6月2日は「本能寺の変」 明智光秀の進軍ルートをたどる 記者3人で夜通し25キロ [蚤の市★]

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0001蚤の市 ★2020/06/01(月) 17:10:49.64ID:ux7jdvmG9
 戦国武将・明智光秀が1582年(天正10)年6月2日、主君の織田信長を討った「本能寺の変」。教科書にも載る歴史上の出来事だが、光秀が前夜に京都市に隣接する京都府亀岡市の亀山城から出陣したことは意外に知られていない。謀反を起こす前の光秀はどんな思いを抱いていたのだろうか。今年の大河ドラマの主役になり例年になく脚光を浴びるなか、438年前に光秀の軍勢が夜通し京の本能寺へ向かったルートを記者3人がたどってみた。

■亀山城跡の隣接地から出発

 《亀岡は明治維新まで「亀山」と呼ばれていた。明智光秀は1577(天正5)年、丹波攻略の拠点として亀山城を築城した》

 午後10時 JR亀岡駅正面、南郷公園(亀岡市古世町)に、昨年5月にお目見えした「明智光秀公像」。亀山城の跡に隣接したこの場所を出発点とした。満月がこうこうと夜道を照らす。気分が高揚し、馬のいななきや軍勢のたけだけしい声が聞こえた気がした。
 <1582年(天正10年)5月26日、信長から西国出陣を命じられた光秀は丹波の亀山城に入り、翌日に戦勝祈願のため愛宕山頂にある愛宕神社(京都市右京区)に向かった。その後、6月1日午後10時ごろ、約1万3千の軍勢を率いて亀山をたったとされる>
 光秀は愛宕神社で戦勝祈願のために何度もおみくじを引いたという。亀山城を出発する時には決意が固まっていたのだろうか。

■静まり返った旧山陰街道を東へ

 午後10時半 国道9号ではなく、静まりかえった旧山陰街道を東へ進む。昔ながらの立派な虫籠[むしこ]窓の家が散見され、城下町の面影を感じる。光秀たちはたいまつに明かりをともして進んだのだろう。
 午後11時 光秀の軍勢が集結したとされる篠村八幡宮(亀岡市篠町)に到着。思いの外、境内が広い。大勢で士気を高めるにはうってつけの場所だと感じた。室町幕府の初代将軍足利尊氏が鎌倉幕府を倒幕する際に挙兵した場所ともされ、光秀はそれにあやかったのか。
 午後11時半 街道沿いの王子神社(同町)で、高さ約28メートル、幹回りが約5メートルもある巨大なツブラジイに圧倒された。そこから府道を離れ、旧街道の細い農道に入る。前方に山容のシルエットが立ちはだかる。勾配がきつくなっていき、うっそうとした竹やぶを通り抜けた。振り返れば、市街地の明かりがはるか遠くに望めた。もう後戻りはできない。車が行き交う国道9号に合流し、車道脇を進む。暗がりから「ピィーッ」とシカらしき鳴き声が響いた。

■京へ向け一気に坂道を下る

 午前0時 峠道を登り切り、老ノ坂トンネル前に到着。出発から2時間。ここで休憩する。日付が変わり、いよいよ京に向けて一気に坂道を下ることになる。明け方までに本能寺跡に着かなくてはならない。
 午前0時半 老ノ坂トンネル(全長225メートル)を抜けると、間もなく「京都市」の案内標識が見えた。旧国名の「丹波」から「山城」へ。山間部の暗闇の中、国道9号を1列になって一気に下る。路側帯は細くて危険なため、大型トラックに蛍光反射たすきや懐中電灯でアピールした。

 午前1時 老ノ坂を下り、再び分岐している山陰街道を進む。この辺りにも、亀岡市内で散見されたような、虫籠[むしこ]窓が特徴的な町家が多い。昔の人々も丹波との往来にこうして街道を歩いたのだろう。国道9号樫原秤谷交差点をわたると、洛中の明かりが見えてきた。
(以下はソース参照)
■「明智川」の駒札発見
■「敵は本能寺にあり」号令
■「本能寺跡」に到着、攻め入る体力はもう残っていない

京都新聞 2020/6/1 10:30 (JST)6/1 13:01 (JST)updated
https://this.kiji.is/639999859437470817?c=395467418394624012020/6/1 10:30 (JST)6/1 13:01 (JST)updated

