分かったところで日本の世の中は何も変わらんよ。
ただ奈良に在った場合にのみ大和政権の源流との関係がクローズアップされ(裏付けされ、か?)調査研究に期待がかかるだけで、九州だろうが四国だろうが北陸であろうが現代日本国にはあまり影響が無い。 すでに大和朝廷が
北部九州を版図に治めてたのは明らか
大和朝廷が北九州を版図に治めてないと
朝鮮出兵の説明がつかない
半島では、前方後円墳、日本様式の弥生式土器もみつかってる
それでチョンコどもが発狂してる
明らかに任那政府はすでにあったからな >>335
> しかも纒向の宮も遷都したのは崇仁天皇3年と記紀に記載されているんだぞ//
それが捏造にしか過ぎん、というハナシだよ。
まぁ、オ〆が捏造しタワケじゃないが、先人の捏造を書き散らして、
それが事実だなんて鳴いてるオ〆は浅薄な香具師だな。
まぁ、捏造の先人は、オ〆みたいなのが居る事を前提に捏造に及んだ訳だがな。
> 崇仁天皇//
前スレでも目に留まったゴミだけど、何ぞ拘りでもあるのかね、御八゛力様。 >>343
くだらない妄想だなw
なんでそんな強大なヤマト王権が
南に接せる狗奴国との戦に苦戦しているんだよ?w
そんな近くにいる敵さえ下せずに
畿内から九州に及ぶ広大な地域を支配できていたなんて
都合のよい妄想するのは小学生までにしておけよ、マヌケw つまり奴国(那国、な国)連合は、外交の主体から、
支配される側へと転落する >>344
都合が悪くなると、ねつ造w
こればかりだな、ノータリンはw
畿内説の馬鹿はお前みたいな都合が悪いと記紀はねつ造と言い張って
自分の説に有利なところだけを記紀から拾い食いするバカの集まりだなwww 大和朝廷が九州北部を版図に治めてからも
大和朝廷と九州北部の一部の豪族と争いもおきてる
九州北部の豪族(チョンコもどきの土人)は新羅との関係が深かったからな
大和朝廷のほうは百済に支配地域を広げていた
で、南朝鮮の権益で九州北部の豪族は大和朝廷の朝鮮出兵を時折邪魔したりして争いもあったりした
九州北部の豪族が新羅から賄賂をもらってたというのも古事記に記述されてる
残念なことになもうコタエはでてるワケ 九州の田油津媛に比定したほうが大和王権としても都合よくね?
纏向の大交易路の中洲持ってんのに紀州すらごたごたとかいう無能、泣きついた幽州の小役人にネバーギブアップ!とか雑対応されてんが後の大政権とか帰属意識抜きに考えたら嬉しい要素全くねえ 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)=箸墓古墳の主
台与=豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)
邪馬台国=やまとのくに=奈良 天孫降臨前の九州平定が無いのは、相手の名前も何も知らないから
その後の東征の個人名から地域名から関係まで詳しいものとの比較から
九州邪馬台を畿内ヤマトが征討した
その地が日向高天原
現代は一つの邪馬台国を二つの地域が争ってるが、
その当時は一つのヤマトを二つの地域が争ったわけだ 八幡神のもともともの起源はスサノオ
で、スサノオは新羅のチョンコもどきの信仰の対象にもなってた
北部九州は新羅のチョンコもどきと関係が深かったことも影響してると考えられる
で、宗像三女神の神功皇后も
ついでのように祀られるようにいつのまにかなった
そして、出雲も新羅系
北陸も古くは新羅系
丁度な、北朝鮮の工作員が日本海側の海岸に漂着するようなもんだからな
白山信仰やヒスイ遺物の分布どおりになってる
東北にも古い八幡神社があるのはなんでかもう分かるな 畿内説だと実際の方角の東を南に置き換えて記述してるということだから
「東の海の向こうに倭人の国がまだある」って記述の実際の方角は北になる
つまり近畿だとして海を越えた北の方角ってのは日本海を越えた先つまり今の満州になる
そんなとこに倭人がいるかと
もう破綻してんだよ畿内説は とりあえず、馬鹿どもはシャーマンスープレックスを食らうと良いよ 大体邪馬台国はもちろん卑弥呼や台与なんか存在しなかったというのが、現在では通説になっていたんじゃなかったか?
まああったと仮定した方がロマンがあって面白いし、それで飯食っている奴もいるだろうから勝手にしろって感じだな >>347 > 都合が悪くなると、ねつ造w//
はァ? 継続的慢性的に都合の悪いオ〆の膿味噌には、
先人の捏造を事実だと鳴き叫ぶ機能しか搭載されていないってだけだろ。
頭蓋骨に穴を開けてさ、味噌をワソと詰め替えるといいよ。
test 勹 邪馬台国は平和主義者の縄文人どもの集合 インディアンみたく色んな所に散らばってた
そこを渡来人が出雲、九州各地を拠点として戦争繰り返しながら平定していった >>352
これは想像に過ぎないが
畿内のヤマト王権は当時はヤマトを名乗っていなかった
畿内のヤマト王権がヤマトを名乗ることになったのは
隋と外交するようになってから
邪馬台国のことを聞いて、外交上の国名をヤマトとした方が有利だと判断して
そこから外交上の国号をヤマトと使うようになってから
ヤマトと言い出したんだろう
だからこそ倭=ヤマトと、ふつうでは読まない漢字の読み方をするようになった
当て字バレバレになっているんだろう
その後で倭→大倭になったのは
好字二字令の時に中国の都市名に倣って
二字化しただけだろう >>355 > 畿内説だと実際の方角の東を南に置き換えて記述してるということだから//
それは畿内説ではない。クイズ番組じゃないんだからさ、
当たってりゃエエというものではないんだしね。 もう皇室の権威も何もあったもんじゃないし、古墳の調査ぐらいしてもいいよな >>357
いや蝦夷は毛人の住む地域と書かれているから
倭人とは別という認識が当時にすでにあった 日本海側と朝鮮半島を活動の拠点とする勢力が台頭したのだ
彼らは鉄器を潤沢に扱い、少数精鋭で東進し大和に進出し王権を築いた、また出雲を従えた
旧唐書の日本伝は冒頭にこう記す「日本国は倭国の別種なり」
かつて繁栄し魏に使者まで使わせた奴国(那国・な国)の民の都として、大和王権は命名する
しんら、くたら、と同じ命名法により奴の国は奈良とす 日本史三大ミステリー
邪馬台国の拠点
本能寺の変 明智光秀の黒幕説
坂本龍馬の暗殺者 魏略や魏志倭人伝を見ると呉や越の影響を感じるよね
最近話題になった論文でも古墳時代から東アジアの色が濃くなってきたみたいだ費 >>358 > 現在では通説になっていたんじゃなかったか?//
いい加減なハナシに通説なんて名前を付けるなよ八゛力。
> まああったと仮定した方がロマンがあって面白いし//
低性能なオ〆の膿味噌の、どこにロマンがあるのかね。 >>367 > 魏略や魏志倭人伝を見ると呉や越の影響を感じるよね//
それは、昔からよくある気のせい、という香具師だよ。 臺与ってのは、なに本ソース?
壹與のこと?
台じゃなくて壱だろ?
邪馬臺が邪馬壹になったのは、臺が曹操の忌字だからだけど?
ヒミコの後家なら伊代だろ? 栲衾 志 羅 紀 の三埼を、国の余りありやと見れば、国の余りあり、と詔たまひて、
乙女の胸取らして、大魚の支太衝き別けて、波多須々支穂振り別て、三身の網打ち挂て、霜黒葛闇や闇やに、河船の毛曽呂毛曽呂にき国来国来と引き来縫へる国はや
出雲風土記の国引き神話からも
出雲が新羅の半島系なのがわかる
宇佐神宮Webページ
8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿
春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産
する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが
分かります。
北部九州も
出雲信仰、白山信仰と同じく新羅系
つまり渡来神
北部九州も普通に新羅の半島系
北陸にも
白山神社がある
越にいたヤマタノオロチの伝説をみて分かるとおり 卑弥呼の死亡時期と同時期に作られた、
邪馬台国の超重要拠点の伊都国の
平原遺跡の古墳が方墳である事で、
邪馬台国は初期の前方後円墳の築造を象徴とする勢力
なる畿内説は完全崩壊した。
もう畿内説は終わりだよ。 大仙古墳もハチャメチャだよな
明治期に土砂崩れで鉄製甲冑やら馬具が出てきて、慌てて埋めちゃったんだろ >>376
箸墓なんて江戸時代には道筋の丘だった
墳丘頂上には茶屋があったらしい 九州は遺跡も古墳も何もないからなwww
纏向遺跡の発掘で邪馬台国=奈良は確定した。 >>336
天皇は国民の象徴となってる現代で天皇の古墳調査なんて出来る訳ないじゃん
発掘された古文書などから後醍醐天皇みたいな暴君な天皇がいた記録など明かされたらたまったもんじゃないからな もともと東北の蝦夷土人のルーツが
山陰、北部九州、北陸のヤツラだからな
負け組が東北へ落ち延びてる
出雲弁と東北弁が似てるのはそのせい
つまり新羅系の俘囚のヤツラがいまの東北土人 >>377 > 倭人は呉の太伯の末裔という記述は?//
それが事実だというなら、そりゃ気のせいなんだがね、
そういう付会がなされた事には理由がある。
彼方の大月氏が昔はご近所さんの小月ちゃんでした、なんて付会と同じだよ。 >>308
熊襲だろ 九州南部の勢力と戦ってたんじゃないか
邪馬台国は日向豊前豊後と瀬戸内海大和を点と線で結ぶ海洋国家内陸部で暴れる熊襲には手を焼いていた 冷静に考えてみ、邪馬台国が何処に在ったかが分かったところで日本の世の中は何も変わらんよ。
ただ奈良に在った場合にのみ大和政権の源流との関係がクローズアップされ(裏付けされ、か?)調査研究に期待がかかるだけで、九州だろうが四国だろうが北陸だろうが現代日本国にはあまり影響が無い。 トヨって読むのに、邪馬台国はヤマト国と読まないの? また、邪馬台国の超重要拠点として、
大陸からの贈り物を管理していた伊都国の、
卑弥呼の死亡時期と同時期に築造された平原遺跡に
埋葬されていた大量の舶載鏡の中に、
一枚の三角縁神獣鏡も画文帯神獣鏡も無い事を持って、
三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が
卑弥呼に贈られた鏡なる説も
完全に崩壊した。
最早、畿内説は完全に終了した。
二度と畿内説を唱える考古学者は居なくなるだろう。 そもそも古代中国文化は今中国にいる人達とは違うよ
違う遺伝子出ちゃった🧬 九州南部が朝廷の支配が及ぶようになったのは
班田収受法にさからって隼人の乱がおきてから
隼人の乱がおきる前ははっきりいって
朝廷の支配が及ばなかった地域といっていい
隼人の乱を鎮圧されて、しばらくたって公民と認められてから
班田収受法が適用されるようになった
当の班田収受法自体は制度がひどすぎて
すぐに制度崩壊がおきる
それまで九州南部の土人は
大宝令の賦役令にもあるように
朝廷の公民ですらない
土人扱いだからな
↓このとおり
凡邊遠國。有夷人雑類謂。夷者夷狄也。雑類者夷之種類也。釋云。夷。東夷也。挙東而示餘。推可知雑類。謂夷人之雑類耳。
古記云。夷人雑類謂毛人。肥人。阿麻彌人等類。問。夷人雑類一歟二歟。仮令。隼人。毛人。本土謂之夷人也。此等雑居華夏。謂之雑類也。
一云。一種無別。 之所。應輸調役者。随時斟量。不必同之華夏。謂。中國也。
わかった?
そもそも卑弥呼時代は大和朝廷が北部九州なんかすでに征服してる
わかった? >>328
ヒント
記紀は本当は何が目的で編纂されたのでしょう 魏から贈られた鏡はズバリ
平原遺跡から大量に見つかった
内行花文鏡と方格規矩鏡である。
これらは日本全土で100枚ほど出土する。
コレが魏から贈られた鏡100枚で間違いないだろう。 磐井の乱までは北部九州にすらヤマト王権の直接支配は及んでないだろう。
直轄地もなければ官僚制度もない時代なんだから。
豪族同士に緩やかな連合があった程度だろうな。
磐井の乱で反旗を翻したように近畿への反対連合もあったわけで。 >>392
日本書記は外国に対して日本の歴史を紹介するため
古事記は天皇の権威を高めて国内をまとめるため
つまり日本書記に魏に対して朝貢していたことを隠す意味などないんだよ >>394
中央集権が進んだから既得権が侵され反乱したのと違う? また、平原遺跡には卑弥呼の死亡時期と
同時期の殉葬が16あり、
コレと祇園山古墳の66と合わせて、
トータル82の殉葬になる。
祇園山古墳が卑弥呼の墓であり、
魏志倭人伝の殉葬およそ100人が
確かであった事が裏付けられたと言える。 >>392
『平城京遷都記念誌』
〜さらば飛鳥京・藤原京〜 そんな、昔の話じゃなくて、
記年の△神獣鏡は難升米が連れ帰った呉の鏡職人に作らせたもの。
公孫氏は、呉と同盟で、鏡師を呼び寄せていた。
筑紫の大国の王、難升米は246年の黄幢、檄に応えず、三国志への参加ではなく
本州勢力と同盟して、筑紫の防衛、半島進出での富国強兵の道を選んだ。
この話は、魏の半島進出で本州各国に青銅が入らなくなったこと
馬韓の王朝廃絶で、九州防衛が必要だったことによる必然。
戦国王の魏の皇帝が、辺境どころか外国に援軍、
とか間抜けな話ができる、邪馬台国論争は、馬鹿の証拠だぞwww
歴史を科学として、歴史認識ではなく理解できるなら
倭人伝を正しく、読みましょうね。 >>361
国の名前があるはずだからね
国譲りしてまで統一しようとしてるんだからヤマトは確定 渡来系の土蜘蛛がシナに泣きつくほどの勢力圏を天皇家は既に持ってたのほうがハクもつく
シナに政治干渉されて狗奴国と和睦しましたーバリバリ依存してまーすの方がまずいだろ 記紀には狗奴国との戦いが、
熊襲との戦いとして記述されている。
また、倭国大乱は狭穂彦王の乱として
明記されている。
また、邪馬台国の卑弥呼は倭姫命
(ヤマトのヒメミコ)と明記されており、
熊襲との戦いで倭健命に策を授けた事も
ハッキリ明記してある。 >>397
糸島の平原遺跡と久留米の祇園山古墳という離れた地域の「殉葬」を合計する意味がわからない。 >>405
数合わせが意味わからないけど、殉葬が確認されたことが大きい 殉葬って半島の習俗なんだよな。
日本の古墳では見つからない。
つまり・・・ 面白いのは、畿内ヤマトは中国と全く同じやりかたで蝦夷、熊襲、隼人みたいに中華思想的な別称を使ってるとこだわな
増長したんだろうな畿内ヤマトは また、伝承によると、
倭姫命には大幡主命が仕えており、
夷狄との戦の活躍によって、
旗を与えられたと言う。
この旗が張政より与えられた
黄幢である事は疑いようが無い事であり、
現代においても博多祗園山笠において
レプリカとして見られるモノである。 >>397
祇園山古墳の問題点
・サイズが全然違う
・形が違う
・殉葬者の数が全然違う
・三角縁神獣鏡が出てる また、大幡主命の弟が、
倭姫命の世話をしていたという伝承があり、
コレが魏志倭人伝の、
卑弥呼に歳の離れた弟がいて世話をしていた
という記述と繋がってくる。 >>406
古墳時代初期は殉葬が普通だったから殉葬が確認された事が畿内説に直結するとは思えないんだが >>408
今回はこれだけ平定しました
といちいち報告してて、種子島平定したからって住民代表まで連れて行ってた
どうしても「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」
が欲しくてたまらなかった >>394
>磐井の乱までは北部九州にすらヤマト王権の直接支配
じゃなくて、信長まで始皇帝の統一みたいな状況は日本に無いヨ?
武家以前の公家がやったのは仏教と神道で土地や人民の私有での荘園経営だろ?
軍事統一なんて、神話でしか出来てないし・・・
地方領主の豪族集めて権勢を誇らせてただけ。
女御更衣あまたさぶらい給いける、のになんで神功皇后が九州や半島に行くよ?
推古天皇も後宮の女帝だっただけで、物部蘇我とか、同族の王は有っても
王位継承なんて無かったから、遣隋使が会って無いんだよ。
歴史には、記紀には無い、必然が有るだろ? つまり中華の模倣国家だ
小中華思想のチョン国と同じ(笑) 祇園山古墳は中央に石棺があるけど、周囲に大量に埋葬施設があるのはあれも半島っぽい。
日本の一般的古墳では中央に石棺あっても周囲に大量に埋葬されることはない。 >>413
平原遺跡や祇園山遺跡から殉葬が確認された
ってことは九州説にとって有利な情報じゃないのか?
この情報は畿内説とは関係ないだろw また、邪馬台国の長官は伊支馬である。
伊支馬とは生目であり垂仁の事である。
生目は宮崎県生目古墳群周辺の豪族であり、
狭穂彦王の乱を征した生目氏が、
邪馬台国の権力を掌握したと言えるだろう。 強姦の話は分かったからw
新羅語が日本書紀に書いてあるんだよな
「久須尼自利。」此新羅語、未詳也。 >>386
> 邪馬台国が何処に在ったかが分かったところで日本の世の中は何も変わらんよ//
何だかオ〆って、世の中を変えようと熱心に珍棒を擦ってるウヨ棒っぽいな。
> 冷静に考えてみ//
先ずは粗末な御道具を仕舞い給へ。 博多湾は阿恵官衛遺跡のような政庁跡がゴロゴロ出てくるお(^.^)
まぁ 頑張ってね(笑) また生目長官が邪馬台国に居を構えた場所が、
生目八幡神社として残っている。
高良山からこの生目八幡までが、
邪馬台国の都の場所だろう。 >>166
遺伝子とか混ざり合っているのにな
仮に純粋な縄文人とかいたら、世界的なニュースになるんじゃないか?
