十万人が犠牲になったとされる東京大空襲から十日で七十八年となるのを前に、犠牲者の名前を読み上げて一人一人の命を心に刻む集いが九日、東京都江東区の「東京大空襲・戦災資料センター」(民営)であった。避難を遮られ犠牲となった米軍捕虜の名が初めて読まれ、日本の加害にも思いを巡らせた。(井上靖史)
 日本の空襲遺族らでつくる実行委員会が主催し三年目。四十人が交代しながら、一日がかりで千九百二十八人の名前と死亡時の年齢を分かる範囲で読んだ。
 米軍捕虜の犠牲者六十二人の名は米国出身のバートン・ブルームさん(72)が千葉県佐倉市の自宅からオンラインで読んだ。墜落などにより捕虜となったB29爆撃機の搭乗員で、収容先の東京陸軍刑務所で一九四五年五月に山の手大空襲に遭い、逃げるのを日本人看守らにふさがれ焼死した。
 会場との意見交換でブルームさんは「七十八年前に起こったことを学び、二度と起こさないと心に刻むべきだ」と強調。参加した女性は「戦争は敵、味方問わず全て破壊し尽くす。絶対だめだ」と述べた。
 読み上げには品川区の香蘭女学校で平和活動をしているサークルの五人が参加。高校二年梅田明(あかり)さん(17)は「学校では軍の偉い人の名を覚える勉強が中心。今日、初めて普通の人がたくさん亡くなったんだと意識した」と話した。
 宮城県栗原市の菅原(旧姓高橋)徳子さん(87)は自身の疎開中、今の江東区北砂で空襲により亡くなった両親ときょうだい五人の名を初めて読んでもらった。「優しかった両親や姉を思い出し、涙が流れた」
 墨田区緑三丁目戦災死没者墓誌や墨田電話局慰霊碑、中村中学・高校(江東区)の名簿も初めて読み上げられた。

東京新聞 2023年3月10日 07時10分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/235678