0851不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 02:12:52.19ID:uiAaJ6FG0
密になるからやめろゴミ共

0852不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 02:32:52.33ID:R8gFoA7E0
西の悪魔崇拝者、イエズス会の侵略者によって日本国がめちゃくちゃにされた。
武器を購入する費用を捻出するために、
多くの若い日本人女性が西洋の諸国に売られたそうだ。
戦国時代に至るきっかけを、イエズス会の手先とその協力者が作り出したという話もある。

織田信長は、イエズス会の構成員によって奴隷にされていた黒人の男を厚遇し、
敵の情報を聞き出し、彌助と名付け、従えたそうではないか。
イエズス会の界隈が、日本国侵略を目論む、
争いをもたらし、武器を売りつけて金を稼ごうとする悪魔的存在だと判明した後、
朝廷の意向を受け、織田信長は憎まれ役を買って出たんだろう、
本能寺の変で討たれたフリをしたが、死んだのは影武者で、
実は生きており、荒事に巻き込まれることなく、ひっそりと余生を満喫したか、
なにか重要な任務を果たそうとなされた、そう考えたほうが筋が通るように思う。

跡継ぎの豊臣秀吉は、イエズス会の手先共を追放するという、
重要任務を果たした訳だが、それが織田信長に影響されて成されたというなら、
大いに考えさせられる。
織田信長は、イエズス会の持ち込んだバビロニアンキリスト教が、
侵略に用いる洗脳ツールであることを見抜いていたが、
それでも南蛮由来の文化や珍しい品物には関心を示し、
表向きには嫌悪感を見せずに交易を続けたのだろう。
論理、叡智、狡猾さ、奇抜さ、圧倒的行動力には魅せられないほうがおかしいというものだ。

浄土真宗・一向宗、天台宗の界隈と頻繁に争っていたが、
その本当の理由が知りたいものだ。
一神教が掲げる理論に基づけば、仏教徒が拝んでいるものも偶像扱いされ得る訳で、
その仏教徒は、本来清廉なる存在としてあらねばならないのにも関わらず、
一部の者は、賭博や遊興にふけり、肉を食らうことすらあったそうだ。
織田信長は第六天魔王と名乗っていたそうだが、
魔に属すると自称する者が、考えようによっては悪魔的な存在に対して攻撃を加えた際に、
それをどう認識すればよいか、日頃から考えておきたいと思う。
純粋な法華経の強信者の祈りの前には第六天の魔王も味方すると、日蓮は自筆の御書で説いているが、
織田信長とその意志を継いだ者が成したことは、
侵略者を打ち払うという形で仏教徒にも利益をもたらしており、
あながち誤りではないのではないかと思う節もある。

長篠合戦図屏風に描かれている織田信長のすぐ近くに、
背部に六芒星の刻まれている服を着ている人物が描かれているのが大変気になる。
一般民衆には真実の重要な歴史は伝えられないそうだが、
日々研究に勤しめば、幾らか知ることはできるだろう。
織田信長も重要人物の一人であり、研究対象にするにはもってこいだろう。

0853不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 02:34:13.34ID:inzyyGM30
>>848
雪斉が死んじゃったからねぇ
指揮取れるのがいなかったってのもあって張り切って出陣したんだろうけど
たかが境界争い。されど戦。信長先生なんてたかが守備兵300人くらいしかいない砦一つ落としたり、櫓一つ守るために先陣切ってるんで当時の武将の生きざまみたいなもんよ。謙信なんかもな
信長のエピソードはどっちも40前後の話ってのがな

0854不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 03:10:37.33ID:aL2o3mMM0
>>527
おめでとう

0855不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 04:00:38.99ID:2KLu6CVN0
>>55
根回しなんかしたらそこから計画バレる可能性出てくるからだと思ってる

0856不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 05:25:49.70ID:IWrQkYBi0
老ノ坂トンネルって光秀も通ったのか(´・_・`)

0857不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 07:55:16.58ID:aNqpbkgd0
信長を呼び出したのは秀吉
しかし、うだうだしてる秀吉の本陣まで行くかね? にしても、上から目線しか無い信長は光秀が謀反とは想像もして無かった