北センチネルの住人でさえ混ざっているだろうし >>417
その宇佐神宮の地下にあるって説、完全にオカルトの世界だよ
何一つ証拠がない また、邪馬台国の範囲であるが、
帯方郡 ソウル近郊
狗邪韓国 金官伽耶
對海国 対馬
一大国 壱岐島
末盧国 松浦
伊都国 糸島怡土
奴国 那の津、那珂
不弥国 宇美
投馬国 妻、都間
狗奴国 隈、球磨
侏儒国 種子島
これらの国と地域は既に確定しており、
これらの国を地図上にプロットして、
あぶり出された空白地域のうち、
狗奴国と南を接する山門八女から
豊前豊後までが邪馬台国になる。 また、魏志倭人伝に、
不彌国から投馬国まで水行20日と書かれているが、
日本書紀によれば、神武の東征の際に、
日向生目から福岡岡田宮(ほぼ不彌国)までおよそ
1ヶ月かかったと記述されており、
投馬国の都は彌彌、彌彌那利のいた
美々津と考えられるので、
およそ2/3の距離の20日であり、
不彌国から投馬国まで20日は、
美々津までの行程で考古学的に
立証されたと言えるだろう。 喪に服し、泣きながら、東に、gun doğusunda(太陽の東?日本?)、高句麗、Cul'lu州、拓跋、チベット、アパル、ギリシャ語、キルギス、三姓クリカン、30タタール、Kıtay、Tatabi、彼らのすべての部族がやって来て、泣き、身を乗り出しました。
彼はとても有名なカーンでした。その瞬間の後、彼の[弟]がカーンになったのは事実です。彼の息子がカーンになったのは事実です。[その時から]彼の兄が兄のようだった瞬間
𐰖𐰆𐰍𐰲𐰃:𐰾𐰃𐰍𐱃𐰲𐰃:𐰇𐰭𐰼𐰃:𐰰𐰇𐰤:𐱃𐰆𐰍𐰽𐰴𐰑𐰃:𐰋𐰇𐰚𐰲𐰃:𐰲𐰇𐰠𐰏𐰠:
𐱃𐰉𐰍𐰲:𐱅𐰇𐰯𐰇𐱅:𐰯𐰺:𐰯𐰆𐰺𐰢:𐰶𐰃𐰺𐰴𐰕:
𐰇𐰲𐰸𐰆𐰺𐰃𐰴𐰣:𐰆𐱃𐰕𐱃𐱃𐰺:𐰶𐰃𐱃𐰪:𐱃𐱃𐰉𐰃:
𐰉𐰆𐰨𐰀:𐰉𐰆𐰑𐰣:𐰚𐰠𐰯𐰤:𐰽𐰃𐰍𐱃𐰀𐰢𐰾:𐰖𐰆𐰍𐰞𐰀𐰢𐰾:
𐰦𐰍:𐰚𐰇𐰠𐰏:𐰴𐰍𐰣:𐰼𐰢𐰾: 𐰦𐰀:𐰚𐰃𐰾𐰼𐰀:𐰃𐰤𐰃𐰾𐰃:
𐰴𐰍𐰣:𐰉𐰆𐰞𐰢𐰾:𐰼𐰨:𐰆𐰍𐰞𐰃𐱃𐰃:𐰴𐰍𐰣: >>436
Yascı, ağlayıcı, Doğu'da, gun doğusunda,Boklu,Cul'lu İl, Cin, Tibet, Apar, Rum, Kırgız, Uc Kurıkan, Otuz Tatar, Kıtay, Tatabı, bunca boyları gelip ağlamış, yaslanmış. Oyle unlu kağan imiş. [o] andan sonra, [kucuk] kardeşi kağan olmuş gercek. Oğulları kağan olmuş gercek. [o] andan sonra kardeşi, ağabeği gibi 強大な国との折衝に当たった外交官は、自国を大きく見せようと嘘を付く
現地まで赴かない、聞き取りだけと知れれば言いたい放題
ありえないほど遠くに首都を設定し、軍事ではなびかない宗教連合だと吹聴する
その教主が卑弥呼 また、陸行1ヶ月は、
唐書や隋書に、倭国は東西五月行南北三月行と明記されているので、
およそ百数十キロとなり、
水行10日は不彌国から美々津の半分の距離の大分宇佐で、
大分宇佐から内陸を百数十キロ行った、
狗奴国を南にする地域で、
山門八女になる。 中央の土人どもは平和ボケして権力争いばかりに明け暮れ、やがて国防が疎かとなり、白村江の戦いで大敗するのですね!
そして歴史を都合良く捏造 倭国大乱の九州の詳しさと、天孫降臨前の九州平定省略
この対比は大きい
つまり畿内ヤマトは九州邪馬台の討伐で相手の名前はおろか全く未知の相手だった証拠
その逆の東征はやたら詳しい
そりゃ九州平定は神話とした方が都合がいい
倭も対外的に名乗ることも含めて >>292
お前の言う「朝廷」の具体的名定義と、それが一般的なコンセンサスである根拠を出して >>442
ちょっと違う、あれは失地回復運動
十字軍みたいなもの >>436
ニホンって呼ばれてなかった?
「ン」入ってるから当たり前か >>304
さいたまは海で断絶されていたのか…
まあさいたまならありえないでもない しかしこのスレを読むと、九州説が学問の世界では捨てられた俗説に過ぎないとよく分かる
まず、このスレの九州説信者はとにかく知識がない
高校生レベルの知識さえない
古代史に興味を持って邪馬台国問題に首を突っ込むのなら、普通は最低限の知識はあるはずなのに、高校生以下なんだから呆れるしかない
こいつらの情報ソースはド素人同好会のホームページとか、どこの馬の骨とも分からん個人のブログだとかだから
考古学関連の情報が嘘、デタラメ、作り話のオンパレード
畿内説批判にしても、架空の畿内説をでっち上げ、それを自分で論破してる
自作自演の論破ごっこをやってる
まあ九州説信者って、住んでる世界が違う、見ているものが違う、信じてるものが違う人種なんだよな アマテラスのモデルになったのは卑弥呼説に一票。
卑弥呼が亡くなった年に皆既日食が観測されている。
当時の人々は皆既日食を卑弥呼が死んだ祟りだと畏れた。
それが古事記に描かれてた、アマテラスの天の岩戸の神話である。
アマテラスが岩屋に隠れてしまうと世界が真っ暗闇に包まれた=卑弥呼の死
を意味するのだと。 663年 白村江の戦い
九州北部に防人を配置
701年 大宝律令(国号を日本に)
712年 古事記完成
奈良時代より編纂 日本書紀
時代背景からも
半島情勢がからんでないワケがなからな 神話は出雲だろう
九州では無い
あ!宮崎がすこしあったかな また、邪馬台国の副長官は彌馬升である。
彌馬升は御間城であり崇神である。
記紀では崇神が垂仁の親であり、
親が副長官、子が長官という逆転現象が起こっている。
つまり、実際には、垂仁と崇神は、
直系の親子関係でなかった事が分かるのである。 >>448
さいたまだからな!
じゃなくて、関東に赴くには海路がベストだった
中山道、ましてや東海道なんて夢の交通網でしょ >>449
下らないことは書かなくていいから自説を書いてくれや >>448
大宮の氷川神社まで東京湾が来ていた。
香取鹿島に似た湾に面した神社だな。 >>14
卑弥呼は中国側の航海記録で
九州を通り越して 四国か機内に
たどり着く日程だから
九州説はあっけなく消える そもそもスサノオが渡来神だからな
その漂着した新羅系の土人は
倭 国 大 乱 のあと
北部九州、山陰、北陸からおわれることになる
関東、東北へと逃げることになる
そして、朝廷が関東東北の土人どもをしばきにいくのが
坂上田村麻呂になる
坂上田村麻呂が土人の巣を一掃
坂上田村麻呂は征 夷 大将軍だからな >>422
🇭🇺kurva anyad.とか?適当翻訳w
🇯🇵糞ったれ!糞野郎! >>458
縄文海進の後、氷川神社まで海だったとは初耳です
参拝しましたが、古代の重要拠点の匂いがプンプンいたしました >>453
出雲は別王朝があったけど
あっけなく大和王朝に取り込まれた >>455
まあ、中山道は古そうなんだよな。上野の貫前神社やらがあのあの界隈。豊城入彦が派遣されたとか、かなり重要なんだよ、 田舎もんは朝廷の公民ですらなかった夷人雑類
新羅系の土人は時代とともに北へ北へとおいやられていく
北部九州、山陰、北陸 (つまり新羅系のチョンコもどき)
↓ ↓ ↓ (倭国大乱)
関東 東北
↓ (征 夷 大将軍の 坂上田村麻呂)
東北
東北にも古い八幡神社があるのはなんでか
もう分かるな
ちなみに坂上田村麻呂に速攻で降伏して
手引きした関東土人は埼玉の土人だからな >>430
そら掘れないから証拠は出ないが
祭神見たら誰でも分かるっつーの >>420
官は、長官じゃなくて
魏が雇った、雇われ役人、案内役、説明責任者だよ。
倭人伝をちゃんと読めば判ると思うけど?
狗邪韓國の卑狗 副 卑奴母離 奴国の母離
この人は、奴国王の奴の升米=難升米の船に同乗していた。
帳政の旅程で手飼いの倭人。 對海國 一大國 も同じ。
到 伊都國は247年帳政の終点。 官は常駐させられた一大卒の役人。
あと奴国と不彌國は、帰国の道。
投馬國 官日 彌彌 副日 彌彌那利 可五萬餘戸
これは240年の梯儁、軍船行軍の停泊で
後の弁辰韓だが、彌彌は南岸の彌国の王だろう。
南至 邪馬壹國 官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮
伊支馬は、壱岐の馬、彌馬升は邪馬國の升、彌馬獲支は同獲支 、
奴佳鞮は、旧知の奴国の佳鞮 である。
倭人に姓は無く、所属の後、名を名乗っている。
同半島南岸、彌国の彌が王なら、中国系で姓が有ったかも?
彌彌那利は王子か?
倭人伝を正しく読みましょう。 崇神は吉備に関連の深い皇族である事が記紀から読み取れる。
そして日本で初めて日本各地に四道将軍という軍隊を派遣して、
日本を支配した人物として記紀に描かれている。
その四道将軍を派遣した範囲が、纒向遺跡の外来土器の出土状況と完全に一致し、
また纒向遺跡からは、
吉備の古墳を特徴付ける特殊器台埴輪が出土し、
四道将軍の一人、御間城の吉備からの家臣の吉備津彦には、
桃太郎伝説が残っており、
桃の種、犬の骨、等が纒向遺跡から出土する事で、
纒向は崇神朝の王都である事が決定づけられたと言えるだろう。 >>307
多分定説は無いと思う
おそらくだが、三根国の範囲に合ったと思われるから、魏志倭人伝に出てくる弥奴国と考える人もいるみたい
読みを推測すると「みねこく」「みなこく」かな >>463
出雲もそうなんだが、吉備やら越やらも大きかったはずなんだけどな。その痕跡がないのが不思議。 邪馬台国、北海道説!
やっぱり日本の先住民族はアイヌ人だった!
今すぐ、後から占領したヤマト民族はアイヌと琉球人に謝罪し、
本土で得た利益の半分を未来永劫、上納し続けろ! 出雲も北部九州も北陸(越)も同じ勢力だからな
いまでも北朝鮮の工作員が漂流してやってくるのと同じ
そこに漂流したヤツラが群がるの必然的といえる
>>374 ← このとおり 宮内庁が隠してるってことは今の歴史とは異なるってことなんでないかい
天皇家絡みの歴史書は嘘を書いてる >>471
明らかになった古代からの拠点が”三根国の範囲”
というのでは、どうにも腑に落ちない感じですが
とりあえずありがとうございいます >>307
吉野ケ里は神埼市で、
魏志倭人伝には
華奴蘇奴国(カナサキノクニ)と書かれている もっと以前からヤマトがあって近畿と九州に跨った後継争いがあったとかいう設定でキングダム的漫画誰か書いてくれへん? >>469
オマエは全くのデタラメであり、
魏が派遣した役人は張政と明記してある。
お話にならない。 糸魚川のヒスイ遺物の分布どおりになってるからな
なにも不思議なことはおきてない >>462
流石に古墳時代は氷川神社まで海だったことはないけど
いずれにせよ低地は洪水でぶっ壊されるため道が通っておらず埼玉は陸上路としては分断されてた
氷川神社は見沼に臨んだ水上交通の要衝 御間城崇神は日本全国に四道将軍を派遣して
日本を支配していたにも関わらず、
九州に進出出来なかった事が記紀から読み取れる。
そして魏志倭人伝では、九州で倭国大乱を征した生目の下の
副長官であったことが分かるのだ。 >>470
纏向はモモタロウの王都でOK
箸墓は、犬猿、雉の誰かの嫁の墓。
日本の古代の歴史を騙っちゃってる記紀よりは、
時系列無関係でモモタロウ伝説の実在性が信じるに値する。 >>481
海でないにしても湿地帯で今の東京23区は殆ど人が住んでないだろ 関東の古墳群を見れば分かる 畿内厨よ、九州説の完璧なQ&Aを読んでみろ
どうだ、参ったか
Q:九州のどこに邪馬台国がありましたか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこから邪馬台国を示唆する遺跡がでましたか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこから魏との外交を示唆する物証がでましたか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:水行十日陸行一月だと九州からはみでませんか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこに7万戸の大国が存在できるんですか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこに30国連合を示唆する物証があるんですか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:九州のどこに径百余歩の墓があるんですか?
A:そんなの知らねぇ!!
Q:本当に九州に邪馬台国があったんですか?
A:ありました(ドヤッ
Q:ではその証拠は?
A:そんなの知らねぇ!! 当時、尾張、美濃より東は魔界の住む土人地域
ヤマトヒメノミコト(ヒミコ)がヤマトタケルノミコトにクサナギノツルギを渡してることからも分かる
クサナギノツルギが祀られてる熱田神宮がそこにある理由を考えればいい
ヤマトヒメノミコト(つまりヒミコ)がヤマトタケルノミコトに託したツルギになる
ノブナガさまも東国からやってきた夷人雑類をやっつけるまえに
熱田神宮にお参りして桶狭間で東国の夷人雑類(今川義元)をやっつけてるからな 「卑弥呼」は名前か?
職名・官命・尊称・その他とかの可能性はないんか?
名前なら何処かに「卑弥呼」を祀る神社があってもよさそうなもんだが >>481
納得です
第三の故郷の大阪府池田市、猪名川の中流域に呉羽というお社がありまして
縁起によると中国から機織りの織工を招聘したそうな
当時の交通網は水運が主だったのだなぁと再認識いたしました これらの事から、邪馬台国の時代には、
九州の軍事力は本州崇神朝を圧倒していた事が分かる。
崇神亡き後、九州丹波氏の軍事力を背景にした倭健命の東征が、
あっという間に達成されたのも、
当時の圧倒的な九州の軍事力を物語っているのである。 大和朝廷が日本を支配した事なんかないから 機内がいいとこ 武士に利用され日本皇帝みたいになっただけだろ 九州の国々は阿蘇の噴火や台風で弱まったんだろな アホウヨによると
護良親王が鎌倉時代に船でユーロに渡ったらしいからな。
歴史研究なんて何でもアリなんだろ。 >>488
倭国大乱の時に平定したのが女王を擁する部族でその女王が卑弥呼と呼ばれていた
日の巫女で、太陽神を崇拝していた渡来(里帰り)系の部族と言われている
太陽信仰は古代メソポタミアからエジプト、日本と歴々と続いている
ユダヤの神も太陽神と言われる >>481
古墳群を見たことないのか
それとも上野、浜松町、田園調布、二子玉、王子あたりはお前の中じゃ
東京の区内じゃないことになってんのかよ 鎌倉時代にユーロに渡るくらいの航海技術あったら
貿易で力付けるヤツが出てくるよな。
元寇もそうだが天皇がイキってるとロクな事しないな >>483
ちなみに桃太郎は吉備津彦
犬は吉備からの譜代の家臣犬養氏、
猿は伊勢を本拠地とする猿田彦、
キジは河内大和に天孫降臨した
鳥見一族の物部氏と言う風に考えられる。 伊勢の斎宮にいた斎王(朝廷の皇女(ミコ))を
ヤマトの王と勘違いしたに違いない
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)
ヤマト → ヤマトコクの
ヒメノミコト → ヒミコ
コレ以外ないワケ
ヤマトヒメノミコト → 邪馬台(ヤマト)国の卑弥呼(ヒメノミコト) >>495
関東平野って実は起伏が激しいからね
全部が海だ湿地だとか、全部が丘だとか
そんな話じゃないでしょ >>498
斎王は本物のダミー
斎王が神託を下した事はない 裏で色々揉めてるんだろうけど
俺も議論に参加させてほしいわ。 卑弥呼って名前がもう欲情的なんだよ
これが薄羅婆って書いてたら誰も関心ないと思う 天正遣欧使節団は石見銀山から造船費用を捻出したが
造船技術が未熟で作った船は大破したんだよな。
んでサンファンバウティスタ号が出てくる。
どうして数百年前に軽々ユーロ行けるんだろうね。 >>499
レスつけてもらって申し訳ないのだが
実は>>484にレスしようとして>>481に間違えたのだ… ちなみに魏から派遣された張政は、
20数年日本に居て、
結局洛陽に帰って行ったんだわ。
コレが結局月に帰って行った
竹取物語に似てるんだわ。 倭人伝の女王の処都の位置なら、すごく簡単な、算数の文章問題なんですけど?
