戦国大名といっても最終的には優れた政権構想の有無だ。
関ヶ原以降は戦場での豪傑は逆に邪魔になって領国経営のうまい三成とかが台頭してくるみたいなもんで。
織田信長が新しい日本を作るにあたって悩んだことのひとつが天皇家の位置付け。
皇族を厚遇してみたり、途中から官職を拒否したり揺れている。
西洋の知識も入ってたろうから、日本の支配体制を一元化すべきかなとか思ってたんだろう。
信長は、あのへんが妙に真面目だ。
徳川家康の当たらず障らずは、古来からの武家のやり方を踏襲したんだろう。