0858不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 08:09:00.66ID:XzPKUQK+0
>>108
ノルマンディー上陸作戦の米軍兵士の装備は50Kg近くに達したという。それと
ビニールで包んだ小銃を持って、独軍が設置した障害物のせいで波打ち際からかなり
離れたところで舟艇から海に出されて、水深3mもあって多くの兵士が身動きも
取れずに溺死したという。水面に顔を出せば独軍自慢のMG-42の掃射で頭部を
吹き飛ばされる。上陸第一波はほぼ死ぬことになっているとはいえ悲惨な状況
となった。あまりの装備の重さに、「これはオーバーロード(大君主)作戦では
なくて、オーバーロード(荷物過大)作戦だ」と揶揄されてしまった。

0859不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 08:15:43.76ID:6ET9+PVF0
>>849
俺は四国説だな。主要因は老齢なのに出世街道脱落したことだと思うね。きっかけを作ったのは信長だけどw
力の空白が出来て、ここ数日ならやれるって思いついちゃったらもう、って感じか
安定を求める現代人から見るとアホにも見えるが、そこは光秀も戦国時代の男ってことじゃないか。
隙を作った信長親子も悪いw

0860不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 08:20:35.57ID:mOI5YBd30
信長公は人気あり過ぎw
光秀も心理や行動が分かってくると面白い
ただ一つ言えるのは、戦国時代というのは今と比べものにならない狂乱の時代だったんだなと思う

0861不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 08:29:37.70ID:pt+4cjjq0
>>857
本能寺の変の約一ヶ月前の4月24日付の細川藤孝宛の信長書状では
中国出馬は来秋の予定だったが、小早川隆景が備前児島で秀吉に敗戦し、
備中高山に退いて籠城しているので近々出馬するかもしれないと言ってて、出馬予定が早まる可能性がある事を示唆してる
またこの書状の口上の使者は光秀が務めてて、光秀から詳しく申し上げると言ってる
上から目線ではなく、信長は最後まで普通に光秀を信頼してたのは確実

0862不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 08:43:03.59ID:GRDUSlye0
>>849
ないだろう
いわゆるスパイ部隊も持ってなかったんじゃないか?
根回しはバレる可能性はあるとはいえ、根回しとかないとその後の政権の設立と維持が難しいのは本人もわかっていただろうしな
計算高く、狡猾とまでと呼ばれた人間が後先関係なく動いてしまったというのは、やっぱり当時精神病だったからなんだろう

0863不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 09:08:33.88ID:BLK2YwCx0
明智軍が本能寺に向かう際見られた人すべて殺したそうな
50人ぐらい殺したと何かの書物に書かれてるらしい

0864不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 09:12:37.36ID:ZI4D0UMl0
明智光秀が敗死したあと遁走した近衛前久

0865不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 09:21:19.43ID:UPwqndZi0
>>863
まあひどいけど作戦としては緻密だな。その後の人心を考えると木に縛りつけとくくらいの方がいいがw
それでも亀山城にプロ忍びを数人派遣しとけば済んだ話だよな。信長は良く言えば全く信用してたし、悪く言えば油断してたな。
亀山城から京までけっこう距離あるんだからw

0866不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 09:32:18.79ID:D8rnz5wC0
え?奢りじゃないの?あ、ケチ!

0867不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 10:35:59.77ID:wtPUdeHG0
亀山城から本能寺へ直行、


な、わけないじゃん。
バカなのこの新聞。

0868不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 11:17:10.48ID:Pg7+eWxn0
所謂、「明智越」とは別ルート

0869不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 16:14:09.82ID:Eu5OjPAJ0
>>847
とりあえず初戦がうまくいったら、尾張制圧まではやったかもしれん。
上洛はないだろうなあ。

0870不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 16:54:55.36ID:ha92VK8X0
歌ってた二人組はどこ行った?

0871不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 19:44:54.01ID:BLK2YwCx0
光秀は本能寺の変のちょっと前に挙動不審だったということは迷っていたんだろな
チャンス到来…謀反するかしないか
迷いに迷った挙げ句挙兵
その迷いがその後グダグダになったような気がする

0872不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 21:19:18.39ID:h0fEI0Pu0
>>837
瀧川さんが「関東移封より茶器一つ欲しい」って言ったのは本心だろうし、柴田さんも上杉滅亡後は越後に移された可能性が高い
使える間は地方の太守として遇するけど、後々の保証はないというのが信長晩年の既定方針みたいだから、「誰か何とかしないかな?」ってのが重臣逹の本音だったと思う