韓は、方可4千里、狗邪韓國 までは、七千餘里
対馬渡海は、千里×3回 ここまで、合計1万里。
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月(略)
自郡 至 女王國 萬二千餘里
一万里で邪馬台国国境=九洲島に上陸 で、
陸路2千里で女王の王宮である。
おまけ、
参問 倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里
これは、女王の境界が尽きる、邪馬台国21国7万戸は、
九州の北部南北2千里で納まる。
という事。 慶長遣欧使節団だね。
こんなあからさまなホラでインテリぶって出版出来るなら
俺は今頃ノーベル経済学賞もらってるよ >>476
弥生時代の「国の」ってのは推定/比定はされても確定はしていないのね
で、風土記等から弥生時代に佐賀県にあった国は松浦国(末廬國に比定)、基肄国(支惟国??)、佐嘉国、三根国、杵島国が存在したと考えられている
この内、吉野ヶ里遺跡がある神埼郡は三根国に該当する
松浦国と三根国の辺りが弥生時代の鉄器の出土が多く、この2つの国が当時は強大だったと考えられていたけど、最近発掘された七ヶ瀬遺跡から3種の人気が見つかって、佐嘉国もかなりの力を持っていたと考えられる >>490
何で消えたんだ
全く歴史から九州は消えるよな
その後、防人やら東国武士が九州を支配する
消えた理由は簡単、畿内ヤマトに敗れたからだ そんなに必死になることか
卑弥呼がどこに居たかなんてどうでもいいわ >>507
そんなもん途中でサボってた分が加算されてるに決まってんだろ ヤマトと邪馬台国は別物で
筑後平野にあるっつうのが自然だろ >>509
ググったよりとっても分かりやすいです
有難うございました
コピーしちゃいます >>477
三根国が美祢郡と神埼郡に別れたのは律令制以降じゃない? >>510
倭健命の配下として、
九州から日本各地に進出して行った。
丹後の元伊勢籠神社や
尾張の熱田神宮、
伊勢の伊勢神宮、
などに拠点を築いた。
そして神功皇后の時代にも力を振るったのである。 >>3
逆に朝鮮半島に南側から入った説が有力
北側からも入ってきていてこれが
高句麗だな >>517
それはずいぶん後の話だな
神武天皇がやり残した分を引き継いで日本全国統一に動き出した頃だ >>517
ちなみに九州に来る前は関東にいたんだよな
もともと日高見国、太陽が早く昇る地である茨城千葉あたりにいた天孫族が航路で九州に来た
鹿島立ちの語源 邪馬台国は消滅した、この事実から目を逸らすのはやめよう
つまり敗れたってことだ ここのコメントw
何を読んだらこんなの書けるのって言うような荒唐無稽なものが多いなw >>520
海路沿いに同じ地名、同じ文化、同じ氏族ってあるあるだけど
まさか関東が起源だとは黒潮も真っ青だぜ >>523
だから夏のお祭りの時期が鹿島立ちの季節なんだよ 記紀に書かれている通り、
垂仁や景行の時代に、
熊襲征伐が成されて、
これが九州の兵を本州各地に
派遣するきっかけになった。
丹波氏は丹後の元伊勢籠神社や
尾張の熱田神宮、伊勢の伊勢神宮を拠点に、
本州に一大勢力を築いて、
丹波氏の後ろ盾になる訳だが、
ここで熊襲の逆襲があり、
仲哀天皇はぶっ殺されてしまったのだ。
丹波氏の本拠地、高良山周辺も、
熊襲の手に落ちたのは間違いないだろう。
ここで九州倭国の丹波氏本家の歴史は途絶えてしまったのである。 大体、伊勢神宮よりは宇佐神宮の方が格上
宇佐神宮が下した神託には皇室も従わざるを得なかった
なぜか?それはみんなで考えよう >(Wikipediaより)
「男子は大小と無く、皆鯨面文身す」の記述)。一方で、中国では先秦の時代から入れ墨は犯罪者を区別するために行われていた。
邪馬台国民、総犯罪者か…「大犯民国だな、ダメだコリャ」。この時代にヤマト(奈良)からの流人が居たとかは考えられないか?太宰府は『大罪府』? どうせフィクションの話をしてるんでしょ?
作家呼んで劇的なストーリーでも考えろよ。 邪馬台国、狗奴国
ヤマトタケルと戦った隼人
大和朝廷の前に王朝を築いていたが国を譲った出雲王朝
いずれも、詳細が今後も解る事が無い。
中国に倭国大乱の記録があるから幾つもの大勢力があったんだろうが
(上に書いた勢力以外にも知られてない集団もあったかもしれん)
自国の記録が無いので何もわからない。
弥生時代には中国朝鮮と交易があって
日本の情報を中国が記録に残してる位、活発に人流があったのに
文字文化が伝わらなかったのは非常に惜しい。 >>512
日行は行軍での概略であり、兵員を集める時間までは? だけど、
兵糧は必要だし、文学的記録で里程のような数値は判らない。
月行については、使用例から日本の領土、南北3月行東西5月行
これは遣隋使が見た九州〜奈良の東山まで、5月行九州島南北3月行であって
実際の日本列島南北は、中華よりはるかに大きいので中国史には書けないのである。
古代中国から見た倭と言うのは、琉球から北海道? 沿海州より北で、
太平洋側の張り出しは予測不可能なのである。 ただ、丹波氏は本州各地に既に
大きな勢力を築いていたので、
神功皇后の後ろ盾になり、
数年で失地回復が成されたと言う事になる。。 記紀を編纂した人は、中国の文献も知っていただろうに、
大和王権と邪馬台国との関連を全く書くことができなかったのが不思議。 >>526
格とは関係なく”恐れ敬っていた”てのもあるんじゃないの? 意味が分からない
女性の墓が出てきたらなぜそれが壱与の墓になる
これだから日本の考古学会は… 三輪では倭大国魂神
伊勢では天照大明神
が祀られてからな
倭大国魂神はヤマトの氏神 >>533
道鏡が天皇に就こうとした時に宇佐神宮の神託を騙った
和気清麻呂が確認したところ、以下の信託を賜った
我が国は開闢(かいびゃく)以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除(そうじょ)すべし。
これかりわかる事は、天皇の任命権は宇佐神宮にあったということ 記紀は吉備の豪族御間城氏の物語と、
日向生目の豪族生目氏の物語と、
筑後豊の丹波氏の物語が、
一つの一族の物語になるように創作されているので、
それをきちんと分割していけば、
弥生後期の日本の歴史が、
正確に再現される様になっている。 宇佐神宮が新天皇を良いと言えば良い
ダメと言えばダメ
なぜなら、宇佐神宮は日本の國體の総本家である卑弥呼の家だから 宇佐神宮Webページ
8世紀の『豊前風土記』には、「むかし新羅の神が渡ってきて、この河原に住んだので鹿
春郷(かわらのさと)と名づけた」ことなどが記されています。つまり、田川郡には銅を産
する香春岳があったので、新羅国(しらぎのくに)の神を祀る技術集団が住んでいたことが
分かります。
先にも書いたとおり宇佐神宮は新羅系の神社
宇佐神宮はもともとヤマトの信仰と無関係 >>536
この一節から読み取れるのは
任命権ではなく
身分や統治の権利に関する当時の法だと思う >>522
ほとんど何も残ってないし、95%ぐらいは想像によるしかない分野だから仕方ないね。
日本書紀なんかも、当時の超先進国中国様とお付き合いするために自国の歴史を作るという流れからできたもんだろ。
内容は盛りまくるだろうし、都合の悪いことは書かないし、場合によっては嘘も書くだろう。
北朝鮮の将軍様の建国ファンタジーと同レベルなんだよ。
若者に流行りのなろう小説みないなもんだな。
それを必死に読み込んでいるで、いろいろ語るのが日本古代史研究という悲しさ。 >>352
それが、記紀否定の基本であって
物部王権、蘇我王権、藤原王権。
で、銅鐸も、倭の五王も知らない。
じゃ、困るから、焚書しといたwww
これが、記紀までに混ざったから万世一系なんだけど?
さらに、日本神道は明治政府が、王政復古という嘘で作った歴史。
ってことで、今の皇室?宮内庁は、歴史認識が改まる事実を公開できるか?
韓国が可哀そうすぎて、できないんだよ。 >>539
新羅の神と書いたのは、新羅の方からきた、つまり、渡来系だと言うこと
卑弥呼は渡来系もしくは、東夷族(縄文人の大陸進出組)ということ
縄文時代からヤマトという国などがありましたか?無いでしょう 筑後高良大社に勢力を張る丹波氏が、
狭穂彦王の時代に妻国西都原に進出して、
生目の豪族生目氏と妻国の覇権を争った。
コレが倭国大乱である。
この戦いに勝利した生目氏が宇佐に拠点を築いて、
邪馬台国に進出し、丹波氏の娘ヒバヅメの姫を娶って長官になった。
生目氏が筑後で拠点としたのが、
今の生目八幡辺りである。 >>16
盗掘に遭うほどの遺物なんてだれも殆ど期待してないよ(出たら出たで喜ばしいけど)
盗掘者がゴミと見なしたものから情報を紐解くんだよ >>543
そう、そもそも日本人のルーツ、国後島から北海道へ泳いで渡ってきたのかも知れない… >>542
宇佐神宮の主神格は何でしょうか?
比売大神だよ
比売大神って誰のことか説明できる? 日出処の天子さまの国だからな
大陸の天子さまとは違う
それを裏付けるための歴史書だからな
そして、記紀は
唐、新羅連合にボコボコにされたあとに
編纂された歴史書だからな >>541
というと?宇佐神宮と天皇の間に法があったのかな? >>551
信託で当時の法(理)を説いたってことだよ
わかってくれよ >>532
たかが豪族連合の筑紫土蜘蛛が大陸の金印まで持ってたから中国の朝敵になる可能性もあったのでデリケートな問題としてスルーしただけ
幽州の小役人とはいえ政治介入までされてる地域だし
当時の国家観や民族観を考えたら親魏倭王ってのはボスに日本列島の統治任されたみたいなもんなんだから、仮に畿内勢に下賜されてんならガンガン振りかざしてるはず やがて生目とヒバヅメの姫の間に
男子が生まれた、コレが景行天皇である。
そして女子が生まれ、コレが倭姫命、
邪馬台国の卑弥呼となったのである。
結局、生目氏は、丹波氏を押さえつけて王になる事は出来なかったので、
丹波氏の娘でもある倭姫命を女王にする事で折り合いを付けたのである。 >>550
唐と新羅に征服されても卑弥呼の家を残すために、記紀から卑弥呼を徹底的に隠したんだよ >>552
やはり、本家本元の天皇家自身が、宇佐神宮から説かれないと判断できなかったことが証拠だよね? なんでもっとちゃんと「邪馬台国はここです!」って書き残してくれなかったんだろう 弥生時代の三種の神器がセットで出土した遺跡
1.吉武高木遺跡 福岡市西区・・・弥生初期
2.三雲南小路遺跡 糸島市
3.井原遺跡 糸島市
4.須玖岡本遺跡 春日市
5.七ヶ瀬遺跡 佐賀市・・・弥生末期
6.平原遺跡 糸島市・・・弥生末期 記紀の国産みでは国を産んだ時点で在地の人も土蜘蛛も生まれている
つまり、もともと住んでたんだよ
それが倭国であり、中身の殆どは奴国の系列
産んだと書いてるけど、見つけた発見したの方が正確だと思うね >>557
八幡はスサノオであり渡来系
卑弥呼も渡来系だけど東夷族
もともと縄文時代から続くヤマト国やヤマト王朝なるものがあった訳ではないからね
ヤマトという概念もいわば渡来系だよ 生目が機転が効いたのは、
息子の景行を崇神の家臣
吉備津彦の娘と婚姻させた事だ。
これで生目が大和政権に繋がり、
大和へと進出して行った。
この後、生目と景行は、
美濃の豪族と組んで、
崇神朝を乗っ取ってしまったのだ。
結局景行と吉備津彦の娘の間に生まれた子供は、
折り合いが悪く、倭姫命の元に養子に出されてしまった。
コレが倭健命である。 たな大型の鉄器工房跡 国内最大級か
毎日新聞2017年1月25日 17時03分(最終更新 1月25日 20時46分)
弥生時代後期 鉄製品57点と工房含む竪穴建物跡4棟発見
兵庫県淡路市教委は25日、弥生時代後期の舟木遺跡(同市舟木)から大型の鉄器工房
跡を確認したと発表した。遺跡中心部の状況を把握するため狭い範囲で溝(トレンチ)を
掘って調査した結果、鉄製品57点と工房を含む竪穴建物跡4棟が見つかった。同遺跡全
体の鉄器工房の規模が、南西約6キロにある国内最大級の鉄器生産集落で国史跡の五斗長
垣内(ごっさかいと)遺跡(同市黒谷)をしのぐ可能性があるとしている。
舟木遺跡は約40ヘクタールの大規模な山間地集落遺跡。これまでに約5700平方メー
トルを調査し、弥生時代後期の竪穴建物跡10棟や土器、中国鏡の破片が出土しているが、
鉄器工房は確認されていなかった。
2016年度は遺跡中心部の尾根沿いに7本の溝、計128平方メートルを掘り、弥生
時代後期後半(2世紀後半)の竪穴建物跡4棟を確認した。3棟は直径10メートル前後
の大規模な円形で、うち1棟から床が赤く焼けた炉跡4カ所が見つかった。もう1棟は四
隅が丸い隅丸方形建物だった。
イザナミとイザナギがセックスした島に古代 最 大 規 模 の 鉄 器 工 場 もある
※ 弥生時代後期後半( 2 世 紀 後 半 )の竪穴建物跡4棟を確認済
国産みのはじまり淡路島
こおろこおろのすべての始まりの場所だからな
ココが国産みの最初の場所になる
九州土人みたいな夷人雑類と一切関係ない
ヤマトの強大な軍事力を裏付ける施設が国のはじまりの淡路島に残ってる 京都御苑内に鎮座まします神社は、厳島神社(宗像三女神)・宗像神社(宗像三女神)そして白雲神社(市杵島姫神)の三社です。 この倭健命が、魏志倭人伝で言う、
卑弥呼の世話をした歳の離れた弟であり、
また大幡主命の弟でもあるのだろう。 >>565
全部、卑弥呼の家系の女王のこと
宗像三女神は、卑弥呼、台与、天照大御神、つまり女系女王に対する崇拝 これを見て、まともな知能と判断力があれば、邪馬台国が九州にあったなどとほざくはずがない
https://i.imgur.com/BbxsgG7.png この時に記紀で言う倭健命の熊襲征伐があり、
魏志倭人伝に書かれた、張政の黄幢と檄文があって、
実際には大幡主命が活躍して、
この黄幢が倭姫命より大幡主命に下知された伝承として残っているのである。 此新羅語、未詳也。
だから。(日本書紀を書いた)大陸の人も日本人も分からない
新羅語のスラング? >>562
須佐の男だと思ってたわ、外人だったのかよ! 熊襲征伐に成功した丹波氏と倭健命は、
大和政権から排除された崇神や吉備津彦の一派と組んで、
出雲→丹後→尾張・伊勢→関東甲信越へと進出して、
日本に一大勢力を築いた。
コレが倭健命の東征である。 セリフの部分は
そのまま、こう言ったんだと思うけど。 >>570
厳島神社(宗像三女神)
宗像神社(宗像三女神)
白雲神社(市杵島姫神)
各々、穴が三・三・一となり邪馬台国(『邪』という漢字に穴3つ、同じく『馬』には穴3つ、そして『台』には穴1つ)を連想します。 丹波氏と吉備津彦の連合を恐れた
纒向の生目氏は3関を築いて
丹波吉備連合の畿内侵入を阻んだ。
しかし、コレがセルフ兵糧攻めになってしまって、
纒向は衰退し、結局、丹波氏に養子入った、
景行の息子の倭健命の子供の開化天皇へと、
政権が移っていったのである。
コレが大和政権の始まりなのである。 >>536
伊勢神宮や出雲大社じゃなくて宇佐神宮だからね
宇佐神宮は凄いですね >>573
漢が滅びた事を知って魏に乗り換えた九州北部勢力と
知らずに未だに漢の銅鏡拝んでる時代遅れの畿内勢力って感じやね >>8
時空間移動が可能になる約40年後まで必要やから存続するで(笑) >>573
コレは三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡を
2世紀後半から3世紀前半の鏡という嘘をついているのであって、
実際に、3世紀前半の、邪馬台国の
外交上の超重要拠点の平原遺跡の、
数々の当時の舶載鏡の埋葬品の中に、
三角縁神獣鏡み画文帯神獣鏡も
一切存在しない事で、
三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡が
2世紀後半から3世紀前半に流通していた鏡という嘘が
完全にバレてしまった図になっている。 >>587
卑弥呼は丹波氏と生目氏の間に生まれた娘である。
その養子になったのが倭健命で、
その系統が現代まで続いている天皇家である。 >>586
もう一度同じことを書く
九州説カルト信者の情報ソースはド素人同好会のホームページとか、どこの馬の骨とも分からん個人のブログだとかだから
考古学関連の情報が嘘、デタラメ、作り話のオンパレード そのうち卑弥呼とか邪馬台国も教科書から消えたりして >>582
宇佐神宮、つまり、卑弥呼の家系が天皇家のバックであったらしい
天皇が平伏した一言主神とは、この家系の王だったらしい >>587
全然関係ない
張政ごときに仲介入ってもらわないとどうにもならないほど国家経営能力低いって言ってるようなもんだし畿内説は大変不名誉なこと >>594
卑弥呼は天皇家の本家筋
継体天皇は卑弥呼の家系から承った
天皇家に名字は無いとされているが、あるらしく、中世は「原」という名字だったらしい 仮に九州に邪馬台国があっても古墳時代にはもうその人達も追いやられてるんやろ?
