>>913
関ケ原
島津義久が西軍に味方せず
弟の島津義弘が勝手に西軍に味方しただけという体裁だったからね
しかも島津義弘の軍勢は兄島津義久が兵を送るのを拒んでいたので
ボランティアで集まった1500人だけという少数
関ケ原で兵をほとんど消耗していない、薩摩には無傷のあの精強な兵が残っているというのも
家康に躊躇させた理由だろう

でも加藤清正、黒田長政らの連合軍は薩摩に向けて進軍していたのに
家康は攻撃中止命令を出している

その裏にあるのは海外貿易をしようとしていた家康に、島津義久が脅しをかけたといわれている
丁度そのころ貿易船が海賊に襲われるという事件が起きて、島津は海賊を退治しましたと家康の報告したそうだ
その意味は島津をつぶすと島津は海賊になって貿易の邪魔をしますよというメッセージになって家康を脅したという説がある