0873不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 21:33:25.70ID:Eu5OjPAJ0
>>872
柴田、佐久間にしても、父親の代からの家臣で、
ガチ譜代ってわけじゃないからなあ。
信長は一族と近習と、中心に据えて、外側にこいつらが死ぬ当たりの方針だったし

0874不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 21:39:10.83ID:2RkC3G9P0
>>873
光秀さんにしろ、三成さんにしろ、後世(つーか徳川の時代)に
「人望がなかった」と悪様に罵らされてるけど、
彼らは士心は得ていたんだよな。

むしろ筆頭家老に寝首掻かれてる信長が不様。

0875不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 22:32:19.36ID:o5GSRVK50
>>874
三成は人望あったけど、
光秀は微妙。

0876不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 22:55:33.98ID:yXoVq2cF0
>>874
まあ徳川の徳は人徳の徳っていってねw
まあもちろん天下人徳川家もそうだけど光秀も三成も
我々現代人が知るような武将は大抵人望あるさw
江戸期以降の生まれがよければ大身になれる平時とは違うんだ。
まあ戦国だってガチ暗君とかいるけどね、それはそこまで偉くなれないよwww

普通に光秀三成disってのは「勝者の書く歴史」ってやつの宿命だろうし
ついでにいえば裏切りなんてのは江戸以降の武士道にとってはご法度なわけで
そりゃまあ、いささかもその人格を肯定的には言えないだろうねえ。

0877不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 23:06:00.15ID:3Mpqcokj0
三成に人望はない

毛利と宇喜多担がないと

0878不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 23:08:41.95ID:sRL6bSUm0
秀吉は信長の下にいるのがベストだったと思うよ。秀次、利休殺しや朝鮮出兵など天下取った後の政策は酷いものだった。
その天下自体も信長が道筋付けたのに乗っかっただけだしな。

0879不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 23:17:27.99ID:QkzJKxd8O
秀次を処分したのが一番酷かった。殺生関白は創作で、まともな人物だったが、現職の関白を処分するって秀吉が作った律令秩序をみずから否定するものだ

0880不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 23:20:00.63ID:yXoVq2cF0
>>877
まあ慶長4年の七将襲撃みたいな故事を思えば
確かに権謀術数渦巻く当時にしてみてもどーなんすかと
これは思わぬこともないんすけどねwww

でもまあ島左近や大谷吉継のエピソードじゃあないが
そこは相応の人望なければそもそも家中は治められないし
ましてや五奉行筆頭格とはいえたかだか20万石程度の身で
毛利やら島津やら上杉やら大藩を巻き込んで、
五大老筆頭の家康公相手に天下分け目の大相撲はとれまいにノーwww

0881不要不急の名無しさん2020/06/03(水) 23:22:40.12ID:zxBla5Md0
本能寺の恋
光秀の恋心にもハゲと罵られ、むしゃくしゃしてやった

0882不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 00:41:21.32ID:r54HyOYo0
>>877
士心を取るということと、同僚の大名の間で周旋の才があるということは別物。

光秀も三成も、かなりの無茶やったが、家臣の裏切りにはあっていない。

それは端的にすごいことだと思う。

秀吉なんか、子飼いにめっちゃ裏切られてるし、信長は筆頭家老だった光秀にぬっ殺されてる。

次元がちょっと違う。

0883不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 00:55:13.53ID:k5GEkE1I0
>>877
三成は、身分が引くからしかたないんだわ。
五奉行だし、官位も低いので、上の国持ち大名には直で命令というわけにもいかんのよ。

0884不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 01:01:10.85ID:k5GEkE1I0
>>882
秀吉って生前に子飼いにそんなに裏切られてるか?

0885不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 01:05:25.16ID:WanFbSUwO
おそらくは死後に、中村式武少、堀尾帯刀先生、生駒雅楽頭、加藤左馬介、福島左衛門らが

0886不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 01:18:55.40
『明史』巻322・外国3「日本伝」には
織田信長が関白だったと書いてあるのに、中国史書が大好きな歴史学者はこれを見事にスルー

明智光秀はカトリック教徒
カトリック教徒の明智光秀が日本をカトリック国家にするためにテロを行い、当時トップの関白・織田信長を暗殺した事件が本能寺の変
豊臣秀吉は明智光秀を討ち、日本がカトリック国家になることを阻止し、関白を継いで伴天連追放令を出す