【人類学】日本人の「完成」は古墳時代だった? DNAを分析、ルーツに新説 [すらいむ★]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1631942087/ >>591
ブログでもなんでもない、
三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡の分布と、
それらが平原遺跡から出土しないという
考古学上の歴然とした事実によって導かれた、
何人たりとも否定されざる歴史の論理である。 宇佐神宮作ったのは秦氏だろ
雄略天皇の時代に一族を奴隷として売り飛ばされた一族 >>596
そうです
葛城にいた一言主神にバッタリ会って弓を向けた雄略天皇は、焦って武器を献上して土下座して事なきを得たらしい
一言主神の家を敵に回すと仲哀天皇になる >>587
>>1
戦後GHQが日本を占領して神道指令を出して焚書まで行い教科書改ざんまで行い
神武天皇と神功皇后の存在を消した
そのために日本人は自らの歴史を知らずに今に至る
魏志倭人伝の卑弥呼は記紀に出てくる神功皇后のおまけみたいな存在
つまりは偽女王
狗奴国の男子王卑弥弓呼にいじめられていたので
魏に援軍要請をしたことろ一大卒で反乱が発覚
すぐに処刑された 古代の天皇陵発掘したら天皇家と朝鮮半島のつながりがあかるみに
出てしまうから許可しないんだろうなとは思う。でも学問の発展考えたらそんなことにこだわるのはばかばかしいと思う。別に天皇家が朝鮮半島出身だって別にいいじゃん。すでに日本の君主として1600年以上君臨してるわけだし。エリザベス女王のイギリスのウインザー家だって
敵国ドイツの出自でべつにそのこと隠してもないしイギリス国民がアイツラは敵国民だから崇敬しないなんてことにもなってないし。 中国の研究者が九州と言ってるんだから九州でいいだろ
九州北部だけが中国に頭下げました、と
それとも畿内派は日本の大半が中国に頭を下げたことにして中国への臣従を誇りにしたいのか? >>597
>>1
応神天皇がそ継体天皇の先祖だったんじゃないのか?
卑弥呼はそもそも女だし魏志倭人伝によると独身で子がいないはず
このように日本で一番デタラメをほざくのが卑弥呼信者だったりする >>116
なんでそんなに栄えてるはずの博多をわざわざ捨ててまで近畿に居つくのよ? 「葛城神社」は鳴門市北灘町粟田に鎮座し,一言主神(ヒトコトヌシノカミ)をご祭神とする。
縁起文中にある「藤葛にて馬がつまづき神は落馬され…」とあるが、注文すべきは「藤葛」というキーワード。
列びは前後逆になるが「葛藤」という言葉がある。
「葛藤」とは「藤原氏」と「葛城氏」の因縁から生まれた言葉。
「葛城神社」には境内に古墳があり、古代の遺物が発掘されている。
そして背後の天円山一帯は特に重要な地域で、古代史に詳しい人は「萩原墳墓群」をご存知であろう。
因みに、「藤原氏」(中臣氏)の本貫地は鳴門市の西隣、板野郡板野町である。
神武天皇と戦った長髄彦の本貫地は徳島県板野郡板野町川端で、周辺には、
「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。
長髄彦と神武軍との戦いの場は、この東隣の鳴門市萩原地域。長髄彦は、この地で神武軍との戦いに敗れたのである。
また、「蘇我氏」の本貫地は徳島県石井町にあり、そこには「曽我氏神社古墳群」や
奈良に先行すると思われる「白鳳寺院跡」および「白鳳瓦窯跡」が確認されている。 @阿波 彗星歌 (혜성가)
1舊理東尸汀叱
2乾達婆矣游烏隱城叱 兮良望良古
3倭理叱軍置來叱多
4烽燒邪隱邊也藪耶
5三花矣岳音見賜烏尸聞古
6月置入切爾數於將來尸波衣
7道尸掃尸星利望良古
8彗星也白反也人是有叱多
(後句)
9達阿羅浮去伊叱等邪
10此也友物比所音叱 兮叱只有叱故
해독(解読)
양주동 해석(ヤン・ジュドング解釈)
예전 동해 물가 건달파가
놀던 성을 바라보고
왜군이 왔다고
봉화를 사룬 변방이 있어라.
삼화의 산 구경 오심을 듣고
달도 부지런히 등불을 켜는데
길쓸 별을 바라보고
혜성이여 사뢴 사람이 있구나
아으 달은 저 아래로 떠 갔더라
이보아, 무슨 혜성이 있을고.
新羅語のヒント残ってないかなー
Google翻訳
かつて東海物価ごろつき波が
遊んでいた城を眺めて
日本軍が来た
狼煙をサルン辺境がありなさい。
三和の山口径到来を聞いて
月も熱心に灯りを点灯た
ギルスル星を眺めて
彗星よサルェン人がいるんだ
アウ月はその下に浮いて行った
このボアは、何彗星があると。 >>588
同じ人だよ
壱与、壹与(いよ)
史料によっては、臺与(とよ)とも記されてる。 >>599
おまえのは、考古学者が誰も唱えてない考古学的事実
ド素人がでっち上げた考古学的事実 魏の使者が往来し常駐する場所が伊都国でしょ
邪馬台国の貿易を検察する為に女王国の北に一大率を置き治めていたのも伊都国でしょ
おまけに後漢時代の漢委奴国王印も伊都国でしょ
距離で見ても九州北部まででしょ
細かく紹介されてる国は九州北部の国でしょ
伊都国から少し南に行った場所だよね邪馬台国
ちょうどいい感じの場所にバカでかい平野と水田地帯あるよね 孝霊天皇の墓なわけねえだろ?どこまでばかなんだ宮内庁って
朝鮮人じゃねえの >>605
日本はもともと母系の国
万世一系物語はあくまで物語 卑弥呼の「ひ」って普通に考えると「火」か「日」だよね 平原遺跡と祇園山古墳の甕棺墓の
時代編年がおよそ卑弥呼の死亡時期と一致する事で、
この2つの墓が卑弥呼の死に関連する墓である事は疑いようが無く、
特に平原遺跡は伊都国として、
場所も確定しており、
魏志倭人伝にも外交上の超重要拠点として、
明記されていることから、そこで出土した、
舶載鏡が、邪馬台国で卑弥呼の死亡時期に、
流通していた舶載鏡と理論上言い切れるのであり、
平原遺跡から出土しない三角縁神獣鏡と画文帯神獣鏡は
卑弥呼の死亡時期に流通していた舶載鏡では無い事は、
理論として何人たりとも否定されざる考古学上の確定した結論であると言える。 面白いな🤣
gun doğusunda
太陽の東国
何処か他の書物で、使われてないかな? 邇藝速日命 - 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
邇藝速日命の子孫を自称してるのが、物部氏、穂積氏
皇統に邇藝速日命の血がはいる(母系)のは 孝 昭 天 皇 の皇后からになる
それまではずっと天皇の皇后は 師 木 県 主 の子孫
天香語山命 - 邇藝速日命
天香語山命の子孫を自称してるのが、尾張氏になる >>613 >>1
卑弥呼の墓なわけねえだろ?
一緒に埋葬された奴婢100人はどこ行った?
どこまでばかなんだ卑弥呼信者は
朝鮮人じゃねえの
魏志倭人伝も読まないらしいからな 三角縁神獣鏡ガー
画文帯神獣鏡ガー
魏から卑弥呼が貰った鏡なる畿内説は
理論として完全に終わったものである。
もう考古学者として、
この説を持ち出す者は
居なくなるだろう。
これほどまで明確に理論上否定出来る事は珍しいぐらいだ。 >>576
天照とスサノオとツクヨミは3兄弟ってことになっているが
その後の経歴を考えてみると
スサノオは出雲の大国主の先祖ということになっている
出雲の大国主は国津神の代表
つまり日本在来の神=縄文系
実際に出雲遺跡から出土した遺骨から抽出したDNAから縄文人の割合が
出雲の遺跡には多いと発表されている
それに対して姉とされている天照大御神は
天津神の代表とされる
つまり渡来=弥生系
兄弟というのは血のつながりがあるのではなくて
日本列島を姉(弥生人)と弟(縄文人)で仲良く納めて行こうという
意味で作られた神話だと思う
つまり長々書いたけれどスサノオのほうが日本列島では古くからいた縄文人由来の神だと思う >>80
過去に難波宮や石山本願寺があり今は大阪城がある場所も、
もとは古墳があったらしいが開発され尽くして何も分からなくなっている 古事記でも
スサノオは半島(新羅)にいって
ヤマトにかえってきてることもわかるとおり
普通に渡来神だからな >>614
日本は天照大神の父のイザナギから続く男系の国
天照大神の夫はスサノオノミコト
つまり弟と姉が結婚して生まれたのが
左のみづらに巻いている玉から 天之忍穂耳命
右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命
かづらに巻いている玉から天津日子根命
左手に巻いている玉から活津日子根命
右手に巻いている玉から熊野久須毘命
天之忍穂耳命こそが神武天皇の先祖
あまりに古代過ぎて話が変な風に着色されているが
これはスサノオと天照大神の間に生まれた子の事について記されている >>624
大袈裟に脚色されているが本当は単純な話 平原遺跡は、邪馬台国の超重要拠点たる
伊都国の、卑弥呼の死亡時期と時期を同じくする墓であるのに、
それは方墳である事で、
邪馬台国は初期の前方後円墳の築造を
象徴とした勢力なる理論も
完全に崩壊したと言えるだろう。
初期の巨大な前方後円墳の築造が、
日本で最初の統一国家の邪馬台国を象徴する遺構なる理論も、
完全崩壊し、
今後にその説を唱える考古学者は居なくなるのは間違いない事だな。 >>616
甕棺墓の時代編年とか笑うわ
35年前の編年から研究が進んでないんじゃないの?
平原と祇園山は下手したら100年近く違うぞww 太陽信仰は大陸にも半島にもない
ヤマトの信仰だからな
三輪では倭大国魂神はヤマトの氏神(土地)
伊勢では天照大明神(太陽)が祀られてる >>623
どの部分にスサノオが新羅からやってきたと書いているんだ?
教えてくれ
オレが知っているのは根の堅素国にいた
スサノオが大国主を自分の子孫だと娘に紹介している部分
大国主=国津神なのは明らかなのだから
スサノオも国津神だろうに? 邪馬台国が持つ名声や個人的な郷土愛は一回置いといて邪馬台国は中国王朝に何を求めたのか
そしてそれは皇室にとって名誉なことなのか一回考えて欲しい
俺はむしろ遠ざけたい案件だと思ってる >>629
『日本書紀』における八岐大蛇の記述がある一書第4では、天から追放されたスサノオは、新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降り、この地吾居ること欲さず「乃興言曰 此地吾不欲居」と言い息子の五十猛神(いそたける)と共に土船で東に渡り出雲国斐伊川上の鳥上の峰へ到った(「遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯」)後、八岐大蛇を退治した。
Wikipedia より >>626
低学歴のバカが37回書き込んだところで意味はない
東大や京大が畿内説を唱えるだけでみんなそっちを信じるだけ >>56
別王朝なの?
シナの正史も周辺国の地理書なんか見てもいないことファンタジーで書くのちゃうん。妖怪変化みたいの住んでるとかさー 甕棺墓の時代編年から、
平原遺跡が卑弥呼の死亡時期と
時期を同じくする墓である事は
疑いの余地がない。
248年に邪馬台国に流通していた舶載鏡は、
方格規矩四神鏡と内行花文鏡である。
これらの出土が日本でおよそ100枚であるので、
コレが魏から卑弥呼に贈られた、
100枚の銅鏡で間違いないだろう。
コレを否定する理論は、
今後一切出て来ない、
出て来ようがない事だな。 >>630
皇室?
だから皇室とは関係ない
別の国だってw
卑弥呼が求めたのはただ単に魏の後ろ盾があるんだぞという
倭国内での一つ頭が抜けて優位に立つことだけだろ?
あるいは先に朝貢しておくことで魏から侵略をうける危険性を回避するため、とか
また一説には卑弥呼は魏に使いを送ったのではなくて公孫氏に使いを送ったのに
使者が到着したときには魏が公孫氏を滅ぼした直後だったので
使者はそのまま魏に朝貢したという説もある 皆既日食の話が出てるけど、実際に日食がおこったのは北陸東北だけだったって計算が出てたんじゃ? >>629
新羅からやって来たかは別として、
出雲国風土記には新羅に縄を掛けて土地を奪って来たという国引き神話があるな。 >>636
それは違う年の日食だろ?
卑弥呼の死んだ年にあった日食は
九州地方で皆既日食が見られた >>627
違いません。
平原遺跡から出土した鏡がー
で、同じ様式の甕棺墓を
100年違わせようとするのが
畿内説のドアホ。
学問を舐めてる、お話にならない。。 >>636
3世紀に皆既日食が2回見られたのは九州北部だけだから卑弥呼=アマテラスで間違いないんだよw >>639
当て字
つまりもともとヤマトという国じゃなかった
畿内の政権が
邪馬台国という国が昔あって、魏と外交を結んでいたことを知って
自分たちの国号もヤマトと自称するようになった
それまでは倭の国号を使っていて、「わ」と言っていたから
文字はそのままでヤマトと読むことにしたんだろう
その後で中国の都市名は二字で書いていることを真似して
倭に大の文字をつけた
読み方はそのまま「やまと」と残っている
ということだろう たとえば祇園信仰は
普通に新羅の信仰と習合してるからな >>631
三国史記の新羅本紀の方には倭人に襲撃され民や財を略奪された記述が沢山残ってるから、
スサノオも新羅を狩場として領民や財や知識を奪って国を大きくしたのだろう。
九州の武士が倭寇として中国や朝鮮を略奪して回ってたみたいに。 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
ヤマトは奈良しかない
邪(ヤ)馬(マ)台(ト)は奈良
この歌は奈良の風景そのもの リスペクト ホームセンター
やっぱコンビニだろ
リスペクト ホームセンター
井上の温野菜
リスペクト ホームセンター
栄養が超少なーい
リスペクト ホームセンター
いやゴメンねホント無理なう そもそも、魏で鏡と言えば鉄鏡の事。
銅山のある徐州は呉の領土であり、
銅は銅銭として流通させる事が
出来ないぐらい枯渇していた。
従って、魏が銅鏡100枚を贈る為には、
結局漢の時代の漢鏡を集めざるを得ず、
卑弥呼の死亡時期と時期を同じくする平原遺跡の舶載鏡が、なぜ漢鏡なのか、
当時の銅を取り巻く時代背景とも、
完全に一致する平原遺跡の舶載鏡の
漢鏡の出土であるのである。 上皇陛下は先代と血のつながりがないからか火葬だもんねw >>637
古代日本はなんだかんだで新羅派と百済派のせめぎ合いだからな
大津京遷都も味方の百済系が多いからとか何とか どうすんの!?
養蜂だ!バッキャロー!
ナウいナスいれるけんのうwww
ナウいナス入れるけんのうwww
井上ういろうが6本!
醤油かと思ったらソース!
母ちゃんソース出しといてやー!
家の前に出しといてやー!
(☝՞ਊ ՞)☝ウェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェイ
寿司
夢はバイリンガルなルー
井上の温ワンタン
鰻!Oh〜弁当いんの!?
おーさーげ >>553
ガンガン振りかざす、ありえる
逆にそういうのがないと言うことは、滅びた側に金印があるってことだね >>652
三国史記には、倭国に敗れ千人単位の住民を連れ去られた記録が何度も出てくるし、
朝鮮から攫ってきた奴隷は日本の労働力として組み込まれていた節がある。
それに加えて百済滅亡による亡命者が混じるもんな。 先ず皇居(江戸城)と平安京(京都御所)の延長線上に関門海峡(福岡県・山口県)が位置する。
そして皇居(江戸城)と平城京・飛鳥京・橿原神宮(奈良県)の延長線上に国東半島(大分県)が位置する。
何かの偶然でしょうか? だからさっさと天皇陵調査させろって
それだけでいま謎とされてることは大概解明する
宮内庁の小役人どもは殿上人にでもなったつもりかよ >>656
偶然だ
因みに俺が今居る場所と実家を結んだ線上にも、捜せばきっと何かがあるw 中国「倭人は呉の太伯の子孫と自称してる」
中国「倭人は顔に入れ墨してる」
中国「奴国王や卑弥呼には金印を授けた」
中国「倭国の都からは阿蘇山が見える」
中国「倭国の都で王と妃・太子に会った」
中国「倭国王とその一族には将軍など様々な肩書を与えた」
中国「今の倭国はかつての奴国」
中国「日本国と倭国は別種」
中国「日本は西・南の端は海、北・東は大山。山の向こうは毛人の国」
日本「中国から冊封なんてされてない」
日本「呉王夫差(太伯の子孫)の末裔・松野連は卑しい諸蕃」
日本「福岡県志賀島から漢委奴国王の金印出土したわ」
バカ「邪馬台国は近畿」
バカ「邪馬台国が大和朝廷になった」
バカ「倭の五王は天皇のこと」
バカ「大和朝廷は倭人」 曹操集約注によると、
皇帝曹操は1尺2寸の金銀錯嵌珠鉄鏡を持っていた、
皇后皇太子は7寸の銀錯嵌の鉄鏡を持っていた、
貴人公主には9寸の鉄鏡を贈ったと書かれている。
日田の金銀錯嵌珠竜文鉄鏡はまさに、
貴人公主に贈ったとされる9寸の鉄鏡であり、
ソレに王宮関係しかなし得ない金銀錯嵌を施すという事で、
魏の王宮関係から正式なルートで伝わった
鉄鏡である事が確定したのである。 >>660
低学歴の猿野郎が東大や京大をバカと呼ぶのか? 公孫淵の記録が正しいやろな
やっぱり偉大だなあの時代の中国は >>659
俺のいる場所と実家を結んだ線上には、佐世保基地があったッ!