このキリスト教徒が日本転覆を目論んでテロを行った事実を隠蔽するために
様々な説を流布して覆い隠している

欧米白人キリスト教諸国連合である国連・アメリカに占領されたままの日本での歴史教育は
彼らに都合が悪いことは全て隠蔽され修正されている

歴史を修正していたのは国連・アメリカというのが現実だ

戦後、国連・アメリカに占領された状態で、歴史を捏造するために
あらゆる方面から織田信長は魔王だったという洗脳を行ってきた
それによって織田信長を悪とし、明智光秀の織田信長暗殺に正当性を持たせようとした
それは欧米白人キリスト教諸国連合がいつも行っている手口でしかない
自らを正義にするために悪を捏造する
その被害者が織田信長

現在の学問は
日本を占領し続け、世界支配をしている、欧米白人キリスト教諸国連合にとって都合が悪いことは捏造され隠蔽されてるのが現実
捏造され隠蔽され修正され歪められた全てを払拭しなければならない

0887不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 01:23:37.39ID:k5GEkE1I0
>>886
日本側の資料に一言もないからね。
関白なら信長公記やら、公家の日記やら、朝敵の正式記録にも残るからね

0888不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 01:26:48.84ID:zyI2dxuZ0
信長の死よりも二条御所の信忠と信忠軍団の武将、村井ら織田官僚がほぼ死んだのが織田家にとっては痛手だった

0889不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 02:43:36.45ID:k5GEkE1I0
あれ? 朝敵じゃなくて朝廷ね

0890不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 03:25:56.77ID:ZVawbO/R0
>>884
秀吉は親譲りの家臣とかがいなかったからね。

0891不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 03:27:35.97ID:ZVawbO/R0
>>878
秀頼が生まれたからね…

0892不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 03:38:47.13ID:i+TMhfMZ0
>>878
晩年の秀吉はそれまでの秀吉と別人
秀吉は人の心を掴むのが上手くて天下人になっただけはある
羽柴秀長が死んだくらいから頭がおかしくなった

0893不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 04:19:11.11ID:h3PLmbTb0
晩年の秀吉は認知症。
偏執的で疑り深いのに騙されやすい。

0894不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 04:53:28.23ID:aAByumBT0
>>873
勝家だって、昔弟を担いで反旗を翻したなんて難癖付けて所領没収とかありえる信長なら
林みたく

0895不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 05:04:24.24ID:aAByumBT0
>>893
諸将の前で小便漏らしてるのを誰も言えなかったというエピソードを何かで読んだが
注意したら切腹命じられるくらいボケてたから、誰も言えない状況だったんだろう
権力を持ったボケ老人ほど怖いものはない

そして認知症は、ボケても一番近くにいて世話してくれる人間だけは覚えていて信用してしまうらしいね
それが三成だったから、子飼いの武闘派は面白くなかったんだろう
朝鮮の役でも三成が取り次ぎ役で、秀吉に叱責されまくったし、命懸けて渡海した諸将からしたら安全な場所にいて吹き込まれたと思うのも無理はない

0896不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 08:24:04.63ID:Hbtg9+gh0
秀吉が後事を託したのは、家康と利家
次が家康の天下になることくらい理解してただろう

ウンコ三成は、大老が決めたことだけやってればいい
何も私的に頼んじゃいません

0897不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 08:33:02.52ID:AtTlQgdp0
>>886
陰謀論がお好きですねぇ
オカルト歴史愛好家のかたですか?w

0898不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 22:16:10.81ID:Zx9MYufW0
>>896
秀吉は死んでも天下を徳川に渡すなんてことを考えたはずがないよ
秀頼は秀吉の嫡男という前に織田の血を引いている正当な後継者としての扱い
利家はその家臣だし、家康にとっての織田は上下関係のある同盟者

0899不要不急の名無しさん2020/06/04(木) 23:49:46.17ID:aAByumBT0
>>896
秀吉はあくまでも利家と家康に秀頼の後見を託しただけだろう
家康の天下がくるなんて微塵も思ってないはず

0900不要不急の名無しさん2020/06/05(金) 12:03:49.95ID:qIqzZ77Q0
>>369
クレオパトラ設定もあるんかな

0901不要不急の名無しさん2020/06/05(金) 13:37:23.73ID:uN8tyTTVO
秀吉は千姫との婚姻で豊臣徳川の融合を期待し、実際家康もそのつもりで行動していたが、石田らがそれを打ち壊したんだという珍説もある

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。