さらに先に延ばしていくと、武漢がッ!
これは偶然でしょうか? ちなみに、つい最近まで、考古学界は、
漢委奴國王の金印が、なぜどうして
志賀島から見つかったのかわからない
とか言っていたんだが、
この私が「志賀島は奴国を構成していた安曇族の
氏神たる志賀海神社があるので、
奴国に贈られた漢委奴國王の金印が
志賀島から出土するのは当然の事」
とズビシッと言い切って以降、
漢委奴國王が志賀島から出土するのは
当然の事として定着するに至ったのである。 九州邪馬台を畿内ヤマトが征伐して、高天原で天孫降臨したから
伊勢神宮に天皇陛下は参拝しないんだぞ >>657
古墳調査=墓泥棒
役人どうたらの問題じゃない。
不敬にも程がある。 安曇族は良質な木を求めて日本海沿岸をさらに東へと移動、糸魚川辺りから上陸し今の長野県穂高まで川沿いを遡っていった…
今でも安曇という地名が在り、穂高神社が鎮座まします(主祭神は穂高見命:綿津見命の子、綿津見命:安曇氏の祖神、そして瓊々杵命がおわします)。 >>668
安曇族と
高天原から派遣されてきた強い神にやぶれて
諏訪まで逃げたという神話がある大国主の子供とは関係あるんだろうか? >>670
ヤマタイ、ヤマイ
イヨ、トヨ
いろいろ説がある >>664
淡路島は夏至冬至のクロスレイラインだっけ
時計ないのに畑仕事するのは大変だよな。 >>669
諏訪大社の主祭神はタケミナカタ命
宗像に通ずるものがありそうですネ
安曇穂高〜諏訪は丁度フォッサマグナ西端伝いに歩いて一週間、現代の車だと高速使って小一時間程度でしょう。 諏訪の副宮司て元は縄文土着神の祭祀してた家系とかテレビでやってたな。
氷川のアラハバキとか国津系は縄文神祀ってるとこ多いよね >>643
倭人が魏志倭人伝を読んだときはとっくに国号が日本になってるだろ? 諏訪、モリヤ氏でしょうか。
諏訪大社、実はユダヤ教かも知れません!? 長野県柳沢遺跡より大阪湾型の銅戈が発見された。
銅剣銅戈は奴国の安曇族が生産し、
祭祀の道具として使っていたモノであり、
安曇族の穂高への進出が、
考古学的にも実証されたと言えるだろう。 >>664
俺の書き込みの後なら、それは必然だなw ちなみに、大阪湾の銅戈は、
河内の住吉神社から大和に進出して行った、
物部氏の祖先、饒速日命にリンクしているのである。
と言う事で、天皇家と同じ、高天原の神で、
直接河内・大和に進出して行った饒速日命は、
博多湾周辺の安曇族という事になる。
高天原は博多湾周辺であり、
奴国が高天原なのである。 掘りたい掘りたいと言いつつ掘らせてもらえないことに助けられてる気がするよなw 安曇族は奴国から出雲、河内に植民して行ったんだよ
バイキングみたいに >寺沢さんは現在、出土土器を通じた箸墓古墳の築造年代を260年代後半から270年代とみている。
結論ありき >>332
それデマだよ
龍谷大の1枚だけ回転させてあって用紙の都合と言われている >>685
長野県諏訪エリアにも物部氏が落ち延びてきたとの伝説があります。 女系になれば、まったく新しい別の王朝になるのだから
当然、今の宮内庁も解体して全員クビで新しい組織になるわけだ
M子とKの子供が天皇になってK王朝になって何代か過ぎれば、
もう古墳はご先祖様の墓ではなくなるのだから発掘出来るんじゃね 諏訪あたりは安曇野あるし安曇族だよ
糸魚川のヒスイを求めて上流まできたんだろうな >>453
日向を宮崎と解釈すると間違うぞ
ではコピペ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う
続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり
木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ
おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる
よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる
なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話
高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925) 智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜) 日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂) >>673
すごく興味があるのだが安曇氏は海洋民族なのでアマ族=天孫族ではないのか
タケミナカタは国津神なのでこれをどう解釈したら良いんだろう 長野県とりわけ安曇野には道祖神が多く奉られています。(道祖神≒岐の神、猿田彦神・天宇受売命と男女一対)
では猿田彦神・天宇受売命ともに饒速日命系?安曇族や物部氏なのでしょうか? 奴国の隆盛と共に安曇族が
日本各地に広がって行った
天孫降臨の時代を示すのが、
紀元前200年〜紀元100年の出来事であるとして、
それ以前に、日本各地にネットワークを構築し、
安曇族達を日本各地に案内した部族がいた事が
記紀に書かれている。
天皇家を高天原から高千穂に案内し、
伊勢に帰って行ったと言う猿田彦である。 福岡県の田んぼで見つかった金印て怪しいな。なんであんな高価なものが田んぼに埋まってるんだよ? >>699
阿曇は地祇系氏族で天孫降臨前から日本にいた氏族という扱い 銅剣銅戈の伝播にリンクするのが
天孫降臨時代の安曇族の進出であり、
ソレに先んじる猿田彦の日本各地への
ネットワークは、弥生時代の
貝の道によって示されるモノと考えられるのである。
秀吉に代表される、
猿に似た風貌を特徴とするC1系の部族は、
沖縄から北海道まで、貝の飾りを流通させる貝の道を形成しており、
当時から猿に似た風貌より
猿田彦と呼ばれていたのである。 畿内説だといまの天皇の系統が途中で邪馬台国に乗っ取られてることになるんだが
大丈夫か? >邪馬台国畿内説に弾み
意味が分からん
皇室が飛鳥あたりにあって、邪馬台国は単なる一地方王国だろう
畿内説とかバカが関西に持って行きたいだけで言ってる話 >>710
畿内説だと初代斎王豊鍬入姫=トヨって話じゃね 日本語にそっくりな言語なんて
世界中探してもどこにも無いって
そういう事でしょ? 【自民党激震!ネット騒然!河野太郎の実弟が中国で太陽光発電ビジネス!】
『お前自身が既得権益じゃないか!』だから再生可能エネルギーを推してたのか!
これじゃ世界と足並みを揃えて対中国包囲網に加われないぞ!
2563882 >>704
九州邪馬台が持っていた魏の後ろ盾の金印なんて縄文人からしたら何だこれ?レベル
滅した後、その辺に捨てた
それよりも墳丘墓に埋葬される剣勾玉鏡の方が戦利品として畿内に持って帰り証拠とできる
それが三種の神器 >>714
日琉祖語は完全にチャンプルーだな 大陸由来の発音だけで最低3つパターンあるし >>706
多分実在したけど「卑弥呼」は名前じゃないので誰かわからない >>710
畿内説は日本の初代国王は卑弥呼といういたって常識的な考え
神武?誰それ的な
その後どっかで天皇家の先祖が王権簒奪して歴史捏造したのか知らんがそんなことは邪馬台国に関係がない 昔は日本でしか出土しないような鏡が
畿内説の最大の根拠だったからな
要するに結論が最初にあって
それに適当に当てはめているだけだから
聞く価値全然無い >>704
本物だとしても入手の経緯は亀井南冥が捏造したんじゃないかな
だから志賀島にあったというのも怪しい 卑弥呼は初代かもしれないし
末代かもしれんし
日本の統一王朝かもしれんけど
豪族の長かもしれん 東北からハプログループNが強く出ている地域あるんだよね。 日本書紀の編者は魏志の二人の女王を神功皇后と推定して
年代もそれで決めている
議論を始めるとしたらそこからなのに
都合が悪いから無視するのが日本のレベルが低い歴史界 >>722
どこか全く別の地域から持ってきたとしたら九州説の終わりか あの金印、漢委奴国王あって、親魏倭王じゃないからね この考古学者の弥生時代の考察は為になるかも…ちと長いんだけどさ
https://youtu.be/VyPg94fydW0 https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=tr&tl=ja&text=Al%20%C5%9Fu%20takatukalar%C4%B1%2C%20takatukac%C4%B1ya%20g%C3%B6t%C3%BCr.%20Takatukac%C4%B1%20takatukalar%C4%B1%20takatukalamam%20derse%2C%20takatukalar%C4%B1%2C%20takatukac%C4%B1dan%20takatukalatmadan%20geri%20getir.%20&op=translate
その国の特色が出て面白い >>703
時系列で並べて、
猿田彦・安曇族
猿田彦・天皇家
ヤタガラス・神武天皇
伊勢と熊野はある意味で近場だけど… 邪馬台国を語る上で前提となる基礎知識
こういう基礎的な日本史と矛盾した説は単なるラノベに過ぎない
「弥生時代の後期には、すでに大きな墳丘をもつ墓が各地で営まれていたが、
3世紀中頃から後半になると、より大規模な前方後円墳をはじめとする古墳が西日本を中心に出現する。
これら出現期の古墳は、多くは前方後円墳もしくは前方後方墳で、長い木棺を竪穴式石室におさめた埋葬施設や、
多数の銅鏡をはじめとする呪術的な副葬品をもつなど、画一的な特徴をもっていた。
それは古墳が各地の首長たちの共通の意識のもとにつくり出された墓制で、
その背景には古墳の出現に先だって広域の政治連合が形成されていたことが考えられる。
出現期の古墳の中でもっとも規模が大きいものは、奈良県(大和)にみられ、
この時期大和地方を中心とする近畿中央部の勢力によって政治連合が形成されていた。
この大和地方を中心とする政治連合をヤマト政権という。」 >>728
奴国が福岡というのが定説だから奴国の金印の真贋はわりとどうでもいいんだよな >>728
漢委奴国王の印は漢が委奴国王だと認めた者の証なんだ
だから個人へ贈られたのではなく、漢が続く限り代々、委奴国王が引き継ぐ物
漢が滅亡して魏へ変わったのが卑弥呼の時だから
卑弥呼までは引き継がれてたはずなんだ
効力を失った漢委奴国王の印に代わって、親魏倭王の印を卑弥呼は受け取った
普通に考えて漢委奴国王の印の最後の所有者は卑弥呼なんだよな。 >>722
糸島の細石神社の宝物だったって話もあるな。 >>736
はたして、委奴国=邪馬台国なのかしら? 日本語に似ている他言語…
敢えて言うなら、漢文に送り仮名付けると似てる? 倭の女王が卑弥呼
その倭に属する藩が邪馬台国
邪馬台国の女王(藩主)と卑弥呼は別人
という説もある 卑弥呼ってのが侮蔑含みの当て字 蒙古だの鮮卑だの枚挙にいとまがない 姫巫女または日巫女でしょ
倭ってのも要するに大人しいとかちっちゃいとかそんな感じ ワの当事者にすれば我、吾もしくは和なんでないの >>743
南至邪馬壹國 女王之所都
そもそも藩なんて単位は出てこない アマテラスの暗号って本の神道とユダヤ教の多すぎる共通点はホントなのか嘘なのかわからんくなってくるね >>11
そおいえば古墳が見つかって慌てて壊した国が近くにあったな インドに多数いる藩王を統治したのはヴィクトリア女王
九州説はインドでヴィクトリア女王の遺構や墓を探すようなもん
そりゃ何も出てきやしないわな >>710
継体以前は別王朝。
大和と河内の歴代有力者の伝承を、記紀編纂時に後付けで無理矢理に大和朝廷の先祖と言うことにしただけ。
3Cの大和にあった別王朝の「ヤマト国」イコール魏志の「邪馬台国(ヤマトコク)」も一緒に記紀に取り込まれた。それだけのこと。 >>745
分り易く説明するのに便宜上「藩」とさせていただきました 「継体」ってネーミングがもうアピールしすぎですからな 我こそは継ぐものやでーと
大陸から引っ張ってきた与太話まで足して、先代天皇は乱暴で暗愚でしたとほのめかし、どこぞの馬の骨が継ぐ正統性を暗に補強 実際前任が凡庸ないし無能で継体側に刺される余地があったのかもしれんが >>750
魏志倭人伝にでてくる単位で書かなきゃ余計にわかりにくいよ
邪馬台国に女王卑弥呼がいて、都とするところは邪馬台国
他の国と同じく官や副官となる人物が設置されてるので
その人物とは別人であると言うのならその通りだけどね
伊都国にも「世有王」だけど、これは解釈次第なので、人それぞれ
・卑弥呼が伊都国にいた
・卑弥呼以外の王がいた
どっちでも解釈できる >>751
寧ろ和語の方がアピールしすぎなようなw >>704
俺もそう思っていたんだけど
沖ノ島の宝物の出土状況を考えるとあまり不思議なことではなくなる >>112
お前いつもあの辺で犬のトレーニングさせてる
迷惑ドッグトレーナーかよ
近所で問題になってるぞ 鬼道で人を誑かす山門の土蜘蛛の女王は天皇家に討たれた
生口献上してまで大陸の後ろ盾貰ってた蛮族は全て九州の豪族 【重要情報】
河野太郎は日本端子4000株を保有か
海乱鬼氏が上げてくれた下の企業情報を参照
なんと中国事業を大展開する一族企業の出資者であり、直接の利害関係者だった。
且つ公開の政治資金収支報告書によれば多額の献金を同社から受領。
事実なら河野氏は政府にいてはならん。大臣を辞すべきだ。
日本端子の企業情報。河野家で会長、社長、取締役を押さえて、株主に河野太郎自身も入ってる。売上も安定してるし得意先の中国と仲良くないと河野家も自分も困るって事か。これじゃ中国様に対して強く出るわけないし、靖国参拝を中国様に遠慮するわけだ。総裁になったら誰の為に働くか想像がつくよな。
085486 邪馬台国は卑弥呼女王が誕生するまでは歴代男王がなっていたが
卑弥呼の前の男王の時に国が乱れ治まらなかったから話し合いで
卑弥呼を擁立したら国が安定したと倭人伝に書いているので
卑弥呼は初代では無い事は確か。 >>761
しかも卑弥呼は奇妙な術まで使ってた
その内容は分からんけど >>749
この手のスレには必ず現れる刑体支持者(笑)
あっちこっちで論破されてるのにw 河野太郎のような売国奴が総理になったら日本の将来は悲惨な事になるな、
1番適役は高市早苗だが岸田文雄でも良いだろう なんで宮内庁はこんな大昔の墓は厳格に管理するのに、現代のプリンセスは管理しないで放置なの?
そっちの方がよほど皇室の将来を左右する由々しき問題やろw 亀の甲羅を焼いてヒビ割れで吉凶を占うとか幼稚過ぎて笑っちゃうような術だが
天皇は今でもやってるんだよな
皇室ってアホなのかもしれない アマテラスからは女系なのにバカウヨは男系男系煩い
見てな、愛子天皇になるから 天照大神は皇室の先祖だがその時には大和朝廷は無かったので
歴代の天皇家は女性天皇はいたが男系で続いている。 >>767
> アマテラスからは女系なのにバカウヨは男系男系煩い
> 見てな、愛子天皇になるから
ソウカ ソウカ >>766
古代では、亀の甲羅を焼く事で、その、亀の取れた土地の海洋資源の質を見極めていたらしい
亀の甲羅が硬ければ硬いほど、栄養が豊富な土地
そのために均一な温度で焼かなければならないので、火の管理が必要 天皇制は支持するけど宮内庁が古墳を学術調査させないのはマジで反対だわ
韓国で前方後円墳が発見され時代を測定したら日本より後に作られた物だと判明し
急いで韓国政府が土に埋め戻した
中国でピラミッド?が発見されたが神話と矛盾するので埋め戻した
やってること同レベルじゃね?
天皇家の神話や伝統はそれで良いんだよ。
でもそれ以前から列島にはご先祖様が生活してたわけだろ
学問として明らかにするの日本なら当然じゃね? >>15
邪馬台国の読みは「ヤマトこく」
つまり大和朝廷(ヤマトちょうてい)の前身なんだわ
はい九州説を華麗に論破 >>773
吉凶を占うと書いてあるぞ
海洋調査ちがう 大陸に奴隷献上しながら泣きついて帯方郡の役人に紛争仲裁まで頼んでる始末
畿内に持ってきて喜んでんの草 >>776
海洋調査なんだけど、何してんの?って聞かれた時に「占いですよ」って誤魔化してたんだよ 鹿の骨を焼くのも同じく、陸の資源調査
なんで誤魔化したかというと、資源な豊富な土地を奪われないため >>767
ようバカサヨ
初代天皇ぐらい調べてから書けや ヤマトをヤマタイと読んだバカがいたために
こういう無益な論争がまだ続いておるのだ。 おめーどこに住んでんの?
おいどんは山たい!山にすんでるばい!
あ?どこ?
やまたい!! >>779
いい畑がないから米を半島まで買いに出かけてるって書いてあんぞ >>769
>>767
日本は天照大神の父のイザナギからずっと男系
天照大神の夫は弟のスサノオノミコトだからな
実際にはイザナギからスサノオそして天皇の先祖と続いてきているのだが
神話部分でも全然読んでいないのが多いのな まず整理しよう
議事倭人伝は、 魏による 醜悪な当て字
正しくは
邪馬台国 = 大和大国(やまとたいこく)
卑弥呼 = 日御子(ひみこ)
つまりだな
御子が治める国なんだから
とーぜん
御神体がある訳よ
奈良県桜井市
纏向遺跡には、
日本最古の神社「大神神社」と
日本最古の聖地「三輪山」が、おわすわけ
そして
日本最古級の巨大前方後円墳
建国の英雄
「ヤマトタケル」の墓より 巨大な「箸墓古墳」
九州に、ひとつでも存在してるか? >>784
そもそも卑弥呼の墓は前方後円墳とは書かれていない
読めば円墳だったと解釈できる書き方だぞ
なんで巨大な前方後円墳が邪馬台国の証拠になるのか
全然論理性がないw >>785
ヤマトタケルこと小碓尊には重大な秘密があったみたいwww
514日本@名無史さん2021/09/13(月) 21:11:36.13
ヤマトタケルこと小碓尊って九州熊曾国の行縢山に住むカワカミタケルに勝負を挑み
闇討ちに近い(女装して刃物でブスリ)暗殺作戦に成功した後
死ぬ直前カワカミタケルにその強さ??を称えてヤマトタケルの称号を与えられ
小碓尊はそれからヤマトタケルと名乗り始めたって日本書記に記述されてるけど
それが本当ならヤマトタケルってどれだけレベルが低いキャラなんだよってなるよね
515日本@名無史さん2021/09/13(月) 21:19:35.50
>>514
その辺りの古代史物語は創作に跳んだ童話だから眉唾もの
俺は倭国連合最強だった邪馬台国と絡ませて比喩的に
大和朝廷が九州を意識しまくって捏造物語を創作したと見てる
516日本@名無史さん2021/09/13(月) 22:41:04.91
>>514
カワカミタケル率いる熊曾国の行縢山は
九州の日本最古最大規模を誇る西都原古墳群に近辺なんだよな
魏誌倭人伝に記される邪馬台国や卑弥呼など古代倭国の秘密が握られてそう
517日本@名無史さん2021/09/13(月) 23:14:04.79>>518
三国志東夷伝倭人の条の記述によれば3世紀の倭人は顔中体中真っ赤な入れ墨だらけ
ところが記紀では入れ墨族は
「天孫族」とやらにひたすら殺戮されていくウホウホ蛮族扱い
「天孫族」と入れ墨族のハーフのイワレヒコが
入れ墨族の小邑を配下にしたという記述はあるが
イワレヒコの配下の入れ墨族もやっぱり他の入れ墨族を殺戮していく
518日本@名無史さん2021/09/13(月) 23:24:40.97
>>517
古代中国の漢民族は自分達以外の東西南北四方に居住する
異なる民族は劣った文化しか持たない四夷蛮族と見なしていたし
中華民族が東方西方南方北方の未開で未発達の蛮族を
文化的に中華文化で教化しなければならないとう思想を持っていた 宮内庁がかくしもってる真実は何なのだろう
発掘されて困ることあるのだろうか >>788
ムー的展開で
天皇家の祖先は他の惑星からやってきた証拠とかw 絶対外部に漏らしてはいけない真実を知ってるってことはないと思うぞ
典型的な前例主義のお役所だから、それ守ってるだけで
それが皇室の祖先崇拝という神道の本質ともからむ宗教的問題と関係してるからなおさら頑固なだけで
かりに全面的に調べられるようになったとしても、明治維新以前は長期間放置されていた陵墓がほとんどだから
盗掘を免れてる可能性はほぼゼロに近いはず 古墳の由来がまんこに箸が刺さって死んだってのも凄いな >>791
事故ってことになっているけれどさあ
絶対にオナニー失敗だよな >>758
ほと→○○○(現代の関西語)
ほと→○○○○(現代の関東語) >>791
則箸撞陰而薨 すなわち箸が陰を撞きて薨ず
オマンコと堂々と書いてある歴史書もなかなか おはようございます
チャンコロ利権ズブズブ太郎でございます!
利益誘導よろしくお願いします
中国に逆らうことは一切しません!
582312 >>784
いや皇祖神は天照大神なんだから
そこを祖としないのは無理があるのでは
仮にその親の世代だとしても、イザナミ→アマテラスの母系とも考えられるのでは >>796
皇族の戸籍として現在も宮内庁が管理している皇統譜では
天照大神を世系第一として皇室系図が始まっている
https://tanken.com/kotofu3.jpg >>786
少なくとも、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した天皇陵は一つもなく、奈良盆地の「前方後円墳」が、天皇陵でないことは一目瞭然。
所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵はすべて、「卑彌呼」と同じ「冢」だな。 @阿波 横浜に保土ケ谷という地名が在るが・・・
大物主神は丹塗り矢(赤い矢)に姿を変え、勢夜陀多良比売が大便をするところを狙って川の上流から流れていき、勢夜陀多良比売の陰部(ホト)を突いた。を連想させる…
しかし『保土ケ谷』と『ホトが矢』は全く無関係であることから、現代の情勢と神話の情勢を結び付けることがあってはならない。 >>800
>大物主神は丹塗り矢(赤い矢)
「丹」と言えば、「阿波」一択だろ? わははははは @阿波 >>796
崇神の時代に天照と大国主を祟り神として追放してるんだが? 邪馬台国トンデモ山城盆地説や
邪馬台国トンデモ諏訪盆地説を
調査中ですが確たる証拠が無く
全く信憑性がありませんワ… おほほ >>802
伊勢神宮と大神神社の成立に関する神話に
くだらない解釈を ●高市さん関係拾い上げ
930ニューノーマルの名無しさん2021/09/20(月) 11:51:56.10ID:azuAZIbz0
>>921
人形供養の淡島の加太神社にお願いしてるんですね。
スタッフさんも奈良県人が多いなら日本文化の生活体現者のような人ばかりでしょう。
935ニューノーマルの名無しさん2021/09/20(月) 14:18:23.03ID:PLsoRo080
>>865
高市さんには菊理姫か瀬織津姫が依ってるという人もいる。
奈良だから善女竜王がとうとう来たかとも。
三輪神道では三輪神は女姿で現れるという伝承もあるから。 ●高市さん関係拾い上げ
679ニューノーマルの名無しさん2021/09/11(土) 01:56:45.82ID:jjjxULTy0
卑弥呼=天照大神の事を指し、卑弥呼は宮殿内で毎日占いに明け暮れていた
要するに引きこもりの主導者だったが高市早苗は活発で攻撃性の強い
性格だから卑弥呼には相応しくない、兵を率いて三韓征伐をした
神功皇后がピッタリ当てはまる。
766ニューノーマルの名無しさん2021/09/11(土) 14:05:45.47ID:QE/46Kw/0
>>679
>卑弥呼は宮殿内で毎日占いに明け暮れていた
少し違うかもしれませんね。
崇神紀に様子が書かれています。
当時の1800年前は皇女などを「神に託ける」ですから、神の託宣を享けていたのですね。
それを男弟である人に伝えていたのです。
その建物でないかと思われる跡を2009年に桜井市教委と橿原考古研が掘り当てました。
当時はシャーマニズム全盛の時代で現代イザイホーなどにその跡が見受けられるものです。
ベニバナの花粉を奈良教育大の著名な研究者が発見したとも伝えられていたと思います。
当時からあったかもしれない幣などが染められていた可能性などが考えられ特徴的な祭祀が
行われていた可能性があります。
紀伊半島の隆起などがから当時は寒冷化とともに地震などもあったので銅鐸から鏡への祭祀改革
を行った卑弥呼相当の人ですが、女子でありながら中国からも特別な扱いを受けていたことを
考えると、当時の大水口や穂積などの大臣級に劣らずの相当な現実の見識人だったと考えられます。
高市早苗議員が神社仏閣参詣が趣味だと最近耳にしましたので、当時の皇后筋の血が入っているの
かもしれませんね。
当時の皇后や妃筋はヤマトの有力氏族で、唐古鍵や纒向の中心勢力だったと考えられています。
769ニューノーマルの名無しさん2021/09/11(土) 14:15:01.55ID:YLxNUJOd0
>>766
高市早苗そのものの感じじゃん
次元の違う日本の改革をやろうとしてんだからさ
774ニューノーマルの名無しさん2021/09/11(土) 15:03:03.44ID:dbRVVhkI0
>>766
高市早苗の前世は三輪山のふもとで国家安寧・五穀豊穣のマツリゴトを司っていた姫だったわけか
まさに高市の早苗そのものだ
775ニューノーマルの名無しさん2021/09/11(土) 15:07:45.67ID:PqtOF2jk0
やっぱ高市さんで決まりです
●高市さん関係拾い上げ⑹
930ニューノーマルの名無しさん2021/09/20(月) 11:51:56.10ID:azuAZIbz0
>>921
人形供養の淡島の加太神社にお願いしてるんですね。
スタッフさんも奈良県人が多いなら日本文化の生活体現者のような人ばかりでしょう。
935ニューノーマルの名無しさん2021/09/20(月) 14:18:23.03ID:PLsoRo080
>>865
高市さんには菊理姫か瀬織津姫が依ってるという人もいる。
奈良だから善女竜王がとうとう来たかとも。
三輪神道では三輪神は女姿で現れるという伝承もあるから。 >>804-805
あー虫唾が走る。こいつら本気で神国日本を汚(けが)してるだろ
高市を神格化するなんて 天皇制のファンタジーを維持する為に歴史を隠蔽 宮内庁 >>805
>高市さんには菊理姫か瀬織津姫が依ってるという人もいる。
その菊理媛神を全国唯一祀る阿波
「伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせた菊理媛神を祀る阿波」
阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」
御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)
「阿波誌」に、「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。
菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とある。
なんと、伊奘諾尊と伊弉冉尊が泉平坂で相争ったとき、二人を仲裁した菊理媛神(くくりひめのかみ)が、
阿波市阿波町で祀られているのである。
なんでこんなマイナーな神様を阿波で祀る必要があるのだろうか。 後は推して知るべし。
http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html
こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外にはどこにも存在しないのである。 @阿波 逆に言えば、渡来系の支配・影響は限定的だったということ もはや単なる意地だけになってるね畿内説w
飯の種とポンコツ人生総決算が醜悪に絡み合って
もう自分でも訳わかんなくなってるんだろうな >>782
博多w
そういえば、博多棒ラーメンマルタイもヤマタイと語呂が似ている
これは!!!
九州説で間違いないですね 卑弥呼も壹與も北部九州にいた訳だから奈良の古墳とは何の関係も
無いのにこのスレは何をとぼけた事を書いているのかと思っている >>814
>卑弥呼も壹與も北部九州にいた訳だから
正一位 式内名神大社 「天石門別八倉比賣神社」が鎮座していない北部九州は、論外! 下がっておれ! @阿波 >>814
大和にあったなら記録が残って無いと辻褄が合わない
九州からの東遷も同じ理由で辻褄が合わないのでない
少なくとも硯の見つかってる九州北部が、記録を残してないはずがない。
木簡竹簡の類は、2千年でも保つから出土してない時点で燃やされたと考える方が無理がない >>819
石に彫れよ
土器に彫れよ
キャンバスはたくさんあるぞ >>820
石でも何でもいいが、後の勢力と繋がってるなら記録は残る 結局あっちにもこっちにも卑弥呼(のような存在)が存在していたんだろ
そのうちの一つがたまたま魏志倭人伝にちょろっと記載されてただけ
1人に絞ることはない、 >>821
隋書倭国伝「無文字唯刻木結縄敬仏法於百済求得仏経始有文字知卜筮尤信巫覡」
訳 倭人は文字がないので結縄してる。百済から仏教を敬い求めたことで文字を知る。 >>823
30か国の盟主なんだからその地域ではナンバー1の国王だぞ
朝鮮半島へ渡って魏へ辿り着くまで途中の身の安全が確保されてるのだから
通過国を従えているか友好関係結んでないと無理だし 3世紀前後に邪馬台国の女王の卑弥呼と後継者壱与がいて天皇は自称男系2600年てことは
卑弥呼は日本統一はしていない地方国家の女王で天皇家に滅ぼされてる
ってことにしなきゃ天皇家には都合悪いかw
天皇家と宮内庁にとっては九州説のほうがまだ都合良いし卑弥呼畿内説のことは研究されたくないんじゃないかw >>822
> 卑弥呼までは九州
> 臺与から畿内
それならまだわかるな >>809
高市氏は日本会議で、韓国発の統一教会・勝共連合と近い立場だから朝鮮寄りなんだよな
安倍氏に至っては先祖が戦前特高だったり「私は朝鮮(人)だ」という伝聞があったり 邪馬台国は九州にあって卑弥呼が死んだ後、大陸の天孫族に滅ぼされてそいつらが奈良まで行って大和朝廷も滅ぼして天皇になったんだろ 箸墓の築造が 3世紀後半だと、第7代・孝霊天皇(実在したの?)の在位期間とまったく違うじゃん
それでも宮内庁は孝霊天皇の娘の墓だと言い張るのか アホちゃうか ネトウヨは馬鹿なのは天皇家なんか嘘で塗り固められた血筋なのにそれをガチで信用してるとこなんだよなw >>824
九州北部では硯が見つかってて、土器底部に書かれた文字が見つかってる 邪馬台国も卑弥呼も、耳で聞いた名称を魏人=チャイナが皮肉った当て字
ヤマトコク(大和国)→邪馬台国
ヒミコ(日巫女) →卑弥呼 「倭」は九州でも奈良でも同じように使ってたと考えたい。
そのうち九州の邪馬台国が主に挙げたの各国が魏志倭人伝に
記録されたと。 >>835
三世紀頃に「巫女(みこ)」という単語があったかどうかも怪しい 古代の人々は、農耕生活が主流になると宗教観にも影響を及ぼしました。農耕生活は天候・自然災害などに左右されるため自然への信仰が強くなってきたからです。
当時、天気も山や岩も『神』だと考えられていました。
日巫女は元々巫女(占術を行うシャーマン)だったんだよね
生涯夫は持たず、天空の神に使える巫女として「鬼道(きどう)」と呼ばれる呪術によって神の御告げを弟を通して民に伝え、天候を占い災害や農耕に役立て、国を統治してきた。
天気予報士、兼、占い師の巫女w
日巫女=天照大神 血生臭い戦を好まず天空の神からの声=お告げを聞いて国を統治した女王、日巫女=天照大神 日本でいったら青森市役所レベルの張政に東京土産と金印あげるからファイトって諭されてんのが畿内の有力者か
その為にわざわざ生口まで上納してんのか
悲しいな >>3
その詳しい人って創作歴史を正史だと思い込んでる半島の人でしょ >>798
つまり皇統は最初から女系であるということなんだな
誰だよ男系とかやかましく言ってるやつは >>835
日本書紀の時代から天皇の子は「皇子(みこ)」「皇女(ひめみこ)」
高貴な人を指す言葉で「みこ」はあったぞ
卑弥呼も王族だからみこ呼びされてて不思議ではない 卑弥呼が亡くなった年に皆既日食が観測されています。
これを寓話的に描いたものが、
古事記に記されている、アマテラスの天の岩戸の神話です。
つまり、卑弥呼こそが、天照大神のモデルだったのです。 >>793
アイヌ祖語はウラル語族?
ハンガリー人やフィンランド人みたいなコーカソイドが住んでいた? >>834
硯なのに土器に文字とかギャグのつもりか? 促音が習得出来ないと思う。ウラル語系集団いないと。
(アイヌ?) 卑弥呼を神格化したのが天照大神
日本書紀は、天皇制で統制する意図で作られました >>848
面白い。
出雲の住民が信濃に飛ばされて諏訪地方に風祭が残っている。
神官をほうり(ほふり)という。
ラップランドではシャーマンがいたり風の神様を祭っていたりする。
生贄の台は高床式倉庫に似ている。 ド田舎のとある宮内庁陵墓参考地の古墳。20年くらい前だけど隣接する公園で夜中に酒盛りしてた大学生が
酔った勢いでフェンスよじ登り、古墳に侵入した。そしたらどこからともなく黒のスーツの集団が沸いて出てきて取り押さえられた
公園に残ってた友人たちもいつの間にか囲まれていた
警察が来て引き渡されたあと、友人たちはいつの間にか黒服たちがいなくなってるのに気づいた 日本人のルーツは、サハ人(ヤクート人)だと習ったのに >>786
この当時は円墳などない。
前方後円か、前方後方か、どちらか。
円墳の出現は古墳時代末期。 >>809 > その菊理媛神を全国唯一祀る阿波//
普通に加賀白山神社が有名。
祭祀起源が不明瞭なのは、何処も同じだろ。
むろん、記紀所載のキャラを祀ってるってだけじゃ、何の根拠にもならない。 卑弥呼は親魏倭王だが、
台与は中国の官位を持っていない。
台与の墓が卑弥呼より格上の5段築成と言うことはあり得ない。
箸墓の主は、古代日本で最も高い中国の官位を持っていた人物。それは親魏倭王の卑弥呼しかいない。 🌟新羅本紀🌟
弥生後期〜古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死まで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「我々は海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に〔不慣れ〕でございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」
※ 当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国。 ★ 瞬殺される在日韓国人の無茶苦茶妄想w
600 名無しさん@1周年 2019/05/01(水) 00:42:51.62ID:tE8rei4P0
下野守 栃木県
秦大魚(746年〈天平18年〉9月) 従五位下 〔続日本紀〕
百済王俊哲(再任:791年〈延暦10年〉9月22日〜795年〈延暦14年〉8月7日卒去) 正五位上、後に従四位上、陸奥鎮守将軍〔続日本紀〕
百済王教俊(809年〈大同4年〉1月16日) 従五位下 〔日本後紀〕
甲斐国 山梨県
田辺史広足(天平3年12月21日補任(以下補任日、『続日本紀』)渡来系
馬史比奈麻呂(天平13年12月10日、『続日本紀』) 朝鮮系
山口忌沙弥麻呂(天平宝字5年10月1日)朝鮮系
坂上大忌苅田麻呂(天平宝字8年10月20日) 朝鮮系
5世紀はヤマト王権による中央集権化に伴い東国の軍事的征服が行われている時期で、この頃には朝鮮半島から乗馬風習が伝来している。 ★ 在日韓国人の無茶苦茶を瞬殺する日本人の解説
609名無しさん@1周年2019/05/01(水) 05:47:44.39ID:6XSsaE4p0
>>1
桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫 についてだけど、
皇統が125代続く中で、 百済系がたったの1人で高野新笠が
武寧王から200年後の人物で、限りなく血は薄いよ
>>600
この出鱈目ぶりは日本人じゃない気がする
やっぱり在日コリアンなのかな
まず、高校生でも知っている坂上氏は後漢霊帝の末裔で
坂上氏自体が朝鮮族ではないよ
坂上大忌苅田麻呂も、後漢霊帝の孫の阿智王にもかかわらず
姓が低いと不満を申して宿禰をもらったことで有名
この>>600は日本史の知識ゼロなのが丸わかりなんだけど
なにかの文字起こしして嘘を付け足している感じかな
在日の人ってみんなこんな感じの捏造するのんだったら
怖いね
日本の渡来系氏族の中では後漢霊帝の後裔たちが優秀で
活躍してる
それを在日の人がすべて朝鮮系と勝手にしてるだけかもしれない
だから注意だね
みんな徴用工になっちゃう感じだよね
田辺史広足は「姓氏録」では崇神帝の後裔、だけど「諸蕃雑記」で
百済系とされてて、 その背景は天皇がその出自を憐れんで豊城入彦の
後裔に入れたのね
ただし当時の朝鮮系の諸蕃の蕃族は出自を偽ることが多かったけど、
この一族は東大寺建立にあたり一千貫を寄付しているまともな一族
百済王俊哲は、蝦夷との北上川の大会戦で、夏草が茂って戦えない、
馬の餌がないと臆して戦わずで、桓武天皇の逆鱗に触れたバカ者
強い蝦夷の伊治 呰麻呂と戦うのが嫌で、周辺の神社の格上をして神仏
の力だけで勝とうとしたバカ者
この生母が高野新笠なんだけど、百済渡来は歌と舞の才能がある者が
少々のみ
もちろん、舒明帝の時に義慈王は豊璋を日本の人質として義慈王は
唐に拉致され、豊璋は帰国し663年に唐新羅と戦って敗走し、そして
百済滅亡させた
最初から日本に依存してばかりで、最後には日本を泥沼に引きずり
込んだから、もう最低の民族
本当に百済は、日本の疫病神の働きでよく貢献してくれていたよ
山口忌沙弥麻呂も、 また>>600の大嘘
事実は坂上氏と同じ後漢霊帝の後裔で中国系の漢人系で遠い親戚
ただ、 本拠は奈良と大阪の県境の大和川の荷物積み替え地の付近
だから、 山口氏の2つしかない2系統目で大和の大豪族の武内宿禰
の末裔かもしれない
いずれにしても山口忌沙弥麻呂が朝鮮系というのは大嘘です ここにも多いね
気持ち悪い在日韓国人w
トンスル食堂じゃないんだからもうそろそろ大ウソなデタラメは
やめてくれないかな
韓国人にはD1bがほとんど見つからない
しかも、日本書紀では「百済」はわざわざ
「扶余」と書かれている
これは百済人は倭国の日本人とは違う異人種、という意味
わざわざの注意書き
だから百済などは半島の「蕃族」と呼ばれた
蕃族=蛮族の意味
そろそろ在日韓国朝鮮人は大噓はやめないと
30年前のホルホル時代もう終わってる
百済など朝鮮半島のツングース系穢族や同族の扶余族は
動物肉食で冬には豚の脂をこってり身体中に塗る大陸東北部の
生活習慣
稲作メインの弥生人である時代からその後大陸思想の影響を受け
律令時代の倭国人、つまり日本人は根底は縄文文化と水稲文化の融合民族
水田文化のない半島民族と遺伝的にも文化基本風習的にも日本人とかなり離れた民族なわけで
畑作も日本のような根菜類はなく雑穀類だけ
食習からして根本から違う 【歴史】「新羅から連れ帰った捕虜が葛城地域の渡来人の祖先に」
朝鮮半島からの渡来人の存在示す遺構、奈良・御所の南郷
柳原遺跡
ヤマト王権を支えた中央豪族として名を残す葛城氏。5世紀ごろ
の王権のあり方を考える上で非常に重要な存在だ。
日本書紀は、その祖とされる葛城襲津彦(そつひこ)について
朝鮮半島との関わりが深い人物として描いている。
神功皇后5年、 襲津彦は朝鮮半島への一時帰国を望む新羅の
人質を引率したが、対馬でだまされ、逃がしてしまった。襲津彦
は怒って新羅の城を落とし、連れ帰った捕虜が葛城地域の渡来
人の祖先になった--。書紀はこう説明する。
●弘仁新羅の乱 (朝鮮渡来の難民部落の騒乱)
弘仁11年(820年)2月13日、遠江・駿河両国に
移配した新羅人在留民700人が党をなして反乱
を起こし、日本人達を殺害して奥舎を焼いた。
両国では兵士を動員して攻撃したが、制圧でき
なかった。
賊は伊豆国の穀物を盗み、船に乗って海上に出た。
しかし相模・武蔵等七国の援兵が追討した結果、
全員が降服した。
かつて朝廷(日本国)は、すべての流民の新羅人に
口分田まで与えて帰化を認め寛大に遇して恩を与え
たが朝鮮渡来の流民たちは恩を仇で返し博多など
に土着して本国と違法な交易を目論み、それを見透
かされ東国に移されたことを逆恨みした。
この乱以降、 北九州各地に住んでいた新羅難民は
埼玉、 群馬を中心に関東各地、 東北にも少数住ま
わせる事になった。 ◎古代から現在に至る朝鮮半島の基底種族
『穢 (わい)』
人尿洗顔や糞舐めや葬送で豚の死骸を積み上げたりする習俗等により
中国から穢れの意の「穢族」と呼称され、穢四族(東穢・沃沮・扶余・高句麗)
に分派 『漢書』『後漢書』より
BC126年漢の武帝が穢族に「穢王之印」を授け独立を認めた。
BC107年玄菟郡(楽浪郡の北)設置、 穢族は北に逃走、鹿山の地で「扶余国」が興り「東穢」は江原道に移動。
BC75年玄菟郡、西に縮小移転、咸鏡道(日本海沿岸)放棄、「沃沮」独立。
BC59年玄菟郡、さらに西に縮小移転、 中朝国境山岳地帯放棄、「高句麗」独立。穢族四派分裂終了。
朝鮮半島全体が穢族の居住地帯である。 >>3
はいはい、チョンさんは基本から歴史勉強しましょうね
皇室には最初から隼人の血が入ってますよ
それに百済なんて高句麗に差別されて蔑まれて
だから今でも韓国では差別されてかわいそう
済州島出身なのに百済ですか?
コリアンタウンでもひときわ目立つ朝鮮顔の不細工に
うまれてしまったから?
そんなに必死なの?(⌒∇⌒)
活動家に時々いるような日本人顔に生まれたかったの?
おとなしい日本人の嫁をもらいたかったの?
でもね古代でも日本では半島人は信頼を得るまでたいへんだったのよ
肉食禁止にされたり天武天皇から排除されてましたね(^▽^)/ 土蜘蛛とスサノオは亡命ゲルマニア人
トイトブルク森の戦いのあとにやってきた
土蜘蛛は手足が長く力が強い
スサノオはオランダ人風の髭を生やしており
感情の起伏が大きい
おそらくSusa Noah こういうスレには必ず常駐してるんですよ
コリアンタウンの中高年の在日コリアンや
帰化の朝日の記者など
普段は反日し放題で大嘘をつきまくっているにも関わらず
科学の関連分野が進み自分の言ってることが誰にでも
大嘘だと分かる時代になったので、微妙にその大嘘の内容を
少しずつ場当たり的に変化させ、また薄っぺらい内容をたれ
流しています
被差別部落が古代の半島難民の部落と地理的に同一であることを
懸命に隠すためでしょう
韓国が兄の国?
トンデモのバカでしょう?
日本人ならみんな知っているような客観的な歴史を
在日の人は全く知りません
たとえば反日種族主義もこわくて読めません
いままで日本国やお役所や日本国民に向かって
大きな声で叫んできたことが嘘だとわかるからです
ですからそこら辺の普通の在日のおじさんやおばさんが書いた
歴史本しか読まないそうです
だから歴史をまともに知りません
これまでも都合よく日本人を弟とか兄弟とか言いたがり、兄の国に
逆らうな等、在日社会や在日韓国朝鮮人の特有のマウント願望の
妄想をよく言いますが日本人の兄でも何でもありません
古代から日本に迷惑ばかりかける海の向こうの赤の他人の国
あることがここ20年の諸科学の分野で明らかになっています
【令和考案】
中西進教授
「日本に逃げてきた(古墳時代の)渡来人、血統で見ると大和人ではなく韓国人だ」
「日本に逃げてきた(古墳時代の)渡来人、血統で見ると大和人ではなく、 韓国人だ」
は、
『弥生人と関係ない古墳時代に日本に逃げてきた朝鮮半島の難民は、血統で見ると縄文D遺伝子のある大和(ヤマト)人ではなく、D遺伝子の無い韓国人だ』
という意味だからね
さすが文系の学者のトップは理系分野の最新の知見を押さえているわけです まぁ九州以外は切り捨てだなこれは
嘘を嘘で塗り替える国に未来は無いよ まあこんな論争を生むのもちゃんと記録を残しておかなかった日本人が馬鹿なんだよ
いや途中まであったのかもしれないが誰かが隠蔽・改ざん・抹消したんだろうさ
あれ?これっていまの日本人にも通じる心なんじゃ… >>807
高市は高市皇子につながる血筋だぞ
高市は卑弥呼の再来といってよい >>869
嘘で塗り固めてるのは九州土人だろ
遺構を出せやボケが 夷狄の征伐に活躍した大若子命が
倭姫命から旗を与えられ
大幡主に改名した。
コレが張政が卑弥呼に与えた黄幢で
ほぼ間違いないだろう。
そして、大若子命の弟が
卑弥呼の世話をしていたと言う。
コレが卑弥呼の世話をしていた
歳の離れた弟で間違いないだろう。 卑弥呼が対峙していたのは狗奴国であり
伝承の夷狄は実際には熊襲と考えられ、
コレが博多の大きなイベントとして、
現代まで受け継がれている。
弥生の歴史が現代まで残っているのが
日本の歴史の凄い所だろうな。 九州説って遺跡も出土品もないから、魏志倭人伝のこじつけ読みとか短里とかでごり押ししてるだけだもん >>860
神功皇后の治世は200年から300年頃
夫の仲哀天皇が在中の頃は熊襲と数年にわたり交戦していた
これが後漢書東夷伝などに出てくる倭国大乱
実際に仲哀天皇の死により皇軍は底力を出す
全国各地への援軍要請を出す
熊襲を打ち破りその勢いで船を作り三韓征伐
数々の宝物を持ち帰り皇軍は京へと帰還する
その財力で古墳文化が花開く
卑弥呼なんかでは説明つかないのが古墳文化の成り立ち >>1
箸墓古墳には100人の奴婢の遺体の形跡がなかったので卑弥呼の墓ではない >>876
神功皇后は丹波氏が畿内に進出して以降の話。
そうでなければ、熊襲に高良山周辺を攻め取られた時点で、
丹波氏は滅んでいるからな。 >>1
日本文化の成り立ち
崇神天皇の頃に疫病と飢餓で人口が半分に
神々に祈りをささげるために天照大神の伊勢神宮を選定する
そして伊勢神宮を創建
神功皇后が熊襲と山門の田油津媛(当時は女王呼ばわりされていた)を倒す
その後に三韓征伐をなす
住吉大社が神功皇后により創建される
源氏は神功皇后と息子の応神天皇の八幡神を氏神にする
卑弥呼は張政が来る前に処刑されて奴婢100人と共に埋められる 倭国大乱は記紀で言う狭穂彦王の乱で間違いないだろう。
丹波氏の皇子が妻国の西都原に進出して、
生目と妻国の覇権を争った。
この時生目が勝って、
妻国から邪馬台国へ進出して行ったのである。 卑弥呼の墓があんな立派な前方後円墳なわけないだろおめでたいな
邪馬台国=ヤマト王権ありきの糞設定 >>880
年代が全く違う
崇神が実在したなら300年前後というのに 土蜘蛛と言うのは
熊襲に見られるトンネル状の墓を意味し、
元々が呉や越の風習だと考えられている。 >>882
記紀は吉備の御間城崇神の物語と、
日向生目垂仁の物語と、
高良山丹波氏の物語を
一系になる様にまとめてあるので、
そこを理解して読めば、
全てが氷解する。 古代朝鮮王の墓
それがバレると自分たちが育てたモンスター(ネトウヨ)が暴動起こすから宮内庁は絶対に発掘許可は出さない やっぱアマテラスがうさんくさい。
結局、アマテラス系って大陸からの渡来人なんだよね?
それが争ったり狡賢く日本にいた部族と、土地を乗っ取ったわけでしょ?
それってつまり、、、、 崇神朝は吉備と関係が深い豪族の王朝であり、
桃太郎伝説を残す吉備津彦が
四道将軍の1人として活躍した王朝である。
結局この四道将軍の範囲が、
纒向遺跡の外来土器の出土と一致する事で、
実際に崇神が四道将軍を派遣した
纒向政権が実在したのだな
と言う事が確定した。
そして纒向遺跡から出土する
桃の種や犬の骨や吉備の古墳に
特徴的な特殊器台埴輪が、
吉備出身の豪族御間城が、
大和に進出して行った事を裏付けるのである。
そしてこの纒向の御間城崇神王朝が、
本州の大部分を征して尚、
九州に進出出来なかった事が記紀から読み取れ、
実際に九州の土器や舶載品の少なさから
ソレが裏付けられたと言え、
その時に九州に勢力を張っていた部族こそが、
邪馬台国の丹波氏なのである。 >>872
どこに出せばいいの? ホラ吹きクナイ(宮内)の会ですか?(笑) 魏志倭人伝には実際に御間城が
彌馬升として記述されている。
彌馬升が副長官であるのだ。
本州の大部分を征して尚、
邪馬台国丹波氏から
副長官の地位を与えられる立場にしか
過ぎなかった事が分かるのである。
我々はこの歴史の事実を
素直に受け入れるしかない。
そして、狭穂彦王の乱を征した生目氏が
長官に収まっていた。
当時のパワーバランスが
九州>>本州纒向であったことが
分かるのである。 >>884
「まとめてある」などという解釈をするとそもそも記紀は全く参考にならない証左となるので引用するだけ無駄 >>843
これがすべてを物語る
九州こそ真の倭国であり、真の日本国であーる 100年くらいあとのものだと思う
古墳時代を前倒ししすぎ
関西人のしょーもないプライドのために古代史を歪めるのはいい加減やめてほしい >>887
詳しいな!
吉備津彦が征伐したという温羅は日本に渡ってきた百済の王だったとされる。
岡山のとなりの総社市には謎の山城「鬼(キ)の城」がある。 今宵は仲秋の名月
コロナを吹き飛ばすため、今こそ白羽の矢を使い、10の内の9つの太陽(火鳥)を落としてやろう
令月を迎える時が来た!!
ざまぁ(笑) 裏切りの捏造土人www >>890
それは全く違う。
例えば崇神の項目を吉備の豪族御間城の
大和進出物語として読めば、
考古学上の発掘成果が全て
その中に収まってくる訳だよ。
そして魏志倭人伝に、
本来子供であるはずの生目が長官であり、
親の御間城が副長官であるという記述を持って、
御間城と生目が、直系の親子関係でなかったと言う事も分かる。
こう見ると、考古学上の発掘事例とも
確実にリンクする物語が、
記紀の上に再現されていることが分かるのである。 >>875
畿内説にもそれとわかる物証はないけどなぁ
何かはっきりした物証が見つかるまでは
ずっと延長戦サドンデスだと思うよ
卑弥呼の金印か部下何人かが貰った銀印が出てきたら
もう少し進むだろうな
卑弥呼の金印以外に、銀印は最大10個貰ってる。
銀印所持者
難升米・・・率善中郎将
牛利・・・率善校尉
*今以難升米為率善中郎將 牛利為率善校尉 假銀印綬
掖邪狗・・・率善中郎将
掖邪狗に同行した他7人
*掖邪狗等壱拝率善中郎將印綬
これだけあるんだから、普通に考えたらどこかから出てこないとおかしい 裏切り者は師匠を桃の木で頭を殴って殺っちゃったらしいよ(笑)
まるでチョンと同じだ
恩を仇で返す人間たちだよ うん 桃の種とか(笑)
さすが、桃の木で正当な王族を殴り殺したという裏切りの簒奪者を自称する畿内さんの言うことは深いですなぁ(笑)
今までご苦労様でしたw 例えば高天原(博多湾周辺)から高千穂(日向)に天孫降臨した際に、
猿田彦が道案内して伊勢に帰って行ったという訳だよ。
天孫降臨は安曇族の拡散であり、
コレは前200年〜の銅剣銅戈の出土で裏付けられる。
そして、南方のC1系の部族の猿田彦が築いていたネットワークは、
前400年〜に貝の道で実際に考古学上で裏付けられるモノなのである。
この様にして考古学の素養があれば、
記紀と言うのは歴史において、
実際に起こった事が記述されている
と言うことが分かるのである。 あんまり馬鹿だから何十年もずっと笑いをこらえてたのに(笑)
もう我慢できんわwwwww
知らんけど(笑) まぁ 阿曇族が正当な王族なのはわかりきってるんだけどさ
今さらもう遅いよ(笑) >>899
桃の種は何らかの神事が行われた形跡ではあっても
邪馬台国や卑弥呼との関連性が証明されるものではないからな
残念なことに、今の時点で邪馬台国、卑弥呼との関連が断定できるような物証は
日本全国どこからも見つかっていない >>903
邪馬台国の卑弥呼? そんな人は知りまへん(笑) >>904
日本のどこかにいたらしいよ?
いなかった説もあるっちゃあるけどw ”ゲイ”の神話を調べて見てね
卑弥呼さんは多分ゲイじゃないのかなぁ(笑) >>896
つまり、記紀は考古学の発掘結果の事実確認にすぎず、記紀の物語とは全く関係がない
文脈関係なくそういう事実があったということにすぎない >>905
畿内コ餅やみたらし団子には困ったもんだ(笑) >>908
俺は畿内にも、九州にも物証はないと書いてるだけだけどな
無いものを有るって言うわけにもいかんだろw >>910
どこの説だって物証がないのは変わりないんだから
そんなに気狂いする必要はないよ
断定できるレベルの物証は金印、銀印くらいしかないんだし
銀印は最大10個あるから、その内一つくらい見つかるさ >>912
物証がないから発掘が進むのを気長に待つしかないわな でも、この時代の仮説を示す論拠って
日本史の資料集にも出て来ないんでしょ?
博物館にもあるか微妙なんでしょ? >>907
記紀の物語に関係がありまくりである事が、
考古学上の発掘から分かるのである。 >>913
そうだと思うよ
文献や断定できないレベルの出土物なんかで〇〇説を語ることはできても
裏付けとなる物証がでてこないとどうにもならない
なので、物証が見つかるまでは、諸説つき合わせて遊んでるだけだと思う
仮に、金印、銀印が平原遺跡から見つかったら、それでゲームセットだし
逆に纏向遺跡から見つかってもゲームセット
九州北部でも奈良でもない地域から見つかっても
物証を持っているところの強さには叶わない DNAの解析で弥生時代のその地域の集団がどこ出身かはどんどん解析が進んでいくんだろうけど、
邪馬台国との結び付きまでは分からんからずっと決着付かなそうだな >>918
邪馬台国を構成していた部族は丹波氏である。
倭健命の東征によって全国に拡大して行った。
一大勢力としては先ず丹後丹波であり、
絹織物の集団や、丹波の杜氏として、
日本酒の製造に現在でも従事している。
また、元伊勢籠神社や熱田神宮の宮司が、
丹波氏出自の部族である。 >>915
考古学における事実と、記紀に書かれている事実が断片的に一致していることが、記紀の物語に関係があるとは言えない
人物も時系列も無茶苦茶なのだから、事実を元に記紀で全く別の物語を作り出しているともいえる 倭の五王も安東将軍とか貰ってるから、彼らも印綬を受けてる可能性もあるし
出てくると良いんだけどねぇ
日本側で明確な物証って言うと、稲荷山古墳の鉄剣のワカタケルからだけど
少なくともワカタケル=雄略天皇は実在してたし
銘文を読めば斯鬼宮=泊瀬朝倉宮にいた事は動かしようがない https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=fi&tl=ja&text=Mit%C3%A4%20sin%C3%A4%20teet%3F%20Se%20olet%20sin%C3%A4%2C%20mik%C3%A4%20olet%20ja%20miksi%20tulet.&op=translate
👩あー退屈ってってーって。 >>922
最近有名な出雲伝承だと倭の五王は神功皇后のあと、王さんの次からの五代、平群王朝との説がとられてますが、読み方があまりにも違うので、九州にいた地方の大王のことかもしれないと言う説がありますね いきなり出てくる小さい森みたいなのはだいたい古墳
割といっぱいある >>920
元伊勢籠神社や熱田神宮の宮司って
丹波氏では無くて尾張氏ではありませんでしたっけ?
尾張氏は、本来の神武、叢雲王の子孫とも言われています
現在の皇室では無く、熱田に剣があるのは別の家だからと言う説があります
前王朝は飛騨王朝とも関連があると言う話があり、戦時中の草薙の剣の疎開先は飛騨の水無神社になったのは同じ系統だからと言う話がありますね
水銀に関係した丹生氏は本家ではないんじゃないかと >>886
アマテラスは元々は物部の男神。
それが三輪山の太陽の女神と集合し、伊勢に落ち着いた
故に、近畿では、男神のアマテル神社が複数存在する。 >>885
朝鮮人はお気楽だなw
朝鮮半島に前方後円墳がある段階で既に兄の国ではないww
朝鮮人は昔からきっと嘘つきだったんだな >>901
https://translate.google.co.jp/?hl=ja&sl=fi&tl=ja&text=Mita-san%2C%20mit%C3%A4%3F&op=translate
🤖? >>830
箸墓古墳が皇女陵ってそんな馬鹿な。天皇陵と同等以上の大古墳なのに。 >>843
距離があわない。
倭人伝を素直に読む限り宇佐だろう。 >>860
>生まれは倭国の東北400キロ
当時の倭国は九州北部あたりを指す。
つまり彼は北陸の越の国出身なのでは? >>871
タカイチではなくタケチと読んでしまう。 >>936
元々神功皇后の活動時期は200年から300年
まあ本当は誰かもう一人いたのだろうけどね
これが本当の意味での系図の欠史
神功皇后の活動時期を統治権を用いて無理に返させたのはGHQ
だが記紀の上では神功皇后の活動時期は200年から300年
つまり当時は熊襲と山門の田油津媛をやぶり(199年)
三韓征伐(200年頃)をしたのが神功皇后だった
そして仲哀天皇の死後に神功皇后はずっと独身だった
つまり東アジアでは倭国王として神功皇后は有名だった
卑弥呼は偽女王だけどね
これも新井白石や本居宣長が正しいという事になる 博多から宮崎まで水行20日もかかるんか
ゴムボートのほうが速そうだな、途中遭難死する危険も大きいだろうな
夜は走ってたのかな、漂流かな、陸にその都度くくりつけてたのか >>936
>>1
神功皇后の活躍の年代はGHQの統治権と後は屁理屈をつけて替えられただけであり
そこに学術的に何か徹底的な証拠は皆無
ただただ敗戦後の弱い日本がGHQの言う事に従っただけ
当然その過程の中で焚書もあった
記紀は明白な理由もなく偽書扱いされた
まあ古い時代のモノになると欠史の部分が多くて
必然的に昔の天皇は長寿になったのが真相
これは旧約聖書や史記にも同じような例があるので調べるといい
当然記紀にも数多くの系図の欠損があるから
これをGHQは悪用して日本の古代史の改ざんを行った
それが今も大学をはじめとする研究機関で引き継がれているだけ >>937
神功皇后は明治維新までは歴代天皇に数えられていた
彼女の摂政期間70年も空位があるように見えるのはそのせい
ていうかこれ意外と知らない人が多い豆だな >>907
考古学は下手な解釈せずに事実を積み重ねればいいだけだと思うよ
あと魏志倭人伝と記紀は言われているほどの大きな差異はない
女王がいた事
その女王がある時期を境に独身だったという事
弟がいたという事
倭国大乱を鎮めたという事
などなど
あとは新井白石と本居宣長の偽女王説を付け加えれば合致する
その他の魏志倭人伝の数多くの矛盾(嘘)なども実は武内宿禰などで解決する >>943
あとトヨの存在
ヤマトと山門
もろもろ含めて実は記紀と魏志倭人伝の中身は合致する
だが魏志倭人伝はそのまま受け取ってはいけない間違いが多数存在する
それも明らかなんだけどね
だからそういう理由で記紀で示される神功皇后(200-300年)と魏志倭人伝の女王は同じ存在で
卑弥呼はただの偽女王だと思うよ
神功皇后には武内宿禰や全国各地の強力な武将がいたからね
特に関東の武士=源氏は神功皇后と応神天皇=八幡神に対する崇拝がすごかった
実際に神功皇后は関東の武将を朝鮮半島に派遣している
彼女もまた関東の武士団をすごく信頼していた >>944
訂正
神功皇后は170年から269年の人物
だから卑弥呼とも近いんだけど卑弥呼よりは長生きだぅた >>879
山門はただのこじつけ
それまでの歴代陵墓が全く比定されてない >>947
ちなみに系図欠損は既に神功皇后の時から発生している
古事記と日本書紀を見ればわかる
この欠損は朝廷の書物庫=図書館の天皇記や帝紀などを半焼させた火事から発生したと考えられる >>948
神功皇后の熊襲征伐は単純な物語ではないよ
魏志倭人伝の元を書いた張政への倭国の対応もはっきりいって普通じゃないからね >>950
奈良県天理市の西殿塚古墳が壱与(イヨ)の墓とされている
築造は3世紀末〜4世紀初にかけて >>953
>奈良県天理市の西殿塚古墳が壱与(イヨ)の墓とされている
所在が分かる大王墓だと論証された、近世の天皇陵で、
平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した古墳など一切存在しない。
よって、平地のくそ最悪最底辺地ズボズボ沼地に盛り土した「前方後円墳」は、大王の陵墓では有り得ない。 @阿波 半島人と交易して力あった国々からその利権を親戚になる事で奪い取ったのが大和だろな そうなると邪馬台国は北九州だろ 今の朝鮮人とは無関係だけどな >>955
半島人と交易して力あった国は、鉄器王国「阿波」。 @阿波 神功皇后が120年ズレてる説ってあるけど
その根拠が好太王碑文と12世紀に書かれた三国史記(現存する朝鮮半島最古の歴史書)
けど、実際には具体的に神功皇后が攻めてきたなんて書いてないし
それどころか新羅本記では、紀元前50年頃からずっと倭人が攻めてき続けてるし
173年に倭女王卑弥呼の使者が来たと書いてある始末
まだ倭国大乱の真っ最中で、卑弥呼が共立されてる時期じゃない事くらいわかりそうなもの
と、三国史記もあまりアテにならない 学問に対する良心の誠実さを示すのが学者だとすると、学者が存在しない世界だな >>953
地元の大神神社の伝承だと箸塚古墳の地下の弥生墳丘墓がトヨ=天ウズメらしいね
彼女は今の椿大社にか組まれていたときに垂仁ことイクメに暗殺され、その時の故事が猿田彦の奥さんになった元ネタという考え方してたはず
そこの候補地からは後漢鏡が出てたはず >>952
川上建日別率いる熊曾(異称・熊襲)の姫だった襲武媛(そのたけひめ)は
日本書紀に景行天皇の妃(妻)なったとハッキリと記録され
襲武媛と景行天皇の間に生まれた子を国乳別皇子といい
国乳別皇子の長子は分家し水間と名乗り後に
北九州・筑前(現在の福岡市周辺)を支配してた記述は注目に値するよな つうか、日本憎しで突っ走ってるけど
外交務まるの? 秘密のベールに包まれたままの方がロマンがあっていいんだよなあ >>899>>903
九州説カルト信者が畿内説にイチャモンつけるときに使う藁人形論法の典型例が桃の種
「畿内説は纒向から出た桃の種を根拠にしてるが、桃の種なんか邪馬台国の根拠にならない」
っていうトンチンカンな畿内説批判を今までに何百回も見た >>963
水間、ミマは、水口宿禰に近いとされ、宗方氏と物部氏の混血
九州に地盤があるとされ、東征軍に属したとの話も
奈良には水口神社があり、宿禰が祀られている
宿禰は物部が傘下に与えた役職呼称とされる >>573
九州邪馬台(キュウシュウヤマト)を畿内ヤマトが滅したから
二世紀前半の九州分布から近畿分布と変わる >>966
桃の種が邪馬台国の根拠になる理由は?
神事の痕跡ではあっても、卑弥呼や邪馬台国のものだと言う根拠になるとは思わんけどな >>767
アマテラスは卑弥呼、神話で繋がってるが、天皇家とは血縁がない
だから、伊勢神宮に天皇陛下は参拝しない >>967
落ち込ませて悪いけど栄華を誇った九州のお下がりだし
所詮奈良の大和レベルなんて >>966
邪馬台国は確かに奈良の大和だけど、朝貢した卑弥呼は九州の卑弥呼
九州勢が大和を名乗った
これがとある日本の旧家に伝わる歴史
魏書を書いた人はトヨと同年代の人
宗女トヨは親子関係を表す
つまり、魏書に書かれている卑弥呼は複数
結婚してない方の卑弥呼はヤマトの卑弥呼
世話人の弟は賀茂氏の分家の太田タネコ
昔は特に血筋がモノを言う時代
奈良と九州は親戚どうし >>969
畿内説側が主張してないことを主張したことにして批判するから藁人形論法なんだよ
実際、考古学者で「桃の種は邪馬台国の根拠になる」と言ってる学者は一人もいないだろ
いるなら誰? 匂わせに失敗したら相手が藁人形論法を使ってるという藁人形論法を使うわけか
とことん腐ってるな畿内説
背後にカルトが居るな 桃の種は年代を測定するための材料に過ぎない
桃でもいいし、栗でもいいし柿でもいい
みかんでもリンゴでもいい 日本の方が朝鮮よりも水稲稲作栽培が早いと言うガセネタを信じている
お前らの古代史の知識は全部間違いだらけと考えた方が良いぞ >>927
尾張氏は丹波国造の出自。
海部氏も同じ。 >>921
記紀が歴史の事実を元にしているのは間違いない事である。 https://www.asahi.com/articles/ASL5B22KKL5BPTFC001.html
例えばこういう記事を読んで、畿内説は桃の種を根拠にしてると思い込み
桃の種なんかが根拠になるはずがないと批判する
典型的な藁人形論法 >>979
桃の種は纏向が吉備出身の豪族、
御間城崇神の王都である事を裏付ける出土品であり、
特に崇神の家臣の吉備津彦の桃太郎伝説を裏付ける出土品である。 >>3
しかし韓国に古代から伝わる歴史書なんてあるのかね?万能壁画以外に 邪馬台国の丹波氏は倭健命の東征によって
広がって行ったのと、
いわゆる元伊勢と言われる地域に広がって行った、
2つの広がりがある。
邪馬台国のその後を追うには、
この2つのルートを追っていけばいい。 弥生の伝承は記紀だけに残っているわけではない。
天の羽衣伝説は絹織物の伝播を元にした伝承であり、
絹織物の伝播は弥生時代〜古墳時代にかけてであり、
天の羽衣伝説が弥生時代起こった事を
伝える伝承である事が分かるのだ。 邪馬台国=ヤマト
ヤマト王権の前身
邪馬台国は畿内、出雲、北部九州と数十の連合勢力
卑弥呼→台与→簒奪→倭の五王→大王へと権力が移行していった
卑弥呼は桃や蛙を使った鬼道で太陽を崇め稲の豊作を祈祷→天照大神の神話を生み出した
宮中祭祀は鬼道の名残り >>937
今では神功皇后はそれまで唱えられていた年代よりも
120年後の時代の人だという説が有力視されている
>日本書紀の紀年論にみられるごとく年代はいまだ確定していない。そのため、神功皇后の活躍、三韓征伐のあった年代および、その史実の妥当性についての研究が続いている。倭国が新羅をはじめ朝鮮半島に侵攻した記録は、朝鮮の史書『三国史記』新羅本紀や高句麗における広開土王碑文などにも記されており、2011年には新羅が倭の朝貢国であったと記されている梁職貢図が新たに発見されている。
紀年については、『日本書紀』は百済三書の一つ『百済記』を参照または編入している[1]。百済記の年月は干支で記しているので60年で一周するが、『日本書紀』の編者は日本の歴史の一部を2周(2運=120年)繰り上げて書いているとされており、百済記もそれに合わせて引用されているので、当該部分の記述も実年代とは120年ずれていると考えられる[1]。井上光貞によれば、日本書紀の編纂者は神功皇后を卑弥呼に比定したこともあって、干支を2運繰り上げたとしている[1]。また、百済記は早くから暦を導入しており、紀年は正確とみられている[ >>985
簡単に前身を使いすぎ
邪馬台国は消滅してヤマト王権が誕生したのが事実 もちろん、先ほど述べた通り、
桃太郎伝説は崇神の家臣、
吉備津彦の伝説である事が、
纏向の発掘で裏付けられている。 >>987
邪馬台国は丹波氏の王国として引き継がれている。
その結果、丹波氏の神功皇后が
大和朝廷で強大な権力を
発揮する事が出来たのである。 >>967
それと川上建日別(カワカミタケル異称・熊襲))率いる熊曾国の姫
襲武媛(そのたけひめ)は景行天皇の皇妃となり3人の皇子を産んだけど
3男の豊戸別皇子(くにそわけのおうじ)の子孫は
丹波国(現在の兵庫県中北部)に派遣されの丹波道主命となってる >>990
引き継がれた?証拠は?
金印でもあるんか? 邪馬台国が引き継がれるなりしてれば神話なんぞ要らんわな
大陸の後ろ盾と、その金印で全国を統一すればいい また、日本の正月開けには、
鏡開きという風習がある。
餅を割るのがなぜ鏡開きなのか?
今となっては、なぜどうしてなか?
分からない訳だが、
この鏡割りという風習は、
実は弥生時代の銅鏡が割られた状態で出土する事が始まりである事が、
この私によって提唱された。
現代に残る鏡開きの風習が、
実際には弥生時代から引き継がれた風習なのである。 >>993
記紀を見れば、倭健命の東征が、
丹波氏の武力を背景に行われたことは明らかであり、
それを元に拠点とした元伊勢籠神社や
熱田神宮の宮司が丹波氏出自の氏族であることも
それを裏付けているのである。 >>973
つまり桃の種も物証にはならないって事やん?
じゃあ畿内説の根拠ってなんだ? >>978
一部事実を元にしてそうな描写はあるが、だからといって記紀が史実だったとは言えないとなんどいったら このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 1日 5時間 41分 58秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。